「「ただいま戻りました……」」
精密検査でも異常無しと出て、あかりとひよりの双子姉妹は数日振りに我が家のドアをくぐった……が、どうにもその仕草や態度はよそよそしく、おどおどしている。全方位に人の目が無いか、常に警戒しつつキョロキョロと視線を動かしていて、落ち着かない。
それもその筈、二人にとっては初めて異性を家に招くのである。まぁ……その客人は男以前に子供であり、ついでに人間ですらない訳だが。
「……」
カグツチは玄関でぼうっと突っ立ったままだったが……あかりに手招きされて、おずおずと入ってきた。彼はあかりからあまり離れられないし、さりとてこんな子供をほっぽり出す訳にも行かず、暫くあかりとひよりが二人で面倒を見る事に決めたのだ。
「はい、ストップ!!」
「?」
「家に入る時は、お邪魔しますって言わなくちゃだよ」
制止の声はあかり、躾ける声はひよりのものである。この辺りは二人共に育ちの良さが現れていると言える。
「……お邪魔、します」
素直なカグツチに二人は会心の笑みを見せると、子供神の頭を撫でてやる。ちゃんと出来た時には、ちゃんと褒めてあげなくちゃ。
「おかえりなさい、あかりちゃん、ひよりちゃん」
奥の方からパタパタと出て来て二人を出迎えてくれたのは、お手伝いの佐々木さんだ。思わず、ビクリと体を緊張させる双子。今のカグツチはあかりに買ってもらった服を着てはいるが、もう夜も遅いし、もし「この子は一体誰です?」と聞かれたらどう返答したものかと内心怯えていたが……どうやらこれは取り越し苦労のようだった。
「今日はもう遅いですし……お風呂を沸かしますから、早めに入ってくださいね」
面と向かっているのに、佐々木さんはカグツチには何の言及もしてこない。病室の時もそうだったが、やはり普通の人の目にはカグツチの姿は映らないらしい。正確には目に入ってはいるが背景と同じで存在が認識されていないのだ。
ぐっ、と親指を立てて頷き合う双子。取り敢えず第一段階はクリア。続いて作戦を第二段階に移行。二人はカグツチを二階に上げて、ある一室へと案内する。
「この部屋、自由に使って」
「……お二人の、部屋なのですか?」
「いえ、兄さんのよ」
「年の離れた兄なの、今は居ないけど……」
「兄姉……」
「まぁ、ドアの前で突っ立てるのも何だし、入って入って」
そう言ってあかりは部屋のドアを開けると、電気のスイッチを入れる。暗かった部屋が一瞬にして明るくなって、主が几帳面な性格なのか家具類がきちんと整理された広い部屋の全体像が見渡せるようになる。だが、そんな部屋よりもカグツチの目を引いたのは、ちょうどあかりが手をやっている蛍光灯のスイッチだった。
「……どうしたの?」
「……それ、もう一度やってみせてはいただけませんか?」
「ん? いいけど……」
パチン、パチン。スイッチをオフにしてもう一度オンに。そうする事で明るかった部屋は一時だけ暗闇に包まれて、再び光が取って代わる。これはあかりとひよりにとっては毎日繰り返されているありふれた出来事でしかないが、しかしカグツチにとっては特別な意味があったようだ。呆然と、スイッチに視線を送っている。
「光は……こんなに簡単に、手に入るものなのですね……」
呟く神のその声は、どこか感極まったように震えていた。
「……カグちゃん?」
「どうしたの?」
「僕が知っている世界は、闇。ずっと続く果ての無い、真っ暗な闇の世界。それしか知らずに……ずっと怯えていました」
神の独白に、姉妹は「ああ、そうか」と頷く。カグツチが母殺しの咎によってイザナギに殺されたのは生まれてすぐの、まだ目も開かない赤子の頃。その後すぐに蘇る事も叶わず、人の肉体へと封じられた。だからカグツチは光を知らなかった。神代の頃から今までの気の遠くなる様な時間、ずっと。
