【依存】から始まるヒーローアカデミア   作:さかなのねごと

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83.少女、とある日曜の午前にて。

 

 

 ──()が昼なのか夜なのかもわからない。ただじっとりと重い暗闇が、横たわるわたしの上にのし掛かっている。

 

(……夏の、はずなのに、)

 

 燦々と輝く陽光がもはや懐かしい。肌を焼いたあの暑さはどこへやら、今は噴き出す冷や汗にまみれて寒いぐらいだ。なのに身体は消えない熱を訴えている。塞がらない傷跡が、流れる血が、痛みが、生命のアラートを声高に叫んでいる。

 堪えなきゃ、耐えなきゃ、といつもの癖で胸元を握り締めようとして、その指先が空を切った。当たり前だ。だってもうそこには何もない(・・・・)のだから。

 

(……ッ)

 

 削がれた指なのか、断たれた腱なのか、引きちぎられた羽根なのか。……もうどこがどう、痛いのか、なんて、

 

『君はとても、我慢強いね』

 

 伸ばされた手に身動ぐことすらできないで、わたしはぼうっと見つめた。悪魔の嗤う口許が見える。この声に従って、縋ってしまえば、この苦痛を終えられる。そうすれば楽になれるとはわかっていた。

 けれどもうその道は捨てた。天秤の皿から擲ったのだ。

 今がいつなのか、昼なのか夜なのか、暑いのか寒いのか、どこがどう痛いのかなんて、何もかもわからないわたしが、唯一心に据える“大切”。

 

(……ホークス、)

 

 わたしの、原点(オリジン)

 

(ホークス、ホークス、……啓悟くん)

 

 その名前を心に唱えるだけで、“大丈夫”になれる。どんなに痛くても、苦しくても、辛くても、……もう何もかも擲って終わってしまい苦痛でさえ、“どうでもいい”と耐えられる。

 どうでも、いいの。わたしなんて、

 だから“大丈夫”、“大丈夫”、だいじょうぶ──

 

 

 

 

「──!」

 

 はっと目を開けると、無意識に詰めていた呼吸もほどけた。からからになった喉からは、と掠れた息が漏れる。

 

「……夢……」

 

 ベッドの上に上体を起こせば、背中を冷えた汗が流れた。軽く身震いして顔を上げる。まだ少しぼんやりとする視界を瞬きでクリアにして、わたしは自室を見渡した。

 雄英高校の全寮化に合わせて、元々住んでいたアパートは解約した。そこで使っていた家具を数点──それこそ元々寮にベッドや勉強机、クローゼットや棚は備え付けられていたから──本棚やテレビ、パソコン、カーテンを持ち込んだだけの部屋。リカバリーガールに借りたり紹介されて購入したりした医学書や参考書の他には、大した私物は置いていない。そんな自室と、そこにちゃんとわたしがいるということを自覚して、ベッドサイドテーブルに置いてある時計を見た。……うん、ちゃんとわたしは、日常の中にいる。

 

「……よし、」

 

 “大丈夫”。“大丈夫”。

 まだ少しざわめく心臓を深呼吸で宥めすかして、わたしはベッドから起き上がった。冷や汗で気持ち悪いけれど、どうせなら朝の日課を済ませてからまとめてシャワーを浴びてしまおう。そう決めて体操服に着替えたわたしは部屋を出た。隣室の梅雨ちゃんを起こしてしまわないように、そっと足音を忍ばせてエレベーターに乗り込む。

 

 談話室を抜けて外に出れば、まだひんやりとした朝の空気がわたしを出迎えた。昇り始めた朝日にぐうっとひと伸び。体操をした後、わたしはランニングを始めた。

 寮生活になった経緯もあって、学外に出るには申請が必要になる。けれどこの広大な雄英高校の敷地内であれば自由にしていいとの言葉から、わたしは毎朝こうしてランニングを続けていた。ヒーローは身体が資本。特にわたしは【自己再生】のエネルギー量を高めるためにも体力づくりは欠かせない。それにこうやってただ走る間は頭で別のことを考えられる。今の自分の弱いところを、どうすれば改善できるのか。必殺技、体裁き、今日これからわたしがやるべきこと、昨日やった医学の勉強の復習──などなど、色んなことを頭に浮かべて走っていた時だった。羽根が横道から近づいてくる足音を拾う。その足音がわたしの隣に並んで、彼の緑色の目が驚いたように丸く、それから柔らかに笑う。

 

「緑谷くん、おはよう」

「あっうん、おはよう空中(そらなか)さん……!」

 

 少し弾んだ息と流れる汗を見るに、緑谷くんはどうやらわたしより先に走り出していたらしい。それに感心の息をつきつつわたしは首を傾げた。

 

「早いね……、ランニング、日課なの?」

「うん、ちょっとでも体力つけなきゃだし」

 

 緑谷くんはいつものように優しく笑う。

 

「今のままじゃ、ダメなんだ」

 

 いつものように(・・・・・・・)と、そう思ったけれど、ほんの僅かに引っ掛かりを覚えた。くしゃりと笑うその笑顔も声も優しいけれど。確かに優しい、彼のものだけれど、

 

「……もっと、強くならないと」

 

