憑依転生失敗話   作:天狗道の射干

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ウルにとって、辛い場面。


第40話 海上

 

――1900年5月20日、黄海洋上――

 

 

 空と海の境界さえも曖昧となる暗闇の中、灯火を浮かべて洋上を進む一隻の船。その船室の中に、少年の姿はあった。

 

「ぐへえ」

 

 小さな船を揺らす大きな波は、ウルムナフの三半規管を狂わせる。予測も付かないタイミングで訪れる揺れは、絶妙なまでにその気分を悪化させる。

 端的に言って、少年は酔っていた。顔を真っ青に染める程の酷い船酔いは、吐けども吐けども収まらない。そうして体力を使い果たしたウルは、小さな桶を手に崩れ落ちていた。

 

「あの、大丈夫、ですか?」

 

 優しい声で心配しながら、桶を抱えるウルムナフの背を擦る金髪の少女。ヒルダの優しさに、ウルは瞳を潤ませる。

 聖母のような度量の深さに思うのは、もう少し痩せていたら危なかったかもしれないと言う思考。流石に体重三桁超過は射程外である。

 

 そんな恩知らずな思考をした為か、船ががたんと大きく揺れた。ウルの胃も大きく揺れて、食堂と喉が焼けるように熱くなった。

 

「一度、外の空気を吸って来ませんか? ここに閉じこもっていても、楽にはならなそうですし」

 

「……うん。そうする」

 

 一頻りの逆流を終えて、ちょっと酸っぱくなった部屋の中。ほんの少しも不快な素振りを見せないヒルダは、そんな風に提案した。

 申し訳なさと感謝を等分に感じたウルは頷いて、桶を手にゆっくりと立ち上がる。足を引き摺り歩き出す姿は、まるで動く屍だった。

 

「危険を感じた際には、こちらの金色の硬貨を地面に投げてください。割れると同時に込められた転送魔法が発動し、貴方の身を大連の村まで転移させます」

 

 ヒルダに背を支えられながら、ゆっくりと階段を上るウル。外に出た途端に聞こえて来たのは、船室で行われている会話であった。

 軽く目を向ければニコルが、この船の持ち主である麗々の父親と話をしている。二枚の硬貨を手渡して、その使い方を説明していた。

 

「それとは逆に銀色の硬貨の方は、貴方を召喚する為の目印です。娘さんにも渡していますが、これは肌身離さずに。西法師殿と話す準備が出来次第、直ぐにお呼びしますので」

 

 武漢まで向かう道程に、麗々と彼女の父親は同行しない。その理由は距離の問題だけでなく、ウルムナフと共に居る事が危険だからでもある。

 覚醒した頃からウルは、マリスと言う力を無意識に集めてしまう体質となった。何もしてなくとも怪物達と遭遇しやすく、襲われやすい性質を有しているのだ。

 

 ウルが居るだけで、次から次に襲撃が起こる。そんな中に己の身も守れない一般人を、同行させる訳にはいかないと言う訳だ。

 

(けど、確か。硬貨渡すのって、上海に着いた後って、言ってなかったか?)

 

 先ず麗々の父親の船で海を越え、上海に到着した後に硬貨を渡してから別れる。大連を出る前の話し合いでは、そういう手筈になっていた。

 だと言うのに洋上で態々、船を操縦している時に渡すのは何故であろうか。何か状況が変わったのかとも思うが、疲弊した頭では上手く思考が纏まらなかった。

 

「うぷ。考え事、してたら、吐き気が」

 

「も、もうちょっと我慢です。せめて桶の中か、縁に捕まって海の中に」

 

 込み上げる物を床にぶちまけそうになるウルを支えて、ヒルダが必死に声を掛ける。頑張れと背を押されながらウルは、船の縁に寄り掛かると海に向かって輝く物を吐き出した。

 

「ぐへえ」

 

 一頻り吐き出してから、顔を上げて潮風の向こう側を見る。遠くを見れば少しは吐き気も収まるだろうかと、そんな思考の先で少年はその異常に気が付いた。

 

