この醜くも美しい世界   作:三只

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この醜くも美しい世界6

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

還ってくる人類の数が急激に減ったのは、たしか四ヶ月前ころだったと記憶している。

 

前兆はあった。

 

人が還るにつれ色を失っていく命の海。

 

ほとんど透明と化した海は、同時に神秘性も剥奪していったようで、人々の関心も失われつつある。

 

放送を再開したTVがあれほど騒ぎ立てていたのも夢のよう。

 

 

 

『海から還ってくる人々は、まず健康な成人が先で、後から柔弱な幼児や老人が還ってきたのです。

 これは、非常に理性的で人道的な順番です。

 私は無神論者でしたが、なにか強大で優しい意志の力を感じずにはいられません…!!』

 

 

 

 

外国から報じられたニュース。

 

当然でしょ、なんてあたしは呟きながら、それでも意味を考えずにはいられなかった。

 

あちらでは、シンジのことを覚えていてくれる人がいない。

 

つまり、誰もがシンジに出会い、諭され、世界に復帰したわけではない…?

 

 

 

『きっとクラスター効果みたいなものじゃないかしら?

 一つになっていた人類の意志に、シンジくんの意志が加わったとき、一定の方向性が与えられた。

 人の形を取り戻すという意志は世界中に伝播、連鎖し、次々と顕在していった…』

 

 

 

 

 

リツコが還ってくれば、もっと詳しく分かり易く教えてくれるんでしょうけど…。

 

そう言って、ミサトは寂しく笑った。

 

その推論を聞きながら、あたしは別のことも考えている。

 

ミサトの言うとおり、リツコは還ってきていない。

 

司令も副司令も還ってきてはいなかった。

 

つまり、シンジがいかに説得しようにも、自ら帰還を拒む命もまた多いのかもしれないということ。

 

戻ってこないほうが幸せな場合もある…か。もしくは、そこはそんなに幸せなのだろうか?

 

あの時、より深く計画に関わっていた大人たちの気持ちは、あたしにはあまりよく分からない。

 

でも、確かに犯罪者とか悪人なんかは嫌だろう。戻ってきたところで法に裁かれるのだから。

 

…法? 

 

秩序を取り戻した世界を、あたしは複雑な気持ちで見ていた。

 

人数が増えれば、トラブルがおきる。

 

それを維持、管理、対処するための秩序、法、社会機構。

 

二人きりでは互いに互いを許せばすむのに、他人が増えれば混乱、複雑化していく世界…。

 

だからこその人類補完計画だったのだろうか?

 

分からなくもない。あたしは真っ平ごめんだけど。

 

大きくせり出したお腹を撫でながら、盛大にぼやいたのを憶えている。

 

産まれるまで還ってくればいいのに…と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして今、いつまでも待つと決意した場所に、あたしは来ている。

 

始まりの海とか呼ばれた元第三新東京市のこの場所も、あれだけ大量に設置されていたトレーラーや照明が撤去されて久しい。

 

今は、監視室という名目ばかりのプレハブ小屋に、常時三人の人間が待機しているだけだ。

 

仕方のないことだろう。ここ三ヶ月もの間、誰も還ってきてはいないのだから。

 

…結局、丸一年経っても、シンジは還ってこなかった。

 

そして、人々の興味も、その多くは持続しなかった。

 

あの優しさに溢れた空間は嘘のようだ。そして今やここを訪れる人はほとんどいない。

 

みんな、それぞれの生活を取り戻すために躍起になっているのだろう。

 

事情は分かるんだけど、少し頭に来る。

 

シンジのおかげで戻ってこれたくせに。

 

でも、シンジのせいであんな風になったんだから、プラスマイナスゼロか…。

 

寄せては返す透明な波を眺めながらあたしは呟く。

 

「なにやってるのよ、あのバカ…」

 

未だ開発も手つかずのこの場所は、かなり寂しい。

 

それでもいずれ瓦礫は撤去され、海も埋め立てられるかも知れない。

 

時間は、記念すべき場所も容赦なく奪い去っていく。

 

満ちあふれていた優しさや温もりさえも。

 

 

 

 

 

 

 

今日ここに来たのは、けじめみたいなものだ。

 

胸元へと視線を落とす。

 

そこにいる。

 

あたしとシンジの子供が。

 

この一年、シンジを待ちながらも、それなりに生活に変化がもたらされた。

 

