“個性”【コピー】。物間くんが所有するそれは、相手に触れることで対象の“個性”をコピーし、使うことができる。けれどそれには幾つかの制約が掛かっているのだと、以前わたしは聞いた。
『僕の【コピー】は“個性”の性質をコピーするだけ。何かしらを蓄積したものをエネルギーに変えるような“個性”だった場合、その蓄積まではコピーできないようになってる。
君の【治癒】は自分の中のエネルギーを使って発動するんだろう? 僕の中にそのエネルギーが無かったから、【治癒】は発動できなかった。……こういう、僕に発動できない“個性”を“スカ”って呼んでるだけ』
1学期に行ったB組の戦闘訓練に追随した際、彼はわたしの“個性”を“スカ”と称した。わたしの【治癒】は蓄積したエネルギーを使っているのだろうと、だから僕には使えないのだろうと、そんな推測とともに。
彼は軽く肩を竦めながら、諦めたように目を伏せた。
『……そう、なんだ』
その時わたしは、彼の表情を真っ直ぐに見ることはできなかった。唾をのみ込み張り付いた喉を無理やり動かして、平静を装って笑ったけれど、握り締めた手の内は冷えた汗で湿っていた。──怖かったのだ。
(物間くんは今、
平静を装い、気取られないように、何でもないように笑って。その場はそれで済んだからわたしはただ安堵した。初めての学校生活に浮かれて、USJを始めとした
物間くんに触れられてはいけない。
彼にわたしの“個性”をコピーさせてはいけない。
彼に、【依存】を使わせてはいけない。
だって、だって。そうで、なければ──
「……っ拳藤さんの“個性”は無事!?」
ほとんど叫ぶように問い掛けると、物間くんは一度驚いたようにその青い目を見開いた。けれどすぐ静かに、見定めるようにわたしを見つめ返す。
「拳藤の“個性”は健在だよ。……これで君の言う“無事”は確認できたかな」
「……っ」
「は、オイ、ちょっと……!」
健在。“無事”。その言葉にほっと息をつくと共に身体が傾いだ。ふらつく足を何とか踏み締めて、“大丈夫”と返す。
「……とてもそうは見えないけどね」
切れ長の目は半眼に細められている。そこには呆れと──自惚れでなければ──心配の色が滲んでいた。わたしは今、どんな顔をしているんだろう。物間くんの目を見つめ返せばわかるだろうけれど、今はそれが、酷く難しく感じた。
「……ぁ、あの、物間くん、……」
視線を向ける先がわからない。紡ぐべき言葉が見つからない。どうすればいいのか見当もつかない。カラカラになった喉は中途半端な呼吸を繰り返す。心臓の音は大きく鳴り響き、耳の奥でぐわんぐわんと木霊していた。
どうすればいい。何を言えばいい?
どう取り繕えばホークスに、公安に迷惑は掛からない?
