【書籍発売中】田んぼでエルフ拾った。道にスライム現れた   作:幕霧 映(マクギリス・バエル)

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五話『ただ息をする、人の残骸』

週末。

クシナダが学校に復帰した月曜日から五日が過ぎ、俺の警戒とは裏腹に特に何も起こらず土曜日がやってきた。

チュンチュンと鳴く鳥の声と、朝六時半を指す時計が目に入る。

 

「……休みの日に限って早起きしちゃうの何でだろ」

 

『これってトリビアになりませんか?』とクソみたいな独り言を呟きながら、俺はベッドから降りた。

顔を洗い、右目にカラコンを入れる。

それから着替えてキッチンへ歩いていき、IHのスイッチを入れて上にフライパンを乗せる。そして冷蔵庫から卵を取り出した。

 

「……ん?」

 

しかしその時、ピンポーンという間の抜けたチャイムの音が玄関から聞こえてきた。こんな朝に誰だろうか。

はーい、と返事をしてから、俺は靴をつっかけて玄関のドアを開けるーー

 

「どなた、です、か……」

 

「おはよう"龍人"さん。先週ぶりね」

 

ーードアの先に立っていたのは、俺より少し年上であろう金髪の女性だった。白い帽子を深くかぶり、品の良いドレスに身を包んでいる。

金の睫毛に縁取られた深海色の瞳が、俺の顔を映して嬉しそうに細まった。

 

「第一位、さん……」

 

「あら、貴方なら別に呼び捨てでも構わないのよ……? "彼女"にもそうしていたんでしょう?」

 

くすくす、と口に手を当てて"第一位"ーー東弊 陽葵(とうへい ひまり)は笑う。

……こんな朝から、一体なんの用だ? 特別任務、護衛、討伐命令……思い当たる節がありすぎて、逆に絞れない。

 

「……あの、今日は俺に何の仕事をーー」

 

「仕事じゃないわよ?」

 

「えっ……?」

 

「今からお姉さんと一緒にお出かけしましょう。……もちろん、それだけってわけじゃないけど。少なくとも仕事ではないわ。あなたにとっても、すごーく良いことよ」

 

白くほっそりとした冷たい手に引かれ、俺は玄関の外に出た。ひんやりした空気が頬を撫でる。

よく見れば、家の前には黒いリムジンみたいなのが停まっていた。……これに乗れ、って事か?

 

「お出かけって……どこに?」

 

「秘密」

 

ぱちっ、とウィンクしながら第一位は車の前で手を上げた。すると自動的にドアが開く。タクシーみたいに運転席から扉を開閉できるタイプの作りなのだろうか。

促されるまま車の後部座席に乗り込みながら、俺はそう思った。

 

「さて……目的地に着くまでの間、ちょっとお話しましょうか」

 

エンジン音と共に車が発進し第一位が俺に話し掛けてきた。

綺麗な顔立ちなのに、いつも浮かべている左右で微妙に表情の異なる歪んだ笑みのせいで不気味な印象を受ける。

 

「……はい、第一位さん」

 

「……うーん。ちょっと良くないわね、その呼び名……もっと柔らかい感じが良いわ……そうね、『ひまりん』とかどうかしら?」

 

「東弊さんでお願いします」

 

さらっとドギツイ事を言ってきた第一位に、俺は頬をひきつらせた。こんなキャラだっけこの人。

年上、しかも事実上の上司に『ひまりん』は無いだろ。

 

「もし私と仲良くなりたいなら、東弊さんじゃなくてひまりんと呼ぶべきよ!」

 

「大丈夫です、"東弊さん"」

 

「……あなた実は性格悪いでしょう!?」

 

じぃっ、と恨めしそうに見てくる第一位の視線から逃れるため、俺は必死に窓の外を見ているフリをする。

 

「はぁ……まあ、良いわ。あの騎士に聞いた性格と大分違うわね。もう少しフレンドリーな子だと思っていたんだけれど」

 

溜め息混じりに聞こえた第一位の呟きに、俺はびくっと肩を震わせる。

……こいつ今、"騎士"って言ったか?

 

「……騎士?」

 

「えぇ、少し前に接触したわ……あなたのお師匠なのでしょう? 排殺騎士エリミネーター。現存する最強クラスの異界生命体。もし彼が本気で人類に牙を剥けば……脅威ランクSは下らないでしょうね」

 

ーー第一位は、エリミネーターさんの存在を知っているのか?

