・【依存】から始まるヒーローアカデミアのif敵√
・オリ主愛依がAFOの元で育てられておねむり君に出会う話
・ヒーロー側にもヴィラン側にも大した救いはありません
始まりの朝
もっとはやく、こうしなきゃいけなかった。
ぶち、ぐちりと背中の肉を突き破り這い出てくる翼。その痛みを背負いながら少女はぼろぼろと涙を流した。この公安で保護されてから数ヶ月。ようやっと丸みを帯びてきた頬に伝い、落ちる。
はじめは両親だった。少し頼りないようでいて、ヒーローとしてその身を呈して民衆を守るような気概を持ち合わせていた父。そんな父をしょうがないなと見つめて、優しく一途に支えていた母。
そんな2人の間に生まれ、慈しまれ愛され育った少女は、3歳の誕生日に“個性”が発現した。
“個性”【依存】──心を通わせた者の“個性”を奪い、我が物とする。誰かに憧れる【恋】ではなく、誰かに与えられる【愛】でもない。
想いにすり寄り、寄生し、奪い尽くす【依存】。その執着心を表したように、一度奪った“個性”はどうあっても元に戻すことはできなかった。
何をしても。どんなにどんなに、願っても。
「……っ、ぅ、うう゛、ううぅ゛……っ」
身体を急速に作り変える。それは骨を歪ませ肉を裂く行為に他ならなかった。焼けるような痛みは終わりが見えない。けれどそうした身体の痛みよりずっと、心が“痛い”と叫んでいる。
「ごめ、っ、ごめんな、さい、ひっ、ぐ、ぅ、……ごめん、な、さい……」
あのモノクロのベランダに、ひとりきりで籠った部屋に、優しい声とともに訪れてくれた赤い羽根の男の子。彼のあたたかな手のひらに、太陽みたいに眩しい羽根に、少女は命と心を救われた。
だから、“ありがとう”と、そう伝えたかっただけなのに。高まった心の熱は抑えられず、少女はその時を迎えた。まるで蛹が羽化するように背中から突き出たその羽根は、少女の“個性”が発動してしまったことを意味していた。
あの少年の“個性”を、可能性を、未来を──ぐちゃぐちゃに奪って、押し潰してしまったのだと、少女は思ったのだ。
痛む身体を引き摺り、外へ通じる唯一の窓を目指して歩く少女。
少女の異変にドア越しに気づき、急ぎ羽根を操作して固く封じられた鍵を開けようと必死になる少年。
血塗れの羽根を不器用に羽ばたかせ、壁に激突しながらも真っ直ぐ窓を目指して、その枠に手を掛けた少女。
僅かに手こずるものの何とか解錠に至ったドアを開け放ち、部屋の中に駆け込む少年。
もうすぐ4歳になる幼い少女は、“自分がいなくなれば”と思った。自分がいなくなれば、みんなの奪った“個性”も元に戻るのだと信じて、命を投げ出す空を目指した。
びゅうびゅうと粉雪が舞う黒い空。あの日と同じ色彩を忘れた空を見下ろして、小さく吐息と涙を溢す。
「おねがい、します……かみさま……」
わたしはひとりきりでいいから。
わたしの全部を失くしていいから。
──命だって、いらないから、
「わたしが、いなくなったら……わたしがとっちゃった“こせい”、みんなに、かえしてください……」
そんな祈りを口にして、彼女は身を投げ出した。暗い空は大口を開けて、まるで少女を飲み込まんとするようだ。白い髪が、白い肌が、白い羽根が、夜の中に呑まれていく。
「──ッ
まだ11歳になったばかりの少年は、ヒーローを志していた。いつか自分が未来を明るく照らしてもらったように、自分もまた誰かを救い、守り、明るい未来を示してやりたかったのだ。だから彼は必死に少女を追い掛け、落ちていく彼女に手を伸ばした。
早く、速く、誰よりも、速く──そう在ろうと赤い翼を強く打ち鳴らした、けれど。
「……ッ!?」
少年は、目を見開く。夜の空より暗い“闇”が、少女の落下する先に広がった。それは少女の小さな身体を受け止め、絡め取り──呑んでいく。
「……待て、やめろ、やめろ! 返せ!!」
少女の足が、胴が、闇に呑まれて消えていく。とうとう首元まで迫った時、偶然か、少年の喉を枯らさんばかりの絶叫に気がついたのか。
