母さんは私に言った。
『死なないで』
たった一言。それから言葉を繋ぐ暇もなく、悪魔に殺された。
その原因は、この世界ではよくある戦争。人と悪魔が。時には人同士が争い、望むモノを手に入れる。権利の争い。主張の争い。派閥の争い。それら全てを私は嫌悪する。『争いは何も生まない』なんて言葉があるけども。私の中では嫌悪が生まれた。復讐心が生まれた。敵意が、殺意が……負の感情が溢れ返った。
そんな私をお母さんが見ればどうなるか。まだ13歳の私でも、容易に想像できる。ただそれでも、私は悪魔を許せなかった。争いを憎むことしかできなかった。……今の自分の境遇を、恨まずにはいられなかった。
「あら。これも可愛いわね。やっぱり白い髪に合うわね。赤色のドレスっ」
「…………」
殺意や羞恥心に手を震わせながら、私はされるがままに着替えさせられていた。相手は母親を殺した者と同種である、悪魔──吸血鬼。見た目は幼く、私と同い年くらいでも、その年齢は遥か上。そして、その力も遥か上。
「アナベラ……私の可愛いアナベラ……。似合ってるわ。その美しいドレス……」
その吸血鬼は私の首筋を舐め上げ、誘惑するように耳元で吐息を零す。もはや
「……やめて」
「うーん、どうしようかしら。……いえ。そうね。そろそろ食事の時間だったかしら。なら、また後で楽しみましょ……?」
「……っ」
今私は、吸血鬼擬きとして、本物の吸血鬼である『レミリア・スカーレット』という幼き少女に仕えている。悪魔を嫌う私がどうして吸血鬼に仕えてるか。それは単純なことで──私が悪魔に魅入られてしまったから。
数日前のこと。私の住んでいた街に吸血鬼達が攻め入った。後から聞いた話によると、スカーレット家を含む幾つかの吸血鬼達が食糧確保と拠点確保のため攻め入ったらしい。
結果から言うと、人間の敗北。圧倒的な力の差に何もできず、隣の人間を生け贄に生き延びるしか道は無かった。それでもかなり狭く、細い道で。……助かった人間がいるのかはわからない。ただ、生存競争に負けた人間達に権利などなく。その大半が食糧として連れて行かれた。中には玩具のように弄ばれた人もいる。……後者が、私とお母さんだった。
圧倒的な力の差に抵抗もできない。私の母は、私の目の前で吸血鬼の1人に弄ばれ……私に一言放った後に、死に至った。しかし私にそれを実行するための逃げる力はなく、気付けば地面に横たわっていた。血が流れ、足の感覚が消え、目が霞む。死の間際になるとどうなるかを実感した。
『退きなさい』
そんな声が聞こえたと思う。私は霞む目を凝らして吸血鬼を見た。……はずだったが、そこに私達を弄んだ吸血鬼の姿はなく、代わりに小さな少女が悠々と立っていた。
『大丈夫だった? 私はレミリア。……貴女の名は?』
『あ……アナベラ』
優しく語りかける少女に、私は思わず口にしてしまった。思えばこの時だったのかもしれない。私が大きく、運命という名の道を踏み外してしまったのは。
『そう……。アナベラ、貴女はもう長くない。だから──私が貴女を助けてあげるわ』
助けられたと思ったのも束の間、彼女は私の首に噛みつき──人間としての私は消えた。そこに残ったのは。生き残ってしまったのは、忌み嫌った悪魔──吸血鬼としての私だった。元々金色だった髪も真っ白になり、青い瞳は主と同じ紅色に。……そこに、人間だったアナベラの面影は、少しも残っていなかった。
というわけで、お母さんとの約束を守りはしたものの、情けなくも吸血鬼擬きとしての生を受けることになった私である。一度死の恐怖を味わったせいか、自害しようにも恐ろしくてできぬ。それにお母さんとも約束したんだ。何があっても死ねない。というか怖いし死にたくない。
さて、何故私は嫌った種族の家に過ごしているのか。それには2つ理由があった。1つは何処かに行くあてがないということ。何処に行こうと、吸血鬼擬きとなった私は迫害される。だから私にはここしか居場所はなかった。
「さあ、アナベラ。……いいわよ、食べても」
「っ……」
服をはだけさせ、首筋を露わにするレミリア。私は我慢できずに、その首筋へと噛み付いた。牙で傷付けられた白い肌から、紅い血が零れていく。零れ、滴る血を舌でなぞって掬いとる。口の中は果物のような甘味が広がっていた。
「あぁぁ……っ。いいわ。アナベラ、凄く……いい……っ」
「ぅ、ぅ……っ」
レミリアの嬉々とした声に羞恥心と苛立ちを感じるも、やめることができない。私の身体は、本能的に血を欲していた。
これが、もう1つの理由。私は血を欲する。血に飢え、喉が渇く。それを癒すためには、生き血を吸うしかない。生き血とはもちろん人間の、である。吸血鬼は生き血として判別されないが、例外的に主の血は渇きを癒してくれる。
