憑依転生失敗話   作:天狗道の射干

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陣親子と甚八郎の出会い(捏造)


第44話 過去

 

――1893年某日、中国某所――

 

 

 燃える家屋を前にして、揺れる人影が三つ。煙に咳き込む幼い少女と、そんな娘を庇うように抱き締める父親。

 両膝を地に付いた男の眼前に立ち、見下している最後の一人。浮かんだ侮蔑と嘲笑に、男が抱くは疑問であった。

 

「何故だ。何故、君が。舞鬼くん」

 

「何故? はっ、愚か極まる質問ですね。陣大人」

 

 陣宋雲。傷付きながらも娘を守ろうとする男の名。彼が経営していた町外れの酒場は、今も囂々と音を立てて燃えている。他でもない、嘗て慈悲を掛けた相手の手によって。

 舞鬼。九龍のスラム街で生まれ育ち、陣に拾われた男の名。陣の経営する酒場の店員として、禄を食んでいた男はしかし裏切った。結果がこれだ。その原因が、陣にはしかし分からない。横暴に扱った覚えはない。どころか寧ろ、家族のような好待遇で迎えていたと言うのに。

 

「あの御方は、間もなく大いなる力を得る。西洋列強や日本と言った国々も、あの御方の力の前には遠く及ばない。この国は、あの御方の下で太平を得るのです」

 

 それは第三者の視点で見れば、どこまでも正しい理屈であろう。食うに困っていたスラムの住人に、仕事を与え厚遇した。真っ当な人間ならば、恩の一つ二つは感じるものだ。

 事実、舞鬼自身も確かに恩義を感じている。だが同時に、彼の歪んだ精神は思ってしまうのだ。見下されている。施しを受けている。対等ではない。そういった淀みが、心の内に積み重なっていた。だから――

 

「いいえ、この国だけではない。この大陸、否、この世界全てがやがてはあの御方の物となる! そんなあの御方に、選ばれたのですよ! この、私が!」

 

 その淀みが弾けた。この世の頂点とも思える程の仙人の存在に、彼が掲げる崇高にして大いなる野望に、そしてそんな老人に必要とされたと言う事実に。

 舞鬼の自尊心が満たされる。舞鬼の不遜心が爆発する。己はあれ程の存在に選ばれたのだから、己はそれ程に凄い存在なのだ。そんな己が、この男に施しを受けている。その事実、何故にどうして納得できるか。

 

「分かりますか? 私は、貴様より、上位に立つ存在なのです。そうとも、これは正当な行為。貴様は私の下で這い蹲っているのが相応しい!」

 

 舞鬼の理由などそれだけだ。彼は小悪党の類である。生来の特異体質故に目を付けられて、手駒にしやすいから利用されているだけの男でしかない。少なくとも、この今は。

 そんな小悪党の行いは、しかし常人に止められるような物でもない。理屈はとても小さくとも、力は相応に大きいのだ。邪仙にとっては片手間に与えた力であろうと、一般人にとっては絶望するに十分な物だから。

 

「くっ、舞鬼くん。君は……」

 

「昔から鬱陶しい男ではありましたが、拾われた恩義程度はありますから。素直に従うならば、娘さん共々扱き使って差し上げますよ。この私の、奴隷としてね」

 

 長年に渡り、溜め込んだ鬱憤。同じだけの歳月を強要する事で、その留飲を下げる事が出来る。そしてこれは慈悲でもある。これから変わる世界で、相応しい地位に立つ己の手元に置いてやるのだから。少なくとも、舞鬼は本気でそう考える。

 

「お父さん!」

 

「し、秋華!!」

 

「くくく、麗しい親子愛。ですが、聊か不快でもある。故に、先ずは――」

 

 彼にとっては、そんなそれは慈悲だからこそ。涙を浮かべて悲痛な表情で、抱き締め合う親子の姿が癇に障る。自分の善意が蔑ろにされているからと、理由はきっとそれだけではない。

 羨んでいるのだ。妬んでいる。それを持ってはいないから、見せ付けられているようで腹立たしい。故に先ずは教授しよう。己にこんな不快な物を見せた者らに対し、これは相応しい罰なのだ。

 

「世の真理。この私が教えてあげましょう」

 

「な、何をするっ! 止めてくれ、舞鬼くん!」

 

