【依存】から始まるヒーローアカデミア   作:さかなのねごと

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ハッピーバースデー

▽注意書

・これは弊hrakss【依存】から始まるヒーローアカデミアのif√です。

・公安ビルから飛び降りたオリ主愛依がホークスに救われる前に黒霧に浚われAFOの元で育って“おねむり君”と出会う話。

・ほぼ三人称視点。

・倫理観に乏しい描写や残酷な表現、原作生存キャラの死亡があるかもしれません。

・今回ぬるいですが嘔吐表現あります。

・どう頑張ってもメリーバッドエンドです。

 

 

───

 

 

『君は(ヴィラン)連合を知っているかい?』

 

 数年ぶりに再会した少女の恩人(・・)は、潰れた目元を微笑みのように歪ませた。

 

『そこに死柄木弔という僕の教え子がいてね。……君に彼を、救けてほしいんだ』

 

 (くう)はそれに、一も二もなく頷いた。両親の“個性”を奪い、人生を踏み躙った空っぽの自分に存在意義を与えてくれた恩人。

 彼が傷ついているのだから。

 彼が救けを求めているのだから。

 

『……わかりました、AFO(オールフォーワン)先生』

 

 少女に断る理由など、何も無かった。こくりと頷き、意気込むように服の胸元を握り締める。そうしてAFO(オールフォーワン)をじっと見上げる眼差しが、あまりに従順な犬を思わせた。その様は愛らしくも滑稽で、男は喉を低く鳴らして笑う。

 AFO(オールフォーワン)は『ありがとう。頼んだよ』と空の肩を叩き、背中を軽く押し出した。そうして少女の身体は再び闇に包まれて──視覚と聴覚と触覚が暗く閉ざされ、時間の間隔さえ朧気になる頃、空はまたあのバーに立っていた。慣れない感覚にひとつ息を飲んだ空は、次いで目を瞬かせる。カウンターチェアに、先ほどまでいなかった人物がいたからだ。

 

「……やァ、お帰り」

 

 ハイスツールに腰掛けたその男はゆらりと顔を上げたが、その顔は()に覆い隠されている。()──まるで男を真正面から押さえつけているようなその()は男のものではない。節くれだってごつごつした──切り取られて何らかの防腐処理を施されてそこにある──その手は誰のものなのか。

 空は微かに息を飲んだが、慌てて頭を深く下げた。ぎゅうと、胸元を握り締める。

 

「は……はじめまし、て。わたしは空といいます、……あなたが、」

 

 ──死柄木弔さんですか。

 そう問い掛けて恐る恐ると空が顔を上げた先で、男は笑ったようだった。目元は件の手で覆われて見えないが、口の端が笑みのように持ち上げられている。

 

「やっぱ挨拶は大事だよなァ」

「え……?」

「いや悪い悪い。こっちの話」

 

 男は軽く手を振って立ち上がる。するりと音もなく、まるで野良猫のように空の目の前に立った。

 

「そう、俺が死柄木弔。……あの部屋から帰ってきたってことは、よろしくでいいんだよな」

 

 “あの部屋から帰ってきた”。その言葉の意味を空は深く考えられなかった。少女の中にはAFO(オールフォーワン)への疑心、ひいては死柄木への疑心など微塵もなかったから。

 それより空の視線は死柄木の首元に吸い寄せられていた。掻き毟られた肌には、痛々しい傷跡が刻まれている。

 

「……痛み、ます、か?」

「あ?」

「あの、その……首……」

「……あー、」

 

 死柄木の視線が宙に浮く。覆われた赤い目が、何かを思うように細められる。それからふと可笑しそうに笑って、ひび割れた唇を歪めた。

 

「なに、この傷、おまえが治してくれるって?」

「はい」

 

 間髪入れず頷いた空に目を眇めて、死柄木は手を差し出した。空はその指先を両手で取り、静かに深呼吸をひとつ。そして“個性”を発動させた。

 自分の中に生み出した【自己再生】の力を、触れた指先を通して死柄木の身体へ【譲渡】する。急速に力を得て動き出した細胞が、彼自身がつけた溝を埋めていく。苛立ちと憎悪の痕を、消していく。

 

「……へーぇ?」

 

 空が目を開けて手を離した時、死柄木の肌には傷ひとつ残っていなかった。今まで記憶にない、滑らかな首筋を手のひらで撫でつつ、彼はわらう。

 

「じゃァ改めて……ようこそ、(ヴィラン)連合へ」

 

 歓迎するよ、と囁くように言った声が、夜のしじまに溶けていく。それはまるで“何か”が、どこまでも深く暗い場所に落ちていくような──そんな朧気な感覚を覚えたが、空はその真意に気づくことはなかった。

 その微かな違和感を追求することもなく。

 ただただ、望まれるまま受け入れて、少女はまたひとつ夜に足を踏み出した。

 

 

───

 

 

 それから空の日常は少しだけ変化した。セーフハウスと仕事場を転々とする日々の最中、黒霧のワープゲートに招かれ、神野のバーへ赴くことが増えたのだ。

 

「……こんばんは、黒霧さん」

「ええ、いらっしゃい」

 

 ワープゲートから降り立った空に、夕暮れを思わせる橙の照明が降り注ぐ。赤茶けた煉瓦状の壁も相俟って、あたたかいような寂しいような、薄暗い中の光のような、そんな雰囲気を纏ういつものバー。そのカウンターでグラスを磨いていた黒霧が、微笑みのように黄金の目を歪ませた。

 

「お仕事お疲れ様です。夕食は召し上がりましたか?」

「? いいえ、まだ、です」

「でしたらナポリタンは如何でしょう? 少しだけお待ち頂ければ、すぐにお出しできます」

「え……あ、の、でも、」

「我々は貴女が得た報酬の一部を頂いているわけですから、このくらいはさせてください」

「それは、互いに了承した契約なので……」

 

 空と(ヴィラン)連合が協力関係を結ぶに当たって、AFO(オールフォーワン)は幾つかのお願い(・・・)をした。

 一つ、義爛から受け継ぐ形でAFO(オールフォーワン)が空の仕事の斡旋やサポートを担う。その代わり得た報酬の一部を連合へ資金援助すること。

 二つ、有事の際は互いの“個性”を以て協力し合うこと。

 恩人であるAFO(オールフォーワン)の願いとあらば、空に断る理由は無かった。当たり前に受け入れるべき話であり、こうして黒霧に気遣われるのも慣れなかった。だから彼女は戸惑うように視線を揺らすも、黒霧の無言の圧に負けてその首を縦に振る。

 

「…………えっと、では、お願いします」

「ええ。それではこちらへどうぞ」

 

 黒霧が指し示した椅子に腰掛け、空は調理に取り掛かる黒霧をぼんやりと見つめた。ピーマンなどの下拵えは済んでいたらしく、大鍋でパスタを煮る傍らで手慣れたようにフライパンを振っている。今ここにいるのはキッチンに立つ黒霧と、ハイスツールで足をぶらつかせている空だけ。

 

(今日は、荼毘は帰ってこないのかな……)

 

 この(ヴィラン)連合に加入してからというもの、荼毘と顔を合わせる機会は減った。元々ふらりとセーフハウスを出て、ふらりと帰ってくる野良猫のような生活を送っていた彼だが、今はどこで何をしているのか。ほんの少しの心配と、あとなにか。それが空の青い瞳を微かに曇らせる。

 

「お待たせ致しました。召し上がれ」

「……、ありがとう、ございます」

 

 声を掛けられて空が我に返ると、目の前から香ばしいケチャップの香りが漂った。フォークでパスタを巻き取り口にすると、よく炒められたトマトの旨みと玉ねぎの甘みが口の中に いっぱいに広がる。輪切りされたソーセージからは肉汁が溢れる中、ピーマンの程良い苦みがいいアクセントになっていた。

 

(おいしい……)

 

 ぱち、と瞬きした後、空は目を細めた。

 何故かふと頭によぎったのだ。荼毘がこれを食べたら、何て言うだろうかと。苦手なものばかりで、食に興味なんてほとんど示さなかった彼だが、これならたくさん食べるだろうかと。今は何か、ちゃんと食べているだろうかと──そんなことを考えた自分に驚き、呆れ、苦笑を溢したその時だった。

 

「あーっ! くーちゃんです」

 

 ガチャン、と無骨なドアが開くと同時に、明るい声が飛び込んできた。空ははっと顔を上げ、駆け寄ってきた彼女を見つめる。

 

「、トガさん……」

「むう……また“トガさん”。その呼び方カァイくないのです」

「え、あ……ごめんなさい」

 

 ぴょこん、と空の隣の椅子に腰掛けたトガは不満そうに頬を膨らませるのも束の間、にんまり口角を持ち上げて笑った。カウンターに頬杖をつきながら、空の顔を覗き込む。

 

「ふふふ、」

「? 何、ですか」

「お口真っ赤で、カァイイねぇ」

「え、……」

 

 トガはそっと手を伸ばして、その指先で空の唇に触れた。まるで紅を引くみたいに、ケチャップの名残を指でなぞる。ほんのり色づいた空の唇に頬を赤らめ、笑みを深めた。

 

「でももーっと赤かったら、きっともーっと、カァイイ」

 

 にたり、と笑った口元から八重歯と赤い舌が覗く。思い返せば、出会った時からずっと、トガヒミコという少女はこういう笑い方をしていた。

 

『あなた、くーちゃんっていうんですね!』

 

 亜麻色の髪をぴょこぴょこ跳ねたお団子にまとめ、金色の目は蜂蜜を溶かし込んだように鈍く、甘く、とろりと光る。

 そうしてにんまり口角を持ち上げて、笑う──それは確かに可愛らしいのに、同時に“捕食”を思わせて──空は何とも言えず固まっていた。されるがまま、目の前で笑うトガヒミコを見つめ、言葉を探して唇を震わせていたが。

 

「おっ!? 美味そうだなそれ! ──いやマッズいだろ!」

 

 またも賑やかに飛び込んできた声に、その場の雰囲気が霧散した。相反するようなことをガヤガヤ騒ぎながら現れたフルフェイスマスクの男──トゥワイスは、どかりと椅子に座り込む。

 

「おう黒霧、俺の分もそれくれ! ──誰が食うかよクソヤロウ!」

「追加でひとつで宜しいですね。トガヒミコ、貴女は?」

「いただきまーす」

 

