太閤転生伝   作:ミッツ

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露と落ち 露と消えにし 我が身かな
 浪速のことは 夢のまた夢


夢のまた夢

 時は慶長三年八月の十八日。

 日ノ本の政の中心地は京の伏見に聳える城の一室で、一人の男がその命を終えようとしていた。

 

 男の名は豊臣秀吉。

 

 百姓の倅から天下人にまで登り詰めた自他共に認める日本一の出世男である。

 だがそれも今は昔。

 かつて全身から溢れんばかりだった活力は見る影もなく、今は布団に仰向けとなり虚ろな表情で天井を眺めている。

 横では北政所をはじめとした親族や、治部少を筆頭とした家臣達が必死に話しかけてくるが、その声さえ満足に聞き取れなかった。

 

(あぁ、口惜しや。我が命運もこれまでとは…せめて、拾が元服するまで生きたかった。)

 

 まだ幼い我が子を思うと死んでも死に切れぬというのに、もはやそれは叶わぬと悟れるほど病魔は秀吉の体を蝕んでいた。

 そう思った時、ふと自虐的な気持ちが芽生えた。

 

(可笑しきことだ。百姓の倅から、この国の誰もが首を垂れる立場となったというのに、死期を悟って思うことが我が子の生末とは。)

 

 国を、経済を、万人を動かせる位置にまで上り詰めた男の最後の願いは国家の安寧等ではなく、市井の凡夫が末期に思うことと大して変わらぬものであった。

 

(いや、所詮儂はその程度だったのかもしれんのぉ。元が百姓の子倅じゃ。天の頂を預かるには少々荷が重かったのかもしれん。)

 

 思い返せば実に数奇な人生だった。

 百姓の長男として生まれるも継父に嫌われ寺に預けられ、寺を飛び出し職を転々とし明日も知れなかった痩せっぽっちの醜男が、この国の頂点に立つ事が出来た。

 これ程までの波乱万丈の人生は、この国の歴史上類を見ないだろう。

 無論ここに至れたのは己に才覚があったからだと自負しているが、同時に類希なる幸運に恵まれたのは本人も認めるところだ。

 そして、その最初の幸運は一人の人物との出会いであると秀吉は確信している。

 

(思えば儂の人生は信長様に出会ったからこそ始まった。あのお方と出会えたからこそ儂は夢を持つことができ、その夢を叶えるために必死になれた。だからあの方がいなくなった時、儂の夢は終わったんじゃ。)

 

 夢が終わった後、新しい夢を持とうと思い、それまでの夢を忘れようとするかのように奔走してきた。

 だが所詮それは仮初めの夢だった。

 生涯唯一の主君と定めた人が見れなかった夢の続きを自らが背負うのだと意気込んだにも関わらず、結局夢は中途半端なところで立ち止まったままである。

 この事をあの方に知られれば叱責だけでは済まされぬだろうなぁ、と思いながらも、男の心にはそれをどこか楽しみにする気持ちが生まれていた。

 

(ああそうか。あの世に行けばまた顔を合わせなければならないのじゃなぁ。まこと恐ろしきことよ。)

 

 心でそう呟きながらも、胸中にあった死への恐ろしさは薄れていた。自然と死を受け入れる心持になったともいえる。

 

(人間人生五十年、そう思えば十分生きた。信長様、あの世で猿を存分にお叱りください…)

 

 その日、一つの巨星が地に落ちた。

 誰からも見向きもされない身分から誰もが仰ぎ見る頂まで駆け抜けた男は、多くの人から見送られ静かに息を引き取った。

 そして日輪のように地から天に上り、地に沈み行くが如し人生を送った男の死を切っ掛けに、日ノ本の国の歴史は大きな変革期を迎える。

 

 されどそれはまた別の話。

 これより始まるは、一人の男の夢の続き。いや、夢のやり直しの物語。

 天に上り詰めた男は再び始まりの地に舞い戻り、改めて夢に向けて駆けて行く。

 しかし、男はほどなく知ることになるだろう。

 やり直しの人生が、これまで歩んできた世情とは少し違う世情であることを。

 そして、本来の歴史では存在しないはずの、いくらかのイレギュラーがあることを。

 

 

 

