憑依転生失敗話   作:天狗道の射干

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推奨BGMはDemon's Gig辺りの汎用ボス戦テーマで。


第41話 狐面

 

 黄海に浮かぶ船の上、揺れる甲板の上に転がる少年は震えている。夜の寒さと周囲を満たす悪しき怨念。そうしたものに、背筋が冷えるだけではない。

 遂にこの時が来たのだと、震える身体を貫く思いの名は恐怖。何時かこうなると分かっていた。何時か父が殺しに来る。ずっとそう思っていた。

 だってウルは、約束したのに守れなかった。だって父はきっと、ウルのことを嫌っているし恨んでいるし憎んでいる。だから、殺しに来ると分かっていた。

 

 分かっていて、それでも震えることしか出来ていない。

 

「え? あの人、ウルさんの中から? え、え?」

 

「……此処で狐面、ですか。いやはや、これはどうしたものやら」

 

 状況の変化についていけず、戸惑うばかりな少女の声。状況の悪化に嘆息しながら、打開の策を脳内で巡らせている少年の声。

 二人の声が、何処か遠い。それは物理的な距離の問題ではなく、精神的な問題点。周囲に意識を配れる程の余裕が、今のウルの内にはないからだ。

 

 怖い。怖い。恐ろしい。唯その感情だけに支配され、その顔を見上げることすら出来ていない。踏み躙られた状態で、抜け出そうとすら思えていない。正気度の喪失だけが理由ではなく、まだ向き合う覚悟が出来ていなかった。

 

 或いはこれが、もう10年は先のことなら違っただろう。震える心を無理に隠して、強がる程度は出来た筈である。だが、今はまだ、その傷口は生々しいのだ。だからこそ、ウルムナフは狐面が怖くて動けもしない。

 

〈そらよっ!〉

 

「が――っ」

 

 そんな恐るべき怪物が動き出す。踏み躙る足を後ろに引き、そのまま前へと蹴り出す。誰がサッカーボールかは、言うまでもない事だろう。

 デッキを転がるウルの身体は、怪物達の死骸を巻き込みながら後部へと。操舵室の壁にぶつかり鼻血を出して、受け身も取れずにそのまま倒れる。子どもの身体は震えている。痛みを訴えることさえ出来ずに、丸くなって震えていた。

 

〈ははっ、随分跳んだなぁ。中身と同じで、見た目も塵屑みてぇだ〉

 

 嗤い見下す言葉に対し、ウルは何も返せない。だって彼が怖いから。だってこれは正当な罰だから。だってウルはもっと早くに死ぬべきだったから。

 みっともなく涙を零して、怖い怖いと震えたままで、このまま無様に命を終える。それがきっと、ウルにとっては相応しい幕引きなのだと思うから――

 

「ウルさん!」

 

 なのに、どうしてだろう。遠い声が呼んでいる。震える事しか出来ない子ども。そんな子どもを虐げる狐面。良識を持つ者ならば誰もが眉を顰める光景に、ヒルダが叫び声を上げている。

 駆け付けて守ろうと、しかしその思いは通らない。敵は狐面だけではない。彼が現れた瞬間に多くが圧し潰されたと言っても、周囲の雑兵は無限に湧くのだ。だからウルは助からない。

 

「ちぃっ、なんて、無様っっ」

 

 なのに、どうしてだろう。遠い声が蔑んでいる。震える事しか出来ない子どもに、そんなものかと苛立っている。そんな子どもを虐げる狐面を、詰まらぬモノだと軽蔑し切った目で見ている。

 駆け寄ろうとはしていない。忌々しいと吐き捨てて、面倒だと嘆息して、無様が過ぎると呆れている。その判断は正当で、その評価は適正で、なのに一体どうしてだろう。何でこんなにも、ウルは悔しいと思うのだろうか。

 

「っ、ど、どうして……。何で、なんですか! な、何でウルさんを虐めるんですか!?」

 

〈何で? 理由なんざ、単純だ。そいつは生きてちゃ、いけねぇからさ」

 

 無垢で善良な祈りを受けて、狐の面は言葉を返す。面で隠れぬ口元に、浮かんでいるのは悪意に満ちた嘲笑の色。けれどウルの心には、何より響く言葉であった。

 優しいヒルダはきっと、生きていてはいけない理由などはないと語るのだろう。どんな事があったとしても、死んで良い理由にはならないと。しかしウルは、その想いに共感など出来やしない。

