太閤転生伝   作:ミッツ

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気づけば前回の投稿から1か月。
週一投稿が途絶えてしまいましたが、少しずつ書き溜め、何とか投稿できました。
今後は不定期の投稿となりそうですが、お盆休みの期間を利用し、できる限りストックを貯めたいと思います。


奇襲

 清洲城の評定の間には、織田家の家臣達が一同に集まり、尾張を侵攻する今川軍の対抗策が論じられていた。

 

「今川軍は二日前に岡崎を出立し、鳴海城、あるいは大高城を目指し進軍中とのこと。総大将に今川義元、総勢二万五千の大軍にございます。」

 

「二万五千だと!?今川のほぼ総兵力ではないかっ!」

 

「今川は北の武田、東の北条と同盟を結んでいます。後方の憂いが無く、西に全力を投じられるのでしょう。」

 

 今川軍の総数を聞き驚愕する佐久間信盛に丹羽長秀が冷静に返すと、場に重苦しい沈黙が流れる。

 そんな中で信奈はじっと尾張の地図を睨み付けていた。

 

「いま我らに用意出来る兵数は多くて五千。他に隣接する国への備えを考えるなら、出せるのは三千が限界です。」

 

「三千で二万五千を相手にせよというのか。いったいどうすれば…。」

 

「……我々の前には今、二つの道が存在します。一つは敵を倒すか、倒されるまで断固として戦い続ける道。もう一つは、潔く敗けを認め、今川の軍門に降る道です。」

 

「今川に降るっ!?丹羽様は姫様に大義を捨て、生き恥を晒せと申されるのですかっ!?」

 

「でしゃばるな久太郎っ!何様のつもりだっ!」

 

 万千代に対して食って掛かるように堀秀政が物申せば、信盛が厳しく咎める。小姓である秀政には評定で意見を述べる事が許されておらず、それ故の叱責だった。

 しかし、それでも秀政は後ろに下がらず、睨み付けるように鋭い視線を万千代に向ける。

 

「我らは御家を二分する危機を乗り越え、今川であろうと何であろうと存分に戦う気構えにありまする。なのに何故、丹羽様は戦わずして敗北する道を示されるのですかっ!?」

 

「…戦をして勝てる見込みがあるならばそれも良いでしょう。されど現時点では、まともに戦って勝てる見込みはありません。それならば一時の屈辱を飲み込み、今川のもとで再起を窺うのも道です。」

 

「ですが、せめて一戦交えてからでも…」

 

「その一戦が御家を滅ぼす一戦になり得ます。命あっての大義。寧ろ力量差を認められず、一時の激情に飲み込まれ、御家の血を絶やす事こそ武門の恥、零点以下に御座います。」

 

「なれどっ!」

 

「出すぎじゃ、久太郎っ!」

 

 万千代の言い分に尚も言い返そうとする秀政であったが、信盛がそれ以上は許さぬとでも言うように名を呼べば、口を閉じ下がるしか無かった。

 そんな家臣達のやり取りを無言で見ていた信奈は、秀政が後ろに下がったのを見届け、重々しく口を開いた。

 

「確かに、万千代の言うことは尤もね。だけど私は、それでもなお、今川と一戦交える道こそ織田が歩むべき道だと思うわ。」

 

「…姫様、その意をお教え頂けますか?」

 

「万千代の言う通り、今川は強敵よ。だからといって、これに立ち向かわずして恭順すれば、武家としての威を失うわ。そうなれば、命を拾ったとしても、天下を窺うという私の野望に挑むことさえ出来なくなる。そんな事になるくらいなら、私は例え家を潰した愚将の謗りを受けようと、戦の末に血反吐にまみれ野垂れ死ぬのが本望よっ!」

 

 力強く言い放たれた信奈の覚悟に多くの家臣が息を飲む中、万千代は初めから信奈がそう言うと分かってたかのように静かに頷いた。

 

「然らば、策を練らねばなりません。二万五千の大軍と戦う策を。」

 

「それなら多少なりとも考えたわ。今川軍二万五千。その数は脅威だけど、同時に弱点にもなり得るのよ。」

 

 信奈は床に敷かれた大地図に、次々と駒を並べていく。

 

「黒い駒が今川軍。赤く印を付けたのは尾張領内にある今川の拠点、鳴海城と大高城よ。偵察によれば、今川義元は今日にも両城に最も近い水掛城に入るらしいわ。」

 