あの人の秘密を守らなきゃ、守るため に、
何を、何 を 、どう したら、わ たし は ──
「──一応言っておくんだけどさァ!?」
「っ、!?」
まるで夜を切り裂くように響いた大声に、驚いて顔を上げる。視界が持ち上がる。視線が絡む。は、と震える息を吐き出すわたしに対し、物間くんはフンと鼻を鳴らした。
「何だよその顔」
「え、え、と……」
「僕が君の“個性”の秘密を暴いて、それをネタに揺さぶろうって? 悦に入るって、そう思ってるんだ?」
「! ちが、」
「違うなら、……怯えないでくれよ」
彼は目を細めていた。“面白くなさそうに”、……ではない。ちゃんとぶつかり合って向き直った、今ならわかる。
「……君を追い詰めようと思って、訊いたワケじゃないしさ」
その彼の言葉に嘘はないこと。
わたしを傷付けようと思ってるわけではないこと。
そのことを上手く伝えられない、不器用さも。
──ちゃんと今なら、わかるから。
「……ごめんなさい、過敏に反応、してた」
だからわたしも、そう返すことができた。深く息を吸って、吐いて、昂った気持ちを落ち着けていく。それと同じにぐちゃぐちゃに絡まった思考の糸をほどいていった。落ち着いて、落ち着いて──向き合わなければいけないことを、見つめ直して。
『君を追い詰めようと思って、訊いたワケじゃないしさ』
そう言った物間くんは目を伏せていた。わたしへの申し訳なさ、だけではない。夜のせいではなく、どこか暗く沈んだ青い目は、ここではないどこかを見ているようだった。
どこかを、いつかの時を思い出している。
……そんな物間くんを“苦しそう”だと感じたのは、きっとわたしの勘違いじゃない。
(物間くんも、何かを抱えている)
それどうにかしようと、彼はわたしに話を持ちかけたのかもしれない。もちろん違うのかもしれないけれど、でもそれだってわからない。
ちゃんと、腹を割って。話さなければ、わからない。
「……物間くんはどういう思いで、わたしに“個性”のことを訊いたの?」
そう訪ねたわたしに、物間くんははっと目を見開いた。意外そうに丸くなったそれが、暫くの沈黙を経て弧を描く。
「へェ、踏み込んでくるんだ」
「う、うん」
「あんなに動揺してたってのに」
馬鹿だね、と呟くように言って、
「僕は訊かなかったフリも、知らないフリもできるんだよ」
彼は笑みの色を変える。それはいつもの誰かを煽るようなそれよりずっと、穏やかに凪いでいた。
「まァ、君からしたら僕なんて信用できないかもしれないけ……」
「そんなことない」
「、……あァそう」
間髪入れずにそう返せば、物間くんはへらりと笑った顔を崩し、どこかばつが悪そうに眉間に皺を寄せた。がしがしと自身の金髪をかき混ぜて、細く長く息を吐く。
そうして彼は、静かにわたしを見据えた。
「……君に触れて、拳藤の“個性”が使えた。そのことから考えると──どういう理屈かはわからないけれど──君の本来の“個性”は、他人の“個性”を扱うタイプってワケだ」
わたしを見つめたその目で、自分の右手を見下ろす。緩く握って、開いて。
「……僕の“個性”と似てるんじゃないかって、思ったんだよ」
物間くんの“個性”は【コピー】。相手に触れることで対象の“個性”をコピーし、使うことができる。……確かに、誰かの“個性”を使うという一点においては、わたしと彼は似ていると言ってもいいのだろう。けれど、──けれど、
「……似てないよ」
「
「だって物間くんの【コピー】は、誰かの“個性”を奪ったりしないでしょう?」
ひゅう、と吹き抜けた夜の風が、冷ややかにわたしの横顔に突き刺さる。
「わたしの“個性”は、【治癒】でも【翼】でもない。それらは全て、わたしが本来の“個性”で奪ったものなんだよ」
強張る頬を無理やり吊り上げて作った笑みは、きっとぎこちなく、みっともない。
「わたしは、わたしの“個性”は【依存】──わたしと心を通わせた相手の“個性”を奪って、自分のものにする。一度奪った“個性”は、……二度と元には戻らない」
だから物間くんも、何とも言えない表情をしているのだろう。眉間に皺を寄せて、目を細めて。