 

「そんな!? 生きてちゃいけない、理由なんて!!」

 

(違う。俺に、生きていて良い、資格なんてない)

 

 死ぬべきなのだ。ウルムナフ・ボルテ・ヒュウガと言う人間は。他の誰でもない、ウル自身が心の底からそう思っている。

 守れなかったのだ。母の死の瞬間に力に目覚めて、それでは全く遅いだろうに。一人だけ生き延びたのだ。結局の所最初から、本気で守ろうとしていなかったのではないか。

 

 だから、生きていて良い理由が欲しい。生き延びてしまったからには、何か意味があったのだと。そうでなければ、生きている事実が辛過ぎる。

 あの時死んでしまいたかった。大好きだった母親と一緒に、あの惨劇の夜に終わっていれば良かったのだ。そうすれば、こんなにも生きる事が辛くはなかった。

 

(死んで良い、理由もねぇけど。……それが、父さんなら、俺は)

 

 辛くて苦しくて痛いだけの人生でも、その命は母に守られたものだった。だから、自分が嫌だからと言う理由だけでは、簡単には捨てられない。

 だからウルにとって、この状況は或いは救いだ。己の罪を裁く者。唯一裁いて良い存在。そんな父に殺されると言うのなら、きっとそれは死んでも良い理由になるから。

 

〈ま、そんな理由がなくとも殺すがな。ピーピー泣いてて鬱陶しいんだよ、この餓鬼は〉

 

 だから、なのに、どうしてこんなに悔しいのだろう。漸くに終われる。その正当性は確かにあるのに、どうしてこんなに怖いのだろうか。分からない。分からない。ウルには何も分からなかった。

 

「お父さん、なんですよね? なのにどうして、そんな酷い事が言えるんですか!? なのにどうして、そんな酷い事が出来るんですか!?」

 

 津波と化した怪異の軍勢を前にして、歩を遮られた少女は問い続ける。彼女自身が、他人のことなのに泣き出しそうな程に表情を歪めながら。

 無数の怪異を前に、戦い続けているのはニコルだけ。ウルが動けなくなり、ヒルダもまた動揺から隙を晒してしまっている。そんな状況で少年の表情からは、既に余裕が消えていた。

 

 現状は最悪だ。ウルもヒルダも足手纏い。ニコル一人で、無限に増え続ける怨霊と怪異を相手取るしかない状態。フリーになった狐面が遊んでなければ、今直ぐにでも終わっている。そんな状況なのである。

 

〈お父さん、お父さん、ねぇ。ははっ、馬鹿みてぇ。けど、そうだなぁ――――親なら、ちゃんと殺してやらなきゃ! なぁ、そうだろう! ウルムナフ!!〉

 

 意味深に嗤った後で狐面は身を屈めると、倒れた少年の髪を掴んで引き起こす。そして、甲板に叩き付けた。

 硬質な音と共に、血と歯が飛ぶ。髪を引き摺り顔を上げさせ、その姿に呵々と一笑。再びその頭を甲板へと。

 

「ぐ、が――」

 

「ウルさん!」

 

 繰り返す。繰り返す。何度も何度も繰り返し、甲板に向けて叩き付ける。鼻が潰れて歯が折れて、震える子どもの姿に嗤う。その在り様は、何処までも邪悪で醜悪だ。

 

 心優しい少女は潤ませた瞳から涙さえ流して、その光景に叫びを上げる。彼女を守る小さな騎士は、その自傷行為に嘆息した。真実と言う物は知ってしまえば、その光景を直視していれば、それは余りにも滑稽に映る代物だったから。

 

「全く、付き合いきれない。……そう切って捨てられたのなら、良かったのですがね」

 

 ニコルは九節鞭を振り払い、迫る怪異を一息で一掃。空いた左手に光を集めて、狙うは面で顔を隠した男。道中の怪異を消し飛ばしながら、迫る光は狐面の片手に受け止められる。

 だが、それで十分。彼我の間に道は開いた。秒とすれば塞がる不確かな道であったとしても、ニコルならば進めるから。

 

「はっ!」

 

