職員室の片隅で爆豪くんと鉢合わせてからしばらく、所変わって今は体育館の中にいる。部屋面積も天井までの高さも充分にあり、走る飛ぶといった運動も存分にできそうだ。それだけでもすごいのに、隣室には筋力向上のためのトレーニングルームや更衣室、シャワー室も完備されているとのこと。“流石雄英だなあ”と何度目かわからない吐息を溢すと、隣の爆豪くんと目が合った。ばちん、と音が鳴ったような錯覚に、思わず肩が揺れる。
『オイ寄越せや鍵』
『……わたしの方が早かったんじゃない?』
『ア? 俺の方が万倍早かったわ!!』
『いや万倍は絶対うそでしょ!』
『おいお前らうるさいぞ』
相澤先生の“グダグダ言い争うよりまとめて行ってこいその方が合理的だ”という一喝により、まとめて職員室から放り出されたわたしと爆豪くんは、微妙な沈黙の中この体育館に来ていた。互いに更衣室で体操服に着替えて、再び体育館に居合わせた今も尚、会話が弾むような空気には程遠い。
「チッ……こっち見んじゃねぇわ」
「が、柄悪いなあ相変わらず……」
舌打ちしつつ視線を逸らす爆豪くんは、今日も今日とて相変わらずだ。あまりにも通常運転すぎて最早安心感さえ覚える。柔い苦笑を頬に乗せて、わたしも彼に背を向け、数十歩距離を取った。
「……うん、よし」
いつもの準備運動を終えて、ばさりと翼を広げる。まずはウォーミングアップだと一気に天井近くまで飛び上がった。急上昇に急降下、スピードを維持したまま急旋回、急停止──さまざまな場面でより速く、より良く動けるようにならないといけない。
(きっと公安は、ヒーローにそれを望んでる)
昨日の仮免許取得試験での大幅な合格者の削減は、ヒーローを篩に掛けることと同義だ。オールマイトという平和の象徴が引退した今、ヒーローの数を減らすことは悪手なのではと思いはしけれど、むしろ逆──
ヒーロー、ヴィラン、ヴィジランテ……よりさまざまな思想を持つ人々が、複雑化・深化した“個性”を手に動き始めている。顕著なのが
『だから、ステインに感化されて、思想に共感する者がきっと現れる。“ヒーローを粛清する”……今の“個性”社会を壊す。そんな考えを持つ者たちが──
そうして次に連合が現れたのがわたしたちの林間合宿。その時彼らは、USJの時にはいなかった仲間を連れていた。
凄まじい蒼い炎を放つ継ぎ接ぎ肌の男性、荼毘。
血を飲むことで対象に【変身】するトガヒミコ。
対象の身体能力・記憶・能力・感情諸々を写し取った分身を増やすトゥワイス。
わたしと爆豪くんを球体の中に閉じ込めて浚ったMr.コンプレス。
他にも【磁力】の“個性”を持った人と、【トカゲ】の異形型“個性”を持つ人もあのバーにはいたはずだ。
始めの襲撃では死柄木弔、黒霧、脳無はともかくとして、他はチンピラ崩れの雑兵程度だったのに、ステインを機にこれだけの戦力を集めてみせた。ホークスの発言に誤りはなかったのだ。
(そしてきっと、これからも)
彼らが活動を続ける以上、もっとたくさんの人が傷つく。
それはきっと──矢面に立つヒーローたちが、一番。
(……生半可な力しか持たないヒーローでは、犠牲者を増やしかねない)
USJで襲撃してきた
そして極めつけは今回の神野だ。
……わたしが弱かったせいで、
オールマイトやベストジーニストは、“君のせいではない”とわたしを諭した。その優しさを有り難く思うけれど、ただ甘んじて享受してはいけない。わたしは、弱いままのわたしを許せない。
強くならなきゃいけないんだ。
もっと強く、速く、──もう誰かを悲しませないために。
「……よし、」
そのためにまずは、わたし自身の戦闘能力を磨かなきゃ。わたし自身が
翼の浮力を切って、緩くはためかせながら床に降り立つ。確か雄英の体育館にも
「オイ」
「、爆豪くん?」
低い呼び声に振り返ると、爆豪くんはその灼眼で鋭くわたしを見据えていた。いつものぶちギレてるそれではない、酷く静かな眼差しに少し身構える。
“どうかした? 何か用事?”
