【依存】から始まるヒーローアカデミア   作:さかなのねごと

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75.乙女たち、思いやる。

 

 トガヒミコが去ってから、状況は目まぐるしく駆け抜けていった。公安の職員さんたちに誘導された先で、愛依(あい)ちゃんの怪我の確認、着替え、事情聴取──医務室の先生も職員さんも警察の方々も私たちを慮ってくれたのはわかったけれど、それでも細々とした疲労は心身に降り積もっていって。終わった頃には私たちは、とある一室のソファーに深く身体を沈み込ませていた。

 

「……ううううう……」

「愛依ちゃん、疲れたのかしら、大丈夫?」

「あ、いや……違うのこれは何というか、……穴があったら入りたい気持ちというか……」

 

 愛依ちゃんの小さな声がくぐもっているのは、両手で顔を覆っているから。そうして身体をくの字に折り曲げている彼女の背中を擦った。白くてふわふわの羽根が、心なしかしゅんとしている。

 

「……あんなにびゃんびゃん泣いて、恥ずかしい……」

 

 今にも消え入りそうな萎れきった声だった。恥ずかしい、とは言うけれど、羞恥というより悔恨が色濃く滲んでいる。“申し訳ない”、“やってしまった”、……そうした気持ちを少しでも和らげたくて、私は努めて声を明るくした。

 

「気にしては駄目よ。ほら、頂いたコンポタ飲みましょ」

「……、……うん」

 

 ゆっくりと愛依ちゃんは上体を起こして、手の中にあるコンポタの缶を見下ろした。

 このコンポタは、諸々の事情聴取を終えた私たちに、1人の公安職員さんがくれたものだ。スーツをかっちり着込んで、サングラスを掛けた彼の表情は見えなかったけれど、どこかおずおずと差し出されたそれは温かかった。この8月の終わりにあったかいコンポタというのは中々に意外なチョイスで、お礼を言って頭を下げた愛依ちゃんも、驚いたように目を丸くしていたのが記憶に新しい。

 それでもこうして口に運び、温かい素朴な甘さが喉を通っていくと、凝り固まっていた身体がほぐされていく気がした。ほうっと吐き出した息も、ぬくくて甘い。

 

「夏のコンポタも、いいものね」

「……うん、びっくりした、けど……」

 

 うれしい、と。

 そこでようやく愛依ちゃんは小さく微笑んだ。何かを噛み締めるように口許を結んでいる。その眦は、もう赤くない。そうっと指先で触れると、愛依ちゃんは不思議そうに首を傾げた。

 

「? 梅雨ちゃん?」

「目元の腫れは引いたわね」

 

 “よかったわ”、とは言えなかった。

 上手く飲み込めない感情を均して、言葉として紡ぐ。

 

「愛依ちゃん、涙は透明な血だということは知っているわね?」

「え、と……うん。涙は血漿からできているから」

 

 リカバリーガールに師事している彼女だから、そういった知識は勿論あるのでしょう。けれど、だからこそもう一度、この場この時に言っておきたかったの。

 

「流れる血は、アラートなのよ。“もうこれ以上傷付いてはいけない”という、身体が発する警鐘なの」

 

 そんなこと、百も承知のくせに。

 愛依ちゃんは“大丈夫”と、悲しく笑ってみせるから。

 

「だからどうか、ヒーロースーツは、白のままでいてね」

「……それは、」

 

 思い出す。目蓋の裏に鮮明に焼き付いた光景を。

 医務室で検査を受ける愛依ちゃんの背中は、白くて、細くて、とても綺麗だった。……傷ひとつ無かったわ(・・・・・・・・・)。まるで最初から何も無かったみたいに。

 そうして制服に着替え終わった時、自分の──ズタズタに引き裂かれて血塗れのヒーロースーツを手に取って見下ろして、愛依ちゃんは眉を潜めて、小さく小さく呟いた。

 

『……目立っちゃうなぁ』

 

 愛依ちゃん。ねえ、あなたはきっと、それを嫌だと思ったのでしょう。許せないと思ったのでしょう。ヒーローとしていけないと、そう思ってしまったのでしょう。

 

「傷を負う時、痛みを感じるのは……、命を守るためなのよ」

 

 だからこそ私は、今、あなたに伝えたいの。

 