 ふと、背中に冷たさを感じ秀吉は目を覚ました。

 目の前に曇天が広がり、鼻腔に土と草の匂いが入ってくる。

 ゆっくりと体を起き上がらせると、周囲は草木の生い茂る森であった。無論、このような場所で寝ていた記憶などない。

 

(どういうことじゃ。儂は確かに伏見城にいたはずじゃ。もしやここがあの世なのか。)

 

 最後の記憶が正しければ自分は死んでいたとしてもおかしくない。

 だが、どうにも秀吉にはこの場所があの世とは思えなかった。

 単純にあの世というにはあまりにも現世と代り映えしないというのもあるが、どこか懐かしさを覚えさせるものが風景から感じられたからだ。

 

「あっ!よかった、おっさん目を覚ましたんだ。」

 

 周囲を探ろうと立ち上がった秀吉の背後からそのような声が聞こえた。

 振り返れば珍妙な格好をした少年が、絞った手ぬぐいを手に立っていた。

 南蛮風とでも言うべきだろうか。上下ともに黒で合わせた上衣と下履きは利休あたりならば好みそうな組み合わせではあるが、羽織の正面を開き白地に南蛮文字が書かれた着物が見えるようにした着こなしなど初めて見た。

 前田何某も顔負けの傾奇っぷりである。

 

「小僧、お主何者であるか?」

 

「ああ、俺は相良良晴ってんだ。なんか気が付いたら知らない場所にいてさ、人がいないか探していたらおっさんが倒れてるのを見つけたんだ。全然起きないから心配したんだぜ。ほら、これで顔でも拭きなよ。」

 

「…うむ、忝ない。」

 

 秀吉は良晴という少年が差し出した手拭いを受け取り顔を拭いた。

 適度に水気を含んだ布は思いのほか柔らかく、顔と首筋を拭えば涼けさが秀吉の混乱を僅かばかり落ち着かせた。

 そうして改めて良晴を見る。

 先程からの話しぶりは親し気、ともすれば馴れ馴れしく思われれかねないものであったが、不思議と悪くは感じなかった。

 少なくとも気を失った見知らぬ人間から身ぐるみを剥ぐどころか、気遣うだけの善性があることは確かである。

 加えて珍妙だが仕立ての良さが傍目にもわかる服装や、質の良い手ぬぐいを遠慮なく手渡す気質などから、かなり裕福な上に人の良い人間性が窺えた。

 おおかた豪商の次男か三男か、と見立て秀吉は手拭いを返した。

 

「その方、相良殿と申したか。重々なる気遣い感謝する。この恩はいずれ。」

 

「いいってことよ、別にそんな気にしなくても。それにしてもおっさん変わった格好してるな。映画の撮影か何か?」

 

「変わった格好じゃと…」

 

 お前が言うのか、と怪訝に思いつつ自身の体を改めた秀吉であったが、すぐに驚きの声をあげる。

 

「なんじゃこれはっ!何ゆえ儂は足軽装束などしておる。」

 

「いや、何でって聞かれても…」

 

 困惑気味に良晴は答えるが、秀吉はそれ処では無い。

 服装の次に今度は体の変化に気が付いた。

 末期の座において体を起こす事すら叶わなかったのが、今は何の苦も無く立ち上がる事が出来ている。

 四肢は痩せっぽっちであるものの、枯れ枝の如く衰えた病床のそれと比べれば活力に溢れており、顔に触れれば多少のかさつきはあれど若さ特有の張りを感じられた。

 

「…相良殿、儂の歳はいかほどに見える。」

 

「おっさんの歳?うーん、40まではいって無いと思うし30から40の間くらいかな?ってか、何でいきなり会ったばかりのおっさんの年齢を予想しなきゃいけねぇんだよ。」

 

 至極当然のツッコミする良晴であったが、秀吉は無表情となり己の思考に没頭していた。

 

(この小僧が嘘を申してないとなると、儂の体が若返っていると云うことになる。これに足軽装束と妙に見覚えのある風景を合わせて考えると、もしや、儂は…)

 

 秀吉が一つの結論にたどり着こうとしていたその時、何かが爆ぜる乾いた音が森の奥より聞こえた。

 二人の注意が音の聞こえた方へと注がれる。

 