そう尋ねようとしたわたしより先に、彼は口を開く。
「てめェ、俺の組手の相手しろ」
「……えっ」
色々用意していた無難な言葉は吹っ飛んだ。それぐらいの衝撃にわたしはぽかんと口を開けて呆けてしまう。
「え、あの、……えっ」
「ンだよ」
「や……その、爆豪くんからそんな言葉が出てくるなんて、少し意外だったの」
嘘だ。少しどころじゃない。意外過ぎて今も信じられないぐらい。
だって爆豪くんはA組の中でもトップクラスの戦闘力とセンスを誇る。けれど彼の強さを裏付けているのは生まれ持った“個性”や才能だけじゃない。“誰にも負けない”という強靭なプライドこそが彼をここまで強くしたのだと、神野の一件を経て感じた。
……そのプライドエベレスト爆豪くんが、わたしなんかを訓練相手に選ぶ?
「……爆豪くんは、わたしとの組手に何を望んでるの?」
いつもぶちギレてるようでいて観察力も判断力もある爆豪くんのことだから、きっと何かの意図がある。そう思って問い掛けると、彼はわかりづらくもひとつ頷いた。
「空中戦じゃあ、現状てめェの方に一日の長がある。……けどこのまま遅れを取ってたまるか。てめェを相手取ることで、俺ァもっと上に行く」
……やっぱり意外だ。
「てめェももっと、戦えるようになりてぇんだろ」
「……どうしてわかるの?」
「そういう動きだった。……で? どうすんだ」
やんのか、やんねーのか。
切っ先のような鋭い声と目とに、こくりと唾を飲む。けどわたしだって、ここで退きたくはなかった。
「やるよ。……お相手、よろしくお願いします」
互いに頷き合って、一拍の沈黙。それから同時に体育館の床を蹴って天井近くまで飛び上がった。小手調べとして放った羽根は即座に【爆破】で焼き払われる。その噴煙を裂いて爆豪くんは突進。目の前に肉薄した彼をすんでのところで避け、高度を下げながら距離を取った。
そんなわたしを見下ろしながら、彼は鼻で笑う。
「手加減した方がいーんか?」
「……いらない、よ!」
再び放った羽根は全方位に撒かれた爆炎に防がれる。……わたしの羽根は燃えてしまうから、まともにぶつかれば負けることは必至。だから何らかの術を以て彼の不意を突かなければ。
(……大丈夫、落ち着け。つけ入る隙なら作れる)
彼の【爆破】は両の手のひらから放たれる。わたしの羽根を防ぐために全方位に爆破し続けるのならば、宙に浮くための推進力を確保できない。彼が空に在るためには、攻撃ばかりに手を割けないのだ。
だからわたしはそこにつけ入る。
制空権の有無を以て、彼を地につける!
「やあッ!」
「甘ぇ!!」
多方面から一斉に迫る羽根は、一帯を焼き払われて終わり。だからそこに、時間差で羽根を追わせる。爆破の直後を狙った羽根の弾丸は──爆豪くんの頬を掠めた。本当は直撃させたかったのだけど、彼の驚異的な反射神経に防がれてしまった。
微かに頬を赤くした爆豪くんは、不敵にその口角を吊り上げる。
「それで終わりかよ、アァ!?」
「っまだま、だ!」
円形状に広げた包囲網も、隙を突くための時間差攻撃も、まだ彼には足りない。届かない。……ならもっとたくさんの手を!
爆撃を免れた羽根を手元に回収しながら、小さく呼吸を整える。数多の羽根を絶えず操作しているからだろう、脳が熱く、鈍い痛みを訴えている。それを奥歯で噛み殺しながら、わたしは第一の矢を差し向けた。
(まずは、誘発)
扇状に広がった羽根を、爆豪くんは即座に爆破で焼き払う。その威力は大きく見た目も派手で、吹き荒れる爆風に煙が巻き上げられている。それは彼の“個性”の凄まじさを表しているけれど、同時に──こちらにとっての目眩ましにもなる。
(撹乱と仕込みを、この隙に……!)
噴煙に乗じて彼の周囲に羽根を忍ばせる。緩急をつけながらも攻撃の手は休めない。波状攻撃を以て爆豪くんの意識を割く。意識の外に、暗煙の中に、仕込みの羽根を展開させて──
(……ここ!)
一際大きな爆破が両の手から放たれた瞬間、爆豪くんの腕が不自然に硬直したのを見て、わたしは右手を振り下ろした。手の動きに連動して、爆豪くんの少し後方に位置していた羽根が床に向けて動き始める。
くんっ、と──爆豪くんの体操服を引っ掛けながら。
「ッ!」
鋭い息遣いが聞こえた。突如として空中で体勢を崩されたのだから当然だろう。彼が背中の羽根を取り払うにしろ、体勢を整えるにしろ、そのために【爆破】を使わざるを得ない。
その瞬間なら、わたしに攻撃を向けることはできない!