「……何だ、あれ?」

 

 境目さえも分からない海の向こうに、大きな光が灯っている。まるで太陽のような輝きは、少しずつこちらに向かって近付いていた。

 近付いて、初めて分かる。大きな訳ではない。一つの大きな物ではなくて、小さな物が数え切れない程に集まっている。それは、とても小さな火であった。

 

「あ、あの! 何か、こっちに来ます!?」

 

「っ! 怪物どもの襲撃か!!」

 

 鬼火。炎を纏った人の頭蓋骨が、空を飛翔しながら迫って来る。数は一瞥では数えられない程度。狙いはウルムナフに間違いない。

 向けられる悪意と敵意は、この数ヶ月で既に馴染みとなった物。故に対処も慣れている。握った拳を前に突き出し、飛来する頭蓋を粉砕する。それを両手の分だけ繰り返し、流れるように回し蹴り。蹴り飛ばされた骸骨は、甲板の上に散らばり消えた。

 

「うぷっ」

 

 撃破数はこれで3。その対価は激しい吐き気。悪化した体調にウルムナフはふら付くが、敵は当然手心などを加えてはくれない。

 次から次へと飛来する、その流れはまるで運河の如く。尽きぬのだ。吐き気を堪えるウルが如何に手足で砕こうと、空から炎は振り続ける。そして向かって来る敵は、鬼火の群れだけではなかった。

 

〈Ohohehahui〉

 

 理解できない鳴き声が、夜の闇に響き渡る。空から迫る鬼火に照らされた海面から、顔を覗かせているのは目も鼻もない白き人面。歪に嗤う白面の、首から下は緑の蛇身。

 海の底から現れる。白娘子と呼ばれるは、白蛇伝の仙女とは似ても似つかぬ人面異形。その数もまた空の炎と同じく、一瞥だけで数える事を諦める程。海面だけでそれならば、果たして見えない底はどれ程なのか。

 

 人の顔を持つ蛇は胴から生えた触手のような腕を器用に使って、船体に張り付き海の底から這い上がる。この船に乗る生者らを、海の底へと沈める為に。

 

「こ、こんなに沢山だなんて。ど、どうしましょう」

 

「どうするって、やるしかねぇだろ」

 

 スクリューに白娘子が挟まったのか、異音を上げて動きを止める船の上。孤立した洋上で、襲撃者たちに囲まれる。少年少女に逃げ場はない。

 首を左右に細かく動かしながら狼狽えるヒルダに、酸味の混じった唾を吐き捨てながらウルは返す。そんな少年にとっても、これ程の悪条件は初体験だ。

 

 敵の総数は、百や千など遥かに超えているだろう。己の体調は最悪で、少し動くだけで倒れそうになる。そして横には実力の程も分からぬ、推定足手纏いの少女。

 フォローしている余裕はない。ならばせめて、最前線で敵を引き付けてやるとしよう。ウルムナフは大きく空気を吸うと、雄叫びを上げて敵陣へと走り出した。

 

「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 拳を振るう。狙いを付ける必要なんてない。標的は空を覆う程に多く、海を埋め尽くしているのだ。適当に振り回しているだけで、当たって砕けて潰れていく。

 足で踏み潰す。耳障りな悲鳴を上げて、潰れていく人面蛇が弾け飛ぶ。赤い光が溢れ出し、ウルムナフの心の中へと。呪ってやるぞと怨嗟の声が、墓場の中に小さく響いた。

 

 せわしなく、小さな船の甲板を走り回る。会敵して、まだ一分と経ってはいない。だが殺した敵の数は、既に20は超えるだろう。だと言うのに、減っている気は全くしない。

 どころか更に増えていく。そして当然、その全てに対処出来る訳もない。踏み潰し損ねた蛇が足に纏わりついて、ふくらはぎへと噛み付いて来る。痛みに足を止めてしまえば、受けるは鬼火の体当たり。

 

「がっ、このっ!」

 

