小説版アマガミ ~森島先輩はそこにいる~   作:橘美夜

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トシウエ

 森島はるかが机に参考書を広げてシャープペンシルを持ってからというもの一時間が経つが、一向に勉強に身が入る様子がなかった。

 先ほどから同じページの同じ文章を上の空で何度も読み返している。時折、浅くため息をつきながら髪を耳にかける以外は微動だにしない。

 彼女の心の中はすでに別のもので満たされていた。少しでも傾ければ水が勢いよく流れ出すコップのように、いっぱいになっていた。

 それゆえに目の前にある英語の長文読解の問題は、今の彼女にとってはただの意味不明な暗号の羅列だった。

 彼女は動揺していた。今まで経験したことのない動揺だった。彼女は昔からたくさんの男子に囲まれて育ってきており、女子の友達と同じくらい多くの男友達もいた時期もあったほどだったが、とある男子生徒にこんなはっきりしない、揺らぐような気持ちにさせられたのは初めてだった。これといって強烈な個性で惹きつけられるわけではない。自分のタイプにぴったり合うというわけでもない。いわゆる「普通の生徒」の一人だ。それなのに何故こんなに心が彼へと向かうのか。強い磁力でじりじりと動かされるように。そんな疑問が、ペンを持ちながらも彼女の頭の中で柔らかな風が首筋をくすぐる様に過ぎ去った。

 そして鎖と鎖が連結するように、「彼」についてのもう一つの考えが彼女を悩ませた。

 「彼」は年下で、彼女は年上だということ。

 年上として自分がしっかりした姿を見せなければいけないという意識が、彼女の自由を束縛していた。最初の内はふさわしくあろうと相応に振る舞っていたが、次第に彼女は耐えきれなくなっていた。その束縛は彼女自身の心に鍵をかけているようなものだった。生来の彼女の、何ものからも縛られないでいる権利を神から特別に与えられたような、不可侵の純粋な自由の世界で息をしてきたかのような性格にとって、その鍵は窮屈だった。

 彼女はついに諦めてペンを置き、電話機を取りに行った――。

 

 

  

「年下って難しくない?」

 勉強机から離れたはるかは、今度はソファに完全に身をゆだねるようにしながら、親友の塚原響と電話で話をしていた。彼女には数えきれないほど親しい友達はいるが、本当に正直に心の内を相談できるのは響だけだと言ってもいいだろう。

「年下が難しい?」

「その、なんて言うかなぁ……」

「いつものように本題をしゃきっと言ってみなさいよ」

「むむむ……」

 基本的に思ったことをすぐ口にするような率直すぎるところがあるはるかが珍しく回りくどく話を進めるので、響は電話越しに親友がよほど頭を悩ませているのだと瞬時に察した。

「年下の男の子に甘えたら変かな? 嫌われないかな?」

「なるほど……そういうことね」

 はるかと誰よりも近いところで何年も同じ時間を過ごしてきた響には、はるかの気まぐれで移り気のある性格のことは手に取るように分かる。これまでいくつのファッションやアクセサリー、グッズなどの好みが変わっていく様を見て来たか分からない。何人の男子が直前になってフラれたか分からない。そんなはるかが一人の「男子生徒」への接し方に対して ―― 毎日学校で会っているにもかかわらず ―― わざわざ電話で相談するというのは、自分の知らないところでよほど彼女の心を動かす素敵なシーンが展開されたのだろうと察したと同時に、「彼」に対して感心もした。

 そしてこの時、その「彼」が以前、響のもとへはるかの好みの異性のタイプについて聞きに来たことを思い出した。あの時に感じた、他の男子には見られない行動力、脈絡の感じられない唐突さ、そして会話で誤魔化しながらも伝わって来たその真剣な眼差しのために、それ以来、響にとって「彼」は一目置く存在になっていた。

 実のところ、これまで交際経験のない響にとって、恋愛は不得意分野だった。だからここで経験に基づいた確実なアドバイスを親友にしてあげられないことに対して、悔しさや残念さがないと言ったら嘘になる。しかし、その時の「彼」のような行動力や真剣さが、女子の心を動かすのだということをここで思い出し、その他、自分がこれまで他の女子生徒たちに聞いてきた恋愛話や、そういった類のことを語った本や雑誌などを総合して、響ははるかへ一言、こう言った。

「思いっきりいきなさい」

 はるかはその言葉の意味がすぐに分からずに聞き返した。

「今度、橘君に会ってみたら、思いっきり甘えてみなさいってこと」

「で、でも私、年上だし」

「それは大丈夫。女性に甘えられたくない男性なんていないわよ。……試しにやってみなさい。ごろにゃ~んって」

 この解決方法は、響のような強面で厳格な雰囲気を漂わせた真面目なキャラクターから提案されるものとしては一見誠に珍奇なものではあるが、意外にもはるかの抱いていた悩みをすぐに氷塊させた。自分が日々外に出せずに溜め込んで来た、「彼」の未だ知らない感情を一番はっきりと手っ取り早く知ってもらえる方法のような気がして。

 

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