 手を伸ばす。抵抗する陣宋雲の腕に居て、震えて目を閉ざす娘に向かって。今後は己の機嫌を損ねる度に、相応の罰があるのだと身体に覚えさせるのだ。

 舞鬼の顔が笑みに歪む。これより与える懲罰と、得られるであろう悦楽に。ああそうとも、これこそ己に相応しい。歪んだ笑みを浮かべた男は、その手に幼い少女を掴んで――

 

〈そこまでだ〉

 

「がっ!?」

 

 瞬間、舞鬼の身体は吹き飛ばされた。まるでトラックか何かに衝突したかのように、宙を舞って壁に叩き付けられた舞鬼は悶絶しながら血反吐を吐く。

 一体何がと、その場の誰もが抱いたであろう疑問。その答えが、陣親子の前で巨大な翼を広げている。一般市民に過ぎない陣にも分かる程、それは異常な存在だった。

 

 黒き人型。その筋肉質な男性的フォルムは、鎧を思わせる甲殻外皮で覆われている。濃密な憎悪の思念を纏わせ、忌まわしき翼を広げた大凶神。その名は、ツェルノボーグ。

 

「悪魔、さん?」

 

「怪物が、守ってくれるのか」

 

 人が想像する悪魔。正にそうだと確信出来る怪物は、しかし陣親子を庇うかの如くに立ち塞がる。その禍々しくも大きな背に、何処か安心感を覚えてる二人。対して咳き込みながら立ち上がった舞鬼が感じるのは、正しく真逆と断じて良い感情。

 

「くっ!? 何だ、貴様はっ!? 何なんだ、貴様はっ!!」

 

 唐突に現れた怪物。向き合うだけで、絶望的な程の力の差を感じさせてくる強烈な気配。絶対に勝てない。抗ってすらならないと、本能が訴え掛けてくる程の存在感。

 これは或いは、己の主にも比肩するのではないか。恐怖の中でそう感じながら、それでも素直に退かない理由も感情だった。複雑な情が、極限の状態でその戦意を微かに維持している。だからと拳を握り締め、舞鬼は怪物に殴り掛かる。

 

「ぐ、げはっ!?」

 

〈……貴様に名乗る、名などない〉

 

 だが、結果は当然。大振りの拳は空を切り、返す刀に打ち込まれた怪物の拳がたった一撃で内臓を幾つも破裂させる。怪物は欠片も本気を出していないのに、強化された筈の舞鬼の肉体が耐えられなかった。

 それもその筈、舞鬼はまだ邪仙に見出されたばかり。その身の強化も、最低限の基礎的な物しか施されていない。魔法が効かないと言う特異体質以外には、見所さえない三下だ。そんな三流に名乗る価値はないのだと、くぐもった声は見下している。

 

「ぐぉ、ぉぉ」

 

〈幼子の前だ。命だけは見逃してやる。とっとと失せろ、三下が〉

 

「お、おのれぇぇぇぇぇぇぇ」

 

 生まれ育ちが故に、絶えず他者から受けて来た侮蔑。その耐え難い境遇から漸く解放され奪う側に回った筈なのに、またこうして膝を付いて見下されている。

 血反吐を吐く男は怨嗟を紡ぐが、その忌まわしい翼には届かない。地獄の深き闇を纏う怪物にしてみれば、所詮男は温いのだ。身体にも心にも、そのどちらにも届かない。

 

 圧倒的な格差。絶対に勝てないと言う確信。侮蔑に対する怒り。歪んで腐った自尊心。拮抗する天秤を最後に傾けたのは、偉大なる主に向ける忠義であった。

 

「……覚えておきなさいっ!」

 

 血を飲み干して、背を向け逃げ出す。無様な姿を容認したのは、この強大な悪魔の存在を主に伝えなくてはならないから。そんな理由で漸くに、己の逃避を肯定できる。

 そうして逃げ出す舞鬼の姿が見えなくなると、巨大な悪魔は座り込んだ親子に対して向き直る。炎に照らされた影が揺らいで、一拍の後には深緑色の軍服を来た短髪の男が其処に居た。

 

「悪魔さんが、人間になった」

 

「怪物から? いや、怪物への変身、なのか……? 貴方は、一体」

 

「……大日本帝国海軍少佐、日向甚八郎」

 

 困惑する親子に対し、甚八郎は誠意を見せんと己の背負う肩書を名乗る。名乗るに足りない三下とは違い、無辜の民には名乗る必要があるだろう。少なくとも今は、他者の協力を求めているのだから。