「……物間くんは今日、わたしの【依存】をコピーして発動させたんだよ。発動者の物間くんが心を通わせた相手の……拳藤さんの【大拳】を使った。
……でも、よかった。【依存】の性質より【コピー】の性質が上回ったんだね」
「……空中さん?」
「5分経てば解除されるあなたの【コピー】。だから【依存】も、時間経過で奪った誰かの“個性”も元に戻る」
だから、拳藤さんの【大拳】も失われずにすんだ。
そのことが何より嬉しかったから。泣きたいくらい安堵したから、わたしはぎゅっと目を瞑って胸元を握り締めた。
「よかった、……よかった、本当に……」
彼女の“個性”は無事だった。何も失われなかった。
それはひとえに、物間くんだったから──だからわたしは顔を上げて微笑んだ。
「あなたの“個性”は、誰かの“個性”を奪わない。
……可能性を、過去の頑張りを、明るい未来を奪わない」
安堵と、感謝と、尊敬と、羨望と、……きっとそれだけではない感情を込めて、笑う。
「──羨ましいよ。素敵な、“個性”だね」
そう口にしたのは本心からで、全くの嘘ではなかった。
……けれど物間くんは何故か、思い切り片眉を跳ね上げた。口許を苦々しげにひん曲げるその顔は、晴れやかとは言いがたい。
「……その言葉、君じゃなければ皮肉と受け取っていたよ」
「え……?」
えっと、と言葉をまごつかせるわたしに、物間くんは肩を竦める。それから伏せがちの目で笑ってみせた。
「昔から言われたよ。【その“個性”じゃスーパーヒーローにはなれないね】って」
「!? な、なんで?」
「さァね。大方あいつらは、僕を僻んでたんだろ」
物間くんは語る。自分は昔から他人より少し頭が回って、立ち回るのも上手かったと。それで周囲から褒めそやされ、持て囃され、……それと同じぐらい
「あいつらが言うには、【一人では何も出来ない。そんなヒーローがいてたまるか】ってさ」
真っ向から悔しげに、負け惜しみみたいに叫ぶ同級生もいた。そんな子どもたちを叱りつつも、“残念だけど”って訳知り顔で微笑む教師もいたのだそうだ。
「彼らは決まってこう言ったよ、『ヒーローが全てじゃないわ』『サイドキックとして支えるのも大事な仕事だよ』……笑えるよねぇ!? こういう“個性”ってだけで、僕の未来は他人に憐れまれ、指図されなきゃいけないらしい」
ハッと吐き捨てるように笑って、物間くんはわたしを見た。どこか刺々しい笑みのまま、瞳だけは静かに、苦しげになる。
「だから僕はずっと、君のことが気に食わなかった」
「……そう、なんだ」
「ああ。だって君は【翼】に【治癒】……機動力と汎用性、何より救助に役立つ唯一無二の力を持ちながら、“たいしたことない”って謙遜する余裕まであるんだからね」
「あ……」
脳裏に甦るのは入学当初の記憶だ。B組初めての戦闘訓練。鉄哲くんたちの怪我を治癒したわたしに、物間くんは礼を言って、わたしは、
『そんな、たいしたことじゃ……』
『たいしたことない、ねぇ』
そんな言葉を交わした。その時すうっと細められた物間くんの目も、痛いくらいきつく握られた手も、覚えている。
(……そうか。物間くんはあの時から、ずっとそんな気持ちで……)
やっと見えてきた彼の心情に、わたしは小さく息を飲んだ。改めて見つめ直した彼の表情は、初めて見るものだった。
「でもその謙遜は、余裕でも何でもなかったんだね」
眉を下げたその顔に、どんな感情が込められているのだろう。それは共感であり、労りであり、何かに対する苛立ちでもあり、やりきれなさでもあった。光だけでもなく、暗いだけでもない感情が、彼の青い目に揺らいでいる。
「その自信のなさも、すぐ自分のせいにしたがるのも、そういう“個性”を持って生まれたことに端を発するのかな」
「……そう、なのかな。……ごめんなさい」
「ハァ?」
“ごめんなさい”。たったその一言でその場の空気が一変した。急に不機嫌そうに目を細めた物間くんに、目を白黒させるわたし。戸惑うわたしが一歩退くと、彼は距離を詰めるように一歩踏み出した。
「ねえ空中さん、君は何に対して謝ってるんだい」