 ふっと視線を逸らしたトガヒミコに、空は密かに安堵の息をついた。ほんの僅かなやり取りに、思ったより緊張していたらしい。じとりと手のひらを濡らした汗をエプロンドレスの裾で拭った。

 

「お腹空きましたねェ、くーちゃん」

「……、そう、ですね」

 

 さっきまでの異様な雰囲気はどこへやら、トガヒミコは少女らしく無邪気な顔でにこにこ笑っている。それに毒気を抜かれて、空はカラカラになった喉にナポリタンを押し込んでみた。トマト、ソーセージ、玉ねぎの旨み、程よいピーマンの苦み、……空の舌は案外普通(・・)に機能して、美味しさとともに租借する。

 そうこうしているうちに黒霧が追加のオーダーを2つ運んできて、バーカウンターはより賑やかになった。少女2人と男が1人、並んでナポリタンを口に運ぶ。どこかちぐはぐで奇妙な組み合わせだが、思いのほか穏やかな時間が流れて。

 

「そういやよォ空ちゃん、義爛はどうしてる?」

「義爛さん……、トゥワイスさんも、彼とお知り合いなんですか?」

「お知り合いも何も、俺を連合に紹介してくれたのが義爛だからよ! ──知らねェあんな奴!」

「私も義爛さんに声かけられましたねー」

 

 矢継ぎ早に真反対のことを言うトゥワイスの物言いに、出会った当初こそ戸惑った空だったが、今となってはだいぶ慣れたものだ。なるほど、と2人の話に相槌を打ちながら、ふとあることを思う。

 

「不思議ですねぇ」

「え?」

「私たちみんな、バラバラだったのに、今おんなじ場所でゴハン食べてるんですもん」

 

 空は、ゆっくりと目を瞬かせた。驚きを宥めるように、感じたものを噛み締めるように、ゆっくりと口を開く。

 

「……、わたしも」

「? なァに?」

「……わたしも今、同じこと、思ってました」

 

 空もまた、トガと同じに、思っていたのだ。

 生まれも生い立ちもきっとバラバラで、ちぐはぐで。それなのに今は同じ向きに座って、隣に並んで、同じものを食べている。

 それが不思議で、くすぐったくて、胸の中がざわつくようで、熱をもつようで──空は胸元を握り締めた。それは自分の感情をひとりで受け入れようとする、いつもの彼女の癖だったが、……その手をトガヒミコの両手が掴んだ。

 

「ねェねェくーちゃん!」

「っは、はいっ?」

「それって、ねェ、おんなじ気持ちってこと?」

 

 トガヒミコの大きく見開かれた目の中に、空の驚いたような顔が映り込む。それはトガヒミコの問い掛けにこくこくと頷いて肯定を示した。

 

「ふふ、ふふふ!」

 

 にんまり笑う金色の目の中に、空の姿がある。それはさながら、琥珀に閉じ込められた虫のよう。とろりと蕩けるように甘く、重い執着に、囚われる小さなもの。

 

「トガさ……ちゃ、ん?」

「おんなじに成れるの、うれしーです」

 

 空は少しだけ息を飲む。“おんなじが嬉しい”なんて、少女にとっては遠すぎる感情だった。幼い頃に置き去りにしなければならない、感情だったから。

 

「……、そう、ですか」

 

 ただぽつりと呟いて。ただひとつ頷いて。それがせいいっぱいだった。

 

 

───

 

 

 また別の夜。空は仕事までの仮眠を取ろうとアジトの奥を目指していた。その道中、通り掛かった部屋の中から話し声が聞こえて、思わず息を飲む。

 

「なァマグ姉、聞いていいか?」

「何よスピナー、改まって。彼氏なら募集するほど困ってないわよ」

「はっ!? いや違、違うそんな俺は浮ついたことなど……!」

「ただのジョークにマジになんないでよ。やぁねぇ」

 

 スピナーと呼ばれる少年と、マグネと呼ばれる女性。片やボソボソと縮こまったような声で、片やいつもの鷹揚とした声で交わされる会話に、空はそのまま何食わぬ顔で通り過ぎようとしたが。

 

「最近入ってきた空っているだろ。……なんでアイツ、連合にいるんだ?」

 

 ひゅっ、と息を飲む。どくどくうるさい心臓の音が聞こえてしまわないかと、空は胸元を押さえて、息を殺して、その場に立ち竦むしかできなかった。

 

「……“なんで”って何よ。気になるなら本人に聞きなさいな」

「ぐ……いや、それは……」

「面と向かって訊けないことなら、訊かない方が身のためよ」

 

 野太く低い声が、艶やかな響きをもって紡がれる。ふう、と、小さな溜息が夜のしじまを僅かに揺らした。

 

「アンタだって、胸張って言える動機、あんの?」

 

 ──(ヴィラン)連合に所属する動機。理由。……それを問われたスピナーは瞳を揺らして、それから視線を逸らして俯いた。

 

「……だってアイツは、俺と違うだろ」

 

 歯軋りするその口から、苦しげな声が漏れ出づる。

 

「弱小“個性”でもない。異形型で、外歩いただけでキモがられるわけでもない。

 【治癒】っていう、誰からも望まれる“個性”で。【翼】っていう、異形型のくせにビジュアルもいい……人から好かれる“個性”で」

 

 ──アイツなら、殺虫剤を撒かれることもなかっただろ。

 

「スピナー、あんた」

「アイツなら……! この社会から外れる(・・・)ことなんかなく、生きられるハズだろ!?」

 

 違う、と叫び出しそうになって、空は震える唇を両手で押さえた。は、は、と整わない呼吸を必死に殺す。

 

(ちがう、……ちがうっ、わたしは……)

 

 ──社会に望まれて、家族に好かれるような、そんな“個性”じゃない。

 

「なのになんで、そんなヤツがわざわざ、こんなところに……」

 

 スピナーの声から一歩後ずさった空の肩に、手が置かれる。驚いて振り返った少女が見たのはコンプレスだった。いつもの仮面を外したマスク姿。そこから覗く目と口が、ふ、と笑っている。

 

「……さァねぇ」

 

 突如現れたコンプレスに戸惑う間にも、声は続く。

 

「スピナー、アンタの事情、察することはできるけど知ることはできないわ。“アナタの気持ちはわかる”……なーんて、外野に安易に言われたくはないでしょ?」

 

 部屋の中のマグネの表情は空からは見えないが、どこか、やり切れなさそうに微笑んでいるような、そんな声をしていた。

 

「アタシたちがアンタの全部を知らないみたいに、アタシたちはあの子の全部を知らない」

 

 妙な温度も揺らぎもなく淡々と言い切ったマグネは、ともすれば突き放すようで、人によっては冷たい印象を与えるのかもしれない。

 けれど空にとっては違った。先程まで苦しいほどざわめいていた心臓も、呼吸も、今は静かに凪いでいたから。

 

「だからスピナー、あの子はあの子で、色々あったのかもしれないわ」

「色々、って……」

「殺虫剤撒かれるみたいに、誰かから嫌われて、追われて、弾き出されて、ここに辿り着いたのかもしれない」

「……そんなのわからないだろ」

「ええそうよ! アンタの言う通り所詮は“かもしれない”。確証なんてどこにもないわ」

 

 まるで煙に巻くように声の調子を変えたマグネは、それからとりとめのない話をし出した。世の無情の話、何もかも嫌になった時にキくスイーツの話、優しい友人の話、……その脈絡なく飛ぶように移り変わる話に戸惑い、時にツッコミながらも耳を傾けるスピナーの様子に「律儀だねえ」と笑い、コンプレスは空に視線をやった。彼はそっと目配せをし、少女の肩を押す。部屋の前を通り過ぎて暗い廊下を歩きながら、彼はふと笑った。

 

「“そうであれ”なんて、思っちゃいないさ」

 

 マグネも、俺もね。

 コンプレスは空にウインクを投げつつそんなことを言った。悲しい過去や社会から外れる理由があってもなくても、どちらでもいいのだと。

 

「俺たちは互いに脛に疵持つ者同士、過去は詮索しない主義でね」

「詮索、しない……」

「あァそうさ。過去を知ったところでそれを変えられるわけでも、傷を癒せるわけでもない──それを望んで、連合にいるわけじゃないしな」

 

 さらりと笑うコンプレスを見上げて、空はひとつ安堵しつつも、また別の疑問が心の中で鎌首をもたげた。ゆっくり、唇を震わせる。

 

「……あなたは何を望んで、連合に?」

「俺かい?」

 

 問い掛けられたのが意外だったのか、コンプレスは目を見開く。それから小さく苦笑して仮面を着けた。少しくぐもった声が、ワントーン低くなる。

 

「今、ここに在る社会を壊す」

 

 空が瞠目して息を飲むのと同じに、コンプレスは両手を広げて肩を竦めた。

 

「──なんてな。少しカッコつけすぎたか、年甲斐もなく恥ずかしいねぇ」

 

 彼はそのまま舞台上の役者のように一礼し、後ろ手に手を振ってその場を後にした。その流れがあんまり自然で素早いものだから、空はコンプレスが自分を送り届けるために一緒に来てくれたことにも、それにお礼を言い損ねたことにも気づくのが遅れた。あっと気づいた時には、薄暗い廊下でひとり、彼女は佇んで。

 

「……“何を望んで、連合に”」

 

 そうして先程投げた質問を反芻していた。呟いて、飲み込む。まるで棘を飲み込んだみたいに、じくりと喉の奥が痛んだ。

 

「じゃあ、わたしは、……」

 

 言葉は続かず、掠れた吐息だけ、暗がりの中に溶けていく。

 

 

───

 

 

 じわじわと茹だるような暑さの夕方だった。仕事を終えた空はまた黒霧に連れられて神野を訪れていた。“また”と言えるほどに繰り返された訪問は、最早日常といっても過言ではない。そんなことを思いながら、渡されたレモネードに口をつけていた。そんな時だった。

 

 ──彼女の視界を、鮮烈な赤い色が染め上げる。

 

「……!」

 

 グラスを取り落としそうになって慌てて掴み直し、やっとのことでカウンターに置く。その手は細かに震えていた。いつも静かな少女の変貌に、黒霧は金色の目を瞬かせる。

 

「どうされました?」

「あのっ、あの、この人……!」

「? ……ああ、」

 

 黒霧は少女の視線を辿り、備え付けられたテレビを見た。そこに映し出された男──ヒーローに目をすがめる。

 

「ホークスですね」

「……ホー、クス?」

「ご存じありませんか? ビルボードチャートNo.3、ウイングヒーロー・ホークス」

 