 

「特務により、数年前からこの大陸の調査をしている。もし良ければ、この土地で何が起きているのか教えて貰えないだろうか?」

 

 それはきっと、運命の邂逅だったのだろう。炎の熱に照らされた街中で、陣親子と日向甚八郎は出逢った。そしてこの日から始まったのだ。彼らの長く険しい戦いは。

 

 

 

 

 

――1900年5月21日、上海――

 

 

「それが貴方の父、日向甚八郎少佐との出会いでした」

 

 昔語りを終えた後、男は乾いた喉を潤わせる。ゆっくりと傾け空にしたグラスが机に置かれて、小さな氷が甲高い音を立てた。

 同じ丸テーブルを囲む子らの内、平然としているのは一人だけ。その唯一ではない少年は、己の知らなかった事実を受け止める為に反芻する。

 

「……日本の少佐。海軍の、軍人だったのか」

 

「お父上は、そう言ったお話をご家族には」

 

「少しだけ。所属とか、さ。知らなかったんだ。いっつも家にいなくて、村の外で何してんのか。親父は一度も、教えてくれなかったよ」

 

 ウルは、何も知らなかった。教える必要がないと思っていたのだろうか、或いは教えたくはなかった理由があったのか。故人の理由は、もう分からない。

 事実は一つ。何も知らなかった少年は、今日この今にほんの少しだけ父を知る。国からの特務で、怪異と戦い続けていた。それがあの日々に、父がいなかったその理由。そしてきっと、帰って来れなくなった訳。

 

「それで、アンタと親父はそれからどうしたんだ?」

 

 その事実は、多分この続きにあるのだろう。周囲が無言で見守る中、ウルムナフは陣宋雲の瞳を見上げる。その真っ直ぐな瞳に頷いて、陣は再び過去を言葉に紡いでいく。

 

「命を救われた恩義を返す為、私は彼の任務に協力する事にしました。基本的には身を休める場を用意したり、移動の足を提供したりと言った程度ですがね」

 

 大日本帝国の特務にて、この地に赴いた日向甚八郎。左官である彼の身分には、しかし不釣り合いな単独での潜入工作。その実態には、深刻な人手不足が関わっている。

 

 日向甚八郎の恩師である川島浪速。3年に渡り中国各地を見聞した彼の人物は、大陸に潜む怪異や術者の存在を知った。そしてその上で、川島は確信したのだ。

 関係悪化し続ける日本と清国。開戦まで秒読みとなった両国間の紛争に、大陸の怪異が参戦すれば勝ち目はないと。その危機感が故の提言は、しかし多くの者の失笑で迎えられた。

 

 オカルトなんて、確たる証拠もなしに信じられる訳がない。結果開戦の兆しは変わらず、戦争が間近にあるのだからと人手はそちらに流れていく。それにそもそも、怪異に対処出来る人材自体が少なくあった。

 川島は己の伝手を如何にか使って、犬神の一族である甚八郎を手元に引き込むが其処で限界。怪異を相手に出来る人材が他にいない以上、バックアップも真面に出来ない。これでは単身で死なせに行くような物だと、川島は懊悩したと言う。

 

 だからこそ切っ掛けは、日向甚八郎自身にある。師の懊悩を晴らしたいと言う恩返しの情に、日本を守らねばと言う意志。それが故に男は自ら、殉職の可能性が高い敵地に向かった。

 そして男の意志を知るからこそ、その妻も彼を支える為に大陸へ。まだ幼かったウルもまた、そうして中国の土を踏む。寒村を転々としながら、妻子は情報収集の役も果たしていたのだ。

 

「危険な場所に踏み込む時は、常に日向少佐が単独で行動していました。舞鬼を始めとした、彼の人物が配下に対しても常に一人。戦い、勝利して来たのです」

 

 影に蠢く者達が、表舞台に出て来ぬように。影は影のまま、その拳で打ち砕いていった。数年程して戦争が始まってからも、大陸派遣軍と合流する事なく単身で。

 戦乱渦巻く大陸が、妖魔が跋扈する魔境とならなかった理由は一重に甚八郎の活躍があればこそ。彼が単身で潜入していなければ、日本軍は人食いや死霊の群れに襲われ壊滅していた事だろう。

 

