そうして、夜は明ける。激闘によって崩れ掛けた傀骸の塔。上階を失った儀礼場の太極図を、昇り始めた朝日が明るく照らし出す。
肩で荒い息をしながら、蹈鞴を踏んでそれでも倒れず、ウルは己の手を見詰める。傷だらけのその掌には、しかし確かな勝利の実感が。
「終わった、のか……」
そう、終わった。此処に少年の宿命は、一つの幕に辿り着く。父母を奪われ、孤独となって、誰も頼れず理由も分からず、彷徨い歩いた旅路が終わる。
ウルは倒れた敵を見る。父母を奪い、この国を支配し、世界最強の力を有していた大邪仙。恐るべき敵手の意識は既になく、しかしまだ確かな呼吸を続けていた。
「は、はは……」
その瞬間に、感じた想いは何と言うべきだろうか。言語化することが難しい程に、種々様々な色が心の中を満たしていく。
無数に錯綜するその感情が、最後に至る情は納得。これで良いのだろうかと言う己の疑問に、これが良いのだと己の心が告げていた。
国を守ろうとして、しかし外道に堕ちた大邪仙。その野望は己が守ろうとした国で育った子どもに、否定されて終わる砕け散る。後はめでたしめでたしで、それで終わって良いだろう。
「あー、つっかれたぁー。くっそ、強ぇにも程があんだろ。ふっざけんなぁ」
笑顔で毒吐きながら、大の字になって寝そべり空を見上げる。空を明るく照らす太陽は、己のこれからを祝福しているかのようで。
ああ、これからどうしよう。そんな風にも思うけど、今は唯浸っていたくもあった。だからこそ、その存在は少しだけ邪魔に感じてしまう。
「やったー、勝ったー! 絆の勝利だニャー!」
「くそ、痛ぇんだよ!? 引っ付くんじゃねぇ、こらー!!」
勝利の喜びを隠さずに、抱き着いて来るヒルダを如何にか遠ざける。触れられれば全身が痛いし、そのテンションに付いていくのは大変だ。だから少しだけ鬱陶しくて、ああけれどそれ以上にも思うから。
「……あんがとよ。一緒に居てくれて、助かった」
「ほぇ?」
腹筋を使って起き上がり、片手で顔を掴んで遠ざけた。そんな少女に向かって、顔を背けたまま伝える。感謝しているのは、彼女に対してだけじゃない。
共に居た少年にも、猫の師匠にも、ウルは確かに感謝している。彼らが居なければ、誰か一人でも欠けていたら、きっとこの結果には辿り着かなかっただろうから。
(俺は、独りじゃない。だから、勝てたんだ)
そうとも、ウルは多くの者に助けられて此処に来た。きっと一人では、何処かで膝を付いていただろう。そうと分かっていればこそ、感謝の想いはとても大きい。
けれど思春期前の少年だから、素直に言うのはほんの少しだけ恥ずかしくて。だから顔を背けたウルの姿に、ヒルダはニヤニヤとした笑みを浮かべて言うのだ。
「ほっほーう。何時になく素直じゃないの、ウル。はっはーん、さてはツンデレってやつだニャ。もっと素直になって、お姉さんのことを褒め称えても良いのだよー」
「……前言撤回。別にお前居なくても何とかなったわ。一番活躍してねーし」
「なにをーっ!?」
少し褒めれば直ぐ調子に乗るヒルダの姿に、嘆息を漏らして悪口雑言を返すウル。売り言葉に買い言葉でヒートアップしていく会話を後目に、マオは小さく目を細める。
元気な子ども達とは違って今にも気絶しそうな程に疲れ切っている女であるが、それでもまだやるべきことがある。そう思うからこそ彼女は、倒れた邪仙の傍らに腰掛けた。
止めを刺す為に、ではない。後の世を考えるのならば、そうするべきなのかもしれないが。そんな迷いを酒杯に注いだ般若湯にて洗い流して、息を吐いた後に彼女は問う。
「……なぁ、徳。アンタ、何を守りたかったんだろうねぇ」
国を守ると語った彼は、本当に最初から国だけを守りたかったのか。いいやきっと違うのだろうと、堕ちるより前の邪仙の姿を知る彼女は思う。
守りたかったのは人なのに、多くを守る為には国が必要だった。だから大の為に小を切り捨てて、気付けば何時しか目的と手段が逆転していた。きっと唯、それだけのことだったのだろう。
