――1896年、独逸はバーデン=ヴュルテンベルク州――
風に揺れる木の葉の音も数を増やせば、まるで雑踏の騒めきの如く。陽の光も微かにしか差し込まない程、深い深い森の中。
獣道を歩くのは、三人組の少年少女。先頭を足早に進む金糸の少女は、ふと歩みを止めて振り返る。後続が大きく遅れている事に気付いて、彼女は肩を怒らせた。
「全く! ルチア! ニコル! アンタ達、何でそんなに遅れているのよ!」
頭巾の付いた青い外套の下に、簡素な布のドレスを来た金糸の少女。青い瞳できつく睨み付けて来る少女が、どうして将来的にはあのような過激な衣装を着込む事になるのか。
カルラに弟子入りしてから共に一年程を過ごしたが、どうにも理解が出来ないとニコルは常々思う。姉弟弟子と言う関係を結んだからには、是非とも真面なままで居て貰いたいのだが儚い希望に過ぎないのか。
そんな風にどうでも良い思考へと逃避してしまうのは、今の現状を余り深く考えたくはないからか。
この森の名を思い浮かべる度に、ニコルは頭痛と腹痛が悪化していく時にも似た嫌な気分を味わう羽目になっている。
「ベロニカが早いのよ~。ねぇ、ニコル」
「……ルチア姉さんの足が遅いのは事実ですが、ベロニカも歩くのが早過ぎる。余りに無警戒過ぎはしませんか?」
「え~、ルチアは遅くないよ~」
「はっ、何を言い出すかと思えば! ニコルあんた、この程度の森にビビり過ぎじゃないの! それと何でルチアは姉呼びなのに、私を呼び捨てにすんのよ!? お仕置きされたい!?」
褐色の少女が朗らかに笑って同意を求めるが、それを一息に否定するとニコルは続ける。問い掛けと言う形の警告は、ニコルの想定通りにやはり届かない。
「この程度の森、ですか。……何も知らないと言うのは、幸運なのか不幸であるのか」
この程度、と語る言葉に嘆息する。暗くて足場が悪く迷いやすい程度の危険と、ベロニカは認識しているのだろう。全く以って、無知とは度し難いものである。
シュバルツバルトの森。独逸は南西部に広がるこの森は、伊太利亜からは瑞西を挟んで北に存在している。
普段生活している支部からは、直線距離にしても700Km以上。この時代ではまだ珍しい自動車を使っても、10時間は掛かってしまう程に遠い場所。
一日掛かりとなる大移動が必要なこの森に、子どもだけで彼らがやって来ている理由。その理由の一つは、ニコルの実力向上が多くの者に認められた事に起因する。
「ほら、ニコル。さっさと前に来なさいよ! アンタがビクトルに一撃当てたって言うから、私が直々に使ってあげようって考えたのに! 肝心のアンタがビビッてたんじゃ、話にならないじゃないの! ええ、違う!?」
「ベロニカ、これでもニコルの事を褒めてるんだよ~。中々使える奴になったから~、これでずっと欲しかったお花を取りに行けるって~」
「お黙りっ! 泣かされたいのかい、ルチア!!」
「いや~、ベロニカが虐める~」
一年間。死ぬかもしれない程の鍛錬を続けた結果、ニコルの実力は遂にサピエンテス・グラディオの幹部であるビクトルに一矢報いる程に育っていた。
無論、かなり加減をされた状態での話ではあるが。それでも其処らの兵卒ならば、既に上回っているであろう。伊太利亜支部でも、神童として良く名が上がる程である。
そんな彼の実力に目を付けたのが、同門として寝食を共にしているベロニカだった。彼女は以前にこの森の噂を聞いてから、ずっと此処に来たがっていたのだ。
