高く聳える鐘楼が特徴的な大聖堂は、ネメトン修道院の最奥に設立されていた。
パトリックの手記が正しいのならばこの内側、地下深くに生命の大釜は存在している。
石像の内より回収した聖人の遺骸。ミイラ化した腕の一部を携えて、大聖堂の前に立つ一行。
彼らの前に立ち塞がるのは、鍵穴すらない巨大な鉄扉。一目で分かる程に頑丈な守りが道を阻んでいた。
「おいおい、こいつはまた。随分としっかりとした防犯意識だことで、銃で撃っても開きそうにないぞ」
「重要な設備だ。簡単には侵入出来ないだろうと予想はしていたが、まさかこれ程とはな」
生命の釜は聖堂の地下にあり、エレインの肉体が眠る生命の木は鐘塔の上にあると言う。
後はこの大聖堂を踏破するだけで、この事件は終わるのだ。だと言うのに、踏み出す一歩が難しい。
銃で撃っても、傷一つ付かない扉である。周囲には窓もなく、どうやって立ち入れば良いのかすらも分からない。
「ニコル。貴方なら、どうにか出来ない?」
「……ふむ。まあ、出来なくもありません」
「何時も通り、お得意の魔法で如何にかするのか?」
「いえ、黒魔術では無理ですし、白魔法でも効率が悪い。いっそ爆薬で吹き飛ばしましょう。近くに機材も、揃っているようですし」
さて困った時はと何時ものように、話題を振られた少年はあっさりと答えを返す。開けられないと言うのなら、いっそ壊してしまおうと。
物理的な破壊を魔術や魔法で行う事は難しい。不可能ではないが、消耗が激しくなってしまう。魔力を回復する薬品の残りは、既に心許ない数だ。
踏み込んで終わりではない。これより最大の大一番が待つと言うのだから、魔力は温存するべきだ。故にニコルが提示したのは、爆破解体と言う手段。
「そうか、実験室の機材を使うんだな! それなら任せてくれ。調薬は学生時代に学んだんだ。あそこの設備を使えば、ニトログリセリンくらいは用意出来る」
「は、そいつは良い。強力な爆薬だ」
「この扉なら、フラスコ一杯分もあれば十分だろう。尤も、取り扱いには注意だがね。運ぶ途中で落としたら、我々が天に召されてしまう」
邸宅内の実験室には、一体何に使う予定だったのか、危険な薬品が多く取り揃えられていた。その内の幾つかを用いれば、鉄の扉だろうと壊せるだろう。
香の調合と薬品の調薬は似ている。その為にニコルは自分で行う心算だったのだが、彼以上にジェームズがやる気となっていた。故に敢えて割り込む必要もないかと、任せてしまう事にする。
(ニトログリセリンの直撃には、まだ私も耐えられませんね。物理的な破壊とは、如何にも厄介な物です)
そうして空いた思考で思うのは、今の己の脆弱さ。強力な爆発に至近で巻き込まれれば、人の身体は耐え切れない。
どれ程に鍛え抜いても、ニコルの身体は人の域を出ていないのだ。殴られれば痛いし、刃物は通る。無防備な所を銃で撃たれれば、あっけなく死ぬだろう。
(魔術的に物理被害を防ぐにはやはり、魂の契約を行うしかありませんか。人を止める以外の、解決策が浮かばない)
物理干渉が可能な使い魔を壁にする事で、銃弾程度ならば防げるだろう。だが爆薬以上の火力にそれでは抗しえない。
戦車の主砲やミサイルと言った質量兵器に魔術で対抗するならば、どうしても魂の契約が必要となる。降魔化身術のように、肉体そのものを人間以上の物に変えるしかない。
(とは言え、下手な悪魔と契約を交わしても先が見えている。原作通り、狙うのならばアスタロトだ。である以上、海底遺跡の場所が分かるまでは素直に待つべきでしょうね)
だが、魂の契約には大きな代償が存在している。死後の魂を契約した悪魔に捧げると言う物だけではなく、生前の内から悪魔に心を喰われていくのだ。
降魔化身術の使い手は内なる魔物との同化の際に、心が闇に飲まれ掛けて悶え苦しむ。生まれつき適正がある者でもそうなのだから、疑似再現とも言える魂の契約が齎す負荷はそれ以上である。
