憑依転生失敗話   作:天狗道の射干

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推奨BGMに少し悩む。執筆時は月恋花を流してました。


第38話 悪夢

 

 夢に見ている。もう取返しがつかない現実を、夢に見ているだけなのだと分かっていた。

 

「凄い嵐だねー」

 

「そうね。こんな季節には珍しいわ」

 

 年明け間もない嵐の夜。これから訪れる事など何も分かっていない小さな子供は、優しく微笑む母に話し掛ける。

 

「もうじき春が来て、温かくなったら父さんも帰って来るね!」

 

「ええ。そうしたら、また三人で一緒に居られるわ」

 

 異人の妻を娶った父親は、殆ど家に居なかった。幼い頃から少年は母親と共に、産まれ故郷ではない土地で育った。

 その事に、複雑な感情を抱かなかったと言えば嘘になろう。それでも少年は、父の事が好きだった。母と二人で待つ時も、決して苦痛などではなかった。

 

「もう少しだからね、母さん。寂しくても我慢するんだよ!」

 

「まあっ!」

 

 何時か母が言ったのだ。少年と少年の父と、三人で過ごした時間こそが何より幸福な日々であったと。

 何時か父が言っていた。大切な人を守れるような男に成れと。だから少年は決めたのだ。母が寂しくないように、父が帰るまでは己が守ってみせるのだと。

 

「そうだ! 僕ね。欲しいものがあるんだ!」

 

 そんな少年が我儘を口にしたのは、少しだけ寂しかったからだろうか。それとも羨ましかったのだろうか。

 母と過ごしたあばら屋は見た目以上に温かくはあったけど、二人で過ごすには少しだけ大きいとも感じていたから。

 

「うんとねー、弟か妹っ!」

 

「なんなの、急に!?」

 

「だって、レイファが言ってたよ。お父さんとお母さんが一緒に居ると、赤ちゃんが出来るんだって! あそこは兄弟が七人もいるんだよ。いいなーっ!」

 

「そ、そうねぇ……今度、お父さんに相談してみるわ」

 

 困ったように笑う母の姿に、何も知らない子供は無邪気に喜ぶ。笑顔で思い描くのは、もう二度と届かない理想の光景。父が居て、母が居て、自分が居て、もう一人の誰かが居る。そんな、光景。

 けれどそんな光景は、もう思い描く事さえ出来ないのだ。全ては嵐の夜が明ける前に、終わってしまった事だから。

 

「あ、あれは!?」

 

 最初にその異常に気付いたのは、少年の母親だった。元より聡い女性であったのだ。まるで自分に訪れるであろう未来を、最初から知っていたかのように自然と受け止めていた。

 

 露西亜の産まれと語った母の生涯を、その息子は殆ど知らない。何を見て、何を感じて、何を得たのか。知らないなりにも思い返せば、何処かそんな素振りがあったと。少年が気付くのは、何時だって手遅れになってから。

 

「はーい!」

 

「ウル! 開けては駄目!」

 

 扉が強く叩かれた。嵐の中で、一体誰が訪ねて来たのか。疑問すらも抱かずに、出迎えようとする少年。

 幼いウルムナフの背中に、掛けられたのは必死な叫び。普段見せぬ母の姿に、唖然と振り返るのはしかし少し遅かった。

 

「うわっ!? レイファのお父さん!? それに、マキのおじちゃんも!?」

 

 扉を開いた瞬間に、雪崩れ込んで来たのは男達。見知った大人達は酩酊したような足取りで、少年に向かって手を伸ばす。

 慌てて逃げる事が出来たのは、母の叫びがあったからだろう。捕まる前に距離を取った子どもはどうにか、震える声で彼らに問う。

 

「どうしたの!? みんな、様子が変だよ!?」

 

 異常であった。一瞥して分かる程に、男達は全てがおかしい。酩酊した足取りで、錯乱した瞳で、口元から涎を流しながらに迫って来る。

 

 次々と、扉の向こう側から入り込んで来る村の衆。気付けば母と子は囲まれていた。冷たい隙間風が吹き込む小さな家は、村人だった者達全てに包囲されていたのだ。

 

「あなたたち……人間じゃないわね」

 

