小説版アマガミ ~森島先輩はそこにいる~   作:橘美夜

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ハルカ

 ふと気づいたときには、僕はあの公園の土を踏んでいた。授業が終わって教室を出た後、そのまま自宅へ帰るのはなんとなく相応しくないような漠然とした気持が自然とここへ向かわせたのだろう。

 二年前のクリスマス、ここであの出来事が起きたんだよな。僕はここで、人生で初めて恋愛というものの痛みと苦しみを味わった。あれ以来、あの女の子とは会っていない。この場所が彼女と距離を置くきっかけをつくったと言える。だから言うなれば、僕にとってここは別れの場所だ。そして、恋愛そのものからも。

 でも、今となってはその状況が変わろうとしている。

 この場所は、出会いの場所になろうとしている。

昨日はもう一生このままなのだと思っていた、先輩との永遠の距離感。僕の告白がはねつけられた瞬間に、もう二度と近づくことができないほど遥か遠くに行ってしまった先輩との距離感。僕の声は再び届くことなどないと思っていた。

 でも、今日それが変わった。そんなことないんだって分かった。

 高台にあるこの公園からは、夜に飲まれる直前の民家の姿をたくさん眺めることが出来る。

 僕は欄干に手をかけ、山と空と夕日のちょうど間くらいに焦点を当てて、しばらく物思いにふけった。

 じんわりと、僕の胸に遅れて実感が染み込んで来てる。今朝まで僕の中の森島先輩はあれほど色彩や質感を欠いていたのに、今では先輩が笑っている時の、頬のほのかな紅色でさえもくっきりと心に浮かんでくる。それと同時に、何とも言えない嬉しさが込み上げてくる。

 諦めなくていいんだ。

 森島先輩はまだ“そこ”にいてくれるんだ。

 まだ待っててくれるんだ。

 僕はそう考えた瞬間、すぐに地面に置いていた通学用バッグを持って走り出した。

 こうしちゃいられない! 早く家に帰らないと! 僕にはやるべきことがある!

 こんなに切実に時間が惜しいと感じたのは人生で初めてかもしれない。

 

 

 

 

 

 森島はるかの自宅は西洋の城を模したような豪勢な造りである。四方を高い塀と樹木で囲まれたその家は、発色の好(よ)い赤いレンガで隙間なく敷き詰められた堅牢な家だ。彼女のイギリス人の祖父より流れ来る西洋趣味を隈なく表したような装飾を内外ともに施している。正面中央の玄関口より上へと視線を移すと一際大きな窓ガラスがあり、白いマス目の区切りの間からは、深まった闇夜を照らす光が煌々(こうこう)と外へ漏れ出ている。それは玄関上部の吹き抜けに高く掲げられたシャンデリアの光で、その万華鏡のように細かく散りばめられて部屋の隅々まで温かさを伸ばしている明かりは、ほぼ真下にある二階へと続く階段の丸みを帯びた茶色に気品を眩(まばゆ)く反射している。先ほどその階段を上(のぼ)って行く時の、スリッパとカーペットが擦れ合う乾いた音がしたばかりである。風呂上がりの森島はるかがたった今、ほてった体温を残しながら自分の部屋へ入って行った。

 彼女は今日の分の受験勉強を終え、ゆっくりと温かい湯船につかった後で、ほっと一息ついているところだ。大体こうして寝る前の時間にテレビを見たり、雑誌を読んだりして自由な時間を過ごすのが彼女の日課になっている。もちろん、気分屋な彼女のことであるから勉強に気乗りしない時は自由時間の方が圧倒的に多くなるわけだが。

 入り口のドアを抜けると前方に大きな革張りのソファがある。この宮殿のような自宅に似つかわしく、高級品らしい気品を滲ませる黒いソファは、すぐ隣の電灯のおぼろげな光に照らされている。そこに彼女は座った。

 毛先の先端から二~三十センチ縦にロールした束をいくつも背中へ流している彼女の髪はドライヤーで十分に乾かされている。シャワーの潤いと風呂の温もりは、一見完璧に乾いているように見えるその黒い髪の芯まで染み込んでいて、贅沢なほど艶やかだ。そしてその重たさを感じさせるほどたっぷりとした髪は、シャンプーとトリートメントの華やかな匂いを辺りに漂わせている。

 彼女はテーブルに置いてあったリモコンを取り、テレビの電源を点けた。

 何気なしに次々とチャンネルを変える。

 途中でリモコンのボタンを押す指が止まり、しばらく画面を眺める。

 すると、ソファの背もたれに背中を落ち着けながら手持ち無沙汰な脚をぶらぶらとさせはじめた。太腿から指先へとかけて何の妨げもなくそのままにして細くすぼまっていく長い脚を、前にピンと伸ばしては下ろしてを繰り返している。こんな時は彼女がリラックスして気持ちが安らいでいる時である。その二つの滑るような脚は、卓に置かれている柔らかな明かりに映されてぼうっと月のように光っている。

 テレビを見たまま彼女はソファに横になった。その時、ニットの生地でできたピンク色の寝間着がずれて、太腿の上の、より太い部分が露わになった。二つの脚で閉じられているその奥の、暗い秘密の世界が今にも見えそうだ。

 体をゆっくりと横たえたその状態で、彼女はため息をついた。

 う~ん、最近のテレビは退屈ね……。

 すると画面に柴犬の子犬が映った。二匹の生まれたばかりの犬がじゃれ合っている。

 あ、可愛いわんちゃん。

 ころころしてる~。

 あ~いいなぁ。

 突如、彼女の脳裏で目の前の映像と昨日の夕方の映像が結びついて、色艶の良い唇に笑みが浮んだ。子犬を見ている時の微笑みとは違う、満たされているといった笑みだ。

 そういえばあの子も可愛いかもね。

 震えながら告白してきて。

 顔真っ赤にしちゃって。

 でも、あの時の目は、ちょっとだけ格好良かったかな、うん。

 ちょっとだけだけどね。

 話してると楽しいし、これから面白くなりそうね。

 

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