唯それだけのことを繰り返して、徳壊は後に退けなくなった。進み続けたその先で、心は鈍化し腐っていった。結果が今の彼なのだろうと、そんな事実に悲しいものだと酒を呷る。
「私はさ、思うよ。守るべきものってのはさ、国とか大義とか、そんなでっかいものにするべきじゃない。だってさ、そんなもん。目に見えないじゃないか」
より多くをと求めれば、見えないものを目指してしまう。きっとそれがいけないのだと、マオは今になって思う。見えないものを、見続けるなんて出来ないと。
そうとも、守るべきなのは、見えるものにするべきだ。こうして目の前で騒いでいる子どもたちの笑顔のように、見る度に胸を温かくしてくれるものにするべきだ。
だってそうだろう。見えるものなら、見ようとせずとも目に入る。そうする度に最初の想いを取り戻すことが出来たのなら、きっとこんなにも堕ち切ってしまうことはなかった筈だから。
「……アンタもきっと、やり直せる。その気があるなら、姉貴分として付き合ってやっても良いさね」
「…………」
返事はない。意識がないのだから当然で、そもそもこの言葉は届いていないのだろう。だとしても、それで良いのだとも思う。素直に届けてあげるには、彼は罪を犯し過ぎたから。
もしも奇跡があるとするなら、その時は。その程度で、良いのだろう。その程度でさえもきっと、今の彼には過ぎた救いであるだろうから。結局これは、捨て切れない情の話でしかない。
「はっ、らしくないことを言ったね。聞こえてないなら、忘れちまいな」
立ち上がって、尻に付いた埃を払って、マオはまだ喧嘩を続ける少年少女の下へと。喉を潤す酒杯の味は、何時になく透き通っていて、旨いと彼女は小さく笑った。
かくして、戦いは終わる。されどまだ、為すべき始末は残っていよう。徳壊が倒れたことを感じ取り、逃げ出し始めた妖魔達の退治もその一つか。
これから先、大陸は大きく荒れるであろう。邪道であれ、悪逆であれ、この地を守っていたのは徳壊だ。彼が倒れたことを知れば列強各国は、挙って蠢動を始めるだろう。
この国が待つ未来は、正直暗くて寒いであろう。ウル達が為した理由は私の物で、公の事情などは考えてなどいなかったから。だがだとしても、この今だけは。笑い合って、終わるとしよう。
「……まさか。本当に勝てるとは」
意識を取り戻したニコルは、状況を理解すると同時にそう思う。端から負け戦を覚悟していて、事前の仕込みでそれをひっくり返してみせる。そんな想定だったから。
真っ向からの勝利だなんて、望めやしないと思っていた。徳壊の真の実力を知ってからは、絶対に勝てないとも思ってしまった。だがそれを、彼は打ち破ったのだ。
「ウル。やはり、貴方は」
例え多くの人に助けられた結果であっても、例え望外な幸運や奇跡に恵まれた結果であっても、訪れた結果と言う事実は変わらない。
絶対に勝てないと言う状況で、絶対に諦めないと一念だけで縋り付いて、果てにはその絶対を覆す。それが、ウルムナフ・ボルテ・ヒュウガの真なる資質。
ウルムナフは、ウルだった。そんな他者からすれば意味不明な感慨を胸に刻み込みながら、ニコルは綺麗な笑みを浮かべる。彼にしては珍しい程に、澄んだ瞳で憧れを眺めた。
(ニコラス・コンラドでは、こうはいかない。だからこそ、私は――――)
言葉にすれば歯止めが利かなくなるから胸に留めて、ニコルは改めてその想いを確かにする。憧れるから追いたいと、届かせたいから求めるのだと――けれどそれも、まだ先の話。
宿命を遂げたウルに対して、今度はニコルの方が劣っている。実力の面ではない、心の在り方と言う点で。迷い続けている己では、この憧れには届かない。ニコルはそう思うから。
より強くなった、ウルへの憧れ。故に更に肥大化した、力を求めようという執着。半比例するように、心の中で軽くなってしまった愛の価値。
慕情を殺して、光を踏み躙って、それでも決着を優先するのか。憧れを忘れて、光を遠ざけて、それでも愛することは出来たのだと誇りを抱いて終わるのか。選択の時は、近付いている。
(さて、と。では一つ、道化芝居を始めましょうか)
