「あの、神器になってみませんか?」
自販機と自販機の隙間を漂っていた金魚のような死霊に、ひよりはおっかなびっくり話し掛けてみる。腰から伸びたシッポをぱたぱたと動かしながら。しかしその死霊は大きさも金魚並みで、自分よりも何十倍も大きなひよりの姿に驚いたようだ。潜んでいる岩を持ち上げられたフナムシのように、物陰に姿を隠してしまった。
「あぁ……」
残念な顔を見せるが、しかし最初の一人目から上手く行くとはひよりも思っていない。めげずに次の死霊へ。
「すいません、あのー……」
しかし、フラれた死霊の数が十を越えるぐらいになると流石に焦れてきた。そもそも神器になるならない以前に、話が成立する者が見付からないという事実。
「はぁ……」
溜息を一つ。そうして顔を上げてみると、かなり遠くだが無数の妖が集まっているのが見えた。
「……時化だ」
これは夜卜や直人から教えられていた知識の一つである。妖達が好む陰鬱な空気、まとわりつかれると憂鬱になる醜気の渦。彼岸の住人達はそれを指して”時化”と呼ぶのだ。つまり、時化の場所には多くの死霊が集まる。ならば、
「あれだけいれば話を聞いてくれる死霊が居るかも……」
そう思って時化の中へと踏み込んだひよりであったが、死霊の一体にも話し掛けない内からぐっと後ろから襟首を掴んで止められた。
「きゃっ!?」
「止めとけよ、ひよりちゃん」
後ろに立っていたのは白衣姿の自称神様の整体師、直人であった。すぐ後ろには巫枯の姿もある。
「時化の中はただの死霊だけじゃなくて、妖とかもゴロゴロしてんだ。おまけに、お前さんみたいな生霊は目立ちまくるからな。リンゴの中に一つだけスイカが混じってるようなモンだぜ?」
「比喩としては、肉食獣の群れの中を生肉が歩いている……と言った方が適切に思いますね。寄ってきますから、妖は……」
今一つ分かり難い直人の言葉を、彼の神器が訂正する。
「すると……どうなるんですか?」
質問したのはひよりではなく、彼女と同じ声をしたもう一人、双子の姉であるあかりであった。ヒノカグツチにお姫様抱っこされた形で、ふわりと降りてくる。
「妖に憑かれると、最初は憂鬱になるとかちょっとイヤな気分になるとかその程度の影響だが……奴等は寄って、触って、魂を貪る。そうすると人は魔が差す」
「魔が差す、とは?」
「そのままの意味さ」
直人が返す。「ふむ」とカグツチの腕から下ろしてもらったあかりが首を傾げる。一般的に「魔が差す」という言葉は心に悪”魔”が”差”し込んだように、一時の心の迷いで普段は取らないような行動を取ってしまう、判断を誤ってしまうという言葉であるが……
「例えば、ひよりさん、あかりさん。あなた達も考えはしても普段は絶対にやらないような行動ってあるでしょう? 盗み、詐欺、人殺し……あるいはそれは越えてはいけない一線とも言い換える事が出来ますが……妖に憑かれていると、その一線を跨いで踏み越える事を厭わなくなるのです」
「……それで……その一線を越えてしまうと……どう、なるのですか?」
この問いによって引き出される答えにどこか怯えるように、微妙に声を震わせたひよりが尋ねてくる。直人は「あー……」と、少しだけ言葉に詰まったが、ややあって答える。
「よく言うだろ? 悪行を為して越えてはいけない領域へ踏み込んだ奴の事を、”人でなし”って。憑かれたのが死霊の場合はマジで姿形まで人でなくなってそのまま新しい妖と化すんだが……生霊の場合は、快楽にも似た生き地獄に囚われる事になるな」
恐ろしい回答に、ぶるっと体を震わせるひより。
「じ、じゃあ、尚更早く神器を見付けて夜卜さんに渡さないと……」
「だから止めとけっての」
駆け出そうとしたひよりは再び直人に首根っこを掴まれて「ぐえっ」と呻き声を上げた。同時に、
「「あ」」
あかりとカグツチが間の抜けた声を上げる。見れば今のショックが原因か、ひよりの体から魂が抜けていた。巫枯が、抜け殻になった肉体が倒れる前にそっと優しく支えてやる。
「もう一つ、これは夜卜も言い忘れていたようだが……お前さんのその尾の事だ」
「これですか?」
ぱたぱたと動く尾を撫でながら、ひよりが尋ね返す。
「それは尻尾じゃなくて、”緒”だ。魂(たま)の緒。肉体と霊体を繋ぐラインと言えば分かり易いかな? それが切れたり、後は霊体のままの状態があまりにも長く続くと、肉体の方が死ぬからよ。霊体のまま行動する事は、極力避けるべきだと、忠告しておくぜ」
「わ、私有線なんですか? この時代に!?」