「あなたが痛みを隠してしまうのなら、せめて、傷痕は隠してしまわないで」

 

 わかっているわ。これはただの我が儘。戦闘における合理性を突き詰めるならば、汚れや傷が目立ってしまう色は避けるべきなのでしょうね。

 でもどうか、……どうか、と。

 祈るように、愛依ちゃんの手を両手で包み込んだ。

 

「……傷付いたってことを、隠さないで、教えて」

 

 愛依ちゃんは瞳を揺らした。青い目が、まるで波打つ海のよう。ほの暗く揺らいで、揺らいで、揺らいで、……そうして苦しげに俯いた。

 

「……梅雨ちゃん」

 

 まだ彼女の青に、光は射さない。

 

「でもわたし、やっぱり心配は掛けたくないよ。……みんなを守りたいし、安心させたい」

 

 コンポタの缶が微かに軋む。ぎゅうと強く握られるその手に、彼女の葛藤を見た。私の言葉は届いているけれど、それは確かに愛依ちゃんの心を揺らしたようだけれど、それでも譲れない思いが手放させないでいる。

 

「……そのためなら、わたしは──」

 

「“大丈夫”って?」

 

 苦しげに愛依ちゃんが言葉を継ごうとした、その時。

 カチャリとドアが開き、そこから明るい笑顔が覗いた。頭に巻いたオレンジのバンダナ。そこから真っ直ぐ流れる緑色の髪──スマイルヒーロー・Ms.ジョークは、ひらりと私たちに手を振った。

 

「まぁなぁ、そりゃ、“大丈夫!”って笑って応えたくなるのがヒーローだよなぁ」

「あ、え、……と、」

「わかるぜ? 笑顔ってのはいいもんだからな。なんたって私の商売道具であり人生の友だ!」

 

 戸惑う愛依ちゃんの肩をぽすぽす叩いて、Ms.ジョークはからりと笑う。“個性”【爆笑】を持つ彼女だからか、そういう人柄だからか、彼女の言葉には説得力があった。

 

「でもだからこそ、私たちは、無理して笑っちゃダメだ」

 

 でもただ賑やかなだけじゃない。彼女はふっと笑みの色を変えた。滲むような感情を湛えて、堪えるように目を細めて。

 

「……“ああ、あの時、無理して笑っていたんだな”って、後からわかるのはしんどいだろ?」

 

 そうして告げられた言葉に、愛依ちゃんははっと目を見開いた。その目に映っているのはきっと、あの人なのだと私にもわかった。見開かれたその青色が、ほんの僅かに潤んだ──Ms.ジョークはそれに気付かないふりをして、愛依ちゃんの髪をかき混ぜる。わぷ、と小さく呻いた愛依ちゃんに笑って、その白い髪を梳かすように撫でた。

 

「笑顔が泣くぜ、ひよっこヒーロー」

 

 にっかり口角が持ち上がる、その笑顔に愛依ちゃんが目を瞬かせる。言葉を探して開閉する口は、ついぞ声を為すことはなかったけれど……それでもちゃんと、前を向いていた。辛そうに俯いていたさっきよりずっといい。

 そうして安堵したのは私だけではなかった。扉口に静かに寄り掛かっていた相澤先生が、穏やかに目を伏せる。

 

「……まともなことも言えるんだな、お前」

「おっ、惚れ直したか!? 結婚する!?」

「えっ!?」

「しない」

「!?」

 

 相澤先生とMs.ジョークの掛け合いに、愛依ちゃんは肩を跳ねさせた。きょときょとと2人の顔を見比べて、目を真ん丸にしている。驚きの感情に連動しているのか、白い羽根が忙しなくぱたぱたしているのが可愛くて。思わず私まで笑ってしまう。

 

「えっ、……え? ……こ、恋人とかそういうご関係?」

「昔、お2人の事務所が近かったらしくて。仲がいいみたいなの」

「わあ……」

 

「わあ、じゃない。蛙吹も変なこと言うな」

「事実じゃないか!」

 

 一頻り笑ってから、Ms.ジョークは「さーてと、そろそろ帰るとするか」と伸びをした。その視線が相澤先生から愛依ちゃんに移る。

 