微笑みを浮かべたまま、体が痛まないようにゆっくりと上体を起こす。まだ騒いでいる3人組の視界に入って、懐から取り出した懐中時計を確認する。
丁度良い時間になっている。それを確認した後でニコルは、何かに気付いたようにわざとらしい声を上げる。周囲の視線が向けられた事を確認してから、誤魔化すように笑って言った。
「そう言えば、言い忘れていたのですが」
「あ? 何だよ、ニコル」
懐に時計を閉まってから、立ち上がって裾の埃を払う。そうしてから転移のコインを取り出すニコルに、ウルやヒルダははてな顔。
一体何をしているのだろうかと、聞く前に何となく察したのはマオだけ。長い時を生きたこの猫妖には、何だか嫌な予感がしていた。
「実は侵入した直後に、ちょっとした仕込みをしていまして。まぁ、爆弾なんですが」
「へー、爆弾。え、爆弾?」
「ええ、原子番号92番を利用した戦術級の爆弾です。徳壊に勝てるとは思っていなかったので、ある程度消耗させた所で退いてからこの塔ごと消し飛ばそうかと」
「うっわー。相変わらず腹黒にゃ、コイツ」
そんな空気の中でニコルが語るのは、決戦前に考えていた勝利への道。先ずは適度な所で負けてから逃げ出して、相手が油断し切った所で物理的に消し飛ばそうと言う外道の策。
実際、西法師の助言が無ければニコルはそうしていただろう。ウルが継承した力で善戦している状況から、可能な限り徳壊を削って逃げ延びる。後は相手が寝入った頃に、塔と上海を地図から消すのだ。
だが相手は、世界滅亡級の暗黒天体すら防ぎ切った大邪仙。或いはそれでも通じなかったかもしれないと、今のニコルはそう思っている。
しかし思ってはいても準備していたという事実は変わらないし、今更に解除出来るような物ではないと言うのも揺るがない現実であったりする。
「で、因みに原子番号92番って何? 美味しいの? 食えんの?」
「食べられませんよ。別名をウランと言うのですが、まあ、爆発すれば、中々素敵な結果となるかと」
笑顔で語るニコルが仕掛けた爆薬の量は、63.5Kg。この量は実に、後の世界大戦において広島に投下された核爆弾と同等である。
「あのさ、それ。解除出来るのかい?」
「いえ、出来ません。なので私は逃げます。ああ、皆さんも急がれた方がよろしいかと。起爆まで後3分もありませんから」
ではさようならと、良い笑顔で虚空に消えていくニコル。残された三人の顔色は真っ青で、表情も引き攣り切っている。
細かな理解は出来ずとも、徳壊が防ぎ切れない威力で、ニコルが一目散に逃げ出す程に危険な状況だと言うことだけは分かったのだ。
「あ、あんの野郎ぉぉぉぉぉっ!?」
「ぎにゃぁぁぁぁっ!? 爆発オチなんて最低ーーっっ!?」
「言ってる場合かい!? とっとと逃げるんだよぉぉぉぉぉっっ!!」
大慌てで塔を駆け下りていくウルとヒルダ。マオだけは一瞬足を引かれたように立ち止まってから、しかし首を振って駆け下り始める。
人一人背負って逃げ延びる程に、余裕なんてないのだ。ならば此処で死ぬなら、それもきっと裁きの一つであろうと。取り合えず後であの腹黒坊主は絞めるとだけ決めて、彼女も少年少女の後に続いた。
そうして丁度、3分が経過した後――大きなキノコ雲が上海の町外れにて発生する。本来あるべき歴史とは異なる形で、人類史初の第三の火が観測されるのだった。
――1900年6月7日、中国は上海――
邪仙の手によって、妖魔の蔓延る魔都と化していた上海。徳壊の敗北と直後に起きた大爆発により、徘徊していた狐狸妖怪は逃げ出した後。
生き延びた人々はまるで悪夢でも見ていたかのように、その程度で終わっている。屍人や被害者達の残骸は、事前に送り込まれていた人員の手で処理されていた。
今の上海で最も幅を利かせているのは、ニコルが手配していたサピエンテス・グラディオの手勢であろう。直接情報を得られていた彼らは、最も早くに動けている。
だが他の勢力が遅れを取ったかと言えばそうではなく、舞鬼と言う懐刀が落ちた時点で大きな動きがあると察していた各国は即座に人員を増やしていた。故に上海は、また異なる形で魔都となる。