 恐れる我が子を守らんと、立ち上がった母の姿は堂に入った物である。若き頃には荒事に携わっていたのだろうと、見る者が見れば直ぐにも分かる立ち姿。

 されど多勢に無勢が過ぎる。されど戦場を離れてから、余りに時間が経ち過ぎていた。だからアンヌと名乗る女の運命は、其処で終わりを迎えたのだろう。

 

〈ひっひっひっ、こりゃぁごちそうだ〉

 

〈ぐへへ、知行仙様のお導きだ。お前ら親子を喰ろうて来いとな〉

 

「ま、まさか!? あの人に!!」

 

 ゆっくりと迫る男達。徒手空拳ながらも彼らに相対し、退けていく女伊達。鈍っているとは思えない程には鋭い拳や蹴りは、しかし然したる効果を示せない。

 拳に打たれる者達は、まるで動く屍だ。痛みを感じず迫る彼らは、殴られようと意にも返さない。大きく蹴り飛ばされようと、手足の骨が砕けても、嗤いながらに這いずり迫る。

 

「こ、怖いよ! みんな、どうしちゃったの!?」

 

 バシン、バシンと叩く音。背後の窓を覗けば、覗き込んで来る無数の瞳と視線が交わる。喉から悲鳴のような音が零れて、逃げる事も出来ずに蹲る。

 そんな子供を守る女は、次第と疲弊を重ねていく。肩で荒く息をしながら、我が子を守り続ける女。救援のない孤軍奮闘は、然程長くは続かなかった。

 

〈ひひっ〉

 

 唯一度の被害も受けずに、己と我が子を守り通した女。されど死人を仕留める手段を持たない彼女は、疲労に崩れると言う当然の結果に辿り着く。

 片足を付いて動けぬ女の前の前で、嗤う男達が変貌した。肌の色が変わり、急激に痩せ細り、髪が全て抜け落ちて、額からは角が生える。その姿は、正に異形。

 

〈とても楽しい気分になったのはええが、どういうわけか喰っても喰っても腹が膨れん〉

 

 飢えて飢えて耐えられないと、餓鬼の群れが涎を垂らす。旨そうだと節くれだった腕を伸ばして、彼らが狙うは崩れ落ちた子供の母親。だから――

 

――ウル。父さんが居ない間は、お前が母さんを守るんだぞ。

 

「く、くるなぁぁぁぁっ!!」

 

 守らないと、いけないと思った。怖くて怖くて仕方がないけど、父親とも約束したのだ。だから少年は動けた。動けて、しまった。

 

「ウル!」

 

 幼い子供の行動で、怪物を退けられる筈もない。少年の拙い動きは結局の所、怪物の前に餌を晒すだけの物。その鈍い行動に、餓鬼の群れは腕を振るう。

 避けられる筈がない。防げる道理なんてない。耐えられる事すら出来やしない。だからその結果も当然。突き飛ばされた少年の、視界は赤く赤く染まった。

 

「ああぁぁぁぁぁっ!!」

 

「母さん!」

 

 少年の血ではなく、彼を庇った母の血に。アンヌの手で突き飛ばされた少年は、優しい母の瞳を見詰める。最期まで、愛されていたのだと分かってしまった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 

 死の間際まで、注がれていた愛情。もう二度と、取り戻せない温かさ。それを奪った怪物達は、変わらずその手を伸ばして来る。

 余りにも多過ぎる情報と嵐のように爆発する感情に、何もかもが真っ白となる。思考の空隙。一瞬の忘我と時同じく、ウルムナフの中に流れる血は目覚めた。

 

 遅過ぎる覚醒。母の危機ではなく、己の危機だけを覆す力。異形と化した少年が意識を取り戻したのは、周囲の化け物全てが死に絶えた後の事だった。それが、3ヶ月前のこと。

 

 

 

「何で……俺……」

 

――まだ、生きてるんだろうなぁ。

 

 分かっていた。これは唯の夢だから、もう終わった事だから。何時しか周囲の景色も変わっていても、ウルムナフに動揺なんて一つもない。

 父親との約束を守れなくて、母親を見殺しにしてしまって、自分だけが生き延びた。そんな少年は真っ暗な場所で俯いていて、狐面を被った男が見下している。

 

「ほんっと、何で生きてるんだ、お前。あの時、死んでれば良かったのによ」

 

「……親父」

 

 その声を覚えている。その姿を覚えている。少年を否定する男が着ている緑の軍服は、少年の父が所属していた日本軍の物を同じであると。

 父親が責めているのだ。どうして約束を守れなかったと。責められても、仕方がないのだと分かっている。約束を守れなかったのに、今もこうして生きているから。

 