「…今の音って。」

 

「…恐らく種子島じゃろう。」

 

「種子島って、もしかして鉄砲!?」

 

「それ以外になかろう。兎も角、確かめる他あるまい。」

 

「あっ!待ってくれよおっさん!」

 

 秀吉が音の聞こえた森に入って行くと、慌てた様子で良晴が後を付いて来る。

 歩を進めて行くと先程と同様の破裂音に加えて、人の怒号と金属のぶつかり合う音が聞こえ、胸の鼓動を早くさせる。

 程なく森を抜けるとそこは小高い丘となっており、眼下には平野が広がっている。

 そして、その平野で二人の目に飛び込んできた光景は、

 

「…なんともはや。」

 

「これってまさか、本物の戦…」

 

 平野において二つの軍勢が激しく争っていた。

 槍が振るわれ、弓が飛び交い、火縄銃の轟音が響く。

 至るところで命のやり取りが行われ、無数の物言わぬ躯が倒れ付している。

 

 そんなリアルな戦場を初めて目にした良晴は言葉を失い、目の前の光景に釘付けとなった。

 一方で秀吉の方は、良晴とは別の理由で戦場を凝視していた。

 

(あれに見えるは今川の家紋。それに対するは…織田の木瓜紋で間違いない!やはり体が若返っただけでは無い。儂は過去に…)

 

「漸く見つけましたぞ、わが主君よ。」

 

 秀吉の予想が確信に変わろうとした時、二人の背後から幼子の声が聞こえた。

 

「何奴っ!」

 

「なんと!拙者をお忘れですか!?」

 

 森から現れたのは、これまた珍妙な女であった。

 歳は十を漸く越えたばかりか。一見すれば忍装束と言えなくは無い装いであるが、えらく丈の短い下履きを履いており、色白な足が剥き出しとなっている服を着た背の低い女な子である。

 顔は口許を隠しているためよくわからぬが、ゾッとするほど赤い目と長い睫毛が印象的である。

 女は男の言葉にショックを受けた様子であったが、気を取り直すように咳払いをした。

 

「拙者は川並衆棟梁にして木下藤吉郎氏が家来、はちしゅかぎょえもんでありましゅる!」

 

「…いや、お主のような珍妙なおなごとは初めて会うんじゃが。」

 

「なんですとっ!」

 

 秀吉がきっぱりと言い放つと、女は先程以上に驚愕し涙目になる。

 

「いや、ちょっと待って!木下藤吉郎って、おっさんもしかして豊臣秀吉かよ!」

 

 その一方で先程からおっさん呼ばわりしていた男の正体を察した良晴もまた、驚愕の声をあげる事となった。

 

 

 

 

 

 

「話を纏めるとじゃ、相良殿はこれより四百年後の世の人間であり、それ故にこの時代の儂が将来関白となり豊臣姓を名乗る事を知っていると。」

 

「そんでおっさん…じゃなかった。ええと、秀吉さんは天下を統一して伏見城で死んだはずが、気付けば若返ってここにいたって訳か…」

 

 そう言うと良晴とおっさん、もとい秀吉は押し黙る。

 あの後、互いに現状の認識を共有する事が急務だと考え、先ずは忍装束の少女に現在の年月日を聞いたところ秀吉が死んだ頃より四十年近く過去であった。

 その上で良晴が豊臣秀吉の名を知っていた事から、自身と同じく良晴にも未来の知識があるのでは、と考えた秀吉は自身に天下人としての記憶があることを話したところ、予想通り良晴も未来から来たとの事であった。

 

「しかし四百年も先の世とは…俄には信じられん事じゃが、己の身に起きた事を思えば信じる他ないのぉ。」

 

「俺だって信じられねぇよ。タイムスリップしただけならまだしも、出会ったばかりのおっさんが豊臣秀吉で、しかも前世の記憶持ちだなんて。」

 

 まるでラノベじゃねぇか、と秀吉にはよくわからない言葉を話す良晴であったが、取り敢えずはこの場にいるもう一人の人物に意識を向ける。

 

「それでそっちの子が、ええと…はちしゅかぎょえもんちゃんだったっけ?」

 