 黒霧曰く、男の名はホークス。“個性”【剛翼】。硬くしなやかな羽根を自在に操り、その精密性や俊敏性を以てまだ二十代前半ながら日本のNo.3に君臨するヒーロー。これまで情報と断絶されていた空は知らなかったが、このヒーロー飽和社会においてもその知名度と人気、実力は飛び抜けているらしい。黒霧のそうした説明を聞きながら、空は幼い日のことを思い出していた。

 両親の“個性”を奪ってしまった自分。暗い空と白い雪、灰色の冷たいコンクリート。重苦しいモノクロのベランダ。寒くて冷たくて暗くて、……そんな中に差した、ひとすじの光。

 

(あのひとだ)

 

 藤黄色のぴょこぴょこと柔らかそうな髪。同じ色をした目。何より鮮烈な赤い翼。もう10年以上前の出来事で、当時少年だった彼は今や成人男性となっているが、空の中には確信があった。

 テレビの中で如才なく笑みを浮かべてみせる彼が。トップヒーローとして数多の人を救け続けている彼が。

 

(──あの時わたしを、救けてくれた……)

 

 そう確信すると同時に、空の口から安堵の息が漏れた。震える指先で胸元を掴み、目を閉じる。

 

(……よかった)

 

 よかった。よかった、……

 わたし、奪ってなかったんだ。

 

 最後に会ったのは閉じ籠ったあの部屋の、扉越し。【依存】が発動して背中に白い翼を生やしてしまったあの時、少女は絶望した。自分はあのベランダから救け出してくれた彼の“個性”を奪い、優しい彼の可能性や未来を奪ったのだと。

 けれど今、あの時の少年の背には赤い翼が広がっている。その翼を以て、ヒーローとして、みんなに望まれて生きている。

 

「……よかった……」

 

 それがあまりに嬉しくて、安堵にほころぶ口から思いが溢れた。空はゆっくりと顔を上げる。先ほどのは幻でも何でもなく、少女の視界には依然として赤い翼が輝いている。その色彩が移ったのだろうか、空の青白い頬にさえ赤みが差した。

 

「──何が、“よかった”だ?」

 

 少女の頬に浮かんだ淡い笑み。けれどそれも、背後から急に肩を掴まれたことで掻き消えた。テレビから視線を引き剥がすように引き寄せられ、驚いて目を剥く空の眼前で。

 

「……死柄木、さん?」

「なァ空、教えてくれよ。何がどうして“よかった”んだ?」

 

 彼はひび割れたように笑った。笑ったまま、空の肩に指を掛けていく──1本、2本、3本と、ゆっくり増えていく指。空が瞠目して見上げると、死柄木は依然として笑みを浮かべていた。その声も唇に浮かぶ微笑も、肩に置かれた手だって穏やかだ。それなのに少しずつ、暗い底に落ちていくような。そんな感覚に囚われて空は声を失う。

 彼の顔全体を覆う何者かの“手”。その指から覗く赤い目は、夜に浸ったように暗かった。

 

「アイツは、ヒーロー。俺たちの敵だ」

 

 空ははっと目を見開いた。死柄木の首筋には、また、血が滲むほどの引っ掻き傷が刻まれている。行き場のない感情を持て余したような傷痕は、まだ新しい──初めて出会った空が治癒した時より後に付けられたのは明らかだった。

 治癒などできていなかったのだ。

 治すことなどできなかったのだ(・・・・・・・・・・・・・・)

 治った上から引き裂いて、瘡蓋をぐちゃぐちゃに歪めて、それが当たり前のように積み重なった。その傷痕は死柄木の心そのものなのだろうと、空は訳もなく確信した。

 無かったことになどならない。

 彼の憎しみは、ずっとずっと、無くならない。

 

(…………ああ、そう、なんだ)

 

 彼の傷痕の奥底まで(蹲る小さな誰かに)、少女の手は届かない。

 

 

 

「リーダー」

 

 死柄木の小指が空の肩に触れる──その直前で荼毘が死柄木を呼んだ。その声はいつもの彼の、淡々としたもの。嗜める響きなど微塵もない。

 それでも静かな呼び掛けに、その場の空気が凍りつくように固まった。しんと、広がる静寂。その中でゆらりと死柄木は鎌首をもたげる。

 

「……何だ、荼毘」

「コイツは、壊すにはまだ早ェ」

 

 死柄木の赤い目と、荼毘の碧い目が交錯する。暫くの間見つめ合って、それから死柄木はふと目を細めた。微笑みのように。

 

「…………そうだな」

 

 彼は空の肩から手を離すと同時に、その場を歩き去った。空とすれ違いざま、呆然とする少女の頭をぽんと3本指で撫で、そのまま奥へ続く扉の向こうへ消えていく。

 死柄木の足音が小さくなって、聞こえなくなって。ようやく少女は詰めていた呼吸を解いた。脱力した身体で深くスツールに座り込む。

 

「……だ、び」

「ンだよ」

「……ありが、とう」

 

 そんな意図はなかったとしても、きっと自分の行動は、死柄木の心を引っ掻いたのだ。

 荼毘が声を掛けてくれなかったら、或いは──少女はその思いを言葉にしたが、荼毘はハッ、と一笑に付した。

 

「呑気に礼なんか言ってる場合か?」

 

 荼毘の碧い瞳が嗤う。彼は歩みを進めて空との距離を埋めた。間近から少女を見下ろしながら、唇を歪める。

 

「自覚しろよ、空。おまえはもう、連合(ここ)に来ちまったんだよ」

 

 彼は何も“個性”を使っていない。彼の炎は少女の身を焼いてはいない。

 それでも、何故か。何故かどうしようもなく喉が渇いて、空はいびつな息を吐いた。

 

 茹だるような暑さの夏だった。夕日が沈み、夜が訪れる。じわじわと纏わりつくような熱気が呼吸を奪っていくかのようで、ひどく息苦しかった。

 からん、と音が鳴って、空はぼんやりとそちらに視線をやる。飲みかけのレモネード。最後の氷が溶け切ってしまったのだろう。グラスに浮かんだ水滴が、まるで涙のように流れて光った。

 

 

───

 

 

 その日(・・・)は突然やって来た。……いや、空が気づかなかっただけで、そこに至るまでに動いていた者たちはいたのだ。

 蠢く影はあったのだ。

 ……少女が気づこうとしていなかっただけで。

 

「…………だ、誰、ですか……?」

 

 空がいつものように神野のバーに訪れると、そこには“いつも”とは言い難い光景が広がっていた。黒霧、死柄木弔、トガヒミコ、トゥワイス、マグネ、コンプレス、スピナー、そして荼毘──いつも自由気ままにフラフラとしているメンバーが一堂に会していることもそうだったが、何より、店の奥の壁際に、拘束具に繋がれた少年がいたのだ。

 

「アァ゛?」

 

 ギッ、と睨まれて、少女は声を飲む。少年のトゲトゲ跳ねた金髪は、そのまま彼の気概を示すかのようだった。警戒と反骨心を宿した赤い目が、油断なく空を、その場に集う面々を睨み上げている。

 

「アラヤダ怖ぁい、ねぇ空、睨まれるのやぁねぇ」

「マグネ、さん」

 

 硬直する空とは裏腹に、マグネは至っていつも通りだった。のらりくらり軽い調子で笑って、空の肩を慰めるように叩く。

 分厚く大きな優しい手。それと同じ手を、マグネは繋がれた少年に向けた。

 

「自分の立場ってモン、わかってないのかしら?」

 

 飄々とした声が、温度を失くす。少年が身構えたのと、空が息を飲んだのと、“待った”が掛かったのは同時だった。

 

「やめろマグネ、手を出すな」

 

 死柄木はスツールに腰掛けたまま、唇を持ち上げて笑う。

 

「彼は……爆豪勝己くんは、今宵の大切なゲストだ」

 

 そうして死柄木の視線はテレビに向かう。そこでは雄英高校による謝罪会見の様子が映されていた。深く頭を下げる大きな白鼠、黒髪の男性、大柄な男性──名札によると雄英高校の校長と教員なのだという──彼らが集った記者たちの質問に淡々と答えている。その問答を見聞きして、ようやく空にもこれまでの流れが掴めてきた。

 国内でもトップの実績を誇るヒーロー養成校・雄英高校。彼らが実施した林間合宿を(ヴィラン)連合が襲撃したこと。そこでヒーロー科の1年生26名が重軽傷を負い、1名が拉致されたこと。

 

(その1名が、彼。名前は──)

 

 爆豪勝己。今年の雄英体育祭1年生の部での優勝者。彼が攫われたことについて、メディアはこぞって雄英に責任を追及している。(ヴィラン)の襲撃に対し、どのような姿勢を取っていたのか。対策を講じてきたのか。それは不十分ではなかったのか──と。

 

「不思議なもんだよなぁ……何故奴ら(ヒーロー)が責められてる!?」

 

 死柄木は両手を掲げ、まるでステージに立つ演説者のように続ける。

 

「奴らは少ーし対応がズレてただけだ! 守るのが仕事だから? 誰にだってミスの一つや二つある! それなのに“おまえらは完璧でいろ”って!?