強大な悪魔相手であれ、下等な妖精の類が相手であれ、伴う危険は変わらない。リスクが変わらないのなら、より良いリターンを望むべきだ。
現状で契約するべき悪魔は、堕天使アスタロトの他にはない。契約に必要な道具が眠る海底神殿の大凡の位置は分かっていて、詳細な位置は今も人を使って探らせている。ある程度の実力を付けた後ならば、単独で彼の遺跡を制覇する事も難しくはないだろう。
ならば今は雌伏の時だと、そんな事は分かっている。分かっていて、それでも逸ってしまうのは心の未熟さ故にであろう。
「全く、我が身の未熟が口惜しい」
力への執着。強くなりたいと言う願望。飢えて乾く程に願っているから、余りに自制が効きにくい。
原作知識由来の確信。アスタロトは獲得出来るであろうと言う保証がなければ、手当たり次第に死霊や悪霊を取り込もうとしていたかもしれない程だ。
だが、それでは後が続かない。魂の契約は例えるならば、ダイナマイトの導火線に火を付けるような物なのだ。
ラスプーチンを倒さねばならないと言う宿命があれば、彼を打倒する準備を整えた後で行わねばならない儀式。
確証と宿命。二つの要素が故に、ニコルは如何にか自制していられる。それを果たすべき時を思えば、臥薪嘗胆の日々にも耐えられる。
幸い、ロジャー・ベーコンへの弟子入りも上手くいったのだ。残る三年の自由時間を利用して、片手間に書を探しながら叡智を学んでいけば良い。伏して耐えて学び、己を磨き上げれば良いのである。
少年がそんな思考を回している間にも、時間は静かに流れている。時刻が一つ進んだのだと示す為、大聖堂の鐘楼が鳴った。
ゴーンゴーンと重く苦しい音を立てる鐘の音。どんよりとした空模様と相まって、空気は重くなっていく。
「行くぞ、それで事は済む。鐘が俺を呼んでいる」
「聞くなよ、ダンカン。あれはお前を送る鐘だ。天国へか地獄へか、それは知らん」
「……全く、ジェームズまで。エドワードみたいなのは、一人居れば十分でしょうに」
重苦しい空気を払うように、にやけ笑いで諳んじるエドワード。律儀に話題を合わせて、笑みを浮かべたジェームズ。
意気投合した二人の姿に、頭を抱えて嘆息するクーデルカ。どうでも良いと一人違う思考を進めているニコル。そんな個性豊かな仲間達。
もう間もなく、長い夜は終わろうとしている。けれどまだ、夜明けまでには時間があった。語らい合うには、十分過ぎるであろう時間が。
「では、私は作業を始めるから、君達は待っていてくれたまえ」
「手伝いますよ、ジェームズ。私もそれなり以上には、調薬の知識がありますから」
「ニコル。いや、だが――」
「残念だな、ニコル。お前さんはそっちだ」
「エドワード?」
パトリックの邸宅に戻って、早速作業を始めようとしたジェームズ。ニコルも手伝おうと声を掛けるが、エドワードに肩を掴まれ止められていた。
不審そうに眉をひそめて、男を見上げるニコル。そんな少年にエドワードは小さく笑うと、親指で背後の女性を指差す。肩を組んで耳元で囁くのは、全く彼らしい言葉であった。
「空気を読めって言う事さ。美しい薔薇を壁の花にしてしまうのは、はっきり言って男の罪だぜ」
「……ならば貴方が、相手をするべきでは? そういう事は、得意でしょうに」
クーデルカを一人にさせる気かと、小声で語るエドワード。そんな男にジト目を返して、返す言葉はほんの小さな願望だ。
女には幸せになって欲しい。彼女が幸福になる為には、そうした行為が必要で。相手は誰でも良いが、エドワードならば尚更良い。
そう考えてみれば、この状況は好機であった。故にと自然に席を外す為、少年はジェームズについて行こうとしたのである。
「全く、お前は何で気付けないのかね。お前を取り囲む輝きの内で、彼女の眼の光こそが最高の物だと」
対するエドワードとジェームズは、もう既にこの少年が心に抱える歪みに気付いている。如何なる偶然か、女との相性が噛み合う事も。