「ならば、さっきのひよりの台詞ではないですけど尚更夜卜さんに神器を早く手に入れてもらって、ひよりの体質を治してもらわないと……」
どこかズレた感想を口にするひよりと、今の妹は想像以上に綱渡りな状況にあると知って、慌てた声を上げるあかり。後者の発言には直人も頷く。
「まぁ、そうだよなぁ。だから神器の方は俺も探しておくから、お前さん方は取り敢えず帰って……」
言い掛けて、自称神の整体師は言葉を切った。
「どう、したのですか?」
あかりの傍らに控えていたカグツチが、尋ねる。この問いに答えるのは直人の神器だった。
「どうやら、遅かったようですね」
溜息混じりの巫枯が視線を上げると、民家の屋根を飛び越えて小型トラックぐらいはありそうな巨体の妖が迫ってきていた。海水に紛れた血の匂いを嗅ぎつけてやってくるサメのように、死霊だらけの中を一人だけ生霊でポツンと浮いているひよりの気配を辿ってやって来たのだ。
「走れ!!」
直人の一声で全員が一方向へと駆け出す。ひよりの体は巫枯がおんぶして走る。あかりはカグツチの手を引いて走っていたが、途中でバテてカグツチがお姫様抱っこして走るスタイルに切り替わった。
結構な距離を走る一行だが、妖の全身に付いている目にひよりの魂は余程美味に映るらしい。中々諦めずに追ってくる。「ちっ」と直人が舌を鳴らした。
「逃げているばかりではいずれやられますよ。直人、ここは……」
「ああ、面倒臭ぇが……やるか!!」
巫枯の言葉に直人は頷いて返し、さっと自分の神器に手を伸ばす。同時に、巫枯の額に刻まれた「巫」の一文字が輝きを放ち始める。
「来な!! 巫(ふ)……」
だが、彼が何事か言い掛けるよりも早く。夜の闇を白の一閃が切り裂いた。否、切り裂いたのは闇だけではない。妖の巨体までもが、上下に断ち割られて二つになっていた。泣き別れになった体は、二つともが黒い粒子になって空に溶けていく。
「何が……」
「あ、夜卜さん」
カグツチの視線の先には、一振りの白刃を手にしたジャージの神様、夜卜。妖を断ち切った白い光は彼の繰り出した剣閃だったのだ。
「よう、無事かお前等」
体重が無いような動きで地に降り立った夜卜が、一行に話し掛けてくる。あかりはカグツチに下ろしてもらっていた。ひよりも巫枯から体を渡してもらって、魂を肉体に仕舞う。
「夜卜さん、どうしてここに?」
体に戻ったひよりの問いに、夜卜は少しむすっとした顔になった。
「いやぁ……流石に俺もいつまでも神器無しじゃ不安だし、神としての格好も付かないからな。良い神器は居ないかって、探してたんだよ」
「そして、見付けたって訳か。しかし、前の伴音ちゃんはナイフで今度はポン刀か? 偏ってるなぁ。まぁ、お前らしいとも言えるが」
「人の神器をどうこう言える立場ですか、直人。自分で言うのもアレですが、あなたの神器こそとんでもないゲテモノでしょうに……それに、夜卜さんの神としての権能(スキル)は斬る事ですからね。その能力を最大に引き出せる相応しい神器は、やはり刃物という事なのでしょう」
これは直人と巫枯のコメントである。
「へー、これが神器……綺麗……」
「剣と言うよりは、剥き出しの刃って感じね……」
一方こちらはひよりとあかりの双子の台詞。あかりの指摘通り夜卜の手にする刃には柄も鍔もなく、刀身の握りの部分に申し訳程度の布が巻かれている程度である。まともな武器とは言い難いが、そこはやはり神の得物。人が使う武器とは色々違うという事なのか。
「その……神器に名前は、あるのですか?」
おずおずと、カグツチが尋ねる。夜卜は「ああ」と頷いて、刃を手放す。
「こいつは、雪。呼び名は雪音」
担い手から離れた刃は紅茶の中で溶ける角砂糖のようにその形状を解れされて、形や質量さえも変えていく。名の通り雪のような白い光に変わってそれが再び実体を持った時にはそこに在ったのは刃ではなく、人であった。死に装束を纏った、年の頃は十代半ばに見える金髪の少年。着衣から覗く左鎖骨の部分にはちらりと「雪」の一文字が見える。
「ひ……」
「人に……」
「なった……」
ほぼ一般人である壱岐の双子は勿論、神器を見た事が無いカグツチも驚きに目をぱちくりさせている。前に直人が「神器は人であり、死霊だ」と言っていたが、それは言葉通りの意味であったのだ。
神器の少年、雪音がぶるぶると震えているのを見て、夜卜は上着を脱ぐと差し出してやる。
「俺は夜卜、お前の主だ。彼岸より召し上げお前を神器とする。眷属よりも傍に、永く請い従う事を許す……もう恐れることはない……」