「取っ……」
“取った”。そう確信してわたしは詰めの羽根の弾丸を射出したと同時に、大きめの羽根をナイフのように持ち爆豪くんに迫った。二重三重と仕掛けた策だ、然しもの爆豪くんだって全部を避けられはしない。
床に向かって落ちていく爆豪くん。その首筋に羽根のナイフを突きつけて──そうして伸ばした手を、彼は掴んだ。
「、は、えっ!?」
「──しゃらくせェ!!」
「ッ、ぶわ!!?」
落下しながらも、後頭部や背中に羽根の弾丸を受けながらも、爆豪くんはわたしの腕を掴んで拘束し、こちらに一発喰らわすことを選んだのだ。まさに肉を切らせて骨を断つというか、凄まじい執念というか……!
「ぐ、ぅ、げほっ、……!」
顔面を焼く閃光と爆音、熱と痛みに、わたしは咳き込みながら慌てて距離を取る。それと同時に爆破が轟き、体勢を立て直した爆豪くんが再び空中に浮かび上がるのを見た。
「容赦ないなあ!」
「容赦いらんっつったのはそっちだろうが」
ハ、と笑う爆豪くんは、攻撃を受けたはずなのにいやに上機嫌だ。その灼眼が、爛々と輝いている。
「で? もう終わりかよ、
……そんな風に煽られたら、わたしだって、もっと立ち向かいたくなる。ほんの少しムッときた感情を力に変えて、舞わせていた羽根を爆豪くんの後頭部にぶつける。ゴッ──と、我ながら良い音がした。
「まだまだいくよ。……後ろには気をつけた方がいいかもね」
「……いい度胸だクソがァ……!!」
煽り返したことへの後悔3割、今度はもっとイイのを喰らわせようという決意が3割、その他諸々の感情を唾と一緒に飲み込んで、わたしは再び羽根を展開させた。
「けほ、っんん……手合わせありがとう爆豪くん、怪我治すね」
「いらねー」
「……いや“いらない”は流石に……わたしもガンガン羽根当てたし」
「当たってねーわ」
「それは流石に無理があるよね?」
「仮に当たったとしてもテメーの攻撃なんざ蚊みてぇなもんなんだよ!!」
「い、意地っ張り……!」
あの後もしばらく組手を継続していたわたしと爆豪くんだけれど、羽根と爆破の応酬の結果、わたしの手持ちの羽根がほぼ尽きたタイミングで手合わせを終え、2人して体育館の床に座り込んでいた。会話のキャッチボー……ドッヂボールを終えてから、わたしは隣の彼を見上げる。
「……爆豪くんて、昔からそうなの?」
「ア?」
「小さい頃から、……えっと、その、」
「はっきり喋れやウゼェ」
「昔から今みたいに全方面爆破していくみたいな感じの子どもだったの?」
「はっきり喋ったら喋ったでムカつく奴だなテメーはよ」
爆豪くんは面差しも眼差しも舌鋒も苛烈だ。それがさっきの手合わせでも味わった【爆破】を連想してしまって、どうにも気になって仕方なかった。
「……どうしても、“個性”と人格はリンクしちゃうのかなって、気になって」
【“個性”で
わたしも、そうやって習ってきたのに。
そうやって信じてきたことが、今、揺らいでいる。
「爆豪くんは、“個性”に人格が引き摺られるって思う?」
「……ア?」
「ほら、例えば、そう……空を飛べる“個性”の人が飛び上がるくらい楽天家だ、とか」
「てめーは真逆じゃねェか」
爆豪くんの、何でもないように吐き捨てた指摘は、この上なく的を射ていた。わたしは胸を突く衝撃に、ただへらりと苦く笑う。
だってわたしの本当の“個性”は、空駆ける自由のための【翼】じゃない。どんなことがあってもへこたれない【自己再生】でも、誰かのために分け与えられる【譲渡】でもない。
「……ほんとだ、真逆、だね」
わたしの“個性”は【依存】。
大切な人に頼って縋って寄生する、【依存】だから。
【依存】でしか、ないのだから。
(わたしは生まれた時から、こうなるって、決まっていたのかな)
先ほど封じ込めていた疑問が、心の奥底から湧き上がってくる。それは底無し沼に足を取られてしまう感覚に似ているのだろう。振り払おうと踠くけれど、余計に泥濘に嵌まっていく。問題なく呼吸しているはずなのに、息が苦しい。
(わたしの“個性”が、こうだから、……こういう風にしか、生きられなかったのかな)
(これからの未来も、そう、なのかな……)
きっと歪な表情をしているんだとわかったから、わたしは俯いていた。抱え込んだ膝小僧に顔を伏せて、心の中で言い訳を唱える。
大丈夫、だいじょうぶ。
あとほんの少しだけ時間をください。
そうしたら問題なく振る舞えたはずだった。そろそろ帰ろうか、なんて無難な言葉を吐いて、こんなどうしようもない心の泥なんて踏み潰して、明日に向かって歩き出せたはずだった。
けれど、
「テメーはそれを話して、俺になんて言ってほしいんだ」