「蜂須賀五右衛門でござる。先程は噛んでしまいました。」

 

 長台詞は苦手ですゆえ、と言う五右衛門であるが名前に反しその容姿は明らかな女子である。

 その事を不審に思いながらも秀吉は尋ねる。

 

「蜂須賀殿、その方は川並衆の頭領と申しておったが、蜂須賀正勝殿の縁戚の者か?」

 

「?いえ、蜂須賀正勝という者には心あたりはごじゃいましぇん。」

 

「では儂の家来と申しておったが、如何なる縁にしてその様に?」

 

「木下氏は一時川並衆に身を寄せていたではありませぬか。そのしゃい我が父に気に入られ、きのしちゃどのが武家に士官したしゃいは我がむしゅめぎょえもんをしょばに仕えしゃせ、共ににゃらび立って立身出世ちていくよう…」

 

「あい待たれよ蜂須賀殿。兎にも角にも、蜂須賀殿と儂は臣下の関係にあるというのだな。それと、焦らずともよいからもっとゆっくり、はっきりと話すがよい。」

 

 途中から噛みすぎて何を言ってるか非常に判り難い五右衛門の話を中断させ、落ち着いて話すように諭すと五右衛門は顔を赤くさせ俯いた。

 その後、詳しく話を聞いてみると秀吉は初め今川家に仕える松下氏に仕官し、その時に五右衛門と主従の関係を結んだらしい。

 秀吉は仕官先で一生懸命働き主人の覚えもめでたかったそうだ。

 しかし、生まれの良くない秀吉が主人から可愛がられるのを妬んだ同僚からイジメを受けるようになり、松下家では居場所を無くしてしまった。

 それを見かねた松下氏は秀吉に他家に仕えたほうが良いと諭し、幾ばくかの仕度金と足軽用の武具を与え暇を出したのだという。

 

「まっこと奇妙な状況ではあるが、儂が正勝と知り合った経緯や松下氏の下りに微妙に差異があるのぉ。」

 

 五右衛門の云う通り、織田家に仕官する以前に秀吉は川並衆に一時身を寄せていた時期があった。

 そこで頭領であった蜂須賀小六こと蜂須賀正勝と縁を結び、後に正勝は秀吉に仕え豊臣家の重臣となった。

 だがその時、正勝には目の前にいるような娘はいなかった筈である。

 もしや、自分が知るものとはこの世情の流れは違っているのでは?

 その様な考えが秀吉の脳裏をよぎった。

 

「何やら戦場に動きがあったようですぞ。声が慌ただしくなりもうした。」

 

 戦場からの音に注意を向けていた五右衛門がそう知らせ、秀吉達は一旦話を止め繁みから顔を出し様子を伺った。

 戦況は織田軍が前線を押し、有利に戦いを進めていた。

 しかし、前線に気を取られすぎ本陣の守りが薄くなっている。

 

「前がかりになりすぎじゃ。あれでは別動隊に回り込まれた際、すぐに対応できぬではないか。」

 

 秀吉が憂いた通り、織田本陣の守りが薄い事に気づいた今川の騎馬隊が虚を付くべく打って出る。

 前線の指揮官もそれを察し必死に指示を出すが、前線はすでに乱戦の様相を呈しており行動が遅れてしまう。

 

「いかん、このままではっ!」

 

「あっ!?ちょっと待ってよ秀吉さんっ!」

 

 気付けば秀吉は繁みから飛び出し、戦場に向かって丘を駆け降りていた。

 戦場に降りると事切れた足軽から槍を拝借し、それを振り回しながら織田本陣に向かって駆けて行く。

 

「おのれらぁっ!さがれ、さがれぇぇぇっ!」

 

 猿叫にも似た秀吉の叫びが戦場に響く。

 その小さな体とは不釣り合いな大声を発し、凄まじい形相で槍を無茶苦茶に振り回す秀吉に今川軍のみならず織田軍の兵までも怯み道を開けた。

 秀吉はその間を猛然と突っ走る。

 その後ろを良晴と五右衛門の二人も必死に着いてきていた。

 

「うおおおおおお!やべぇ、もう少しで矢が頭に当たるとこだった!」

 

「ほうほう。良晴殿、中々軽快な身のこなしでござります。」

 