 その眼差しだけ、どこか凄みを帯びて見えた、なんて。……きっとわたしの気のせいだ。だって緑谷くんはもういつもの(・・・・)ように優しく、どこか照れ臭そうに微笑んでいる。

 

「そう、なんだ。……お互い頑張ろうね」

「っうん! あ、僕こっちのルートに行くつもりだから……」

「うん」

 

 “またね”と手を振り合って、その背中を見送った。小さくなっていく。遠ざかっていく。立ち止まるわたしから遠く離れ、見えなくなっていく。それは彼が走っているから当たり前のはずなのに、何故だか心の端がざわめいた。

 

「……どうして?」

 

 どうしてわたしは、“わたしも同じ気持ちだよ”と、言えなかったのだろう。どうして緑谷くんのことを、あんな──

 

 

 

「空中?」

 

 空から降ってきた声に、はっと我に返る。顔を上げるとそこに、黒影(ダークシャドウ)に抱えられて空を飛ぶ常闇くんの姿があった。

 

「と、こやみくん。おはよう、どうかした?」

「? いや、お前こそ」

「コンナトコデ何ボーットシテンダァ?」

「ぼーっと……えと、うん、ちょっと休憩」

 

 誤魔化すようにへらりと笑うわたしに、常闇くんと黒影(ダークシャドウ)は揃って首を傾げる。何だかそれが兄弟みたいで可愛くて、思わずふふと笑みを溢すわたしに、また2人はこてんと逆方向に首を傾げた。

 

「ならいいが、体調が悪いわけではないのだな?」

「うん、もちろん……! 元気だよ」

「ホーン? ジャアヨウ、キョーソーシヨーゼキョーソー!」

「きょーそー?」

 

 きょーそー、きょうそう、競争、……頭の中でその単語に変換し終えた頃、「こら」と黒影(ダークシャドウ)を宥めていた常闇くんと目が合った。ぱちりと互いに瞬きひとつ。そうして、

 

「ね、黒影(ダークシャドウ)。競争って速く飛べるかどうかってこと?」

「、空中?」

「ソーダゼ! オレラとソラ、ドッチガ速ェーカ勝負ダ!!」

「ふふ、……だって、常闇くん」

 

 そうして彼に向かって笑みを深めた。それを見た常闇くんははじめ戸惑うように沈黙していたけれど、……すぐにフッとクールに微笑んでみせた。その赤い目が強い意思に洗われ輝く。

 

「フン……成る程。我らは共に空翔る同胞(はらから)……」

「同胞」

「いいだろう、共にその翼を高めんとするならば、俺に断る道理など皆無」

「皆無かぁ」

 

 常闇くんの言葉遣いはたまに独特だけど、それでも彼の言いたいことはよく伝わる。“一緒に頑張ろう”って、思ってくれている。

 それが嬉しくてわたしも笑って、強く地を蹴って羽根をはためかせた。空中に飛び上がり、常闇くんと黒影(ダークシャドウ)の横に並ぶ。

 

「どこをゴールにする?」

「そうだな……寮までにするか。もう朝食の刻まで僅かだ」

「オレラガ勝ッタラオカズ1個寄越セヨナ!」

「ええ……それは負けられないなぁ」

 

 寮の食事は学食同様、クックヒーロー・ランチラッシュが監修している。朝と晩に寮に届けられる朝食と夕食は、和食か、洋食か、はたまた別のメニューか。大体3種類のメニューから好きなものを選べるようになっている。それはどれも本当に絶品で、頬っぺたが落ちそうで……っと、思考が飛んでしまった。

 とにかくだ。食事のためにも強くなるためにも、一緒に頑張ってくれる常闇くんのためにも、簡単には負けられない。

 

「じゃあ3つカウントしたらスタートでいい?」

「了解した」

「オー!」

「うん、じゃあ3、2、1──!」

 

 0、を唱えた瞬間にぐんと大きく羽根を羽ばたかせた。びゅうびゅうと吹き付ける風に目をすがめれば、その傍らを常闇くんと黒影(ダークシャドウ)が追い越していく。振り向き様にわたしを見る彼らと、目が合った。

 

「どうした空中、お前の力はその程度か?」

「っ、そんなこと、ないよ!」

 

 雨覆で背中を押して推進力を出す、羽根の傾きを調整して風を最大限に受け止めて──これまで学んできた飛び方をなぞれば、より速い風の中に包まれた。あっという間に地上の景色が後方に流れていく中、追いつき、追い抜かれ、また追い越し。それが時に嬉しくて時に悔しくて、どうあっても心が浮き立つのは抑えられないから。

 

(……また、こうやって、)

 

 常闇くんと黒影(ダークシャドウ)と一緒に、あの人を追いかけられたらな、なんて、そんなことを思った。

 

 

 

 

 

 そうして寮に帰り着き、シャワーを浴びて朝ごはんを食べたわたしは、再び寮の外に出ていた。もう随分と太陽は高く昇り、燦々と陽射しをわたしたちに注いでいる。

 

「とおりゃあああ!!」

「よ……っと!」

 

 そんな真夏の光の中に、可愛い、けれど気合いの入った掛け声が響く。声の主である透ちゃんが身体を大きく傾け、捻り、放った上段回し蹴りを受け止めて、尾白くんはうんと頷いた。