少女はぼんやりと目を開けて、少年を見上げた。陽の光に輝く空の色をした目。いつか、いつか。それと同じ空の下に連れ出して、一緒に笑えたらと、そんな淡い思いが少年の脳裏によぎる。
「愛依────」
少女はかさついた唇を、小さく動かしたように見えた。それが最後だった。
少年の眼前で、手が届く、その数センチ先で、少女はとうとう闇に呑まれてその姿を消した。闇はまるで溶けるように掻き消えて、突き出した少年の手は空を掴む。
「ぁ、……」
空を掴む。空っぽの手のひらを見下ろして、少年はいびつな呼吸を繰り返した。
「……あぁ、あ、……ッ」
──少年の翼は、手は、届かなかったのだ。
「──────ッ!!!!」
言葉にならない慟哭が、冬の空に木霊する。けれどその声が届く場所に、もう少女はいない。
そして二度と、帰ることはなかった。
───
少女が目を覚ますと、知らない天井が視界いっぱいに広がった。霞む視界を瞬きで凝らして、少女はのろのろと上体を起こす。びき、と背中に走った痛みに咳き込んでいた時だった。
「無理をしてはいけないよ」
落ち着いたバリトンが、ゆったりと響く。それは少女の身を案じるような声色だったけれど、彼女は驚きと恐怖に身体を跳ねさせ、ベッドから転がり落ちた。「おや、」と意外そうな声の主から逃れるべく、ベッドの隅に身体を滑らせ、小さくなって膝を抱く。
「どうしたんだい、そんな風にしては塞がった傷が開──」
「だめ、だめなの、きちゃだめ……!」
「おや、何故だい?」
「わたしは、あなたの“こせい”をとっちゃうの!!」
シーツを引き寄せて頭から被り、あまりに稚拙な壁を作りながら絶叫する少女に、男は──
「大丈夫。落ち着いて、君は、僕の“個性”を取ることはないよ」
「どう、どうし、て……」
「君の“個性”は、君が【だいすき】で、君のことが【だいすき】な人の“個性”を取っちゃうからだよ」
まるで絵本を読み聞かせるような、そんな柔らかくあたたかな声色は続く。
「君が望むなら、僕は君を【だいすき】にならない。そうすれば安心だろう?」
それは永久に埋めきらない隔たりを生むような、人によっては絶交とも取れる発言。けれど今の少女にとっては天啓に等しかった。暗い雲の隙間を縫って光が差したように、少女の瞳の空が安堵に和らぐ。
ちぐはぐな情感。縋るような歓喜。それは間違いなく歪みといえるのだろう。
「怖かったね。辛かったね。“個性”のせいで傷つけたくもない人を傷つけて、君自身も傷ついてしまったんだね」
「……っ」
「でももう大丈夫。僕は君のために、絶対に揺らがない。君に何も奪わせたりはしないよ」
「っ、ほん、と、に……っ?」
「約束する。僕が、君の居場所になろう」
震える肩を宥めるように叩き、白い髪をゆっくりと撫でる。酷く無垢で純粋な歪みの種を手中に収め、舌舐りをするような気持ちで彼は嗤う。
「もう大丈夫──僕がいる」
それから少女は、
「まったく、子どもというのは動かしづらくて敵わんのお」
「おやおや、僕の友人はご立腹のようだ」
そんな少女の経過観察をしながら、目を細めたのは殻木球大。
「
不機嫌な表情や声色を隠そうともしない友人に、
「そう急く必要はないよドクター」
「ふむ、随分と寛大なのじゃな?」
「まぁね」
彼はおどけたように大袈裟に、肩を竦めてみせた。
「だって
柔らかな口調の端に、嘲りと愉悦が滲む。
「どうせそのうち、綻びが出る」
それを待てばいいのさ、と
「ワインの醸造を待つようにか?」
「そうそう! 踏みにじって搾って、何年も何年も寝かせて、研ぎ澄ませるんだ」
【依存】という“個性”。そこに宿る執着と慟哭。【愛】だなんて不確かなものよりずっとスパイスが効いていいじゃないかと、そう嘯いて悪魔は嗤う。
「やりようは、幾らでもあるしね」
そんな話をして暫く、
「こんな夜更けにごめんね」