 呼気と共に踏み込んで、右手の鞭を一振り。熱を宿した鋭い一撃が、少年の髪を掴んだ狐面の右手を切り落とす。

 肘から先を失って、口笛を吹いて楽し気に、笑ってニコルを見返す狐面。そんな彼の手元から、ウルを回収すると即座に後方へと投げ飛ばす。

 

「ヒルダ!」

 

「は、はい!」

 

 名を呼ばれた少女は慌てて、飛んでくる少年を受け止める。その勢いを殺せず共に転がり倒れて、彼我の間を即座に化け物たちが埋めていく。黒い波の中に飲まれて、ニコルと狐面の姿は消えた。

 

「ウルムナフを叩き起こせ! 二人で生き延びるくらいはしてみせろ!」

 

「は、はい! が、頑張ります!」

 

 気遣う余裕も取り繕う事も出来ぬまま、乱暴な口調の言葉だけが届けられる。そんな常とは異なる態度に気圧されながらも、如何にか頷き巨大な鍵を握り直すヒルダ。そんな彼女らの元へ、悍ましき怪異は迫り来る。

 

〈Ohohehahui〉

 

「ダ、ダメです! 嫌です! 来ないで~!」

 

 身の丈程に大きな鍵を乱暴に振り回して、顔のない白蛇を叩き潰していくヒルダ。ぐるりぐるりと体を揺らして振り回す動作は、傍目に分かる程に隙だらけ。その隙間を潜って、多くの蛇や鬼火がウルの体へと。

 

「が――っ!」

 

「ウルさん! だ、ダメですってば~!」

 

 ウルが狙われる理由は単純に、その体質が故である。犬神の血を流す少年は、吸血鬼よりも遥かに旨そうに見えるのだろう。

 殆ど無傷のヒルダが必死になっても、ウルの体に集る怪異の数は減らない。傷が増えて血が流れ、肉が減って痛みに呻く。そんな苦痛はそれでも確かに、ウルにとっては気付けとなった。

 

(はは、みっともねぇ……)

 

 受ける痛みが、泣いている少女が、泣いている己が――何もかもにそう感じる。

 

(けど、けどよ)

 

 父への恐怖は拭えない。己は確かに死ぬべきだ。その考えは変わっていなくて、まだ向き合うことなど出来やしない。けれど、それでも、己には死んで良い理由もないのだから。

 

「テメェら如きに、食われてなんてやれねぇんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 己の中の、闇を呼び覚ます。その内に宿る魔物に身を委ね、その身体を変じていく。既にSPは限界だ。その変身で、更に多くを削がれた。残る値を数値にすれば、一桁には突入していよう。

 内なる怪物に、剥き出しの魂を鷲掴みにされているような感覚がある。今にも食われてしまいそうな、そんな恐怖が存在している。それでもまだ、自分は此処に居ると分かっていたから。

 

〈消えろっ〉

 

 剥き出しの口腔より、黒き闇を吐き散らす。命ある闇は広がり浸食しながら、ウルの体に食らい付いていた異形たちを逆に食らっていく。慌てて逃れようとする怪物達をその両手で潰しながら、ウルは津波の向こうへ意識を向けた。

 

「疾――っ!」

 

〈おっと〉

 

 壁の向こうでは、ニコルと狐面の死闘が続いている。鞭と光剣を切り替えながら戦うニコルに対し、迎え撃つ狐面は徒手空拳。どちらも手の内の多くを隠しながら、戦況は拮抗していた。

 

「はぁぁぁぁっ!」

 

 気迫を伴う踏み込みと同時に、ニコルは光剣を一閃。大振りの一撃は当然の如くに僅かな動作で躱されるが、その勢いのままに回り切ってもう一撃。

 独楽の如くに回転しながらの斬撃に、拳を合わせる狐面。剣の腹を叩いて防いだ男の身体に、振り下ろされるは光を消したヒートロッド。

 

 蛇腹の鞭が齎す不規則な動きは予測し切れず、その胴体に浅くはない裂傷を。怯んだ男に向かって放つは、全体重を乗せた跳び蹴り。

 

「おまけです。神の裁きを受けなさい!」

 

 宙に浮いて海へと落ちる。途中で狐面の身体を射抜くは魔法の輝き。白き光を放った後で、再び鞭を光の大剣へと切り替える。そして息を吐かせる間もなく、縁から海面へと振り下ろした。