 

「そうそうそんな感じ。姿勢に慣れてきたのかな、安定して蹴りが出せるようになったね、葉隠さん」

「えへへ! そうかなぁ」

「そうだよ! だってそんなに身体を傾けてるのに、軸がぶれてなかったもの……!」

「えー? むふふ、照れちゃうなあ」

 

 尾白くんとわたしが力説すれば、葉隠ちゃんはにっこり、そんな声で笑ってぴょんぴょん跳び跳ねた。軽やかに伸びやかにジャンプする彼女は元から身体が柔らかったこともあり、尾白くんから教わった武術を順調に自分の物にしている。

 

 カポエイラ。その起源は諸説あるけれど、一説にはある奴隷たちが看守にばれないようダンスのふりをして修練した格闘技だといわれている。手枷をされていた奴隷が、その拘束を解かれないまま編み出した武術なので、足技を中心に発展していったのだと。

 

『透ちゃんは【透明人間】だから、スニーキングに秀でてる』

『うん、まあそれは、』

『それだけじゃない。相手に視認されないってのは、戦闘にも活かすことができるよ』

『へっ?』

 

 つい先月のことなのに、何だかもう随分前のことのように感じるけれど──あの林間合宿の始めに駆け抜けた魔獣の森。ピクシーボブの創り出す土魔獣に対し“戦闘では私は何もできない”と落ち込んでいた透ちゃん。そんな彼女に“それは違うよ”と伝えたくて、わたしと尾白くんは言ったのだ。

 

『確かに! 葉隠さんって身体も柔らかいし、バランスもあるし、足技なんかいいんじゃないかな。ホラ体育祭のチアの時、すごい体勢で飛び跳ねてたし』

 

 そうして寮生活が始まってから、合間を縫って透ちゃんは尾白くんに先生になってもらい、こうして足技中心の武術──カポエイラを特訓していたそうだ。彼らの組み手を今日初めて見学させてもらったわたしだけど、尾白くんの武術のチョイスは的確だなあと感嘆の息をついた。

 透ちゃんの“個性”は【透明人間】。攻撃の挙動を相手に視認させないということは、相手のガードを掻い潜って攻撃を当てたり捕縛したりするのに役立つ。そこにカポエイラという、躍りを軸にしたアクロバティックな動きが合わされば、余計に相手は透ちゃんの動きを読むことができなくなるだろう。

 透ちゃんは今サポート会社に相談して、彼女の毛髪から作ったコスチュームを開発してもらっているらしい。“個性”に呼応して【透明化】するコスチュームを身に纏えば、透ちゃんが以前言っていた『新生インビジブルガール爆誕』の日もそう遠くないはず。……そう考えているとふいに透ちゃんが隣に肩を並べ、こつんと優しくぶつかりながらわたしにスマホの画面を見せた。

 

「ねえねえ愛依(あい)ちゃんこの動画見て! カポエイラに“フォーリャ”って蹴り技があるんだって」

「わっ、すごい動き……! 空中で1回転しながら四方八方に蹴り繰り出してる」

「ね! こんなんできたら格好いいよねぇ! ……あっでもそうだ、愛依ちゃんできるんじゃない?」

「へっ」

 

 ……透ちゃんが何だか目と表情をきらきらさせてこちらを見ている気がして、わたしは上手く言葉を継げずに固まる。そんなわたしたちを見てか尾白くんが笑った。柔らかい声で尋ねてくる。

 

「空中さんは羽根の遠距離攻撃を主軸にしてる印象があるけど、格闘技はあまり視野に入れてなかった?」

「えっと……そうだね、一応授業で習うぐらいの護身術は身に付けてるつもりだよ」

 

 雄英の授業で、というより公安での訓練で、一通りの体裁きは身に付けるようにとの指示はあった。羽根を射出して攻撃する他、風切羽を剣のようにして戦うというホークスの前例もあったから、わたしもそうした訓練を受けたことはある、けれど。

 

「でも上手く体重が乗らなくて、だったら遠距離に絞って戦闘スタイルを定めた方がいいかなって……」

 

 わたしの訓練結果を見た指導係さんが、そう判断を下した瞬間を覚えている。自分はホークスほど優秀じゃないから仕方ないかという諦めの気持ちと、自分への不甲斐なさも、悔しさも、じわりと心の端に染み着いている。でもそんなことを言うわけにもいかないから、わたしはへらりと笑ってみせた。尾白くんはというと、そんなわたしに不思議そうに目を瞬かせて、それからはっと声を明るくした。

 

「そうだ空中さん、重さが足りないのなら、重力を使うとかは?」

「、重力……?」

 

 首を傾げるわたしに、そう、と尾白くんは声を重ねる。

 

「俺もこの尻尾があるから、やっぱ攻撃とか防御とか移動とかにも尻尾を頼っちゃうんだ。それでこの前エクトプラズム先生に『尾があるならこう動くだろう』という動きだって、読まれやすいって言われちゃったんだよね」

 

 はは、と頬をかく尾白くんは、けれどそこで諦めることはなかった。それから“尾に頼ることを止める”のではなく、より“尾を生かした武術”に焦点を当てて戦闘スタイルを磨き直したのだと。

 