「……こんな“個性”を持ってるくせに、みんなに隠して、のうのうとヒーローを目指してる、こと」
「申し訳ないって思うの?」
「……、うん」
「じゃあやめたら?」
「……え、」
ごつん、と羽根ごと背中が配管にぶつかる。軽すぎる衝撃に痛みなどない。ただ喉が、カラカラに乾いていた。
「申し訳なさで心が辛いなら、いっそやめてしまったら? 君が道半ばでヒーローを諦めたら、……まァとやかく言うやつはいるだろうけど、それでも君の意志を曲げてまでどうこうする人はいないはずだよ」
──それはきっと違う。公安は、わたしが治癒を扱える、使い勝手のいいヒーローになることを望んでいる。こんな厄介な“個性”と境遇の子どもをわざわざ育てたのはそのためだ。わたしが別の道に進むことを彼らは許可しないだろう。
……頭の中の冷静な部分がそう結論を弾き出した。けれど同時に、心が燃えるように熱く、
「……嫌だ」
ぽろりと溢れたその言葉に、わたしはきつく唇を噛む。
「嫌だ。わたしは、……ヒーローになることを、諦めない」
それでも、──それでも。
言葉が、想いが、次から次へと溢れてやまない。
「……どうして? 罪悪感だの申し訳なさだのを抱えてヒーローになったって、誰も幸せにはなれないんじゃないかな」
「そうかも、しれない。……わたしの始まりは罪悪感だった。奪ってしまった責任を取らないとって、もう二度と奪わない、誰かに何かを与えられる人間にならないとって、そう思っていた」
言いながら気づく。“思って
『──
……ああ、と、涙を堪えて微笑んだ。
目蓋の裏にはいつだって、あなたが一番に浮かぶ。
「わたしは、もう、罪悪感だけでヒーローを目指してない」
熱い目蓋を下ろして、ゆっくりと息をつく。脳裏に今も鮮やかに蘇る記憶は、確かな痛みを孕むけれど、もうそれだけではない。
奪ってしまった両親の“個性”。壊れてしまった家族。モノクロのベランダ。寒くて寂しくて苦しくて悲しくて──そんな雪の日をホークスが越えさせてくれた。ひとりきりで閉じ籠るわたしに、何度も優しい声を届けてくれた。自分で擲ったわたしの命に手を差し伸べて、救い上げてくれたのだ。
「“ありがとう”って、言ってもらえたの。“生きていてほしい”って、……“一緒に生きよう”って、わたしの未来を明るく照らしてくれた」
それがどんなに嬉しかったか、きっと誰にもわからない。どんなに嬉しかったか、安堵したか。真っ暗だった心に光が射したあの瞬間を思い出せば、どんなに勇気が溢れてくるか──きっとホークスにだってわからない。
「その人みたいになりたくて、その人の力になりたくて、……だからわたしはどんなに狡いって、図々しいって言われても、この力でヒーローになってみせる」
わたしは優秀ではないし、勇敢でもない。臆病で卑怯で弱い──ヒーローとは程遠い人間だと自覚している。だからこうしてすぐにうじうじと俯いて立ち止まってしまうけれど、それでもその度に過去を振り返れば、答えはそこにある。
わたしの
「罪悪感は、きっと二度と忘れられない。捨てられない。
……それでも前に進むことは、できるはずだから」
言い切って、は、と小さく吐き出した息が夜風に浚われる。配管を縫って吹き抜ける風に背中を押された気がして、わたしは顔を上げた。そうして、……目を瞬かせる。
「……はじめからそう言えばいいんだよ」
だって物間くんが、今まで見たことないくらい、穏やかに笑っていたから。それは酷く、……嬉しそうに、見えて。
「物間く、」
「だいたいねぇ!? うじうじ悩む君の態度もどうかと思うんだよ僕は」
「えっ、い、いきなりのダメ出し……!?」
「何だい? 不満がある?」
けれどその柔らかい笑顔も束の間、彼は瞬く間に表情を変える。わたしを叱りつけるようなそれから、フッと可笑しげに眉を上げて。
「向かう先が見えてるなら、僕なんかの言葉に俯くなよ」
そうしてわたしに語りかける声色もまた、さっきまでとは全く違っていて。呆然とするわたしを、真っ直ぐに青い目は見据える。
「胸を張れよ、空中さん。もっと自信もって堂々としたらいいんだ」
「……いきなりは難しい、かな」