 汚物混じりの胃液を吐いて、やってくれたなと腕を振る。腹にぶつかった鬼火を掴んで、そのまま握り潰しながらボールのように敵へと投擲。他の鬼火に当てて落とす。

 足に食い付く人面蛇はそのままに、更に近付く怪物達を踏み潰しながら船のへりへと。這い上る化け物を足を振って蹴落とすついでに、欄干との間に挟んで潰した。

 

 これで倒した数は、もう30か40か。そして最低でも同数程は、ウルムナフの防衛網を抜けている。少年の身体に噛み付いた怪物など、その内の一部に他ならない。

 怪物達は生者を憎む。この船上には生者が4人。魔を引き寄せるウルムナフ以外にも、襲われる者は居る。心配入らぬと確信出来るのは、内の少年一人だけであろう。

 

 先程まで共に居た少女は果たして、この状況で無事なのか。込み上げる不快な胃液を飲み干して、ウルムナフは視線を少し横にずらした。

 敵から目を離さずに確認する。どうか寝覚めの悪い事にはなっていてくれるなよと。血肉が吹き飛び吐き気を催す光景が、其処には確かに広がっていた。

 

「えっと、その、ごめんなさい!」

 

 ぐちゃりと潰れる音と共に、太った少女が頭を下げる。一体何処から取り出したのか。ヒルダが手にしているのは、身の丈程に大きな銀の鍵。

 それを鈍器と振り回し、迫る脅威を払っているのだ。その結果が死屍累々。赤い血潮と臓腑で周囲を彩りながら、怪物達は怨嗟と共に潰えていた。

 

「はは、あっちは、あっちで、どうにかなりそうだな」

 

 無傷で敵を蹴散らしながら、涙目で謝罪している少女の姿に小さく笑う。この程度の雑兵に手傷を受けている今の己より、よっぽど少女の方が安全だろう。

 後の二人の片方は、心配するだけ損だと断言出来る破綻者だ。気に入らない少年だが、アイツが居るならもう一人の安全もまた確実。ならば今、一番危ないのは己である。

 

「なら、俺のやる事は、変わらねぇ!」

 

 またも喉を上がって来た汚物を飲み干し、口内に広がる悪臭に顔を顰めながらに踏み込む。その足を軸に回し蹴り。吹き飛んでいく、赤き炎を見届けている余裕はない。

 すぐさま視線を次の群れへと。続けざまに放った蹴りで、海に落とした蛇の数は凡そ6。その勢いを殺さぬまま、独楽のように回転して拳を放つ。空を切る音と共に、砕けた頭蓋が海へと散った。

 

 これでも恐らく、経過時間は3分程度。倒した敵の総数は、二人合わせれば百を超えるか。されど一体何が原因なのか、敵の数は今も際限なく増え続けている。

 背筋を冷たい汗が流れた。如何に一撃で倒せる雑兵であろうと、これ程の量が伴えば脅威である。いつ終わるか分からぬ戦いは、肉体以上に精神に負荷を齎していた。

 

(くそ、後何匹だ。後どれくらいで終わる。……考えてる余裕なんてねぇのに、頭にこびり付いて離れねえ)

 

 そんな時間が長く続けば、先に心が潰れるだろう。唯でさえ怪物達が撒き散らす気配は、人の心を削っていくのだ。人の正気など、この状況では長く持たない。

 既にウルもヒルダも、肩で呼吸をしている状態。潰れる敵の怨嗟を前に、感じる疲弊を隠せていない。発狂し暴走してしまう程ではないが、しかしそれも然程遠い未来の話ではないのだろうと。

 

「行きますよ。クリアクライム!」

 

 思った所で、白き光が周囲を照らした。無数に輝く光線が、怪物の群れを焼き払っていく。有無を言わせぬ浄化の力は、血や臓物さえもこの世に残させない。

 その瘴気までも浄化しながら、駆け付けた少年は懐から香炉を取り出し地に置いた。流れるように火を灯し、アロマを周囲に振り撒く。選んだのは、正気度を癒す太陽光の香りである。

 