彼らには互いが必要だ。その為にも出来る限り、二人で居させた方が良い。そう考えるからジェームズは口籠り、エドワードはこうして口を挟むのだ。
「いいや、違うか。気付いていない訳じゃない。お前は怖がってるんだな、ニコル」
「私が、恐れる? 一体何を?」
「さてね、お前さんの過去を俺は知らんよ。一体何を恐れているのか、それが分かるのはお前だけだろう」
ニコルと違って原作の知識を持たないエドワードには、少年の意図する所など分かりはしない。
だから彼は、己の見聞きした事から推察する。少年が後一歩の所で踏み込もうとしないのは、恐怖故にではないのかと。
「花の香に迷うものは、花を摘んでその胸に抱くが、お陰で花は枯れてしまう」
エドワードが諳んじるのは、彼が自己投影するバイロンの詩歌。意味は詠んでその通り、求めてしまえば失うと言う一つの真理。
少年は失う事を怖れている。だから手を出さないのではないかと、それは真実の全てではないが一面においては確かに事実であった。
「花を摘むには、資格と覚悟が必要です。私には、そのどちらもないし必要ない。そう考えていた事は、認めますよ」
「成程ね。それがお前の本音か、ニコル。それこそ卑怯で、女々しい事だぜ」
「女々しいと、その判断は誤りだ。私は別に、彼女を愛している訳ではありません。幸せになるべきだと、そう思うだけなのですから」
「詭弁だな。人を愛する方法は、それが失われたらどうなるか想像する事だ。失う事を怖がる時点で、そいつはもう愛なのさ」
ニコルは恐れている。グレゴリオ・ラスプーチンと言う存在を。正確には、また何も出来ずに失うと言う結末を。
大切に思えば、失くしてしまうかもしれない。そう恐れる時点で、既に大切だと思っているのだ。男は未熟な少年の髪を撫でながら、笑って言った。
「なあ、ニコル。お前が過去に何を失ったのか、俺は知らない。けどな、古い人は良く言ったもんさ。過ぎ去った不幸を嘆くのは、直ぐに新しい不幸を招くもとだってよ」
ガシガシと雑に撫でる手に、髪をぐしゃぐしゃにされるニコルは聞かされる。過去に何があったとしても、嘆くべきではないのだと。
合理的なその言葉を、ニコルは否定する事が出来ない。確かにそうだと、彼自身思うから。もしも本当に己が囚われているというのなら、それ程に無駄な事はない。
「なあ、ニコル。お前の光は、今、何処にある?」
子どもの髪を一方的に搔き乱した大人は、片膝をついて視線を合わせる。そうして大人らしく、気取った言葉で少年を導こうとするのであった。
「宿題だ。ちゃんと答えを出しとけよ。恋が痛みに、変わる前にな」
言いたい事を好きに言って、エドワードは背を向け去っていく。既に作業を始めたジェームズが、仕事を終えるまで何処かで時間を潰す心算だろう。
残されたニコルは、憮然とした表情で乱れた髪を直していく。どの道、エドワードでなければならないと言う訳ではない。そう胸中で呟きながら、一つの想いを言葉に漏らした。
「勘違いですよ、エドワード。これは恋ではありません」
呟いた言葉は届かない。端から伝える気がないから、空に溶けて消えるだけ。しかし確かに想うのだ。これはきっと、そんな浮ついた感情ではないのだろうと。
「……けれど私は、その名を知らなかった。幼い者の胸に棲んだのは、何の情熱だったのか」
だがしかし、ならば何なのかと問われれば、ニコルは上手く言葉に出来そうもなかった。エドワードが好む詩人の言葉を借りて、口にしても思考はまるで纏まらない。
胸に感じる情は確かに、だが恋ではないと言うのならば何なのだろう。それはニコル自身にも、まだ分からない感情。
傷の舐め合いをしたいだけなのか。それとも、本当は――――唯、気付こうとしていないだけなのか。
「エドワードと、一体何の話をしていたの?」
「いえ、大した事ではありませんよ。唯の、大きなお世話です」
残されたニコルの下に、クーデルカが近付き問い掛ける。そんな女に詰まらなそうに言葉を返して、少年は自然と手を差し出す。
