77.少女、引き摺る。
目蓋越しに光の気配。ふわりと浮上する意識とともに、目を開けた。まだぼんやりとした視界に映るのは、あのアパートでも病院のものでもない、見慣れない天井。
「……え……、あ」
驚きから一拍置いて、そうだったと息をついた。上体を起こして辺りを見渡すと、わたしと同じように布団を敷いて眠っているみんなの姿がある。
“個性”防止のためかミトンをつけているお茶子ちゃんに、横向きになって静かに寝息を立てる八百万さん。掛け布団に手を添えて綺麗な仰向けになっている梅雨ちゃん……とは対照的に、元気よく布団をはね除けて寝ているのは透ちゃんと芦戸さんだ。「元気だなあ」と小さく笑って、わたしは羽根を飛ばして彼女たちの布団をかけ直した。布団にくるまり直した2人をぽんぽんと撫でながら、昨日のことを思い出す。
昨日。ヒーロー仮免許取得試験からバスに乗って雄英に帰ってきたわたしは、試験中に色々あったのもあって眠くて眠くて仕方なかった。うとうとしながら食事と入浴を終えて、さあ寝ようというところでまだ部屋の荷解きが終わっていないことに気付いて──
『あ、じゃあさじゃあさ! せっかくだしみんなでお泊まり会しよーよ!』
そんな風に言った透ちゃんの一声で、女子のみんなで布団を持ち寄って、リビングで横になったんだった。枕を近付けて、ふわりと香るシャンプーの香りとみんなのささやき声、ふわふわの布団に包まれて、蕩けるように意識を手放して、……うん、よく眠れたなあとひと伸び。
(……気遣って、くれたんだよね)
仮免取得試験であんなことがあったからか、わたしをひとりにしないようにって思ってくれたんだろう。だからみんな、きっと試験で疲れていただろうに、わざわざ布団を運んでまで、こうして一緒にいてくれた。
……“みんなと一緒”が嬉しいのと、みんなに心配を掛けて申し訳ないのとで、心の中がくすぐったい。何とも言えない気持ちに口許を結んで、目を細めた時だった。
「……あれ。おはよう
「耳郎さん」
隣に寝ていた耳郎さんが、ころんと寝返りを打つ。そうして目を擦りながら身体を起こした。
「おはよう……ごめん、起こしちゃった?」
「んーん、だいじょぶ。もうそろそろ起きる時間だしね」
緑のカーテン越しに朝日が射し込んでいる。その光を受けて、耳郎さんの黒い目が静かに輝いた。
「……あのさ、空中」
「なに? ……わっ」
ひゅ、と小さく音がして、次の瞬間わたしは耳郎さんの【イヤホンジャック】に肩を抱かれて引き寄せられていた。肩と肩がぶつかって、少し弾んで、またぶつかる。慌てて耳郎さんを見たけれど、彼女は三角座りでそっぽを向いていた。
「じ、耳郎さん?」
「……改たまって言うとなんかあれだけどさ、……お帰り」
早口は、合わない視線は、照れているからなのか。わたしの位置からは彼女の顔は見えない。ただ耳元を擽る小さな声が、ほんの、少し、
「ほら、林間合宿の肝試し前にちょっと話したじゃん。『あんたが泣いて帰って来たら、慰めてあげよっか』って」
ほんの少し、揺れた。その掠れた語尾に、耳郎さんの感情が込められている気がして、わたしは何も言えずに息を飲む。こくりと鳴った喉の音、耳郎さんには聞こえていたのかな。
……そうだ、耳郎さんは音のスペシャリスト。
──あの日。あの会見で、彼女は
「なんかしんどくなったらさ、……それがちょっとしたことでもいいから、いつでもいいから。絶対言いなよね」
……ああ、と。唇を噛みたい気持ちで、微笑んだ。
心配してくれて嬉しくなるのと同じくらい、申し訳なくて、悔しくて……気持ちがぐちゃぐちゃで、
みんなに心配かけないように自分なりに
そうして後悔する心と、耳郎さんの言葉をただ受け止めていたい心がぶつかり合っている。心配してくれて、頼っていいって言われて、ただ嬉しくなっている自分がいる。
(……どうしたら、いいの?)