「結局お前は、自分だけが大切なんだよな。だから母さんを守らなかった。自分だけを守ったんだ」

 

「……違う」

 

「いいや、違わねぇよ。今だってそうだ。寂しい悲しいって泣いてんのは、母さんに会えない事が辛いからだろう? 怖いよ助けてーってなぁ、結局自分の事だけだ」

 

「…………違う」

 

 目を逸らして否定する。その言葉に覇気はない。他の誰でもない、ウルムナフ自身がそう思っている。だから言葉に力がないのだ。

 

「お袋に会えないのが怖い。親父に怒られるのが怖い。目覚めた力に、化け物に飲まれそうになるのが怖い」

 

 優しい母と強い父に守られて、過ぎていく安らかな日々。何時までも続くと無条件に信じていて、失うなんて考えてすらいなかった。

 壊れるものだと知らないから、守るだなんて口だけだ。その為に何が必要なのかも考えず、何もしてこなかったから失ったのも当然の事。

 

 弱いのだ。ウルムナフと言う少年は。力が無ければ心も弱い。だから約束すら守れなかった癖に、己ばかりが怖い辛いと泣いている。彼の日からずっと変わらない。

 

「誰も助けてくれないのが辛い。誰も愛してくれないのが辛い。一人で生きていくのが辛くて辛くて堪らない。…………ならよ、とっとと死ねよ。その方が楽になれるぜ?」

 

 両手を付いて蹲る少年の耳元に顔を近付けて、囁き掛ける弧面の言葉は真実だろう。もう死んでしまった方が良い。この先なんて、きっと辛いだけなのだと。だって母が死んでからのこれまでは、辛くて悲しい事ばかりであったから。

 

「俺は……」

 

 母の躯に抱き着いて、泣いて過ごした数日間。お腹を空かして彷徨い出して、辿り着いた村や町では常に拒まれ続けてきた。

 何せ時世が悪いのだ。西洋列強に蚕食されて、余裕などないこの大陸。侵略者の血を引いていると一目で分かる浮浪児など、恨みを晴らす的にしかならない。

 

 恵む物などないと言われるだけならばまだましで、唾を吐き掛けられたり石を投げられる事も多々あった。母の庇護を失って、僅か2ヶ月でそれである。

 

「俺は……」

 

 幸か不幸か、少年には力があった。人の悪意など意に止めないだけの力が、必要な物を強引に奪い取れるだけの力が、怪物に変身すると言う能力が。

 そしてこれは、本当に幸運な事だろう。力で人から奪う事を知るより前に、少年は怪異の存在を知った。怪物を倒せばその報酬に、食べ物を得られると知れたのだから。

 

 戦う事は救いであった。辛い事も怖い事も忘れる事が出来て、食料だって得られるのだ。だから戦っている間だけは心が楽で――――けれど何時まで、こんな事を続けていくのかと。

 

「俺……ほんっと、何で生きてんだろ」

 

 何時しか弧面も消えていて、一人ぼっちな闇の中。呟いた言葉は響き渡る事もなく、吸い込まれるように溶けていく。そうして蹲ったまま、少年の意識もまた闇の中へと。

 

「……夢、か」

 

 其処で、目が覚めた。あの日から幾度も見ている夢から醒めて、ウルムナフは頭上を見上げる。見慣れぬ天井を見上げながら、頭を過ぎるは種々様々な感情思考。

 深く呼吸して思考を切り替えると、寝具を片手で剥いで起き上がる。ベッドを椅子代わりにして思うは、この宿“海亀飯店”を手配した同年代の少年が語った言葉について。

 

「ニコルの言う、真実って奴を知る事が出来たら………」

 

 優しい母は、何故襲われたのか。あんなにも強い父が、本当に死んでしまったのか。彼の背を追うその最中で、全てを知る事が出来たのならば――分かるのだろうか。

 

「………分かるのかな。生きていて良い、理由って」

 

 或いは、死んでも良い理由。救われた命を、捨てても許される理由。見付かるだろうかと呟いて、静かに首を横に振る。歯を食い縛って、切り替える。そうして立ち上がった少年は、陽射しが差し込む窓の下へと。

 

 二階の窓を大きく開いて、吹き抜ける強い風を浴びる。一瞬目を瞑って、確かに開く。そしてウルムナフは、ふと階下を見下ろした。

 