 

〈ははっ、やっぱ強ぇな、お前〉

 

 舞い降りる光を前にして、男は不敵な笑みを浮かべる。空中で静止し、虚空で体勢を立て直し、海面へと着地する。そして大地の如く、海を蹴り上げ直上へ。

 迫る光に焼かれる事も気にせずに、半身を失いながらも甲板の上に舞い戻る。大きく欠落した肉体に痛みも感じぬまま、振り下ろされた光を正面から突破して少年の下へと。

 

〈はっ!〉

 

「ちぃっ!」

 

 それら全てが数秒の内に起きた出来事。振り下ろした体勢からの復帰は間に合わず、ニコルは舌打ちしながら距離を取ろうとする。

 逃がす物かと振るわれる狐面の拳。唯では逃げ切れぬ咄嗟に悟って、迎撃の為に振るわれるニコルの光剣。男の首が断たれて宙に舞い、少年の顔に男の拳が叩き込まれた。

 

「……貴様こそ、ウルムナフより遥かに強い」

 

 唯の一撃、それも体重が乗り切ってはいない物。だと言うのに歯が何本も折れて、鼻が潰れて流血する。口内に溜まった血を吐き捨てて、忌々しいと呟く少年に油断はない。

 首を失い、胴体も半分程が消し炭となった男。だが一瞬後には血肉が盛り上がり、失った部位が生えてくる。首から下を秒で完治させた怪物は、転がる頭を拾って首に乗せると嗤って言った。

 

〈一緒にすんなよ、あんな死にたがりの糞餓鬼と〉

 

 頭を置いただけで首と繋がり傷は塞がる。この攻防で分かった事は、ニコラス・コンラドでは狐面を滅ぼせないと言う事実だけ。この狐面は、嘗てのエレインと同等級の怪物だ。

 ウルムナフの心に恐怖がある限り、決して滅びる事がない。狐面はそういう存在である。

 

「……厄介な」

 

 拳と光剣を切り合わせる。単純な身体性能では負けていても、技量を含めた総合面ではニコルが確かに勝っている。頭一つ分の違いだろうか、本来ならば順当に勝てる筈の実力差。

 

〈へへっ、本当に強ぇな〉

 

 だが敵は不死身である事を武器に、一切の防御を切り捨てている。攻撃だけに専念されれば、その程度の実力差など埋まってしまう。このままでは、朝まで持たない。ニコルはそう判断し、手札を一つ使うと決めた。

 

「……行きますよ」

 

 大地を蹴って駆け出すと同時に、懐から取り出した数枚の硬貨を投げる。一体何だと狐面が反応するより前に、光の矢がそれらを射抜いた。

 

「転移術式、多重起動。座標指定、ビストリッツ、モスクワ、哈爾濱。その何れかに飛ぶか、複数の干渉により事象の狭間に落ちるのか。ともあれ、貴方には退場して貰いましょうか」

 

 無作為に発動する複数の転移式。咄嗟の反応も出来ずに光に飲まれていく狐面に対して、ニコルが選んだのは戦闘放棄。倒せないなら、戦わなければ良い。それは何処までも単純な解決策。

 

「さようなら、恐怖が生み出した断罪者。真面にやって敵わないなら、そも戦わなければ良いのです。不死身だと言うのならば、生きたまま此処から消えなさい」

 

 光と共に消えていく姿を見据えながら、ニコルは片手で口元を拭う。鞭を懐に納めるにはまだ早い。倒せぬ敵を離脱させたからと言って、まだ無限量の怨念達が残っているのだから。

 

 想定よりも大きく魔力を消耗してしまった。道具の消費もかなりの痛みだ。苦々しく懐具合を計算しながら、ヒルダの援護に向かおうとするニコル。残心を終えた少年の判断は、しかしまだまだ甘かった。

 

〈残念。これじゃ、無理だぜ?〉

 

「……つくづく、厄介な」

 

 ニヤニヤと笑う声がする。振り向けば其処には、傷一つない狐面の姿。遥か遠くに飛ばされた筈の存在が、当たり前のように其処に居る。その身には、傷の一つもありはしない。

 

