この醜くも美しい世界   作:三只

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やはり、あたしの身体は相当傷んでいたらしい。

 

エヴァに乗り込んでいたときには気づかなかったが、根本的な肉体の衰弱が激しい。

 

何週間も病院のベッドの上だったのだから当然といえば当然だ。

 

くわえて、量産機による―――思い出したくもない。左目が疼く。

 

正直生きているのが不思議なくらい。

 

だから、熱が出た。

 

考えごとをするのも面倒くさい。

 

プラグスーツのまま毛布にくるまり、悶々と時間が過ぎるの待つ。

 

どうしてあたしは生き残ってしまったのだろう?

 

どうして。

 

どうして。

 

「アスカ、大丈夫…?」

 

どうしてこんなヤツと二人だけで。

 

ボロ布のつぎはぎだらけの天幕を上げ、覗き込んでくる最低男。

 

このあたしを殺そうとした張本人。

 

「近づくんじゃないわよ!!」

 

叫んだとたん唇が割れた。血の味が口内に広がる。くそ。

 

「ご、ごめん…」

 

慌ててシンジのヤツは天幕を降ろす。

 

隙間から腕だけが入ってきた。腕の先の手にはビニール袋が吊されている。

 

袋の中身は、水かなにかのペットボトル。

 

乱暴にむしり取り、袋から出すのももどかしくキャップを開けた。

 

唇に当て、一気に飲み込む。

 

信じられないくらい新鮮な感覚が、口の端からつたって胸元へ滑り落ちる。

 

半分ほど貪るように飲み、案の上むせて咳き込んだ。

 

しばらく経口摂取をしていなかったのだから当たり前だ。

 

また天幕をたくし上げ覗き込んでくる黒い瞳を睨み付ける。

 

鬱陶しい。

 

近づくな。

 

あんたなんかに心配されるほど落ちぶれてないわよ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天幕の隙間から、そっと外の様子を伺う。

 

白い砂地の浜辺だ。

 

海の方向は見たくなかった。

 

ただ広いだけの海から響く潮騒は絶望を象徴しているかのよう。

 

対比となるあたしは嫌でも孤独を意識させられる。

 

そしてなにより赤い空。その下に横たわる巨大なファーストの顔など悪夢そのものだ。

 

5メートルほど離れた場所に、こちらより貧相で小さな天幕がある。

 

そこにシンジが寝泊まりしている…らしい。

 

らしいというのは、アイツがいないことが多いからだ。

 

ふらりと出かけていってはしばらく帰ってこないことがある。

 

30秒ほど天幕を凝視し、あたしは首を引っ込めた。

 

どうやらいないようだ。

 

どこにいったのか、詮索してやる義理もない。そこいらで野垂れ死んでいたってかまわない。

 

無事な左腕を額に乗せる。

 

火照ってる。まだ熱があるようだ。

 

喉の渇きを覚え、ペットボトルに口を付ける。

 

中身はなかった。

 

腹立ち紛れにボトルを投げ捨てた。

 

途端に冷静になる自分がいる。

 

もう、この世界に医者はいないのだ。

 

満足な治療も受けられず、あたしは死ぬ。

 

頬が自虐的に吊り上がる。

 

それがあたしの死に様だ。

 

おそらく最も相応しいだろう。

 

理不尽だとは思わない。

 

あたしも自分の手で他人に理不尽な死を強要したのだから。

 

詫びる気持ちなどサラサラない。

 

罪悪感だって、多分、ない。

 

そうなってしまったのには、全て個人に責任がある。

 

幾つもの選択肢があったはずだ。その果てに得た結果は、全て個人のものとなる。

 

かくいうあたしもそうだ。

 

エヴァに乗ったことは後悔していない。

 

後悔しているとすれば、こんな珍妙な世界に、あのバカと二人きりで残されたこと―――。

 

いけない、思考がまとまらなくなってきた。

 

ヒリつき始めた喉を手で覆いながら、あたしは瞼を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますと、目前にペットボトルがあった。

 

反射的に手を伸ばす。

 

確かな重量感。

 

キャップを捻り、唇をあて、思うままに渇きを癒す。

 

落ち着いてよく見れば、缶詰が二個になにやら薬のような小瓶まで置いてある。

 

缶詰はともかく、薬瓶になんて書いてあるかよく分からない。とにかく漢字が多すぎる。

 

でも、おそらく解熱剤かなにかだろう。

 

こんなことをするヤツは一人しかいない。

 

あたしの今の状態を知る人も一人しかいない。

 

感謝の気持ちなんぞ沸いてこない。

 

代わりに皮肉と苛立ちがあたしの背中をムズムズさせた。

 

ふん、贖罪のつもりなのかしら?