「うっ……はぁ、っはぁ……」
「アナベラぁ……。もっと、吸っていいのよ? 私は貴女を受け入れてあげるわ……」
これでもか、というほど血を吸ったはずなのに、レミリアは依然として吸血を望んでくる。蠱惑的な表情を浮かべ、誘うように両手を広げている。もはや別の意味で恐怖を感じるほどだ。なんでこんな変態に好かれたんだ私。
「もう、充分……。あなたの血なんて、もう要らない……」
「ふふふ。次も楽しみにしているから、ね?」
冗談でも何でもないのに。冗談と受け取ったのか、彼女は笑みを浮かべ服を着直していた。いや、実際私はこの娘の血が無いと生きていけないから、吸わないという選択肢は無いんだけど。それを知ってるからこそ、笑っていられるのかな。……酷い吸血鬼だ。
「さあ、さっきの続き。しましょう? 赤いドレスもいいんだけど、私とお揃いのものも似合うと思うのよねえ」
「……どうして着替えさせるの?」
さっきからずっと気になってたことを、意を決して聞いてみる。
「あら、分からない?」
「……吸血鬼の思うことなんて、分かるわけない」
「あらあら。貴女だってもう吸血鬼じゃない。……でもいいわ。教えてあげる。可愛い娘にもっと可愛くなってほしい。なんてのは当たり前じゃないかしら。それに……もう貴女は紅魔館の一員なんだから。着飾らないとダメよ?」
「えぇ……」
そう言われても、私はこれ以上誰かに見られたくないんだけど。それでも着飾る必要があるのか。単純にこの人の趣味趣向なんじゃ……。
「あら。変な顔してどうしたの? 貴女は笑った方が可愛いわよ?」
「……ははっ。わろえない」
むしろどうしてこんな状況で笑えるというのか。この吸血鬼、やっぱり人間と感性が大幅にズレているのか。恐ろしい……。
「ん……もう空が明るくなってきたわね。アナベラ、一緒に寝ましょう? もちろん拒否権なんてないわよ?」
「…………」
どうしても首を横に振れない。視線を合わさないよう、頭を下げるしかできない。この吸血鬼は吸血鬼の私にとって親であり、主である。私を巡る血には、そう刻まれたのだ。だからなのか、逆らう気力が削がれている。……もしくは私自身の生への執着か。
「もう、返事をしてくれないと寂しいじゃない」
「……はい、レミリアさん」
「違う、そうじゃないでしょう?」
顎をクイッと持ち上げられ、紅色の瞳が目に入る。それはまるでルビーのようで。人の心を惑わすような魔力が秘められているように感じた。
「『お姉様』よ」
「……はい、お姉様」
「えらい、えらい。アナベラはいい娘ねぇ……」
抱擁されながら、頭を撫でられる。屈辱感を感じる。そして──謎の安心感を得ていた。心が安らぐような。守られているような。そんな安心感。……どうしてそんなものを感じるのか分からない。嫌いな種族の1人のはずなのに。親を殺した奴と、同じ種族なのに……。
「もしかして眠たい? いいわ。寝室まで連れて行ってあげるわね」
「……え? あ、や、やめっ」
「遠慮しないでいいの」
半ば無理矢理抱き上げられ、お姫様のように抱っこされる。身長は差ほど変わらないのに、私を持ち上げられるのは吸血鬼の力があってこそ、だろうか。
「……自分で、歩ける」
「知ってるわよ。たまには甘えなさいな」
「……まだ、来てから数日しか経ってない」
「それも知ってる。アナベラ。もう貴女は家族なのよ。だから遠慮なんてする必要ないの。それにもう着いちゃったわ」
歩いて向かってたはずなのに、いつの間に着いたのか。もう寝室の扉の目の前だった。
「さ、一緒に寝ましょうね」
「……あぅ」
「安心して。悪いようにはしないから。ゆっくりお休みなさい……」
ベッドに寝かされ、隣に吸血鬼が入ってくる。それだけでは飽き足らず、彼女はなだめるように私のお腹に手を置く。そして一定のリズムで優しくた叩き始めた。
「アナベラ、おやすみなさい……」
「…………」
甘く優しい言葉に眠気が誘われる。昼夜が逆転した生活も身体的な変化のせいか、既に慣れてしまっていた。そのせいか、朝になる直前だというのに、私は抵抗することもできず目を瞑った。夢を見ることもなく、ただただ深い、深い眠りについた。
結局のところ、私が願うのは死にたくない。そんなありふれた感情で。例えこの吸血鬼を殺しても居場所なんて無いから、殺す意味が無い。嫌悪はしても、苛立ちを覚えても。生きたいと願う私にとって、ここより安全な場所は存在しない。吸血鬼が私を好む限り、必要以上の衣食住は受けられる。
その恩恵はいつまでもつか分からないが。生きるためには、ここで暮らすしか道は無い。