「俺の“個性”が【尻尾(コレ)】であることに変わりはない。だったら俺の強みも【尻尾】だ。【尻尾】があるからこそ不安定な場所でも活動できたり、手数を増やせたりするように……空中さんには空中さんの、【翼】がある強みがあるはずだって俺は思うよ」

「羽根がある、強み……」

 

 真摯に説かれた言葉を受け止め、思案に沈む。わたし自身の力が足りないならば、重力を──飛行能力があるからこその力を加える。そうすればまた新たな道が開けていく気がして、わたしはぱっと顔を上げた。目と目が合ったその先で、尾白くんが肯定するように笑って頷く。そしてやり取りを見守っていた透ちゃんもまた明るく声を弾ませた。

 

「いいねいいねぇそれ! ねえ愛依ちゃんっ、私と一緒にキック技開発しよー!」

「、……ふふ、キック技かぁ、格好いいかも」

「でしょ! 愛依ちゃんは風とか鳥に関係する名前を必殺技につけてるでしょ? だから……そうだな……キックが得意な鳥……あっっっ“ヘビクイワシキック”とかどう!?」

「……えと、うん! そうだね“ヘビクイワシキック”……強そう……!」

「言いたいことあるなら言った方がいいよ空中さん……」

 

 そんな風にあれはどうだこれはどうかと話し合いながら、尾白くんに立ち回り方を教えてもらいながら、3人で暫く近接戦闘の特訓をしていた。動きを習っては組み手をして実際に確認して、改善点を指摘し合っては実践を繰り返す。九月の始め。まだ残暑もきつい陽射しの中、動けば動くほど蟀谷に汗が伝い、じわじわと上がる気温が体力を消耗させていく。

 

「はーっ……疲れたあ」

「水分補給……っていっても、手持ちのは全部飲みきっちゃったね」

「そうだね、それなら……」

 

 じゃあ自販機にでも買いに行こうか、という尾白くんの提案に諸手を上げて賛成し、わたしたちは休憩も兼ねて自販機を目指した。雄英高校の敷地は膨大であり、その各所に自販機が設置されている。現在地から一番近いのはこの林を突っ切った方が早そうだとあたりをつけ、歩道を外れ歩いていった。さわさわと揺れる木々の葉がさざ波のように歌い、涼しげな木漏れ日を注いでいる。照りつける暑さが和らいだからか、どこか上機嫌にスキップする透ちゃんに微笑んでいた時だった。

 

「……?」

 

 透ちゃんのその向こう、目指していた自販機の隣に、見覚えのある姿があった。逆立った紫髪の毛先はほぼ自販機と同じくらいで、上背のある男子生徒だ。その半眼になった鋭い目つきとやや濃い隈は、間違いない──

 

「……あっ」

「んん? どうしたの愛依ちゃ、んっ?」

「葉隠さんまでどうし、……!?」

 

 わたしの反応に不思議がった透ちゃんと、その透ちゃんに首を傾げた尾白くんも、揃って()に視線が釘付けになる。

 

「……心操くん!」

 

 そんな()、心操人使くんはといえば……何とも言えない表情をしてわたしたちを見つめ返した。クールなポーカーフェイスは体育祭でも今までも見かけたものだけれど、きゅっと結ばれた口許はどこか気まずそうな雰囲気を帯びている。その反応は気にかかったけれど、呼び掛けた以上挨拶はしたい。わたしは彼の前に進み出た。

 

「こんにちは、心操くん」

「どーも」

「体育祭の人だ! こんなとこで何してたの?」

「……べつに、特に何もないけど」

 

 透ちゃんの問いにそう素っ気なく返すけれど、日曜日の真っ昼間、こんな校舎からも校門からも寮からも遠い林の中でひとりでいるのは“何もない”では通らないだろう。しかもわたしたちと同じく体操服姿で、汗だくで、……それに何より、彼が片手で隠すように持つ“それ”が目を引いた。

 

「……ひょっとして、捕縛布の練習をしてたのか?」

 

 心操くんが“それ”──捕縛布を持つ手に微かに力が籠る。それが何より雄弁で、わたしは納得とともに頷いた。

 

「なるほど、確かに相手の動きを止めたり動揺を誘ったりする捕縛布は心操くんの“個性”とも相性がいいね……!」

「……まだ、ただの付け焼き刃だよ」

「いや付け焼き刃とかじゃないでしょ、その指の痕」

 

 尾白くんの指差す先を辿って見ると、心操くんの指には幾つかの痕があった。固く、重量のある捕縛布を操ろうとして擦れた傷痕に、彼の努力の跡を知る。

 

(……心操くんは、)

 

 あの体育祭の後、どういった話があったかまではわからない。それでも彼はわたしたちの知らないところで、着実に修練を重ねていたのだ。

 わたしはひとつ断って、心操くんの手を取る。いつかの時とは違う、固く厚くなった手のひらに、労るように治癒の力を込める。

 

「そっか、……いっぱい頑張ってたんだね、心操くん」

「……そっちこそ、」

「うん?」

 

 塞がっていく傷痕を見つめながら、どこかぼんやりと心操くんは呟いた。ぼんやりと、……眩しいものを遠くから見上げるような、そんな声で。

 