「またな。……今度見かける時はテレビ越しかわからんけど、素敵な笑顔を見せてくれよな」

 

 視線と視線が絡んだ先で、彼女はやっぱりにかっと笑った。そうしてドアへ向かう道中、相澤先生の背中をバシン!と強く叩いた。

 

「イレイザーも! たまには全力笑顔をお茶の間に披露したっていいんだぜ!」

「放送事故過ぎるだろ」

「あっはっは確かに! ……けどまァなんだ、気負いすぎるよりマシだろ?」

「……早よ行け」

「照れ隠しかよーイイ年してさー!」

「早よ行け」

 

 ……相澤先生はやや邪険にしてるみたいだけれど、やっぱり仲良しなんじゃないかしら。そんな風に思いながら愛依ちゃんの方を見ると、愛依ちゃんも同じタイミングで、同じことを思っていたのかしら。ばちりと視線がぶつかる。2人で顔を見合わせて、小さく笑った。

 

 けれどそれもつかの間、Ms.ジョークと入れ替わりに入ってきたその人の姿を見て、愛依ちゃんは姿勢を正した。少し疲れたような眼差し──試験の説明をしていた、目良さんという人だ。

 彼が相澤先生に会釈して、勧められるまま私たちの向かいのソファーに座った途端、愛依ちゃんは震える声で切り出した。

 

「あ、の」

「何です?」

「……すみません、騒ぎを起こして、御迷惑をお掛けして」

「お前が謝る必要は無い」

「ええ。それにこちらが、警備の隙を突かれて(ヴィラン)の侵入を許してしまったのですから、……申し訳ありません」

「っいえ、……いいえ、そんな、」

 

 そんなことないです、と小さく付け足した愛依ちゃんから、目良さんは視線を逸らす。彼は手に持っていた封筒から、2枚の書類を取り出した。

 

「ゴタゴタはありましたが……とりあえずここで、あなた方の仮免取得試験の結果をお渡しします」

 

 目良さんは試験の採点方法について話し出す。公安委員会とHUCの皆さんによる二重の減点方式で、私たち受験生の行動を見ていたと──危機的状況において、どれだけ間違いのない行動を取れたか(・・・・・・・・・・・・・)──それを点数で示したのだと彼は言った。

 

 説明が終わり、手渡された用紙に視線を走らせる。私は……合格だった。内心安堵の息をつきながら、どの行動が減点に当たったのか記述をなぞる。そうしている時だ。

 

「……え……」

 

 隣の愛依ちゃんが、思わず、といった様子で溢したから、私は彼女に断ってから用紙を見せてもらった。

 そこに書かれていたのは合格という文字と、申し分のない高評価だった。【(ヴィラン)の襲撃にも人質の無事を第一に、冷静に対処した】──そんな褒め言葉が並んでいる。

 

(……つまり、これは、)

 

 つまり、彼らは、公安は、

 愛依ちゃんのさっきの行動を、ヒーローとして正しい(・・・・・・・・・・)と、そう判断したということだった。

 

 そう認識した途端、胸にせぐり上げてきたこの思いをどう表現したらいいのか、私にはわからなかった。怒り?悲しみ?正しい?正しくない?……どれもそうであってそうではなくて、綯交ぜになっているようで。上手く言葉にできないまま、握り締める手だけ力がこもる。

 

 

「俺はそうは思いませんけどね」

 

 

 相澤先生の手が私の握り拳をほどく。そこでようやく、手のひらに爪が食い込む寸前だったことを思い出した。はっと我に返った私の隣で、相澤先生は身を屈めて愛依ちゃんの手から書類を取る。それを睨むように見下ろして、先生は固い声を放った。 

 

「今日の行動を是としてしまえば、こいつは、空中(そらなか)は繰り返すでしょう。きっと何度でも、他人のために命を投げ出す」

 

 固い声だった。

 ……固い信念が込められた声だと、わかった。

 

「ヒーローとして他人のために立派に死ねば、100点満点っていうのもおかしいでしょう」

 

 その厳しい声色に込められた感情に、愛依ちゃんも気付いてるんでしょうね。だからその何かを噛み締めるように、受け止めるように黙って俯いていた。

 俯いていた──そう、だから愛依ちゃんは、気付かない。

 

 

「そうですね」

 