脳裏に昨日の出来事がよぎる。
わたしは、どうすればよかったの?
みんなを傷つけないための、わたしの
「……ありがとう、耳郎さん」
わからない。わからないけれど、今は俯いちゃ駄目だ。
とにかく今は、ちゃんと綺麗に笑っていよう。
「でももう大丈夫だよ」
「……ほんとに?」
「ほんとのほんとに」
「……ふーん」
そんな会話を交わしていたからか、他のみんなも目が覚めてきたようだ。小さな唸り声や身動ぎの音がする。隣の布団からは、くあ、と可愛い欠伸が聞こえてきた。
「……あら、おはよう
「おはよう梅雨ちゃん。……ふふ、まだ眠い? 目蓋くっついちゃってる」
「んん……」
まだ目が開けきらない梅雨ちゃんを筆頭に、透ちゃんが、芦戸さんが、八百万さんが、眠たげな声とともに上体を起こす。
「ふわあ……おはよう……」
「おはよー……」
「ん……おはよう、ございます……」
「……あっ、やばい! 男子起きてきちゃう!」
「布団持って上がろ! 私の“個性”で浮かしてくよー」
ミトンを外したお茶子ちゃんが触れた途端に、布団がふわりと宙に浮かぶ。それを捕まえて抱えて歩いていって、順番にエレベーターに乗り込んだ。わたしは梅雨ちゃん、八百万さんと一緒に5階へ向かう。窓から見える景色の中に、あの雄英の特徴的な校舎が聳え立っていて──ああ本当に引っ越したんだ、と不思議な感慨を覚えた。
度重なる
今日からわたしは、A組のみんなとここで生活していく。
あれから。わたしたちは急いで身支度をして、久々の制服に袖を通して、相変わらず美味しいランチラッチシュによる朝食に舌鼓を打って寮を出た。僅か徒歩5分で辿り着いた雄英校舎の1―Aの教室では、相澤先生から「始業式に出席するように」との御達しがあった。
「入学式出れやんかったから今回も相澤先生何かするんかと思った」
「まー4月とはあまりに状況が違うしね」
そんなお茶子ちゃんと尾白くんの会話を横目に聞きながら、わたしは御手洗いに急いだ。「朝礼10分前には教室を出発するぞ!!」と飯田くんも言っていたし、遅れるわけにはいかない。足早に用を済ませて教室に戻ろうとしたその時だった。
「おっ、なあなあ君、空中さんじゃん?」
俯きがちに歩いていたわたしに影が射す。顔を上げると、見知らぬ男子生徒3名と女子生徒がわたしの前に立っていた。ブレザーのエポレットにあるボタンは両端に2つ、襟口のラインは2本、袖口のラインは1本……普通科の、恐らく先輩だろうとあたりをつけて微笑む。
「……はい。なんでしょう」
「神野の事件大変だったねー! テレビで見たよ!」
「めっちゃかっこよかったよなー」
「そんなこと、……すみません、御迷惑をおかけして」
「いや謝んなくてもいーじゃん。それよりさ、」
「……?」
ずい、と手が差し出される。わたしがその意図を問うより先に、にかっと笑った顔がわたしを覗き込んできた。
「未来のヒーローと握手しときたくて。記念! いい?」
「……、はい」
わたしの、目を見ている。
それに気付かないふりをして、握手に応じた。はじめは確かめるように怖々と、次第に強く握られる手に笑みを返す。
「ありがとねー!」
「いいえ、こちらこそ。では失礼します」
明るい声に頭を下げて、背を向けて歩き出す。しばらく歩いて、廊下を曲がったところで──背中の羽根が、その声を拾い上げた。
『おまえさ、握手は露骨すぎっしょ』
『いーじゃん手っ取り早いし! つか賭けは俺の勝ちってことでいいよな?』
『明らかに義手とか義指とかじゃなかったっぽいしねー』
『いやマジそれ。義眼でもなかったよなアレは』
『じゃあ神野のは本当に
『そうなるんじゃない? 何となくマジっぽい気がしたんだけどなぁ』