「……ヒーロー科でも……いや、ヒーロー科だからか。特訓なんて当たり前にしてるんだな」

 

 ──凄いなァ、と。そこでようやく心操くんは笑った。笑ったとはいっても本当に微かに口の端を持ち上げて、目を細めるだけ。それでもその仕草に万感の思いが込められてる気がして、わたしは肯定も否定もできずに口をつぐんだ。

 黙り込むためではなくて。そのまま踵を返そうとする心操くんに、もっと言うべきことがあると思ったからだ。

 

「っあ、あの! ちょっと、いいかな?」

「……何、いきなり」

「ご、めんなさい……でもその、心操くんは捕縛布の扱い方を、わたしたちは近接戦闘のやり方を課題にしてるなら、一緒に特訓するのはどうかなって」

「……は?」

 

 わたしの唐突な提案に対し、反応は三者三様だった。信じられないように、或いは胡乱げに目を細める心操くんに対し、透ちゃんは拳を握って空に突き上げる。

 

「あ、それいいかも! やろやろやったろ!」

「いやなんで。俺と組み手したところでそっちに、……ヒーロー科にメリットないでしょ」

「いや、……あるよ」

 

 そして尾白くんは、静かに頷いた。その真っ直ぐな目に、わたしはいつかの時を思い出す。

 

 

 

『俺、辞退します』

 

 今年の雄英体育祭。決勝戦トーナメントの組み合わせを決める直前、尾白くんはそう宣言した。プロに見出だされるかもしれない、大切な将来がかかった場面で辞退する──その重さをわかった上で、彼は決断したのだ。

 

『みんなが力を出し合い争ってきた座なんだ。こんな……こんなわけわかんないままそこに並ぶなんて、俺にはできない』

 

 グッと握った拳を見つめながらそう言った尾白くんに、迷いはなかった。“わけわかんないまま”──心操くんの【洗脳】で意識を失い操られていただけの自分は、決勝には上がれない、上がらないと。

 ……そう宣言する尾白くんに、心操くんはどんな思いでいたのか。

 

 

 

「……何」

 

 そして今、どんな思いでいるのか。

 心操くんは尾白くんを見つめ返す。その表情はいつもの仏頂面のようで、常よりずっと強張っているようにも感じた。

 わたしは彼と長い時間を過ごしたわけでもないし、多くの言葉を交わしたわけでもない。彼のことを理解しているなんて大それたこと、口が裂けたって言えない。……それでも心操くんの紫の瞳に、どうしようもない感情が滲んでいるのではないかと思ってしまう。

 

(どうか、……わかってくれたらいいな)

 

 尾白くんは心操くんを責めていない。今だって勿論、あの体育祭の時だって。

 ──尾白くんが辞退するのは本人の言う通り、彼の気持ちの問題であって、“個性”を使って勝利を目指した心操くんを責めてるわけじゃない。彼が“嫌だ”と言っているのは、“何もできなかった自分”に対してであって、“何もさせてくれなかった心操くん”ではない。

 

 それをきっと、わたしだけじゃない。……尾白くんもわかってほしかったんだ。

 

「……俺はすごく、“普通”って言われることが多くてさ。多分そこまで、言葉とか行動とかが、人の予想を超えることがないんだと思う」

「……? 何言って……」

 

 へら、と眉を下げて笑う尾白くんに、てっきり責められると思っていたのだろう。虚を突かれて心操くんは瞳を揺らした。そんな彼の視線を捉えて、尾白くんは続ける。

 

「だからほら、上手く言えないんだけど……心操の“個性”はいい意味で予想外だったんだよ」

「皮肉か何か?」

「いい意味って言ったじゃん! いや、そうじゃなくて……、」

 

 どう言えば伝わるのかな、と眉をひそめて考え込むのは、心操くんにちゃんと伝わってほしいから。そうして彼は眉間の皺をほどいて、ふっと笑った。

 

「そういう“予想外”な心操と一緒に訓練することで、俺にも得られるものがたくさんあるって思ったんだ。

 だからこれは、そう……俺のために、心操にお願いしてるんだよ」

 

 駄目かな、と。そう言って差し出した手と、笑顔の尾白くんを見比べる心操くんの横顔は、今まで見たことのないものだった。

 

「……、」

 

 伏せがちなその目は大きく見開かれ、丸みを帯びている。そうしていると、何だか、いつもは大人びて見える彼が年相応に見えて、思わずふふ、と笑みが溢れた。同じことを思ったのか、わたしの隣にいる透ちゃんもこつんと肩をぶつけて吐息で笑う。

 そんなわたしたちの“微笑ましい”と言わんばかりの視線に気づいたのか、はっとした心操くんは次いでその目をむーっと半眼にした。……ああもう、拗ねているんだってことも、手に取るようにわかってしまう。

 

「……尾白ってどうしようもないお人好しでしょ」

「ええ!? なんでそうなる……!?」

「ふふーん! 違うよ心操くん! 尾白くんはねえ、普通に優しいだけなんだよ!」

「葉隠さんのそれも褒めてないよね!?」

 

「……むしろすごい褒め言葉だと思うけどなあ」

 

 一歩離れたところから、わちゃわちゃ話す3人を見守る。そうして羽根をはためかせれば、ほら、ぽつりと呟く心操くんの声を拾い上げる。

 

「……ヒーロー科って奴は、どいつもこいつも」

 

 それがあたたかい響きを纏ってることだって、よく、わかった。よかった、嬉しいなって、そんな気持ちで頬が緩むのを抑えられないでいた、そんな時。

 

「ねーねー愛依ちゃん! 2対2で組み手してみない?」

「あ、いいね。じゃあ……、?」

 

 そんな時。ふと視界の外れに人影を見つけてわたしは息を飲んだ。1人は上下黒のコスチュームに首元には捕縛布……相澤先生だろう。そしてその傍らに微かに見えたのは、草臥れた、スーツ姿の……、

 

「……あの、人は、」

 

 ──目良さん?