 さらりと頷いてみせた目良さんが、何故か一瞬、ぎゅうっと目を細めたこと。それがとても苦しげで切なそうで、けれど同時に、とっても嬉しそうだったことに──愛依ちゃんは気付かない。

 

 

「空中さん」

「っは、い」

「あなたの行動は、ヒーローとして正しかった。そう我々は判断し、あなたに免許を渡します」

 

 顔を上げた愛依ちゃんに視線を合わせて、目良さんは淡々と言葉を置いた。とても静かだ。良く言えば穏やかで、悪く言えば冷ややかな、そんな声。

 

「──ただ、ひとつ」

 

 そこにほんの僅かに熱が籠ったような、そんな錯覚を覚えた。

 

「あなたが行動不能にならない限り、もっと多くの人の元へ駆けつけることができるでしょう。その翼を以て空を行き、庇い、治癒して……」

 

 その声が、ゆっくりと降り積もっていく。愛依ちゃんは胸元を握り締めながら聞いていた。何とも言えない表情で、口許を引き結びながら。

 

「ヒーローとして動けるのも、命あっての物種です。

 命あってこそ、君は、誰かを救けることができる」

「命、あってこそ……」

「ええ。努々、忘れることのないように」

「……、はい」

 

 そんな風に言葉を交わす2人を見守りながら、私は口許に手を添えて考えていた。

 私、思ったことは何でもすぐに言っちゃうの。だから、

 

「すみません、目良さん。少し訊いてもいいかしら」

「何でしょう」

「あなたと愛依ちゃんは、お知り合いなのかしら」

「いいえ」

 

 問い掛けた私に、彼はふるりと首を横に振る。

 

「初対面ですよ」

「そうだよ、どうしたの梅雨ちゃん、いきなり」

「そう……ごめんなさい、そんな気がしたものだから」

 

 首を傾げた私に、愛依ちゃんが笑いかける。そんな私たちの会話を見守っていた相澤先生が腕組みをほどいた。

 

「……そろそろ帰るぞ」

「あ……! ごめんなさい、最後にお訊きしたいことが、」

 

 ドアノブに手を掛けた相澤先生に待ったをかけて、愛依ちゃんは目良さんに向き直る。一呼吸置いて、彼女は意を決した様子で口を開く。

 

「士傑高校の……現見ケミィさんという方が見つかったという話は先程警察の方から聞きました。命に別状は無かったと。

 ……トガヒミコや、荼毘は……どうなりましたか? 彼らを追っていたヒーローたちは……」

 

 窺うように見つめる愛依ちゃんに対し、目良さんは黙考を返した。その情報を私たち学生に聞かせていいか、判断していたのだろう。

 

「あなたは当事者ですしね、気になるのも道理でしょう」

 

 暫くの沈黙を経て、彼は口を開く。

 

「……ホークスをはじめとしたヒーローたちで包囲網を形成しましたが、隙を突かれ、逃げられてしまったようです」

「! ヒーローの皆さんにお怪我は……!?」

「それは大丈夫。みんな無事とのことです」

 

 無事、という一言に安堵しながらも、愛依ちゃんの表情は翳っていた。何かを思うように目を伏せる。白い睫毛が、ふるりと震えた。

 

「未だ(ヴィラン)連合は潜伏中です。雄英に手出しできるとは思いませんが、どうぞお気をつけて」

「ええ、わかっています。……では失礼します」

「ハイ、それでは」

 

「……行きましょう、愛依ちゃん」

「、うん」

 

 愛依ちゃんの肩を叩いて促して、相澤先生に続く。隣を歩く愛依ちゃんはいつも通りなようでそうではなかった。伏せがちな眼差しが、どこか遠くを見ているようだった。

 寂しげに、心細げに、迷い揺らぐ。

 それが夕焼けのせいではないことは、私にもわかるのよ。

 

(……愛依ちゃん、)

 

 ねぇ、愛依ちゃん。

 きっとまだあなたは、葛藤の中にいるのね。

 

 

 

 

 

「待たせて悪かったな。委員長、点呼は」

「済んでおります!!」

「助かる」

 

 会場前の駐車場に停めてあったバスに乗り込む。まず出迎えたのは飯田ちゃんの元気な声。そしてみんなの視線だった。一挙に集まる視線──それは決して悪意あるものではなかったけれど、愛依ちゃんは小さく息を飲む。