 現代ヒーローってのは堅っ苦しいなァ、爆豪くんよ!」

 

「守るという行為に対して対価が発生した時点でヒーローはヒーローでなくなった。これがステインのご教示!!」

 

 死柄木が、スピナーが、それぞれの言葉で現代ヒーローの歪さを語る。空はそれに何も口を挟めず、拳を固くしながら聞いていた。

 

「人の命を金や自己顕示に変換する異様。それをルールでギチギチと守る社会。敗北者を励ますどころか責め立てる国民……」

 

 何故なら空には、何も判断できなかったから。“個性”によって大切な人のさまざまなものを奪い続け、空っぽになった少女には、判断し得るだけの素地が無かった。これまで誰かに望まれるままに、それに追い縋るように生きてきただけだったから。

 

 「俺たちの戦いは“問い”。ヒーローとは、正義とは何か。この社会が本当に正しいのか一人一人に考えてもらう! 俺たちは勝つつもりだ。

 ──君も、勝つのは好きだろ」

 

 だから空は、死柄木がそう笑って爆豪に言うのを、固唾を飲んで見守っていた。

 ヒーローを志す少年は、この問いに何と答えを出すのか。死柄木に同調して頷くのか、それとも──空がそっと視線を投げ掛けた先で、爆豪は依然として固く口を結んでいた。

 

「荼毘。拘束外せ」

「は? 暴れるぞこいつ」

「いいんだよ。対等に扱わなきゃな、スカウトだもの。──それに、この状況で暴れて勝てるかどうか。わからないような男じゃないだろ? 雄英生」

 

 言外に“暴れるなよ”と釘を刺しつつも、死柄木の声は心なしか上機嫌に笑っていた。この状況はひっくり返しっこないと、確信しているような余裕。

 そこからちょっとした問答の末にトゥワイスが拘束具を外しにかかったが、その最中、コンプレスが爆豪に歩み寄った。

 

「強引な手段だったのは謝るよ……けどな、我々は悪事と呼ばれる行為にいそしむただの暴徒じゃねぇのを、わかってくれ。君を攫ったのは偶々じゃねぇ」

 

 彼が語るところによると、爆豪は雄英体育祭の表彰式で、受け入れ難い結果に反発し踠き足掻いていたのだという。目を剥き、歯を剥き、叫ぼうにも口を塞がれ、納得できない賞賛から身を捩り暴れていたのだと。

 

「ここにいる者事情は違えど、人に、ルールに、ヒーローに縛られ……苦しんだ。

 君ならそれを──……」

 

 コンプレスの言葉は最後まで続かなかった。ゴトン、と最後の拘束具が外されて床に転がる音も、死柄木が爆豪の前に進み出た足音も、何もかも──耳を劈くような爆発音に呑み込まれる。

 

「死柄木……!」

「黙って聞いてりゃダラッダラよォ……! 馬鹿は要約出来ねーから話が長ぇ! 要は“嫌がらせしてえから仲間になってください”だろ!?」

 

 爆豪は真正面から死柄木に【爆破】を喰らわせる。彼は低い体勢からゆらりと立ち上がった。

 

「──無駄だよ」

 

 瞳の炎が、爛々と燃えている。

 

「俺は、オールマイト(・・・・・・)が、勝つ姿に憧れた。

 誰が何言ってこようが、そこァもう(・・)曲がらねえ!!」

 

 空は両手で口を押さえた。驚きと、それ以外の何かが胸に迫って、平静を装うことができなかったのだ。

 

(……ああ、この人は、)

 

 ゆっくり、青い目を瞬かせる。それでも眼前の少年はひどく眩しかった。平和の象徴と謳われたNo.1ヒーローオールマイト。彼が掲げ続けた法の灯火に照らされたかのように、爆豪は揺らぐことない意志をその内に燃やしている。

 それがあまりに眩しくて、空は目を細めた。

 涙を堪える仕草に似ていた。

 

《……体育祭でのソレ(・・)らは、彼の“理想の強さ”に起因しています》

 

 つけっぱなしにしていたテレビから流れた声が、空の鼓膜に突き刺さる。画面には雄英高校教師──相澤が深く頭を下げつつも、鋭い目で前を見据えている姿があった。

 

《誰よりも“トップヒーロー”を追い求め……もがいてる。あれを見て“隙”と捉えたのなら、(ヴィラン)は浅はかであると私は考えております》

 

「ハッ──言ってくれるな、雄英も先生も……」

 

 仕方ねぇな、と言いたげな口ぶりのわりに、爆豪の口角は嬉しそうに持ち上がっている。

 

(……信頼、されてるんだ)

 

 (ヴィラン)連合が“付け入る隙”とした粗暴さや葛藤の裏にある、爆豪の光に向かう意志。それにきちんと気づいて、わかってくれる。信じてくれる。

 それは正しく“しあわせなこと”なんじゃないかと──そこまで考えたところで空は我に返った。思考の海から意識を引き剥がし、ばっと顔を上げる。

 

「! 死柄木さん……!」

 

 先ほど死柄木は、爆豪の【爆破】を胸元に受けたばかりだ。見たところ外傷は然程無さそうだが診るに越したことはない。空は慌てて駆け寄り、彼の腕にそっと手を当て、治癒のエネルギーを送り込む。

 しかし死柄木はぼうっとした眼差しで、ある一点を見つめていた。

 

「…………お父さん(・・・・)

「……え」

 

 死柄木の呟きに、空は彼の視線を辿る。【爆破】によって吹き飛ばされた、死柄木の顔を覆っていた手。それがバーの床に力無く転がっている。

 彼はその手を見つめて、確かにお父さん(・・・・)と、そう言ったのだ。

 

「空」

「……! す、みません」

 

 呆然としていた意識を集中させ、治癒を完遂する。死柄木は焼け焦げた胸元を払って煤を落としている、……至って平静に見えた。

 

「……あの、……大丈夫、ですか」

「ああ……何ともない。心配するな」

 

 初めて仰ぎ見た死柄木の素顔。その目は血走り、ただのひと睨みで爆豪の動きのみならず、その場の空気を牽制する。

 一触即発だった(ヴィラン)連合の面々と爆豪──しんと静まり返ったバーの中、ただひとり死柄木が歩みを進めた。

 

「手を出すなよ……おまえら」

 

 床に落ちていた手。歩み寄り、拾い上げた死柄木は、その大きな手のひらをじっと見下ろした。

 

「こいつは……大切なコマだ」

 

 自分の顔を押さえつけるように、その手を被る。指の隙間から覗く唇が、小さく震えた。

 

「できれば、少し耳を傾けてほしかったな……君とは分かり合えると思ってた……」

「ねぇわ」

「……仕方がない。ヒーローたちも調査を進めると言っていた……悠長に説得していられない」

 

 ザザ、と夜のしじまを揺らすスノーノイズ。

 そのモノクロの嵐の向こうに、少女は見た。

 

 

「先生──力を貸せ」

 

《……良い……判断だよ、死柄木弔》

 

 

 朧気なシルエットからは、その表情はわからない。それでもゆったりと口角を持ち上げて微笑んでいるような──そんな穏やかなバリトンに、空は確信を深める。

 

AFO(オールフォーワン)、先生)

 

 普段表立って(ヴィラン)連合に関わらない彼もが、この局面においてこちらを見ている。

 

「先生ぇ……? てめェがボスじゃねぇのかよ……! 白けんな」

「黒霧、コンプレス。また眠らせてしまっておけ。ここまで人の話聞かねーとは……逆に感心するぜ」

「聞いて欲しけりゃ土下座して死ね!」

 

 それはつまり、この局面が、非常に重い意味を持ついうこと──手の震えを収めようと拳を握る空だけでなく、連合の面々も、相対する爆豪もまた、ひりつくような緊迫感に身構えていた。その時だ。

 

 ノック、ノック、扉を叩く音が、2回。

 

「どーもォ、ピザーラ神野店です──」

 

 間延びした声。困惑に硬直する思考。一拍の静寂──その全てをぶち壊すかのような轟音が轟いた。煉瓦状の壁が粉々になるほどの衝撃。粉塵舞う向こう側に、人影が幾つか。

 

「何だぁ!?」

「黒霧! ゲート……」

 

「先制必縛──ウルシ鎖牢!!」

 

 いち早く状況を察した死柄木が指示を飛ばすも、それより早く伸びてきた無数の太枝が(ヴィラン)連合の胴に絡みついた。ギチギチと締め上げ、拘束する。

 

「木ィ!? んなもん……」

「──逸んなよ」

 

 太くしなやかなウルシの太枝は、単なる力技では破れはしない。ならばと“個性”を使おうとした荼毘の言葉は、途中で途切れた。

 空の目には捉えきれなかった風の弾丸(・・・・)──それは人だった。小柄な体躯の老人がヒーローマントを翻しながら、荼毘の後頭部に蹴りを喰らわしたのだ。

 

「大人しくしといた方が……身の為だぜ」

「荼毘!!」

 

 空が崩れ落ちた荼毘を呼ぶも、反応は返らない。完全に意識を飛ばしたらしい彼が、力の入らない四肢を締め上げられていくのを、ただ空は見ていることしかできないでいた。

 

「さすが若手実力派だシンリンカムイ!!」

 

 空には、何もできなかった。何が起きているのか理解すら乏しかった。

 

「そして目にも止まらぬ古豪グラントリノ!!」

 

 けれど声は聞こえる。かの人(・・・)の到来を告げる声が、輝かしく轟く。

 

 

「もう逃げられんぞ(ヴィラン)連合……何故って!?

 

 我々が、来た!!」

 

 

 オールマイト。No.1ヒーロー。

 その光()は、鮮明に、まばゆく、輝いている。あんまり眩しい光は、きっと地平まで照らすのだろう。

 守られる人々にとっては未来を照らしてくれる光だ。行く末を照らしてくれる、揺るぎない光。

 

(……ああ、眩し、すぎる)

 

 でも同時に、夜の世界で生きるものたちにとっては、その光は強すぎるのだろうと空は思った。何故なら今オールマイトに対峙する(ヴィラン)連合は一様に顔を歪めている。眩しそうに、煩わしそうに、苦しそうに。“救い”とは一番遠い表情をしている。

 空もまた、目を細めていた。あまりにも眩しいものを映した青い目が、酷く痛みを訴えたのだ。

 

「……お嬢ちゃん、アンタはどっちだ」

 

 苦しげに目を細め、口を閉ざす。そんな空に視線をやり、老人──グラントリノが問い掛けた。

 

「荼毘って呼んだってこたァ、(ヴィラン)連合の一味でいいんだな?」

「……、はい、そうです」

「……リストにアンタの顔も名前も無かった。林間合宿襲撃にも参加してなかった、……アンタは何の為に、(ヴィラン)連合なんかにいる」

 

 ──何の為に、

 空はひゅ、といびつな息を飲んだ。返す言葉を探して、喉を震わせる。

 

「わたし、……わた、し……」

 

 わたしは何の為に、ここにいるのか。

 スピナーの疑問や荼毘の忠告を聞きながらも、しっかり形にできなかった問いの答え。

 何の為に、(ヴィラン)連合にいるのか。

 何の為に、誰の為に、

 

 ──空っぽの少女はその答えを持たない。

 伽藍堂の中に響くのは、いつかのあの声。

 

 

『ヒーローに救われなかった子どもたちを、君が救ってあげてほしい』

 

 

「……わたしは。救けなきゃ、いけないんです」

「誰を」

「ヒーローが救えなかった、人たちを」

 

 震える声は、何かに縋りつくかのようだった。事実少女は、たったひとつ、道標となるあの声に縋りついてこの場に立っている。

 