 その名前はすんでのところで飲み込んで、わたしは目を見張る。けれど目良さんらしき人はそのまま遠くの木陰に姿を消した。後はただ、いつものようにポケットに手を突っ込んだ相澤先生がこちらに歩いて向かってくるだけ。

 

「……なんだお前たち、一緒にいたのか」

「……、イレイザー」

「あっ相澤先生だ! あのですね、」

「、すみません、相澤先生」

 

 ……思いがけず透ちゃんの言葉を遮る形になってしまった。謝罪と断りを入れて、改めてわたしは相澤先生に向き直る。

 

「今さっき、どなたかとご一緒でしたか?」

「……いや? 俺ひとりだが」

「……そう、ですか。……すみません、見間違えでした」

 

 本当なのか、そうでないのか。どちらにしろ先生はわたしに伝えることはなさそうだ。……何故、目良さんが雄英にいたのか──思考に浮かんだ生成り色を拭い去って、目の前の会話を見守ることにする。

 相澤先生は明るい声で「一緒に組み手しようって考えてたんです!」と報告する透ちゃんと頷く尾白くん、そしてどこかそわそわと居心地悪そうに視線を逸らす心操くんを見渡して、フッと口角を吊り上げる。

 

「いい試みじゃないか。近接戦闘に優れた尾白、【透明人間】で位置をほぼ視認できない葉隠、そして空を飛び回り逃げられる空中。この3人を捕らえることができたら捕縛技術の向上に繋がる」

 

 先生が話し終えるか終えないか、そのタイミングでひゅッと空気が裂かれる音。真っ直ぐわたしに向けて飛んできた捕縛布を急上昇して避け、追ってくるそれを羽根で弾き返す。

 

「こんな風にな」

「いっ、いきなりはびっくりします……!」

「実践に“待った”は存在しない」

 

 いやそうですけど、なんて言う暇もなく再度飛んでくる捕縛布を避けている間に、尾白くんも透ちゃんもそれぞれ構えを取った。一拍遅れた心操くんもまた捕縛布を手にしたのを見てとって、相澤先生は口を開く。

 

「──“できることは全て、やっていきたい”」

 

 そうだったな、と小さな声でそう言って、相澤先生は目を細める。それからわたしを見据えて、ほんの微かに瞳を揺らした。

 

「……? 先生?」

「……そうだな、お前たちの出来得る全てで強くなってみせろ」

 

 そうして先生は笑った。どこか、何か飲み込んだような──けれどあたたかな光を、その目に乗せて。

 

PLUS(プルス) URTLA(ウルトラ)。……乗り越えてこい、ひよっこ共」

 

 

 

 

 

 そして正午。真上に昇った太陽から逃れるべく、わたしたちは昼食を摂りに屋内へ戻った。本来日曜日は寮で昼食が用意されるのだけれど、今日は所用があって。わたしは寮へ戻る尾白くんと透ちゃん、相澤先生と心操くんと別れて校舎に入った。平日とは違いしんと静まり返った廊下は、茹だる暑ささえ遠く感じる。相澤先生のしご、……特別授業を経てふらつく足を何とか動かし、仮眠室へと向かった。

 コンコンコン、とノックすると、中から穏やかな声が返ってくる。

 

「空中です。失礼します」

「ああ、よく来たね」

 

 お入り、とわたしに促してくれたのはリカバリーガールだった。そして部屋の中央に座っていた人物もまた、にこやかに笑って顔を上げる。

 

「やあ空中少女、来てくれてありがとうね」

「、いいえ、わたしの方こそお時間を頂きありがとうございます」

 

 ローテーブルにはサンドイッチが広げられている。ふわふわのタマゴサンドに、瑞々しいレタスやトマトの彩りが綺麗だ。可愛らしいランチボックスに詰め込まれたそれらは、目の前で紅茶を入れる男性──オールマイト先生が作ってくださったのだそうで。

 

「すみませんオールマイト先生、お昼ごはんまでご馳走になってしまって……」

「いやいや! 今回の話は私の都合なんだから気にしないで。それより張り切って作りすぎてしまってね、たくさん食べてくれると助かるんだよ」

「……ふふ、ありがとうございます。どれもすごく美味しそう……!」

 

 痩せきって落ち窪んだ眼窩の奥で、ぱちんとウインクがひとつ。それが茶目っ気溢れるというか、可愛いというか。壮年の男性にこんなことを言うのはおかしいのだろうけれど、それでも思わず笑みが溢れる。こんな仕草ひとつで、わたしの心を軽くしてくれる。

 