けれど、わたしが顔を上げるより早く、低い声が鼓膜に突き刺さる。それに驚いて、わたしは取り繕えないまま顔を上げてしまった。
「……え、」
「“個性”なんて関係ねぇって、そんな言葉を期待してたか? ……だァれがわざわざンなこと言うか。甘えてんじゃねぇわ」
「わ、わたしは、甘えてなんて」
「うるせぇ口出しすんな羽根女!」
爆豪勝己という人は、言動は苛烈かつ粗暴……“なんか
「“個性”でどうなるかじゃねぇ、
でも、もしかしたら。彼の本質は静かで揺るぎないものなのかもしれない。今彼が放つ声のように、どんな障害にも迷うことなく立ち続ける、その強靭な意志こそが彼を彼たらしめているのかもしれないと、そんなことを思った。
「どう、なりたいか……」
「“個性”は手段で武器。それ以上でも以下でもねぇのに、振り回されてやる義理はねェ」
だからか、わたしは疑うことなくその言葉を受け止めていた。“個性”は手段や武器であって、その人そのものではない──確かに爆豪くんの“個性”は【爆破】で、その戦い方は派手で苛烈だけれど──彼がわたしを見据えるその瞳は、どこまでも静かで、揺るぎない。
「……うじうじしてる暇なんざねぇって、テメーが言ったんだろが、空中」
爆豪くんの指摘に、はっと目を瞬かせる。そうだそれは、あの仮免取得試験の時、わたしが彼に押し付けた言葉。
「この俺にご高説垂れといてテメーはあっさり手のひら返すんか。いい御身分だなァ?」
「そ、そんなことしない……!」
「ハッ、……ならいい」
慌てて言い返せば、爆豪くんは鼻で笑った後すぐさま笑みを引っ込めた。こちらから視線を逸らして僅かに目を伏せる。その赤い目は、今ではない、これまでとこれからを見つめていた。
「もっとずっと、強くならなきゃいけないんだろ」
“お前も、俺も”──だなんて、爆豪くんは口にしない。
それでも言外にそう伝えてくれているのがわかって、わたしは胸元を握り締めた。呼吸を奪う泥はもう、飲み下せてしまった。じんわりとした痛みはあるけれど、ちゃんと息ができる。笑える。
「爆豪くん、……ありがとう」
「うるせェ黙れ。テメーの為に言ったんじゃねーんだわ」
「相変わらずザクザク言うなあ……」
はは、と苦笑するわたしと、そっぽを向く爆豪くん。……うん、わたしたちの間の距離はこれぐらいでいいのかもしれない。決して優しい言葉を掛け合いはしないけれど、互いに檄を飛ばすには、これぐらいがちょうどいい。
「……意外とめちゃくちゃ根に持つタイプなんだね」
「ハァ!? ンな訳ねー!」
「だってわたしの言ったことなんか忘れてると思ったのに」
「テメーと違って記憶力がいいだけなんだわ」
「“みみっちい”とか言われたことない?」
「聞けや!!!」
「おいお前らそろそろ帰……、」
そんなやり取りの最中、体育館の扉を開けて相澤先生が顔を覗かせた。いつも気だるげな半眼が、こちらを見るやいなや、驚いたように見開かれる。
「えっと、相澤先生、どうかされましたか?」
「……2人で手合わせしてたのか」
「? はい、でも何でわかっ……あ、爆音とか外まで響いてましたか?」
「いや体育館はある程度の防音機能がついているが……」
ととと、と歩み寄ったわたしを見下ろして、相澤先生は黙り込んだ。……いつもクールでズバズバ迷いなく切り込むタイプの先生には珍しい様子に、わたしは首を傾げる。
「…………、…………」
「あ、あの、先生、その沈黙は……?」
「…………何でもない。それよりもう体育館を閉める時刻だぞ。あと1分」
「えっ!? す、すみません……!」
「謝罪はいいからはよ荷物取ってこい。着替えは寮でしろ」
「ッス」
「はい……!」
言われたままに焦って走り出す。……そう、わたしは焦っていた。急がなきゃいけないと焦っていた。
「……ちゃんと風呂入って温まって寝ろよ」
「? はい、わかりました」
相澤先生の言葉の裏にも気付かず、わたしは爆豪くんと共に、とっぷり暮れた夜の中帰路に着いた。
「ただいまー……」
「あ、お帰、りっ!?」
ハイツアライアンスの玄関を抜けて、はじめに出迎えたのは尾白くんだった。彼はにこやかに笑みを向けようとして、何故か声を裏返す。そのまま固まってしまった尾白くんを不思議に思ったのか、リビングにいた数人が寄ってきて──わたしを見て、同時に声を揃えた。
「「「どうした空中それェ!!?」」」
「えっ?」
突然指を指されて絶叫されてわたしは訳がわからないけれど、峰田くんたちも訳がわからないといった表情をしている。騒ぎを聞き付けてやって来た他のみんなも同じような表情をしていて、……えっ本当に何がどうなってるの……?