思惑が破綻した以上、此処で待っていても仕方がない。ならばと自ら手を差し出したのは、決して誰かに影響されたからではない。
そう自分に言い聞かせながら、クーデルカの手を掴んだニコル。僅か驚くように目を見開いた女は、小さく微笑むとその手を握り返した。
そうして二人、連れ立って暗い屋敷を歩く。然程離れてはいない邸宅の一室へと立ち入ると、暖炉に火を付け床に座る。
壁に背を預けた二人は暫く無言で、揺らめく炎を見詰めて過ごす。どの程度の時間が過ぎた後の事か、クーデルカは懐から小さな瓶を取り出した。
「お酒、ですか」
「ええ、飲みたい気分なのよ。けど、貴方は駄目よ」
「別に構いません。飲みたいとは、思った事もありませんから」
探索の途中で、盗み取っていた酒瓶。蓋を開けて、ボトルに直接口を付ける。傾いた瓶の中身は、ゆっくりと減っていく。
酒を飲み始めたクーデルカの横に座って、ニコルはぼんやりと暖炉の火を見詰める。揺らめく炎を見るだけの暇な時間は、思っていたより嫌ではなかった。
「ねえ、ニコル。少し、話を聞いて貰っても良いかしら?」
「構いませんが、行き成りですね」
「そうね。けど今は、そうしたい気分なの」
酒瓶の中身が半分を切った頃、ふとクーデルカが口を開く。赤ら顔で言葉を紡ぐ女を見上げて、突然だなとニコルは首を傾げた。
とは言え、聞きたくない理由も特にはない。どうせ暇なのだから、話したいなら話せば良いだろう。見上げた少年に、クーデルカは微笑んだ。
「あたしは一人だったわ。ずっと一人で暮らして来た」
そうして紡がれるのは、女の過去。クーデルカ・イアサントと言う女が、何処で産まれて、どのように生きたかと言う命の軌跡。
「生まれたのは、タリエシンって言う河の畔にある小さな村。けどその頃の記憶は、正直余り覚えていないの」
女が生まれたのは、今から19年は前。イギリスはウェールズの外れにある、アバージノルウィンの小さな寒村。
幾つかの古い言い伝えや掟があり、その独特の風習を今も守る信心深い人達が暮らす村。そんな場所で、クーデルカは生を受けたのだ。
「一番古い記憶は、父親が死ぬ瞬間。あたしね、知っていたの。場所も、時間も、死に方も全部、あたしが視た通りだった」
古い記憶を、彼女は覚えていない。楽しい事もあったのかも知れないが、ある日を境に思い出す事も出来なくなった。
だから覚えているのは、その日の記憶。予め知っていたと言うのに、信じてなんて貰えなかった。故に避けられなかった、片親の死。
「空から振って来た、馬車に潰されたのよ。おかしいわよね。嗤える程に滑稽な死に方。あたしの眼の前で父は潰れて、救助が来るまでの四日間、あたしは死体と過ごしていた」
振って来る馬車に、潰されて死ぬ。そう言われて、信じる者などそうはいないだろう。事実、クーデルカの周囲の人達は信じなかった。
だが実際に、彼女の父親は馬車に潰された。川辺で作業していた時に、直ぐ傍にあった橋が崩れたのだ。高所にあった橋を通っていた馬車は、墜落して男の上に。
馬が死んだ。馬車に乗っていた、貴婦人と紳士も死んだ。そして当然、クーデルカの父も死んだ。生き延びたのは、近くで見ていた少女だけ。
四日間、彼女は死体を見ていた。もしかしたら避けられたかもしれない人の死を、その残骸をずっと一人で見詰め続けた。そうして彼女は、何処かおかしくなったのだろう。
「呪われた子ども。持ってはいけない力を持った子ども。父親の死を言い当てたあたしを、母は恐れて憎んだわ。自分の手で、殺そうとする程に」
霊的な力を持つ事を隠さなくなり、そして母に拒絶された。己の首を絞める母の手を、必死になって振り解いては殴り返した。
己を怖れ憎む者、その全てを拒絶したのだ。ならば当然、少女も世界に拒絶される。果てに至った結末は、至極当然と言うべき物だろう。
「如何にか生き延びたと思ったら、今度は長老会の裁定で村を追放されたわ。今のニコルと、変わらない年の頃にね」
