――1895年1月、伊太利亜はフィレンツェ近郊――
サピエンテス・グラディオ。元は東方正教会に属する修道士ヨウィスが築き上げた人類平等の理念の下に、お互いを尊重し合う考え方を実践していた宗教組織。
だがヨウィスの弟子であったグレゴリオ・ラスプーチンが組織を牛耳ると同時に、理念を失い暴走を続ける秘密結社へと変貌した。そして今では国家にさえも影響力を持つ程、肥大化した世界規模の組織である。
ロシアの国政やドイツの軍事、バチカンの人事にさえも口を出せるサピエンテス・グラディオ。そのイタリアにある支部の一つに、ニコルは身を寄せていた。
結社に拾われてから早一月。グレゴリオ・ラスプーチンの教え子と言う立ち位置を獲得した少年の日常は、これまでの物とは激変している。
師であるラスプーチンは帝政ロシアの政務にも手を伸ばしている為に忙しく、ニコルの事を幾ら気に掛けていようと直接教える時間を余り作れない。故に彼は、ニコルを二人の部下に預けた。
一人は己の懐刀たる修道騎士ビクトル。まだ年若き男だが剣術の腕で並ぶ者はおらず、白魔法の腕も一流と呼ぶに相応しい。どちらの才にも恵まれていたニコルにとって、学ぶべき事の多い人物だ。
もう一人の師の名は踊り子カルラ。49歳と言う高齢だが、占い師としての腕前は健在。薬学の知識も多く有しており、彼女からもまた学ぶ事は多い。と言うよりも、カルラと接点を持つ事こそニコルの本命だった。
何れサピエンテス・グラディオから逃げ出す彼女から、教えを受けられる機会は少ない。“原作”で彼女の弟子であるベロニカ・ベラが見せたアロマの罠は、搦め手として是非とも学びたい物の一つである。
またカルラが調合出来るアロマオイルには、同じく弟子のルチアが見せた優秀な支援効果もある。更に逃げ出す前のカルラと親交を結んでおけば、今後の選択肢も増えるであろうと言う目論見もあった。
そうして二人の師を得たニコルは、鍛錬の日々を続けている。普段は日替わりで手の空いている者から、其々が得意とする技術を学び取る。稀にどちらも手が空いていれば、午前と午後に分けてその両方に教えを乞う。
ニコルが学んでいる知識と技術の総量は、明らかに子どもの身には負担が過ぎている。何時倒れるか、そうでなくとも身に付くまいと。そんな大方の予想に反して、ニコルの意志と執念は実を結んでいる。僅か一月でニコルは、己が能力を格段に飛躍させていた。
(ですが、今日は少し詰め込み過ぎてしまいましたね)
イタリア支部の裏手にある訓練場で、大の字になって倒れるニコル。息も絶え絶えに滝の様な汗を流す理由は一重に、過剰な訓練を望んだから。
剣技の基礎と白魔法を二つ。実際に使用できる様になった時点で、ニコルはビクトルに言ったのだ。これからは実戦形式で、己を鍛え上げて欲しいと。ラスプーチンから加減は要らないと聞いていたビクトルは、まだ早いと思いながらも少年の言を受け容れた。
武器は真剣を使って、寸止めはしない。傷が付いたのなら、白魔法を使って戦闘中に治療する。殺してはいけない事と治せない傷を残してはいけない事以外には、何一つとして縛りはない。
致死に至る威力でなければ、何でもありの実戦稽古。本気を出していないとは言え、それは最早殺し合いにも等しい物だ。齢6つの少年に、耐えられる様な物ではなかった。それでも、ニコルは喰らい付いてみせた。
今日でまだ三度目。善戦が出来た訳ではない。一方的に斬られて突かれて蹴り飛ばされて、身に付いたのは痛みへの耐性と数え切れない程に使用した
加減されているとは言え、回避も防御もまだ間に合わない。剣や白魔法での反撃なんて、夢また夢の領域だ。それでもビクトルに言わせれば上出来に過ぎるのだが、ニコルは全く満足していなかった。
(我が事ながら情けない。……午後の調薬までに、動ける様になれば良いのですが)
ビクトルは既に去った。若くして幹部の地位に居る彼だが、サピエンテス・グラディオでも有数の実力者であるが故に仕事も相応に多いのだ。
要人暗殺を主とする彼だ。後二十年程で第一次世界大戦が勃発する事を思えば、彼の仕事は今後更に増していく事だろう。
学べる時間は、存外短いのかもしれない。そう思うからこそニコルは、心に焦りを抱いてしまう。一刻も早く、ビクトルを超えねばと考えてしまう。
何せビクトルと言う男はサピエンテス・グラディオではトップの実力者なのだが、原作の主人公に拳の一発で倒されているのだ。一流ではあるが、超一流と言う域には居ないのだろう。
出来れば10代の内に、遅くとも20になる頃には超えねばならない。そうでなければ、望んだ高みには至れない。
だと言うのに、ビクトルと言う男は遠かった。超一流でなくとも一流ではあったから、まだ幼いニコルでは届かない。
大の字のまま、空を見上げる。見上げた青空はあまりに透き通っていて、悲しい風が心を吹き抜けていく様な気がした。