「なんでだい? 君はその“個性”を持ちながら、ここまでやって来たじゃないか」
彼は緩く首を傾げた。さらりと細い金髪が流れて、月の光を受けて輝く。
「君は自分の“個性”を“奪うだけのもの”って称した。なるほど確かに、そのままじゃ
──でも君はそこで終わらなかった」
両腕を広げながら、彼は言葉を続ける。それはさながらストーリーテラーのよう。すらすらと紡がれる声は涼やかだ。
「諦めなかった。努力し続けた。ヒーローであろうとした。
だからこそ今、この雄英にいるんだろ?」
けれどその底に、彼が灯し続けてきた、確かな熱を感じる。
「はじめにどんな“個性”を持っていたって、結局のところ人の歩む先を決めるのは、その人の意志に依る」
物間くんは口の端を吊り上げて笑っている。その目は期待だとか歓喜だとか、そうした感情を宿してきらりと光っていた。
「君の【依存】っていう“個性”は、その証になるんじゃないのかな」
──そう、まるで光のようだった。
その金色の髪も、碧眼も。わたしに向けられた言葉も。
「……わたしの“個性”が、証に?」
「もしくは、
いつの間にか夜空は、大きな月に照らされて紺色に染まっていた。ひとつひとつ、それぞれの光を放つ星々を背に、彼は頷く。
「この超常社会は“個性”社会──“個性”至上主義社会ともいえる。ヒーローっぽい“個性”は讃えられ、そうでない“個性”は見下される。
そんな中で、どうだ? 誰より
悪どく高らかに笑ってみせた物間くんは、次いでその金糸を掻き上げた。ちょっと格好つけたようだけれど、その刹那、さらりと流れる髪の隙間から、彼の目元が垣間見えた。
それはいつかの過去を優しく見つめ直すような、そんな眼差し。
「少なくとも僕は、ただ高みから手を差し伸べられるよりよっぽど心に響いたね」
「高み……?」
「“何でも持ってる奴”から、そうだな、例えば──【君はヒーローになれる】って言われたところで、【そりゃあなただったらそう思えるだろうさ】って思うだけだろう?」
「それはちょっとひねくれすぎてるんじゃ……」
「ひねくれてる奴らは、このご時世いくらでもいるさ」
彼はわたしに向けて手を差し伸べた。そうしてゆっくりと、噛み締めるように口を開く。
「そんなひねくれてる奴らに、君だから声が届く。君だから手を伸ばせる。君だから救いになれる。──君だから持てる説得力だ」
──“わたしだから”。
彼の言葉を反芻して、暫く。ぽとんと落ちてきたそれは心に波紋を散らした。ゆらゆら波打って、揺れて、……溢れる。
「ハ……ハァ!? なんでこのタイミングで泣くんだよ!?」
「ち、ちが、……泣いてない……」
「いやそんなわけないだろ」
「これは、う、ん、そう……目から鱗というか……」
「君ってワケわからないことも言うんだね」
物間くんはため息をつきながら、わたしにハンカチを差し出した。それをお礼を言って受け取りながら、わたしはほろほろと笑う。
「びっくり、したんだよ。こんな“個性”だって知られたら、責められると思ってた。軽蔑されても仕方ないって、覚悟してたから。
……それなのに物間くん、“痛快だ”なんて、……“説得力”だなんて、言うんだもの」
ほろほろ、笑う。ほろほろ、溢れ落ちて輪郭を伝った涙がハンカチに吸い込まれていく。きっと今のわたしは頬どころか鼻まで真っ赤でぐちゃぐちゃだ。だからか物間くんは、ふっと、仕方ないなと言いたげに笑って、わたしの手からハンカチを取ってわたしの目元に押し当てた。
「わぶ、……物間くん?」
「言っただろ。僕と君の“個性”は似てるんだ」
ごしごし、やや乱暴にわたしの涙を拭き取って、彼は告げる。
「僕も、君も。清濁併せ呑んで、主役を喰って、最後の最後に舞台の中央で笑ってやるのさ!!」
“胸を張れ”。“堂々と笑ってみせろ”。
……ああそうか、それを物間くんはわたしに伝えたかったのかと、ようやく全てが腑に落ちて、わたしは眉を下げて笑った。この人は本当に回りくどくて、わかりづらいけれど、……根っから嫌な人ではないんだなと。
「……ふふ。じゃあ物間くん、もっと言葉を柔らかくしないとね」