……神野のことが気になる人がいるのは当然だ。真正面から罵倒されたって仕方がないと思えば、こういう好奇の目ぐらい軽いもの。表向きを取り繕ってくれているだけ優しいと感じる。
わたしはそう納得している。納得できている。
「賭けだァ? くっだらねェことしてんなァ」
でも
「楽しーンかよ、センパイ?」
ハッ、と嘲るような笑い声が聞こえて、わたしは慌てて踵を返した。元来た道を戻って角を曲がれば、そこに先ほどの先輩たちと向かい合う、金色の爆発頭が見えた。
「ば、くごうくん、」
「ハァ? 何おまえ、いきなり」
「……ああ爆豪くんだ。君も神野の被害者だよね」
「ついでに言うとヘドロのやつもそう。すっかり
「……ハ、そういうアンタらこそ随分な真似するじゃねェか。もうさっきのうすら寒ぃ善人顔は飽きたのか?」
「!? ちょ、ちょっと……!」
先輩たちに凄まれても煽られても、爆豪くんの威勢は挫けない。わたしが宥めるのも聞いちゃいないんだろう。燃えるような灼眼が、ただ真っ直ぐ先輩たちを射ている。
そんな爆豪くんに対し、先輩たちの表情も強張っていく。図星を突かれたことによる焦り、気まずさ、怒りが、渦を巻いているのだとわかった。ひりつく空気に喉が乾く。羽根が音もないのにざわめく。……この一触即発の状況をどうしたらいいかわからず、悩んで──もうこうなったら爆豪くんの口を羽根で塞いで教室まで持って帰るしかない、と行動に移そうとした時だった。
「あの、」
声が聞こえた。
低く、落ち着いた抑揚の、聞き覚えのある声。
「ちょっといいですか?
──“そろそろ校庭行かないとまずいですよ”」
「はァ? んだよおま、え……」
「今取り込み中なんだけど、──」
突然の乱入者に胡乱げに振り返った先輩たちは、そのままふつりと、まるで機械のスイッチを押したように沈黙した。微動だにしなくなった彼らに、その“声”は続く。
「“黙って校庭まで向かいましょうね”」
先輩たちは沈黙したまま、ゆらりと踵を返す。その横顔を盗み見る、……ぼうっと夢うつつのような、呆けた表情をしていた。
この状態を、下された命令に従う姿を、わたしは体育祭で直に体験したし、この目で見た。“個性”【洗脳】──自分が発する“問い”に対して“応え”を返した人を洗脳して操る、
「心操くん……」
「……てめェ、あの体育祭の時のヤツか」
紫色の逆立った髪に、少し濃い隈。間違いなく心操人使くんだった。その姿を爆豪くんも覚えていたのか、さっきよりはマシだけれど、それでも鋭い眼差しを注いでいる。
「助けたつもりかよ?」
「そっちこそ。助けに入るつもりなら、もっと上手くやんなよ」
「アァ!? 誰がこの羽根女を助けるかよ!! 俺ァ、」
目を鋭利な三角に吊り上げたまま、爆豪くんは静止した。……うん、多分わたし、この【洗脳】が解けたらめちゃくちゃにキレられるんだろうなあ。後の展開を思うと乾いた笑いが漏れる。そんなわたしを憐れんだか、心なしか心操くんの眼差しが柔らかくなった。
「……どこに向かわせたらいい?」
「……A組の教室でお願いします」
「わかった」
ふらふらした足取りで教室に向かっていった爆豪くんの背中を追いかけながら、わたしも心操くんと共に歩き出した。その静かな横顔を見上げて、口を開く。
「……さっきはありがとう、心操くん」
「いいけど。そっちも大変だね」
「そんなことないよ」
「……、……あのさ、」
「? うん」
「爆豪みたいにしろとか、言うわけじゃないんだけど」
廊下は始業式へ向かう人たちが行き来していて、ざわついている。夏休みはどうだった、なんて楽しそうに話す人たちの声の中で、彼の声は小さく掠れていたけれど。
「でもさっきの、アンタは怒っていい場面だったんじゃない」
