仕事に行くのだろうスーツ姿の人たちが、かつかつと革靴やヒールの音を響かせる。休日を満喫しようとしているのか、楽しげに話しながら歩く人たちも大勢いた。ありとあらゆる人々が行き来するここ──静岡駅の片隅で、わたしはキャリーバッグを手に視線を持ち上げる。こちらを見下ろすプレゼントマイクの視線とぶつかって、彼はにやっと口角を上げた。
「ヘイガイズ! アァユゥレディ!? 手荷物全部持ったか? チケットは? 新幹線でパクつく駅弁の用意はOK!?」
「!? お、オーケイ……?」
「おーけーダゼ!」
「些か声量が大きいのではないか」
おずおずと握り拳を作るわたしに、バンザイしながら答える
「ったく、学生っつーのはどーしてこう……」
「マイク先生?」
「いやわかる! わかるぜ? 色々やりてーし、強くなりてェ。だから艱難辛苦エトセトラ、何でも突っ走っていけんだろ」
頭をがしがし掻いたかと思えば、わたしと常闇くんの肩をバンバン叩き、大きく頷いてはしみじみ語り出す。くるくる変わる表情と明朗な声はいつものプレゼントマイクのそれだけれど、……その底に、“いつもの”ではない何かが滲んでいるような、そんな気がした。
「“Plus Ultra”! “よい受難を”!──それは大いに結構だ。でもなァ、」
プレゼントマイクの目が、サングラス越しに細められる。それは懐かしいいつかを思い出すようにも、
「……ちゃァんと元気に帰って来いよ。じゃないとイレイザーが泣いちゃうぜ」
そうして、ぽん、と。びっくりするぐらいの優しい力で肩を叩かれて、わたしたちは目を丸くする。そんなわたしたちにからりと笑って、プレゼントマイクはこの場を歩き去っていった。後ろ手に掲げた手を、振りながら。
「……相澤先生が泣く……」
「……あまり想像できんが、そうだな、俺たちの無事を祈念してくださっているのは確かだろうな」
常闇くんの言葉に、わたしはあの夏の日を思い出す。じわじわと鳴く蝉の声が遠く響いていた、静かな職員室。わたしたちの身の安全を考慮して、「インターンは今すぐじゃなくていい」と、“今は諦めろ”と諭してくれた、相澤先生の眼差しを思い出す。
(きっとあのまま従っていた方が、相澤先生に心労を掛けずに済んだ)
それを思えば、脳裏に後悔が掠めるけれど。それでも、と拳を握る。俯きそうになった顔を上げて。
「……それでも、先生方は、わたしたちを送り出してくれたんだよね」
「その通り。なればこそ我らは、より高く強く飛翔するのみ」
常闇くんは深く頷き、わたしに向かって振り返る。その朱殷の瞳は強かった。
「行くぞ、
「……、うん」
頷き合って、改札口に向けて歩き出す。
今日からわたしたちは福岡──ウイングヒーロー・ホークスの元で、インターンに臨むのだ。
───
新幹線の指定席に腰掛け、飛ぶように流れていく景色を眺める。静岡から博多まで4時間半ほど。着くまでに昼食は済ませておいた方が良いだろうと、わたしと常闇くんはプレゼントマイクに買ってもらったお弁当をそれぞれ開けた。
(腹は減っては戦はできぬ、なんて言うし)
体調を万全に備えて、ちゃんとしなきゃ。
……わたしのやるべきことを。
『あなたに命じます。
ホークスの元でインターンを行いながら、
あの夜、公安会長は言った。神野と多古場。2度に渡って
(……死柄木弔とトガヒミコの思惑が、同じとは限らないけれど)
前者は【治癒】の“個性”を求めた故の拉致だった。後者は、……今もまだ、よくわからない。よくわからないけれど、今も鮮明に、思い出せる。
『役に立つとかはどうでもいいのです。だってトガが、
まるで本当にただの少女のようなことを言って、にんまり笑ってみせたトガヒミコ。赤い頬。吊り上がった唇から覗く赤い舌。握った包丁が鈍く光り──赤い赤い、血が滴った。
『ッい゛、……っい、一緒にいたいって、どうして、』
『“どうして”? トガはただ、カァイイ友達を、もっといっぱいカァイクしたいだけです』
わたしを抱き締めながら、わたしの背をナイフの切先で抉る。“一緒にいたい”と笑いながら、わたしに血を流させる。