 

缶詰のプルキャップに指を伸ばす。

 

ところがなかなか引っ張り上げられない。

 

情けないほど力がなくなっている。

 

意地で無理矢理こじ開けた。

 

中身は脂でギトギトのコンビーフ。なのにとても美味しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最低だ。

 

最悪だ。

 

ついさっき、あたしはシンジに犯された。

 

薬が効いてきて、ボーッとしていたからかもしれない。

 

久しぶりに何かをお腹に入れ、眠くなっていたからかもしれない。

 

とにかく、油断した。

 

天幕に現れた影は決して中に入ってこようとしなかったのだ、今までは。

 

ところが、今日のアイツは、ふらりと中へ入り込むと、いきなりあたしに覆い被さってきた。

 

組み伏せられ、プラグスーツをむしり取られる。

 

嫌悪感を催す感触が、あたしの身体の上を遠慮がちに這いずり廻る。

 

歯を食いしばって堪えていると、無理矢理唇を重ねられた。

 

首を振って追い払えば、今度は鎖骨あたりを舐められた。鳥肌がたった。

 

一方的にシンジはあたしの身体をまさぐり、股間に欲望を吐き出した。

 

破瓜の痛みは、エヴァに乗っていたときより酷かった。

 

なにより、あたしの体内深く侵入してくる違和感に、吐き気すら催した。

 

あたしにはアイツの行為を拒むだけの力が残されていなかった。

 

だから、せめてもの抵抗に、被さってくるシンジの肩に噛みついた。

 

思い切り噛んだから血が滲んでいた。もしかしたらあたしの割れた唇から出た血かもしれない。

 

唇の端の血を拭い、足下に散らばった血を眺め、しばらく呆然とした。

 

今度きたら殺してやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体の中心に杭が埋め込まれているよう。

 

体温がまた上がったようだ。強い目眩がする。

 

動くと痛みが走るので、今日はじっと横になったままだ。

 

だけど、牙を研いでおくのを忘れない。

 

今さらながら、恥ずかしい。

 

あたしは、シンジに犯されたのだ。抱かれたのだ。

 

よりにもよって、あんなヤツに純潔を渡してしまったのだ。

 

ふつふつと沸き上がる怒りが視界を灼熱に染め上げて行く。

 

羞恥を悔恨と憤激が塗りつぶす。

 

思い知らせてやらなければならない。

 

対価を支払わせてやる。

 

罪を贖わせてやる。

 

あたしは待ちかまえた。

 

その時を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局、シンジはやってこなかった。

 

どれだけの時間こなかったのか、分からない。

 

時計もない。空は相変らず暮れようともしない。

 

本能に従い、あたしは生きている。

 

お腹が空いたら食べ、眠くなったら寝る。

 

唯一天幕の外へ出るのは、排泄する時だけ。

 

アイツに犯された直後、出血があって困った。

 

寝て起きたら止まっていたけど、しばらくしたらまた出血した。

 

とんでもない傷がついたのかと思って心配になったけど、よくよく考えてみれば生理が始まっただけだった。

 

腰のあたりが重苦しくて、あたしは横になったまま過ごす。

 

ナプキンなんて気の利いたものはないから、清潔そうな布を畳んで股間に入れた。

 

はっきりいって不快だ。

 

痛みから逃れる為にも、あたしは浅い眠りを貪る。

 

切れ切れの眠りに、夢の断片が散らばっている。

 

どういうわけか見る夢は、日本に来てからのことばかりだった。

 

ミサトの顔。ヒカリの顔。加持さんの顔。

 

夢でみんなと笑い、目をさましてむなしさと切なさに胸が痛む。

 

辛かった。

 

間違いなくあたしは世界で一番孤独だった。

 

寂しさを紛らわすため、また眠る。それの繰り返しだ。

 

やがて、夢と現実の境界が曖昧になる。

 

 

 

 

ねえ、シンジ?

 

 

何も怒ってやいないわよ。

 

 

ただ、驚いただけ。いきなりでしょ? 心の準備ぐらいさせなさいっての。

 

 

それに、あたしの身体、痩せちゃったでしょ?

 

 

醜くなかった? 汚くなかった?

 

 

 

 

―――泣きそうなシンジの顔に語りかける。

 

 

 

マンションの部屋。

 

熱い日射しに、風鈴が揺れていた。

 

ひたすら、ごめんごめんと繰り返すシンジに、あたしの怒りは萎えてしまっている。

 

しょうがないよ。あんたも寂しかったんだね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ます。

 

一瞬、状況が把握出来ず、辺りを見回してしまう。

 

いつもの雑然としていて貧相な天幕の中。

 

あたしはボサボサの髪をかき回す。

 

どうしてあんな夢を。

 

シンジを許してしまう夢を見てしまったのだろう。

 

胸に手を当てる。

 

痩せてすっかり小さくなってしまった胸の中に、あれほど滾っていた憤りがなくなってしまっている。

 

かわりにぽっかり空いた穴の底で染みだしてくる感情は。

 

嫌だ。

 

あたしはシンジを許したくない。

 

水でも飲もうと枕元を漁った。すると、見慣れない袋が増えている。

 

中身は、乾パンやらの保存食に生理用品とかウエットティッシュなんかが入っていた。

 

シンジが帰ってきたのだろうか?

 

ふと、先ほどの夢が脳裏にオーバーラップする。

 

まさか…。

 

いや、そんなことは断じてない。

 

もよおしたので天幕を出る。

 

シンジの天幕には人の気配はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なにやら、外でがらんごろん音がする。

 

うるさくて天幕から顔を出したら、シンジがドラム缶を転がしていた。

 

「なにやってんのよ、あんたは?」

 

声をかける。

 

「あ、そ、その、おはよう…」

 

いつもの小動物みたいに怯えた表情。間抜けな返事。

 

久しぶりの会話なのに、たちまち気分が悪くなる。

 

鼻を鳴らして天幕の中へと引っ込んだ。

 

そう、アイツが何をしようと関係ない。

 

外で懲りずに砂浜を踏みしめる音が続いている。

 

何かを運んでいるみたいだけど、知ったことか。

 

無理矢理瞼を閉じた。

 

「アスカ、起きて…」

 

と思ったら、シンジに起こされた。

 

眠ったのだろうか? 瞼を閉じただけなのだろうか?