村の誰もが、少女を怖れた。村の誰もが、少女を追い立てた。庇い立てる者など居らず、助けてくれる人もまた居ない。
当時、九歳だったクーデルカは村を追われて路頭に迷った。路銀もない。食料もない。衣服も住居も何もない。それで一体、どうしろと言う。
「九歳の子どもが、身寄りもなしにどう生きろって言うのよ。何が宝物よ、冗談じゃない。泣いて物乞いをして、凍えて死ぬのが怖くて身体も売ったわ。そうするしか、なかったもの」
泥に塗れて汚れながら、明日も見えない暮らしが始まる。放浪者としてイギリス中を歩き回って、しかし心が休めた事はない。
霊媒として稼げるようになるまでは、物乞いや売春などをするしかなかった。誇りや意地なんて真っ先に捨てて、浅ましくも生きたのだ。
「……宝物、ですか」
「スラトー。あたしたちはね、生まれた時にあだ名を貰うの。それが掟。意味は宝物だって、笑っちゃうわよね」
そんな過去を語る女の言葉に、少しの引っ掛かりをニコルは覚えて問い掛ける。そんな彼の気にしない素振りに、少し微笑んでクーデルカは答えを返した。
彼女が生まれた村では、生まれた子にあだ名を付けると言う風習があった。生まれた時には、祝福されていたのだ。そんな事実を知って、しかし今に何の意味があると言うのか。
「青空の下に生きて、青空の下で死ねたら良かった」
もしも強い霊力を持って、生まれて来る事がなかったのなら。もしも父の死に際して、少し違う行動を選んでいたのなら。
今とは違った、未来があったのだろうか。幼い日に見上げた青空を想い、クーデルカは小さく零す。青空に生きて、青空に死ぬ。それが村の掟であったから。
「シャルロッテを見た時、思ったのよ。彼女の悲鳴を聞いた時に、共感したの。あの子は昔の、あたしと同じ。あたしも思ってた、皆死ねば良いのにって」
物乞いをしていた頃や、身体を売っていた頃には何時も思っていた。どうして自分はこんなにも惨めなのに、どうして他人は笑っているのか。
どうしようもなく許せなかった。母が、村の長が、周囲の人が、惨めな己自身ですらも。誰も彼もが許せなくて、皆死んでしまえば良いと思っていたのだ。
「でも、あの子は愛されていた。あたしとは、違っていたわ。あの子はお母さんが居る、天国に逝けたのよ」
「クーデルカ」
「あたしはね、ニコル。貴方が言ってくれたような、立派な女なんかじゃないの。誰も助けてなんて、くれなかったから」
救われて良いと、抱き締められて言われた言葉。あの時に思ったのは、とても大きな嬉しさと同じくらいの不一致さ。
優しい熱に縋りたい気持ちと、そんな感情など身の丈に合わないのではないか。過分に過ぎるのだと叫ぶ違和感。
そうじゃない。私はそうではないのだと、僅かな拒絶が其処にはあった。受け止め切る事が出来なかったのだ。だから女は自虐しながら、此処に己を語っている。
「無知で貧しくて薄汚い。食う為に、自分の誇りも捨てるような女。私はそういう女よ。そうなるしか、なかったわ」
不釣り合いだと感じながらも、それでも心が求めてしまう。拒絶するべきだと分かっていながら、受け止めて欲しいとも願ってしまう。
少年の腕に感じた温かさに、縋り付きたいとすら感じてしまう。だから女は、熱の籠った瞳で口にするのだ。
「だから、願ってしまうの。死んでしまいたいとも思うけど、それ以上に生きていたい。生きている意味が欲しい。誰かに必要だって、言われたいのよ」
クーデルカ・イアサントは欲しい。愛して欲しいとまで、贅沢は言わない。唯、生きていても良い理由が欲しい。
貴方の為に、生きているのだと。胸を張って、歩けるようになりたい。そんな女は小さく自嘲して、酒瓶をまた少し傾けた。
「幻滅した? お酒の力を借りないと、こんな事も言えない女」
「いえ、別に。そういう事も、時にはあるのだろうなと」
「……何よそれ。他人事みたいに」
「他人事ですよ。何処まで行っても、他人は他人。己の物には出来ません。唯――」