「わたしは、そのために、ここにいます」

 

 空が辿々しくも懸命に紡いだ言葉に、オールマイトは眉間に皺を寄せ、グラントリノはつと目をすがめる。そして、

 

「……そうだよなァ、空」

 

 暗くわらったのは、死柄木だった。彼は唯一自由になる首をもたげて、ゆらりと辺りを見渡した。

 

「ヒーローは救えなかった奴らに見向きもしない。全部全部救えてますって顔して、俺たちのことは“なかったこと”にするんだ」

 

 死柄木の赤い目が、いつかの時を映して揺れる。

 

「失せろ……消えろ。おまえたちは、いらない」

 

 ひとりきり歩いて、歩き疲れて、座り込んだ路地裏。──手を差し伸べてくれたのは、ただひとりだった。

 

「おまえたちが!! 嫌いだ!!」

 

 激情の全てを吐き出したような咆哮。死柄木が喉を掻き鳴らしたと同時に、何も無い空間から黒いタールのような液体が溢れ出す。そしてぎょろりと覗いた眼球と剥き出しの脳味噌──無数の脳無が現れた。

 

「これ、は……!」

 

 驚いた空の口からも、黒い液体が溢れる。酷い臭い、味、視界も黒く染まっていく。更には聴覚と触覚、時間の感覚すら曖昧になり、自分がどこにいるのかさえわからなくなった頃──ふいに視界が開けた。

 

「ッげほ、けほ、……っ」

 

 空が酷く咳き込みながら目を開けると、ぼやけた視界の中に倒れ伏した荼毘の姿を見つけた。

 

「……! だ、び……」

 

 はっとして駆け寄りざま治癒を開始する。倒れた荼毘の身体に触れて、そして少女は気づいた。

 ──更地だ。元はたくさんの建物が並んでいた市街地が、大きな嵐が吹き荒れたかのように薙ぎ倒され、いびつな真っ平らになっている。その中央に、立っていたのは、

 

「また失敗したね、弔」

 

 マスク越しの声はくぐもっているが、空にはわかる。間違えっこない。均整のとれた体躯を品の良いスーツに包み、泰然と佇む彼──AFO(オールフォーワン)は、死柄木に微笑むように語り掛けた。

 

「でも決してめげてはいけないよ。またやり直せばいい。こうして仲間も取り戻した。

 この子もね……君が“大切なコマ”だと考え判断したからだ」

 

 黒い液体が転移してきた(ヴィラン)連合の面々、そして爆豪に向けたAFO(オールフォーワン)の視線が、最後にひたり、死柄木に辿り着く。

 

「いくらでもやり直せ。そのために(先生)がいるんだよ」

 

 大きな手が、差し述べられる。

 

 

「全ては、君の為にある」

 

 

 言霊めいた男の声が、周囲から音を奪う。身動ぎもできないような静寂の中、吹き曝しになった街に夜の風が吹き渡る。

 風が吹く。

 風に似た、音がする。

 ──隕石のような力のかたまり(・・・・・・)が、遠く空から飛来した。

 

「全て返してもらうぞ、AFO(オールフォーワン)!!」

「また僕を殺すか、オールマイト!」

 

 空を飛ぶようにやって来たオールマイトと、迎え撃つAFO(オールフォーワン)ががっぷり組み合い、互いを弾き飛ばす。一合一合が重く、その衝撃が足元のコンクリートを割った。瓦礫とともに嵐のような風が吹き荒れる。

 未だ意識の戻らない荼毘の腕を掴んで庇いながら、空は荒れ狂う砂塵に目を凝らした。何事かを話しながら向き合う両者。駆け出すオールマイトに向かい、AFO(オールフォーワン)は軽く左腕を掲げた。その腕が瞬時に肥大し──オールマイトの身体を吹き飛ばす。

 

「【空気を押し出す】+【筋骨発条化】・【瞬発力】×4・【膂力増強】×3──この組み合わせは楽しいな……増強系をもう少し足すか……」

 

 まるで実験するかのように楽しげな声色だが、これは現実。あのオールマイトがただの一振りで吹き飛ばされたことも、その衝撃で幾つものビルが風穴を開けられ崩れ落ちていくことも、

 

(……あ、ぁ、あ……)

 

 そこにいたはずの数多の人々の命が、この一瞬で喪われてしまったことも。紛うことなく現実なのだ。

 空は目を見開き、無意識のうちに荼毘のコートの端を掴む。じとりと冷たい汗をかく手のひらが、震えて震えて、止まらない。

 

「オールマイトォ!!!」

「心配しなくてもあの程度じゃ死なないよ。だから」

 

 叫ぶ爆豪とは裏腹に穏やかに話しながら、AFO(オールフォーワン)はその指先から黒鋲を伸ばして黒霧に突き刺した。

 

「ここは逃げろ弔。その子を連れて」

 

 【“個性”強制発動】──対象の人物が意識を失ってもなお、その“個性”を発動できる。その“個性”を以て黒霧の【ワープ】を発動させたAFO(オールフォーワン)は再度死柄木に「行け」と促した。

 

「先生は……、!」

 

 死柄木の震える声は続かない。崩れ落ちた街の瓦礫の向こうから、およそ人のものとは思えない凄まじい跳躍の音。一拍置いてAFO(オールフォーワン)の前に着地したオールマイトは、巨悪目掛けて拳を握る。

 

「逃がさん!!」

「常に考えろ弔。君はまだまだ成長出来るんだ」

 

 突進するオールマイトを受け止めながら、AFO(オールフォーワン)は仮面の奥で口角を吊り上げた。

 死柄木が仲間やコマと逃げる手筈は整った。

 この場に報道ヘリも集まって来ている。

 

 ──今だ。

 今が一番、いいタイミング(・・・・・・・・・・・・)

 

「おいで、空」

「えっ……」

 

 荼毘をコンプレスの【圧縮】内に匿い、爆豪を捕獲せんと向かうコンプレスたちを見送った空。彼女の胴が黒鋲に絡め取られ、宙に浮いた。引き寄せられた少女はわけのわからないまま、男の腕の中にしまわれる。

 

AFO(オールフォーワン)ッ!?」

「おっと。酷いじゃないかオールマイト、レディに対して乱暴はよせよ」

 

 再び迫るオールマイトの拳、その勢いが揺らいでブレる。驚愕と焦燥に見開かれた碧眼には、AFO(オールフォーワン)に抱えられた、真白い少女の姿が映っていた。

 

「君もそう思うだろう? 空」

「せん、せい……?」

「さぁ空、今だよ。今こそ君の“個性”を使うべき時だ」

AFO(オールフォーワン)!? 何を言って……!」

「君しかできないことさ」

 

 呆然とする少女の頭を優しく優しく撫でながら、悪魔はわらう。

 

「僕の傷を、治してほしい」

 

「──駄目だ!!」

 

 穏やかに言うAFO(オールフォーワン)とは対照的に、オールマイトは雷のように声を上げた。血を吐くように、青褪める少女に訴える。

 

「駄目だお嬢さん、奴を治してはいけない!!」

「聞いたかい空、トップヒーローの有難い言葉を!」

 

 血相を変えたオールマイトを横目に見ながら、AFO(オールフォーワン)は殊更声に熱を込めてみせる。

 

「自分の意に沿わない奴は、その傷を癒すことも許さない。

 そうして“要らないモノ”を排斥するのが、この国のNo.1ヒーローなんだそうだ」

 

 空はその言葉を聞きながら、はくりと唇を震わせた。彼が語る“要らないモノ”。それはきっと自分のことでもあるのだと、そう思ったからだ。

 

「貴様……! また屁理屈を!!」

「屁理屈? まさか! 僕は大真面目さ。真面目に、真摯に、ヴィラン(僕ら)の理屈で生きている」

 

 ヒーローと(ヴィラン)。2人の間に挟まれながら、空は混乱の極みにあった。見渡せば荒地となった街の残骸。幾つもの生活と命が踏み潰された跡が青い目に焼き付く。

 そんな現実の光景を目の当たりにしながらも、脳裏にはいつかの声が木霊していた。

 

 

 

『わたし、いきてちゃ、だめです……!!』

 

 “個性”【依存】の発現によって両親の“個性”を、過去の頑張りを、夢見る未来を奪ってしまった自分。罰を受けて当然な自分を、それでもと、手を差し伸べてくれた赤い翼の少年──そんな彼の優しい“個性”すら、奪ってしまった自分。

 

『そんなことはないよ。……けれどそうだな、君が生きていく理由が欲しいというのなら……』

 

 そんな自分でも、生きてていいと言ってくれた。抱き締めてくれた。

 

『ヒーローに救われなかった子どもたちを、君が救ってあげてほしい』

 

 

 

「社会にそぐわない(ヴィラン)を、ヒーローは救けちゃくれない」

 

 空の意識が過去から現在へ戻ってくる。震える少女の目の前で剛腕が振るわれ、言葉とともに激闘する。吹き荒ぶ衝撃波が白髪を乱した。

 

「だからヴィラン(僕ら)は、ヴィラン(僕ら)を救わなきゃあね」

 

 苦渋の表情を浮かべながら吹っ飛ばされていくオールマイトから視線を腕の中に移し、AFO(オールフォーワン)は自身のマスクを外した。顕になった潰れた目元を歪めて、微笑む。

 

 

「ねえ空、──僕を救けてくれるかい?」

 

 

 空っぽな少女の心に、生きていていい理由が流れ込む。それはたくさんのものを奪い、あたたかな何もかもを失った少女が、たったひとつ縋れる言葉。

 

「……はい。AFO(オールフォーワン)、先生」

 

 壊されていく建物の悲鳴に紛れて、誰かが“やめろ”と叫んだけれど、それは空の心には響かなかった。

 

 そうして空は、光に手を伸ばすかのように指先を持ち上げた。潰されてひきつれた瘡蓋の肌に触れて、祈るように目を閉じる。祈る。

 

 ──いたいのいたいの、とんでいけ。

 

「……ああ、ああ、ようやくだ……」

 

 【自己再生】のエネルギーを譲渡し終えた空は、肩で息をしながら顔を上げた。その視界に男の姿が映る。

 白い短髪。鼻筋の通った端正な顔立ち。不思議な色合いをした白い瞳が、彼方を見やって弧を描く。

 

「君が絶望する顔を、この目で見られた!!」

「オールッ……!!」

 