「あ、あのみんな、本当にどうしたの……?」
「ウン……とりあえず現実を見せた方がいいね……」
「はい……」
「待って何でそんなに神妙な顔してるの」
何故か眉を下げたお茶子ちゃんと八百万さんが頷き合っている。そうしてお風呂に行く途中だったらしい耳郎さんが、何とも言えない表情でコンパクトミラーを差し出して来た。不思議に思いながらも受け取って、その鏡面を覗き込んで、
「!!?」
そうして絶句した。鏡に映った自分は、いつもの自分ではなかった。より具体的に言うなら──髪がアフロみたいに爆発していた。
「何こ……爆豪くん!!」
心当たりの名を呼べば、「チッうるせーな」と言わんばかりの半眼で彼はこちらを見た。い、いや確かにうるさいかもしれないけど、これは物申させてほしい!
「な、なんで髪爆発してること教えてくれなかったの?」
「普段と然程変わんねぇだろ」
「ねえ爆豪くんにはいつもわたしがどう見えてるの??」
むしろその視界にわたしはちゃんと収まってるのか疑問を覚えた。この人“羽根”以外の特徴を捉えているのかな……いや流石に出会って5ヶ月は経過してるし……いやでも人のことを「黒目」とか「耳」とか宣う爆豪くんだしな……と思考を彷徨かせている内に、ぽんと肩を叩かれた。次いでぼわぼわした髪をそっと撫でられる。
「うわあふわふわ……これはこれで」
「もこもこして羊みたい」
「ちょっと焦げ臭いけど可愛いよ!」
「フォローが優しくて辛い……」
芦戸さん、耳郎さん、透ちゃんに続いて八百万さんやお茶子ちゃんまで撫で繰り回してくるものだから、わたしは何だか気が抜けて笑ってしまった。ふは、と溢した笑い声に、ふふ、ともうひとつの笑い声が重なる。
「晩御飯の前に、お風呂に入りましょうか」
口許に指を添えて、梅雨ちゃんは笑った。
大きな浴槽から立ち上る湯気が、シャンプーやボディソープの匂いを纏わせてふわふわと漂う。そんな中髪を洗い終えてわたしは顔を上げた。目の前にある鏡には、しっとり濡れた白い髪。そのままなら良かったのだけれど、……時間が経つにつれてぴょこ、ぴょこん、と毛先が好き勝手に跳ねてしまう。
「う、うう……」
「あらあら、なかなか手強いわね」
「ほんと……やだもう恥ずかしい……」
「そうかしら? 可愛いのに」
でもそんなになっちゃうなら、と梅雨ちゃんがコンディショナーを貸してくれることになった。緑色のそれからは、爽やかなシトラスミントの匂いが広がる。
「というかこれ、絶対相澤先生も気づいてたでしょ……! 何で言ってくれなかったのかな……!」
コンディショナーを髪に塗り込みながら、恥ずかしさから思わず愚痴ってしまうわたしに、隣の梅雨ちゃんはくすくす笑った。そうして、そっとわたしの髪に触れる。
「多分だけれど、相澤先生、私にあなたの髪を梳かす時間をくれたのよ」
「、え?」
梅雨ちゃんの大きな手が、長い指が、わたしの髪を梳かしていく。その手を止めないまま彼女は続けた。
「“何もなかった”って顔で帰ってきたら、私は何もできないでしょう。私は気付かないまま、あなたに“何かあった?”って訊くこともできないかもしれない。
でも、ふふ、今のこの髪なら、流石に見逃さないわ」
梅雨ちゃんが微笑むように目を伏せる。長い睫毛に水滴が灯って、きらりと輝いた。
「“頑張ったのね”って、あなたを労ることができる」
梅雨ちゃんの穏やかな声が、甘やかに響く。
髪を梳かす。それは頭を撫でる仕草に似ていて。
「……梅雨ちゃん、は、」
「なあに?」
「わ、わたしを、甘やかしすぎだよ」
「あら。まだまだ序の口なのだけれど」
「え……う、うそだあ」
「ほんとう」
ここが風呂場でよかった、とこっそり思った。
声が震えてたって、目元が赤くたって、じんわり濡れていたって、きっと湯気のせいにしてしまえるから。
「あっ、いつものだ」
「ノーマル空中だ」
「さ、さっきのはもう忘れていいよ……」