「戦いは長くに渡りました。勝利を続けた日向少佐でしたが、戦略的な視点では常に後手に回り続けた。敵の首魁は、余りにも強大な術者であったが為に」

 

 軍を守りながら各地を回って、潜んでいる怪異や術者を倒していく。しかしそんな彼でも、首魁の下へ辿り着くには5年と言う歳月を必要とした。それ程に、敵もまた格別の存在であったのだ。

 

「その男こそ、日本・イギリス・フランス・アメリカの4ヶ国の侵攻を押し止めながら、日向少佐の追撃からも逃れ続けてみせた大邪仙。日向少佐をして、倒さねば必ず祖国が滅びるとまで言わせた男」

 

「そいつは――」

 

「堕九天真王地行仙、徳壊上人」

 

 日向甚八郎が5年と掛けて、漸くに辿り着いた首魁の名。陣が告げたその名を、ウルは小さく反芻する。それはまるで、その名を己に刻み込むかのように。

 その様子に気付いたのは、賢しい少年一人だけだろう。幼い奏者も吸血鬼も、向かい合う男の語りに意識を奪われているが故に気付かない。だから当然、ニコルの歪な笑みに気付く者もまた居なかった。

 

「徳壊はある企みを抱いていました。列強諸国全てを消し去る為に、大いなる力を求めた大儀式を行おうとしていたのです。それを私と日向少佐は、彼を追う途中で知りました」

 

 語りは続く。日向甚八郎にとっての大敵、徳壊上人の企みへと。4ヶ国を相手取りながら、大儀式の準備もしていた。その隙が故に、甚八郎達は辿り着けたのだ。

 辿り着いて、そして絶句した。決して許してはならないと、そう迷いなく断じる事が出来る企み。それを通せばたった一手で、何もかもがひっくり返されてしまう程の大禁呪。その名を、鬼門御霊会。

 

「鬼門御霊会。仙術における、最高峰の大儀式。四神を封じ、地霊神を召喚し、地脈を歪め揺らがせる。彼はその大儀式により、日本と言う国そのものを滅ぼそうとしておりました」

 

「日本と言う国、そのもの? それって、どういう意味だよ」

 

「言葉の通りです。島そのものを、海の底に沈めようとしたのです」

 

 地脈に干渉し、星を動かす大儀式。九天真王の最高仙術を以って、終わらぬ大地震の果てに日本と言う国家を沈没させんとした。

 14年後とは違う。星神を呼び出す裏の儀式を用いずとも、中国大陸だけが残れば己の勝利だと徳壊は確信していた。だから彼は、敵対する国家の国土を物理的に消してしまおうと考えたのだ。

 

 その余りにも大それた企みに、ウルは唖然としてしまう。一体どうして、一国が軽々消し飛ぶと言う状況を想定出来るか。驚かぬのは、予め知っていた者ぐらいである。そしてその彼にした所で、続く言葉は想定外。

 

「更に言えば日本の沈没は、あくまでも始まりに過ぎません。彼の邪仙は日本の崩壊を見せ札として他国の牽制に用い、そうして稼いだ時間を使って更に鬼門御霊会を発動する予定でした。大陸に敵対する全ての国家を順繰りに、果てにはこの惑星上の大陸を中華のみとする心算だったのですよ」

 

「ひ、ひぇっ、や、やべぇ奴にゃ」

 

「実際、日向甚八郎が止めねばそうなっていたのでしょうね。……中国と言う地を守る為なら、容易く全てを滅ぼしてしまえる。その常人からズレた精神性こそが、世界最強の一角へと至る為の原動力なのでしょう」

 

 文字通り、世界全てを破滅させようとしていた。唯、己が祖国を守る為に。その事実を前に、表情を引き攣らせるヒルダの精神性は真っ当なのだろう。驚きつつも納得し、果てには感心までしている神父服が異常であるのだ。

 

「その企みを知った日向少佐は、徳壊上人の弟弟子であられる朱震上人と共に敵の居城である傀骸塔に向かいました。そして激闘の果てに、彼らは徳壊上人の企みを打ち砕いたのです」

 

 語りは続く。敵の首魁を突き止め、その本拠地へと迫った甚八郎。されど彼にも、余裕と言う物はなかった。その時には既に、鬼門御霊会は発動する寸前となっていた。

 四神の内、三柱が堕とされていたのだ。残る白虎が徳壊の手に落ちるのも最早、秒読みと言う他にない状況。鬼門御霊会を止める為に甚八郎は、旅路の途中で出会った朱震と共に敵地に乗り込んだ。そして激闘の果てに、遂にその野望を打ち砕いたのである。

