「なーにぼーっと外の景色なんか眺めちゃってんのよ。柄にもないことして。俳句でも作る気?」
そう言いながら声の主は僕の視界の右端で椅子に座ったのが分かった。
幸せな考え事をしながらぼんやり膨らませていたふわふわした風船を一刀両断されて微妙に不快感を覚えながら、
「なんだ薫か……」
とクラスメイトの棚町薫にわざとだるそうに答えた。
「なんだとは何よー。何か悩みでもあるの?」
「あ、それとも妄想? ごめん、邪魔しちゃったかしら」
内心少し照れながらも「そんなわけないだろ」と躍起になって返した。薫は妙に鋭い時がある。
「そこお前の席じゃないだろ」と照れを誤魔化すように少しぶっきらぼうに言った。
「いいじゃない、ちょっとぐらい」
と言って声の主へ視線を向けた時、明らかにただの男子生徒と女子生徒の距離感をだいぶ間違えた近さに、薫の目と鼻があった。僕と同じように机に肘を突きながら手の平に顎を乗せた状態で、そのまま僕を真っ直ぐに見据えていた。
「ちょっとなんだよ。近いなぁ!」
「あ~ん、つれないこと言わないでよ~。あんたと私の仲なんだからさ~」
と、わざとらしく甘ったるい声で薫が返すと、どこからともなくまた聞き慣れた声がした。
「いや~橘さんと棚町さん、相変わらず仲の良いことですねぇ~」
薫と同じくクラスメイトの梅原正吉が近づいて来た。僕と薫とのいろんな意味での距離感の近さについて半ば感心したように、半ば呆れたようにして言った。
「いつもそんな風にいちゃいちゃしてたら恋人同士みたいだぞ。クラスの中でも、お前たちが付き合ってるんじゃないかって噂してるやつもいるほどだからな」
「ええっ! 私と純一って付き合ってるんじゃなかったの? 中学の頃から付かず離れずを繰り返し、幾度となく隠れた愛を確かめ合って、高校生になって今までで一番あなたと近いところに居られてる。ねぇ、そうでしょ、ダーリン?」
「……自分で言ってて恥ずかしくないか?」
「あははは! 今のはちょっと恥ずかしかった!」
「顔がちょっと赤くなってるじゃないか。マジっぽくなるから、勘弁してくれよ。」
薫が本心じゃなくふざけて言っているのは百パーセント分かっているのに、言われた本人の僕の体が熱くなってしまっているのにきまりが悪くなって、
「ほら、そろそろ授業始まるぞ、席に帰れよ」
と次の授業の準備のために次第に静まり返りつつある教室内を一瞥(いちべつ)しながら言った。
この感じ……久しぶりだ。誰かのことを考えて心が浮つくというか……こうやって授業を聞いていても先生の声も耳に入らなくて、教科書の文章も別のことで頭が溢れ返りそうになっているせいで入って行かない感じ。
二年前のクリスマス前、僕が最後に恋をした、あの時以来だ。あれが本当に恋と呼べるものだったのかは、今となっては分からない。だって、待ちに待ったあのクリスマスの日、僕が好きだと思っていた女の子にフラれたんだから。僕は失意の内に沈んだ。街が幸せに光り輝いて賑わいであふれるその日に、僕は独りで家に帰って押し入れに籠った。ひどく落ち込んで、このまま自分はこの押し入れから出て日の目を見ることはないんじゃないかと思った。その日以来、僕は恋というものが分からなくなった。梅原が気を使って励ましてくれたりしたけれど、確かにそれに乗っかって去年のクリスマスはなんだかんだで二人で楽しく過ごせたけど、心のどこかで自分が「恋をする」ということに相応しい人間ではないのではと思ったりもした。もう僕は恋をすることはないだろう、そんなことを考えることもあった。
森島先輩。この言葉は僕の心の暗いところを照らしてくれる。言葉の響きを心に漂わすだけで体が熱くなってくるようだ。確かに今の森島先輩と僕の距離はとても遠い。高嶺の花とはよく言ったもので、それは同様に僕にも当てはまる。でも、あの昼休みでの衝撃的な出会いを果たしてからというものの、とても運が良いことに、最近は森島先輩と話すことが多い。これは本当にびっくりするようなことだ。今までの僕の学校生活からは考えられないような変化だ。あれだけ遠い存在だと思っていた先輩が、急に近くに感じるようになった、けど、これは思い過ごしかもしれない。森島先輩は全校男子の憧れで、これまで数々の男を虜にし、数々の告白の言葉を拒んできた、やはり先輩は高嶺の花だ。
でも、諦めきれない。幸いなことに、先輩は僕に良い印象を持ってくれてる。おもしろいとか、可愛らしい目をしてるとか、言ってくれてる。今僕がいる状況は悪いものじゃないんだ。
だから、僕は、目の前の希望に縋って、はるか高い崖に咲く花を目指してみたい。
恋……もう一度してみようかな。