「ううん……、っいえ、だい、じょうぶです」
「いつもの喋り方で構わないよ?」
「いいえ、あの、……サンサンせんせいが、きちんとおはなししなさいって……おーるふぉーわんせんせいは、わたしのおんじんだから、って」
辿々しくも懸命に話す少女の様子を見るに、施設の“教育”はあらかた浸透しているようだと
「そうか、僕はそうかしこまらなくてもいいのだけれど……教わったことをきちんと頑張ってるのはえらいね」
「……っ」
戯れのように白い髪を撫でると、強張っていた頬がほのかに緩む。人を近付けてはいけない、近付いてはいけないと気を張っている一方で、彼女の【依存】は人を求める。
(そうして君は、誰かの“個性”を奪ったのにね)
どうやら少女は、どうあっても人が好きなようだと。愚かしくもやさしい性根に
「今日は君に、知らせを持ってきたんだ。君の、“個性”の話だよ」
ひゅ、と掠れた息遣いが夜の闇に溶ける。
「……残念ながら、君が奪った“個性”を元に戻す方法は、見つからなかったよ」
重い声でそう告げる。それはどこからどう見ても“懸命に解決を探ったけれど見つからなかった悲しげな人”で、弱冠4歳の少女がその嘘を見抜くことなどできなかった。
少女の目が見開かれる。半開きになった口は浅い呼吸を繰り返す。元々穢れなく白い肌は蒼白で、かたかたと震える。それはまさしく、抱き続けた希望を砕かれた人の顔をしていた。
「……じゃあ、じゃあわたし、やっぱり……!」
「待って」
半狂乱になって自分の身体を抱き締める。その爪先がぎちぎちと肌に食い込んでいくのを手を取ってやめさせながら、
「駄目だよ。僕は君に、死んでほしくない」
「ゃ、うそ、どっ、どうして……っ」
少女は激しく頭を振る。その拍子に溢れた涙が、暗闇の中に僅かに光った。
「わたし、いきてちゃ、だめです……!!」
「そんなことはないよ。……けれどそうだな、君が生きていく理由が欲しいというのなら……」
この体勢では、少女は男の顔を見られない。だから彼女は、永遠に気づくことはできない。
「ねえ、僕のお願いを聞いてくれるかい?」
悪魔がどんな風に嗤うのか、気づけない。
───
夜の帳が降りる中では、数多の子どもたちが暮らすこの施設も静まり返っている。長く続く廊下の先。段々と闇が濃くなっていく様は、まるで何か大きな怪物が大口を開けて待ち受けているかのようで、少女は小さく息を飲んだ。
その時だ。少女の頬が眩しく照らされる。驚きに瞬きをした青い目は、自分に差し出されるカンテラを捉えた。懐中電灯が一般的なこのご時世にはあまり見ないアンティーク品だ。鳥籠のような装飾の施されたガラス瓶の中に、小さな火がゆらり揺らめいている。
「これは……?」
「深い夜を歩くには、灯りが必要だからね」
少女は
「彼らは深く眠ってる。君を見つけることはないよ」
だから“個性”を取ることはない、大丈夫。そう声を重ねることでようやく身体の緊張をほどいた少女は、恐る恐ると少年たちの寝顔を覗き込む。そうしてはっと息を飲んだ。
「……けが、してる?」
「そう。……この傷はね、ヒーローである父親から受けたものなんだそうだ」
「──え……?」
少女の心臓が嫌な音を立てる。それを無意識に宥めようとしてか、胸元を強く握りしめた。
「そん、な……どうして、」
「彼の“個性”が、父親の望む“個性”ではなかったらしい。それでぶたれて、蹴られて……可哀想な話だね」
「…………」
少女は沈黙した。沈黙せざるをえなかった。目の前の少年の経緯と自分の過去を重ね合わせ、その胸の痛みを堪えるのに精いっぱいで、他に何もできなかったのだ。
「この家はね、彼らのような──君のような、ヒーローによって傷つけられた子どもたちを守るために建てたんだ」
白い少女は幼く無垢だ。まだ何の疑いも持たず、嘘を知らない。だから
「っわ、わたしは、ちが……わたしが、おとうさんとおかあさんを、きずつけたんです……」
