ミーシャはバラックから離れる方向に逃げていった。すぐに後を追おうとするが、その前に数人の敵が立ちはだかる。
「はっ!悪いが人質になってもらうぞ!あの女も仲間が捕まってると聞けば大人しく捕まるはずだ!」
「ちっ、邪魔だぁ!」
子供を背負ったまま突っ込み先頭の敵を蹴り飛ばす。そのまま駆け抜けようとするが横から飛びかかってきた男にそれを妨害される。両手が使えない状態での戦闘は初めてで思うように戦えない。全員を片付けた時にはミーシャの姿は既に見えなくなっていた。
「畜生、どうすれば…。」
「ハイネ姉ちゃんあっち!ミーシャ姉ちゃんはあっちに曲がってった!」
その時、背負っていた子供がスラムの中心方向を指さしてアタシに叫んだ。どうやらアタシが戦っている間ミーシャのことを見ていてくれたらしい。
「でかした!道案内は任せていいか?」
「うん!まずはそこの道を右に行って!多分先回りできるから!」
子供の誘導に従って走る。途中何度かミーシャを追う奴らとすれ違ったが、アタシ達の顔はそんなに広まっていないのか特に絡まれることはなかった。
そして走ること5分、ついにミーシャを発見した。アタシの強化された聴覚が、路地裏で身を潜めるミーシャの息遣いを捉えたのだ。最初は驚き身構えたミーシャだったが、アタシ達の顔を見ると安心してへたりこんでしまった。
「おい、ミーシャ?大丈夫か?」
「うん…何とかね。ハイネたちは?」
「やっぱり敵の狙いはミーシャだけらしい。アタシ達は敵に見向きもされなかった。さっきのあいつは偶然ミーシャがあの家に出入りしているのを見かけたんだと思う。」
「そんな…何で私が…?」
「わからない。でもいつまでもここに居る訳にはいかない。とにかく急いでこのスラムから脱出しよう。」
「そ、そうだね。わかった……うっ!」
その時、再びミーシャが頭を押さえ倒れ込んだ。まさかこんな時に…しかも今回は激しい運動のせいかなかなか頭痛が収まる様子がない。しかし敵も着実にここへ近付いてきている。どうする…どうする!?
アタシが悩んでいると、倒れ込んだミーシャが頭を押さえて立ち上がった。そのままよろよろと路地裏から出ようとするのを、慌てて手を掴んで止める。
「馬鹿!そんな状態でどこ行く気だ!」
「う…でも…敵の狙いが私なら…私が逃げればハイネ達は…安全でしょ?」
「それが馬鹿って言ってんだ!今のミーシャを放っておける訳ないだろ!…くそっ!」
迷っている暇はない。アタシはジャケットの裏からナイフを一本取り出し子供に向き合った。そしてその手を取ってナイフをしっかりと握らせた。
「良いか、よく聞け。あいつらの狙いはミーシャだ。そして今ミーシャはめちゃくちゃ体調が悪い。今ミーシャだけじゃなくお前も連れて逃げたら幾らアタシでも守り切れるかわからない。だがどうやらラッキーなことにあいつらはアタシやお前ら子供の姿までは把握してない奴が多いらしい。だからお前は一人で逃げるんだ。真っ直ぐに家に帰って他の奴らと一緒にこのスラムから脱出しろ。もし途中でお前に気付いた奴がいたら何も考えずにそのナイフを向けて突進しろ。迷ったら死ぬのはお前だ。絶対に迷うな。」
そう一方的に言うと、子供は真剣な目でしっかりと頷いた。アタシはその頭をくしゃくしゃと撫で、ギュッと抱きしめてやる。まだ一桁の子供にこんな無茶をさせる代価としてアタシが出来ることははそんなことしかなかった。
「悪い…。絶対にミーシャは助けて、お前らのところに連れ帰るから、お前らも絶対に生きろ!約束だ!」
「…うん!信じてるから…待ってるからね!」
そう言って子供は振り向かずに走っていった。その姿が見えなくなるのを見届けて、アタシはミーシャの方へ振り返った。ようやく頭痛が収まったらしいミーシャがアタシを睨みつけた。
「どうして…!?あの子はたった8歳なんだよ!?もし何かあったら…。ハイネなら任せられるって思ったのに!」
「ミーシャ…。」
「何で!?何で私なんかのために!?どうせ私はすぐ死んじゃうのに!こんな…もう人ですらない私なんかに…どうして!」
「っ、ミーシャ!」
目尻に涙を浮かべてそう言うミーシャの肩をぐっと掴む。ハッとしてアタシの顔を見たミーシャがヒッ、と声を上げた。ああ、アタシはきっと今凄く怖い顔をしている。
心を落ち着かせるために数回深呼吸して、ミーシャの目を見つめた。今度は怯えた素振りが無いことを確認して、アタシは話し始めた。
「そんなことを言うなよミーシャ。私なんか、なんて言わないでくれ。アタシはミーシャだから助けたいと思うんだ。子供に懐かれて、行くあてのないアタシを快く迎えてくれたミーシャだから助けるんだ。そんな優しい奴が人じゃないなんて訳がないだろ。大丈夫。きっとミーシャは死なないし、アタシが死なせない。だから今は、アタシのことを信じてくれ。」
そこまで言い切って、アタシはもう一度ミーシャの目を見つめた。アタシの気持ちがどこまで伝わったかはわからない。でも、一瞬の沈黙の後、ミーシャはこくり、と小さく頷いてくれた。
ミーシャの肩から手を下ろす。さてと、とアタシは小さく言い拳を鳴らした。アタシ達の左右は声を聞いてやってきた敵に塞がれていた。アタシはミーシャに背を向けつつ言う。
「なあ、ミーシャ。アタシはさ、世界を変えてみたいって思ったんだ。感染者だとか非感染者だとか関係なく、楽しく過ごせる世界がアタシは見たい。……ミーシャ一人助けられない奴に、そんなことが出来る訳ねえよな。」
背後からの返事はない。馬鹿げた話だと思われたかもしれない。でも、それでもいい。これはただの意思表明みたいなものだ。
目を閉じ、アーツを身体中に巡らせる。調子も悪くない、さあ行くぞ!
弾丸のように飛び出し、アタシは敵の前に渾身のかかと落としを叩き込む。衝撃波が巻き起こり、敵がボーリングのピンのように吹き飛んだ。
「さあ行くぞ!しっかりついて来い!」
唖然とするミーシャに声をかけ走り出す。
…この時のアタシは、この騒動の複雑さをまだ理解していなかった。
ましてやこの先の戦況が混沌としたものになることなど、知る由もなかったのだ。
次回は水曜〜木曜の予定です。