でも不思議と、わたしの鼓膜を揺らした。
揺れて震えて、わたしの心に波紋を散らす。
「いくらヒーロー目指してるからって、何でもかんでも笑顔で耐えるべきってのはおかしいでしょ」
「……でも今回のは、わたしが蒔いた種だし」
「もしアンタの友達が同じ立場に立ってたら、同じ言葉をかけるのか?」
「……、」
答えが出ずに、喉の奥で蟠る。視線がうろついて足元に落ちた。そんなわたしの様子に気付いたのか、心操くんは首に右手をやって俯いて。
「……ごめん。追い詰めたいわけじゃない」
「……うん、わかってるよ」
そんな風に言うものだから、わたしは笑った。
謝らなくてもいいのになって。……謝るのははっきりしないわたしの方なのに、責めないでいてくれるんだなって。
「心操くんの言葉は、優しいね」
おおい、と呼び掛けてくる大声にわたしは顔を上げた。いつの間にか教室の前まで戻ってきていて、名簿順に並んだみんなと、そんなみんなを整列させている飯田くんがいた。
「そろそろ行くぞ! 空中くん! 整列したまえ!!」
「はーい。……や、爆豪くん、さっきぶり」
「どの口がきいてンだてめェがよ……!!」
「わあぶちキレてる……今日も元気いっぱいだね」
青筋立てている彼から目を逸らして、そそくさと最後尾に並ぶ。何かあったのか心配そうに訊いてくれた八百万さんに笑って返して、心操くんに手を振って。そうしてグラウンドに向かって歩き出した。──何とも言えない表情をしていた心操くんには、気付かないまま。
『入学式出れやんかったから今回も相澤先生何かするんかと思った』
『まー4月とはあまりに状況が違うしね』
お茶子ちゃんと尾白くん、2人のそんな会話を聞いていたから、自分なりに気構えて臨んだ始業式だったけれど、特筆すべきことは何も無かった。……いや根津校長先生の毛並みの美しさを保つ秘訣とか、ハウンドドッグ先生魂のシャウト──ブラド先生の翻訳によると『慣れない寮生活で気苦労も多いでしょうが節度をもって生活しましょう』ということらしい──がどうでもいい話ってわけじゃないんだけれど。
(……そうじゃなくて、)
もっと直接的に、神野事件のことに、……オールマイト引退のことに触れるのだと思っていた。日本国内に留まらず海外にも大きな反響を生んだ、平和の象徴の終わり。これから変動するだろう日本に対し、わたしたちはどう動くべきなのか。覚悟を問われると思っていたのに。
「空中少女」
責められても仕方ないと、当然だと心を固めていたのに。
今わたしを見つめる青い目は、柔らかく弧を描いていた。差し出されたマグカップを受け取ると、彼は、茶目っ気と穏やかさを湛えた眼差しで微笑む。
「林檎の紅茶だよ。砂糖はいくつ?」
「……2つ、頂きます」
今日の授業を全て終えて迎えた放課後、わたしは相澤先生に言われて“仮眠室”と札の掛かったこの部屋を訪れていた。多忙を極める雄英の先生方のために設けられたのだろう、カーテンで仕切られたベッドの他にも簡素なローテーブルや給湯室が置かれていて、その中央のソファーにオールマイトとリカバリーガールが座っていた。彼らに勧められるまま向かいのソファーに腰掛け、紅茶を受け取り、今に至る。
ぽちゃん、ぽちゃん、と角砂糖が2つ赤茶色の水面に消えた。それをティースプーンでぐるぐるかき混ぜると、ふわりと林檎の香りが鼻腔を擽った。甘酸っぱい、優しい香り。……それに反して重苦しいままの感情が、わたしを俯かせた。
「オールマイト先生、……本当に、すみませんでした」
自ずとわたしの手に力がこもっていた。握り締めたスカートのプリーツがぐしゃりとひしゃげる。
「わたしが