「ニコル~。何処~?」
そんな風に吹かれていると、ふと聞き覚えのある声がした。疲れて鈍った思考を動かし、声の主を推察するとニコルは如何にか声を発した。
「……この間延びした声は、ルチアですか。私は此処ですよ」
「あ、居た~」
吸い込んだ冷たい空気に、酷使した肺が引き攣って痛む。そんな苦痛を意地で隠しながら、声の主へと顔を向けるニコル。
建物の裏手にある扉から、顔を覗かせていたのは一人の少女だ。褐色の肌を持つ整った容姿の彼女が、“原作”に登場するキャラクターの一人とニコルは知っている。
シャドウハーツ2に登場した、パーティメンバーの一人。踊り子カルラに育てられた孫娘、ルチアその人であった。
「どうして、此処に? 私を探していたようですが……」
「う~ん。え~と。はい、タオル」
「……質問には答えて貰えないんですね。まぁ、感謝はしますよ」
ゲームで見せたおっとりとした性格は、幼少期には既に形成されていたらしい。その知りたくもなかった事実を知ったニコルは、嘆息混じりに感謝を告げた。
渡してくださいとニコルは視線で語るが、手が動かせないでしょうとルチアは笑顔で返す。嫌な予感をニコルが感じた時には、もう遅い。
白いタオルを両手に抱えて、無理矢理に汗を拭おうとしてくるルチア。自分で出来ると叫びながらも、身体の痛みで抵抗さえも満足に出来ないニコル。強引な世話焼きに引っかき回され、ニコルは暫しの間のたうち回る羽目になるのであった。
「……ぜぇ、はぁ」
「立てる~?」
「どの口が、言いますか……。正直、まだ、無理そうです」
「手伝おうか~?」
「結構です。余計に、酷くなる。どうせ少し休めば、直ぐに動ける様になりますよ」
全身を襲う痛みに苦悶しながら、荒い呼吸を整えるニコル。何か世話を焼きたそうにしているルチアの提案は、全力で首を振って拒絶する。
正直言って、率先して仲良くなろうとも思っていなかった相手だ。別に嫌われても問題ないし、ならば余計なことをしないで欲しいと言うのがニコルの偽らざる本音である。
「じゃあ~、お水とか。欲しい?」
「……頂けるんでしたら」
「うん。任せて~」
ニコルの本音も、ルチアの天然の前には無力であるのか。めげずに言葉を掛けて来るルチアに、ニコルは嘆息してから許容する。
流石に水の一杯程度で、トラブルに発展する事はないだろう。寧ろ取りに行かせる事で、暫くルチアを追い払う事が出来るのではなかろうか。
そんな甘い見込みでルチアを行かせたニコルは数分後、戻って来たルチアの姿に目を見開いて動揺した。
一体何故、コップではなく水汲み用の大きな桶を持って来たのか。並々と水の入った桶を、何故そんな危なっかしい持ち方で持って来るのか。そしてどうして、目の前の段差を飛び越えようとしてしまうのか。
大惨事になる。即座に理解して起き上がろうとしたニコルだが、しかし僅かに間に合わなかった。
「あ――っ」
「ちょ!? あぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
当たり前の様に段差に引っ掛かり、転び掛けて如何にか姿勢を立て直したルチア。びっくりしてしまったのだろう。彼女の両手は、当然の如く空となっている。
天然の魔手から解き放たれた弾丸は、そのまま宙を飛翔してニコルの頭部に。素早く起き上がろうとした結果、筋肉痛で悶絶し始めたニコルの顔面を直撃していた。
コーンと軽い音がして、引っ繰り返った桶の中身を頭から被る。どうして其処で気を利かせてしまったのか、汲まれた水は真冬のネヴァ川よりも冷たかった。
「えへへ~。やっちゃった~」
地面にお尻を付いて、可愛らしく舌を出す。そんなルチアの目と鼻の先で、ニコルは痛みと寒さに暫し苦しむ。
怒りはあった。憤りはあった。だが痛みが勝った。そうして耐えている内に、気付けば仕方がないと嘆息が漏れてしまう。
暫く休んで身体が動く様になった時には既に、ルチアに対して怒鳴り付ける様な気力も体力も残ってはなかった。
疲れた様な呆れた様な視線で、微笑むルチアを見上げる。怒られないと分かっているのかいないのか。何故だかルチアは、倒れるニコルの傍らに座っていた。
「……少し、疑問なのですが」
「な~に~?」
「いえ。何故、貴女は私に構うのかと思いまして」
暫しそうして居た後で、寒空を見上げて問い掛ける。折角なのでと気になったのは、どうして彼女が此処に居るのか。
初めて会った時には、人見知りをする様にカルラの後ろに隠れていたのに。気付けばこうして、纏わり付いて来る様になっていた。
「何時も鍛錬してばかりの私など、見ていて面白くないでしょうに」
不快、と言う訳ではない。だが不思議ではあった。好かれる事などしてはいないし、見ていて面白い様な人間でもないのだから。