 

「ですが、その代償は大きかった。朱震上人は大きな傷を負い、日向少佐は戻らなかった。……そして彼が命と引き換えに倒した徳壊上人は、しかし今も生きている」

 

 されど勝者がどちらであるか。命と引き換えに徳壊の野望を打ち砕き、その身に重症を負わせた甚八郎か。或いは野望を阻まれたものの、確かに生き残り甚八郎を殺してみせた徳壊か。

 結果的には、痛み分けと言うべきだろう。野望を砕かれ重傷を負った徳壊は、今も満足に動けぬ状態が続いている。対して祖国を守った甚八郎は、己の命だけでなく愛した女も守れなかったのだから。

 

「……なら、お袋を殺したのは」

 

「先ず間違いなく、徳壊の手の者だと」

 

 陣の言葉に、ウルは拳を握り締める。顔を俯けて、歯を噛み締めて、思うは一体如何なる情か。気まずそうな表情で、言葉に詰まるは三人。残る一人は敢えて空気を読む事なく、微笑みながらに問い掛けた。

 

「ウルムナフ。憎む理由は、十分ですか?」

 

「……ああ」

 

 胸に渦巻く激情は、きっと憎悪と呼ぶべき物だ。父を殺し、母を殺した怨敵が居る。その存在を知ったのだ。ならばどうして、それを憎まずに居られよう。

 顔を上げて前を見る。気に食わない好敵手は、何時もと変わらぬ表情でウルを真っ直ぐに見詰め返している。だから負けるものかと言わんばかりに、ウルも真っ直ぐ睨み返した。

 

「ウルムナフ。挑む理由は、十分ですか?」

 

「ああ」

 

 胸に渦巻く激情は、しかし憎悪だけではない。これはきっと、怯えであろうか。確かな怯懦の情がこの胸に、蠢いていると感じてしまう。

 だって仕方がないだろう。これより挑むは、術師の頂点。あれ程に強かった己の父が、しかし勝てなかった存在なのだ。どうして未熟なウルムナフに、如何にか出来ると言えようか。

 

「ウルムナフ。生きる理由には、十分ですか?」

 

「ああ!」

 

 けれどそうとも、胸に渦巻く激情がある。これはきっと、歓喜の色だ。倒すべき、敵が居る。恐ろしく強く勝ち目などないのだとしても、倒さなくてはならない敵が居るのだ。

 だから、もう迷う事はない。生きていても良いのかと、戸惑っていられる余裕はない。例え志半ばで果てるのだとしても、戦い挑まねばならない。そうともそれこそがきっと――

 

「親父が倒し切れなかった、お袋の仇を討つ。後を継ぐんだ。それが、俺の――――宿命だっ!」

 

 今、この場所に、ウルムナフ・ボルテ・ヒュウガが居る理由。徳壊と言う名の怨敵を、打ち倒す為に生きて来たのだ。

 打ち倒すまでは、生きても良い。その戦いの中でなら、死んでしまっても良い。そう、納得出来たから。少しだけ、楽になった気もした。

 

「……情けない話です。恩人の細君を守れないばかりか、その子どもが死地に向かうのを見過ごそうとしている。大人として、失格ですな」

 

「そう言う割に、何か嬉しそうニャね」

 

「ええ、日向少佐のお子様なのだと。その血が流れているのだと確かに分かって、嬉しく思ってしまうのですよ。全く以って、情けない話です」

 

 ウルの顔立ちは、父親である甚八郎によく似ている。だから陣宋雲は自虐しながらも、重なる影を何処か嬉しそうに見詰める。或いは老人が、過去を懐かしむように。

 

「叔父様の息子さん、なのよね。うん、確かに似てる」

 

「……何だよ、姉ちゃん。ってか、近くね」

 

「口調は、大分違うね。何か、不良みたい」

 

 その視線の先では、陣の娘である秋華がウルに近付き声を掛けていた。何処か恐る恐るとしながらも、妙に近い距離間に戸惑うウル。

 ウルの姿に、秋華も恩人の影を見る。だが、だからこそと言うべきか。些細な違いが、とても大きな差異に見える。それが如何にも好奇心をそそるのか、顔を近付けながらに問い掛け続けた。 