首筋からブワっと汗が吹き出る……あの人は確か、討伐対象として図鑑に登録されていた。

 

「……あの人を、どうするんですか?」

 

「どうも出来ないわよ……? 少し前に一度『術式装填』に目を着けて、私が強引に技術顧問として連れて行こうとしたんだけど、油断してたらそっ首ハネ飛ばされそうになってね……危なげ無く勝てそうな"第二位"は何故かエリミネーターと戦いたがらないし。ほんと、どうにも出来ないのよ」

 

『あの技術は欲しかったわ……』と第一位が肩を落としながら言った。

討伐の予定は無いという事実に、俺は思わずほっとする。

 

「……もうすぐ、目的地に着くわね」

 

少しの間を置いてから第一位はぼそりとそう言った。その視線を追ってみると、大きな灰色の建造物がポツンと建っている。

住宅街からは程遠い場所にあるのが何となく原子力発電所を彷彿とさせて、何か危険なモノを扱う施設である事を察した。

 

「さっき言ってた……『俺にとって良いこと』ってなんですか?」

 

俺がそう聞くと……第一位は一瞬だけ、今にも死んでしまいそうなぐらい哀しい顔をした。しかしそれからすぐに、いつもの歪んだ笑みに戻る。

 

「……あのね、それはね」

 

妙に勿体ぶってから、第一位は口を開く。

 

「ーー第二位から貴方に、特級異界生命体……"精霊王"との面会が許可されたのよ」

 

「……え」

 

精霊王ーーつまりは、スティルシア。面会が許可された?

一瞬、理解が追い付かずに硬直する。

急過ぎて実感が沸かない。様々な感情が、激流の如くうねって俺を責め立ててくる。

 

「何故かは知らないけど……彼女にご執心なんでしよ、貴方。第二位から聞いたわよ」

 

淡々とした第一位の言葉で、俺は現実に引き戻された。

……スティルシアは、あそこに居るのか。灰色の建物を見ながら息を呑む。

 

「……さっ、行きましょう」

 

建物の前で車が止まり、ガチャリとドアが開いた。

 

「言っておくけど……彼女を力ずく連れ出そうなんて考えない事ね。長らく面会が許諾されなかったのも、それを危惧した上層部の判断なんだから」

 

「……分かってます」

 

釘を刺してくる第一位に気の無い返事をしながら、俺は建物の入り口に入る。

中に足を踏み入れた途端、雰囲気が変わるのが分かった。『魔力が濃くなった』とでも言うべきか。肌がピリつくような空気感。

 

大賢者と相対した時の威圧感を薄く、雑多にしたみたいな感じだ。

数多くの異世界人がこの施設に収容されているのだろう。

 

「ここに収容されているのは、かなり上位の異界生命体が殆どよ……精霊王はその中でも最上位クラス、収容ユニットは最奥に設置されているわ」

 

スタスタと先を歩く第一位の小さい背中を見つめながら、俺は施設の廊下を歩く。

廊下の壁面にはいくつも鉄製の扉が設置されており、それぞれに『B』とか『A』とかの文字が記されている。恐らくは危険度を表したモノだろう。

 

「……着いたわ」

 

それから数分ほど歩いて、何重ものロックを抜けた先にある扉の前で第一位は立ち止まった。

扉に記された文字はーー脅威ランクSS+。その下部には『Spirits・Road』の英語が彫られている。

 

「開けるわよ」

 

扉の横に付いた、静脈認証用であろうプレートに第一位が手をかざす。すると、互い違いになって噛み合っていた鉄扉が横に開く。

 

「これは……」

 

その先にあったのは予想外に広い空間と、そこに設置された巨大なガラス張りの正方形だった。

ガラスの正方形を囲むようにして無数のレーザーボインタや監視カメラが設置されている。

 

「あそこよ」

 

「……?」

 

その、大きなガラス箱の中心に目的の少女は居た。

以前より少し伸びた白髪を後ろで束ね、椅子に座って本を読んでいる。

魔力を封じる装置なのか、手首には黒いリングが確認できる。

 

片方だけの瞳からは、俺の知る物と比べて深い知性と冷静さを感じた。

同一人物とは思えない。目測でしか無いが精神年齢も上がっているように見える。

 

こちらに気が付く様子は無い。

手に持った本と向き合ったまま、じっとしている。

 

「スティルシア……?」

 

「ミラーガラスだから、向こうから外は見えないわ……今解除するわね」

 