ここまでは、主としては初対面としては満点を付けても良い対応であったのだが……
「いいよ、汗臭ぇ……返す」
にべもなく撥ね付けられて、固まってしまった。
「ねぇそこのあんた達、ちょっとそれ貸して」
無遠慮に要求してくる雪音に押し切られるようにして、ひよりはマフラーを、あかりはコートを取り上げられてしまった。しかし雪がちらつき始めている中で学生服だけなのに、あかりは不思議と寒くはなかった。これは彼女は知らない事だが、憑き神であるカグツチの影響である。カグツチは生まれながらに体に炎を纏っていた火の神様。彼と繋がっているあかりが、寒さに凍える訳がないのだ。
「それにしても寒ぃな……どっか入りたいんだけど」
夜卜が差し出したジャージは、あろう事か雪音の足に敷かれてしまった。確かにこの寒空の下で裸足の彼は寒いであろうが、善意で差し出した一張羅の扱いがこれとは、あまりと言えばあまりの仕打ちである。
「おま……俺のジャージ……客に覚えてもらう為……敢えてジャージキャラで売ってんだぞコラ……そんな魂いっぱいのジャージを踏……」
「……あんた、家は?」
ショックの余り吐血しながら新人神器を睨み付ける神様に、しかし神器の方は主の話を聞いていないようだった。
「躾がなってねぇな、雪音……!!」
「あ痛!!」
額に血管を浮き立たせる夜卜。そして上がる雪音の悲鳴。しかし手を上げたのは神ではなく、人であった。あかりだ。
「ちょっと雪音君!! 好意で差し出してくれた物にその扱いはないんじゃないの!?」
拳骨を落とされた少年神器はむすっとした顔であかりを見るが、しかし興味を無くしたようにぷいとそっぽを向いてしまう。この反応に「ぬっ」と怒りを見せるあかり。ひよりはそんな姉と雪音の間であたふたしている。カグツチは雪音の正面に回り込むと、ぺこりと頭を下げた。
「あの……初めまして。僕、ヒノカグツチです。一応、神様らしいです」
この辺りの礼儀正しさはあかりの教育・躾の賜物である。だが、やはり雪音はそっけなかった。「あ、そ」と一瞥しただけだ。この礼儀の悪さに、遂に夜卜がキレた。
「雪音、お前なぁ~。挨拶もロクに出来ねぇなんて俺に恥掻かすンじゃねぇ!! 新人神器の分際で好待遇に恵まれると思ったら大間違いだ!! これから俺はバカ売れして書籍化(聖書のようなもの)されて偶像崇拝大いに許可してちやほやわっしょいされてだな「そ、それより私の体質を」日本一のお社を建てんだぞ!? そしたらテメーに傘ぐらい買ってやるよ、それまではテメーのささくれでも喰ってろ!!」
「……そんなだから売れねーんじゃねぇの?」
「んなっ……!? テメー、俺がどれだけ愛され慕われ敬われてっか知らねーくせに!!」
「すいません、もう帰って良いですか?」
「あかりさん、これは……」
「しっ、見ちゃいけません!!」
「寒っ」
「今日なんかビールもらっちゃったもんねー!! 発泡酒じゃなーいもーんねー!!」
「足冷たい」
「こいつなんか夜卜様ん夜卜様ん、うぜぇったら」
「では夜卜で」
「あっ……」
こんな調子で何かと騒がしい神と人と神器。それをやや離れた所から見詰める神と神器が一柱と一人。直人と巫枯だ。
「あのガキが夜卜の新しい神器か……どう思う? 巫枯……」
「どう、とは?」
はぐらかすように返す自分の神器に、直人はやや苛立ったようにほんのちょっぴりだけ語気を強める。
「だからぁ、あの神器があれば夜卜が俺の封印を解けるかって事」
その問いに「ふむ」と巫枯は顎に手を当て考える仕草を見せる。
「経年劣化が生じているとは言え、イザナギがあなたに施した封印は未だ強力なもの。それを断ち切る程の力となれば、少なくとも私や兆麻さんのような”祝の器”に至った神器でなければなりません。それでも封印を解除出来る保障は無いのですから……それに、彼とはまだ出会ったばかりで未知の部分も多い……今は時間を掛けて彼を見定めるべき、でしょうね」
今一つはっきりとしない答えだが、直人はまずまず満足したらしい。「ん」と頷く。
「まぁ、時間はあらぁな。要はあかりの嬢ちゃんが死んで、カグツチの封印が別の人間の魂に移る前に全ての準備が整えれば良いンだから。どうせ神代からン千年も待ってんだ。今更数十年ぐらいどうって事ぁねぇか」
そう呟き、直人は夜空を睨む。
「見てろよ、イザナギ。夜卜の力を使って、俺は必ず神に戻る。そんでもってカグツチの力を使って、手前ェをぶち殺してやるさ。そン時を……首を洗って待ってるこった」