「ニコルさん!」

 

「……遅ぇよ、ニコル」

 

 気に入らないと感じる相手の名を呼ぶ。数十と言う怪物を一息で消し去ったニコルは、何時もと変わらない薄ら笑いを浮かべたまま。

 常ならば腹が立つその態度も、今この時ばかりは頼もしい。そんな天敵と言うべき少年は、ウルと肩を並べると一つ失笑してから口を開いた。

 

「それは申し訳ない。非戦闘員の救助を優先したばかりに、少しばかり遅れてしまいましたか。……ですが、少々期待外れだ。この程度の時間稼ぎなら、貴方達でも出来るかと思っていたのですが」

 

 ニコルは言葉の通り、麗々の父親を避難させていたのだろう。魔術の魔の字も知らない一般人を、安全地帯へと転移させていたのだから初動の遅れも無理はない。

 ましてやまだ襲撃が始まって数分程。ウルムナフとヒルダならば如何にかなると断じていたから、ニコルは軽蔑を隠さない。幾ら不調だからと言っても、無様に過ぎる姿だろうと。

 

「はっ、抜かしやがる。あいっ変わらず、腹立つ奴だ」

 

 その物言いに腹が立つのは、言われなくとも分かっているから。重い船酔いで満足に動けない事など、戦場と言う場においては何の言い訳にもならない。

 敵は配慮などせず襲って来る。不調程度で負けるのは、それだけ自分が弱いから。情けがないと自省するウルムナフは、口の中を吐瀉物を飲み干すと悪態を吐く。

 

「結構。悪態を吐けるだけの余裕があるなら十分。恐らく戦闘は夜明けまで終わりません。これは貴方の責任ですから、死ぬ気で生き延びなさい。ウルムナフ」

 

「は? どういう意味だよ!?」

 

 唐突に自分の所為だと言われたウルムナフは、混乱しながら問い返す。そんな彼の疑問に答えが返るより前に、第二陣が訪れる。更なる怪物達が、海と空から迫っていた。

 先ずはその対処から。ウルは合流したニコルと、背中を合わせて構えを取る。そう間も置かずに襲い来る怪物の津波を前に、其々が拳と鞭を敵に向かって振り抜いた。

 

「え、えっと、本当に朝まで終わらないんですか?」

 

「ええ、先ず間違いなく。……邪仙殿も予想外の事態なのでしょうが。運の悪い事に、二つの要素がおかしな化学反応を起こしています」

 

 鋭い鞭が浮かぶ頭蓋を切り落とし、拳が炎を叩いて散らす。次から次に、迫る敵を狩る二人の少年。特にニコルの参戦は大きく、鞭を振るう片手間に放たれる光の雨が敵の乗船さえ許さない。

 至近に敵が迫らぬ事で周囲を見る余裕の出来たヒルダが、先の言葉を鸚鵡返しに問い返す。少女の問い掛けに対してニコルは、常の笑みを浮かべたままに言葉を紡いだ。

 

「青龍を封じ穢す為なのでしょう。元よりこの黄海の地脈は、大きく歪められていた。此処は、彼の邪仙が生み出した祭壇だったのですよ」

 

 上海の邪仙はこの地で、一石二鳥の策を行おうとしていた。詰まりは青龍の零落と、使える手駒の補充である。その為に地脈を歪めて、大量のマリスを発生させていた。

 麗々の悲劇は、その副産物でしかない。別に彼女である必要はなく、何処かで誰かが苦しみ嘆いて死ねば良かった。そうして散った魂を核にして、式神を作り上げる予定であっただけなのだから。

 

「事を成した後ならば、方向性が定まり干渉する事はなかった。ですがそうなる前に、ウルムナフは来てしまった。マリスを引き寄せる男が、マリスが尽きぬこの祭壇に紛れ込んだのです」

 

 仙術に詳しくないニコルでは、術の表層が読み取れるだけだが先ず間違いない。この祭壇の目的は、憎悪を抱いて死んだ魂を束縛しマリスを注ぎ込む事。

 その為の仕組みが、想定外の因子と結び付いて予想外の動きを始めた。死者を怪物に変えるまでマリスを生み出し続ける場所に、幾らでもマリスを取り込める少年が入り込んだ。

 