あの神野事件からしばらく、テレビや新聞、ラジオ等々のあらゆるメディアで連日報道されていたことを思い出す。不滅のNo.1ヒーローの勇姿、平和の象徴たる輝き、死闘──或いはそれが、燃え尽きる様を。
「……わたしはこの“個性”を持ってるのに、何もできなくて」
そうしなければきっと
そう頭では理解していても、心は納得しなかった。
(……ああ、だから、デヴィット博士は……)
オールマイトの旧友であった彼は、犯罪を犯してでもオールマイトに自身の発明品を渡そうとした。彼や
──輝かしいヒーローが、燃え尽きることはなかった?
「……あなたひとりに任せきりで、全部背負わせて……そのせいで、」
続こうとした言葉は声にならず、短い吐息となって空に溶けた。驚きに目を見張るわたしの視線と、軽く上背を屈め、微笑むオールマイトの視線が絡む。その頬は酷く痩せ細っていた。
(……わたしは、この人を知っていた)
雄英体育祭の日、昼休みに臨時保健室の準備をしていたその時、リカバリーガールを訪ねに彼はやって来た。髪型や声がオールマイトに似ていると思ったのに、わたしは『この痩身の男性がオールマイトのわけがない』って思考を止めていた。
それだけじゃない。期末試験の時だってそうだ、と唇を噛む。試験後に咳き込むオールマイト先生を治癒した時、確かに違和感があった──エネルギーが呼吸器官や胃袋に行き渡らない。まるでそこだけ、
幾つものサインを、わたしは見逃してしまっていたんだ。
「……オール、」
「君のせいじゃないよ」
それなのにオールマイトは、柔らかく声を紡いだ。骨張った大きな手がわたしの握り拳をほどいて、包み込む。
「空中少女、君は優しく責任感の強い子だ。……だからこそ、少しだけ頑固なところがあるようだね。
だったら私も言葉を重ねよう。君のせいじゃない」
元の筋骨隆々な姿と今の痩身では何もかもがまるで違うのに、落ち窪んだ眼窩の奥の瞳だけは、変わらず優しく強かった。
「私が選んだことだ。君のせいじゃない。……君が謝る必要なんて、ほんとうに、これっぽっちもないんだよ」
そう言って笑う彼の笑顔があまりに優しかったから、わたしは何かが胸に迫って何も言えなかった。
ベストジーニストもオールマイトも、そうだ。あまりに優しくわたしから責任を奪っていく。“君のせいではないのだから”と、当たり前のようにこの重石を拐っていく。……大人として当たり前なのだと、彼らは思っているのかもしれない。ヒーローとして当然のことをしているのだと。
「……っ、でも、……」
確かに彼らヒーローは、わたしの心を軽くした。そこに喜び以外の感情を覚えてしまうのは、わたしの我が儘なのだろう。
オールマイトが言う【優しい子】ならば、こんな口答えなんかせずに『ありがとうございます』と笑うんだろうな。そんなことを考えながらも、言い募る舌は止まらなかった。
「でも、わたしは──」
だってそうだ、いつだって。
伏せた目蓋の裏に、赤い羽根が翻る。
「まだ言う気かいこの子は」
「ったぁ……!?」
ごいん。鈍い打撃音とともに、目の前に星が散る。突如後頭部を襲った痛みに目を瞬かせていると、呆れたような溜め息が聞こえた。
「り、リカバリーガール、もう少し手心を、」
「大人の責任まで背負い込もうなんざ、生意気になったものだね、空中」
まず始めに視界に入ったのは杖。ああこれで叩かれたんだと気付くと同時に、それを手にする人の表情にも気付いた。年を重ねた小さな手が、ほんの微かに震えている。
「私はあんたに、そんなことを教えた覚えはないよ」
小柄で可愛らしい風貌とは裏腹に、医療に関しては非常に厳しい人なのだとわたしも知っている。雄英に入学してからの数ヶ月で身に染みた。誰よりも治癒に真摯で、冷静で、……同じ治癒を施す側のわたしのことを、気に掛けてくれていた。