 

判然としない頭で、シンジをにらみ返す。

 

同時に腹がたった。

 

また天幕の中に侵入してきたシンジと、完全に無防備な自分に、だ。

 

「なによ!!」

 

必要以上に言葉に感情を込める。

 

「え、そ、その、ちょっと出て見て欲しいんだけど…」

 

呆れる。相変らず、他人に選択権を依存した台詞だ。

 

でも、断わってもメリットがないわね。

 

そう判断したあたしは、シンジのたくし上げた天幕から上半身だけを出す。

 

アイツの脇を抜ける時、身体が強張った。

 

見飽きた砂浜には、見慣れないものが鎮座していた。

 

ブロックを積み上げたものの上に、ドラム缶が乗っている。

 

ドラム缶からはゆらりと湯気が立ち上っていた。

 

もしかして―――お風呂?

 

「ちょっとお風呂沸かしてみたんだ…」

 

上目遣いでシンジが言う。

 

ご機嫌を伺うような仕草でカンに触ったが、あたしの興味は粗末なドラム缶に集中していた。

 

もうどれだけお風呂に入っていないのだろう。

 

入りたい。たっぷりお湯を浴びて、髪を洗いたい。

 

何ものにも逆らいがたい欲求が沸いてくる。

 

天幕から這い出す。

 

「お風呂、入るわよ」

 

そういって立ち上がろうとして、あたしは大きくよろめいてしまった。

 

すかさず支えてきたシンジの手を振り払う。

 

大丈夫、大丈夫だ。

 

しかし、三歩進んであたしは砂浜につんのめった。

 

足に力が入らない。

 

歯を食いしばり、頬についた砂を払う。

 

またシンジが支えてくる。

 

「ごめんね」

 

「…」

 

何謝ってるのよ、コイツは。そう思ったけれど、今度はシンジの手を振り払わなかった。

 

肩を借り、どうにかドラム缶の側まで来る。

 

お湯の匂いがたまらない。

 

軽く身を揺するだけで、するりとボロボロのプラグスーツは地面に落ちた。

 

「ちょ、ちょっと、アスカ!! そんないきなり脱ぐなんて…」

 

にらむとたちまち口をつぐむ。

 

無理矢理あたしを犯したヤツが今さらなにをいうのだろう。

 

そんなことより、お湯だ、お風呂。お風呂、お風呂…!!

 

「手ぇ貸しなさいよ」

 

「え?」

 

「いいから、あたしを支えなさいよ!!」

 

「う、うん…」

 

シンジに腰を支えさせて踏み台に登る。

 

おそるおそるドラム缶の中につま先を入れた。

 

熱い。久しぶりの感触。懐かしさすらある。

 

肌に刺すような痛みがあったが、構わずざぶりとドラム缶の中に潜り込む。

 

まもなく痛さはむずがゆさに変わった。

 

肌に水がしみいってくる。

 

ボサボサの髪もお湯を吸うように揺らめいた。

 

湯面に顔を埋める。

 

ああ……。

 

思わずため息が洩れた。

 

全身を覆うあたたかな膜に、筋張った手足がほぐれていく。

 

しばらくすると、全身が痒くなってきた。

 

ゴシゴシこすろうとして、右手が包帯に包まれていること知る。

 

左目もだ。

 

むしるように包帯をはぎ取る。

 

現れた傷跡は眺めた。赤い線がくっきりと残っている。一生消えることはないだろう。

 

左目は…鏡がないので分からない。

 

でも、ぼんやりとしか映らなくなっている視界に、これも完治するとはないだろうと本能的に悟る。

 

ざぶざぶと顔を洗う。傷が痛まないのはありがたかった。

 

髪は洗えば洗うほど痒さを増す。

 

髪は女の命だ、などという言葉を聞いたことがあったけれど。

 

これほど汚れてしまっていたら、きっとあたしは魂まで薄汚れてしまったに違いない。

 

ふと、ぼーっと突っ立ているシンジに気づく。

 

「洗剤は?」

 

「…え?」

 

「シャンプーくらい、ないの!?」

 

「あ、あるよ、ちょっと待って」

 

といって、シンジは自分の天幕に戻っていった。

 

しばらくしてから持ってきたのは、どうみても安物の固形石鹸とシャンプー。

 

でも、ないよりは遙かにマシ。

 

乱暴に受け取って、タップリ手に擦り込む。

 

ガサついていた肌がぬるぬるしてきた。

 

細くなってしまった指の間も念入りに洗う。節が目立ってしまい、何か悲しくなった。

 

まず顔を洗い、ついで首筋、胸、脇、お腹と洗い下げて行く。

 

お湯に浸かったままだから、あっというまに泡が立つ。

 

溢れてきたシャボンを捨てながら、ドラム缶の下で火を燃やしているらしいシンジに命令する。

 

「ほら、お湯を注ぎ足してよ!!」

 

「あ、うん…」

 

よっこらしょ、とシンジが持ってきたのは半透明のポリタンク。

 

10リットルくらい入るやつだ。

 

「ちょっと冷たいよ…」

 

タンクの縁をドラム缶につけ、水が一気に注ぎ込まれた。

 

急にお湯がぬるくなるのは仕方ない。またすぐシンジに命令する。

 

「もっと火を焚いて。でないと風邪引いちゃうわ」

 

だいたい身体も洗い終え、お湯がまた熱くなってきてから、洗髪を開始。たちまち頭皮が痒くなる。

 