 信奈は地図上の尾張と三河の国境に黒い大駒を置く。

 

「鳴海城と大高城から清洲までは平野が広がっていて、間に大きな障害はないわ。一方で水掛城から両城の区間は、川や沼地の多い森が広がっていて、大軍が動かし辛い。即ち、私達が仕掛けるべきはここ以外にないのよ。」

 

 次に信奈は赤い印の近くに、それぞれ二つずつ黒い印を付けていく。

 

「鳴海城と大高城の近くには、それぞれに二つの砦を築いているわ。今川からすれば進路から外れているから本来なら相手にしなくてもよい砦だけど、ここを拠点に後から来る荷駄隊を強襲すれば、大軍の今川にはかなりの痛手になる。当然今川もそれは分かってる筈よ。だからこそ、砦を無視することができず、幾分かの兵を割くでしょうね。そこが私たちの狙い目よ。兵を分散させ、手薄となった今川の先遣隊を奇襲をもって撃退する。全滅にさせる必要はないわ。出足をくじき、進軍を停滞させ、兵糧を消費させる。そうすれば農兵中心の今川軍は疲弊し、士気は否応なく下がるわ。そこを全軍をもって強襲し、敵を尾張から一掃する。其れが我らが今川に勝つ唯一の策よ。」

 

「おおっ!確かにそれならば、いけるかもしれませぬな!」

 

 信奈が語る対今川の戦略に家臣団から感嘆の声が上がった。

 二万五千の大軍は、その数ゆえに兵糧の消費が早く、戦が長引けば食料不足で今川を苦しませる要因になりかねない。

 しかも今は田植えが終わったばかりで、市場の米の値段が一番高くなる時期であり、現地調達すらままならないだろう。

 加えて兵の多くが農民であるが故に、戦の長期化は彼らの士気を容易に低下させる。農兵にとって大事なのは領主の大義ではなく、故郷の田畑であるからだ。夏が過ぎれば稲刈りの季節となり、彼らの望郷の念も強くなる。

 その思いは農兵たちの間で伝播し、今川軍の士気崩壊にも繋がる。

 

「つまり我らの目標は時間を稼ぐことよ。其の為には奇襲部隊を編成し、今川軍の先遣隊を不意打ちするのが最良ね。」

 

「姉上っ!その奇襲部隊の役目、この僕にお命じ下さい!」

 

「信勝、いや、信澄か。」

 

 信奈の前に進み出たのは、織田信勝改め、津田信澄であった。

 稲生の戦いの後に恭順を許された信澄であったが、姉に反旗を翻した事に対するケジメとして分家の津田姓を名乗る事とし、併せて信勝から信澄と改名した。

 これによって、津田信澄は正式に織田家の家督の継承を放棄したことに相成った。

 

「もとはといえば、今川を領内に招き入れたるは、僕が林通具の言に乗せられたが故。然らばこの信澄、先鋒の役目を果たし、これまでの汚名を濯ぎとう御座いますれば、何卒っ!」

 

 強い決意のこもった眼で信澄が懇願すれば、信奈は暫しの間思案するようにじっと弟の顔を注視する。そして、ゆっくりと口を開いた。

 

「……ダメよ。」

 

「なっ!どうしてですか!?」

 

「此度の奇襲は今後の戦を左右する重要な役割。これまでまともに戦に出たことも無いあんたには、荷が重いわ。」

 

 一切取り繕うことなく、率直に信澄の願いを退ける理由を述べれば、信澄は悔し気に俯き、膝の上で真新しい傷の残る拳を固く握りしめた。

 そんな弟に、姉は一転して優しく語り掛ける。

 

「安心なさい。あんたが汚名を返上する場は、いずれ用意してあげるから、今日のところは控えなさい。」

 

「……御意に御座います。」 

 

 信澄が後ろに下がると、信奈は古参の家臣団の方に鋭い視線を向ける。

 

「千秋四郎、あんたに奇襲の役目を任せるわ。」

 

 信奈がそう命じたのは、先代より織田家に使える千秋四郎こと、千秋季忠である。

 長年に渡り戦場に身を置くと同時に、熱田神宮の大宮司でもある歴戦の古強者は、主君の命に力強く応えた。

 

「はっ!姫様の策、必ずや成してみせまする。」

 

「頼んだわよ。」

 