「いや話聞いてた?? 清濁併せ呑むんだよ。真っ当に戦ってちゃ勝てな……」
「そのためとはいえ、わざとあなたが偽悪的に振る舞うの、やっぱり勿体無いよ」
そっと物間くんの手を両手でとる。その手が少し汗ばんで熱いことも、もう過度に恐れる必要がないことも、今この夜、わかったから。教わったから。
「だってわたし、今、物間くんの言葉で救われたんだよ」
息を飲む音は本当に微かだったけれど、わたしの羽根は拾い上げた。その後言葉にならない言葉が彼の口の中でもごもご転がっているのだって、聞こえる。伝わる。
「……。……、」
「あれ、……もしかして物間くん、照れてる?」
「……君は案外イイ性格してるね」
「ふふ、」
くすくす笑って、目を伏せた。肩を並べてどちらともなく歩き出す。寮への帰り道に響く2人分の足音に交えて、そっと言葉を紡いだ。
「……ありがとうね、物間くん」
「……ハッ、人のこと気にする前に、その泣きべそをどうにかしたらいいんじゃないのかなァ?」
「やっぱり一言多いんだよなぁ」
月が清かに輝いている。それは奇しくも、わたしの心を表すかのようだった。
「おやァ?」
「あ、」
「あら」
そうして一夜明けて、午前中の授業を終えた食堂。どこで食べようかとトレーを持ちながら視線を巡らせていたわたしは、物間くんと目が合った。視線が絡んだ先で、彼はかっと目を開けて口角を吊り上げる。
「なんだいなんだい空中さんお困りのようだね。席を先んじて取っておかなかったのかい、随分うかつじゃないか!」
「よかった物間くん、この向かい空いてるかな? 座ってもいい?」
「しょうがないなァ!」
「テンション高いね……」
きいん、と羽根を使わずとも鼓膜に直接響く元気な声に、わたしは隣の梅雨ちゃんに向かって眉を下げる。
「梅雨ちゃんごめんね、食べるのここでもいい?」
「“ここでも”ってなんだいその言い草は!」
「もう本当にそのままの意味だよ」
「……ふふ、」
「梅雨ちゃん?」
再び梅雨ちゃんに視線を戻せば、彼女はにっこりと微笑んでいた。きゅっと笑みのかたちに結ばれた唇が、柔らかにほころぶ。
「よかったって思ったのよ。何だか前よりずっと、仲がいいみたいで」
「フム、【雨降って地固まる】というやつだな!」
仲良きことは美しきかなだな!、そう言って快活に笑う飯田くんも、そうだなとクールに頷く轟くんも、そうだといいなぁと苦笑する緑谷くんとお茶子ちゃんも揃って席に着く。わたしも梅雨ちゃんと席に着くと、はす向かいから泡瀬くんがひっそりと声を投げ掛けてきた。
「いや空中マジで大丈夫か。雨降りすぎて土砂とか崩れてない?」
「地固まるどころじゃなかったら言えよな」
「流されちゃヤバいぞ特に物間の場合は」
「早めの処置が必要だからな」
「君らは僕のこと何だと思ってるのかなァ!?」
「こら、あんまり騒がしくしない!」
泡瀬くんから始まり、回原くん、円場くん、鱗くんと続いた言葉にツッコミを入れる物間くんに、軽くチョップする拳藤さん。A組もB組も一緒になってワイワイしてるのを見るのは林間合宿ぶりだなあ、なんて。そんなことを思い出していたその時。
「随分と賑やかだねぇ!!」
「えっ」
「「「ギャーーー!!??」」」
何の前触れもなく机の真ん中に人の顔が浮かび上がって、その場は驚愕に満たされた。叫び声を上げる人、立ち上がりざま椅子を蹴倒す人、びっくりしすぎて息を飲む人……色んな人のリアクションの真ん中で笑う彼の、そのくりっとした丸い目を知っていたから、わたしは呼吸を整えて向き直った。
「とっ、通形先輩……こんにちは……」
「こんにちは! いやァいいリアクションが返ってきて漲っちゃうよね!」
「いきなり顔がにゅって出てきたらびっくりしちゃうわ」
「アハハごめんね! まァびっくりすると思ってやってるんだけどね!」
「この人なんなんだ……」
通形先輩はまたハハハ!と笑って、それからわたしの方を見た。つぶらな目が、柔らかく弧を描く。
「元気、出たかい?」
「……はい!」
「そりゃよかった!」
元気とユーモアが無い社会に、明るい未来はやって来ない!