痛みで歪んだわたしの顔を覗き込んで、“カァイイネ”って、どこまでも幸せそうに笑った。
(トガヒミコは純粋な好意で、人を傷つける)
人が人を大好きと思う気持ちを、どうやって堰き止めることができるだろうか。きっとどうあっても止められないから、トガヒミコは突き進んで、果ては
彼女が自分で止められないのなら、止まるつもりがないのなら、ヒーローが止めるしかない。──彼女の“好き”が、誰かを傷つける前に。
(……つくづく思うけれど、やっぱりわたし、恵まれすぎてる……)
わたしの“個性”は両親の人生をめちゃくちゃにしてしまった。にも関わらず、そんなわたしをホークスが救けてくれた。公安のサポートのおかげで、今は何不自由なくみんなと生きてる。生きていける。
──わたしだってトガヒミコと同じ、“好き”の気持ちで大切な人を傷つけたのに。
「……ねえ、見てあの子たち。雄英の」
「白い羽根の子は神野の……」
思考の海に落ちていたその時だ。小さな小さな囁き声を羽根が拾い上げる。年配の女性2人組に加え、他にも数名──同じ車内に座っている人たちから、こちらを窺う気配がした。
(……やっぱり、注目を浴びてる)
神野事件から1ヶ月が経った今、事件当初のようなほとぼりは冷めたとはいえ、渦中にいたわたしたちに対し衆目が集まるのは当然のことと言えた。インターンでもそれなりに目を引くことになるだろう。
(そしたら公安の狙い通り、
あの日の続きだ。わたしが
あの日。仮免試験中にできなかったことを、今度こそ、ちゃんと──
「──空中、食べないのか?」
「、へっ」
ふと、隣から掛かった常闇くんの声に、わたしは顔を上げた。彼は緩く首を傾げて、わたしをじっと見つめている。
そう言えばお弁当を開けたばかりだった、と気付かされて、わたしは慌てて頷いた。
「あ、や、たっ、食べるよ、うん」
「些か挙動不審だぞ」
「ソラ、ハラヘリカ?」
「そ……うだね。お腹空いたかも」
「ならば馳走になろう。腹拵えも肝要だ」
常闇くんが幕の内弁当を開くのに倣って、わたしもサンドイッチボックスを開いた。レタスやハム、ポテトサラダ、たまごがたっぷり挟まったサンドイッチは優しい色合いで、ふわりと気分が華やいだ。デザートの林檎も入ってるんだなあ、とわたしが視線をやったその時だ。隣からの声が弾む。
「リンゴ……!」
「、ふふ。
「エッイイノカ……アッ」
「?
金色の目をきらきらさせた
「ソラ、ハラヘリダロ?」
「? うん、そうだけど……」
「ジャアチャント食ッテ元気ダセ!」
「!」
にぱっと笑った
(……いけない。顔に出てたのかな)
こんなのじゃだめだ、と小さく息を吸って、吐いて、笑顔と気持ちを整える。
「ありがとう。じゃあ、半分こね」
くし切りにされた林檎を更に半分に割って、片方を常闇くんに差し出す。彼は戸惑うように目を見開いたけれど、ぱっと傍らの
半分こにされた小さな林檎の欠片。それをじっと見下ろしながら、彼は口を開く。
「……民衆はさまざまに言う。良くも悪くも、如何様にも。だから空中、おまえもきっと、思うところはあるだろう」
「え……、」
唐突に言葉を向けられて、わたしはただ息を飲んだ。ふいに生まれた沈黙を、かたんかたんと小さな振動音が埋める。
わたしをひたと見据える、常闇くんの声に疑問符は無かった。“そんなことないよ”とか、“気にしなくても大丈夫だよ”とか、そんな言葉では太刀打ちできない確信があった。
「と……、常闇くん? どうし、」
「口を硬く閉ざし、ひたすらに耐えることで、誰かを守れるということもあるだろう。現におまえはそうやってのけた。……だが、」
彼の嘴が、ぎりりと、苦しげに悔しげに軋む。そんな彼の表情を見るのは三度目だった。
一つは、職場体験。指定
そしてもう一つは、仮免許取得試験。トガヒミコの強襲によって負った背中の傷を治し終えて、“もう治ってるから大丈夫”と告げた時だ。その時に押し黙った彼と、同じ表情をしている。
「一人きりで傷つくのは、もう無しだ」
「……それは、」
「我らは共にインターンに臨むのだ。なればこそ、苦難も困難も共に分かち合うべきというもの」