「にゃーはっははっ! 第三の鍵、ゲットにゃーっ!」

 

「ふっ、畑一坪で3.3平方メートル。鍬の一振りで耕せる面積を0.02平方メートルと仮定した場合、必要となる回数は165回。資金300で3回鍬を振れるのですから、16500の金銭で畑全てを掘り返す事が可能となる。均等に鍬を振れるのならば、賞品の制覇は実に容易い」

 

「お、おらのリーフ畑がぁぁぁぁぁっ!?」

 

「……何やってんのよ、アイツら」

 

 穴だらけになった畑の中央で、高らかに笑う美形の少年少女達。戦果を掲げる二人の前で、悲しい叫びを上げる畑の持ち主。そんな光景に目が点となる。

 アイツら一体何をやっているんだと、嘆息してから再びベッドの上へ。背中から飛び込むように寄り掛かり、もう一眠りと目を閉じる。何故だか、今度は悪夢を見なかった。

 

 

 

 

 

――1900年5月19日、中国は大連――

 

 

『船が出せない~っ!?』

 

 潮風香る港町の船着場に、異口同音が響き渡る。予想外の返答に思わずと口を開いたウルムナフは、肩を落として隣を向く。

 太っていたり痩せていたり蝙蝠になっていたり、毎朝姿が変わっている珍妙な旅の道連れ。ヒルデガルドは落ち込むウルとは正反対に、肩を怒らせ船の主に食い掛っていた。

 

「何でニャ!? こんなに晴れてるのに、子供だけじゃ運べないとか言う気かニャ!? 金ならあるニャ。ニコルの懐に!」

 

 最初は物珍しくて驚かされた変身も、一月もあれば慣れる物。毎回、違う相手と関わっているのだと思えば受け止められる。

 とは言え変身に慣れたと言うだけで、その強烈な個性に慣れた訳ではない。特に痩せている方が見せる押しの強さは、正直言って疲れる物だ。かと言って、太っている方も善良過ぎて扱い辛くはあるのだが。

 

「そうじゃねぇよ。金払いが心配なのもあるが、それだけじゃねぇ。今日は風が強ぇんだよ」

 

 それでも単純な分だけ、もう一人の連れに比べればマシだ。ヒルダに指差されているニコルは、底知れない笑みを浮かべているだけ。

 一体、何を考えているのか。どうせ碌でもない事だろうと判断出来る程度には、その腹黒さを知ってはいる。だがウルに分かる事など、その程度でしかない。

 

「……あぁ、高波ですか」

 

「何だ、坊主。分かってるんじゃねぇか。そうだよ、こんな風の中で船なんざ出したら転覆しちまうぜ」

 

 作り笑いの腹黒は船主の理屈に気付いていたのか、海を一瞥してから答える。風が強いと波も高くなり、小さな船では転覆してしまうのだと。

 言われて海を見てみれば、確かに少し波が高い。船着場でこの波の高さでは、沖合では更に危なくなるのだろう。となれば危険と言うのも、分からない話ではなかった。

 

「けどよ、あの船は動いてるぜ」

 

 だが、海を見ていてウルは気付いた。船着場から少し離れた沿岸で、動いている漁船があると。拳と同程度の大きさに見える程度に、遠ざかっていくその船舶。見た限りだと、然程大きな船には見えない。

 あのような小型船舶でも出航出来る程度の波なら、それより大きな船ならば問題ないのではないか。多少無理をすれば出航出来ると言うのなら、その無理を通して貰いたい。ウルは一刻も早く、真実を知りたいのだから。

 

「あぁ? ……ああ、ありゃ、あの死にたがりかよ」

 

「死にたがり?」

 

 ウルの見詰める先を見て、納得したように頷く船主。彼が告げた言葉はしかし、ウルが望んだ物ではなかった。

 死にたがりと言う侮蔑の言葉に、籠った色は憐みだろうか。男の視線は埠頭の先に佇む女性を見詰めた後、少年少女らの下へと戻る。

 

「アイツも娘さんも、可哀想だと思うがな。結局の所他人事さ。少なくとも、俺は関わりたくはないね」

 

 拒絶を明言する男性は、きっとその親子の事情を知っているのだろう。或いは彼だけではなくて、この漁村に住む多くの人々が知っているのか。

 知っていたとしても、少年達に語る義理もなければ道理もない。彼はそうして口を噤み、変わらぬ意志を告げるだけ。曰く、今日は船を出さないと。

 