そう豪語した先輩は、またみんなの方を向いて賑やかに話し出した。虚を突かれたみんなの視線も先輩に吸い寄せられているから、
「……ね、物間くん」
この隙に、と思って、わたしは向かいに座る物間くんに呼び掛けた。彼の視線がこちらに向いたのを確認して、わたしはハンカチを差し出す。
「昨日のハンカチ返すね。改めて、ありがとう」
「……わざわざアイロンまでして律儀だね」
「お礼だもの。このくらい当然だよ」
フン、と鼻で笑うのはもう彼の癖なんだろう。素直に笑えばいいのになあと思う一方で、彼らしいなとも思えてしまうから、わたしもくすくす笑っていた。
「フゥン、なるほどね!」
「わっ!?」
「っ、なんなのかなァこの人!?」
と、その時。またもや通形先輩のお顔がわたしと物間くんのすぐ傍に現れる。にゅっと覗いた彼は、物間くんに向かってウンウンと頷いた。
「いや物間くん、俺はてっきり君のこと雄英の負の面か何かだと思ってたんだけど、ちょっと違うみたいだね」
「ふ、負の面……」
「ハハハほんとに何言ってるんだろうねェこの人ォ!!」
物間くんの反応からして初対面のはずなのに、先輩は随分グイグイ攻めるなあと苦笑するわたしに、ちょっとやけくそ気味に笑う物間くん。だいぶカオスな状況なのだけれど、その状況を生み出した張本人はどこか満足げだ。
満足げに笑って、頷いて、口を開く。
「……やっぱりね。俺は、君たちはそんなに弱くはないと思ってたんだよね」
「? 先輩……?」
彼がぽつりと呟いたそれは、食堂の喧騒にほとんど呑まれていて、わたしの羽根でようやく拾えたぐらいの微かな声だった。小さく、けれど揺らぎのない、芯のある声。
そうして彼は再びそのつぶらな瞳で、わたしたちをしっかと見据えた。
「ねぇ空中さん、物間くんも──インターンって知ってるかい?」
通形先輩の口にしたその言葉が、これからの大きな転機になることを、わたしたちはまだ知らない。
81.少女、地固まる。
更新速度毎度死んでいますどうも(白目)何だか最近は1ヶ月更新がデフォルトになりつつありますね……筆の進まなさに心折れそうになるたび皆様の閲覧、感想、評価等々に力を頂いています。本当にn度目ですが毎回大感謝しております。
今回は物間くんのターンがめいっぱい書けて個人的に満足です!彼は言動がアレ過ぎて対人関係で未熟なところはあるのですが、根っこまで悪人ではないと思うんですよね。自分はそう思うので物間くんが好きです。だからこのssではオリ主の“個性”の真相に初めて気づき、オリ主の意志に肯定し、可能性を広げるというキーパーソンになってもらいました。彼が示した【オリ主だからこその説得力】はこれから大切に扱っていきたいテーマです。
オリジナル展開が続く【雄英新生活編】ですが、あと2、3話ぐらいでとどめたいと思っております。またお付き合いいただければ幸いです。