澱みなく紡がれていた言葉が途切れ、わたしたちの間に沈黙が降りる。そのほんの僅かな間、小さな息遣いがわたしの羽根を揺らした。
懇願するような、声の震え。
「……“半分こ”だ。……違うか、空中」
「……、……ううん、」
小さく首を横に振って、“そんなことない”と呟くように返す。それだけしかできなかった。
だって、本当のことなど言えないのだから。
(──“これは公安からの任務だから”、)
だから常闇くんの“共に”という言葉に、心の底からは頷けない。これはわたしがやらなきゃいけないことだ。頑張らなきゃ。頑張りたい。……そのためにわたしが傷つくことがあっても、大した問題ではないと言い切れる。
わたしのすぐ治る傷と、救うべき人の命。
わたしのすぐ消える痛みと、
2つの“大切”を天秤の両皿に乗せれば、──どちらを選ぶべきかなんて、決まりきっている。
天秤は、わたしの方へ傾かない。
『“個性”を正しく活かして、人々を救う。時には身を呈する必要もあるわ──それがヒーローなんだって、わかってる。わかっては、いるのよ。でも、』
ぼうっと考え込んでいたせいだろうか、ふと、脳裏に梅雨ちゃんの言葉がよぎった。
『──それでも私は、愛依ちゃんが傷付くのは、嫌よ』
大きな丸い目から、ほたり、ほたりと零れ落ちる涙を、思い出していた。
「……っ」
不思議だった。もらった言葉も涙も気持ちも、全部全部優しいのに、今こんなにも胸が痛い。
「ソラァ……?」
「空中? ……どうした?」
「……大丈夫だよ、何でもない」
思い描く正しさに進もうとするわたしと、常闇くんや梅雨ちゃんたちに手を引かれて立ち止まろうとするわたしの、二人がいるかのようだった。相反する気持ちに引っ張られて、考えや心がまとまりきらない。
けれどひとつ、わかったことがある。
(……わたしひとりが頑張って、傷ついてでも解決できれば、それでいいんだと思ってた。それが何より、一番の正解だって)
大切な人たちを守る。そのためなら自分が傷ついたって構わない。
この決意が全て無くなったわけではないけれど、そこに被さるように声が聞こえる。目蓋の裏に、みんなの顔が浮かんでくる。
わたしたちA組の無茶を諫めようとしてくれた相澤先生。わたしなんかのために心を砕いて、心配して、怒って、泣いてくれたA組のみんな。
──わたしが傷ついたら、きっと、傷ついてしまう人がいるんだ。
「……うん、よし。わかった」
「? 何がだ?」
「インターン、なるべく怪我しないように頑張るね」
「“なるべく”では足りんぞ空中。厳守だ」
「ゲンシュ!」
「え、ええ……」
むっとわたしを見つめてくる常闇くんの横で、
傷つかないように、怪我しないように気をつけながら役目を果たす。こう決めて迷い全てが拭い切れたわけではない。本当に大丈夫かなと、不安な気持ちは蟠ったままだ。
(……でも、)
この決断を名付けるならば、
“どっちつかず”でも“中途半端”でもない、別の言葉がいい。そう、祈るように思った。
───
久々の博多駅は、以前のような賑わいを見せていた。交通の要所であるとともに、数多の店舗が建ち並ぶ駅ビル街でもあるここは、今日も老若男女、さまざまな人が行き交っている。
「なんだか、懐かしいね」
「たった3ヶ月前だというのにな」
そう。ほんの3ヶ月前、わたしたちは職場体験のためにここ福岡を訪れた。それなのにずいぶん昔のことのように思うのは──この3ヶ月で色んなことがあったからか。
そんなことをぽそぽそ話しながら、わたしたちは前回と同じように、人波に呑まれないよう少し早足で改札を抜けた。ホークス事務所へ向かうべく、バスターミナルを目指して駅前広場を歩く。そんな時だった。
「……?」
見上げた街路樹。風に揺られて擦れる葉の向こうで、
「──!」
息を飲んだその直後、耳を劈く炸裂音が轟いた。ビリビリと痛いほどに震える羽根が、断続的に続く爆発音と、建物の崩れる音と、人々の悲鳴と逃げる足音を拾い上げる。
「常闇くん……!」
「ああ! ──
アスファルトを蹴り羽ばたいたわたしも、
でも今は違う。ヒーロー仮免許を取得したわたしたちは、緊急時に限ってヒーローと同等の権利を行使できる!