梅雨ちゃんのお蔭で何とか“いつもの空中”に戻れたわたしは、みんなと一緒にリビングで食卓を囲んでいた。ハイツアライアンスには朝晩とランチラッシュによる食事が届く。今日の晩御飯は酢豚と中華スープ。柔らかい豚肉や人参を口に含むと、きゅーっと広がる甘酢の味が絶妙で最高だった。夏バテにもぴったりだなあ、なんて舌鼓を打っていると、不意に上鳴くんがわたしを見た。にぱっと笑顔が輝く。
「てかさァ、新学期始まったばっかなのに居残り訓練とか空中スゲーね。しかもあのかっちゃんと!」
「あのって何だコラ」
「そうだよね! 僕もすごく気になってたんだかっちゃんと空中さんて“個性”も戦闘スタイルもそんなに似通ってないのに何でかなってアッッッそうか2人とも宙を飛べる!それで空中戦の手合わせをしてたのかなうわあ僕も見たかった【翼】での飛行能力は空中さんのが上回りそうだけどかっちゃんの【爆破】は攻撃と移動を同時にしてしまえるから」
「うるせェ黙れクソナードが!!!」
「通常運転やなあ……」
ほやほや呟くお茶子ちゃんの言う通り、ブツブツ持論を捲し立てる緑谷くんも、それにぶちキレる爆豪くんも、「食事中にクソは駄目だぜ!!」「そうよかっちゃんお里が知れるわ」「行儀よくしなね」「黙れ」なんていうやり取りも通常運転で、何だか嬉しくなってしまう。頬張っていた酢豚を飲み込み、笑う。
「緑谷くんの言った通り、空中戦の練習をしてたんだ。わたしは飛べるけど、戦う時の身のこなしや駆け引きはまだまだだし、爆豪くんに教わろうと思って」
そう答えたわたしにいち早く反応したのは切島くんだった。切島くんはグッと力強く左手を握り締める。
「そうだな! 爆豪はすげェ! 戦闘センスの鬼だしな!」
「いやそれはわかっけどよ、なかなか思い切ったなァ空中」
「思い切る?」
「そりゃ爆豪かっちゃんとタイマンとか勇気要るっしょ」
「そーやよ!
いつもながら熱血な切島くんとは対照的に、砂藤くんや瀬呂くん、お茶子ちゃんは心配そうにわたしを見ている。特にお茶子ちゃんは体育祭で直に爆豪くんと戦ったことがあるから、余計に思うところがあるんだろう。
「えっと、そうだね……全く怖くないって言ったら嘘になるけど」
確かに、情け容赦なく間近で爆破された時にはどうなることかと思ったけど、そうした緊張や恐怖よりも、感謝の気持ちがずっと大きい。
「でも、確かに一歩は向上できたよ」
そう笑うわたしに対し、爆豪くんは視線すら向けない。でもこれでいいんだろうなって、そう思えることが嬉しい。
「その向上心は素晴らしいぞ空中くん!!! 俺も見習うとしよう!!」
「あ、ありがとう飯田くん」
「そうだな……常に上を見つめ飛翔する。称賛すべき魂の輝きだ」
「たましい、」
大きな声の飯田くんも、難しい言い方の常闇くんも、揃ってわたしに向ける眼差しは優しい。
「今度は俺とも、空中戦の手合わせを願えるか、空中」
「! うん……! こちらこそよろしくお願いします、常闇くん」
また一緒に頑張れるんだ、と思うと、おのずと声が上擦ってしまう。そんなあからさまな態度が気恥ずかしくてコップの水を口に運んだ。ひんやりとした感触が喉を通っていく内に、上鳴くんが「あーあ」と声を溢した。
「いいなぁ空飛べるって。機動力ダンチだもんなー」
「そうですわね。救助でも戦闘においても非常に役立ちそうです」
「……ヤオモモはさ、そういうの“個性”で創れないの?」
「
耳郎さんの疑問に、八百万さんはぱちくりとその目を瞬かせた。瞳の黒曜石が静かに伏せられ、思考に沈む。
「……難しい、ですわね」
「えーどうして? 林間合宿の時にさ、バイク創ってくれてたじゃん。その応用で空飛ぶバイク! とか!」
身振り手振りであの魔獣の森での出来事を話す透ちゃんに、八百万さんはひとつ微笑んでから訳を話し出す。
「私の“個性”【創造】は、私の脂質をさまざまな分子に変換し、組み立てるプロセスを必要とします。対象を創るにはそれがどんな分子構造をしているのか知らなければならないのです」
「いや何回聞いてもスゲー“個性”だよな」
「スゲーしスゲー難しそう。ヤオモモだからあんなにポンポン物創れるんだろうな」