たっぷりシャンプーをつけたのに、全然泡が立たない。よっぽど汚れているんだろう。

 

ドラム缶の外で首だけ出して、残った水で髪をすすぐ。

 

三回髪の毛を洗い、すすぎも繰り返す。

 

ようやく痒みも治まり、髪も幾分しっとりとした。

 

でも光沢は全盛期の半分以下。

 

毛先の痛みが酷いな、なんてチェックしながら、今度はゆっくりと肩までお湯に浸かる。

 

なんか湯面に色々な汚れが浮かんでいる。すくって捨てても捨てきれないので無視することにした。

 

ささくれた神経がほぐれていく。

 

久々の文化的な生活に幸福感すらある。

 

「お湯の温度は丁度いい?」

 

ドラム缶の下から声がしたので覗き込むと、煤を頬につけたシンジと目があう。

 

「―――まあまあね」

 

そっけなくいい、視線を逸らす。

 

周囲を見回せばやはり殺伐とした光景が広がっていた。

 

横たわる巨大な顔を見ないように海を眺めれば、果てしなく広がる水平線。

 

その海岸でドラム缶のお風呂なんてのは、少しばかりシュールだ。旅番組じゃあるまいし。

 

海の反対を見れば荒野が続き、その奥に倒壊しまくった建物が臨める。

 

いくら目をこらしても、やはり動くものはなかった。

 

信じたくないが、これが現実なのだろう。

 

ぜーぜーいいながら薪を運んでいるシンジを横目で見る。

 

この世界に生き残った人間は二人だけ。

 

シンジとあたしだけ。

 

アダムとエヴァ。

 

何にしろ皮肉過ぎる。

 

聖書の一節を反芻しようとして止めた。

 

この瞬間のささやかな幸せなど瞬時に吹き飛んでしまうだろう。

 

それはあまりにも希望のない未来図。

 

「上がるわよ」

 

それだけ告げてドラム缶風呂から出ようとしたら、シンジが慌てて飛んできた。

 

真新しいタオルを押しつけてくる。中には袋に入ったままの下着までくるまっていた。

 

踏み台の上で身体を拭き、ショーツを履く。

 

その間、ずっとシンジはあたしに背を向けていたが、なんの冗談なのだろう?

 

髪も拭いていると、その格好のままシンジは声をかけてきた。

 

「…負ぶさって、いいよ?」

 

「…なんで?」

 

「だって、裸足で戻ったら、砂だらけになるじゃないか…」

 

少しだけ考えて、Yシャツの背中に負ぶさった。

 

とたんに猛烈な臭気。

 

「あんた、汗くさい…!!」

 

「ご、ごめん。ちょっとだけ我慢して」

 

できるだけ顔を離し、鼻で呼吸をしないようにする。

 

汗やらなにやらで汚れまくったシャツは湿っぽい。くわえて、垢じみた首筋が目に入った。

 

 

 

 

 

 

 

―――ここを、思い切り締め付ければ。

 

 

 

 

 

 

 

殺意がこみ上げる。

 

眠っていた凶暴な本能が、間欠泉のように吹き上げる。自分でも驚くほどに。

 

ただ、実行に移すには、天幕までの距離は短すぎた。

 

手が伸びる寸前、あたしの身体は天幕の毛布の上に降ろされていた。

 

入浴したばかりだからだろうか、この中も凄い匂いだ。

 

生活臭というか、恥も外聞もなくいってしまえば獣臭い。

 

「シンジ!!」

 

そそくさと出て行こうとする背中に声をかける。

 

「幕を全部めくっておいて。空気を入れ換えたいの」

 

「…うん」

 

骨組みだけ晒されると、風が吹き込んでくる。

 

熱い風なのだが、お風呂あがりだと涼しく感じる。

 

適当な布で髪を拭きながら、ドラム缶のお湯を捨てているシンジに声をかけた。

 

「ねえ!!」

 

駆け寄ってくる姿はまるで犬。

 

「ブラシはないの、ブラシは?」

 

見ると、明らかにしまったという顔をしている。

 

「…ごめん。多分ないや。後で探してくるよ」

 

表情が険しくなるのが自分でも分かった。

 

「今欲しいの!!」

 

「…今すぐは無理だよ?」

 

上目遣いの怯えた視線。

 

どうしてこう腹が立つのだろう?

 

「今すぐったら今すぐ!!」

 

シンジはちょっとだけ空を仰いで、あたしに向き直る。

 

「わかったよ」

 

自分の天幕に取って返したシンジは、袋をぶら下げて戻ってきた。

 

中には食べ物が覗いていて、あたしは空腹だったことを思い出す。

 

まあ、食事でもして待っていてくれ、ということだろう。

 

フルーツの缶詰がめちゃくちゃ美味しそうに見える。うん、一時間くらいなら待ってやってもいい。

 

「それじゃ、行ってくるよ…」

 

「うん、早くね」

 

さっそく缶詰を開けながら、あたしはシンジを見送ろうともしなかった。

 

砂浜を踏む音が遠ざかって行くのを耳に、せっせと缶詰の中身を口に運ぶ。

 

シロップも飲み干し、立て続けに三個くらい空にしてからようやく人心地がついた。

 

時間にして、20分もたっていないだろう。

 

まだシンジのヤツ、帰ってこないかな?

 

何気なく周囲を眺めて、たくし上げられた天幕の向こうに見てしまった。

 

こちらに背を向けて歩くシンジの姿。

 

だいぶここから離れたたのだろう。もう、親指の爪くらいの大きさになっている。

 

アイツが向かっているのは、倒壊した街並み。

 

…探しにいくって、あんな遠くへ!?