「きゃああ、……っあ?」
「っもう、大丈夫です……! このまま避難してください!」
降ってきた瓦礫の下敷きになりそうだった人たちを、飛ばした羽根で手元に引き寄せる。また別の人たちに降り注ぐ瓦礫を受け止め、砕く常闇くんと
先ほど街路樹越しに光った
(……妙な臭いは無し。避難している人たちに涙や痙攣、吐き気や呼吸困難などの症状も無し。街路樹の変色など異常無し──化学テロの線は薄そう)
崩れかけている看板を見る限り、爆発が起きているのは飲食店の入ったビルでは無さそうだけれど──だとしたら、
(とにかくまずは、被害に遭った人たちを避難させなくちゃ……!)
酷い爆発があったのはビルの上階のようで、階段が生きてるのか階下の人たちは自力で避難できている。ならばとわたしは大穴の空いた上階に飛び込んだ。咄嗟のことで装備の全ては持ってこれなかったけれど、何とか掴んできたゴーグルを掛け、粉塵の中に目を凝らす。
そこはどこかの会社の事務所のようだった。多くのデスクやパソコンが、爆風の影響で薙ぎ倒されている。口元を庇いながら羽根を飛ばして辺りを窺うけれど、爆発から発生した小火の音と、地上からざわめく人々の声と、それぐらいしか拾えなかった。痛みに呻く声も、布擦れの音も、歪な呼吸音も、聞こえない。
「──救助者です! 誰かいますか! 動けない方は小さくても構いません、声を上げて……!」
その静けさが、あの神野の夜と重なった。赤ちゃんの泣き声が、小さくか細くなっていって、ふつりと途絶える──あのぞっとするような静寂を思い出して、わたしは振り切るように声を上げた。
ほんの小さなサインで構わない。この羽根で拾い上げて、駆けつけて、すぐに救ってみせるから。
そう願いながら羽根を四方に飛ばしていたその時だ。
──パキン、と。瓦礫を踏む音がして、わたしは弾かれたように顔を上げた。
「やあ。君は……いつ・どんな紅茶を飲む?」
「……、は……?」
こんな非常事態にも関わらず呆気に取られてしまったのは、現れたその男性がこの状況を上回るほどに現実離れしていたからだ。
オールバックにされた白髪。整えられた口髭。丸みを帯びたシルエットのズボンは縦縞。濃い紫の燕尾服のようなものを着ていて、通常より長すぎる襟や裾が風にはためいている。立ち方や物腰は紳士然としているけれど、それがより彼を奇妙に見せていた。
(爆発が起きたこんな場所で、状況で、落ち着き払ってる……)
どこからどう見ても一般人ではない、と見てとって、わたしは身構えた。だって彼には、傷ひとつない。
「ど、どなたですか。この地域管轄のヒーローですか……!?」
“そうであってほしい”という一縷の望みを懸けて問いかけたわたしに、何故かその人は目を見開いた。彼の碧眼が丸くなって、ふるりと震える。
「……、」
「……?」
彼は黙ったまま立ち尽くす。わたしもまた、彼の様子や返答を窺っていたから何もできなかった。奇妙な沈黙の中、彼が静かに目を閉じる。まるで何かを振り切るように──そして、小さく唇が動いた。
「……そうであれば、どんなに……、」
「え?」
わたしが聞き返したのが、いけなかったのだろうか。彼はかっと目を見開き、凄みのある笑みを浮かべた。目を縁取る隈のようなものが、歪む。
「撮り直しだ
《わかったわジェントル!》
「……!?」
“撮り直し”という言葉の意味を聞き返す間もなく、男性の声に応えるように高い女性の声が響いた。恐らく
彼は地域管轄のヒーローか、と訊いて頷かなかった。“そうであれば”と呟いた。ヒーローではなく、一般人にも見えない。だとすると──
(
背中の羽根を飛ばして、男性の周囲に展開させる。女性を探すべくフロアー外にも数枚飛ばして、わたしは唾を飲み込んで口を開いた。
「……もう一度質問させてください。あなたのお名前は? 今ここで何をされていたのですか。身分を証明するものは何か、」
「
「、は……!?」
男性は急に芝居がかった口調で、大声で話し始めた。面食らうわたしの前でどこからともなくティーカップとポットを取り出し、やたら高い位置から紅茶を注ぎ出す。高すぎるのと、半壊した建物のせいで吹き曝しになっているのとで、お茶がびしゃびしゃと溢れまくっていた。