「……はい、リカバリーガール」
彼女が心から心配してくれていることがわかって、これ以上の我が儘は続けられなかった。口をつぐんで、飲み込んで、笑みを浮かべる。
彼女らが後悔を嗜めるのなら、過去の話はもうやめよう。
確かにそれでは、何も変わらないから。
「……それでは、未来のお話をさせてください」
ソファーに腰掛けたまま姿勢を正す。しゃんと背筋を伸ばして前を見ろ。まだ心配そうなオールマイトとリカバリーガールを見据えて、口を開く。
「神野を経て、わたしの【治癒】の“個性”は進化しました。これはオールマイトたちももうご存知ですね?」
「より正確に言うなら、【自己再生】の“個性”だろう」
「! ……相澤先生から聞いておられたのですね。すみません、隠していて」
「“個性”届の偽装は褒められたものじゃないけど、もう謝罪はいらないよ。事情は聞いてる」
“事情”と口にするリカバリーガールは、冷静を装っていながらも、その目を気遣わしげに細めた。……ああまた、嘘をついてしまったなあと申し訳なく思う。思うけれど、真実を明かすわけにはいかなくて。代わりに深く頭を下げて、続ける。
「【自己再生】は自分の身体の傷や病、不調を治すものです。その特性上、わたしは昔から他人より自分の怪我を治す方が得意でした」
わたしの治癒は、自分の身体で生み出した【自己再生】のエネルギーを他人へ【譲渡】することにより成り立つ。行程が増える分エネルギーの伝わり方も違ってくるのだろうと公安でも考察されていた。
「今回は自分の身体だから、指や目の欠損まで治せたのかもしれない。それはわかっていますが、でももっともっと“個性”を強化したら、他人の欠損をも治せるようになる。
そうしたら今回の神野で傷ついた人々や、飯田くんのお兄さんの脊髄や……オールマイトの臓器だって、治せるはずです」
でももう、誰かの傷を治せないと無力に嘆くことはない。
それはとても嬉しいことに違いないから、わたしは知らず知らずのうちに声を弾ませた。だからこれからもご指導お願いしますと、そう続けようとしたんだ。
──けれど、何故か。わたしを見つめ返すリカバリーガールたちの目は凪いでいた。いっそ悲しさを覚えるぐらいに。
「……え、リカバリー、ガール……?」
「それが歓迎すべきことだと、あんたは思っているんだね」
「……違い、ますか?」
彼女はわたしの問いに、肯定も否定もしなかった。伏せた目の奥に逡巡と苦悩が窺える。彼女はしばらくの沈黙の後、ゆっくりと重い口を開いた。
「空中、あんたは欠損まで治せるほどの強い治癒“個性”を持つことは、どんな意味を持つと思う? ……どんな事態に繋がると把握しているんだい?」
以前、リカバリーガールから【治癒】“個性”について聞いたことがある。日本国内においては勿論、世界においても【治癒】“個性”は数が少なく、他人の深手まで癒せるものは数えるほどしかないのだと。現在その界隈のトップともいえるリカバリーガールでさえ、失ったものまでは治癒できないのだと。
「あんたの能力を世間に公表してしまえば、あんたはもう、元の生活には戻れないと考えた方がいい」
「……それは、」
「あんただってわかっているだろう? 需要がありすぎるのさ」
『考えてもみろ、この世に怪我や病気に苦しむ奴らが何人いると思ってる? かけがえのない命のために、大金を湯水のように使う奴らが、何人いると思ってる?』
脳裏にI・アイランドの事件がよぎる。そこで出会した
「……過度な需要から【治癒】“個性”保持者を守るため、さまざまな法が適用されました。日本における“治癒個性保持者リスト”も、そのひとつですよね」