 

声をかけようにも、もう届かない。

 

そして、街並みはまだ遙かに遠い。

 

ただ驚きながら、あたしは歩き続けるシンジの姿を目で追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どれくらい待ち続けたのだろう。

 

結局、待ちくたびれて、あたしは眠ってしまったらしい。

 

人の気配で目を覚ます。

 

「…ただいま。ブラシとってきたよ…」

 

目を開けると、更にボロボロの格好でシンジが袋を差し出していた。

 

「ばっかじゃないの!?」

 

跳ね起きて、あたしは怒鳴っていた。

 

瞬間的に血が沸騰している。猛烈に腹が立っている。

 

「あんたね、近くに無いなら無いとか言いなさいよ!! 何もあんな遠いところまで取りに行くって知ってたら…!!」

 

驚いて、それから泣きそうな顔になってシンジは笑った。

 

「僕には、それくらいのことしか出来ないから…」

 

それは決定的な一言だった。

 

全然力が入らない拳を固め、シンジの横っ面を殴り飛ばす。

 

反対側も一発。

 

シンジは大きくよろめき、尻餅をつく。

 

あたしの怒りはまだおさまらない。

 

上半身に馬乗りになり、胸元を締め上げる。

 

「誰がそんなことをしろっていったのよ!? ふざけたことしてんじゃないわよ!! あんたね、贖罪のつもり!?

いくら尽くしたってね、罪なんか消えないんだから!しょせん自己満足よね!! 

僕はこんなに頑張ってるーって、あたしから頭でも撫でてもらいたいの!? それとも、自分で自分を褒めてるわけっ!?」

 

呆然としている黒い目をにらみつける。

 

メデューサみたいににらみ殺せればいいのに。

 

「答えろっ、シンジ!!」

 

ガクガク襟を揺さぶる。

 

壊れた人形みたいになすがままだったシンジの顔が歪む。

 

ようやく目の縁に涙が盛り上がり、口からは嗚咽を漏らす。

 

「だって、そうするしかないだろ…」

 

小さな声。

 

「え!? だからなんだっていうのよ!?」

 

更に胸元を揺さぶる。

 

「だって、そうするしかないだろっ!?」

 

怒鳴り声に、思わず掴んでいた襟を離してしまった。

 

あたしに乗っかられたまま、シンジは興奮に顔を真っ赤にしていた。おまけに泣いている。

 

「そうするしかないじゃないかっ!!

 僕はアスカを傷つけて、世界をこんな風に変えてしまって!!

 何をしたって、もう元には戻らないんだよ!!

 そんなこと、僕が一番知ってるさ!!」

 

あたしは黙ってしまう。対照的にシンジは更に叫ぶ。

 

「アスカの怪我は治らないかもしれない!!

 傷が元で死んでしまうかもしれない!!

 僕はそんなの嫌だ!! でも、僕に治療は出来ない!!

 だから、せめて、アスカが生きているうちは、役に立とうって…!!」

 

後半は完全な涙声で聞き取りづらかった。

 

泣きじゃくるシンジの上から、あたしはそっと身体を離す。

 

完全無欠な殉教者の論理。

 

そして、殉じる対象はあたしだ。

 

ならば、なおのこと理解できない。

 

どうしてあたしを犯したの?

 

考えがまとまらないまま、シンジの身体を蹴りだし天幕を降ろす。

 

臭い毛布を頭から被り、外界を遮断した。

 

シンジがまた襲ってくる可能性を思い至り、恐怖が背骨を貫く。

 

だけどシンジはやってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

気まずい告白があったからといって日常が変わるわけもなく。

 

気まずさでいったら、シンジがあたしを襲った時の方が酷かったと思うんだけど。

 

もはや非日常が日常の日々。

 

過ぎた日々は過去へ追いやられ、二度と同じ体感を得ることは叶わない。

 

熱い第三新東京市の日々も、屈辱の戦闘記録も、シンジに犯されたことでさえ、心の奥にしまわれ温度を失ってしまった。

 

それが生きる、ということなのだろう。

 

身体の方も大分良くなってきたようだ。

 

証拠に、眠る時間が少なくなって来ている。

 

起きていれば、考え込む時間が長くなる。

 

思考の大半は自分の内面へ向けられた。

 

色々と発見があって、今なら本の一冊も書き下ろせそうだ。

 

―――退屈と思えるのは、やはり健康なのだろうか。

 

今日も毛布に横になったまま、天幕を一方だけ上げ、シンジが動き回っているのを眺める。

 

Yシャツを脱ぎ、せっせと薪を運ぶシンジ。

 

お風呂の準備をしているのだ。

 

最近は頻繁にお風呂を沸かすようになっている。

 

なんでも、近くに水場が確保できたからだそうだ。

 

それでも、何度も水を運搬しなければならなく、半端じゃなく大変そうだ。

 

なのにあたしは無感動にその光景を眺めている。

 

努めて感情を動かさないようにしている。

 

でなければ、シンジに感謝してしまいそうだ。

 

違う。

 

シンジのせいだ。

 

今の状況は全てシンジのせいだ。

 

これは、シンジが好きでやっていること。罪滅ぼしにやっていること。

 

感謝することはない。

 

違う違う。

 

あらゆる状況には、そこへたどり着いた個人に責任がある。

 

一つきりの選択など存在しない。選べるから選択肢なのだ。

 

艶を取り戻してきた髪を掻き上げ、毛布に顔を埋める。

 

あたしは何をしたいのだろう?