 無駄なのだ。戦う事も、逃れる事も、この狐面を前に叶わない。一度現世に現れたが最後、この男は無敵の怪物として在り続ける。出来て精々が時間稼ぎ。何故ならば、ニコルにこの男と戦う資格はない。

 

〈お前じゃ無理だ。俺を殺すどころか、遠ざける事すら出来ねぇよ〉

 

「……成程、此処に居る貴様は影のような物か。ウルムナフが居る限り、其処に貴様は出現する」

 

〈正解。良く分かってるじゃねぇか〉

 

 この場において、その資格を有しているのは唯の一人。ウルだけが、立ち向かって良い資格を持つ。彼以外には、戦う事も許されない。

 それがこの死神だ。そして死神の脅威に対し、今もウルは立ち向かおうとしていない。己は死ぬべきなのだと、彼は思い込んでしまっている。この狐面に殺されるべきなのだと、そう思い込んでしまっているから――狐面は誰にも倒せない。

 

〈そうさ、俺は不死身だ。俺は無敵だ。俺を一時的にでも退けられるのは、無様に泣いてる糞餓鬼だけ。――――だが、そいつにゃ絶対不可能なんだからよぉっ!〉

 

 狐面の姿が変わる。羽搏く黒き翼。獣の如き足に、皮膚のない顔。冥刹皇。闇の力を宿したそれは、降魔化身術と呼ばれる変身能力。

 ウルに出来るのだから、当然この狐面にも出来る事。彼が変身した時点で詰みだ。素の状態でも拮抗していたのだから、それ以上となった今ではニコルすらもう相手にならない。皆、此処で死ぬしかないのだ。

 

〈くそ、俺の、所為かよ……〉

 

 その光景を、そこに伴う音を、迫る怪物達を蹴散らしながらに理解していたウルは毒吐いた。口では否定するように呟きながらも、それが事実だなんて分かり切っている。

 

(ああ、やっぱり、生きてるべきじゃなかった。あの日に、死んでいた方が良かった)

 

 変貌した肉体は、泣くと言う機能を残してはいない。だから流れる血涙は、きっと違う意味のもの。

 それでも少年は思うのだ。全ては己の責任だと。死ぬべきだった人間が、生きてしまったからこんな事になったのだと。

 

 皆を巻き込んだ。ヒルダは確実に助からない。ニコルだけなら生き延びるかもしれないが、己やヒルダを切り捨てるタイミングを誤れば彼もまた危ないだろう。

 死ぬのなら、一人で死んで置くべきだったのだ。生きていて良い理由が欲しいと、死んでも良い理由が欲しいと、縋り付いたのが間違いだったのだ。だからこんな状況に、皆を巻き込んでしまった。だからこそ――

 

(嗚呼、クソ。俺、何やってんだよ! アイツらを巻き込んで、なのに、どうして、震えてんだよっ!?)

 

 そうとも、死ぬなら一人で死ぬべきなのだ。この狐面に、一人だけが殺されるなら納得出来た。だが、ニコルやヒルダを巻き込むのは違うだろう。そう思えるから、歯を食い縛る。

 

 きっと何処かで甘えても居たのだ。ニコルなら、この相手も如何にか出来ると。何だかんだで、自分が頑張らなくても皆助かるのだと。そんな風に心の何処かで甘えていたから、恐怖に震えると言う甘えが出来た。

 

(ニコルでも、親父には勝てない! なら、もう、俺が、死ぬしか、ねぇだろうがよっ!!)

 

 怖い。怖い。怖い。生きているのが怖いし、責められるのが怖いし、前を向くのが怖過ぎる。そうしなければと思っただけで、涙が止まらなくなる程にウルムナフ・ボルテ・ヒュウガはまだ弱い。

 だけど、違うのだ。誰かを巻き込みたくはない。これ以上、誰かを犠牲になんてしたくない。それなら死んだ方がマシだと、心の底から思えていたから――

 

〈うあああああああああああああああああああああああああああっっ!!〉

 

 叫びを上げて、ウルは逃げ出す。見っともなく、無様に過ぎる有様。それでも其処に、意味はある。そうするだけの理由がある。

 狐面はウルの恐怖である。彼が居る限り不死身で無敵で、彼だけを延々と狙って来る。だからウルが居なくなれば、ウルだけを追い掛けてこの場を去る。

 