瓶の中身が3分の1を切った後、クーデルカは小さく問う。何処か甘えるような声音に対し、返るは少し冷たい言葉。
気の無い返事を返したニコルに対して、憮然とした表情で再び酒瓶を傾けるクーデルカ。そんな女は、続く言葉に一瞬だけ硬直した。
「私には、貴女が必要だ。そうですね、これは事実ですよ。クーデルカ」
コロンと、酒瓶が転がり落ちて床を濡らす。腕を掴まれた少年は、そのまま床に押し倒された。
抗う事は容易いが、されるがままで居るニコル。そんな少年を座った瞳で見詰める女は、息が掛かる程の距離で囁く。
「……同情なら、要らないわよ。……そうでないなら、本気にするわ」
「……ライクとラブの違いなど、まだ私には分かりませんよ。10歳児に、一体何を求めているんですか」
強い酒気と女の匂いが鼻を擽る。唇が触れ合うような距離感で、肌と肌を重ね合わせる。
これで成人していたならば前屈みにもなったのだろうが、少年はまだ二次性徴を迎えていない。
だからこれ程に近い距離感でも、平然とした言葉を返せる。そんな幼さを、クーデルカは少しズルいと思った。
「ただ、好ましいと感じている。居なくなると思えば、寂しいし悲しい。だから、必要です。それは認めます」
「……酷い男ね、ニコルは。今からそれじゃ、碌でもない女泣かせになるわよ」
「エドワードのように、ですか?」
「茶化さないで。それと、こういう場面で、他人の名前を出すのはマナー違反よ」
「失礼。何せ、まだ子どもなので」
打てば響くと言うように、触れ合う距離で言葉を交わす。欲しい言葉を言ってくれるのに、理由を付けて踏み込ませない子ども。
そんな彼を酷い子だと思いながらも、同時にそのやり取りを楽しく思う。触れ合う距離で戯れ合うのは、もどかしくも好ましい時間だ。
「なら、ニコルの話も聞かせて。そうしたら、許すわ」
「私の話、ですか? 別に聞いても、面白くもありませんが」
「良いから、あたしが聞きたいの。貴方をもっと、知りたいと思うのよ」
だからそんな理由を付けて、触れ合う少年の過去を問う。女の過去を知っても、何も変わらない少年にもう少し近付く為に。
問われたニコルは少し首を傾げてから、口を開いた。何の面白みもない過去だが、別に隠す事でもない。だから少年は、何も出来なかった己の過去を語るのだった。
次はラスプーチンに拾われる前の、ニコルの過去回想になります。
〇今後の予定(5/28現時点での想定)
1.KOUDELKA編 回想後にエレインとの決戦で終了予定。
2.上海上陸編 ウルと一緒に傀骸塔でヒャッハー予定。別名「悪ガキ共、徳壊を煽る」
3.クーデルカ編 折角なので漫画版ストーリーもやる予定。開始時期は変わる。
4.SG団幹部編 秘密結社幹部として活動する予定。多分この辺りでルートが決まる。
5.ロシア編 アナスタシアと絡みたい。お兄様とか呼ばせたい。(願望)
6.シャドウハーツ編 ここまで来て漸く、原作スタートである。
各章の合間合間に幕間を少し入れる予定なので、ロシア編終了までで大凡150話前後? ちょっと原作まで長くないですかねぇ……
今後のストーリー展開は次の内どれが良いですか?
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ヒロインは一人。純愛ルート。
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ヒロイン複数。ハーレムルート。
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ヒロインは甘え。求道者ルート。
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ウルと二人で漢祭りルート。
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宿命の兄妹対決! ニコルとアナスタシア!