(……、でも、)

 

 そうして始まったわたしとオールマイト、リカバリーガールの昼食会。オールマイト特製のサンドイッチに舌鼓を打ちつつ、何でもないような世間話に花を咲かせて。時にリカバリーガールの小言が飛んでオールマイトが汗を浮かべることはあるけれど、それでもとても、和やかな時間だ。

 

 ──だからこそ、わかることがある。

 

 これまでトップヒーローとして活躍してきたオールマイトが摂るには、あまりにも少ない食事量。一口の小ささ。何回も、何回も、ゆっくりと咀嚼するスピード。慎重に嚥下する喉の動き。

 

(胃を摘出された方の、食べ方だ)

 

 そしてそれを流れるように、ごく自然と、当たり前のように行うオールマイトの姿に、嫌が応にも気づかされる。

 この人はずっと前からこうだった。胃がないという状態に慣れきってしまうほど、この生活を、何年も続けてきたのだ。

 

「……? どうかしたかい、空中少女」

「っいえ、……タマゴサンドが、美味しいなって」

「本当かい? 嬉しいなあ、よかったらもっと食べて」

「はい」

 

 ──“気づけなくてごめんなさい”は、もう言わない。

 不甲斐ない過去にばかり目を向けてはいけない。そうして優しいこの英雄に、“気にしないで”って悲しく微笑ませるのはもう嫌だ。だからわたしは俯かない。顔を上げて、前を見る。

 今日わたしがこの場に来たのは、未来の話をするためなのだから。

 

 

 

 

「これが、オールマイトのカルテだよ」

 

 目を通しながらお聞き、とのリカバリーガールの指示に応え、受け取ったカルテに視線を落とす。彼の手術記録、検査記録、看護記録──そこに記された傷痕に息を飲みそうになって、慌てて平静を装った。

 

「オールマイトは6年前、AFO(オールフォーワン)と戦い、激闘の末に重傷を負った。度重なる手術で一命は取り留めたが、その際に胃袋は全摘し、呼吸器官は半壊している」

 

 リカバリーガールは、努めて淡々とその事実を口にしたから。だからわたしも努めて心を落ち着け、その事実を受け止めた。

 

「再建方法はルーワイ法……空中、知っているね?」

「はい。食道と小腸を吻合させるものです」

 

 彼の心臓を、狙ったのだろうか。左胸部のすぐ下を大きく抉り取った凄惨な傷痕は、オールマイトから多くのものを奪った。健康な身体、それまでの生活、ヒーローとしての活動時間──そんな状態を、けれど彼は公表しなかった。リカバリーガールが言うには“公表しないでくれ”と頼んだのだそうだ。

 

 “平和の象徴”は、悪に屈してはいけないと。

 

「……空中」

「、はい。リカバリーガール」

 

 そうして傷ついた身体をおして戦い続けてきたオールマイトに。そんな彼を【治癒】で支えながらも、……きっと今のように苦しげに眉を寄せて、ままならない気持ちを抱え続けてきたリカバリーガールに。

 

「あんたなら治せるかもしれないと、言ったね?」

 

「──はい」

 

 ──わたしは、わたしが成すべきことを。

 

「神野の事件が起きて、しばらく入院していたセントラル病院で……【自己再生】の“個性”について調べていただきました」

 

 セントラル病院で過ごした数日間の間、わたしは“個性”回復訓練も兼ねて他入院患者の治癒を行っていた。病院側は公安の要請を受けて、その治癒の様子、患者の身体の変化等を記録していたらしい。そしてつい先日、【空中愛依】宛にセントラルからの報告が届いたのだ。

 

「セントラルからの報告によれば、【自己再生】を発動することで、わたしはヒトの……イモリをも超える再生力を行使できるのだそうです」

 

 この地球に住まう生物の中で、特に再生能力に優れているもののひとつがイモリだ。イモリは心臓や脳、目、手足を切り取られても再生する。それは切断など何らかの刺激を受けた細胞が、成熟しきっていない細胞に変化するから。これを脱分化というのだけれど──これが神野を経た今、わたしの【自己再生】で起こっている。

 

「本来胎児でもない人間の細胞は脱分化せず、傷の再生にも限度があります。けれどこの“個性”はその限度を超える。発動によって細胞の脱分化を起こし、その細胞があらゆる組織や臓器へ変化できるまでの細胞操作を、ほぼ自動的かつ緻密に、速やかに行うことができるとのことでした」

 

 その細胞操作の精密性と回復までの速度、そしてわたしを含むどの患者にも後遺症が残らなかったことを見て、セントラル病院はこう結論付けた。

 空中愛依の“個性”によって、自分及び他者の欠損した内臓や組織に至るまでの治癒が可能である──と。

 

「ですから、……オールマイト先生」

 

 これまでわたしは、ヒトが自然治癒できる範囲を超えた傷や病を治癒できなかった。だからステイン事件の時、飯田くんのお兄さんの脊髄を治せなかった。それだけじゃない、わたしは気遣わせた、……彼に優しく、微笑ませてしまった。

 

 もうあんなことを繰り返したくない。

 もっとみんなを救える自分になりたい。

 “救けて”と伸ばされた手に“待った”を掛けたのだから、わたしはもっと、早く前に進まなくては。

 

