【書籍発売中】田んぼでエルフ拾った。道にスライム現れた   作:幕霧 映(マクギリス・バエル)

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十六話『楽園の天使たち』

室内を充満するブラックコーヒーの香りで、俺は目を覚ました。見慣れた木目の天井だ。

クシナダの創造した小部屋には窓も出入り口も照明も無いが、なぜか程よい明るさと気温が維持されている。謎だ。

ベッドから身をお越し、横を見るとそこにはダイイングチェアに背中を預けたまま寝息を立てるクシナダの姿があった。

 

「こいつも寝るんだな……」

 

あの凄まじい能力を持っていても、半分は人間。睡眠は必要らしい。自分に対して『寝なくても問題ない』とかの現実改変を行うことは無理なんだろうか。無理なんだろうな。寝てるんだから。

 

「んぅ……」

 

クシナダが、小さく身じろぎした。

俺はふと、こいつと出会った時の事を思い出そうとする。

あれは確か一年前ぐらいの事ーー

 

「……あれ」

 

いくら記憶を掘り起こしても、こいつと初対面の記憶が見つからない。

俺とバンダイとクシナダ、気が付けば三人で笑っていてそれが当然だった。喧嘩した記憶なんかも不思議なぐらい全く無い。本当に、楽しい記憶だけ。

 

「スマホ認知症ってやつかな……はは、スティルシアのこと馬鹿にできねぇ」

 

側頭部をとんとん叩きながら俺は苦笑する。明日は神の存在証明との戦いだっていうのに、関係ない事ばかり考えてる。こんなんじゃ駄目だ。

 

「どうなることやら……」

 

そう、明日だ。

明日、俺とクシナダは対異と神の存在証明との戦争に割り込んで、親玉のクリシュタ・マナスを殺さなければならない。

対異が敗北すれば、奴は駆逐官たちの死体……つまり強力な"天使"の素体を大量に手に入れることになる。そうなれば誰もあの怪物を止められなくなるだろう。

 

「……奴を倒したとしても、俺は対異に処刑されちまうのかな」

 

駆逐官という強力な個が集まって出来ている対異は、その性質上個人の離反や裏切りによって揺らぎやすい。

だから、それを抑止するための"見せしめ"は恐ろしく公平で残酷なのだ。

たとえ討伐貢献トップであろうと、第一位に反逆した時点で俺は敵対者。今頃【脅威ランクS+:龍人】とか流布されているかもしれない。

勝っても負けてもお先真っ暗だ、ちくしょう。

 

「……死にたくねぇ」

 

俗物的で当たり前な事を呟きながら、俺は指で目頭をほぐす。

……クシナダに頼めば逃がしてくれるだろうか。こいつなら第二位にも勝てるかもしれないし。

もし逃げられたら、アフリカの方とか発展途上国でエリミネーターとでタピオカ屋でもやってみるか。それはそれで楽しそうだ。

スティルシアの眼のお陰で言葉の壁は無いようなものだし。

 

「ふぁ……あれなぎさ、早起きだねぇ」

 

楽しく現実逃避している俺の後ろから、あくび混じりにそんな声が聞こえた。クシナダが起きたようだ。

 

「あぁ、なんか目が覚めてさ」

 

「明日だもんね。緊張してるの?」

 

「それもある」

 

クシナダは、指を弾いてコーヒーメーカーを起動させた。

どぽどぽマグカップを満たしていく黒い液体を眺めながら、俺は口を開く。

 

「……なあクシナダ」

 

「なに?」

 

「もしクリシュタを倒せたら……その後は、どうする?」

 

俺の問いに、クシナダは眉一つ動かさないで『さあ?』と言った。

 

「……いや、俺たちってこの国の政府に喧嘩売ったみたいなもんだし。もう普通に暮らせない可能性もあるだろ」

 

「そうだね。でも、先の事なんて気にしなくていいよ」

 

「なんでだよ」

 

俺の質問に、酷く歪んだ笑みを浮かべてクシナダは口を開いた。

 

「明日、全部終わるからさ」

 

そう呟くクシナダの黄金の瞳の奥、そこに一瞬だけ、深い深い闇が見えた気がした。

背筋に正体不明の悪寒が走るのが分かった。……全部、終わる?