「どうやって?」
「……っえ、」
「君はただ、お父さんとお母さんを【だいすき】だと思っただけだろう? それの何がいけないんだい?」
「え……、でも、でも、」
「当たり前のように、【だいすき】だと思って……それがたまたま“個性”を奪うことに繋がった。それは果たして、君のせいなのかな」
僕にはそう思えないと。そんな、砂糖をまぶした麻薬のような声は続く。
「君のせいじゃない。君が悪いわけない。
それなのに君がこんなにも傷ついたのは、お父さんとお母さんのせいなんじゃないのかな」
「──ちがう!!」
頭上から注がれる甘い蜜をはね除けるような、そんな鋭い声を放った。けれどそれは自分でも意外だったのか、我に返った少女は顔を蒼白にして狼狽えた。
「あっ……ご、ごめん、なさ……、っ」
──すてないで、ください……。
小さく付け加えられた声に、そこに滲む涙の気配に、男は内心ほくそ笑む。溺れた人間に浮き輪を投げ込めばそこに必死になって縋るのと同じだ。居場所を失った少女に拠り所を与えてやれば、そこに爪を立てでも縋ろうとする。
「謝る必要はないよ。僕の方こそごめんね」
「いえ、いいえ……わたしのほうこそ、ごめんなさい……っ」
「僕を許してくれるんだね。君は本当に、やさしい子だね」
髪を撫でれば、ほっとしたように溢れた涙がひとすじ、頬を伝って床に落ちた。それを指先で拭ってやり、男は更に笑みを深める。
「そんなやさしい君に、お願いがあるんだ。
──彼らの傷を、君の“個性”で治してあげてほしい」
そんな頼み事から少女の生活は一変した。皆が寝静まった深夜に起き出し、カンテラを手に子どもたちの部屋を回った。痛ましい傷跡に手を当て、治し。魘される子を見つけては頬に伝う涙を拭い、宥めるように頭を撫でてやった。
『ヒーローに救われなかった子どもたちを、君が救ってあげてほしい』
だから少女は毎晩毎夜、救われなかった子どもたちの痛みに触れ、苦しみを拭った。さながらランプの貴婦人のように。
「治癒を繰り返し行わせることで、その精度を上げよう、というねらいかの?」
「ああ。治癒は何かと便利だからね。それに……」
監視カメラから小さな少年に寄り添う少女の姿を見下ろしながら、
「こんなに“悲しい過去”を持つ子どもたちを目の当たりにして、傍に居続けて、あの子はどう思うのだろうね?」
裏側でそんな会話が交わされていることなんて露知らず、少女は懸命に子どもたちの傷に触れ、苦しみを拭い続けた。毎晩毎夜、繰り返す。心身の痛ましい傷跡を前に、我が事のように心を痛めながら、そんな生活を繰り返し続けた。
4歳の少女は春を、夏を、秋を、冬を過ごして。そうして5歳になった。大人たち以外には誰にも接触せず部屋に籠り、ひとり夜の帳をカンテラで照らしながら練り歩く。“自分が救わねばならない”とする使命感と、“どうしてこの子たちをヒーローは救ってくれなかったんだろう”と疑問に思う心を積み重ねながら、彼女は歩いた。
そうして、その青い目によく似た空の色を忘れかけた日々の最中──少女は出会ったのだ。
「……この人は、だれですか……?」
ある夜。久しぶりに会った
「名前は僕も知らないんだ。見つけた時には酷い火傷を負っていてね……それ以来目覚めていないから」
さも痛ましそうに声を落とす
「施設の子どもたちは、彼を“おねむり君”と呼んでいたよ」
「おねむり君……」
「ずっと、眠ったままだからね。僕たちも手を尽くしたけれど、これが限界だった」
(……こんなに、ひどいけがを……)
こんなに酷い怪我を、少女は今まで見たことがなかった。その深さと痛ましさに怯む気持ちもあるが、それよりも強い衝動が少女の手を伸ばさせた。
(……どうして、)
どうして十数年しか生きていない少年が、こんな怪我を負わなければならなかったのか。何があったのか。この少年は、どんな思いだったのか。
──ヒーローに救われなかった子どもたちは、誰に救われればいいの?