 再び駆け付けたオールマイトの腕を取り、“個性”で増強した剛腕を以て地に叩きつける。砕かれたコンクリートの中央から見上げるヒーローと、月を背に見下ろす(ヴィラン)の視線が交錯した。片や苦鳴を噛み殺し、片や愉悦に口角を吊り上げて。そんな一拍の静寂を破ってAFO(オールフォーワン)は夜空から真っ直ぐに降下。追撃を叩き込む。

 

「“個性”【赤外線】でもある程度わかりはするけれど、やはり直に見るのは違うね」

「ぐ、ゥ……ッ」

「おいおいオールマイト、笑顔はどうした? 何だいその顰めっ面は!」

 

 潰された目や鼻、それに付随する呼吸器官に至る全てが治癒されたAFO(オールフォーワン)、そのパワーもスピードも治癒以前とは比べ物にならなかった。一振りによってビルをも砕く拳が、何度も何度もオールマイトを襲う。オールマイトもまた屈するまいと歯を噛み締めながら拳を打ちつけた。肌を割き、口から血を吐き、幾重にも傷付きながら、巨悪に真っ向から立ち向かう。

 

「ひ、……!」

 

 そんな攻防の真っ只中に晒されて、空は目を閉じた。深い傷を治癒し終えた身体は疲労でろくに動かせず、AFO(オールフォーワン)の腕の中で縮こまる他ない。その蒼白な頬が飛ばされた瓦礫によって切れ、赤い赤い血が舞うのを見て、オールマイトはハッと目を見開いた。それからAFO(オールフォーワン)を睨み据える。

 

「もう、もういいだろう! 彼女を離せ!!」

「……君ってやつは、こんな時まで」

 

 義憤に吼える仇敵を見下ろし、AFO(オールフォーワン)は嗤う。

 あまりに滑稽だった。抗するだけの力を持たないくせに万人を守ろうとする。目の前にいる小娘は、言われるまま敵を治癒し、今まさに自分を死地に追いやった者だというのに。

 

「あァ、本当に、ヒーローってのは大変だね。流石に同情を禁じ得ないよ」

 

 嗤う。嗤う。さも悲しげに眉を顰め、肩を竦めながら、AFO(オールフォーワン)は抱えた少女の身体を空高く投げ飛ばした。

 え、と少女の口から零れた声は、怒りも悲しみもなく真っさらな色をしている。理解が追いつかず、驚愕すらできないでいる子ども──そんな彼女を救わんとオールマイトは跳躍した。

 

「ヒーローは多いよなあ、守るものが」

 

 もしも。

 もしも少女の翼が空を飛べたなら、彼女はオールマイトの手を借りずこの場を離脱できたかもしれない。

 もしもオールマイトが非情だったなら、あからさまに餌として飛ばされた少女になど見向きもせず、AFO(オールフォーワン)に隙を見せなかったかもしれない。

 もしも少女がAFO(オールフォーワン)を治癒しなかったなら、こんなにもオールマイトは追い詰められなかったのかもしれない。

 もしも少女がAFO(オールフォーワン)を治癒しなかったなら、今も必死に空駆けるグラントリノは、間に合ったのかもしれない。

 

 もしも少女が、AFO(オールフォーワン)の如何なる言葉にも手段にも屈せず、彼を治癒しなかったなら、違う未来もあったのかもしれない。

 

 けれどそんなもしも(・・・)は、もうどこにも存在しない。

 

 

「だからこうして、殺されるんだ」

 

 

 AFO(オールフォーワン)が伸ばした鋲が、束となって空中のオールマイトを穿つ。かつて抉られた左腹部を、拳振るう右腕を、命を動かす心臓を穿ち、捻り、引き裂く。

 

「グ、ハ……ッ」

「……え?」

 

 けれどオールマイトは残された左腕を伸ばした。その腕で目を見開く少女を庇うように掻き抱き、地に向けて落下していく。もう着地する力すら残されていないのだ。ぐしゃりと骨を軋ませながらコンクリートに叩きつけられ、その衝撃で空は彼の腕の中から転がった。細い身体は痛みと疲労のせいで、まるで油を差していない錆びついたブリキの人形のよう。這いつくばった状態で何とか首だけ動かして、離れたところに倒れるヒーローを見た。

 

「どう、して、……どうして、」

 

 ──わたしなんかを、庇ったの?

 

「……どうして……?」

 

 ヒーローは、社会から弾き出された者たちを救わない。

 それが空がこれまで生きてきた15年間で築き上げた常識だった。この超常社会に適合できず、傷つけられた子どもたちを何人も見てきた。その涙を拭い、傷を癒すたびに、心に降り積もった諦念。

 

 “ヒーローはきっと、救けてはくれない。”

 

「……無事、かい? お嬢、さん……」

「あ……、」

 

 けれどオールマイトは、笑っていた。いつものメディアで見せる筋骨隆々とした身体はどこへやら、傷つき痩せ衰えた体躯でもって、柔らかに笑ってみせたのだ。落ち窪んだ眼窩の中、今なお輝きを失わない碧眼が、少女を見つめる。

 

「こわ、かったね。怖い思いを、させたね……」

「ぁ、や……」

「……君はきっと、優しい子なんだ。……大丈夫、」

 

 大丈夫だよ、と。肉の削げ落ちた痩けた頬でニカリと微笑み、オールマイトは立ち上がった。穿たれた身体からぼとぼとと血や臓物が零れ落ちる。その激痛は想像を絶するほどだろうに、彼は傷つき衰えた身体に気力を漲らせ、大地を強く踏み締めた。

 

AFO(オールフォーワン)を倒して、君を自由にする」

 

 そうしてグッと縮めた体勢から、弾丸のように飛び出した。彼はAFO(オールフォーワン)に肉薄し、その拳を振るう。

 

「おおおおおおお!!」

 

 左手のみのマッスルフォーム。歪な姿はオールマイトの限界を物語っていたが、それでも尚彼は突き進む。もう死んでもおかしくないはずのヒーローの拳圧を受け止め、AFO(オールフォーワン)は目を眇めた。

 

「骸骨風情が随分と頑張るじゃないか」

「このままおめおめと死んでいられないんでね!!」

「無理をするなよ、その傷だぜ?」

 

 揶揄するように言いながらも、AFO(オールフォーワン)の脳裏には6年前のあの日がよぎっていた。“腸を撒き散らし迫ってくる”。そんな壮絶な光景がまたも眼前で繰り返されていることが、巨悪の心を不可解で満たした。

 何故そこまで。

 何の為に。

 

「先程手を合わせてようやく確信を得たよ、オールマイト。──もう君の中にワン・フォー・オールは無い」

 

 今オールマイトが使っているのはその大いなる力の余韻に過ぎない。譲渡した後の残り火は使うたびに弱まっていく。

 

「燃え滓が足掻いて、何になる?」

 

 もはや吹かずとも消えゆくだけの弱々しい光。

 そんなものを携えて何を為そうというのかと(ヴィラン)は問う。何が出来るのかと。何の為にそこまで足掻くのか、と。

 

「……そうだな」

 

 答えるヒーローの胸中は暗く、酷い吹雪が吹き荒れていた。極寒と暗闇に閉ざされた世界に、ただひとつ、あたたかな火が灯る。

 

 

 

『限界だーって感じたら思い出せ』

 

 はじめは小さく、弱々しく揺れるしかなかったその火は、いつかの言葉を焚べられてその勢いを増した。

 

『何の為に拳を握るのか』

 

 ──何の為に。

 

原点(オリジン)ってやつさ! そいつがおまえを、限界の少し先まで連れてってくれる!』

 

 言葉と想いを焚べられた炎は煌々と輝き、懐かしい面影を映し出す。彼女は笑顔だった。強かに笑っていた。それが力になるのだと、教えてくれたのだ。

 

 

 

「……今の私に何が出来るって? そりゃァね」

 

 震える唇を持ち上げて、オールマイトは笑う。

 

「“平和の象徴”を全うするぐらいか、な!!」

 

 返答とともにAFO(オールフォーワン)の横っ面を殴り抜く。その腕は軋み、無数の内出血によりどす黒く色を変え、裂傷による血が夜空に舞った。

 

「俊典ィ!!」

 

 神野から駆けつけてきたのだろう、グラントリノが常の飄々とした態度をかなぐり捨てて叫ぶ。目を剥いた必死の形相。きっとそれだけ心配かけちゃったんだなァと、オールマイトは心中で謝罪した。

 ──すみません、グラントリノ。

 ──きっともう、これ以上、一緒には、

 

 

「オールマイトォ!!!!」

 

 

 ふと顔を上げる。夜空に掛かる氷の橋。その上を疾走した少年たちが、爆風により飛び上がった爆豪とともに戦場を離脱していくのが見えた。

 この悍ましい戦場を横断する真っ直ぐな軌跡。

 “個性”を用いて、誰かを救わんと動いた彼ら。

 それが流れ星のように煌めいた。少なくもオールマイトの目には、そう映ったのだ。

 

(──ああ、) 

 

 きっと今も泣いてるんだろうなァと、泣き虫な子どもを思い、オールマイトは目を細めて微笑んだ。

 

「……ごめんな、少年」

 

 眩しそうに、悔しそうに、誇らしそうに、微笑んだ。

 

「一緒に生きて、育てて、叱ってやらなきゃならんのになァ」

 

 “私はここまでみたいだ。”

 そんな弱音は何とか吐き出さず飲み込んだが、もう無いはずの胃がじくりと痛んだ。腹部に限らず、身体中が“もう無理だ”、“もう動いてはいけない”と警鐘を叫び続けている。

 

「けれど、……けれど、せめて。……次をゆく君が、未来に向かって、進んでいけるよう」

 

 それでも。

 それでもオールマイトは、平和の象徴は、笑って立ち上がる。立ち向かう。

 

「少しでも道を、照らしてみるよ」

 

 さらば。

 

 ──さらば。全てよ。

 

「……おおおおおおお!!!!」

 

 渾身。

 想いの全てを。積み重ねてきた研鑽の全てを。受け継いできた力の全てを。残された左腕に込めて、放つ。

 

 

「UNITED STATES OF SMAASH!!!!」

 

 

 その拳がAFO(オールフォーワン)を捉えて、地に打ちつける。その衝撃波は遥か空高くまで吹き上がり、オールマイトたちを除く全てのものを吹き飛ばした。報道ヘリも、グラントリノも、地面に転がっていた空も、全て。

 

「……っ」

 