「な、なんで今、紅茶……?」
「フフフ……知っているかね? こう注ぐと茶葉が上下に跳ね上がるジャンピング現象が起こり、茶葉の美味しい部分だけが水に溶け出すのだよ」
「……でもそれ、実はあまり意味ないって友だちが言っていたような……」
「えっウソ」
何かの漫画で見たことがあったらしい上鳴くんと峰田くんが高所から紅茶を注ぐのを、詳しい八百万さんが困ったように窘めていたっけ。
──いや違う!こんな風に楽しかったことをほわほわ思い出してる場合じゃないんだってば……!
(……何だか調子が狂う……でも、)
決して油断しちゃだめだ、と心に言い聞かせる。どんなにおとぼけというか、コミカルな様子だとしても、気を抜いちゃいけない。
ここは不審な爆発が起きた現場であり、彼はそこに現れた重要参考人なのだから。
「ゴホン! ここも後でカット掛けといてね……、……私は必ず仕事前と後、仕事の大きさによって紅茶のブランドを選ぶ。
そしてこれは高級紅茶ロイヤルフラッシュ。つまり、どういうことかおわかりか?」
「え? え……と、」
《違いのわかるジェントル格好いいってこと!?》
「へっ?」
「そうとも言うし、それだけではない!」
「え、えっ……」
紅茶をびしゃびしゃさせている男性と、どこからか歓声を上げる女性。わたしを置いてポンポンと弾むように交わされる会話は、まるで演劇のようだった。困惑して立ち尽くすわたしを余所に、ジェントルという名前らしい男性は大きく腕を広げる。まるで舞台上の、演者みたいに。
「高級な紅茶を口にする──つまりそれは私が、このジェントル・クリミナルが!
その言葉を聞いた途端、背の羽根が総毛だった。は、と息を吸い込んだ奥の喉が、からからに乾く。
「
「そうとも! 君も今日上がる動画を見るといい。ここはとあるヒーロー事務所でね、なんと裏で
わたしは最後まで聞かず、硬化させた羽根を一斉に差し向けた。ジェントルを昏倒させようとしたけれど、何か透明なものに弾かれてしまう。
「! 弾かれた……っ」
「ふ、フフフ! ビジュアルに反して暴力的! 今その羽根で私を殴ろうとしたね!? なんと恐ろしい……!」
「暴力的なんて、あなたに言われる筋合いはありません!」
喉が渇く。震える指先を無理やり握り込んだ。
ああ、そうか、わたし──怒ってる。
「……この爆発で、何人の人が傷ついたと思ってるんですか」
「重傷者がいたというのかね?」
「全員の確認は済んでいませんが、落ちてきた瓦礫に当たりそうだった人たちがいました。それに、物理的な怪我だけじゃない」
わたしとジェントル以外は誰もいないらしい──ラブラバと呼ばれる女性を羽根で探しているけれど、まだ見つからない──このフロアーは酷く静かだけれど、外からはひっきりなしに悲鳴が聞こえてくる。
突然の爆発に驚いた人、泣いている子ども、避難の最中はぐれたのだろう、誰かを必死に探して名前を呼ぶ声。それらがずっと、わたしの羽根を震わせている。
「彼らは、……当たり前に、日々を過ごすはずだったんです」
今は昼下がり。仕事に取り組んでいた人もいただろう。久々の休日を楽しんでいた人だって、晩御飯の買い物に出ていた人だって、穏やかな午後の散歩を楽しんでいたおじいさんやおばあさんだっていたはずだ。
そんな優しい“当たり前”が、突然引き裂かれていい理由なんて、わたしには考えられない。
「“当たり前”……なるほどなるほど。確かにヒーローはそれを守りたがるだろうとも」
「……、あなたは違うと?」
それなのにジェントルは、その落ち着きを乱さなかった。少なくともわたしの目にはそう見えた。碧眼の奥が僅かに揺れた気がしたけれど、すぐに芝居じみた笑顔に掻き消されてしまう。
「そうとも!! 私は救世たる義賊の紳士、ジェントル・クリミナル!! この“当たり前”に蓋をされ、腐ってしまった世を変えるべく、警鐘を鳴らす者!!」
大きく腕を振って一礼してしてみせた彼は、その姿勢のまま目線だけ持ち上げた。わたしを、見据える。
「雄英高校1年A組、空中
「!? どう、って」
「今のままの“当たり前”が続けばいいと、本気で思ってるのかい!?」
──“当たり前”になった社会の裏で、苦しみ喘ぎ、泣く者がいるのに!?