新しい住居を定めたのはもちろんだけど、なにより出産があった。

 

年齢並にしか成長してなかったあたしの身体。

 

子供を産む苦痛は正常なケースの1.5倍増しくらい。

 

それでも無事に出産を終え、今こうしてここに立っている。

 

健康な男の子だった。

 

 

 

「早く還ってきなさいよ! アンタの子供なんだからさぁ!」

 

 

 

海に向かって叫ぶ。

 

返事はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…子供を産んでも、あたしの時間は止まっていた。

 

そう。二人きりで暮らしたあの世界から。

 

楽しかったことしか鮮明に思い出せないのは、やはり時間の魔力なんだろうか?

 

辛い記憶を掘り起こしても、せいぜい頭を抱えて叫びたくなるくらいだ。

 

あの時の感情の高ぶりも悔しさも、一日たった使い捨てカイロ程度の熱しかもっちゃいない。

 

或いは、これが許すということなのだろうか。それとも諦めに分類されるものなのか。

 

優しくなった記憶を幾度もリフレインしながら、あたしはこの一年間を過ごした。

 

だから耐えられた。

 

シンジが側にいないのも。出産の苦しみも。

 

でも、もう待てない…。

 

あたし一人だけなら、いつまでも待っているのだけれど。

 

視線を落とす。

 

小さな顔が涙で滲む。

 

この子の時間は動き出してしまった―――。

 

 

 

腕の中で無邪気に笑う顔を見つめる。

 

泣きながら、抱きしめる。

 

あたしとシンジの子供。

 

この子を放っておくわけにはいかない。

 

この子に、あたしと同じ体験をさせちゃダメだ。

 

あたしはこの子を守り、育てなければならない。

 

いずれ、大きな世界に組み込まれていくにしても。

 

今、この子の見ている世界には、あたしだけしかいないのだから―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな世界を守る決意を固める。

 

途端に、世界が巨大なガラスで区切られた。

 

不透明な曇りガラス。

 

そう、まるで箱庭みたいに。

 

 

 

 

 

 

 

 

幼い顔に頬ずりする。

 

守るわ。

 

守ってあげる。

 

あなたが外の世界を見つめるその日まで。

 

あたしがあなたを守る世界の壁になってあげる。

 

 

 

 

 

 

それは同時に、あの世界への決別の言葉。

 

 

 

 

 

 

 

この子を守るには、同じ時間を歩かなければならない。

 

だから、あの二人だけの世界は記憶へと隔絶される。

 

あの世界と今は繋げられない。

 

なぜならシンジがいないから。

 

共有できない世界に囚われていては、前に進めない。

 

重すぎる想いを抱えたままでは歩けないのよ。この子の為に歩けない。

 

あの世界は不透明に隔絶される。

 

少しずつ曇っていくガラスは、透かしてみようにも、やがて見えなくなるはずだ。

 

それでいい、と思う。

 

不鮮明になった記憶は、やがてこの上なく美しいものへと変わる。

 

反比例するように、それを取り巻く、あたしたちを取り巻く大きな世界は、美しさを無くしていく事だろう。

 

一時の最上の美しさや優しさは汚され、醜く変貌していく。

 

それでも全てが失墜しないのは、その世界の中で、多くの人々が小さな美しい世界を幾つも抱えているから。

 

だから、神様が眺めたら、きっとこう叫ぶに違いない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、なんてこの世界は醜くて美しいのだろう!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな世界を抱えたまま、神様なんて信じちゃいないあたしは夜空を見上げる。

 

本当にタイミング悪いわよ、ファースト。

 

夜空の満月に毒づく。

 

いくらアンタがあたしの身体を治してくれても、シンジが溶けちゃ意味ないでしょうが。

 

月は答えてくれない。

 

ただ優しくあたしを照らすだけ。

 

柔らかな光を浴びながら、ふと思う。

 

…もしかして、この子もアンタのチカラ…?

 

思い至るのは、昔話や幻想小説。

 

死に瀕した主人公は、恋人の子供として産まれ変わってめでたしめでたし。

 

…なによ、ちっともめでたくないじゃない。

 

自分の子供となんか恋愛できないんだからね!?

 

だから、この子にシンジなんて名前つけてやんないんだから!!