「ま、波が静かな時に、ちゃんと金を払ってくれれば運んでやるさ。待てねぇってんなら、それこそあの死にたがりにでも声掛けな。……お薦めは出来ねぇけどよ」

 

 言って自身が所有する船の点検に戻る男。状況が変わらねば、説得しようと無駄に終わる。意識が切り替わったのは、そうと理解したからだけではない。

 それ以上に、気になったのだ。命の危険があると言うのに、海に出ていくと言う誰かが。そしてその出航を止める訳でもなく、悲しげに見送る民族衣装を纏った女性が。少しだけ、気に掛かったのだ。

 

「……しっかし、此処で足止めかよ。これなら昨日の内に、船に乗っておくべきだったんじゃねぇの?」

 

「休息は必要だったニャ。夜更かしはお肌に悪い、ヒルダちゃんの肌が荒れるなんて歴史上でも稀に見る程の大損害ニャ」

 

「無駄に自己評価高いよな、お前」

 

 とは言え気になったからと言って、何が出来る訳でもない。複雑な事情に踏み込む理由もなければ、余計な荷物を背負う余裕だってウルにはないのだ。

 だから呼吸一つで振り払うと、さてどうするかと話題を変える。流暢と言うにはまだ少し不慣れに感じる中国語で、ヒルダがウルの言葉に乗った。気になるのはお互い様だが、気にしても仕方がない事だから。

 

「んで、待つしかねぇけど。取り合えず船が出るようになるまで、どうすんのよ?」

 

「此処が大都市なら、ショッピング一択なんだけど……寂れた漁村だしニャ。あ、何か劇団があるみたいニャ」

 

「旅芸人の劇団、ねぇ。正直柄じゃねぇにも程があるからよ、取り合えず俺はパスで」

 

「ヒルダちゃんも、目立つのは好きだけど。他人が目立ってるのを見てもにゃぁ。……いっそ新人美少女。大ヒット間違いなしの凄腕女優として、売り込み掛けて見るかニャ?」

 

 風の変化は読めない。明日や明後日には出航出来るかもしれないし、下手をすれば数日から十数日はこのままかもしれない。

 余計な事を気にする程には時間がない。だが何もしないでいるには、長過ぎる程度の暇である。何とも中途半端な状況と言えよう。

 

 寂れた漁村には娯楽が少なく、目に付くと言えば旅芸人の一座くらいか。時間潰しには丁度良いかもしれないが、そうしようと即断出来る程の事でもない。

 ウルは演劇に全く興味が湧かないし、ヒルダはヒルダで着眼点がずれている。どの道この二人が観客として並んだとて、開始十数分で爆睡するのが関の山でもあっただろう。

 

「では折角です。人助けと行きましょうか」

 

 とは言え、それしかないかとも思っていたから意外だった。女性の姿を見てから黙り込んでいたニコルが急に、そんな胡散臭い事を言い出したのは。

 

『はぁ?』

 

 疑念を隠せないウルとヒルダの思考は、完全に一致していた。こいつ、一体何をする気だと。ある意味、強い信頼があったのだ。

 

「ニコルが、人助け? 腹黒外道で似非紳士なニコルが、人助け?」

 

「何企んでやがる、糞ニコル。ぜってぇ裏がある奴だろ、それ」

 

「おや、信用がない。無論、裏の一つ二つはありますがね。善意ですよ、一応は」

 

 爽やかな笑みを浮かべたまま、綺麗な声音で語る少年。裏があっても一応は善意だと語るニコルに、ウルとヒルダの目は変わらない。

 うっそだぁとでも口にしかねない二人の様子に、一つ苦笑してからニコルは語る。ウルをその気にさせる為の、彼を動かすに足る理屈を。

 

「さて、ウルムナフ。物事には適正性と言う物があります。そうするのが相応しいと言う、形が確かにあるのです」

 

「……テメェが俺に直接、知ってる事を話さねぇ理由がそれだって言うんだろ? この一月で、耳にタコが出来るくらいには聞いたって」

 

 教授の講義を彷彿とさせる口調で語り始めたニコルの言葉に、ウルは辟易とした態度を隠さない。この一月で幾度となく、耳にして来た言葉であるから。

 父母の死の真相を、付いてくれば教える。そう告げたニコルはしかし、ウルに対して何も語りはしなかった。それを言うのは己ではないと、問う度にはぐらかされたのだ。

 