 瓦礫に強かに頭を打ちつけ、視界に暗い靄が掛かる。それでも伸ばした少女の指先は、一体誰に向かっていたのか。空本人すらわからないまま──夜より暗い闇に、その意識の全てが呑まれた。

 

 

 

───

 

 

 

 は、と開いた空の目に映ったのは、知らない天井だった。常日頃彼女が訪れていたセーフハウスでも、神野のバーでもない小さな部屋だ。床にはゴミが散乱し、壁には新聞のスクラップやメモ書きが所狭しと貼り付けられている。

 

「……、ここ、は」

「お? 空ちゃん起きたか? ──寝てろよ!」

「くーちゃんお目覚めです?」

「トゥワイス、さん。トガさん……」

 

 視界を埋めた2人の顔を見、空は瞬きひとつ。それから寝かせられていたソファーの上にゆっくりと上体を起こした。薄暗い室内にはトゥワイス、トガヒミコ、マグネ、スピナー、コンプレスに、荼毘の姿。そして、

 

「空、よくやった!!」

 

 駆け寄ってきた死柄木が空の両肩を三本指で掴む。間近になった顔にはいつもの手は着けられていない。顕になったその赤い目が、爛々と燃えていた。

 

「おまえの“個性”のおかげで、オールマイトはおっ死んだ!!」

「…………え、」

「ハハ、ホラ見ろよ。あの死に顔!」

 

 そうして視線で促された先。パソコンのディスプレイにはとあるサイトに投稿された動画が流れていた。

 崩壊した神野の街。拘束され連行されるAFO(オールフォーワン)。今なお救助に動く数多のヒーロー、警察たち。そして、

 

「……ひゅ、ッ、ひ、……ッ」

 

 まるで勝利のスタンディングか何かのように、左腕を天高く突き上げるオールマイト。彼はその場に立ち続けていた。AFO(オールフォーワン)がノックアウトされたその場で、直立不動で立っていた。

 ──風穴を開けられた身体から夥しい血を流し、見開かれた碧眼の瞳孔は散大している──もう彼が動くことはないのだと、画面越しにもわかった。わかってしまった。

 

「ぉ、ぐぇ……ッ」

「わ、わ、くーちゃん?」

「あらまァ」

 

 びちゃ、ぐちゃり。腹のものを吐き戻した少女は両手で自身の口を塞ぎながら、その場に蹲った。そこから零れ落ちる吐瀉物や涙が、少女の手のひらとエプロンドレスを汚していく。

 

 だいじょぶですか、口濯げるものとタオルか何か持ってきて、とか、空を気遣うような声が少女の頭上で飛び交う。そうした言葉の中に、殺人を忌避するようなものは見当たらない。

 殺人という罪を咎めない。

 少女を責める者はここにいない。

 その違和感が凄まじかった。背中を摩るトガの手のひらの温みさえ、何か違うもののように感じられたのだ。

 

「……なァ、空」

 

 そんな時、少女は穏やかに名前を呼ばれた。吐き出した吐瀉物の上に平気で足を踏み出し、その靴を汚した死柄木は、しゃがみ込んで空と視線を合わせる。

 

「自分だけ綺麗なところにいられると、思ったか?」

「…………ぁ……、」

「人の傷を治してるだけの自分は、手を汚してないって?」

 

 そうして彼は、うっそり、微笑む。

 

「そんなわけあるかよ」

 

 まるで歌うかのように、軽快に声は続いた。

 

「おまえが癒した人間は、今日も元気に悪事を働いてる。おまえが癒したその手で、別の人間の命を奪ってる。おまえが動けるようにしたその足で、誰かの人生を踏み潰してる」

「……わたし、が」

「そう。おまえがいたから、そうなったんだ」

 

 死柄木の赤い目が弧を描く。奇しくもそれは、三日月のように鮮烈に、暗い部屋の中で輝いた。

 

「なァ、空、ずぅっと前から、おまえは(ヴィラン)だったんだよ」

 

 死柄木にとって空はこれまで、酷く中途半端な存在だった。表の社会で生きていけないくせに、倫理観や善性を未練たらしく持ち続けていた少女。“誰かを治す”という大義名分でもって、間接的に誰かを殺し続けてきたくせに。あまつさえ懐かしそうに、嬉しそうに、ヒーローを見つめて“よかった”などと宣う。

 その滑稽なメッキを剥がしてやりたかったのだと、歓喜を込めて死柄木は声を熱くさせた。

 

「でも今日、やぁっと自覚しただろ? そして社会もおまえをこうして大々的に報じてる──オールマイトを殺した、大悪党だって」

 

 空は何も言えなかった。歪で掠れた呼吸を繰り返すのみだ。だからつけっぱなしのディスプレイから流れるメディアの声がよく響く。

 ──オールマイトを喪ったのは世界の喪失だ。

 ──何故彼が死ななければいけなかったのだ。

 ──その原因になったのは(ヴィラン)連合、あの強大なマスク(ヴィラン)

 

 ──そして何より、

 ──マスク(ヴィラン)を治癒して手助けした、あの少女。

 

「……あ、ぁ、あ……」

 

 白髪を掻き乱し、頭を抱えて蹲る。そんな少女の姿に死柄木は目を細めて微笑んだ。

 “(ヴィラン)になりきれない子を(ヴィラン)にするには、大衆の声が一番だ。”

 かつて教えてくれた先生の声に頷いて、彼は少女の肩を叩く。気にするなと慰めるように、よくやってくれたと労うように、ようこそと歓迎するように──この上ない歓喜を込めて!

 

 

「ハッピーバースデー、空。今日からおまえは名実ともに、最悪で最高の(ヴィラン)だ!!」

 

 

 

───

 

 

 

 夜の帳が下りきってからも、そのビルは慌ただしく稼働していた。ヒーロー公安委員会。ヒーローを統括し治安維持に務める組織。その長である女傑もまた例外ではない。災害時の交通規制、救助に当たるヒーローの選出、要請、係る費用の捻出や計算、伴う申請書の作成──次々に積み上がる仕事を処理していた時だった。

 公安所属のビル。その最上階に位置する委員長室の扉を慌ただしく叩き、駆け込んできた一人の青年。彼と対峙し、公安会長はつと目を細めた。

 

「……あら。案外速かったのね」

「皮肉ですか? 遅すぎるくらいでしょ」

 

 青年、ホークスは額に汗をかき肩で息をしていた。担当地域である博多からこの東京まで飛んできたばかりと見える。

 

「そう、遅すぎる──遅すぎたせいで、あの子はこんなことになってしまった」

 

 彼が言う“あの子”が誰なのか。公安会長は当然知っていたし、彼がその件について直訴しに来るであろうことも予測していた。だから淡々と、迎え撃つことができる。

 

「だから何なのかしら。まさか、今更あの子の罪状や指名手配を取り下げろとは言わないわよね」

 

 ぐっ、と険しくなった眉間の皺を見やり、会長は小さく息をついた。それは溜め息のようでそうではなく、彼への憐憫も含んでいた。

 

(……馬鹿な子)

 

 飄々とスマートに、世の何もかもを俯瞰したように振る舞うホークスは、その実誰よりも理想を追い求めるヒーローだ。自分がそうであったように、誰かの未来を明るく照らそうとする。そのために自分に犠牲や責任を強いることも辞さない。

 だからホークスは、いつか取りこぼした小さな少女のことを、忘れることなく覚えていた。“攫われたのは仕方ないことだった”、“小さな貴方にはどうしようもないことだった”と周囲が幾ら宥めても、彼は断固として首を縦に振らずに。

 

『【治癒】は、稀少な“個性”……まだあの子は、きっとどこかで生きている』

 

 そう信じた彼は、公安から指示された任務やヒーローとしての業務の合間に【治癒能力を持つ白髪の子ども】について独自に調査していた。いつかどこかでまた会えて、暗い場所から救い出して、そうして光の中に連れ出すことができると──信じて、信じて、信じ続けて。

 その結果に起きたのが神野事件であり、オールマイト殺害だった。

 

「……確かにあの子の治癒がAFO(オールフォーワン)を援護した。それがオールマイト殺害を幇助したのは事実です」

 

 ぎり、と食いしばった歯の奥から、絞り出すような声でホークスは言う。

 

「けどそれは、あの子の置かれた環境がそうさせたんです。あの子は本来、誰かを傷つけることをよしとない。……“個性”を奪うのが怖くて、ひとりきりで閉じこもって、それでも誰かの役に立ちたいって、必死に思ってた」

 

 ホークスの訴えを聞きながら、会長もまたいつかの時を思い出していた。当時のホークス少年が連れてきた痩せ細った少女は、傷つけることも傷つけられることも怖くて、ただ怯え震えていた。小さな小さな、悲しく寂しいこどもだった。

 

「あの子は、きっと──攫われてさえいなければ、誰かを殺すなんてこと、なかったんだ」

 

 そうかもしれない、と言葉なく彼女は思った。

 あの時、あの夜。ほんの少し何かが変わっていれば、あの少女はこちら側に立って、光に向かって生きていたかもしれない。

 オールマイトを殺すことなく、むしろその“個性”を以て、彼を救うことができたのかもしれない。

 

(……けれどそれは、もう、)

 

 ──実現しない、もしもの話だ。

 

「だからっ、」

「“彼女に非は無い”と、今回殺されたのがエンデヴァーだったら、貴方は同じことが言えた?」

 

 ホークスは絶句した。辛うじて掠れた息が喉から漏れたが、それは言葉になりきらない。反論する術を探そうとしているのだろうが、聡明な彼だからこそ、見つからないのだろう。会長はそれを見てとって、金糸の睫毛を伏せた。

 

「わかっているでしょう、ホークス。人は簡単に感情を切り離せはしない」

 

 長年にわたって人々を救い続けたグレイトフル・ヒーローは、数多の人々に愛された。その一挙一動に熱狂し、その偉業を讃え、厚い信頼を置いたのだ。

 それが如何に、世界に浸透していたか。

 

「平和の象徴が齎していたのは、犯罪率5%だけじゃないわ。

 “あの人がいれば大丈夫”という、平和に浸かれることへの安心感。そして、“あの人みたいになりたい”という、平和へ向かう意志」

 

 現在のヒーロー飽和社会も、オールマイトという不動のNo.1がいたからだ。彼の光に照らされ、彼の光に憧れた者たちが、後に続こうとした。そうするだけの影響力が彼にはあったのだ。

 

「精神的にも、柱たりえた人物だった」

「……今回の殺害によって、それが揺らぐと?」

「ええ。貴方も、幾らでも予想できるでしょう」

 