「……ああ、やはり君は、やさしい子だね」
「……っ!?」
「おっと、……大丈夫かい?」
「……うそ、な、なんで……」
治癒の最中、がくっと少女の身体から力が抜け、膝から床に崩れ落ちる。それを抱き留めた
「恐らく、あまりにおねむり君の傷が深すぎるから、君の【自己再生】のエネルギーが足りなくなったんだろうね」
「そんな……! わ、わたしもっとやれます、がんばります、だからもう一回……っ」
「駄目だよ、落ち着いて」
身を捩る少女を留めて、
「君の治癒は少しずつではあるけれど、ちゃんと効いている。これから暫くの間、ゆっくり少しずつ、かけてあげなさい」
──ヒーローに救われなかったこの子を、君が救ってあげるんだよ。
「……はい」
「うん、いい返事だ」
あたたかな言葉を注がれて、認めるように頭を撫でられて、少女の迷いはより一層削ぎ落とされていく。元より選択肢など、少女に与えられているわけもなく。彼女はその日から夜の巡回に加え、“おねむり君”の治癒を続けた。他の子どもたちの目に触れないよう、そうっと部屋に訪れては手を繋ぐ。彼の存在を繋ぎ止めんとするように、優しく、強く、握り締めた。
壊死した組織を再生させた経験が無かったからか、治癒は遅々として進まなかったが、少女は1日も欠かさず彼の元へ通い続けた。ようやっと継ぎ接ぎの肌が全て元通りになっても彼は“おねむり君”のままで、外皮だけでなく内臓へも深刻なダメージが残っていることを
そんな生活が1年、2年、と続いて。陽光に晒されない肌は蒼白になり、慢性的な寝不足は濃い隈を作った。疲れか、使命感か、罪悪感か。表情は翳りを帯びたが──瞳の青だけは昔のままだった。彼女が忘れた、青空と同じ色だった。
「……こんばんわ、おねむり君」
今日はいい天気だったみたいだよ。夏が終わって少し寒くなったね。過ごしやすくていいね──患者に取り留めもないことを話し掛けるのは大事らしいと学んだから、少女も倣うように口にした。柔らかに言葉を、エネルギーを注いで、ふうと息をつく。
「……わたしと同じ、白いかみ……」
手触りは自分より固くてちくちくしているけれど、と微笑みながら、少女はそうっと少年の髪を撫でてみた。
どんな目の色をしているのだろう、と。そんなことを夢想した。いつか目を開けてくれたらなと、柔らかい祈りを捧げた。
「いつか、あなたに──……」
言葉の続きは飲み込んで、少女は顔を上げて周囲を見渡した。ベッド傍の壁には折り紙で作った花や千羽鶴が飾られている。【おねむりくんはやくよくなってね】という幼い文字で書かれた手紙も、眠っている少年を見守っている。
「……だいじょうぶ。あなたのことを、みんなが心ぱいしてるよ。あなたが目ざめるのを、みんながまってるから、……」
そうっと手を繋いで、語りかけて。何度も何度も繰り返して、静かに日々を繋いで。
そうして
───
いつものように少女はおねむり君の部屋を訪れ、いつものように話し掛け、いつものように手を繋ぎ治癒をする。秋が深まり夜風もしんと冷えきった、そんな夜のことだった。
「……、」
「……っ!」
ぴく、と指先に僅かな力が籠り、固く閉じられた目蓋が微かに震える。凍りついたように止まっていた少年の時が動き始めたのを、少女は悟った。
(にげなきゃ、)
わたしはこの場にいてはいけない。
わたしはこの人の目に映ってはいけない。
会わないよう、離れなければ、
そう、わかっていたはずなのに。少女は浅い呼吸を繰り返すばかりで、その足は縫い留められたかのように動かせずにいた。見開かれた青い目が、少年の目覚めに吸い寄せられる。
「……あ、ぁあ、わ、たし……」
──彼の目の色を知りたかった。
そんな少女のささやかな願いは本当だったけれど、それだけではなかった。本当は、本当は、……本当は──
「……わたし……、」
少年が小さく身動ぎ、眉間に皺を寄せる。そうしてその重い目蓋が抉じ開けられていくのを、涙とともに見守った。
──わたしはずっと、あなたの目に映りたかった。
「……ここ、は……?」
初めて聞いた少年の声は掠れていたけれど、それでもきちんと意思を以て紡がれた。彼の意識が身体に、今この時に戻ってきたのだと、歓喜が少女の心をかき混ぜて、いつかの日に置き去りにした願いを浮き彫りにする。
『いつか、あなたに──……』
ただの一言でいい。
──“おはよう”と、笑いたかった。
「……おはよう、……おはよう、おねむり君……」
少女の青空を閉じ込めた瞳と、少年の夏の日の海のような瞳が錯綜する。この出会いは決して祝福されるものではない。互いが互いにもたらしたものは、幸福ではなかったのかもしれない。
それでもこの瞬間が、2人の記憶に深く刻まれたことは確かだった。
真っ暗闇に閉じ込められた部屋の中で、“おはよう”と瞳を交わす。これは2人にとっては確かに、始まりの朝だったのだ。
if√ 01.始まりの朝
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ただただ作者が書いてみたかっただけです(懺悔)。
ヒーロー及びヴィランたちのまともな救済は望めません。どう頑張ってもメリーバッドエンドの予定です。
またのんびりと更新していきたいと思っています。