「へへん!これでもドッチボールじゃ一度も当てられた事が無くて『弾除けのヨシ』と、ってあぶねぇ!いま火縄銃で撃たれかけたぞ!」

 

 やたら騒がしい三人組は秀吉を先頭に戦場を突っ切って行き、遂に織田本陣が目前となる。

 既に今川軍は本陣に取り付いており、織田軍は近衛衆が何とか守勢を保っている状態であった。

 秀吉は今まさに織田の兵を組伏せ首を取ろうとしていた今川兵を横合いから叩き付け気絶させると、倒されていた織田の兵を助け起こす。

 

「助太刀に参った!大殿は何処に!」

 

「忝ない。それならば彼処に。」

 

 兵は本陣の奥を指差し自らもそこへ向かおうするが、組伏せられた時に足を負傷したのか苦悶の表情を浮かべその場に蹲る。

 

「助けには儂が向かう。そなたは此処で味方の救援を待たれよ。」

 

「すまぬ。お主は織田の者なのか?」

 

 旗印を持たぬ秀吉に兵が尋ねると、秀吉は人好きする笑みを浮かべて答える。

 

「これより織田の家臣となる者よ!」

 

 それだけ言うと秀吉は再び駆け出す。

 暫く進むと漸く目的の場所にたどり着いた。

 

「見えた。彼処じゃ!」

 

 本陣の中心に織田の足軽が多く集まる場所がある。

 その中に彼らが守るべき主君があると見た秀吉は、足軽達に向かって大声を張り上げた。

 

「皆の者、近くにいる者と組んで複数で敵に当たるのじゃ!間も無く前線の者達が救援に参る。それまで御屋形様を御守りするぞ!」

 

 この時の秀吉の精神状態はタイムスリップという超常現象による興奮と混乱、かつての主君と再びまみえれるかもしれないという期待、そして一兵卒として臨む久々の戦場の高揚により完全に舞い上がり、所謂ハイな状態に陥っていた。

 それでも天下人の成せる業か、はたまた戦場の熱気が上手く作用したのか、秀吉の激によって守勢の織田軍の士気が俄に上がった。

 

 織田軍は複数の槍持ちが集まり、組となって今川の騎馬隊を押し止める。

 秀吉もそれに混じり、周囲の兵を叱咤激励しながら槍を振るった。

 このまま行けば何とか守りきれる。

 秀吉がそう考えたその一瞬である。

 組と組の間に出来た僅かな隙間、その間を一騎の今川兵が駆け抜ける。

 

「しまった!」

 

 秀吉がそれに気付き追いかけるが既に時遅し。

 足軽組を抜けた騎馬武者は最後の守りである側衆を騎馬の突進を以て蹴散らした。

 残されたのは守りを失い裸にされた大将のみである。

 南蛮人が羽織るコートを身に付け、兜を目深に被った織田の大将は、素早く立ち上がり火縄銃を構え迎撃の姿勢を見せる。

 だが騎馬武者が一瞬早く刀を振り上げ、敵将の脳天に向かって刃を落とした。

 織田の将は火縄銃の銃身で刀を受け止め、何とか一撃目を防いだ。

 しかし、その衝撃で銃を取り落とし今度こそ丸腰となってしまう。

 そこへ容赦無く騎馬武者が二撃目を繰り出した。

 

「御逃げ下さい!信長様っ!」

 

 秀吉が叫ぶも万事休す。

 あわや大将討ち取りとあいならんとしたその時である。

 

「うおおおおおお!信長を死なせてたまるかあああああ!」

 

 大将の前に良晴が躍り出て、ぎりぎりで斬擊を槍で弾き返した。

 

「はあはあ、死ぬかと思ったぜ。でもこんなところで信長を死なせる訳にはいかねぇ。歴史が変わっちまう。」

 

 震えそうな足に渇を入れ、槍を構えて良晴は目の前の騎馬武者に対峙する。

 虚を突かれた騎馬武者であったが、駆け付けたのが良晴一人だとわかると先ずは邪魔なものから排除するとばかりに良晴に向かって斬擊を繰り出す。

 良晴もそれを何とか凌ごうとするが、腕が痺れんばかりの強烈な連擊を何度も受け止めるには叶わず、遂に腰を着いてしまう。

 それを見て騎馬武者が止めを差そうした時である。

 良晴のポケットから四角い板のような物がこぼれ落ち、大音量で戦国時代には似つかわしくないテクノポップが鳴り響いた。

 