「ええ、その通り。私が真実を伝えても、貴方はそれを素直に信用出来ない。其処には適正性がないから。ならば語るに相応しいのは部外者に過ぎない私ではなく、上海に生きる事件の当事者達であるべきだ。彼らには、貴方と向き合う義務がある」

 

 語るべき者は、己ではない。知るべき事は、旅路の中に。海を越えた先、上海の地にはまだ当事者達が居る。彼らの言葉を聞いてから、己自身でそれが真実かを確かめろ。

 其処にこそ適正性はあるのだと、ニコルは諭すように語った。そして彼が言う通り、誰々が仇だ是々が真相だ等と言われた所で信用出来ない。ウルにもそれは分かったから、一先ずはこうして納得している。

 

「そして義務と責務がなくとも、この地で起きている事件は貴方と無関係な出来事ではありません。……私の推測が正しければ、の話ですがね」

 

「俺と、無関係じゃない?」

 

 だからこそ上海に行って、その真実を確かめたいのだ。そう考えるウルにとって、ニコルの言葉は想定外の物であった。

 大連で起きている何かが、ウルの事情と無関係ではない。それが真実だと言うのなら、今も埠頭に佇む女性を捨て置く事は正しいのかと。

 

「直接的な関係はなくとも、全くの無関係と言う訳でもない。貴方が討つべき貴方の敵が、作り上げた悲劇と被害の一つが此処にあります」

 

 寝耳に水な話を聞いて戸惑うウルに、ニコルは何時ものように微笑んだままに告げる。底意地の悪い、そんな言葉を。

 

「ならば、貴方には適正性があるのでしょう。知らぬと無視する権利もあれば、許せぬと猛る正当性も有している。さて、貴方はどちらがお好みですか? ウルムナフ」

 

「……卑怯な言い方だろ、それ」

 

 恐らく、関係はある。無縁ではない問題。だが当事者ではないのだから、知らぬ存ぜぬと過ぎ去ってしまっても構わない程度の出来事。

 とは言えそれで悲しんで居る人が居て、己には関わっても良い理由がある。そうと聞かされてどうして、目と耳を塞いで通り過ぎる事が出来ようか。

 

 そんなのは自分らしくない。だから関わると決めたウルの姿に、ニコルは小さく笑みを歪める。その笑みは歓喜の微笑か侮蔑の嘲笑か、そのどちらにも何処か似ている色をしていた。

 

「で? それをする事で、ニコルが得る利益は何ニャ?」

 

「弟子の不始末は、師に償って頂きましょうと言う事で。彼女ら親子の代理として、仙人の頂点に支払いの請求でもしてみようかと」

 

「見知らぬ他人の被害を理由に、犯人の身内を強請って自分の利益を得ようとする。うん、ニコルらしくて安心したニャ」

 

 適正性を有している。それはあくまでウルの理由であって、ニコルの理由にはなり得ない。寧ろ正当だろうが利益が無ければ、ニコルは動かないであろう人物だ。

 

 だからと踏み込んだヒルダの言葉に、ニコルはあっさりと理由を明かす。少年は彼が知る記憶を下に、利を得られると判断したのだ。予想に反していなければ、これは十分な得となる。

 

 隠すまでもない事だから、あっさりと語ったニコル。そんな彼の言葉に頷き、なら付き合おうと決めたヒルダ。この二人も中々に、不思議な関係だとウルは思う。

 

 仲は良いのだろう。絆は確かにあるのだろう。だがニコルと言う少年は、必要とあれば恐らく誰であろうと切り捨てられる人物だ。そしてその事実に、ヒルダも気付いている節がある。

 

 事実、松花江での戦いで、ニコルはヒルダを巻き込んだ。あの時のウルがもう少し強ければ、更に強力な攻撃を加えて諸共に消し飛ばしていたであろう。

 

 それでも、ヒルダは変わらずニコルの傍に居る。一体如何なる理由があるのか、ウルにはきっと分かる必要のない事なのだろう。だから変な奴らだと、それで済ませてしまえば良いと結論付けた。

 

「こんにちは、お嬢さん。私、ニコラス・コンラドと申します」

 

「…………」

 

「麗々さん、で宜しいですね。返答は首肯で結構、貴女の事情は存じております故」

 