“治癒個性保持者リスト”は、【治癒】“個性”を人々に正しく行使するためだけのものじゃない。【治癒】の行使を国が管理することによって、“個性”保持者に過度な負担を掛けないように、もしくは──拉致されたり脅迫されたりして【治癒】を悪用されるのを防ぐためにあるものだ。
このことは勿論、リカバリーガールは知っている。彼女はそうだねと頷いてくれたけれど、まだその表情は晴れない。
「けど空中の“個性”は、その枠組みを超える可能性があるんだよ」
彼女は続ける。民衆の求めによって、わたしはより頻繁に治癒のために駆り出されるだろうと。プライベートの時間は確保されるかもしれないけれど、ヒーロー活動の時間はほぼ治癒に当てられるだろうと。
「あんた、職場体験はホークスのところに行っていただろう。……いつかヒーローになったとしても、あんな風に活動できなくなるかもしれないんだよ」
「そうだね、空中少女。よく考えた方がいい」
リカバリーガールの隣で深く頷いた、オールマイトがわたしを見つめる。
「君がなりたいヒーローが、どんなものなのか。よく考えて決めてほしいんだ」
彼らは、きっと。わたしがこの治癒を扱うことによって、将来の自由が奪われることを危惧している。わたしの未来をわたしの手に委ねようとしてくれているんだ。
そのことについて、心から感謝している。いるけれど、
『……愛依』
やっぱりわたしの心を決めるのは、苦しげに、けれど優しく微笑む彼の姿だった。
『おまえの力は、誰かを救けることができる。でも同時に、やろうと思えば、色んな悪巧みに使えるものでもあるんだよ』
職場体験初日、彼が守る博多の街へやって来たあの日。静かな夜の中でこんな話をした。あの時から、……ううんきっと、それよりずっと前から、ホークスはわたしを案じてくれていたんだ。
案じてくれるのは、心配してくれるのは、嬉しい。
……うん、そうだ。嬉しいんだ。この上なく心が熱くなって、ふやけて、幸せだって間違いなく思える。
「大丈夫です、リカバリーガール、オールマイト」
「わたしはもうこの力を悪用しない、させないって──ちゃんと正しく使うんだって、誓っているんです」
ホークスみたいになりたい。ホークスの力になりたい。
ホークスを、救けたい。
わたしの
「……こんなに意固地だったとはねぇ」
「そう、でしょうか?」
「入学当時のおどおどっぷりが懐かしいよ」
「あ、あれは……忘れていただけると嬉しいというか……」
ふう、と。幾らか軽くなった溜め息を吐き出して、リカバリーガールが肩を落とした。まだその顔は渋面を作っているけれど、さっきまでの緊張感は無い。“しょうがないねぇ”と言いたげな雰囲気に、何とか納得してもらえたのかなとわたしも頬をほころばせた。
よかった、と、安心していた。だから油断もしていた。
「まったく。あんたのその献身っぷりは、“個性”に引き摺られているからなのかねぇ」
「……“個性”、に?」
特に深い意味はなかったのだろう、何とはなしに紡がれたその言葉に、わたしは小さく息を呑んだ。
「“個性”によって人の性格や趣味嗜好が引き摺られるのは、よくあることなのですか?」
「全てがそう決まったわけでは、ないけどね」
オールマイトは否定せず、曖昧に笑う。それは肯定を示していた。何年もの間No.1ヒーローとして戦い続けてきた彼だ。きっとさまざまな“個性”を持った人間に──
(……“個性”に、引き摺られる……)
脳裏に浮かんだのはトガヒミコだった。彼女が流血や吸血を好む、所謂
……その衝動が、“個性”によってもたらされたものだとしたら。生まれ持った“個性”によるものだったとしたら。生まれた時から、決まっていたことだとしたら。
(……わたしは?)