 

あたしはどうすればいいのだろう?

 

許す?

 

許せない。

 

許してもいい?

 

許せるわけ無いでしょ。

 

許してどうするの?

 

何を許すというの?

 

それはたった一つのあたしの権利。

 

じゃあ、義務ってなによ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お風呂、出来たんだけど…」

 

前にもましておどおどとしたシンジの態度。

 

腫れ物に触るみたいな感じで気持ちが悪い。

 

どうしてこんなにビクビクしているのだろう。

 

その気になれば、あたしを蹂躙できるのに。

 

いや、既に蹂躙してくれた後だ。

 

なのに怯えているのは、怖がっているのか後悔しているのか。

 

「…あんたが先に入りなさいよ」

 

「え?」

 

驚くシンジを無視、あたしは立ち上がる。

 

歩けるくらいまでに体力は回復していた。

 

それでも気を抜くと砂に足を取られそう。

 

よろよろとドラム缶まで歩き、シンジを手招きする。

 

「ほら、火は見ておいてあげるから」

 

「で、でも…」

 

躊躇うシンジをどやしつける。

 

「いいから早く入りなさいよ!! だいたい、あんたはどれだけお風呂に入ってないの?

 すっごく臭いんだけど」

 

顔を真っ赤にしてシンジは上着を脱ぎ始めた。

 

真っ黒なシャツの匂いを嗅ぎ、顔をしかめてる。

 

本当にバカじゃないのコイツ?

 

こちらに背中を向けてズボンを降ろし、途中で手を止める。

 

「何恥ずかしがってるのよ? あたしのは全部見たくせにさぁ」

 

「う…」

 

困ってる困ってる。

 

頑なに前を隠し、こちらにお尻を向けたままシンジはドラム缶に入った。

 

肩まで浸かり、なんか幸せそうな顔をしているので、頭に両手を乗せ押し込んでやった。

 

「ぶはっ!! や、やめてよ…!!」

 

「顔も洗いなさいよ、真っ黒なんだから」

 

不満そうな顔に洗顔クリームを投げつける。

 

「じ、自分で洗うから…」

 

そういってゴソゴソ身体を洗っていたようだけど、たちまち湯面が真っ黒になった。

 

すごい汚れっぷり。

 

あたしが呆れていると、シンジはますます口籠もる。

 

慌ててドラム缶から上半身を出して水を継ぎ足し、汚れた上澄みを流そうとする始末。

 

仕方ないから見ないふりをして薪を足した。

 

すると今度は、

 

「ちょっと、アスカ、熱いよ…!!」

 

全くもってやかましい。

 

それでもどうにか丁度よくなったらしい。

 

緩みきったバカみたいな表情を眺めていると、こっちまでバカが移りそう。

 

何気なくシンジの肩を眺め、そこにはっきりとした傷跡を見つける。

 

赤黒く腫れ、盛り上がっているのは、紛れもなくあたしの歯形だ。

 

閃光のようにあの記憶が甦る。

 

身体をまさぐる手。

 

感触。匂い。

 

股間を貫いた痛み。

 

気持ち悪い気持ち悪いキモチワルイ………!!

 

「アスカ!?」

 

気がつくと、あたしは砂浜へ倒れ込んでいた。

 

「大丈夫!? しっかりして!!」

 

お風呂から飛び出したらしい素っ裸のシンジがあたしを抱き上げる。

 

やめてよ、びしょ濡れになっちゃうじゃない…。

 

なのに声が出ない。

 

天幕まで運ばれて寝かされる。

 

覗きこんでくるシンジの顔からお湯のしずくが伝っている。

 

シンジは全裸だ。

 

これほど男性を意識させられることはない。

 

視線を下げれば、股間にぶら下がっているものがゆっくりと持ち上がってくるのが見えた。

 

「あ…」

 

あたしの視線に気づいたのかシンジは赤面した。

 

そっぽを向き、あたしは瞼を閉じる。たとえようもない恐怖がそこにあった。

 

「止めて…」

 

驚くべきことに、シンジは逆らった。

 

濡れた指が胸元に侵入してくる。

 

続いて、唇が首筋をはった。

 

止めて、止めて…!!

 

身体を震わせるだけで、あたしは抵抗できなかった。

 

前の時は殺したいほど憎んだのにどうして抵抗しないのだろう。

 

まるで他人事のように、あたしは全身をまさぐる感覚を眺めていた。

 

ああ、あたしは全裸の男に犯されている。

 

自覚したのはシンジが腰を前後に動かしている段になってからだった。

 

初めての時と比べて痛みはそれほど酷くない。けど、不快感のほうが先に立つ。

 

それでも頭の芯が、身体の芯が熱く、力が入らない。

 

ほとんど一人で動いていたシンジは、あたしの中から違和感のもとを引き抜き、毛布へと欲望を吐き出した。

 

それで終わり。

 

「…ごめんね、アスカ」

 

放心していたらしい。シンジの声で我に返る。

 

首だけ上げて声の方を向くと、シンジはメソメソ泣いていた。

 

まだ素っ裸の身体は、やけに貧弱そうに見えた。

 

「…謝るくらいなら、泣くくらいなら、するなっ!!」

 

気怠さが吹き飛び、なにか酷く侮辱されたような気になった。

 

なぜか涙まで出てきた。

 

突き飛ばし、天幕の向こうへ押し出し、あたしは毛布に倒れ込む。

 

青臭い匂いに、先ほどの感覚が生々しく甦り―――。

 

シンジの精液が飛び散った毛布を丸めて隅っこにおいやり、あたしは枕に顔を埋める。

 

あたしは混乱していた。

 

憎い。悔しい。

 

あんなヤツに軽々しく身体を許してしまうなんて。

 

なのに、どうして、アイツにまさぐられた部分が優しく火照るの?