 オールマイトのルーワイ法で吻合した食道と小腸を手術で切り離し、そこに【自己再生】と【譲渡】を用いて食道と小腸を繋ぐように細胞を操作し、胃を再生させる。……理論上は可能であると、セントラル病院からも認められた。

 

「──……、」

 

 日本最高峰の医療機関から太鼓判を押されたのだ。大丈夫。心配ない。“だから安心してほしい”と、わたしが言わなければならないのに。

 

「……ありがとう、空中少女」

 

 沈黙を破ったのは、囁くように優しげな、けれど強い声だった。緊張か、逡巡か。いつの間にか冷えきっていたわたしの手を、大きな手が包み込む。

 

「……君は聡い子だ。そしてそれだけじゃあない、医療について常に努力し、学んでいる。きっと私を治癒する方法を探る中でたくさんのことを考え、……不安になることもあったろう」

「……オールマイト、」

「すまないね。君に心労を掛けてしまった」

 

 わたしの手を取りながら、オールマイトは頭を下げた。いつも兎の耳のように跳ねていた特徴的なもみあげが、重力に従って垂れ下がる。

 そのつむじを見つめて、わたしはゆるゆると首を横に振った。震える舌が、情けない声音を紡ぎ出す。

 

「……ず、るい、です。オールマイト、先生」

「どうしてだい?」

「そうやってあなたは、わたしから謝る言葉を、とっていく……」

 

 この前もそうだった。あまりにも優しく、当たり前のように、わたしの心の重石を浚っていく。それが嬉しくて、有難い。けれど決してそれだけではなくて。やりきれない思いの行き場を探して彼の手を握り返した。

 

「わたしは、あなたを治したい」

「うん」

「本当に、……ほんとうに、そう思っているんです」

「うん、」

「でも、なのにわたしは、あなたを実験台みたいに……」

「それは違うよ、空中少女」

 

 嗜めるように名前を呼ばれるけれど、“実験台みたいに”というのは事実だ。いくらセントラル病院から後押ししてもらったとはいえ、わたしが欠損した他人の内臓を再生することは初めてで。生命活動に大きく作用する臓器に何かあればと思うと──もしもこの優しい人に何かあればと思うと──怖くて怖くて堪らない。

 

「……実はね、君の治癒の提案は、私にとって渡りに船だったんだよ」

「え……?」

 

 唇を噛んだその時だ。頭上からそっと降ってきた言葉に目を見開くと、そんなわたしを瞳に映して、オールマイトは柔らかに微笑む。

 

「最近とある人にね、“これからも生きてほしい”と、願われたんだ」

 

 ……“生きてほしい”なんて、オールマイト程の人なら当然のように願われているだろうに。それでも何故か、それが特別であるかのように彼は口にする。

 

「だから少しでも、できることは全てやって、命の火を絶やさずに──足掻くと決めたよ」

 

 彼の瞳の奥で、追憶の光が滲む。それはひどくあたたかで、けれど真摯な決意の色をしていた。

 そうして彼はわたしを見据える。“だから”、と微笑む。

 

「空中少女。私を、救けてくれるかい」

「……っもちろん、です。そんなの、当たり前です……!」

 

 “平和の象徴”。存在そのものが犯罪の抑止力とされるほどに、圧倒的なヒーローで在り続けてきた人。傷ついた身体を引き摺って、それでもみんなを守るために立ち続けてきた人。明るい未来を築くために、痛みや苦しみを笑顔の裏に隠し続けてきた人。

 そんな人が例えば、好きなものを好きなだけ食べるとか、吐血することなく大声で笑うとか、そんな些細な生活を諦めなきゃいけないなんてあり得ない。……いや、

 

(有り得ては、いけない)

 

 そんなことが起こらないようにこの力を正しく使うのだと、決めている。

 だから声を上擦らせながらも“当たり前”と宣言したわたしに、オールマイトはびっくりしたように肩を跳ねさせた後、「そうかあ」と眉を下げて笑った。

 

 

83.少女、とある日曜の午前にて。

 

 


 

 本当はこの日曜日の話で書きたいことはもっとあったのですが長くなりすぎたので午前と午後で分けます……ぐだぐだ書いちゃうのはそうなんですがA組の子たちといっぱい色んな話をさせたいという気持ちが抑えられませんでした。

 今回は①緑谷くんの“救けたい”という気持ちの強靭さ、②常闇くんと黒影と追いかけっこ、③葉隠ちゃんカポエイラ、④尾白くんと心操くん、⑤何かを言えない相澤先生、⑥オールマイトの怪我についてそれぞれ書かせていただきました。またこうしたやり取りも後々のフラグにしていけたらいいななんて思ってます。願望です。更新頑張ります(白目)

 

 あとこの場を借りて2点紹介させてください。

 まず1つ目、◯べさんより弊オリ主やホークス、目良さんの支援イラストを2枚描いていただきました……!本当に素敵なイラストをありがとうございました!表紙や活動報告に許可を得て掲載させていただきましたので、皆様もぜひご覧ください。

 2つ目ですが、これも◯べさんより頂いたネタを元に弊オリ主とホークスの幼少期番外編を上げました!(2023/1/25)またお読みくだされば嬉しいです。

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