――膝裏にキスをすることが決まってからというもの、にわかに二人の間に艶(なま)めかしい、別の世界がやってきたようだった。
はるかは、くるりと後ろを向き、自分のお尻を純一に突き出すような格好になった。太ももの付け根あたりまでが黒い紺の水着によって区切られており、丸見えになっている部分の白い素肌が純一を誘惑的な匂いで虜にしたようだった。一見、美女の非常に淫乱な姿態に見えるが、そうしなければ彼が膝の裏側にキスできない。
彼女はこの時点で、耐え難いほどの“危うい感じ”を味わっていた。
キスをされる前の気持ちの準備が必要だった。全感覚を膝裏に集中させているような状態だったため、体中の全器官の中でそこがもっとも敏感になっていた。だから、彼の唇が来る前から、身体が勝手に「普段、誰にも触れられないようなこの秘密の場所に、唇がくっついたら……」と予想して、ビリビリ痺れるような脅かされる感じと緊張感と恥ずかしさと快楽が彼女の中を満たしていた。
ほんの数秒の間ではあった。しかし、この短い「待つ」という行為にこれほど繊細な快感を詰め込めるのかと思われるほど、すでに彼女は悩ましい状態に置かれていた。
二人の時間は張り詰めていた。
はるかは手をどこに置いておくのが正しい「待ち方」なのか分からず、ひとまず腕は胸を抱くようにしていた。そして、抑えるべき声はまだ出ていないにもかかわらず既にこれから起こることを予感してか、手は口元に置かれていた。
純一はというと、まさに犬のように、四つん這いの格好をしていた。
健全な男子であれば誰しも、今の彼の心情は、察するに余りあると思えるだろう。その彼の心情とは、以下のようだった。
目の前に森島先輩の水着姿があるというだけで信じられないのに、僕の鼻先から数十センチ先に森島先輩の脚が……脚の裏が……膝裏が、ある。
じりじりと唇を近づけていく。近づけば近づくほど、先輩の体温というか、オーラというか、存在感のようなものが実際に肌で感じられてくる。だから一層、興奮が増す。
先輩の肌は ―― というより女子が全員そうなのかも知れないけど ―― 信じられないくらい表面がツルツルしていて触り心地が優しそうだ。男子とは比べ物にならないくらい繊細なつくりに見える。
心臓は割れそうなほど激しく打っている。もし唇がそこにくっついたらどうなってしまうのだろう。だが、僕は思い切った。
キスをした。
同時に、先輩の「あっ!」という声が聞こえた。意識とは関係なく勝手に口から漏れ出てしまったような声だった。
まず驚きが来た。感じたことのない感覚だった。
僕の唇を通して、気持ちよさが激しい電流のように一瞬で体中に駆け巡った。
とんでもなく滑らかですべすべだった。
僕はもっとそれを味わいたくてツーッと唇をつけたままで、しわ一つない色白の肌を上の方へと滑っていった。
その動きに応じて先輩の脚の筋肉は固くなり、「ん~~っっ!」という声と息を、同時に漏らしていた。とってもいやらしい声だった。聞いたことのない先輩の声だった。陶器や大理石のように綺麗で滑らかな先輩の脚の感触はとても心地良いものだったが、同時に先輩も、僕と同じように気持ちよくなってくれているようだった。
僕の興奮は頂点に達した。
もうこうなったら行けるところまで行ってしまえと思い、そのまま際限なくずっと上へ上へと唇を進めた。
すると先輩がとっさに、
「こ、こら! そっちは違うでしょ!」
と言って僕の頭を抑えた。
僕は完全にスイッチが入っているのでそれにかまわず、
「わんわん!」
と、ふざけて犬の真似をしながら無理やり上へと進もうとしていた。
「こら! そっちはまだ通行止めなんだからっ!」
純一はその言葉ではっと我に返った。ただ一心に先輩の美しい肌を辿(たど)っていくのに夢中で、これ以上進むとどこに行き着くのかを考えていなかった自分に気づいた。そして彼はその言葉の微妙な表現を聞き逃さなかった。
「まだ通行止め」か……これはつまり……。
溢れ出た唾液のせいで口周りが濡れたので、軽く拭いながらその言葉が予感させる香しい匂いを味わっていた。
言うまでもなく二人にとってこれは初めての体験だった。お互い明かさなかったが、普通のキスも味わったことがなかったのだ。それなのに、こういったアブノーマルな形で「キス」というものを体験したのは誠に滑稽な話だった。
だから、二人の顔はごく自然な結果として真っ赤になっていた。はるかが「すっごくくすぐったかったんだから」と言ったり「ワンちゃんの気持ち分かった?」などと、平然と会話を続けようとすればするほどその上気した顔は目立った。
純一はそれに対して「まだ上手く言葉にできなくて……」と、キスの最中にほとんど冷静にものを考えることなど不可能だったということを正直にほのめかしながら、次回会った時に伝えることを約束した。