 

「そりゃそうだろ。一人で旅してりゃ、そりゃ不良にもなるもんだって」

 

「旅、してるの?」

 

「ああ、帰る場所もねぇしな」

 

「あ、ごめん」

 

「別に、気にしてねぇよ」

 

 年上の少女の言葉に、ぶっきらぼうな返しをする。その実は相手を嫌っているのではなく、どう対応したら良いのかが分からなくなっているだけの事。

 3ヶ月前の自分のように、子どもらしい態度は取りたくない。さりとてニコルやヒルダと比べたら、どうにも繊細そうで雑にも扱えない。そんな理由で戸惑うのは、少年がまだ擦れていないからだろう。

 

「あの、もしよければ、お父さんに相談してみようか?」

 

「あ?」

 

「行く当てがないなら、家に来れば良いかなって。日向の叔父様には、私も沢山お世話になったし」

 

「おお、それは良い。ウルムナフ君さえ良ければ、こちらからお願いしたいくらいだとも」

 

「…………あー、その」

 

 そんな風に、対応を決め兼ねているからか。己の内へと踏み込んで来ようとする純粋な好意に、更にウルは困ってしまう。

 生きて良い理由が理由だ。本当は死にたいと、それが変わってないのも問題だ。他人をそこに付き合わせるような気はなくて、さりとて好意からの提案を跳ね除けるのも違うだろうと。

 

「お、照れてるー」

 

「うっせ、茶化すな。可変蝙蝠」

 

「まあ、陣家の養子になるのも良いのではないですか? 利用価値は、そこそこにはあるでしょう」

 

「お前も黙れ、腹黒神父。利用価値とか、そういう話じゃねぇだろ。こういうのはよ」

 

 髪を掻いて顔を背ければ、ヒルダが横から頬を突いて来る。ニヤニヤとしたその笑いに、馬鹿がと返せば次いで口を開くは腹黒神父。

 人間関係の八割以上を利害で判断していそうなニコルの言葉に、うんざりとした表情で言葉を返してから息を吐く。そうしてウルは、妥協するような言葉を陣と秋華に返した。

 

「全部終わって、余裕があったら…………考えとく」

 

「ええ、それで良いですとも」

 

 そんな内心を知れば拒絶にも近いウルの答えに、しかし陣と秋華は温かい笑みを浮かべている。だから柔らかい表情を見ているのが気不味くて、目を逸らせば嘲笑している仲間が二人。

 何とも言い難い苛立ちと共に、ウルは二人に殴り掛かる。椅子からひっくり返ったのは自称・魔法少女だけで、腹黒神父のニヤケ笑いは揺らがない。右手の拳を掴まれた状態から片手で投げられたウルは、宙を舞いながら何時か泣かすと心に決めた。

 

「ああ、そうだ。折角だから食事をご馳走しますよ。それと、宿が決まってないようでしたら――」

 

「――っっ。いや、宿はもう取ってあるし……って、はっ?」

 

 背中から地面に落ちて、起き上がりながらに聞こえた言葉に返答する。一宿を断りながらも一飯に期待して、顔を上げたウルは――その直後に硬直した。

 

「が、ぐはっ」

 

「なっ!? 行き成り血を吐いて、どうしたんだよ、おっさん! 病気か何かか!?」

 

 陣宋雲が、机に顔を埋めて倒れていた。その身体は小さく痙攣を続け、口だけでなく目や耳鼻からも赤い水が流れている。

 明らかに異常な状態だ。何か持病でもあるのかと、慌てて近寄るウル。されど応急手当のやり方さえ知らぬ少年には、原因を突き止める事すら出来ない。

 

「ちょ、秋華ちゃん!? だ、大丈夫かにゃ!? 何か、やっばいくらいの血の量が!?」

 

「姉ちゃんも、かよ!? ヒルダは、無事か。おい、ニコル! どうなってんだ!?」

 

 そうこうしている内にも、事態は更に悪化する。父と同じくその娘も、七孔から血を噴出して倒れたのだ。咄嗟にヒルダがその身を支えるが、震える彼女の意識はない。

 事此処に至って、ウルは理解する。親子が同じ持病を抱えていたのだとしても、全く同時に発症して倒れるのはおかしいと。ならばこれは、何者かの攻撃を受けたのだ。

 