そんなニコルの問い掛けに、ルチアは少し悩む様な素振りを見せる。口元に指を当てて小首を捻って、導き出した結論を花の様な笑顔で語るのだ。
「えっとね~。あのね~。ルチアは、お姉ちゃんだから~」
「……は?」
一瞬、ニコルは何を言われたのか理解が出来なかった。次には己の正気を疑った。自分は果たして、幻聴を耳にする程に疲れているのかと。だがどれ程にニコルが混乱しようとも、ルチアの胸中は全く変わらない。
「だから~、弟が~、寂しそうにしてたら~、お姉ちゃんは~、放っておいちゃいけないの~」
ルチアと言う少女は、元は捨て子だ。幼い頃に両親に捨てられ、泥に塗れながら残飯漁りをしていた所をカルラに拾われた過去を持つ。
そんな彼女だからこそ、寂しいと言う感情には敏感だった。ニコルが瞳の奥に隠したその感情に、しかしルチアは気付いていたのである。
如何に膨大な知識を持とうとも、ニコルはまだ子どもだ。知識に後押しされて精神は早熟しているが、経験や体験はまだまだ不足している。
だからこそ、寂しいと思っていたのだ。母の死を。母や自分を捨てた、父や実家を。恨みながらも心の何処かで、認めて欲しいと願ってしまう。そんな子どもであったのだ。
「……事もあろうに、弟、ですか」
「だって~、ルチアの方が~、ニコルより年上だもん」
「……一歳差、なのですがね。精神年齢的にも、ルチアを姉とは思えません」
「え~、何で~? ルチアはお姉ちゃんだから~、ニコルは弟じゃないと駄目なの~」
「理屈になっていませんね。私の姉を自称するのならば、相応の品格を持って貰わねば困ります」
「じしょう? ひんかく? 良く分からないけど~、占いとダンスは~、ルチアの方が上手よね~」
「そもそもダンスは、私が学んでいません。それと自慢するならその前に、マリンオイルの調合くらいは一人で出来る様になってください」
「えへへ~。ルチアは覚えるの、苦手だから~」
「はぁ……そういう所が、ですよ。全く」
だから、だろうか。ルチアの幼稚な心遣いが、何処か嬉しいと思ってしまう。その近さを、嫌いになんてなれやしない。
どうせ数年もすれば別れる相手だ。場合によっては敵対するし、そうでなくとも決して同じ道を歩けはしない女である。だと言うのに、やはり理屈と感情は違うのだろう。
「では、行きましょうか」
「あれ~? もう歩けるの~?」
「……姉さんのお陰で、少しは楽になりましたから」
どうでも良いなら、少しだけ付き合ってやっても構わない筈だ。そんな風に心の中で言い訳して、ニコルはゆっくりと立ち上がる。
特に理由もないのだが、何故だか今は顔を見られたくなかった。だからまだ痛む身体に鞭を入れ、気持ち足早に少年は歩き出す。
「………………えへへ~」
「何笑っているんですか気持ち悪い。さっさと行きますよ。遅れると、カルラ師がお怒りになられますからね」
「折角だし~、お婆ちゃんの事も~、お婆ちゃんって呼んだら~」
「ありえませんね。了承もなしに。ほら、いいから行きますよ」
「連れてって~」
「嫌です。私は疲れているんです。師に怒られたいなら、そのままでどうぞ」
「ぶ~」
先を進むニコルの背を、ルチアは直ぐに追い掛ける。表情をコロコロと変える彼女と会話を続けながら、進むニコルは気付かない。
その顔に浮かんだ表情が何時もの作り笑いではなく、自然と浮かんだ笑みに変わっていた事を。まだ幼い少年は、気付けぬ程に未熟であった。
ショタニコル&ロリルチア。今作はこんな形で、原作とは各キャラの関係性も大きく変わる予定です。
~原作キャラ紹介 Part2~
○ルチア(登場作品:シャドウハーツ2)
原作「シャドウハーツ2」のパーティメンバーの1人。エスニックな容姿を持つ、おっとりとした美女。原作時の年齢は28歳。
グラマラスな体形で、踊りを披露するムービーシーンや特殊な衣装などもあった為、作中ではお色気担当でもあった。
天然で楽天家な性格をしており、甘えるような声音で話す。見た目に反して中々重量があるらしく、戦闘では余り吹き飛ばされない。
秘密結社の影を追う主人公たちを、秘密結社からの追手と誤解し対立。戦闘後に和解した後、正式に仲間となる。
個別イベントが少ない所為か、結社を打倒した後も付いて来てくれる理由が今一分かり難いのが難点。あとロレンスとの関係も唐突。
ゲーム中での性能は、優秀な補助要員と言った使用感。アロマの性能が半ばバランス崩壊だったので、上手く使い熟せば十分に一軍入り出来るキャラ。
欠点は固有技のタロットが運ゲーなのと、他に優秀なキャラが多い事。ウル、カレン、ヨアヒム、アナスタシア、蔵人。この辺りを超えられるかと言われると、何とも言葉に困る所である。
因みに天狗道はシャドハ2を3週くらいしているが、タロットは1度しか使わなかった。初参戦で「吊られた男」の逆位置を引いて、全滅した事は忘れない。