 

勝手に憤慨し、月へ向かって舌を出すあたし。

 

そうしてからチラリと後ろを振り返る。

 

離れた場所に一台の車。

 

何もいわずに付き合ってくれたミサトが待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…じゃあ、もう行くね、シンジ。

 

きっと、今もどっか世界を廻っているんでしょ?

 

ひょっとして、司令やリツコの説得に手間取っているのかしら?

 

そうだとしたら、少し面白くて、腹立たしい。

 

還ろうとしない頑迷な連中のせいでシンジが還ってこれないとしたら。

 

その予想を、否定したくても否定できない。

 

あのお人好しのバカのことだから…。

 

ううん、いい。

 

アンタが還ってこなくても。

 

この子は、あたしが立派に育ててみせるから。

 

そして、大きくなったらね、いかに父親が間抜けで自分勝手で無責任なヤツか教えてやるんだから。

 

悔しかったら、嫌だったら、還ってきなさいよ。

 

ほら、今すぐ。

 

今還ってきたら、遅れてきたことも少しだけ許してあげるから…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

泣きながら微笑む。

 

微笑みながら泣く。

 

想いを、打ち消す。

 

無理矢理、打ち消す。

 

遠ざかる視界。

 

下りる巨大な曇りガラス。

 

分厚いそれに爪を立て……結局あたしは何もいえない。

 

涙をこぼし、見上げてくる幼い顔に笑いかける。

 

大丈夫よ。

 

きっと、大丈夫。

 

自分でも信じていない気持ちを隠し、頭を撫でてあげた。

 

なのに確信できることもある。

 

この先、あたしは、他人に対し二度と愛してるなんて言わないだろうことを。

 

 

 

 

 

 

 

ゆっくりときびすを返す。

 

海に、月に背を向ける。

 

もう、あたしはこの場所に来ることはないだろう。

 

 

 

 

それでいいの?

 

 

 

問い掛けてくる自分に即座に反論している。

 

 

 

いいわけないでしょ!?

 

 

でも、

 

 

そうしなきゃ、

 

 

この子は、

 

 

あたしは……!!

 

 

 

こぼれる涙は果てしない。

 

 

 

あたしって、こんなに泣き虫だったかなあ…。

 

 

 

幼い手がパタパタと動いて、あたしの注意をひいた。

 

 

 

 

…うん、ごめんね。

 

もう、ママは泣かないから。

 

はやくお家に帰ろうね…。

 

 

 

 

急に母親ぶる自分が少し可笑しかった。

 

ついこの間まで、自分が子供だったくせに。

 

子供なんかいらないって言っていたくせに。

 

でも、シンジとあたしの子供だ。

 

アイツを愛したあたしが、等しく愛せないわけがない。

 

だから、いい母親になることを決めた。

 

きょとんと見返してくる真っ黒い瞳に誓って。

 

いい母親になれるとも思う。

 

なにせ、このあたしが決めたんだからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのシンジそっくりの瞳が、不意に大きく見開かれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

…冷たくなった夜風に響いたのは、あたしの幻聴だったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

いや、違う。

 

確かに聞こえている。

 

あたしの腕から聞こえている。

 

 

 

子供が声を立てて笑っている……!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思わず足を止め、瞳を覗きこむ。

 

どうしたの?

 

何がそんなに嬉しいの?

 

もちろん、返事はないのだけれど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

代わりとばかりに、背後で歓声があがった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「誰か上がったぞ!?」

 

「おい、この人は……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

予感ではない。確信があたしを振り返らせた。

 

 

 

浜辺に横たわる黒い髪。

 

 

 

瞬間、

 

 

 

ガラスが音を立てて砕け散る。

 

 

 

 

―――世界が、繋がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

震える身体。

 

まるで雷に打たれたみたいに。

 

血が沸騰する。

 

力がみなぎる。

 

疑う気持ちはどこか遠くへ投げ捨てる。

 

大事に大事に子供を抱え直し、あたしは走り出す。

 

砂地に足を取られ、クツを放り出しながらも、あたしは駆け寄る。

 

 

 

鼓動が速くなる。

 

頭の中心が痺れる。

 

信じられないほど身体は軽いのに、なぜか距離はなかなか縮まらなくて。

 

走りながら笑う。

 

笑いながら泣く。

 

泣きながらもどかしく思う。

 

もどかしくて叫ぶ。

 

全力で。

 

ありったけの感情を込めて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シンジ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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