確かに、とピーマンを咀嚼しながら話に耳を傾ける。八百万さんはA組の中でも随一の才媛で、“個性”の関係もあってありとあらゆる学問を修めていると聞く。だからこその【創造】のバリエーションを誇るのだろうと思った。
それと同時に思い至る。ごくんとピーマンを飲み込む。
彼女の“個性”には、あまりに多くの可能性があると。
「空を飛ぶための材料や理屈がわかれば、創れるってことだよね?」
「ええ、まあ」
そうですが、と頷く八百万さんに確信する。八百万さんは人を乗せて空を飛ばすための材質や理屈を知らないだけなのだと。彼女の頭脳と知識を以てすれば、きっともっと、どんな物だって創れる。
「常闇くん、」
「ああ、空中……俺も同じことを考えていた」
常闇くんと視線を交わして、頷き合う。きっと彼の脳裏にもあの夏の出来事がよぎっているだろう。
日本から遠く離れた科学の島にて出会った、あの強烈なインパクトのある
「八百万さん、I・アイランドの研究者とお話できる機会があったら、……興味ある?」
『それで俺に連絡か。いい御身分だな』
「う、や、やっぱりお忙しいですかね……?」
『言わなきゃわからんか?』
「ご、ごめんなさい……!」
晩御飯を終えて自室に帰ってきたわたしは、“あの強烈なインパクトのある
やっぱり失礼だったかな、という後悔と、それでもお話したかったという気持ちがぶつかり合っている。
「あの、A組の……雄英でのクラスメイトと話してたんです。最上博士が発明した飛行用モービル、飛行性能と光学迷彩を搭載していましたよね」
『ああ、僕の発明品な』
「あのセントラルタワーの事件後に博士主催のパビリオンを拝見しましたが、本当にどのサポートアイテムもすごく便利で……! 博士の技術や知識と提携できればもっとわたしたちのヒーロー活動に幅が出ると思いまして……!」
例えば、空飛ぶバイクを颯爽と創り出して乗り回す八百万さん。格好よくて素敵だ……というだけではなく、彼女が【創造】することで味方全体の機動力が格段にアップする。八百万さんが得意とするオペレーションにも選択肢が増えるだろう。
透ちゃんは【透明人間】故の攻撃手段の無さを気にしていた。けれど光学迷彩の技術を用いれば、同じく透明にした武器を扱って不可視の攻撃ができるようになる。それは攻撃の軌道を相手に読ませない、唯一無二の強力な手段と成り得るはずだ。
他にも、他にも──とあれこれ喋り倒すわたしを『待て待て落ち着け』と制した最上博士は、深い溜め息をついた。それは呆れも多分に含んでいるけれど、それ以上に“意外”の感情が色濃かった。
『空中お前、そんなテンション高く喋れたんだな』
「……浮かれているのかも、しれないです」
指摘されて初めて、わたしは自分が笑っていたことに気付いた。ふやけた口角に指先で触れる。
「A組のみんなと、あれはどうこれはどうって、いっぱい話して……すごく楽しかった。みんな、すごく優しい人たちなんです。わたしのことをたくさん心配してくれて、励ましてくれて……傍にいて、くれるんです」
ほんのりと熱を持つ頬に気付いた。
その事実が、心の内に冷や水を注ぐ。
「……すごくすごく、嬉しくて、……胸が、熱くなるくらいに、……」
幼い日のことを、わたしはまだ鮮明に覚えている。ただ嬉しくて、楽しくて、お父さんとお母さんのことがだいすきでだいすきで仕方なくて。その気持ちで胸がいっぱいだった。とてもとても、熱かった。
「だから時々、すごく苦しくて、怖くなるんです」
その熱が、だいすきな人たちの
「最上博士、……はかせ、」
爆豪くんは、“個性”でどうなりたいかが大切だと言った。わたしもそうありたいと思った。願った──この“個性”を抱えて、みんなと生きていきたいと。
「わたしの“個性”は、眠ったままでいられますか。
この先も、みんなと一緒にいられますか」
でもその願いが、“個性”が、みんなの未来を壊してしまうのなら、それだけは避けなくてはいけなかった。
「大好き、なんです。みんな大好きで、大切な友だち」
みんなが大好きだから、一緒にいたい。
みんなが大好きだから、“個性”を奪ってしまうかもしれない。