 立ち向かうなんて出来ない。乗り越えようなんて考えられない。けれどせめて、もう誰も巻き込まないように逃げ出すことだけは出来たのだ。

 

〈ちっ!〉

 

 背中を向けて走り出し、怪物が蔓延る空へと飛び立った冥刹皇。そんな見っともないウルの姿に、弧面は苛立つように舌打ちしてから追い掛け始める。

 逃がしはしないと、その背をニコルは追わずに見送る。追い掛けたとて、意味がない。それに無様な姿は赤点物だが、震えているだけに比べれば、逃げ出せただけマシであるから。

 

「精々死ぬなよ、ウルムナフ。今の貴様に期待する事など、無様な時間稼ぎだけなのだから」

 

 恐怖と拒絶からの逃走に、そんな言葉が掛けられる。余りにも情けなく、泣きたくなる程の屈辱。それさえも超える恐怖の中で、確かにその言葉は胸を突いた。

 見下すような言葉であったが、それでもまだ期待されている。逃げ回って時間を稼ぐことだけは、やってみせろと確かに言われた。だからウルは、歯を食い縛る。

 

 無数の化け物が蔓延る空は、腕を振る隙間も満足にない場所。下手に前へと進もうとすれば、怪物達が壁となって道を阻む。そうなれば最後、狐面に追い付かれて命が終わる。

 だが、ならば何処に逃げれば良い。障害があっても、狐面から逃げられる場所。それは一体何処にある。

 

(何処だ。何処だ。何処に逃げれば良い!? 空は一杯で、水の中は少しマシで――なら、海か!)

 

 僅かな差だが、鬼火よりも白娘子の方が動きが遅いように見えた。ならば空を逃げ回るより、海の中に飛び込んだ方が可能性が高い。誤差の範囲であったとしても、もうそれしか道はないと思えたのだ。

 故にウルは、海の中へと。しかし水の抵抗は予想以上で、進めた距離は想定以下。このままでは追い付かれると言う確信に、ウルは必死で求め続けた。

 

〈もっと早く! もっと早く! 邪魔だ退けぇぇぇぇぇぇぇっ!!〉

 

 嘆きの色を宿した意志が、心の墓場を掘り返す。逃げる為に、新たな姿を。求める意思が己の形を歪めていく。

 そうとも、翼を持つ怪異では駄目だ。遮蔽物の少ない空を飛ぶだけでは、きっと弧面に追い付かれる。だからこの水場と言う状況下で、必要となるのは海を行く力。

 

〈ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっっ!!〉

 

 それは青き鱗を持つ者。水を利し、冷えた流れを操る小凶神。七色の霧を纏う七孔を持たない怪物は、海の中を深く深く底へ向かって逃げていく。

 大きな音と共に進水。空を舞う鳥のように海中を進みながら、我武者羅に逃げ続ける龍人。底へ底へと進むウルの割り切った行動は、そうであるが故に他の追随を許さない。……本当に?

 

〈後先考えねぇで逃げに徹するなら、この俺から逃げ切れると? 舐めてるんじゃねぇぞっ! お前だけの力じゃねぇんだよ、こいつはよぉっ!〉

 

 変貌。髑髏の顔を持つ死神から、無貌の魚人へと。狐面の姿も変じた上で、空から海中へと飛び込み少年を追う。姿形は全く同じく。だが、力の差は明確だった。

 

〈弱ぇなぁ! 弱っちぃなぁ、テメェはよぉっ!〉

 

 逃げ続けていたというのに、気付けばその足首を掴まれている。ニヤリと嗤う気配を感じて、目を逸らしたままの子どもは小さく震える。どうにか逃れようとするが、最早何もかもが遅過ぎる。

 

「――っ」

 

〈は、ははぁっ!〉

 

 足を掴まれ引き摺られて、急激な速度で海上へと。まるでジェット噴射のように水を操りながら、弧面が変じた青き竜人は掴んだ獲物を振り回す。

 まるで木槌で餅でも付くかのように、何度も何度も海面に向かって叩き付けては振り回す。水とは思えぬ程の衝撃に傷付きながら、ウルは確かに理解していた。

 

 遊ばれている。玩具のように使われている少年は、しかし何も出来ずに居る。立ち向かおうと望むことすら、出来ない程に弱いから。

 