 

服を脱ぐ。

 

全裸になって、あたしは自分の身体を見下ろした。

 

シンジの触れた胸。

 

太股、腕…。

 

痩せて、すっかり貧相になったあたしの身体。

 

自慢のプロポーションは影もない。

 

腕の傷を眺めながら気づく。

 

あたしが怒りの理由は、複雑な感情で寄り合わされていたことに。

 

犯されるという理不尽さへの怒り。

 

このボロボロの醜い身体を見られたことに対する羞恥。

 

セックスへの幻想と現実の落差。そして落胆。

 

力無く座り込む。

 

好きな人に初めてを捧げるなんて信じていた。

 

なのに、もう、この世界は選り好みすらできないという矛盾。

 

…矛盾?

 

あたしはシンジのことが嫌いだわ。

 

好きなわけないじゃない、あんなヤツ。

 

優柔不断で弱虫で。

 

なよなよしてて、自信なんかカケラもなくて。

 

お調子者で、褒められるとすぐ図に乗る。

 

そもそも他人から褒められたり、必要されたりしたことがないのね。

 

結局、人にいわれなきゃなにも出来ない。止めろと言われなかったからチェロを続けてたなんてバカの極みよ。

 

大いなる矛盾。

 

嫌いなのに、嫌いなハズなのに、あたしが一番シンジのことを知っている。

 

一番あたしの記憶の中で鮮明なのは、あのバカの顔―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

缶詰の食事を終え、あたしはシンジを手招きした。

 

おっかなびっくり近づいてくる手を掴み、天幕へと引き込む。

 

「アスカ…?」

 

不安そうな表情をしているシンジの目前で、あたしは服を脱ぐ。天幕が開きっぱなしでも構わず。

 

ちょとだけ躊躇って、腕と顔の包帯も外した。

 

そのまま毛布に横たわる。

 

「ねえ、あたしの身体、綺麗…?」

 

ごくり、とシンジの喉が鳴る音が聞こえる。

 

「とても、綺麗だよ…」

 

いつのまにか覆い被さるようにしてシンジが側に来ていた。

 

晒された胸の上に、シンジの指が乗せられる。

 

黙っていると、おずおずという感じで指が動き出した。

 

すかさず、睨み上げる。

 

「なんであたしを襲ったのよ?」

 

有無をいわせず強い口調で、目を逸らさない。

 

「…寂しかったから」

 

弾かれたよう指を離して顔を伏せ、シンジは呟くように言った。

 

「一人きりになるのが怖かったんだよ。だから、確かな他の人の温もりを感じたかったんだ……」

 

反射的にあたしも口を開いていた。

 

これが致命的な一言になってしまうかもしれない。その懸念を承知しながら。

 

「最初、あたしの首を締めて殺そうとしたくせに!!」

 

「………!!」

 

時間が凍り付く。

 

このことを面向かって糾弾したのは初めてだった。

 

茫然自失で砂浜に横たわっていたあたしの首を締め付けたシンジ。

 

結局、あたしは殺されるのを免れたが、明確な説明も謝罪も受けてない。

 

あたしの嫌悪と憎悪の根元だ。

 

どれくらい時間が過ぎたろう。ゆっくりとシンジは顔を上げた。

 

真っ青だった。

 

「…いくら謝ったって仕方ないことだと思う。でも…ごめん」

 

この世界を創世する元となったエヴァ初号機の中での出来事は聞いている。

 

結果、世界中の人々はLCLに還元されたこと。

 

彼らが戻ってくるのかどうかも、もちろん分からない。

 

二人だけが残された世界。

 

シンジが選んだ他人を他人と認識できる世界。

 

シンジが望んだ世界。

 

なのに、あたしを殺そうとしたのはなぜ?

 

それの説明が聞きたかった。

 

「怖かったんだよ…」

 

呟やいて、シンジは顔を覆った。

 

「僕のしたことを責められるのが怖かったんだ。嫌われるのが怖かったんだ。だから、いっそのこと…」

 

完全なエゴだ。短絡的な話だ。許される行為じゃない。

 

だけど、シンジは後悔している。

 

あたしにしたことの数々を。

 

それが、あそこまでの献身的な行動につながっているのか。

 

納得して、そしてふと気づく。

 

シンジがあたしを、あたしだけを傷つけたように、シンジを許すことが出来るのはあたしだけ。

 

だって、この世界には二人しかいないんだもの。

 

法律? 倫理? 道徳? いったどれが役立つというのだろう?