「な、なんだこれは!?妖術かっ!?」

 

 流石の今川兵もこれには肝を潰し、思わず後退りをしてしまう。

 その背後から近づいて来ていた秀吉は、槍を振り上げ騎馬武者の脳天に渾身の力で振り下ろした。

 不意を突かれた騎馬武者は強かに頭を打ち付けられ、ぐらりと力が抜け落馬しそのまま動かなくなった。

 

「無事か、良晴?」

 

「あ、ああ、何とか。」

 

 秀吉が良晴の手を取り引っ張ると、ふらつきながらもどうにか立ち上がった。

 すると周囲から勝鬨の声が上がり始める。

 

「どうやら騎馬隊の強襲が失敗したと察し、今川は兵を引くようじゃ。」

 

「ええと、つまり勝ったって事だよな。」

 

「その通り。御味方大勝利じゃ。」

 

「そうかぁ…ふぅ、助かった。ありがとう秀吉さん。お陰で信長を守りきれたよ。」

 

「…信長様がそこに。」

 

 近くに信長がいる。

 それを自覚した秀吉は急に居心地の悪さを感じ目を伏せる。

 ここまで信長を救わなければという一心で助けに駆けつけた秀吉だったが、いざ顔を合わせるとなると前世において信長亡き後、信長の子息を始めとした織田家に対して行った数々の不義を思い出し、今更ながら尻込みをしてしまっていた。

 

 果たして今の自分に忠臣面をして御尊顔を拝する資格などあるのだろうか…

 

 秀吉の胸中を複雑な感情が渦巻く中、秀吉と良晴の背後から馬の足音が聞こえてくる。

 

「お前達、よくぞ主君を御守りした!特にそこの二人は身を呈して主君を救ったと聞いたぞ!」

 

 馬上からの声に顔を上げれば、甲冑を着た女が目の前にいた。

 意志の強そうな眉と目が印象的な美少女である。

 

(何故このような戦場におなごが?というより何じゃあの胸はっ!!)

 

 騎乗の美女の胸にぶら下がりし二つの果実は、それはそれは豊満な双球であった。

 これ程の双子山は前世において多くの色を味わった秀吉をしても記憶に無い。

 

(着衣の上からでもわかる大きさ、そして見事な形!是非とも寝所に招きたいものじゃ。じゃが、何故じゃ。このおなごから感じる奇妙な既視感は…)

 

 初めて会った筈にも関わらず、どうにも馴染みのある佇まいに違和感を感じ秀吉は馬上の美女をまじまじと見つめる。

 一方で良晴の目も美女の胸に釘付けになっていた。

 

「な、なんだお前達。さっきから人の事をじろじろ見て。」

 

「いや、こんな巨乳リアルじゃ初めて見たからつい。」

 

「なっ!?」

 

 良晴の一言に美女は顔を真っ赤にさせ、恥辱で体を震わせると刀を抜いて切っ先を良晴へ向ける。

 

「ぶ、無礼者!貴様ら、手討ちにしてやる!」

 

「ヒィッ、悪かった!」

 

「なっ!?儂もかっ!」

 

「お前もじっと見ていただろうが!」

 

 まさか良晴の失言が自分にまで飛び火するとは思わず流石に秀吉も焦る。

 

「やめなさい六!一応そいつらは私の命を救い、功を挙げたのだから。それに報いなければ道理が通らないわ。」

 

 そんな声が秀吉達の背後から聞こえてくる。

 それは明らかに女の声であった。

 

「あんた達、見事な戦働きだったわ。旗印を着けていないということは織田家に仕官希望の素浪人といったところかしら?もしそうなら雇ってあげてもいいけど。色々聞きたい事もあるし。」

 

 そう言いつつ、興味深げに良晴が落とした四角い板ースマホを火縄銃で突つくのは、南蛮渡来のコートを羽織った織田の大将である。

 兜の隙間から見える髪は茶色がかかり、顔は煤で黒く汚れてはいるが生命力溢れる目が爛々と輝いていた。

 これと同じ目をした人物を秀吉は知っている。

 ただ、その性別は秀吉が知るものと大きく違っていた。

 