〈ほんっと、見っともねぇなぁっ! とっとと死んじまえよ、糞餓鬼がぁぁっ!〉

 

「ぐ、がぁぁぁぁぁっ!?」

 

 途中で遊びに飽きたのか、逆さに吊るしたウルをサンドバッグとして使い始める。腹に穴が開く勢いで殴られ続ける少年は、何時しかフュージョンを解いていた。

 

〈テメェが弱ぇから、守れなかった! 母さんも、約束も!〉

 

「ぎぃっ」

 

 本当に穴が開いている。開いた端から再生していくのだが、すぐさま再び拳が臓腑を叩き潰してペースト状へ変えてしまう。

 殴る。殴る殴る殴る。追い立てるような追撃は、決して止まることがない。嬲るような攻撃と同時に向けられるのは、未熟な心を抉る罵声の嵐。

 

〈そんなテメェが、俺から逃げる? 笑わせんなよ、無理に決まってんだろ! 泣き虫野郎が!!〉

 

「ぐぅぅぅっ」

 

 海上で死に瀕しているウルと、彼を追い詰めている弧面の男。一方的に傷付きながら、一方的に追い詰められながら、示される己の弱さに少年の心は泣いていた。逃げることさえ出来なくて、こんな様を晒すのかと。

 

〈死にたいんだろ? 生きてたくねぇんだろ? 手伝ってやるから、さっさと死ねよ。なぁ、ウルムナフ〉

 

 否定は出来ない。ウルムナフは死にたいのだ。だから狐面が現れる。ウルムナフは死んだ方が良いのだ。だから狐面は、彼を殺そうとするのである。

 

 痛め付けて、嬲り続けて、己の罪を直視させて、苦しみの中で絶望させてから殺すのだと。心の闇から、逃れる事は許されない。ウルムナフの末路は既に決まっている。他でもない、彼自身がそう望んでいるから。

 

〈他の誰も巻き込みたくなければ、もう此処で終わって良いだろ? 此処なら、死ねるぜ。お前だけがさ〉

 

 新たな変身を得ようとも、力の差は覆らない。ウルムナフが強くなればなる程に、狐面もその力を増していく。倒せる訳がないのだ。未熟な今の少年に。

 そして戦う理由すら、この死神は奪わんとする。己が死ぬのは良い。他人を巻き込むのは駄目だ。それが理由なら、お前だけを殺してやるからもう諦めろと。

 

(……なら、良いのかな)

 

 言われて、折れた。恐怖はまだ変わらずあって、立ち向かえる強さが己の内にはなかった。ならばどうして、闇から逃れることが出来ようか。

 

(なら、もう良いんじゃねぇか)

 

 不可能だ。そもそも己の闇から、逃げようと思って逃げられる筈もない。心の闇とは、心の内にあるもの。心を捨ててしまわぬ限り、永劫切り離せないものだから。

 

(俺は……)

 

――私は幸せよ。だって貴方と、お父さんが居るもの。

 

「母、さん」

 

 だから、最後に、懐かしい声が聴こえた――――そんな気がした。

 

 あり得ないのに、そんな声が聴こえた気がしたから――――顔に手刀が突き刺さる。異音と共に頭が砕けて、意識が遠退いていく瞬間。死とは意外と痛くはないのだなと、そんな場違いな事をウルは思った。

 

 

 

 

 




ウル虐め。でもウルは散々な目にあった後、最後には幸せになって欲しいと思う。
ニコルは……うん。線香花火みたいに、一瞬でも輝けば良いんじゃないかな……


因みに原作14年前に登場した狐面さんは、相応の見た目をしています。
けれどウルは怖がって顔を確認する事も出来ていないので、そうだと思い込んだ姿を認識している状態です。

ニコル視点では、失笑を免れない光景。自傷行為な三文芝居。何でそう思い込めると疑問視するレベル。
ヒルダは一瞬首を傾げた後、世の中には色んな姿の父親が居るんだなぁ、お父さん小さいなぁ、で納得してます。


今後のストーリー展開は次の内どれが良いですか?

  • ヒロインは一人。純愛ルート。
  • ヒロイン複数。ハーレムルート。
  • ヒロインは甘え。求道者ルート。
  • ウルと二人で漢祭りルート。
  • 宿命の兄妹対決! ニコルとアナスタシア!
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