 

「……どういうことだ?」

 

「ふふ、なーんちゃって! さっ、明日に備えて今日は休もー!」

 

俺の不安を吹き飛ばすように、クシナダは明るく笑った。

カランコロン、溶け始めた氷がマグカップの中で鳴る。……まあ、いいか。

俺はソファの背にもたれ掛かり、その体勢のままクシナダに顔を向けた。

 

「なあクシナダ、コーヒー出してくれない?」

 

「あれ、珍しいね渚がコーヒーなんて。いつもコーラなのに」

 

「お前がいつも美味そうに飲んでるから、試してみたくなってさ」

 

「そっか。いいよ、何にする? エスプレッソ、アメリカン、ブルーマウンテン……ドリンクバークシナダはよりどりみどりだよ」

 

クシナダは、掌の上にマグカップを出現させながらそう聞いてきた。

 

「砂糖どばどばの、コーヒーっぽくないやつ出してくれ。カフェインと糖分の塊みたいなの」

 

「それエナジードリンクで良くないかな?」

 

 

 

 

翌日の昼下がり、クリシュタとの決戦の日。俺とクシナダは部屋の中心で向かい会っていた。

俺の手には、えんじ色の小さな巾着袋が握られている。いつかクシナダが言っていた"御守り"だ。

 

「……これを見せれば、クリシュタは動揺して動きを止めるんだっけか?」

 

「うん、絶対にね。お父さんはボクと違って優しい人だから」

 

「それはよく分かんないけど……なら、大丈夫だ」

 

クリシュタ・マナスに普通の攻撃は通用しないらしい。俺が気を引いて同じ現実改変者のクシナダが背後から確実に命を刈り取る。

問題はヤツを守る天使たちと対異だ。前者はともかく本来仲間の後者にまで攻撃されたらヤバイ。上位ランカーたちも集まっているだろうし。

 

「……そろそろ、かな」

 

南西の方角を見据えながら、遠くを見るような目でクシナダがそう呟いた。俺が見てもそこには壁しか無いが、クシナダにはその向こう側が見えているのだろうか。

 

「何がだ?」

 

「今から十六分前に、対異がお父さんに総攻撃を仕掛けたみたいだ。思った通り天使たちを使って対処してる……そろそろ、ボクたちも参戦しよう」

 

クシナダは俺の肩に手を置いて、しめやかに目を閉じた。

 

「今から、ボクの力で戦場に転移するよ」

 

「……分かった」

 

「前外出した時みたいに君を"認識阻害"させてはおくけど、お父さんには通用しないし一度大きく動けば駆逐官や天使たちにも気付かれてしまう。とにかく慎重にね」

 

「分かってる」

 

「よし、じゃあ行こうか。向こうに行ってからは別行動だからね。ボクはお父さんの周りに潜伏して君を待ってるよ。計画通り、周りの天使どもを引き剥がしてからそのお守りをお父さんに見せて」

 

目の前の景色が、ポリゴンのような虹色の粒子になって分解されていく。転移が始まったのだろう。全身を奇妙な浮遊感が支配する。

俺はその眩しさに目を閉じて、浮遊感に身を任せたーー

 

「……っ」

 

ーー次に目を開けると、そこは既に血肉舞い踊る戦場だった。

頭上に光輪を浮かべた顔の無い天使の軍勢と駆逐官たちが、荒野のような場所でぶつかり合っている。

戦況は今の所互角のように見える。しかし天使は怪物で駆逐官たちは人間だ。その多くは表情に疲労が滲んでいる。

……この拮抗はそう長く続かない。短期決戦だ。

 

「……あっちか」

 

天使の密度が高い方向に向かえば、自ずとヤツに辿り着くだろう。俺は気付かれないよう静かに進み始めた。

足元に転がる駆逐官の死体は、口と目と耳……いや、全身の穴という穴からびっしりと黒い羽根が生えてきている。思わず顔をしかめた。あまりにもおぞましい。

 

「…………」

 

ふと空を見上げると、見渡す限りの空域を埋め尽くす数の天使たちが渦を描くように旋回して飛行している。

そしてその渦の中心には、巨大な黒い太陽のような物体が浮かんでいた。いつかバンダイを助けた時熾天使に撃たれた時空魔法を巨大にしたような暗黒の球体。

やけに薄暗いと思ったら、あれに日光を遮られていたらしい。

……本当に勝てるのか、これ。

クリシュタを倒したら天使たちも活動を止めるとかじゃなきゃ厳しい。流石にあの数は倒しきれない。

 