 例えば、オールマイトに憧れたヒーロー志望の少年少女が、声を枯らして泣き叫ぶ。“どうして彼が殺されなければならなかったのか”。彼を襲った理不尽と無念を思い、問い続け、涙すら枯れきったその充血した眼は、一体どこに向かうのか。

 平和へ向かう意志が、怨嗟によって歪みはしないか。

 

「早急に手を打たねばならない──わかるわね?」

 

 会長の氷の眼差しに射られて、ホークスは拳を固くした。彼は聡明だったから、頭の冷静な部分でわかっていた。理解などとうにしていた。

 ただ心だけは納得せずに、少女の名を呼び続ける。

 

(──愛依……、)

 

 ぎちり、とグローブ越しに無理やり握り締めた手が悲鳴を上げる。けれどそんな痛みより、心を暗く染める後悔の方が、ずっとずっと痛かった。

 

 

───

 

 

「ッげほ、……ぐ、ェ、っ……」

 

 空は苦しげに喘鳴を漏らしながら、覚束ない足取りで走り続けていた。死柄木やトガヒミコの手を振り払い、先程の部屋から飛び出して、一体どこへ向かっているのか。

 どこへ、行きたいのか。それすらわからないまま、空は廊下を進み階段を登り続けた。ただ、ただ、ここではないどこかへと。

 

「は、ぁ……っ」

 

 そうして体当たりするようにして押し開けた扉の向こうは、屋上だった。日付も変わり、草木も眠る丑三つ時。とっぷり暮れた夜の街に、ぽつりぽつりと仄かな灯りが灯されていた。

 

「……ッ」

 

 この灯りが灯る全てに、誰かが生きている。

 全ての生きている人たちが、わたしを責めている。許さない、許さない、許さない、……

 

 ──“どうしてオールマイトが、死ななくちゃいけなかったんだ!!”

 

「ぁ、あ、あァ……っ」

 

 青い目に映る全てが、脳裏に響く声の全てが、少女の罪を叫んでやまない。空はふらつきながら手すりに縋りついた。ひやりと冷えたそれに額を当て、下を覗き込む。

 街中にある小さなこのビルは、全6階建てほどと見える。その屋上から見下ろす地面は程々に遠く、これなら充分(・・)な気がした。

 

(ここから、……落ちれば)

 

 そうすれば、何もかも、終わりにできるかもしれない──そう思って手すりを掴む手に力を込めた。その時だ。

 

「翼があるくせに、おまえは落ちて死のうとするんだな」

 

 背後から聞こえてきた声に、びくりと肩を竦ませる。それからか細く息を吸って、吐いて。空は振り返り、そこに立つ荼毘に向き直る。

 

「……空なんて、飛べないもの」

 

 ふ、と唇に乗せたそれは、笑みにしてはあまりに悲しい。

 

「わたしにとって(そら)は、いつだって、死ぬための場所だよ」

「飛び込めば一瞬で終われるからか」

「うん」

 

「終わらせたいか?」

 

「──う ん、」

 

 空は淡々と頷いた、つもりだった。その筈なのに声が喉の奥に蟠って、上手く紡げない。

 

「……わたしは今まで、“ヒーローに救われなかった子どもたちを救ってほしい”って、先生の願いを叶えるために生きてきた。そうすれば、こんなわたしでも、生きてていいんだって思えたから」

「……俺の火傷を治したのもか」

 

 空はこくりと、項垂れるように頷く。俯いているから彼女は気付けない。荼毘がその返答に、苛立つように目を眇めたことに。

 

「でも、……でも、オールマイトはわたしを救った。

 どうして? わたしは、いらない、子どもで。ヒーローは救わないはず、なのに」

 

 空っぽだった少女が唯一縋れた言葉を、オールマイトの拳が打ち砕いた。オールマイトが少女を庇った腕はあたたかく、向けた笑顔も声も優しかった。

 

AFO(オールフォーワン)を倒して、君を自由にする』

 

 あの言葉に偽りはなく、かのヒーローは、真に少女を救おうとした──だからこそ空は絶望したのだ。

 

「……あの人だったら、きっと、わたしなんかよりずっと、たくさんの子どもたちを救える。

 それなのにわたし、わたしは、……あの人を、殺しちゃった」

 

 自分の生きていていい理由を、自分自身の手で、潰してしまった。

 それがあまりに、馬鹿らしくて。空は自嘲の思いで笑みを作った。

 

「世界中のみんなが、わたしを責めてる。“わたしのせいで”って、怒ってる。当たり前だ、……わたしのせいで、オールマイトは、死んだから」

 

 自分を死に追いやった一因である小娘すら、オールマイトは気に掛け、その命を賭して守った。正しくヒーロー。大きく正しい優しさとあたたかさに溢れた彼は、多くの人々に愛されていた。望まれていた。

 

(わたしとは、……違って)

 

 空はぎゅうと、胸元を握り締める。

 

「世界中の、誰もが、わたしが生きてることを望まない。そんな中で、わたしは、……生きていけない」

 

 握り締め過ぎたその手は蒼白で、ぶるぶると震えていた。

 

「怖くて、怖くて、たまらない。……だったらもう、みんなが望むまま、死んでしまいたい……」

 

 視界がぼやける。このまま見えなくなればいいのになんて思いながら目を細めると、その頬を涙が伝った。嗚咽を噛み殺そうとしてできなくて、肩を震わせる。ぐしゃぐしゃになってなお笑おうとする表情は歪で、滑稽だった。

 

「……随分といい御身分だなァ」

 

 だが、荼毘は笑えなかった。中途半端で不気味で歪な小娘が、存在理由の喪失と呵責の念に耐えきれず自ら命を断つ──そんなこと彼にとってはどうでもいいはずで、そのまま鼻で笑って見ていればよかったのだ。

 

「絶望して、死んで、綺麗に罪を償ってハイ終わり?」

「、……だ、び?」

「そんな楽に終わらせてたまるかよ」

 

 それなのに彼は、そうしなかった。

 ずかずかと大股で歩み寄り、空の胸倉を掴み上げ、無理やり顔を上げさせる。彼の行動の意味が理解できない空は、呆然と荼毘を見上げた。

 

「……どうして、」

「どうして? ……、」

 

 どうして、空を死なせまいとするのか。

 改めて問われて、荼毘は答えに窮した。ざらついた舌の根を転がして、彼は目を伏せる。

 

「……なんでだろうなァ」

 

 不可解そうに荼毘を見つめる空の睫毛に、涙の粒が乗っている。ぱちり、瞬きの度にそれが僅かに光って、散っていく。

 その弱くてちっぽけな、僅かばかりの輝きを、このままずっと眺めていたい。そんなことを訳もなく思ったのだ。

 

「……荼毘?」

「……あァ、そうか。わかった──ムカつくんだ」

 

 荼毘は口角を吊り上げた。酷薄に、わらってみせる。

 

「勝手に俺に付き纏って、勝手に“救ける”だの言っておいて、自分の都合が悪くなりゃトンズラ──そんな奴、ムカつくに決まってんだろ?」

「な……わ、わたし、は」

「反論できるだけの元気はあんのな」

 

 揶揄するように喉を鳴らし、荼毘はひたりと、空を見据える。

 

「なァ、空」

 

 いつだったか気まぐれに付けた名前を呼んで、うっそりと笑みを深めて。

 

「可哀相になァ、おまえは誰かの傷を治してただけなのに、いつの間にかヒーローどもに、この社会に、(ヴィラン)にされちまった」

「……、」

「誰もおまえを愛さない。必要としない。救けちゃくれない」

 

 そうして荼毘は甘やかな声で、現実を突きつける。一声ごとに空の青い目が暗く揺らいでいくのを見てとり、心の奥底で歓喜した。

 

(あァ……、そうだ)

 

 ──おまえは俺の言葉だけに傷ついて、

 

「……けど俺は、おまえを必要としてやるよ」

 

 ──俺の言葉だけに、救われればいい。

 

「おまえは俺のために生きて、俺のために死ね」

「……あなたの、ため?」

「そうだ。俺が、俺の夢を果たすために。そのためだけに生きろよ」

 

 空はその言葉を、信じられないような気持ちで聞いていた。自分は自分で存在意義を潰してしまった愚か者で、誰からも愛され望まれる人を殺した大罪人だ。

 それなのに、

 ……それなのに、

 

 

「俺は、それを望んでる」

 

 

 は、と目を見開いた拍子に、青い目から涙が零れ落ちた。僅かばかりの輝きが、ぱっと散って、夜に溶ける。

 それを見た荼毘の目が、微笑みのように細められた。そして彼の手は空に伸び、血が滲んだ彼女の頬に触れ、拭う。それは全く優しくはなく、むしろ痛いぐらいだったけれど、空にとってはそれぐらいがちょうどよかった。

 

 じんじんと鈍く疼く痛みは、決して優しくはないけれど。すぐ傍にいてくれることを、教えてくれる。

 

(……ああ、)

 

 ──わたしはまだ、生きてていい。

 ──この人の傍なら。

 

 空は荼毘に倣って笑おうとした。けれど口を開けた途端、それはぐにゃりとひん曲がる。込み上げてくる嗚咽と想いが止められず、彼女は声を上げて泣き出した。わんわんと、ぼろぼろと、大粒の涙をこぼして。

 

 産声みたいに泣き叫んだ。

 

 

if√ 04.ハッピーバースデー

 

 


 

 【依存】の本編を書く際、「オリ主の存在によって物語がこうなればいいな」と思いながら書いているのですが、if√については「オリ主が敵側にいたらこうなってしまうだろうな」と思いながら書いています。そのため今回のオールマイトの件については作者の完全に趣味ではないというか、本当に断腸の思いというか……辛くて書きたくないけど書きたいという不思議な気持ちでした。

 

 今回のタイトルは【ハッピーバースデー】だったわけですが、この場面を介してAFO(オールフォーワン)の言いなりだった空が自分の意思で動き出します。それがどんな結果を生むのか、また死穢八斎會編を通して書いていけたらと思います。これもまた今回みたいにそんなにハッピー!な話ではないのですが、またお付き合いいただければ幸いです。

 

(2024/1/21)

 今回はこのif√4話の他に番外編に【しあわせを頬張る】をアップしています。こっちはちゃんと幸せな本編軸幼少期オリ主とホークスと目良さんと会長のほのぼのお正月短編です。もしよろしければお読みください。

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