「…………!?」

 

『うっわ、くっそ怪しい』

 

 そうこう考えている間にも、事態は先へ進んでいく。何時も通りの作り笑顔を浮かべて、ニコルは女性に声を掛けていた。

 驚愕を露わにする白い民族衣装の女性。彼女の名前や事情をどうして知っているのかと、疑問に思う事はない。問うても意味がないからだ。

 

 先にニコルが語った、適正性の話である。実は諜報員が下調べをしていたとか、実はこの事件の黒幕だっただとか、何を言ってもニコルが怪しい事実は変わらないのだ。

 怪しいのだから、信用出来ない。信用出来ないならば、問う事に意味はない。どんな答えも、意味のない雑音となるから。ならば重要なのは、ニコルが知っているという事実だけである。

 

「単刀直入に問いましょう。奪われた貴女の声を、取り戻したくはありませんか?」

 

 そんな風に納得出来るのは、短くとも深い付き合いとなりつつある少年少女くらいな物だ。ニコルだから仕方がないと納得出来た二人と、今日初めて出会ったばかりの麗々は違う。

 名を知られている事に驚愕し、事情を知られている事に困惑する。それでも拒絶出来ない程度に少年の提案は、麗々にとっては魅力的でもあったのだ。

 

「…………出来るのですか?

 

『声太!?』

 

 だから思わず、麗々は口を開いてしまった。音に出した声はその可憐な容姿とは余りに不釣り合いな、野太く異質な重低音。

 失礼な事だと分かっていながら、ウルとヒルダは目を丸くしてしまう。驚いて胸中を吐露する彼らに、羞恥で顔を伏せる女性。ニコルだけが平然と、爽やかな笑みで言葉を返した。

 

「確約は出来ません。ですが、振り下ろせない刃物よりかは可能性が高いかと」

 

「…………

 

 微笑と共に告げる言葉は、麗々が振り下ろせなかった刃よりも鋭くあった。どうしてそれを知るのかと、一日でこんなにも困惑したのは初めての事。

 当惑や疑念よりも強く、恐怖や怯懦が女の心に湧き上がる。実父に対する殺人未遂を指摘され、結局何も出来なかった女が震えない訳がないのだ。だがそれでも、背を向け逃げ去る事も叶わない。

 

「何も怯える必要はありませんよ。何かをする必要もありません。貴女は唯、私に任せると言えば良い。その上で、待てば良いのですよ。全てが解決する時までね」

 

「…………」

 

 何故ならば、少年の提案は余りに魅力的だったから。ニコルの紡ぐ言葉はまるで悪魔の誘惑かのように、甘美に過ぎる音色をしている。

 

「不安ならば、そうですね。私が何をする心算なのか、しっかりと説明しましょうか。必要ならば、貴女が信頼する術師も交えると良い」

 

「…………」

 

 何故ならば、女性にはもう未来がなかったから。刃を振り下ろす事が出来ず、恋い慕う男に真実を告げる度胸もなく、頼った人も匙を投げてしまっている。

 

「さて、もう一度、問いましょう」

 

 妖しく微笑む少年の声には、ある種の色気にも似た何かがあった。何もかもを捨てて縋りついてしまいそうな、そんな何かを女は確かに幻視したのだ。だから彼女は、その誘惑に抗えない。

 

「奪われた貴女の声を、取り戻したくはありませんか?」

 

 返答は、一つしかなかった。言われた通りに首肯して、麗々と言う名の女は縋る。例え蜘蛛の糸に過ぎぬとしても、地獄に残る救いはこれしかなかったのだから。

 

 

 

 

 




アンヌさんの死亡は見過ごして、麗々の救済フラグは立てる。
相変わらず、メイン級は救わないし救えない。そんな当作ニコルである。

因みに2月頃のアンヌ襲撃に間に合っていた場合、彼女の死因と下手人が変わります。
生きてたら、ウルが覚醒してくれないからね。ニコルはつい、やっちゃうんだ。そして哀れな人ね、とアンヌに言われるまでがセットです。


今後のストーリー展開は次の内どれが良いですか?

  • ヒロインは一人。純愛ルート。
  • ヒロイン複数。ハーレムルート。
  • ヒロインは甘え。求道者ルート。
  • ウルと二人で漢祭りルート。
  • 宿命の兄妹対決! ニコルとアナスタシア!
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