 

複雑な内心を顔に出さないように吐き捨てる。

 

「ったく、あたしの初めてが無理矢理なんて、トラウマものだわ」

 

覆っていた手をどけて、シンジは絶句する。

 

なおにらんでいると、叫ぶように頭を下げてきた。

 

「ごめん!!あんな乱暴にする気はなかったんだ。今さらかもしれないけど…ごめん!!」

 

あたしはまた伏せた顔を無理矢理上げさせる。

 

「誰でも良かったの? ヤレれば、あたしじゃなくても良かったっての?」

 

『そんなこといっても、この世界にアスカしかいないじゃないか―――』

 

などとほざいたら、間違いなくあたしはシンジを殺していただろう。

 

性欲の対象としか見ていないということだ。あたしの最も嫌悪する答え。

 

「…アスカには、ずっと憧れてて…」

 

また顔を伏せ、シンジはボソボソと言う。

 

「そ、その…。キスだって、キミが初めてだったし…」

 

本心なのか疑わしい。

 

そもそも理性がすぐ蒸発して猿になるのはこの年頃だとか聞いたことがある。

 

問いつめようとして、あたしは止めた。

 

妥協しなきゃ。少しくらいの譲歩も必要だろう。

 

シンジのホッペタを挟み込み、ぐっと顔を近づける。

 

「アンタ、あたしのことが好きなの?」

 

驚きに見開く目をじっと覗き込む。

 

逸らさず、シンジは小声でいった。

 

「…うん」

 

「ファーストよりも?」

 

ちょっとだけ意地悪な質問も追加してみる。

 

「…アスカが好きだよ」

 

ちょっと間があいたのは気にくわないけど、ぴしゃりとホッペタは叩いて微笑んでやった。

 

「大事に、しなさいよ?」

 

まだまだ許してやらないから。

 

まだまだあたしは死なないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三度目のセックスを迎えても、股間は痛みを訴えていた。

 

いつかは快楽を得られるようになるというけど、甚だ疑わしい。

 

でも、壊れ物をさわるように触れてきたシンジの指は、少しだけ気持ちが良かった。

 

目を覚ますとシンジに抱きすくめられた格好。

 

手はしっかりとあたしの胸を覆っていた。

 

いつのまにかゴツゴツになってしまったシンジの指を見ながら思う。

 

そんなに触り心地のいいものかしらね?

 

でも、他人の体温を感じながら起きられるのは、くすぐったいような満足感があった。

 

不意に胸が揉まれる。

 

どうやら、シンジも目を覚ましたらしい。

 

「ねえ、アスカ?」

 

「なによ…」

 

あまりに優しい声に、ちょっとだけ身構えてしまう。

 

「どこか別の場所にいかない?」

 

え?

 

意味がわからなかった。

 

「もっと、食べ物とかある場所に。…正直、お風呂沸かすのもしんどいんだよね」

 

「オヤジ臭いこといってんじゃないわよ」

 

憎まれ口を叩きながら、あたしはシンジの提案を吟味する。

 

たしかにいつまでもこんな砂浜にいるのはナンセンスだ。

 

もっと、そう、できれば無事に残っている建物。設備が整った場所のほうが遙かに便利だろう。

 

そういえば。

 

「ねえ、何で今もこの場所で暮らしてるわけ?」

 

口に出してから馬鹿な質問をしてしまったと気づく。

 

「…それは、アスカの怪我が治らないから…」

 

案の定、照れたような返事。

 

こっちまで照れくさくなる。

 

「じゃあ、早速起きたら移動しましょ」

 

甘ったるくなってきた空気を散らすように身体を引きはがし、乱暴に毛布を被る。

 

「うん、おやすみ…」

 

もぞもぞと毛布を抜け出そうとしたシンジの手を、あたしは反射的に掴んでいた。

 

掴んでしまった以上、なにかいわなけりゃならない。

 

「…もう、あっちにもどる必要はないでしょ…?」

 

「…うん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

目を覚ますとシンジはいなかった。

 

でも心配はいらない。外で動く気配がある。

 

新しい包帯をあて、髪をブラシで梳いていると、シンジが天幕を上げた。

 

「これ…」

 

差し出してくれたのは紙袋。

 

中を見て驚いた。

 

「この日のために、見つけておいたんだ…」

 

天幕の向こうで、照れたようなシンジの声。

 

…キザというかなんというか。

 

でも、少しだけ、嬉しい。

 

何かホッペタが熱かった。触ったらしずくが指についた。

 

涙を拭い、あたしはシンジのくれた服を着る。

 

懐かしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おまたせ」

 

天幕の外へ出る。

 

あたしが着ているのは黄色のワンピース。

 

初めてシンジとあったときに着ていたのと同じもの。

 

笑顔を浮かべるシンジに、よく見つけてきたものだと思う。

 

シンジも真新しいYシャツを着ていた。新しい旅立ちに相応しい。

 

それが太陽に反射して眩しかった。

 

…太陽!?

 

あたしは思わず空を振り仰ぐ。

 

抜けるような青い空がそこにあった。

 

ああ、世界が還ってきたんだ。

 

「何見てるの、アスカ?」

 

シンジが側まで歩いてくるけど、あたしは空を見上げたまま。

 

「あんたも見なさいよ。夜が明けたのよ?」

 

「……?」

 

不思議そうに一緒に空を見上げ、シンジは首をひねる。

 

「ずっと前から快晴が続いているけど…?」

 

思わずあたしはシンジの顔を見直す。

 

嘘を吐いている気配はない。

 

では、あたしの見ていた空は―――。

 

頭を振る。

 

もうどうだっていいことだ。

 

少なくとも、あたしの長い夜は明けたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、行こう、アスカ」

 

笑顔とともに差し出された手をゆっくりと握り返す。

 

この手を掴んだこともあたしの選択。シンジと一緒にいくことを選んだあたしの選択。

 

そして思った。

 

この先なにがあろうとも、この手を掴んだことを絶対後悔なんかしてやらない、と。

 

 

 

 

 

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