「……そ れは、」
それは、どういう意味なのか。
何を、
わたしが問い返すよりも早く、けたたましいアラームが鳴り響いた。びくりと肩を跳ねさせたわたしに対し、ジェントルはつと目を細めて右耳に手を当てる。
「もうかい? ラブラバ」
《ええジェントル! 嗅ぎつけられた……! 今すぐ撤退しないとヤバいわ!!》
「いや速!! ウウム肩書きは伊達ではないということか……すぐにそちらに向かうとしよう」
「! 行かせない、ッ……!」
もう一度羽根を展開し、ジェントルの後頭部に向けて射出する。けれど彼が空中に手を翳した途端、またも羽根が弾き飛ばされてしまった。
(彼の“個性”……!?)
その正体を見透かそうと目を凝らす。彼とわたしとを隔てる空間。何もないはずのそこに、
「いやはや! もっと君と言葉を交わしたかったが、残念なことに今日はここでお別れのようだ」
言いながら、ジェントルは懐から小さな箱のようなものを取り出した。手のひらに収まりそうな小さなそれを、ぽんと空に放っては受け止めて、おもむろに空気の膜に押し付ける。グッと、グッと、力を込めて──まるで
「……! 待ッ、」
「ではこれにてさらばだ! またお会いしよう!!」
ぱっ、と手を振るように彼が手を離したその瞬間、膜に弾かれた箱が弾丸のようにわたしへ迫る。目を見開いて、素早く息を吐いて。そうして羽根で対処しようと身構えた時だった。
──箱が、カッと、鋭く光を放つ。
「!?」
光に続いて、音と衝撃が弾けた。咄嗟に羽根でくるんだわたしの身体に、爆風が打ち付ける。
「……っう、……ッ」
間近で炸裂音を捉えたからだろう、ビリビリと痛いほどに震える羽根から伝わる音で頭がふらつく。踏み締めた足まで震えて、よろめいて、ほんの僅かに身体が傾いだ。
刹那、──わたしの背後に、気配が滲む。
「おっと。……大丈夫?」
羽根越しの背に添えられた手が、総毛立つ羽根を宥めるように撫でる。その大きな手に、ずっと聞きたかったその声に、色んな感情が波になって押し寄せた。
「……っ、」
会いたかった。その声で呼んでほしかった。
ちゃんと役目を果たしたかった。
こんな情けないところ、見られたくなかった。
──今あなたは、わたしに、何を思ってる?
「や。してやられたね、空中さん」
「……ホークス、」
爆発の余韻できぃんと耳鳴りがしている。硝煙の風に髪や羽根をなぶられながら、意図の読めない静かな眼差しに見下ろされながら、わたしのインターンは幕を開けたのだった。
88.少女、インターン開幕。
前回の更新日時は直視したくない…………本当に更新遅くなってしまいすみませんでした。弊宅ssにとってインターン編は大きな転機となるに加え、ほぼオリジナルを突き進むということで展開に悩みまくっていました。ヒロアカ本編では文化祭編に登場したジェントルとラブラバですが、色んな思惑の結果ここでこういった登場と相成ります。上手く風呂敷を広げたり畳んだりしていきたい(願望)。
読んでくださった方、本当にありがとうございました!!