憑依転生失敗話   作:天狗道の射干

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上げて、落とす。たーのしー。


第6話 微睡の対価

 ベッド脇にある小さな机の上に置かれた香炉から、溢れて白い部屋を満たす香りは2種の香油を混ぜて炊いた物

 マリンオイルとムーンオイル。この二種を選んだのは、女の確かな気遣いだろう。優しい香りを嗅いでいると、身体の疲れが抜けて行くのをニコルは感じた。

 

 白い部屋にある、白い大きなベッド。清潔感溢れるこの場所は、サピエンテス・グラディオは伊太利亜支部の救護室。

 

 まるで重度の入院患者の如く、ニコルはそのベッドに拘束されている。一見して非人道的な行為だが、そうされるのも仕方がない事なのだろう。

 ニコルは見た目こそ既に万全のようにも見えるが、その内側は今も酷いと言うのも憚られる程の惨状であるのだから。

 

 骨や臓器が露出した時、無理に回復魔法で癒した事が悪かったらしい。骨は折れて肉に刺さったまま、周囲の血肉が治ってしまった。初級魔法(キュア)の治癒では、それが限界だった。

 その影響で手足の骨はおかしな形で癒着して、つい数時間前まで肉に刺さり続けていた始末。臓腑もズレたまま治した所為で、一部は機能していないと言う有様だった。

 

 そんな状態でも自分で動こうとするのだから、全く以って手に負えない。医者が匙を投げ掛けて、保護者を気取る女が強引に拘束したのも無理はない事であろう。

 

「全く、無茶をして! アンタ、下手したら一生もんの傷が残る所だったんだよ!」

 

 ベッド脇にある椅子に腰掛けた、ふくよかな体形の女が怒鳴る。目の下に深い隈を刻んだ初老の女は、名をカルラと言う。ニコルが回収されてから早三日、彼女は終始変わらず不機嫌であった。

 

 そんなカルラはふとした時に、こうして思い出したかのように小言を口にする。三日三晩寝ずに看病してくれている相手であるから、そして師弟と言う恩義もあるからニコルも余り言い返せない。

 

「……反省はしています。ですから、そろそろ勘弁して頂きたいのですが」

 

 反省しているのは本当だ。心配を掛けたと言うのは、戻って来て直ぐに涙目のカルラに抱き締められた事で実感した。

 一年間寝食を共にしただけで、こんなにも大切になっていたのかと。緩みそうになる涙腺に耐えながら、ニコルはされるがままで居た。

 

 案ずるカルラの手で医務室に運び込まれて、直ぐにニコルの状態に気付ける程に優秀なスタッフが居たのは実に幸運だった。

 後遺症を残さぬ為に、外科的な手術を。再度血肉を開いて臓器や骨を正しい形に戻してから、治療の魔法で傷を塞ぐ。医学と魔術の融合とでも言うべき、最先端の医療を受けられたのだから。

 

 そうして、三日だ。まだ身体が馴染んでいないとは言え、動いても問題がない程度には回復している。

 術前の惨状でも動く事は出来たのだからと、平然とした表情で初日にはベッドを抜け出そうとしていたニコル。しかし当然、保護者であるカルラはそれを許さない。

 手術が終わって直ぐに鍛錬を始めようとする馬鹿者をベッドに縛り付けると、カルラは手ずから寝ずの看護を始めたのだ。終始監視する事で、馬鹿げた無茶が出来ないようにと。

 

「はん。三日四日で勘弁してやるものかい! アンタみたいな馬鹿な子は、此処でしっかり言い聞かせないと何しでかすか分かったもんじゃないからね!」

 

「やれやれ、はぁ。信用がないものだ」

 

 それに文句や意見を言えば、こうして罵声が返って来る。もう五十を過ぎていると言うのに、三徹してこの体力とは元気な物だ。

 ニコルは呆れを超えて感心しながら、同時に諦めと不安を抱く。カルラは倒れた姿の想像すらも出来ない人物だが、それでも唯の人間だから。

 

「分かりました。暫くは休暇と思って、ゆっくりしてますよ。ですから、カルラ師もそろそろ休んでください」

 