 ほんの微かに、ピリッとした緊張が走った。そんな時。

 

「っ、梅雨ちゃん愛依ちゃん! こっちこっち!」

 

 バスの一番後ろの、続きの座席となっているところに、お茶子ちゃんが待っていた。手招きされるままそちらに向かうと、彼女は一瞬だけきゅっと口をへの字に結んだ。

 その一瞬で、不安や悲しみ、心配を、笑みに変える。

 

「……お帰り!!」

 

 にぱっと輝いた笑顔と声に、愛依ちゃんが目をぱちくりと丸くする。無意識に身構えていた肩から力が抜けたのが、みんなにもわかったのだろう。口々に声が溢れた。

 お帰り、大変だったね、お疲れ、頑張ったね、……降り注ぐ言葉のシャワーを受けて立ち尽くす愛依ちゃんは、お茶子ちゃんに手を引かれて座席に腰を下ろした。その反対側に座っていた透ちゃんがぎゅっと彼女に抱きつく。

 

「ううう~~……よかったよ愛依ちゃん! お疲れさま!」

「っわ、わたしはそんな、……あの、ご、……」

 

 ごめん、と。そう言いかけて、やめた。

 震える唇が、ゆっくり滲むように、笑みの形に和らいで。

 

「……ありがとう、みんな」

 

 そうしてようやく、愛依ちゃんは笑った。白い頬がほんのり染まって、花のようにほころんで。

 それと同じに柔らかになった空気の中、バスは出発する。かたん、かたん、と心地よい揺れと談笑の中で、ふと思い立ったように峰田ちゃんがこちらを振り返った。

 

「……そういやよォ、空中、蛙吹……お前ら試験って、」

「ちょっと峰田、いきなり過ぎ」

「そういうのは、その、ご自身のペースが一番かと、」

「そーは言ってもみんな気になってんだろ? なあなあ、どうだったんだ!?」

 

「え? ……ああ、そっか」

「そういえば、そうね」

 

 2人で、ふふ、と顔を見合わせて笑って、頷き合う。

 

「受かっていたわ。私も愛依ちゃんも」

「うん、……」

 

 多分愛依ちゃんは、“みんなはどうだった?”と訊こうとしたのね。でもそれより、高く、低く、バス中から歓声が沸き上がる方が早かった。

 

「よぉおおおおおっしゃァァァァァァ!!」

「えーすごくないすごくない!?」

「A組みんな仮免取っちゃったあ!!!」

 

 一気に膨れ上がった歓喜の声が、熱をもって広がっていく。それに温められた頬が緩んで、愛依ちゃんは蕩けるように笑った。“よかった”と小さく呟く声に、安堵の感情が滲んでいる。

 

「なァ空中これ見てみ! かっちゃん序盤の減点やべーの! 要救助者に対しても通常運転だからほんとにさァ」

「おう! すっげぇヒヤヒヤしたな!!」

「うわ……」

 

「“うわ”って何だコラ空中! ンで何でアホ面が俺の書類持ってんだクソが! 返せや!!」

 

 相変わらずの爆豪ちゃんに苦笑しながらも、愛依ちゃんは楽しそうにくすくす笑っている。何の無理も繕いもなく、心のままに。

 あの子のそんな笑顔を見るのは林間合宿以来で──それがひどく懐かしく思えてしまって──私はひとり、目を伏せて祈った。

 

 

 ……ねえ、愛依ちゃん。

 大好きよ。とても、とても。大切に思ってる。

 

 だからひとりで傷付かないで。それが無理ならせめて、傷付いたことを隠さないでほしいの。痛みをひとりで堪えて、“大丈夫”って笑うあなたを見るのは、ひどく怖いから。

 

 “大丈夫”って、笑ってそうして、

 そのままあなたが消えていく気がして、恐い。

 

「? 梅雨ちゃん、どうかした?」

「いいえ、何でもないのよ」

 

 何でもないわ。何でもないって、思わせて。

 どうか今みたいに、みんなの中で笑っていて。

 あなたが喜びに目を輝かせて、嬉しさに頬を染めて。時に怒って泣いてもいいの。心を押さえつけないで、優しくほどいて。そうしてあなたが笑っていてくれるなら、私は何だって頑張れちゃうのよ。