 明らかな異常事態。姿も見えない襲撃者。この状況において、最も頼りになる相手の名をウルは呼ぶ。そうして視線を向けた先で、ウルは再び硬直した。

 

「ニコル? ――っ!? お前まで、かよ! 何だよ、これ!?」

 

 この場で最も強い少年が、血の海に倒れている。既に無力化されたニコルの姿に、ウルは背筋が震えるのを自覚した。

 不味いと。あのニコルでさえ抵抗出来なかった敵が、この場に居ると言う事実。動けぬ三人を庇った状態で、一体何が出来るだろうかと。

 

 その答えを出すより前に、元凶と言うべき下手人が其処に現れる。地上に繋がる扉に取り付けられた鈴が、甲高い音でその襲来を告げていた。

 

「ほう。我が死亡の遊戯に、耐える者が二人も居るとは。……闇に守護された者達、ですか」

 

 沈む夕焼けを背に受けて、地下へと降りて来るは血のように赤い長袍を来た男。短い髪をオールバックで束ねた男は、病的ではない程度に痩せて見える。そしてその瞳は、隠し切れない程の侮蔑と自負の色に満ちていた。

 

「……お前が、これをやったのか?」

 

「ええ、その通り。我が必殺、死亡の遊戯。広域を範囲とした集団呪殺により、彼らは此処に倒れた訳です」

 

 言葉は問い掛けではなく、唯の確認作業である。陣の身体を椅子に横たえ、立ち上がったウルはやって来た男を見る。見下す瞳と、睨み上げる視線が交わった。

 

「油断しましたね、子ども達。この地は徳壊様の庭。あれ程の力を使われたなら、気付き対策を取るは当然の事。今の御方は、窮鼠であろうと念入りに潰すと決めておられる」

 

 この男が此処に居る理由は、ウル達一行の動きを彼の邪仙が既に把握していたから。儀礼の場であった黄海は勿論の事、この大陸は果てまでもが彼の邪仙の庭だ。

 満足には動けぬ状態とは言え、その眼は多くの場所を監視している。そんな中であれ程に大きな力の行使があったのだ。更に其処に、憎き男の面影を持つ子どもが居る。となれば、邪仙が動かぬ道理がない。

 

「最大戦力は、これで無力化。残るは得体の知れない少女と、あの怪物の息子。しかし、油断は出来ません。あの男の子ならば猶更、此処で確実に摘み取りましょう」

 

 とは言えやはり、徳壊自身が動くは最終手段だ。1年と少し前に付けられた傷は、未だ癒えていない。呼吸するだけでも身体に激痛が走る状況で戦いなど、余程の状況でしか行えない。

 故に彼は配下を動かした。己の持つ手駒の中で、最も大きな札を動かした。初手にて奇襲を強要させると言う、念には念の入れようで。結果が即ちこの状況。襲撃者の圧倒的な優位である。

 

「我は堕九天真王地行仙・徳壊上人が直弟子、九龍の舞鬼!」

 

 年若くも恐るべき実力者は沈黙し、敵対するは残る二人。片や得体が知れぬ存在であり、もう片方は憎むべき怨敵の子と言う可能性の塊。

 

 されどどちらも、今はまだ格下。舞鬼の方が、強いのだ。

 

「忌まわしき男の血を引く少年よ。あの御方を倒すと言う、身の丈に合わぬ大言壮語。その蛮勇。如何なる代償を支払う羽目になるのかを、この私が教えてあげましょう!」

 

 拳を握り、構えを取る舞鬼。その姿を前にウルは、一歩を踏み出してから同じく構えを取る。

 功夫が見て取れる男の所作に、対する少年の姿は獣の道理。学ぶ相手もいない我流の獣は、果たして何処まで届くのか。此処に、圧倒的に不利な戦場が幕を開いた。

 

 

 

 

 




店の前で踊る舞鬼「ふっ、はっ、ほっ!」
通りすがりの幼女「ママ、あの人変な体操してるー!」
通りすがりの母親「しっ、見ちゃいけません!」

※死亡の遊戯の発動には、不思議な踊りをする必要があります。

今後のストーリー展開は次の内どれが良いですか?

  • ヒロインは一人。純愛ルート。
  • ヒロイン複数。ハーレムルート。
  • ヒロインは甘え。求道者ルート。
  • ウルと二人で漢祭りルート。
  • 宿命の兄妹対決! ニコルとアナスタシア!
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