「ふん。アンタに体調を心配される程、耄碌した気はないけどね。……まぁ確かに、そろそろ限界かね。少し離れるけど、逃げるんじゃないよ」

 

「逃げませんよ」

 

 彼女の言う通り静かに休んでいるから、彼女にもゆっくりと休んで欲しい。偽りなく語るニコルの言葉を、カルラは鼻を鳴らしながらも受け入れる。

 実際、既に彼女の体力は限界に近かったのだ。ニコルが寝ている間に椅子で仮眠をしていたのだとしても、三日三晩も付き添い続けるのは簡単な事ではない。

 

 ニコルが素直に休むと言うなら、今はそれを受け入れよう。ニコルの手足を縛った紐を解きながら、カルラは一言だけ釘を刺す。

 

「もし逃げたら、次からはルチアとベロニカに下の世話をさせるからね!」

 

「それは勘弁してください!?」

 

 この妙に大人びた少年が、一番嫌がるであろう事。それをさせると語ったカルラに、ニコルは決して抜け出さないと心に誓う。

 他者に下の世話をされると言うだけでも嫌なのに、ルチアやベロニカにされるなど。珍しい玩具の様に、甚振られる未来が目に見えているのだ。

 

 微笑を取り繕えない程に嫌がるニコルの表情に、これなら逃げ出さないかとカルラも頷く。そうして彼女は、医務室の出口に向かった。

 

「ああ、あと、食事は後で作った物を運ばせるから、ちゃんと食べるんだよ」

 

「はい。分かりました」

 

「ああ、それと、さっき切った林檎は早めに食べきりな。腕はもう動くんだろう」

 

「ええ、はい。ちゃんと食べますよ」

 

「ああ、けどもう直ぐ夕飯の時間か。余り食べ過ぎたら困るね。幾つか下げておこうかい?」

 

「……いえ、このくらいなら入ります」

 

「ああ、そうかい。ああ、と。そうだ。後で寝てても出来る様な課題を持ってきてあげるよ。ずっとベッドの上だと暇だろう?」

 

「…………はい。ありがとうございます」

 

「ああ、それと。香炉の中身が切れたら私に良いな。上質なマリンオイルとムーンオイルは、もう沢山調合してあるからね」

 

「………………はい。はい。分かりました」

 

「はい、は一度で十分だよ! ああ、そうだ! 着替えについてだけど、後でルチアに運ばせるから、ちゃんと毎日変えるんだよ!」

 

「……………………はい。勿論です」

 

「ああ、それと、着替えだけじゃなくて、ちゃ~んと身体も綺麗にしなきゃダメだよ。不潔にしてると、感染症の危険があるからね。あんまりに汚かったら、裸に剥いて全身拭ってやるから覚悟しときな」

 

「…………………………もう、勘弁してください」

 

 途中何度も振り返り、小言や心配事ばかり口にするカルラ。都度対応していたニコルも、仕舞いには疲れ果てた様に肩を落とす。

 どうにも何と言うべきか。想われているのは素直に有難くはあるが、親戚の様な保護者様な距離感は嫌いではないが苦手であった。

 

「はぁ」

 

 扉の外へとカルラが出た事を確認して、深い深い息を吐く。どっと疲れた、と思った直後に再び扉が勢い良く開いた。

 

「あ、そうだ。忘れる所だった」

 

「まだあるんですか!?」

 

 どれ程に心配性なのだと、頬を引き攣らせるニコル。彼を暖かい瞳で見詰める初老の女は、相好を崩して一つの言葉を投げ掛けた。

 

「言い忘れてたろ? …………おかえり、ニコル」

 

 衝撃だった。その言葉は、“知識”でしか知らない単語。そう言えば初めて言われたのだと、そんな響きにニコルの心は乱れてしまう。

 僅か茫然と自失して、慌てて仮面を被り直した時にはもう居ない。一言だけ掛けて直ぐに、カルラは立ち去っていたから。その事実に、ニコルは寂寥を感じてしまう。

 

「……全く、不意打ちにも程がある。あの人は」

 