 

「……けろけろ」

 

 だってあなたは、大好きなお友達だもの。

 

 

 

 

 

 

 ──ネェ、愛依ちゃん。

 大好きだよ。いっぱいいーっぱい、大好きです。

 

 だからもっと血を見せて。どろどろに滴って、べたべたに染まって。血みどろになってください。

 白い頬っぺたも、白い髪も、白い羽根も、真っ赤になるともっとカァイクなるのです。血の気が引いて真っ青みたいな真っ白が、溢れ出た血で真っ赤になるの。そのコントラストがまばゆくって仕方なくて、想像だけでキュンとなる。

 そのために白く生まれてくれたんだなって、そう思えるくらいに。奇跡みたいに嬉しくなるの。

 

 だって愛依ちゃんは、きっとずっと、赤くてカァイイままでいてくれる。色褪せて黒くなって、ひんやりして、動かなくなってしまわないから。

 

 

「……あーあ、もっと一緒にいたかったなァ」

「てめェ今の状況わかって言ってんだろうな?」

「わーかってますよぅ」

 

 廃ビルの残骸を、ふて腐れながら蹴っ飛ばす。からりと乾いた音がした。外ではセミがうるさいぐらいにじゅわじゅわ鳴いているのに、この中は音が死んでいるみたいに静かだった。

 暗い、暗い、暗がりに。今にも溶けていきそうな真っ黒のジャケットが翻る。

 

「そんなにグチグチ言うなら、なんで荼毘くんはトガが遊びにいくのを許してくれたんです?」

 

 ヒーローのナントカ試験に潜り込んで、愛依ちゃんたちに会いに行く──誰かに言えば流石に止められちゃうだろうなと、それぐらいはわかってました。だから荼毘くんに呼び止められた時は舌を出したくなったし、『俺が助けてやろうか』って言われた時は目を真ん丸にした。ついでにトガの耳と荼毘くんの頭を疑っちゃいました。だっていつもならこういう時、我関せずってそっぽを向いちゃうのに、……

 

「愛依ちゃん、そんなに気になってたんですか?」

 

 荼毘くんがわかりづらくもその目の色を変えたのは、愛依ちゃんの名前を聞いた時だった。気だるそうないつもの目が、少しだけはっと開いて、それから三日月みたいに細められた。

 笑ってるみたいで、泣いてるみたいだった。

 

「別に、」

 

 今の荼毘くんはもう、いつものだ。何にも興味ないですって顔して、どこか遠くをぼうっと見ている。

 

「……よくよく考えりゃ、別に口止めする必要も無かったな」

「なんの話です?」

「イカれたガキのお守りなんざ、やっぱ損しかねェって話だ」

「ふーん」

 

 てきとうに相槌を打って、セミがみんみんうるさいなあなんて、そんなことをぼんやり思った。その時──私たちの爪先辺りの床に、赤い羽根が突き刺さる。

 

「……!」

「っとォ、」

 

 跳び退って四つ足になりながら構えると、荼毘くんが大きく腕を振るうのが見えた。蒼い炎が、暗がりを舐め尽くす。それは空を裂いて向かってくる羽根の弾丸を焼き払ったけど、背後から迫った羽根が炎を掻い潜って荼毘くんの喉元に迫る。すんでのところで炎は間に合った。羽根だったものがぼろぼろと灰になって崩れ落ちて──その欠片が床に散らばるのと、荼毘くんの左腕、その袖口に羽根が突き刺さって、背後の壁に縫い止められたのは同時だった。

 荼毘くんは小さく舌打ちを溢して、口の端を吊り上げる。

 

「勤勉だなァ、ヒーローさんよ」

「君らほどじゃないよ。わざわざこんなとこまで来てくれるなんてね」

 

 このひりついた空気に似合わない、やけに明るい声が響いた。うっすら笑いながら現れたそのヒーローは、そのくせ何の隙も見せない。荼毘くんの援護をしようかと身動いだ私に、牽制の羽根が差し向けられる。

 ゴーグル越しの目が、鋭く笑う。No.3ヒーロー──確かホークスといった──は大きく翼を広げた。窓から射し込む夕日を受けて、まるで血のように、真っ赤に輝く。

 

