去年感じた通り、この学校ではクリスマスが近くなると、少しずつせわしい雰囲気が校内に漂って来る。まるで一つの大きな物語の伏線を随所に張り巡らしていくように。
橘純一は、中庭に置かれている組み立て途中の白い大きなオブジェのようなものを渡り廊下の窓から眺めていた。
何だあれ。ロボットの足?
彼はそれが何なのかは分からなかったが、この学校のロボット研究部の部員が今年のクリスマスに開催される創設祭のための準備をしているのだろうという、おおよその察しはついた。そして彼は思った。
今年も来るんだ。その日が。去年もそうだったけれど、学校のみんなが徐々に創設祭の準備を進めて行く様を眺めていると、ゆっくりと、しかし着実にクリスマスが近づいてきているっていうのが感じられる。洞窟に響く足音が遠くから聞こえてくるように、それが感じられる。今年は――。
と彼が一人思いに耽っていた時、突然、背中に重さを感じた。
最初は梅原がイタズラで背後から飛びついてきているのだと思った。
しかし、背中から感じられる軽さと柔らかさから、全く別人だとすぐに分かった。
その後に耳元で聞こえた声で、彼はそれが誰なのか完全に分かった。
「ごろにゃ~んっ!」
「も、森島先輩!?」
彼は、森島先輩が自分の背中に飛びついているという、今置かれている状況がすぐに飲み込めなかったが、そんな中でも首元と背中に感じられる感触は確かに彼女だった(まだ先輩とそこまで深い関係ではないが彼は確かにそう感じた)。回されている腕の華奢な感じ。隙間なく触れている身体の、例えようのない柔らかい感じ、そして弾力のある感じ。
そしてその後に感じたのは、鼻をくすぐる、彼女の香り。はしゃいでいる彼女が少しでも動くたびに香ってくる、このずーっと匂っていたくなる優しくて上品な香り。
「何してるにゃん?」
せっ、先輩の吐息が、直に耳の裏に!
純一は気の遠くなるような感覚のせいでワンテンポ返事をするのが遅れた。
「な、何って? 先輩こそ何してるんですか?」
「ん? にゃんにゃん攻撃?」
『にゃんにゃん攻撃』って何だ!?一体何がどうなってるんだ?
彼がふと本能的に周りを見渡すと、予想通り男子を中心として数人の人だかりが出来ていた。この一瞬の間でも、彼らが驚いたようにヒソヒソと話したり、男子たちが有り得ないものを見るような目つきをしているのが分かった。
「まいったか! にゃんにゃーん!」
「ま、参りました……!」
教室に帰ってしばらくした後、誰から聞いたのか、梅原と薫は散々このことで純一をいじった。彼はそのことに内心照れつつも誇りながら、その“いじり”を上手くかわしていった。
自分の席に戻って落ち着いた後、彼は一人で全く不毛な考えを浮かべていた。彼は今のじゃれ合いを他の男子たちのじゃれ合いと比較していた。さすがに男子たちのそれとは違って自分の首を囲む両腕に力はこもっているが、最初から締める気が感じられないような力加減で、そのせいで逆に優しさが際立っていた。次第に照れが二人の間に入ってきたらなのか、時間の長さとしてもそこまでしつこくない。要するに、そこには愛情があった。純一自身はそこまで意識的でなかったにもせよ、この比較によってそれとなしに分かった違いが、彼を幸福な気持ちにした。
昔の西洋貴族の趣味をところどころに施したかと思われる、気品あふれる机、カーペット、ソファ、クッションなどのインテリア。それらとはるかはいつも以上に親密だった。
橙色の照明によって、暖炉の火に照らされているように見えるおぼろげなソファに、はるかは身を横たえてくつろいでいた。たった今、彼女なりに“ほどよく”勉強を切り上げたところだった。ソファになまめかしく置かれながら伸びる素足が美しい。
はるかの目は満たされていた。そしておもむろにクッションを胸に引き寄せ、その触り慣れた感触と抱き心地で何かを再現しようとしていた。
彼女の感覚は今日の昼間に戻っていた。こうしてものを通して「彼」の背中を思い出していると、だんだんと体内が熱くなっていく。今日、初めて実体として、物質として、現実として彼を捉えた気がしたはるかは、自分の体内の奥の方から、もっと「彼」の身体に触れてみたいという止めどない激流のような思いが萌え出づるように感じた。