第一位の声と同時に、カシュンという音が鳴ってガラスの透明度が変わったような気がした。

それから少しして、スティルシアは不思議そうな顔をして本から顔を上げる。

 

「……?」

 

無感情な赤い瞳と、視線がかち合った。

しばらくこちらの様子を窺うように見詰めてきていたが、俺が動かずにいると、今度は面倒そうな表情になって口を開く。

 

「……誰だ君は。読書の邪魔だから消えてくれないか?」

 

冷たく言い放ったスティルシアは、もう話す事は無いとばかりに再び本へと目を落とした。

俺はそれに……言い表し様の無い悲しみと悔しさ、そしてーー胸をいっぱいに満たす"懐かしさ"を感じた。

 

「……初めまして、精霊王……さん」

 

俺は真っ直ぐに背筋を伸ばし、出来るだけ感情を表に出さないように心がけながらそう言った。

スティルシアは目元をしかめ、苛立った様子で白いフローリングの床に本を投げ捨てる。

 

「邪魔だと言った筈だが……聞こえなかったかな? ならもう一度だけ言ってやろう。目障りだから消えろ」

 

先程よりも高圧的な声色で言い放たれた言葉に、俺は思わず後ずさりそうになる。……以前とは、まるで別物だ。

スティルシアは確か『記憶を読んだ相手のイメージする自分』に感情移入する事で記憶と人格を保持していると前に言っていた。そして眠るたびにそれを失っているとも。

 

ならばーーこの態度が、スティルシアの()の人格なのだろうか。

俺が一緒に過ごしたあの無邪気な少女の性質の方が実は仮初めで、こちらこそがスティルシア……いや、精霊王の素顔なのだろうか。

 

「精霊王様、あまり彼を無下にしてやらないで下さいませ」

 

何も言えず立ち尽くす俺へ助け船を出すように、第一位がスティルシアにそう言った。床に膝を着き、恭順の姿勢を示しながら。

 

「君は……あぁ、メモに書いてあったよ。この国の戦士どもの元締めか。"半端者"の分際でよくこの私に提言できたものだな。その図太い精神だけは褒めてやろう」

 

鼻で笑いながら(あざけ)ったスティルシアに、第一位の形の良い眉がピクリと震える。

しかし、すぐ平静に戻りながら口を開いた。

 

「ですがーー精霊王様。()()()()()()この青年と親しい仲だったようです」

 

「……ほう」

 

スティルシアの目が、少し細まる。

 

「ここに収容されてからの記録に、そんな男のデータは無いが?」

 

「ええ、ですからこの青年と貴方様が出会ったのはこの施設に入るずっと前になります……そうでしょう? 龍人」

 

こちらを横目で見ながら言われた第一位の言葉に、俺はこくりと頷いた。スティルシアが興味を持ったように俺の方を見てくる。

 

「……君は、龍族か? 少なくともこの世界の人間ではないだろう」

 

「え?」

 

「凄まじく濃い(ドラゴン)の臭いがする……恐らくは"龍王"の血統。随分と人化が上手いようだが、君はこの星の人類との共生を選んだのか?」

 

的外れの事を聞いてくるスティルシアに、俺は思わずポカンとしてしまう。

……龍王? 人化? 何を言っているんだ。

 

「いえ、精霊王様。彼はれっきとした地球人。生まれにも経歴にも不審な点は無い、単なる人間です」

 

「そんな筈はーー……いや、確かに龍属にしては魔力に不純物が多すぎる。大方、強大な龍種の魔核を取り込んだか。よく呑まれなかったな……」

 

顎に手を当ててぶつぶつと呟きながら、スティルシアが思考する。

数秒の間そうしていたが、納得したように唸ってから顔を上げた。

 

「……で、その"自称"以前の私と親しかったとやら君は、今更なんの用でここに来たんだい? 私に何を殺して欲しい? 代償は応相談だ」

 

ほんの少しだけ軟化した口調で、スティルシアが質問してくる。どうやら最低限の発言は許されたらしい。

なんの用で、ここに来たかーー俺はゆっくり深呼吸してから、口を開く。

 

「ーーあなたの顔が、見たかったからです」

 

「……は、ぁ?」

 

狐につままれたような顔で、スティルシアは気の抜けた声を出した。

 

「なんだ、それは……以前の君と私は恋仲だったとでも言うのか? だが少なくとも私は君に全く魅力を感じていない。だから、お互いの精神衛生のためにも帰ったほうがーー」

 