 結果がこの現状だ。死者にしか反応しない筈の仕組みは、ウルムナフの体質故に誤作動。引き寄せられたマリスは幾ら経ってもウルムナフを怪物に変える事はない為に、何時まで経っても放出され続ける訳である。

 

「断言します。地脈が尽きない限り、敵は無尽蔵に現れ襲い掛かって来ます。そして地脈が尽きる事は先ずあり得ない。詰まり私達が倒さねばならない敵の数は、数える事すら無意味な無限量」

 

 この地の地脈が尽きない限り、マリスの発生は止まらない。そしてそれに引き寄せられて、発生する怪物達の襲撃も止まらない。マリスが強過ぎて浄化し切る事も難しいが故に、倒した敵も直ぐに蘇ってしまうであろう。

 全てを一瞬で滅ぼし尽くすなど不可能。地脈の力が尽きるまで、戦い続けると言う事も不可能。知識がない為に祭壇自体を崩す事も難しく、敵を引き寄せているウルムナフを排除すると言う選択肢も論外。打開策は、たった一つしか存在しない。

 

「とは言え、一つ一つの悪霊はまだ弱い。朝になれば、存在を保てなくなり自然と消え去るでしょう。ならば我らがするべきは、この一晩の持久戦」

 

 朝日の訪れを待つ事。強大な力を持つ怪物でも、陽射しの中では力を制限される物。ましてや低級な妖魔の群れならば尚の事、太陽が昇るのと同時に消え失せるであろう。

 そうでなければ、もっと早くに襲撃されていた筈なのだ。日が落ちて来てから怪物が現れた事こそ、ニコルの推測が正しいという証左となる。故に彼は剣を手に、仲間達に叫び示す。

 

「力尽きて殺されれば終わりです。船を沈められても終わりです。死にたくなければ必死になって、朝まで戦い続けなさい。ウルムナフ、ヒルダ!」

 

「くそ、朝まで終わらねぇとかマジかよ。後、何時間あると思ってんだよ。バーカ」

 

 まだ日が落ちて直ぐ。時間にすれば、19時にもなっていない。吐き捨てた言葉が震えているのは、体調不良が理由なだけではないのだろう。

 拳を握って振るうウルムナフは、途方もない困難を前にしているのだと実感する。今の己では数分が限界と言う数を相手に、何時間も戦い続けなければならないのだから。

 

 降魔化身術(フュージョン)も使えない。正気度が足りていない。怪物に変身するという行為は、ウルムナフの精神を酷く消耗させるのだ。

 唯でさえ船酔いで心身共に疲弊した今、下手に変身すれば十数分と持たずに戦闘不能となるだろう。後には唯、喰われるだけの的が残るだけ。だから人の姿をしたまま、戦い続けるしか道がない。

 

 嗚呼、状況は最悪だ。だと言うのに、何故であろうか――負ける気がしない。

 

 先程までは勝てる筈がない。もう持たないと感じていたのに、ニコルが来てから笑ってしまうくらいに気楽になったのだ。

 体調の不良は変わらない。脂汗を滲ませながら、振るう拳は強がりなのだろう。ウルムナフはもう限界で、朝までなんて持つ筈ない。だが、それが何だと言うのか。

 

「神の御許へ行きなさい」

 

 大量の敵に囲まれて、戦い続けなければならないこの状況。苦境の中にあっても飄々と、態度を変えずに敵を蹴散らしていくニコル。

 真昼のような明るさだった空が、僅かに暗くなっていく。天を照らしていた鬼火の数が減っているのだ。敵の増援よりも殲滅速度が上回り始めている。

 