みんなが大好きだから、傍にいられなくなるかもしれない。
みんなが、大好きだから、
「みんなの“個性”を、未来を、可能性を、
──奪うだけのわたしに、なりたくない……」
生まれ持った“個性”は、自分自身じゃない。必ずしも人格とリンクするわけではないと、爆豪くんに後押しされる形で理解した。それはわたしに安堵をもたらしたけれど、同時に新たな不安の芽を芽吹かせた。
“こうありたい”という自分の願いと、
“こう生まれ落ちた”という“個性”のかたちとが、
あまりに食い違って反発しあった時、わたしはちゃんと、なりたい自分として生きられるのだろうかと。
目の奥が熱を孕む。それはじわりと潤んで、目の前を霞ませた。透明な血がぽたりぽたりと頬を伝う。何だかそれがすごく情けなく感じて──わたしに泣く暇も権利も無いというのに──必死に嗚咽を噛み殺した。
そんな時だった。
『うじうじするな、オタオタするな、──心配するな!!』
電話口から響いたその声に、驚いて目を見開く。ぱっと開いた睫毛を伝って、幾つかの雫が飛び散った。
『またひとりでぐちぐちうじうじ……湿っぽい奴だな』
「えっ、え……す、すみませ、」
『謝る必要は無いからよく聞けよ、空中』
「は、い……?」
ごほん、と改まった咳払いと共に、彼は声の調子を改めた。凛と強く、冷静ながら熱意を孕んだ、そんな声。
『僕は以前にも言ったはずだ。
……“個性”でどうしようもなくなった奴らの、新たな道を科学の力で開くのが、我々発明者の仕事だと』
だから心配するな、と付け加えられた声が、びっくりするくらいに優しくて。わたしは嗚咽を殺しきれずに涙を溢した。みっともなく、ひぐひぐと声をひきつらせている。
それに対して博士は小さく息をついた。それは、溜め息にしては酷く優しく、あたたかで。またわたしの涙腺を刺激してくる。
「っ、う、ぇ゛、はかぜぇ……」
『まったく酷い声だ。空中お前、プロの言うことが信じられないと?』
「ち、ちが……ちがいます……」
そうじゃない。わたしが今涙を止められないのは、信じられない不安が理由じゃない。
「……信じられないくらい、今が幸せ、なんです」
本来なら、わたしがこんなに幸せなんて有り得なかった。ホークスに救けられて、公安に保護され、梅雨ちゃんたちに出会って。こんなにあたたかな気持ちになるなんて思いもしなかった。
それだけわたしの【依存】が犯した過ちは、酷いものなのだから。
(“取り返しがつかなくなること”は、ひどく悲しくて、苦しくて、恐ろしいことだから)
【自己再生】で治る身体の傷とは違う。わたしが両親の“個性”を奪ったことは、彼らの可能性を断ち、もうどの未来へも辿り着けなくすることと同義だった。
だからわたしは“取り返しがつかなくなること”が怖い。絶対に避けるべき、何より恐ろしいことだと思っている。
だから、
だから、そう。
どうしてもその言葉を、上手く飲み下せなかったんだ。
「知ってるかい空中さん!!
A組のほぼ全員が、今回の神野の一件で除籍処分になりそうだったって話を!!!」
「──え?」
78.少女、言葉を交わす。
Next Conan's HINT : M O N O M A
始めに断っておきますが作者は物間くんが大好きです。ちょっとアレな言動は確かにアレですが物間くん本人が嫌いになることはありません。ちょっと(ちょっと?)腐りながらも頑張る彼が大好きです。少しネタばらしするとこの【雄英新生活編】の最大のMVPは物間くんなので、次回の展開はあたたかく見守っていただけると幸いです。
というか更新遅くなってしまって本当に本当にすみませんでした……!ヒロアカ熱は冷めやらぬ状況ですがなんかSSの書き方がわからん過ぎて時間がかかってしまいました……心折れそうになった時は皆様のあたたかい感想や評価等々に助けられました。本当にありがとうございます!
次回以降の物間くんとオリ主の衝突やら何やらは今後の展開に大切な部分ですので、楽しんで書きたいと思います。また次回以降も読んでいただければ幸いです。