「……あそこか」

 

それからしばらく歩を進めて、俺はそう呟いた。

三百メートル程先、明らかに天使の数が桁違いな一帯を見つけたのだ。

 

俺は右手の"お守り"を強く握り締め、駆け足でそこへ向かう。走りながら全身に爛れ龍の鱗も展開しーー数秒後、俺は龍人の姿で全力疾走していた。

 

「■■■■■■■■!!!」「■■■■■」「■■■■■■■■」「■■■■■■■■!!」

 

走ったことでクシナダの"透明化"が効果を失ったのか、辺りの天使たちが一斉にこちらを振り向いて襲いかかってくる。

一瞬にして完成した包囲網に舌打ちしながら、左右の腕に別々の術式を装填した。

 

「ーー複合術式・"渦潮(ウズシオ)"」

 

水と風ーーアイオライトとブレーナイトの同時発動により巻き起こされた、液体状のハリケーン。

水の質量を持った風の刃は果てしなく重く速く、そして鋭い。俺に近付こうとした天使たちはそのほとんどがそれに切り刻まれていく。

穴が空いた包囲網を抜け、俺はその先の主戦場へと駆ける。

 

「……六人か」

 

思った通り、そこにはクリシュタと相対するランカー達がいた。第一位の姿ももある。……第二位はいない。

決死の猛攻撃を仕掛けるランカー達の攻撃は無尽蔵に沸いてくる天使たちに全て阻まれ、劣勢のようだ。

 

「エンジェライト……!」

 

背中に光り輝く翼の紋様が四枚走る。それと同時に駆ける速度が爆発的に上昇する。

傷付いた駆逐官たちは一斉に俺の方へと振り向き、ぎょっとした表情になった。

 

「龍人……っ!?」

 

第一位に光の剣を振り下ろそうとしていた天使の首を背後から握り潰し、ひとまず敵ではないという事をアピールしながら俺は駆逐官たちの前に躍り出た。

後ろで膝を着いた第一位は、目を見開いて俺を見ている。

……そして。

 

「おや……? なぜ天使化していないのですか。龍人」

 

「……クリシュタ・マナス」

 

「名前を覚えてくれていたんですね。やはり私たちは上手くやれそうです」

 

ーー法衣を思わせる独特な白コートを身に纏ったその男は、俺の姿を見るなり笑みを深めてそう言った。その周囲にはクリシュタを守るように天使たちが従えている。

……奴から天使を引き剥がさなければ、クシナダが攻撃できないな。まずはそこからだ。

 

「龍人、そして対異の皆さん……よく聞いてください。今この世界は、かつてない窮地に立たされています」

 

俺が動こうとした瞬間ーークリシュタは、俺たち全員に語りかけるようにそう言った。

背後の駆逐官たちはそれに困惑した様子だ。こんな地獄のような戦場と反して穏やかなクリシュタの声は、そこまで大きな声量でもないのにくっきりと俺の耳に響く。

流石新興宗教の教祖なだけはある。現実改変能力を抜きにしても、人に聞かせる力を持った声だった。

 

「今から二ヶ月程前、大気圏から凄まじい量の魔力が観測されました」

 

空を仰ぎ、クリシュタは言葉を続ける。

 

「観測された魔力量は、上位モンスター襲来時のおよそ七倍強。……あの天災の七倍です。次あちらの世界から何が送られてくるのか、私にも検討がつきません」

 

「……」

 

「一刻も速く戦力を整えなければ、この世界は一方的に喰らわれるでしょう。……人口の三割で良いのです。()()()それだけを天使(あれら)に変えることができれば、私は人類を守れるのです」

 

クリシュタの言葉が終わり、暫しの間場を沈黙が支配した。

……合理性を突き詰めればクリシュタの理屈は分からなくもない。こいつの戦力は現時点でも対異を軽く凌駕している。

確かにこいつなら、手段を選ばなければモンスターを全て駆逐することも可能かもしれないのだ。

しかしーー

 

「ーー頭おかしいんじゃないの?」

 