だが国境を越えた先にある森だ。生きて帰れる者も少ないとなれば、実力不足を理由に師であるカルラが許可を出そうとしない。生来我慢弱いベロニカにとって、これは屈辱的な苦痛であった。
だからこそ、ニコルを利用したのである。自分とニコルが手を組めば、そうそう遅れをとることはないだろうと。
事実としてカルラの目の前で、サピエンテス・グラディオの団員を数人纏めて倒すと言う形で実力を示した。そんな二人にカルラは、渋々ながらも許可を出したと言う訳だ。
因みにルチアは、二人で旅行なんてズルいと言って付いて来ただけである。
「……はぁ、全く。こちらは生きた心地もしないと言うのに」
緊張感に欠ける二人のやり取りに、ニコルは泣きたい様な気分になった。この森の危険性は、“原作”の知識で嫌と言う程に知っている。
一言で言えば此処は、原作ゲームにおける隠しダンジョンの一つであるのだ。ラストダンジョン出現時期の隠しステージだけあって、途轍もなく強大な魔物が潜んでいる。
無論、ゲームバランスの都合と言う物もあるだろう。実際に此処に居るであろう怪物達が、中盤のボスであるラスプーチンやアモンなどに勝てるとは到底思えない。
だがそれでも、多少腕に覚えのある子どもだけで如何にかなるとも思えなかった。それでも同行を良しとしたのは、ベロニカが言って止まる様な性格ではなかった事と、貴重な経験になると思ったからだが。
強大な力を持つであろう怪物たちに、実際に対面して何処まで戦えるのだろうか。抵抗も逃走も許されない程の差があるのか。恐れながらも、僅かな期待も感じている。
だが森に入り込んで一時間。そんなニコルの期待と恐怖を裏切る様に、彼らが怪物に遭遇する事はなかった。じゃれ合いながらに進む中で、ニコルは何故かと思考を回す。
(怪物に遭遇しない。原作との違いは……成程、マリスか)
マリス。それは負の意志。それは人の悪意。想像の中にしか存在しないような怪物達が具現化し、人を襲うのはこの世界にマリスが存在するから。
原作主人公であるウルムナフは、このマリスを内に溜め込んでしまう特性を有していた。彼が体内に宿した大量のマリスが、悪意の怪物達を引き寄せていたのである。
そして他にも、理由はある。シュバルツバルトの森と言う隠しダンジョンが出現する前に、原作のニコルが行った暴挙もその一つ。
アポイナの塔と言う、バチカンにある処刑場。罪人達の怒りと悲しみのマリスが溢れる塔の奥に、封じられていた嘆きの棺と言う聖遺物。
原作ニコルはこの棺を破壊して、アポイナの塔内に封じられていたマリスを世界中に溢れさせたのだ。怪物が出現しやすい世界に、変えてしまったと言っても良い。
結果として、力を持つ異形が溢れる形と成った。ならば逆説、そうなる前のシュバルツバルトにそれ程の危険は存在しないのではなかろうか。
道理で話を聞いたカルラやラスプーチンが、簡単に許可を出す訳だ。したり顔で持論に頷くニコルの心は、大きな安堵と僅かな失意で満たされていた。
だが、そんな彼の思考は甘いと言えるだろう。ラスプーチンと言う稀代の魔術師に期待されると言う事が、どういう意味なのかニコルはまだ知らなかったのだ。
〈お待ちください、お嬢さん方。この森の奥に行かれる心算ですか?〉
森を歩く少年少女らに、突如として語り掛けて来る声。一体何処からだと首を振って探すルチアとベロニカに対し、ニコルは既に声の主に気付いていた。