 例え目に見える敵の全てを倒した後でも、朝日が昇るまで敵は増え続けるのであろう。だがそれでも、僅かでも敵の居ない時間を作れるならば差は大きい。

 息も吐かせぬ戦いを朝まで繰り返すのと、呼吸を整える余裕が適度に訪れる戦い。ほんの僅かの休息でも、その有無は大差となって現れる。この戦場は最早、絶望とは程遠い。

 

(ほんと、凄ぇ奴だよ)

 

 たった一人でその流れを作り上げたニコルは、きっと足手纏いさえ居なければ一人でもこの状況を切り抜けられるのだろう。己とは段違いの実力に、ウルは素直に敬意を抱く。

 凄い奴だと尊敬して、その実力の高さに憧れて、涼しい顔に嫉妬して、己の情けなさに歯噛みする。悔しいと、思ったのだ。胸に宿った想いはきっと、ライバル心とでも言うべき物。

 

(ああ、負けたくねぇな)

 

 認めよう。今はまだ届かない。己の数歩どころか、数十歩は先を相手は進んでいる。だが認めた上で、それでも悔しいとは思うのだ。情けないとは思えたのだ。

 勝ちたいと願う。肩を並べたいと思う。足手纏いにはなりたくなかった。そう思えたから少年は、強がりしかない笑みを浮かべる。強く握った拳を振るって、空舞う敵を打ち砕く。

 

「この、雑魚共が。纏めてゴミの日にぽーいだっての!」

 

 最悪の体調で、されど心の勢いだけは絶好調。先に晒した無様だけは、この相手には見られたくないから。少年の動きは一分一秒毎に洗練されていく。

 振り抜く拳の鋭さも、振り回す蹴りの勢いも、先程までの比ではない。今や一切の被弾をせずに、怪物達を駆逐していくウルムナフ。その動きは、過去最高の物だった。

 

 だから、だろうか――

 

「う、ぐっ!? 何だ、これ……」

 

 ウルムナフはこの時、確かに一歩を踏み出したのだ。彼は大きく成長しようとしていた。だが彼が成長すると言う事は、彼の内側にあるモノもまたその影響を受けると言う事。

 心の墓場が騒めいている。門の向こう側から、悍ましい気配を纏った風が流れ出している。ケタケタとケタケタと、四つの仮面が嗤っている。ウルムナフの中から、何かが這い摺り出んとしていた。

 

「ウルさん!? ふ、船酔いが悪化したんですか!?」

 

 胸元を強く押さえ付けながら、膝を付いて苦しみ藻掻くウル。死人のような顔色になって、悶え苦しむその異様にヒルダが声を荒げる。

 遂に限界が来たのかと、戸惑う彼女の推測は正しくない。だとしても、それを否定する余裕がウルにはない。吐き気など生温い苦痛に、呼吸さえも出来ていないから。

 

「これは、まさか? いや、あり得ない。光の鍵さえ、まだ得てはいないのだぞ!?」

 

 一方、ニコルはなまじ知識で知るからこそ信じられないと困惑する。己の推測を己であり得ないと少年が否定するのは、ウルの覚醒に必要な筈の鍵が足りていないから。

 だと言うのに何故と。事此処に至って起きた現象は、完全なる想定外。一切の対応策さえない状況に、ニコルの表情も漸く変わる。硬直した彼は此処に来て始めて、大きな隙を作っていた。

 

 その隙を、怪物達が逃す道理もない。減り始めていた怪異の数は、即座に元の木阿弥に。否、それ以上に増えている。空の七割どころか、視界の十割全てが怪物の群れに。

 

「あああああああああああああああああっ!?」

 

 先ず真っ先に食い付かれたのは、崩れて動けなかったウルムナフ。その牙が血肉に食い込んで、与えられる激痛以上に感じる内からの痛みに悶えていた。

 

「た、助けに行かないと!?」

 

「不可能です! 敵の数が多過ぎる!! それに――」

 

 倒れるウルムナフを助けに行かんと、ヒルダが叫ぶが既に続く道がない。安易に飛び出そうとした彼女を制したニコルの視界は、怪物の群れで埋まっている。

 最早津波だ。海面から巨大な津波を見た時の光景と、この景色は大差がない物だろう。否、それよりも酷い。波の向こうに見える筈の夜空さえ、肉に埋もれて見えぬのだから。

 