その時、後ろから怒りの滲んだ声が聞こえた。

振り向くとそこには、不快感を(あらわ)にした顔で立ち上がる第一位の姿があった。

青い瞳がクリシュタを睨み付けている。

 

「……頭がおかしい? 私が? このプランのどこが? 具体的に言ってくれないと改善のしようがありませんよ、対異のトップ。作戦の細部はこれからお互いに話し合って詰めていきましょう。天使化させるのは死刑囚や凶悪犯罪者を優先にしますか? それともーー」

 

「だーかーらぁ……いや、違うわね。根本的にズレてる」

 

第一位は、俺の横を通り過ぎてクリシュタの前まで足を運んだ。

 

「あなたはさっきから人類を守るだの世界を救うだの、大層なご弁舌を垂れ流しているけれど……人口の三割を"たったそれだけ"なんて言うようなタガの外れた怪物を、私は信用しない」

 

「……私はそんなつもりでは」

 

「いいえ。あなた、博愛主義者を気取ってるようだけど本当はもう人間に興味なんて無いんでしょう? きっと大切な人を失って、自分が愛していたのは人類ではなくその人だけだったって気づいたんでしょう?」

 

今度はうっすら笑みを浮かべながら、第一位がクリシュタに(ささや)く。

クリシュタは、気圧されたように一歩後ろに下がった。

 

「君に、私の何が分かると言うのですか?」

 

「別にぃ? あなたみたいな人外の思考回路なんて私には到底理解できないけど。あれ、もしかして図星だったぁ? ごっめーん!」

 

あえて精神を逆撫でするように、第一位は間伸びした猫なで声でクリシュタを挑発する。

 

「私の過去を調べたんですか……対異のトップにはストーカー趣味が?」

 

「あはっ、効いてる効いてる。あなたってば人間じゃないくせして、人間みたいにナヨナヨ感傷引きずってて本当に気持ち悪いわねぇ……」

 

「…………」

 

「死んだ奥さんもあの世で悲しんでるんじゃない?『私の夫はとんだ半端者だ』ってね、だってあなたのせいで妻も子供もーー」

 

「黙れ」

 

そこで初めてクリシュタが声を荒げた。

ぴたりと第一位の言葉が止まる。口は動いているが声は発せていない、現実改変で話すことが出来なくされのだろう。

クリシュタはこちらを睨み付けながら、その手のひらを第一位の顔に向けた。

 

「……もういい、今から君の事を(ちり)に還して殺します。」

 

「…………」

 

「っ、くそ……東弊さん! 」

 

クリシュタの掌に黒い粒子が発生し、それは第一位の腕にわさわさと這い進む。

第一位は不快そうに眉をひそめて腕からそれを振り払おうとするが、細かい粒子の一つ一つが磁石のようにくっついて離れない。

幾つか地面にこぼれ落ちた粒子の一つは、触れた小石を一瞬にして灰に変えた。

第一位もやがてそうなるだろう。

 

「存外魔力量が多いようですね。完全に分解するには少し時間がかかりそうです」

 

黒い粒子に侵食されて流血する自らの腕をおさえながら、第一位はまっすぐクリシュタを見据える。

そして、声の出ない口を何度か開閉させた。その唇の動きが示す言葉はーー

 

【やりなさい、アルバ】

 

「ナイス煽りだぜ、第一位。」

 

「ぐ、っ……!?」

 

「はい睡眠剤注入っと……こいつ頭に血ィ昇っちまって、こんな粗末な光学迷彩も見抜けねぇぐらい天使の制御甘くなってらぁ」

 

ーークリシュタのすぐ後ろから、聞き覚えのない男の声が聞こえた。次の瞬間何もない空間からばちばちと火花を散らしながら中年の男が現れる。

クリシュタが口端から泡を吐きながら地面に膝をついた。微睡むように瞼が落ちかけており、ほとんど意識を失っているように見える。

 

「……はっ?」

 

「けほっけほっ……あ、喋れるようになった」

 

咳払いしながら第一位はそう言った。腕に食らいついていた粒子は消え、破れた服から白い肩が露出しているのが見える。

クリシュタは大きくふらついた後、どさりと地面に倒れこんだ。

 

「……終わった?」

 

クシナダに渡された"御守り"を握りしめながら、俺はそう呟いた。

 




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