わたしは、どうなのだろう。
性格が“個性”に引き摺られるのならば、わたしは生まれた時から、誰かをすきになることが決まっていたのだろうか。誰かをだいすきになって、【依存】することが、決まっていたの?
(……小さい頃のわたしって、人見知りをほとんどしない、人懐っこい子どもだった気がする)
朧気な記憶の中で、能天気に笑う幼いわたしがいる。にこっと笑って抱きついて、『だいすき!』って口にして。……そうしてだいすきな人の
わたしの“だいすき”は、汚い。
それは誰かを傷つけるものでしかないから。
……それが、生まれた時から決まっていたのだとしたら?
(わたしとトガヒミコは、何が違うんだろう)
──きっと何も、変わらない。
わたしの本質はきっと、誰かを傷つけたり、悲しませたりするようなものでしかない。
(……駄目だ、わたし、駄目な考えになってる……)
仮眠室を退室して廊下を歩きながら、わたしは奥歯を噛み締めた。脳裏を覆う影を振り払うべく、頭を振る。
「しっかり、しなくちゃ」
こんな後ろ向きな考えに耽っている暇はない。未来に向けて歩き出さないといけないのだ。ぱん、と両頬を手で叩いて顔を上げる。こういう時はとにかくトレーニングで身体を動かそうと、わたしは職員室へと向かった。
雄英は生徒の自主性を重んじている。使用申請書さえ通れば、放課後は雄英の潤沢な施設を借りてトレーニングを行うことができるのだ。リストにざっと目を通すと──今日は利用者が数多くいるようで、借りられるのは体育館のひとつしか無かった。
何とかギリギリ間に合った、と安堵しながら鍵に伸ばした手が、誰かの手とぶつかる。
「……え、」
「アァ?」
チャリ、と鍵が擦れて音が鳴る。それと同時に、まるで音がしそうなくらいの勢いで視線がぶつかった。火花が散るような幻影に、思わず苦笑がこぼれてしまう。
「……わあ、奇遇だね爆豪くん」
へらりと笑うわたしに対し、爆豪くんの蟀谷に青筋が走った。
77.少女、引き摺る。
本当はこのじとじと湿った空気をかっちゃんに爆破してもらいたかったんですが長すぎるので断念しました。シリアスクラッシャーかっちゃんの活躍はまた次回に持ち越しです!
何だか長々と書きすぎて非常に読みづらくなった気がします……大変申し訳ありません。でも全部書きたかったところであり、これからの展開に必要なフラグでもあります。耳郎ちゃんの思いやりもかっちゃんがキレたのも心操くんの注進もオールマイトへの謝罪も【治癒】“個性”の有用性と危険性もトガとの類似性も全部フラグです。フラグでありたい。ちゃんと未来の自分が回収できるよう祈っております……。
本当に遅筆過ぎて申し訳なさで心折れてるんですが、皆様の閲覧、お気に入り登録、感想、評価等々に元気を頂いています……!本当にこのssが続いているのは皆様のおかげです。ありがとうございます!!
そしてご報告が1ヶ月遅くなって切腹ものなんですが、またもや修羅イム様にオリ主のイラストを頂いてしまいました!今回はホークスとのイラストで、公安での訓練後のいちシーンを描いていただきました……!すごくすごく嬉しかったです、修羅イム様改めてありがとうございました!イラストはこれまでと同じく小説表紙に掲載させていただいていますので、またよろしければ見てください。