「俺らヒーローの包囲網、抜けられると思った?」

「さァな。死に物狂いで頑張れば、数人は焼けるかもな」

 

 見下ろすような鷹の視線と、挑発するような荼毘くんの視線がぶつかり合う。じりじりとした沈黙が続いた。熱い。夏の暑さと炎の余韻が混ざり合って、ゆらりと陽炎が立ち上る。頬と顎を汗が伝う──これが一滴でも落ちてしまえば、弾かれるように戦いが始まるんだろうなって何となくわかった。無言のうちに、身構える。トガはナイフを、荼毘くんは手のひらの炎を、それぞれに研ぎ澄ませて。

 

 ──けれどホークスは、笑いながら肩を竦めた。

 

「……は?」

 

 それと同時に、私たちを制していた赤い羽根がホークスの背中に戻っていく。拘束を解かれた荼毘くんは呆けた声を溢した。でもワケがわからないのはトガも同じ。

 だってヒーローは、警察は、私たち(ヴィラン)を捕まえに来る人たち。生きづらい世の中を押し付けてくる人たち。だからワケがわからない、わからないけど──でも、

 

「あっち、……会場西方面は俺の管轄。そこを抜ければ駅と繁華街が見えてくる。そうしたゴチャついたとこは得意でしょ」

 

 何故かこのヒーローは、(私たち)を逃がそうとしているらしい。

 

「……なんのつもりですか?」

「誰もいなさそうな廃ビルでも、景気良く燃やされちゃあ……(ヴィラン)の捕物より、周囲の避難誘導を優先するよ」

 

 ヒーローは笑う。へらへらと、にんまりと。

 まるで他愛のない世間話のように、私たち(ヴィラン)に逃走先を指し示す。それが罠だという可能性もあるけど、何だかそうは思えなかった。だってトガたちを捕まえるつもりなら、そんな回りくどいことをする必要はない。ここで捕まえればいいだけで、逃がせばそれだけリスクが高まる。

 まともなヒーロー(・・・・・・・・)が、こんなことするわけない。

 

「ヒーローは人命第一、だからね」

「へェ……流石はNo.3ヒーロー様。有り難いお言葉だ」

 

 トガが考えたように、荼毘くんも判断したらしい。警戒態勢を解いた荼毘くんは、試すような目で笑った。

 

「でもいいのか? ホークス」

「何が」

「お前、あいつの“保護者さん”じゃなかったっけか?」

 

 荼毘くんの問い掛けの意味は、トガにはわかりません。でもホークスには伝わったみたいでした。いつかの時を思い出して、鷹の目が一瞬丸くなる。それから。

 ぎゅっと押し潰すみたいに目を細めて、ハ、と嗤った。

 

 

「──ンなわけないでしょ」

 

 

 何にもない声だった。温度も、抑揚も、感情も。何もかも削ぎ落としてまっさらになった声だった。

 荼毘くんは何やらツボに入ったみたいで、珍しく上機嫌に肩を震わせて笑っている。暑さと熱さで頭がおかしくなっちゃった、……というわけではないみたい。一頻り笑ってから、目元を指で拭ってゆらりと顔を上げた。涙は流れていない。

 

「じゃあね。また会えることを楽しみにしてるよ」

「ああ、……俺もだよ、ホークス」

 

 またな、と。

 荼毘くんは手を振るようにして、蒼炎を放った。

 

 

75.乙女たち、思いやる。

 

 


 

 自分はどうやって長編を書いてたんだっけ……という迷走期に入ってました、まあいつものことなんですが……()読んでくださる皆様におかれましてはお待たせして大変申し訳ありません。

 あとアンケートご協力ありがとうございました!結果を鑑みて、番外編を書きたい時は書いて、本編の更新と同時に更新することにします。とにかく本編を進めなければ……出来るだけ頑張ります。

 

 今回のお話には色々と詰め込みました。ジョーク、目良さん、相澤先生、梅雨ちゃんと、オリ主と絡めたい人が多すぎて嬉しい悲鳴です。あと後半の荼毘とホークスの会話も連載当初からやりたかったとこなので楽しかったです。次回は公安回と言っておきながら10割ホークス回になるかもです。またよろしければお読みください。

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