「死ぬかと思ったにゃ。マジで」
「大袈裟ですねぇ。傀骸塔の外に結界も張ってありましたし、少し離れれば被害なんてなかった筈ですが」
「んな問題じゃねぇんだよ。分かる? 背中の直ぐ後ろで、キノコ雲が発生した時の恐怖。振り返ったら、でけぇ塔が跡形もなくなってたんだぜ」
そんな上海の地に新たに作られた、サピエンテス・グラディオ亜細亜支部の一室。倒壊しかけた宿屋を買い取り、簡易に整備されただけのその部屋に3人は居た。
大きなベッドが一つと、ソファが一つ。3人で過ごすには狭い部屋だが、まだ決戦が明けた日の夜。一晩も経っていない現状では、上等に過ぎる寝室と言えるだろう。
「しかし、皆さんは繊細ですねぇ。あのマオさんですら、小言が煩かった程ですし」
「いや、小言で済ませただけでも、姐さんの器デケェって思うニャ」
決戦が終わり、大爆発から逃げて来たウル一行。先に上海に着いて復興指示を出していたニコルに案内されるまま、辿り着いたのがこの小さな支部。
部屋に辿り着くやいなやに始まったマオの叱責は、肉球を用いた体罰を挟んで、日が暮れるまで続いた。そしてそれが終わると同時に、彼女はこの地を後にしたのだ。
「ほんっと、サッパリしてるわ。小言を言うだけ言ったら、じゃあなってどっか行っちまうんだもんな」
「姐さんってば、何処に行く気なのかニャ」
「さあ、どうでしょうね。気紛れな御仁ですから、新大陸でも目指しているかもしれませんよ」
徳壊を止める。ウルを見届ける。やるべきことをやったのだから、もう一緒に居る理由もない。そんな風に割り切った女傑は、別れの言葉も真面に言わずに立ち去った。
きっと多くの想いを胸に抱えて、しかしそれを表に出すようなことはなく。今も酒杯を片手に新たな土地を、渡り歩いているのだろう。多くの出会いと、多くの別れを繰り返しながら。
「ともあれ、これで全てがお終いです。私の目的も、ちゃんと果たせましたからね」
そう。出会いがあれば、別れも来る。この地を去るのはマオだけではなく、ニコルやヒルダも同じくだろう。
彼らにも彼らの事情があって、そしてそれは終わってしまった。だから別れが迫っていると、ウルも確かに感じ取る。
「そういや、聞いてなかったっけ? お前ら、何しにこっちに来てたんだよ」
「ふっふーん。ヒルダちゃんに興味があると? 聞いて驚け見てビビれ――」
「あ、いや、お前はいいや。どうせ唯の賑やかしだろうし」
「何を!?」
そんな思いを誤魔化すように、馬鹿を言って喧嘩をする。この時間ももう長くはないのだろうと、だから1分1秒を大切に。
「とある貴書を探していたのですよ。徳壊が持つと言う話をとある筋から聞きまして。ヒルダ、首尾はどうですか?」
「ニャーハッハッハ! このマジカル美少女ヒルダちゃんに、手抜かりはないニャよ。はい、これ!」
ニコルが問えば、笑ってヒルダは胸元から薄い本を一つ取り出す。何処か艶めかしい仕草をしているが、返る少年の反応は失笑。
ムッとしながらも素直に渡すヒルダから、ニコルは微笑んで書を受け取る。そう、上海天国と言う既に絶版している稀少な本を――
「違うわっ!!」
「ぎニャっ!?」
受け取り即座に投げ返す。常の慇懃無礼な態度すらもかなぐり捨てて、魔力で強化されたエロ本はヒルダの額に突き刺さった。
おおうと頭を抱えて苦しむ美少女に、少年達が憐みの視線を向けることもない。とっとと出せと急かすニコルに、ヒルダは仕方がないなともう一冊の本を取り出す。
「うげ、気色悪。んだよ、その本」
「懐で温める前から、何か温かったニャ。それ」
「まあ、人の生皮を剥いで作った表紙ですから。……おや、これはまだ生きてますね。成程、剥いだ皮膚だけで活かす為に、材料となった人間の魂も書に封じているのですか」
『げぇ、気色悪っ!? なに、その本っ!?』
ニコルの手にある異質な本は、教会は法王庁から盗み出された3冊の書の1つ。人を材料として作り出された魔本は、見ているだけで他者を不快にさせる禁断の書。