「…あの、失礼を承知で伺いまするが貴女様は?」

 

「なに?仕官しようとしている家の当主さえしらないの?顔が猿そっくりだけど、あんた達頭も猿並みなのかしら。」

 

「ご、御当主?」

 

「そう、私が清洲織田家当主、織田信奈よ。」

 

 秀吉の問いに堂々と応えたその少女、信奈が纏いし覇気と言うべき存在感はかつて秀吉が仕えた男のそれと全く同じ物であった。

 ゆえに秀吉の受けた衝撃は甚だ大きかった。

 

「な、な、な…」

 

「な?」

 

「なんじゃそれはあああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!」

 

 この日一番の叫びが戦場に響き渡った。

 

 斯くして始まるは天下を取った男のやり直し夢物語。

 知り合いの大部分が女となってしまった世界で、天下人秀吉は如何なる出世街道を歩むのか?

 今宵はここまでに致しとう御座りまする。

 




・豊臣秀吉(木下藤吉郎秀吉)
 本作の主人公にしてラスボス候補。戦国三英傑の一人であるが、鮮烈な出世街道と晩年の耄碌により評価の別れる人物でもある。
 本作の秀吉は、笑いながら怒る事に定評のある秀吉をベースに、様々な作品媒体の秀吉の要素を足してある。
 果たして、一度は天下を手にした男は織田信奈の世界で何を成すのか?
 そして、姫大名達の貞操は希代の好色男の魔の手を逃れられるのか!?

・相良良晴
 原作主人公である現代人の少年。
 原作において、いきなり戦国時代にタイムスリップし、流れ弾で命を落とした原作の藤吉郎の意思を継ぎ戦国の世を生き抜く事を誓うところから物語が始まる。
 原作とは違い秀吉が存在する世界で、彼もまた己の在り方を問われる事になるだろう。

・織田信奈
 原作メインヒロインにしてもう一人の主人公。
 基本的には原作と同様の動きをする事になる予定だが、秀吉の立ち回り次第で原作とも史実とも違う運命を辿ることになりうる。
 ちなみに容姿は余裕で秀吉の好みにストライクだが、流石に手を出すような事は考えていない。

・蜂須賀五右衛門
 原作では仕えていた秀吉が死んだら速攻で良晴に鞍替えしていたが、本作では引き続き秀吉に仕えている。ただし、秀吉には身に覚えが無い。
 三十字以上しゃべると噛む。かわいい。

・蜂須賀正勝
 通称 小六。元は川並衆の頭領であり、初期の頃から秀吉に仕え豊臣政権においても古参重臣として主君を支えた。
 原作では五右衛門が代わりを務めており、本作でも登場する予定は無い。

・松下氏
 今川家に仕えた松下之綱の事。史実において、秀吉が最初に仕えた主君とされる。
 主家滅亡後、徳川を経て秀吉に仕え最終的には一万六千石の所領を与えられた。
 
・「あの世で猿を存分にお叱り下さい。」
 大河ドラマ『真田丸』より、死の間際現れた信玄の幻影に詫びる武田勝頼の台詞を拝借。
 諸問題山積みの状況で跡目を継ぎ、必死に御家を盛り立てようとするも家臣達の相次ぐ裏切りによる内部崩壊を止められず滅びの道を歩んでしまった勝頼の姿は、戦国の無情を感じさせた。

・今宵はここまでに致しとう御座ります。
 大河ドラマ『武田信玄』より、語りの大井夫人の締めの台詞を拝借。
 前年の『独眼竜正宗』に続き高い視聴率を獲得し、本台詞は流行語にもなった。

・原作未登場の史実武将について
 原作には出てこない史実武将については基本的には本来の性別で登場させる予定。
 今のところ登場予定の武将は以下のとおり。
『天下の補佐官にして天下人の弟』
『蝮の孫』
『織田家の誇るスーパー行政官』
『戦国史に残る大失態を犯し、挽回した男』
『ゲヒヒ笑いに定評のあるひょうげ者』等々
  
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