「いえ……恋仲とか、そういうのじゃありませんでした。ただ俺が貴方を大切な人だと思っていただけです」

 

俺の言葉によって、スティルシアの視線が一気に鋭くなった。先程まで『興味なさげ』な程度だったのが、今度は冷たささえ感じる敵意を放っている。

 

「……はぁ。おい東弊。こいつをつまみ出してくれないか? こいつは私と、知り合いなんかじゃない」

 

スティルシアは、溜め息を吐きながらきっぱりと第一位にそう言った。

 

「……なぜ、そう思うのです?」

 

「目を見れば分かる……この男が見ているのは、私じゃないんだ。私を通して他の誰かを見ようとしている。私と見た目が似た誰かと勘違いしているんだろう」

 

「ちがっ……!」

 

「違くないさ。そもそも私は君みたいな真っ当な人間に好かれる性分じゃない。では一応聞いておくが、君と親しかった私に似たエルフは、どんな性格だった?」

 

畳み掛けるようなスティルシアの質問に、俺は言い淀む。確かに今とかつてでは性格やら口調やら全てが別物だからだ。

 

「……馬鹿みたいに明るくて、そそっかしくて……いっつも笑っているような性格でした」

 

「ハッ……見事に私と真逆だな。これでハッキリしたじゃないか。君の知るそいつと私は完全に別物だ。見ての通り、私はそんな天真爛漫な優しい女じゃない。……記憶も魂も枯れ果てた、ただ息をするだけの人の残骸だ」

 

自嘲気に笑ってそう言い、スティルシアは『分かったらもう帰れ、あまりしつこいと私も怒るぞ』と俺を睨み付けた。

 

「……っ」

 

「……はぁ、本当にしつこいヤツだな君は。もしどうしても信じられないならーーそうだな。その、君と親しかったエルフの名前を言ってみると良い。それが私の本当の名前と同じなら君の言い分が正しい事になる。もっとも……私の本名を知っている者なんて、あの馬鹿弟子と魔王ぐらいしかいないがね」

 

最後にそう吐き捨て、スティルシアは再び本を開いて読書を始めてしまった。

……俺は、そんなスティルシアの目を真っ直ぐ見据えて口を開く。

 

「ーースティルシア」

 

「……なに?」

 

「あなたの……いや。お前の名前はスティルシアだ」

 

スティルシアは本から勢いよく顔を上げて驚いたように目を見開き、信じられないという風に口を開閉させる。

 

「なん、で」

 

「……お前は俺の事なんてもう覚えてないだろうし、これから思い出す事も無いだろうけど。俺はお前と過ごした日々を絶対に忘れないから」

 

俺は、そう言い残してからスティルシアの収容ユニットに背を向けた。

 

「さよなら、スティルシア」

 

「っ、あ……」

 

第一位に『もういい』と目配せし、先ほど入ってきた扉へと歩いていく。

そして、重い足取りでそれを潜ろうとしてーー

 

「待って、くれ」

 

ーー今にも消え入りそうな、ひどく震えた声でスティルシアは俺を引き留めた。

 

「……?」

 

「おか、しい、なんで、名前を呼ばれたぐらいで。こんなに胸が痛いんだ。なぜか……絶対に、君を見失ってはならないような気がするんだよ、私の中にいる知らない誰かが、君に『行かないで』ってずっと叫んでるみたいな」

 

ーー俺が振り向くと、スティルシアは先程までとはまるで違う様相だった。

ガラスの壁に手を当てて寄りかかり、ぜぇはぁと肩で息をしながら()()()()()()()()()()

自分でもなぜ泣いているのか分かっていないような、無表情の(むせ)び。

 

「スティル、シア……」

 

「っ……、あのっ、すまない。私が出ていけと言ったのに引き留めて悪かった」

 

目をくしくしと擦って涙を拭きながら、スティルシアが言った。

 

「……ぁあ」

 

俺は、自分の目の底から込み上げてくる熱い物を感じてスティルシアから顔を背けた。

ーー変わってない。こいつの本質は、あの日々から何一つとして変わっていないんだ。

だって今の涙は、いつの日か初めて俺に見せたあの涙と全く同じものだったから。

あんな涙を流せる人間が、本当に冷たい奴な筈が無いのだから。

 

「……()()()。スティルシア」

 

「あぁ……、また、な」

 

俺は再び収容施設の出口へと歩いていき、退室した。

その足取りはーーさっきまでより少しだけ、軽いように感じた。


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