「今までは、どうして怯えていたのか……その理由すら分かりませんでしたけど……今、それが分かりました……」
光とは、こんなに綺麗なものだったなんて。
生きとし生けるものはすべからく、おしなべて光に惹かれて、求める。そう、本能と魂に刻まれている。神であるカグツチの魂もまた、生まれながらにそれを識っていたのだ。
「カグちゃん……」
何と声を掛けて良いか分からず、ひよりは思わず言葉に詰まる。
確かにヒノカグツチが為した母殺しの罪は、償い様も無い程の背徳であり重罪かも知れない。だがそれは、彼自身が意図した事では絶対に無い。イザナギを父として、イザナミを母として生まれた事も、生まれながらにその躰が業炎に包まれていた事も、選ぶ事の出来ない運命だった。そして子供として産まれる以上、イザナミを殺してしまう事さえも。その、避ける事の出来ない、出来る筈も無い宿命すらもが悪だったと言うのか。
そしてその罪によって、光の無い世界へと閉じ込められた。愛を知らず、父に撫でられる事も、母に抱き締められる事も、一度として無く。
この小さな子供は、哀しい程に不憫で、儚い神。
人間の、只の中学生でしかない自分に何が出来るだろう。
妹はそのように考えて。姉は、考えなかった。
「わふっ?」
代わりに、カグツチの小さな体躯をぐいと引き寄せると両の手でぎゅっと抱き締めてやる。虚を衝かれた子供神は、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「お、お姉ちゃん!?」
頓狂な声を上げたのは、ひよりもだった。
「あかり……さん? これは……?」
「んー、カグちゃん。私にはあなたが今までどれだけ怖い思いをしてきたかなんて分からないけど……でも、もうそんな思いはしなくて良いと思うよ」
双子の姉はそっと指先を電灯に向ける。
「今日はもう眠って……それで起きて、朝になったらこんな電気の光なんかじゃない、太陽の光が見れるよ」
「たい……よう?」
「ん」
と、にっこり笑って頷くあかり。
「太陽の下で生きる権利と自由はどんな人にもあって……お日様はどんな人にも分け隔て無く暖かい光を注いでくれてる」
「……僕にも、あるのでしょうか? そんな、日の当たる場所へ出る資格が」
「勿論!!」
刹那の思考も挟まずに、あかりが即答する。
「日の当たる世界は誰のものでもなくて、この世界に生きている全ての人のものだから。だからそこで生きる事に特別な資格なんて要らないって、私はそう思うよ」
姉の言葉を、妹が継いだ。
「でも……それは、潔白な者の話でしょう? 僕は、罪に穢れている……そんな僕が……」
「ああもう、面倒臭いわね!!」
神の言葉を遮って、あかりはカグツチを一度離すとその両肩を強く掴む。
「あなたが神殺しだろうが母殺しだろうが、そんな何百年も何千年も前の神話の時代の出来事なんか、ぶっちゃけ私は知った事じゃないの!! 私がこうして向かい合ったあなたは、悪者には到底見えないから、だからきっと日の当たる場所で生きる事が出来ると、私は信じる。もし、誰もそれを許さないなら、私が許す!! 分かった!?」
「……良いの、でしょうか」
人が神に許しを与えるなど、本来なら何たる不遜、何たる傲慢と咎められるべき蛮行かも知れない。だが愛もぬくもりも知らなかったカグツチにとってその言葉がどれほど頼もしく、暖かく響いたか。知り得るのは小さな一柱の神のみ。
「良いの良いの。あなたはこの世界に居て、生きて良いの!! もしそれを駄目だという奴が居たのなら……ひよりがジャングルソバットをお見舞いするから」
「そこで私!?」