いいや、知っていたと言うべきか。木々の隙間から咲いた白い花を見詰めるニコルは、自分が背筋に凍る様な寒気と気持ち悪い脂汗を流している事を実感する。
(……最悪だ。ガアプが既に目覚めている)
シュバルツバルトに咲く白い妖花。その正体は、ソロモン七十二柱に語られる悪魔の一つ、ガアプ。
シャドウハーツ作中においては、唯一体で世界を滅ぼせると語られたアモン・アスモデウス・アスタロトと同じ枠組みに分類されている悪魔。
無論、シャドウハーツ内において特別であったこの三体と同格と言う訳ではないのだろう。だが、それに準ずる力を持つとは見るべきだ。
最上級の力を有するのがアモン達。それに次ぐのが八体の魔王として、後は階級順に下がっていくのだと仮定してもガアプは統領。世界を滅ぼせる存在より、五段は格が落ちるだけの怪物。
先ず確実に、普通の人間が勝てる様な相手ではない。一流域のビクトルが大隊規模の部隊を率いて、それでも勝てる確率は十に一つもあれば良い方だろう。
ビクトルにも勝てないニコルが彼より弱いベロニカと足手纏いなルチアを率いて、戦ったとて至る結果は明白だ。この場でガアプが襲い掛かって来れば、彼らは何も出来ずに壊滅しよう。
「わあ、お花さんが喋ってる~」
「へぇ、じゃあやっぱりこの森で合っていた訳ね。ほら、アンタ達、探すわよ!」
そんな事実を知る由もなく、少女らは気楽な話をしている。全く以って頭が痛いと、ニコルは叫び出したくなった。
とは言え、叫ぶ訳にはいかない。知っていると、感付かれるのも不味いだろう。ニコルは息を小さく吐くと、呼吸を整え仮面を被る。
まだ詰んだ訳ではない。原作でガアプに出逢った酔っ払いが生きて帰れた様に、気取られなければまだ逃げ切れる道はある。
〈お嬢さん方はこの森の奥に進む心算のようですが、どうかお考え直しください。此処は旅人を惑わす魔の森。一度足を踏み入れれば、二度と戻って来れる保証はありません〉
(そう出来たら、今直ぐにでも帰りたいんですがね)
「はっ、冗談じゃない。私は此処に、虹木蓮の花を探しに来たんだよ? あの小煩いカルラの婆さんから、許可を取るのにどんだけ粘ったと思ってるんだい。何の成果もなしにじゃ帰れないのさ」
「お婆ちゃん、危険だからって~、最後まで気を付けるようにって~、言ってたものね~。けど~、困ったら~、ニコルを頼れって~、お姉ちゃん、逆だと思うな~」
〈そうですか、分かりました。それでしたらせめて、私の言う事を良く覚えてから行ってください〉
「ルチア覚えるの苦手~」
「ふん。そういうのは、優等生に任せておけば良いのさ。ねぇ、ニコル」
「……全く、貴女達は二人とも、やる気がないだけでしょうに」
年齢不相応に妖艶な笑みを浮かべて、肩にしなだれ掛かって来る青頭巾の少女を片手で押し退ける。
良く分かってないのにベロニカの真似をしてくるルチアも同じく、少しだけ優しい手付きで押し退けてからニコルは肩を竦める。
憤慨する少女らを後目に、懐から手帳を取り出す。メモを取る素振りをしながら同時に確認するのは、今の手持ちと手札の数だ。
〈この森は不思議な力に護られていて、行く先々に咲いている花の話を聞かないと先に進めないようになっています〉
「へぇ、素敵ね~。他のお花さん達ともお話出来るんだ~」
(そう言えば原作だと白い花はガアプの依り代になっていましたが、他の色の花はどういう理屈で話せていたんでしょうかね?)