 安易に飛び出せば、飲み干されて死に至る。そう確信出来るからこそ、ヒルデガルドを止めたのだと。ニコルの理由は、それだけではなかった。

 

「巻き込まれます!」

 

 ニコルが本気を出せば、この津波も消し去る事は出来たであろう。だがそうしようとしなかったのは、ウルムナフの身に起きた異常を確かめていたから。

 倒れた直後、感じる力は増えていたのだ。ウルムナフの中から、ウルムナフよりも強い力を感じた。それによって証明されてしまったのだ。ニコルがあり得ないと断じた、その事態が起きているのだと。

 

「ニコルさん!」

 

「下がっていなさい! ウルムナフは問題ありません! アレが出てくる!!」

 

 その事情を察しなければ、巻き込まれるから見捨てろと言われたようにも思える言葉。咄嗟に反発したヒルダに対し、その身を庇いながらにニコルは告げる。

 無数の光で暴力的に怨念を浄化させながら、少年が見詰める先は唯一点。背中を流れる冷汗は、ニコルをしてどうにもならぬのではないかと感じる程に強いから。

 

 そう。強い力が溢れ出そうとしている。怪物に貪り喰われる少年。今にも命を落とさんとしている彼の内にある力が、しかし先程までより上がっている。まるで膨らみ続ける風船の如く、膨大なマリスが高まり続けて――

 

「う、あああああああああああああああああああああああっっ!?」

 

 当然の如く、破裂した。取り込み続けた悪意がグレイブヤードの許容量を越え、その奥にある門が今開く。

 

〈へへ、やっと会えたな〉

 

 そして門の向こう側から、ウルムナフにとっての死神が現れる。瘴気に満ちた風を浴び、圧倒的な気配を周囲に振り撒きながら。

 溢れるマリスと共に出現。周囲に群がる低級な怪物達では、その男が纏う暴力的な圧力にすら耐えられない。その風を浴びた瞬間に、津波は弾けた柘榴となり散った。

 

〈随分と酷ぇ顔してんじゃねぇか〉

 

「が――っ!!」

 

 無残に潰れた妖魔達。その死骸を踏み躙りながら、現れた男はその足を振るう。ウルムナフの小さな体が吹き飛ばされて、甲板の上に転がった。

 

〈迎えに来てやったぜ。お前に殺された化け物どもの魂が、あの世で寂しがってるからな〉

 

 甲板を転がり、蹲るウルムナフ。そんな少年を足蹴にして覗き込むのは、狐のお面を被った男。緑の軍服を来た、角刈りの成人男性。その声を、その存在を、誰よりもウルムナフ自身が知っている。

 

「……親、父」

 

 絶対に勝てない死神。弱さと恐怖の象徴。ウルムナフ・ボルテ・ヒュウガの全てを終わらせる処刑人。

 顔を上げることも出来ないまま、目を逸らしたままに理解する。ウルにとっての最悪が、今この場所に居るのだと。

 

 

 

 

 




雑魚無限増殖+狐面出現。基本ウル虐めな配置ですが、ここまでやってようやくニコルも大変になってくるかと思われます。

因みに狐面の登場にニコルが驚いていた理由は、本来原作開始後(アリスと出会った後)でなければ狐面は現実世界に干渉出来ない筈だから。
更に厳密に言うと、光の鍵の影響でウルの内面世界が刺激される=狐面が現世に出張可能になると言うのが原作設定。

なら別の形でウルの内面が刺激されれば、狐面も出て来れるのではないか。という推論から今作では狐面の出番が14年程早くなりました。


今後のストーリー展開は次の内どれが良いですか?

  • ヒロインは一人。純愛ルート。
  • ヒロイン複数。ハーレムルート。
  • ヒロインは甘え。求道者ルート。
  • ウルと二人で漢祭りルート。
  • 宿命の兄妹対決! ニコルとアナスタシア!
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