そこは普通、自分が張り倒すとかでしょうと、見事なタイミングで妹からツッコミが入った。
「……不思議、です」
そんなコントの如きやり取りを尻目に、神殺しの神はぽつりと溢す。
あかりとひよりに在るのが、掛け値の無い善意である事は理解出来る。理屈では分からないが、分からないままに感じ取る事は出来る。嬉しい事を、言ってくれている事も。それを受けて、きっと自分は喜んでいる事も分かる。
なのに、とても不思議だ。
細い指が、そっと頬を流れている熱さに触れた。
「何故だろう……涙が、止まらない……」
初めて授かった、ぬくもり、優しさ。自分に涙を流させた感情をカグツチが理解するのは、まだもう少し先の話である。
そんな小さな神様をあかりとひよりは微笑ましく見守っていたが……不意に、ひよりは急な睡魔に襲われてぱたりと倒れてしまう。退院してからこっち、意識を持って行かれる様な眠気に襲われる事が多くなったが……その都度傍にあかりが居てくれたから、大した問題も無く過ごせていた。
だが今日は、些か事情が違うようだった。
「ひよりさん……あの……」
最初に異常に気付いたのは、カグツチだった。言いにくそうに口ごもる。
「どうしたの? カグちゃん……」
「……魂が、抜けてます」
ひよりが、部屋の床にぱたりと倒れていて、そのすぐ傍にひよりがもう一人立っていた。顔も服装も寸分違わぬ、違いと言えば立っている方の腰の辺りから猫の様な尻尾が生えているぐらいか。
「ひ、ひより!?」
「ど、どうして!? 私死んでしまったの!?」
「死んだ訳じゃねぇ、肉体は眠っているだけだ」
場に、四人目の声がしてその方向に二人と一柱が振り返ると、夜卜が窓を開けて入ってきていた。
「夜卜……さん、どうしてここに?」
「いや、直人の奴から”クライアントとは一度くらい仕事の打ち合わせしとけよ”って言われたから、来てみたんだが……どうにも、妙な事になってるみたいだな……」
「説明して下さい、これは一体どうなってるんですか?」
「多分、あかりに施されていたカグツチの封印が解けたのと一緒で、事故が原因だろう。皆が息づく此岸と、その対となる彼岸。姉さんがカグツチの覚醒によって二つの狭間の住人になったように、ひよりは生きながらにして妖になったんだな。今でこそ無自覚だが、境界とのバランスも良いしいずれ自在に肉体を出入りできるようになるかも知れん。本来なら神器に欲しいが……」
「あの……良く分からないんですけど……」
ぱたぱたと動く尾を掴みながら、ひよりが首を傾げる。
「あなたは体をよく落とす人になりました」
一言で、しかし物凄い事を言う夜卜。財布や携帯電話をよく落とす人は聞いた事があるが、体をよく落とす人とは初耳である。
「で……どうしたら治ります?」
「あー、治すと言うか……あんたはそういう体質になったって事だ。諦めろ」
残酷な宣告を放つジャージの神様。
「そんな!! 困ります!! こんなの嫌です、元に戻して!! 助けて!!」
「私からも頼みます。私の依頼は、後回しでも良いですから……」
「僕からも……お願いします。何とか、ならないでしょうか」
人間と神様から頼まれて、夜卜は少し困った顔になる。考えてみれば、この双子の姉妹には一度、事故から助けられた。助けが無くても何とかなったが今まで誰もしなかった事だし、無事を見届けてチャラという事にしたとは言え恩は恩。見捨てておくのもばつが悪い。観念したか、ぽりぽりと頭を掻く。
「しゃーねぇか……ダブルブッキングは良い仕事とは言えねぇが……今回は特別だぜ?」
支払われた前金の五円が、夜卜の指に弾かれて涼しい音を立てる。
「壱岐ひより、あなたにご縁があらん事を」
こうして、あかりとひより、二人の依頼を夜卜は受けて。
二人と夜卜との、縁は結ばれた。