手帳と一緒に入っていたのは、メディリーフが三枚とマナリーフが七枚程。旅路の準備として用意した回復手段。
魔力回復の方に重きを置いたのは、ニコルは既にキュアを覚えているから。初歩とは言え回復の魔法は、医学の常識を超えた効果を発揮する。
酷い傷口でも、塞ぐだけなら一瞬だ。とは言え、古傷は癒せない。更に部位の欠損も戻せない上に、骨折を直そうとすれば変な形で繋がってしまう事もある。所詮は初級の魔法と言った所か。
それと病気の類も治しようがない。ウィッシュの魔法も覚えていないのだから、毒や麻痺の異常を受ければ実質敗北と言っても過言ではないだろう。
〈でも咲いている花たちはみんな気紛れなものですから、中々本当のことは話してくれません〉
「面倒だね。千切ったり燃やしたりしてやれば、言う事を聞くんじゃないんかい?」
(全く、同感ですね。面倒なのは、ベロニカが癇癪を起さない様に見張る事の方ですが)
アロマの調合は材料が足りない関係で、手持ちはマリンオイルとミスティオイルの二種類だけ。ガアプを相手にするのなら、ないよりはマシと言った程度の代物だろう。
〈赤い花は黄色い花と話した後に、青い花は赤い花と話した後に、黄色い花は青い花と話した後に本当の事を教えてくれるでしょう。白い花は常に真実を、黒い花は常に森から追い出すような事しか語りません〉
「え~と、え~と、もう良く分からな~い」
「元からアンタには期待してないわ。ニコル! ちゃんと覚えておいたでしょうね」
「……メモは取ってますよ。二人とも、筆記具ぐらいは持ち歩いた方がよろしいのでは?」
「お黙り! そういう細かい作業は、奴隷がやるべき事なのよ!」
「え~、ニコルは奴隷じゃなくて~、ルチアの弟だもん!」
「はいはい。奴隷でも弟でもお好きにどうぞ」
実質、攻撃に使える手段は腰から下げた片手剣と習得している白魔法のブレスのみ。ガラハッドソードと名前だけは大仰だが、性能的には大したことがない代物だ。
英雄の用いた聖剣らしいが、恐らくは唯の複製品だろう。幼い少年の手に納まっている時点で、真作でないのは明白。仮に本物だとしても、この性能の低さでは期待するだけ無駄に終わろう。
総じて、今のニコラス・コンラドはまだ弱い。例えマリスが薄く悪魔ガアプが原作より弱いとしても、勝ちの目などは一切ないと断言出来る。
だがだとしても、何とか出し抜いて生き延びねばならないのだ。この悪趣味な悪魔の思惑通り、永遠に森を彷徨い続ける末路など決して受け入れる事は出来ないから。
「それじゃ、行くわよ。アンタ達」
「よぅし、絶対に虹木蓮を見付けるぞ!」
〈今言った事を、くれぐれもお忘れなきよう。貴女方の無事を、心よりお祈りしております〉
(抜かせ、悪魔が……)
膨らみ始めたばかりの胸を張るベロニカに、右手を突き上げて同意するルチア。二人を後目に、ニコルは首飾りを小さく握った。
心にもない事を騙る悪魔の言葉に、内心で舌打ちをしながら微笑の仮面を張り付ける。必ずや生きて帰ると、幾度も心に誓う。何も為せずに、終わる道など選ぶ訳にはいかないのだから。
取り敢えず、憑依ニコル君の初戦闘は隠しボスな!
前作から続いて、今回も主人公虐めが大好きな天狗道です。
~原作キャラ紹介 Part3~
○ベロニカ・ベラ(登場作品:シャドウハーツ2)
秘密結社サピエンテス・グラディオの女魔法戦士。ニコルやレニと同格の幹部として登場し、序盤から中盤を盛り上げる。
露出のボンテージに身を包んだ金髪の美女。容姿は端麗なのだが、女王様としか言えない服装の所為で目立たない。お色気?担当。
原作時の年齢は30代と名言されていない年齢不詳の人物。当作ではルチアの4歳年上と設定、原作時には32歳となる予定。
生粋のサディストだが愛情は深く、想い人に尽くす姿は健気でもある。原作ではその情の所為で、最期までラスプーチンに利用される事となる。
香を使った催眠暗示は、ロシアの宮廷全域を包み込む程。魔物を使役する能力を持ち、更に戦士としては高い戦闘能力も有している。
そんな優秀な彼女だが、SG団3幹部の例に漏れず、間抜けさや脇の甘さを有している。サントマルグリット島での拷問イベントは、擁護出来ない戦犯行為であろう。