名を、バルスの断章。星の地脈を操り、星の守護者と言うべき古神を目覚めさせる秘術についてが記された物。アルバートから徳壊の手に渡ったそれが今、ニコルの下にやって来たのだ。
「同じ肌色なら、エロ本の方がよっぽど生産的だとヒルダちゃんは思うニャ。エロだけに」
「……なあ、それどんな本なの?」
「おや、ウルも魔導書に興味が? 実はこのバルスの断章は――」
「いや、そっちじゃなくて、その……」
「二次性徴も迎えてないガキんちょ共には、エロ本の良さは分からないかー。しょうがないから、ロジャーのじっちゃんへのお土産にするニャ」
「……いや、その、俺は気になるって言うか。先っちょ、先っちょだけ見たい」
エロ本で盛り上がる低脳2名に、嘆かわしいと息を吐いてから魔導書に目を通すニコル。騒がしいそんな時間が過ぎて暫く、ウルは漸くにその言葉を口にした。
「なぁ、ニコル。……お前ら、もうロシアに帰るのかよ」
「先ずはイギリスですかね。そちらでやるべきことが残ってますので」
「ヒルダちゃんも、勿論付いて行くにゃ」
「…………そうかよ」
返事を聞いて、本当に終わってしまうのだなと。ウルは少しだけ、本当に少しだけ、寂しくなった。
もっと一緒に居たいのだと、素直になれれば良かったのだが。強がってしまうのが、ウルムナフと言う少年だ。
「ふふーん。だったらウルも付いてくるかにゃ?」
「………………あー、それも良いかもしれねぇなぁ」
ヒルダの冗談めかした勧誘に、ウルは本気で悩んでしまう。ウルは既に、宿命を終えた後。ならば彼らと共に、旅立つのも良いのではないかと。
きっとそれは楽しいだろう。腹黒なライバルと、可変型の友人と、共に過ごす時間は幸せな色をしていると思う。だからそれも良いとは、確かに思うのだけれど。
この国はきっと、これから荒れる。上海に入り込んだ各国の勢力による争いは、きっと大きな被害を齎す。徳壊と言う重しが消えた対価は大きい。ならばウルには、勝者としての義務がある。
今頃は武漢から、こちらに向かって来ている陣と秋華。大連に戻って、漸くに幸せを得た麗々。そんな彼らも、激動の時代に飲み込まれる。そのままならば消え行く誰かの幸福を、ウルなら守れるかもしれない。
「いや、やめとく」
だから、ウルはそう決めた。けれどそうと決めたのは、義務や守護の意思だけが理由じゃない。もう一つ、きっとこれが一番大きな理由であろう。
ニコルと居るのは楽しい。ヒルダと居るのは楽しい。2人の仲間と共に過ごせば、きっと自分は依存してしまう。だってウルには、もう目的がなかったから。
勝者の義務を果たさずに、守護の決意も投げ出して、楽に逃げれば己はきっと徳壊のように腐っていく。それは嫌だ。それだけは嫌だと、確かに心の底から思えた。
「おや、よろしいので?」
「ああ、お前らと居るのは楽しいけどよ。それだけじゃ、いけねぇだろ」
ああ、そうだ。どれ程に言い連ねた所で、根本の理由は単純だ。甘えたくはない、負けたくはないのだ。この好敵手とは、ずっと対等で居たい。
仲間として同じ道を歩くのならば、胸に誇れる何かが必要だ。そして今のウルの中には、まだ形を成している物がない。だから今は、此処で別れることにする。
新たな目的を見つけ出そう。胸を晴れる何かを見つけ出そう。ウルと言う少年は漸くに、最初の一歩を踏み出したばかり。ならばきっと、見つけ出せる筈だから。
「俺はこの国で、適当に過ごすさ。陣のおっさんにでも、用心棒の仕事でも貰ったりしながらさ」
「そうですか。まぁ、貴方が決めたなら、そうされるのがよろしいかと」
「そっかー。ちょっと寂しくなるにゃね」
「ま、これが今生の別れって訳でもねーだろ」
だから、今はこれで最後。明日の朝には、それぞれが別の道へと。共に向かう前途の先で、きっと笑顔の再会を迎える為に。
「また、会おうぜ。次に会う時は、互いに胸を張ってよ」
「……ええ、それも良いでしょう」
そんなウルの言葉に、何時になく儚い笑みを浮かべるニコル。その表情に疑問を抱いて、直後にウルは幻視する。高められたその霊力は、まだ微かに残っていたから。