 ニコルは思う。自分は恵まれていると。良き人達に出逢えたと、ルチアやベロニカやカルラの存在を思う。

 元は小利口な理屈で考えた事。多くを学ぶ事はきっと無駄にならないから、折角サピエンテス・グラディオに所属するなら彼女からも学んでおこうと。

 

 カルラの占術や調薬技術は、彼女がサピエンテス・グラディオを脱退する迄の間しか学べないから。そんな己の利益を求めて、結び付いただけの関係。

 だが何時からだろうか。きっとそれは、ルチアが家族になると言い出してから。不器用ながらベロニカやカルラも、ニコルを家族と扱い始めた。

 

 だから、なのか。ニコルはこの関係を好んでいる。三人と笑い合う時間が、とても大切に思えていた。

 掌に握る首飾りを思う。握りながらも、開きはしない。その必要はなかったから、今は目を閉じて安らかな眠りの中へ。

 

 

 

 眠りに就こうとしたその時に、病室の扉が三度叩かれる。そう言えばルチアが着替えを持って来るんだったかと、目を開いたニコルは入室を促した。

 

「空いてますよ」

 

「ふむ。では、入らせて貰おう」

 

 だが、返る音は少女の物ではない重低音。ニコルが気付いて起き上がるより前に、医務室の扉が開かれる。

 その向こう側よりゆっくりと近付いて来るのは、赤と金に彩られた豪奢な僧服に身を包んだ男。サピエンテス・グラディオが長、グレゴリオ・ラスプーチン。

 

「ラスプーチン猊下!?」

 

「そのままで良い。元気そうだな、ニコル。何よりの事だ」

 

 立ち上がろうとしたニコルを片手で制し、鷹揚な所作でカルラが座っていた椅子に腰掛けるラスプーチン。

 足を組んで愉しげな視線を向ける顔色の悪い男に向かって、上体を起こしたニコルは常の微笑を浮かべて問い掛けた。

 

「この度は、どのようなご用件で?」

 

「何、死地を超えたばかりのお前の胸中を、お前の口から聞いてみたくなってな」

 

(私の話がもう既に、ロシアにまで届いていたのか? たった三日で? いや、まさか――)

 

 語られる言葉に、ニコルの脳内に疑惑が生じる。電話や魔術的な通信手段があるとは言え、伊太利亜から露西亜まで連絡が行ってからまだ三日。そんな僅かな期間で、一組織のトップが国を渡って来れる物かと。

 

「ご存知、だったのですか? あのような怪物が、あの森には巣食っていると」

 

「無論。私が知らぬとでも思っていたのか?」

 

 故に生じた疑問を問い掛けてみれば、ラスプーチンは鷹揚な態度を崩さす肯定する。その冷たい瞳に、笑みを浮かべたままニコルの思考が凍り付いた。

 

 知っていた事自体は、然程不思議ではない。グレゴリオ・ラスプーチンはこの世界でも最高峰の魔術師であり、ガアプと同じく七十二柱の悪魔を内に宿す者。

 優れた魔術で強者の存在を知覚していたとしても、同胞同士で共鳴していたのだとしても、そのどちらでも頷ける理屈であるからだ。

 

「……知っていて、行かせたのですか。ルチアと、ベロニカも」

 

「そうだな。興味があったのだよ、ニコル。私はお前が圧倒的な強者と相対した時、どうなるか気になったから許可を出した」

 

 問題は唯一つ。知っていて、行かせたと言う事。ラスプーチンの承認と言う実質的な命令が無ければ、ニコルはあの森には決して近付かなかっただろうから。

 一体どういう意図があって、ニコルをガアプに襲わせたのか。ましてや其処に何故、ルチアとベロニカを巻き込ませたのか。ニコルの思考が冷たくなり、ラスプーチンは更に愉しげに笑みを深める。

 

「死んでしまえば、残念だが貴様はその程度の存在だったと言うだけの事。価値のない者に時間を掛け続ける程、私は愚かではない」

 

 ラスプーチンには、そのどす黒い悪意に満ちた意図を隠すと言う心算がない。隠さず告げてしまった方が、面白いと感じているから。

 それはアスモデウスと言う魔王を内包しているが故に、生まれてしまった自殺願望にも似た衝動。例えそれが何時か己の死に繋がり得るのだとしても、この男は今の快楽だけを優先してしまうのだ。

