「・・・9084年?そんな時代まで眠っていたのか」
「ええ、致死性横隔膜痙攣の研究はだいぶ遅れてしまっていたのです。安心してください。すでにあなたの手術は済んでいるので」
信義の時代でも致死性横隔膜痙攣を発症する者は少なかったため研究が進まなかったのだが、それでも何千年という時間が費やされたという事実は信じられないものだった。
「まあ、その話に関しては自分の目で確かめた方がいいと思います」
医者が指を鳴らすと、ベッドの横の机に0と1の集合体が現れ、それは瞬く間に食パンとジュースに変化した。
「今の時代はデジタル情報を物質に変換できます。まずは腹ごしらえをしてください」
信義はパンを一口かじる。信じられないほど柔らかい食感だった。ジュースを喉に流し込む。とてもやさしい甘さだった。
「ものすごく、おいしいです」
信義は今までこんな食事をしたことはなかった。
「食事が済んだら、外を散策してください。今の時代をその目で確かめるのです」
食事が終わり、病室から出る。
廊下にはロボットと人間が歩いている。
ところどころに見慣れない文字があるが、どういうわけか意味は理解できた。
「伊藤信義さんですね?」
エントランスホールで青髪の女性に話しかけられた。
「私はガイド係のリイナといいます。今日は信義さんの案内を務めさせていただきます」
「よ、よろしくお願いします」
信義は心の中で驚いていた。あまりにも自然な青髪だった。
21世紀でも髪を染める者はいたが、不自然なものだった。
だが、目の前の女性の髪の色はとても自然だった。
「あっ、やっぱり驚いていますよね」
女性は自分の髪を指し示して笑った。
「今の世界ではDNAレベルでの染髪が可能なんですよ」
「そ、そうなんですか」
余計に訳がわからなくなった。
「さて、それではこれを身に着けてください」
信義に手渡されたのはリュックサックだった。
普通のリュックサックと違うのはショルダー部分にいくつかのボタンがあることだった。
「ボタンを押せば飛ぶことができますよ」
「そうですか・・・えっ?」
「さあ、とにかく外に出ましょう。ようこそ、91世紀へ!」
信義は女性に手を引かれて、外に出た。
目の前に広がったのは、未来世界だった。
かつての東京スカイツリーの倍以上の建築群、空に数百以上も浮かんでいる映像広告。空を行き交う宇宙船と人間たち。
だが、それ以上に信義の目を引いたのは、病院で見た奇妙な文字と、奇妙なシンボルマークだった。
その文字は日本文字とハングル、そしてキリル文字を混ぜたようなものだった。だが、どういうわけか何が書かれているのかが理解できてしまうのだ。
そして、ビルの上にも映像にもある奇妙なシンボルマーク。鎌とハンマーが交差しているデザインのマーク。
信義はそれをどこかで見たことがあった。そう、かつてのソ連の国旗のアレだった。
「あの、リイナさん。あの文字とマークは・・・」
「やっぱり気になりますよね。・・・信義さんは大弾圧時代直前の人でしたよね」
「大弾圧?」
「あっ、それはまだ気にしないでください。とりあえず、あの文字に関してはその時代の直後に作成されたモノなんです。当時最先端の精神科学を取り入れたもので、認識技術で誰でも本能的に理解できるような文字だと思ってください」
「わかりました。・・・それでは、あれは何ですか?」
信義は鎌とハンマーを指差した。
「『鎌と鎚』ですね。信義さんからすると不吉なシンボルかもしれませんが、私達にとっては幸運のシンボルみたいなものですね。それを説明するには・・・あそこに行った方がいいかもしれませんね。ちょっとボタンを押してください」
信義は言われたとおりにボタンを押す。すると、ショルダーから魔法陣が展開された。
「えっ、魔法?」
「ええ、魔法ですよ」
信義は宙に浮いた。
「私も学校でまじめに勉強しなかったので、原理はそれほどわからないんですがね。とりあえず付いてきてください」
リイナについて行って十分ほどである場所に着いた。
『東京大弾圧公園』
そこには手を模したモニュメントが数多くあった。
そのほとんどが天を仰いでいるかのようだった。
「そこの浮遊ウィンドウに触れてください」
SFアニメに出てくるような、立体的に浮かんでいるウィンドウがあちこちにあった。
ウィンドウに触れると、そこから「デェェェェン」という音が響き、音楽が始まる。
「これソ連国家じゃないですか」
「そうですよ?」
そして、音声案内が始まった。
『・・・20××年、当時、日本は移民問題、消費税、外交問題・・・そういったことによって世論が分裂していました』
確かにそうだったな、信義は思い出した。
『ですが、当時の同志たちはどちらにもつくことはなく、孤独な戦いを続け、〈選挙は参加することに意義があるんだ、だれに投票するかは二の次なんだ〉のスローガンのもと、ついに共産党政権を成立させることに成功しました』
「えっ?」
音声案内は続く。
『しかし、それは世界各国の市民団体の反感を買うこととなりました。そして、〈大弾圧時代〉が始まったのです』
伊藤信義は話についていけていなかった。
『大弾圧』に関してはThey were innocentを参考にしてください。
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