一瞬、幻視した未来。見たこともない銀髪の女と共に、明日を求めて戦う自分の姿。そしてそんなウルの前に立つのは、皇帝の衣を纏った好敵手。
何もかもを失って、それでも立ち止まることが出来なくて、だから決着を付ける他に道はない。そんな空の玉座に腰掛ける男と、明日を賭けて戦う夢。
そう、夢だ。唯の白昼夢でしかない。だから一瞬後には、何を見たのかすら忘れてしまう。僅かな眩暈に瞳を閉じて、目を開けばもうお終い。そんな夢など、忘れてしまった。
「んじゃ、最後の夜だし、派手に遊んで過ごすにゃ! お前ら、寝れると思うなよ♪」
けれど何となく、思ってしまった。きっと一緒に笑い会えるのは、これが最後なのではないかと。だからこそ、その最後の時を大切に。ずっと胸に刻んでいく。
「ふむ。上がりですね」
「なぬっ!?」
「てか、ニコル強過ぎだろ。イカサマしてるんじゃねぇだろうなっ!?」
「まさか。単純な運の差でしょう。因みに参考までにですが、イカサマはバレなければイカサマではないんですよ」
「やってんじゃねーかよ、おい!?」
夕食を済ませてから直ぐに、色々な遊びをして同じ時を過ごした。この国では有名ではないゲームを幾つも、ウルにとっては初めての経験ばかりであった。それもまた、大切な記憶。
「ほーら、喜べ野郎共ー、上海天国の御開帳ニャ!」
「うお、マジでやべぇ。すげぇな、おい」
「語彙力、無くしてますよ。後、これをあの徳壊が持っていたかと思うと、何というか、その、複雑な気分になりますね。今の彼は大物でしたから、何と言うか余計に。……ああ、これがアルバートが抱いていた感情か」
傀骸塔から盗んで来た上海天国をベッドの上に広げるヒルダ。恥じらいなど欠片も感じぬ行いに、興味津々なウルは本に夢中となる。ニコルは何処か遠い目をして、新たな悟りを手にしていた。そんな馬鹿げたやり取りも、きっと大切な記憶となる。
「流石に眠いニャ」
「ってか今何時だよ」
「ふむ。まだ3時ですね」
「んじゃ、寝るかー」
「おい、徹夜で騒ぐんじゃねぇのかよ」
「知らんニャー。川の字で寝るニャー。うふ、ヒルダちゃんハーレム♪ 私に惚れると火傷するぜぃ」
「ねーわ。俺、ソファ」
「ええ、ありえませんね。取り合えず私がベッドを使うので、ヒルダは廊下の床でお願いします」
「酷い!? あんまりニャぁぁぁっ!?」
宣言通りにソファで横になるウルに、ベッドを我が物顔で独占するニコル。桃色の蝙蝠に変えられて、廊下に投げ捨てられたヒルダ。
そんなやり取りを繰り広げながら、夜は静かに過ぎていく。そうして余りにもあっさりと、次の朝が訪れた。だからせめて、笑顔で別れようとするのである。
「またね!」
「また会いましょう」
「ああ、またなっ!!」
揺らぐ瞳に、気付かれることはなかっただろうか。少しだけ不安になりながらも、ウルは去っていく二人の背中を見送る。
また何時か、笑顔で会えることに期待して――――こうして亜細亜を舞台とした宿命の物語は、一度の閉幕を迎えるのであった。
ウルの出番は暫くお休み。
亜細亜編も、あと1話で終了です。
今後のストーリー展開は次の内どれが良いですか?
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ヒロインは一人。純愛ルート。
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ヒロイン複数。ハーレムルート。
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ヒロインは甘え。求道者ルート。
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ウルと二人で漢祭りルート。
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宿命の兄妹対決! ニコルとアナスタシア!