 

「そしてお前は私の期待通り、見事生きて帰って来た。やはり、お前には価値がある」

 

(玩具としての、ですか)

 

「そうだ。お前は面白い玩具だよ、ニコル」

 

 だがラスプーチンは自滅の衝動があるからと、それだけで致命の隙を晒してくれる様な男ではない。

 例え面白い玩具だと愉しんでいても、それが危険であると悟れば使い方を確かに調べる。その程度には、冴えた男であるから――ニコルの思考さえも、既に読まれていた。

 

(心を読まれた!? 魔術か、不味い!?)

 

「何が不味いのか。今は指摘しないでいてやろう。その方が、面白そうだ」

 

 息が掛かる程の距離で、瞳を覗いてラスプーチンは嗤う。この歪な記憶を持つニコルと言う少年の、其処が限界だと蔑む様に。

 ゲームの情報だけでその全てが知れる程、魔術の世界と言うのは浅くない。人の心や記憶を暴く魔術は当然存在しており、ラスプーチンがこの異質な少年にそれを行わない理由もないのだ。

 

 無論、全てが暴けた訳ではない。当然魔術にも限界があり、知れたのはニコルの思考と直近で起きるであろう原作知識の一部情報。欠片に過ぎない知識であるが、それだけでもラスプーチンには十分過ぎた。

 

「それで、ニコル。先の問いへの、答えを聞こうか」

 

「……死ぬかと、思いましたよ」

 

「ふむ。それで?」

 

「ですが、生き延びた。少しは自信にも、なりました」

 

「……それだけか」

 

「ええ、それだけです」

 

「詰まらん。実に凡庸な言葉だな、ニコル」

 

「得てして世の事柄とは、その様に凡庸な物なのでは? ラスプーチン猊下」

 

「ふん、抜かせ」

 

 これ以上無理に暴こうとすれば、ニコルの心が壊れてしまおう。それは些か勿体無いと、ラスプーチンは魔術の行使を止める。

 

 心を土足で踏み躙られて、疲弊しながらも笑顔の仮面で飄々とした言葉を返すニコル。

 その知識を危険とラスプーチンは知りながらも、こんなにも面白い玩具を処分する心算はまだなかった。

 だから荒い呼吸を隠すニコルに向かって、ラスプーチンは悪意に満ちた言葉だけを投げ掛ける。壊し過ぎない程度に、この玩具で遊ぶ為。

 

「しかし、家族の絆、か。そんなにも母が恋しいか? 今の居場所に、欠けた家族を求めるか? なぁ、ニコル?」

 

「……さて、何の事でしょう」

 

「隠し通せる心算か? まあ、それも良かろう。……だが、お前に家族の情(ソレ)は必要ない。それはお前と言う刃を、鈍らせ腐らせるだけの物と知れ」

 

「一応、心には留めておきましょう」

 

「私はな、お前に目を掛けているのだ。その異界の知識だけではなく、お前自身の存在に」

 

 心を暴かれた時から、言葉と態度は何処か慇懃無礼な形に。開き直ったニコルの姿に、ラスプーチンは嗤う。

 そうして、立ち上がる。裾の長い衣をマントの様に靡かせながら振り返り、ニコルに背を向けると彼は告げた。

 

「故に、今は暫し休め。そして復調したら、ロシアに来い。私自ら、秘術を幾つか教えてやる」

 

「…………はっ」

 

 それは今の居心地の良い場所から、ニコルを遠ざける為の言葉。まだガアプにも届かなかったニコルでは、それ以上の怪物であるラスプーチンには逆らえない。だから言われるがままに従う。一生の別れではないのだからと。

 

 そんなニコルの考えは、しかし余りに甘い物。司教が語るように、温かな情に甘えて鈍っている。

 過去にラスプーチンと対峙していた時のニコルならば、既に気付けていた筈だった。グレゴリオ・ラスプーチンに目を掛けられると言う事が、一体どういう意味を持つのかと言う事に。

 

「ああ、それとだ。先の一件で、ベロニカはもう十分だろうと判断した。あれは既に、任務を与えても熟せるだけの実力を有していると」

 

 扉へ向かうラスプーチンは、まるで世間話を語るかの如くに振り返らず告げる。ベロニカの初任務と聞いて、ニコルの脳裏に嫌な思考が僅か過ぎった。

 

「イタリアが今、エチオピアと争っているのは知っているな? 年末にも陸軍の追撃が予定されていて、派遣される兵力はこのまま通せばエチオピアが成す術なく敗れるであろう程の大戦力だ」

 

 グレゴリオ・ラスプーチンが望むのは、露西亜の革命と簒奪。世界有数の大国を手に、その軍事力で各国を支配しようと言う野望。

 魔王アスモデウスが望むのは、多くの人々の嘆きと苦痛と絶望の叫び。ラスプーチンが世界を獲る為に起こす戦場で、多くの民が死ぬ事こそがその願望。

 

 どちらの意志も一致している。このまま戦争が泥沼化し、多大な流血を流してくれることを。伊太利亜と言う国家の弱体こそを、彼は望んでいたのである。

 

「それでは困る。もう少し、イタリアには疲弊して貰わなければならない。その為に、だ。幾人かの軍事将校には消えて貰う事にした。故にベロニカに、それを命じた」

 

「……何故、それを私に」

 

「気にしていると、思ったからだ。家族ごっこは楽しかったのだろう、ニコル? もう出来ないとなれば、教えてやるのが師の情と言う物」

 

 振り返り、嗤う。ラスプーチンは既に知っていた。直近の物に限るが、原作知識の一部を彼も手に入れていたが故に。

 ニコルは内心で動揺する。ラスプーチンの悪意に、彼は漸く気付いた。気付いたとしても、もうどうしようもないその悪意に。

 

「ベロニカには、カルラを付ける。この意味が分かるな、ニコル? お前の持つ知識の通りに、物事を運んでやるとしよう」

 

「それは――っ!?」

 

 原作において、カルラはルチアを連れてサピエンテス・グラディオから逃げ出している。その切っ掛けは教え子であるベロニカが、上からの指示で起こした惨殺事件。

 最初は知っていて、どうでも良いと放っていた。次第と大切になる中で、どうにかしようと思考を変えた。対処法は浮かばないが、せめて絆が壊れてしまわぬ様にと。

 

「キヒヒ。ベロニカには、出来る限り残忍に殺す様に命じてある。私怨を晴らすかの如き行いで、敵国の手による攻撃だと誤認させる為にとな。カルラには何も話していないが、さて――お前はどのような、壊れ方をすると思う?」

 

 だが、それをこの男は最悪の形で踏み躙った。敢えて殺し方まで指定して命じたと言う事は、徹底的に彼女達の絆を壊し尽くす心算なのだろう。

 あの暖かな時間が失われる。あの優しい居場所がなくなってしまう。カルラはベロニカを怖れ、ベロニカはカルラを恨む。そんな関係に、この男が変えるのだ。

 

「ラスプーチン!」

 

「どうしたニコル? 何を怒る? ああ、そうか。()()()()()()()()()()事か? そうだな、彼の日と同じだ。お前は弱い。お前には何も出来ない。お前はまだ、何も手になど出来ていない! ヒヒ、ヒヒヒ」

 

 湧き上がる怒りに任せてニコルは立ち上がるが、嗤うラスプーチンは揺るがない。彼我には言語に絶する程の、大差が今も存在しているが故。

 アスモデウスの力を少し解き放ち、威圧の意志を織り交ぜ飛ばす。唯それだけでニコルの顔色は真っ白に染まり、呼吸さえもままならなくなってしまう。

 

「今は休めよ、なぁニコル! 何も出来ないお前は、其処にいろ! 下らん情が壊れる瞬間を、指を咥えて眺めていろ! ヒヒ、キヒヒ、ヒーヒッヒッ!」

 

 壊されていく。母を失ってから、手に入れた筈の居場所が。悪魔の玩具に過ぎない少年には、そんな物を持つ資格などはないのだと言わんばかりに。

 気紛れで人の心を踏み躙った怪物は、嗤いながら立ち去って行く。その姿が消えるまで呼吸も出来なかったニコルには、崩壊を食い止める術など一つもなかった。

 

「くそっ! 私はっ!? 分かって、いたのに! どうして!?」

 

 一人残されたニコルは苛立つ様に、小さな拳を己の膝に叩き付ける。多少の痛みしか感じぬ程に、その拳はまだ弱く儚い。

 どうして弱いと知りながら、何もしようとしなかったのか。何もして来なかったのならば当然、その手の中には何も残らないのだ。

 

「……母さん」

 

 癇癪を起した様に幾度も暴れて、疲れ果てると同時に理解する。首飾りを握り締め、蓋を開いて写真を見詰めた。

 映る母の表情は、何時もの様に優しさに満ちていたから。己の空虚さを、より強く実感する。己の弱さが、どうしようもない程に憎かった。

 

「まだ何も、何も手に入れられてなかった」

 

 ガアプに勝ったと、喜んでいた己を嘲る。手にしたと思った全てはしかし、春先に残った雪の様に儚く脆い物だったのだと。

 強者を出し抜けたと言う自信は、的外れな傲慢だった。繋げていたと思った家族の絆は、吹けば飛ぶ様な塵の山に過ぎなかった。そんな事、気付いて然るべきだった。

 

 あのラスプーチンが、得体の知れない子どもに利用されるだけで居る訳がない。そんな簡単な事にも気付けなかったのは、心の刃が鈍っていたから。温かな情に甘えていたから、ニコルの掌には何もない。

 

「この掌は、まだ空っぽだった。空っぽだったんだよ、母さん」

 

 頬を熱い物が伝っていく。それを誰にも見せないように俯いて蹲って、手にした首飾りに縋る様に強く強く拳を握り締める。

 弱かった。どうしようもない程に、今はまだ幼く弱かったのだ。そんなニコルは心の底から、強くなりたいと希う。もう何も失わない、高みに辿り着きたいと。強く、強く願うのだった。

 

 

 

 

 




【悲報】グレゴリオ・ラスプーチン、原作知識を手に入れる【残当】

こんなクッソ怪しい子どもを拾って、手元に記憶を読む手段があればこうもなります。
魔法の知識を深く知らぬ所為とは言え、猊下を舐めていたのが憑依ニコル最大の失態です。


~原作キャラ紹介 Part4~
○グレゴリオ・ラスプーチン(登場作品:シャドウハーツ2)
 秘密結社サピエンテス・グラディオのトップ。ロシアの怪僧と呼ばれた同名の人物がモデルの長い髭と髪型が特徴的な人物。
 人類とは思えない肌の色以外は、写真に残る現実のラスプーチンにそっくりな容姿をしている。

 SH1の黒幕であったアルバート・サイモンとその親友であるヨウィス・エイプラハムの弟子。そしてその2人を同時に打ち破った大魔術師。
 300歳を超えるアルバートを僅か数十年で打倒したのだから、相当の才人でもあったのだろうと目される。皇后から絶対の信頼を勝ち取れるだけの魅力も有する。ラスボスでもおかしくはなかった格の持ち主と言える。

 力と権力を司る魔王であるアスモデウスと契約し、圧倒的な力を持つ。その身に纏ったバリアの強度は、初見の主人公達が傷一つ付けられない程。
 反面、融合した魔王に精神を侵されていたのか。作中では合理的とは言えない愚行を多々見せた。企みを暴かれた後、最後には魔王の傀儡と成ってしまう。

 原作でも登場から暫くは、ラスボスの風格とカリスマを見せていた人物。追い詰められると、少し小物臭くなる。猊下、カリスマは家出したのですか!?
 世界を統べる足掛かりとしてロシアを狙っていたが、魔王に取り込まれた後は全てを見境なしに壊し尽くすだけの怪物と成り果てた。そんな典型的な悪役である。

今後のストーリー展開は次の内どれが良いですか?

  • ヒロインは一人。純愛ルート。
  • ヒロイン複数。ハーレムルート。
  • ヒロインは甘え。求道者ルート。
  • ウルと二人で漢祭りルート。
  • 宿命の兄妹対決! ニコルとアナスタシア!
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