 千秋四郎が奇襲部隊の役目を任じられた事で評定は一先ず解散となり、各々はそれぞれの役割を果たすべく慌ただしく部屋を出ていく。

 その中に紛れて良晴は秀吉に近づくと、顔を近づけ耳打ちをする。

 

「なあ、秀吉さん。これから始まる戦って、多分桶狭間の戦いの事だよな。」

 

「…後世ではその様に呼ばれておるのか。儂らは田楽狭間の戦と呼んでおったが、恐らくそれで間違いないじゃろう。」

 

「だったら、この後どんな風に戦が進んでいくか分かるんじゃないのか?今川がどの辺りを通って進軍してくるとかさ。」

 

 良晴は期待を込めて秀吉に尋ねる。

 織田と今川を巡り、強いては戦国一有名な戦となる戦いの結末を知る者として、詳細な情報を事前に共有する事は、織田家の勝利をより確かなものにすると考えた為であった。

 しかし、秀吉は良晴にとって予想外の言葉を返した。

 

「しらん。」

 

「えっ?」

 

「田楽狭間に関しては、儂もあまり詳しい事は知らんのじゃ。」

 

「ど、どうしてだよ!?秀吉さんはその頃には織田家に仕えてたんじゃないのかよっ!?」

 

「無茶を言うでない。四十年近く前の戦いじゃぞ。細かいところまで覚えておらぬわ。それに、あの頃の儂はただの一兵卒じゃ。上から命じられるままに必死に戦場を走り回っとったら、いつの間にか織田が勝利していた戦じゃった。」

 

「そ、そうだったのか…。」

 

「じゃがのう、儂もいったいどの様にして今川の大軍に勝利したのか気になって、信長様に聞いてみたことがあった。すると信長様は、苦笑いの浮かべてこう仰ったのよ。」

 

『あれはまぐれだ。もう一度やれと言われても出来るものでは無い。二度とやりたくない戦だ。』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千秋四郎は三百の兵を連れ、息を潜めて水掛城の近くの森に進軍した。

 目的は水掛城を出たばかりの先遣隊を撃退し、戦序盤の気勢を制する事である。

 副官の佐々隼人の放った偵察によれば、先遣隊は間も無く奇襲部隊が潜む森を通過するはずである。

 四郎達は水無月の茹だるような暑さの中、誰一人息を飲む音さえ漏らさぬようにし、その時を待った。

 やがて、忍の報告の通り先遣隊とおぼしき軍列が見えてきた。

 四郎は無言のまま手で合図をすると、配下の武将達が同じように組の兵達に合図をし、臨戦態勢を取らせる。

 そして、戦列の真ん中が晒されたのを見計らい、千秋四郎は勢いよく采配を振るった。

 その瞬間、太鼓が乱れ打ちされる音が鳴り響き、それと共に三百の兵が一斉に無防備に晒された戦列の横腹に食らい付いた。

 

「敵襲っ!敵襲っ!」

 

「慌てないで下さい!敵は寡兵です。落ち着いて対処すれば大丈夫です!」

 

 事態にいち早く気が付いた今川の姫武将は、部隊の混乱を押さえようと檄を飛ばすが、完璧に決まった奇襲により上手く収束出来ずにいた。

 

「やむを得ません。一旦退却しましょう。」

 

「退却っ!退却だぁ!」

 

 姫武将の指示を隣の副官が大声で叫ぶと、今川の先遣隊はもと来た道を我先にと後退していく。

 

「四郎様、如何なさいますか?」

 

「当初の目的は果たした。深追いはせずに、我らもこの場を脱するぞ。」

 

 背を向けた相手を目で追いながらも、四郎は素早く配下の将に兵達を纏めるように指示を出す。

 不意打ちを受けて逃げる相手に欲を見せず、冷静に己の役割を全うしようとする千秋四郎は、幾多の戦いの中で磨いた経験則に裏打ちされた、優れた戦術眼と統率力を持つ、優秀な指揮官と言えただろう。

 寡兵による奇襲という難事を任せる上で、信奈が千秋四郎に奇襲部隊を任せたのは間違いでは無かった。

 しかし、いかに間違いを犯さなかったとはいえ、万事想定通りに進まないのが戦場である。

 

 ドスッ

 

 撤退のため兵達を纏めていた佐々隼人の隣から、米俵に勢いよく刃を刺した時に似た音がする。

 振り替えれば、目を見開いた千秋四郎の側頭部に一本の矢が刺さっていた。

 

「し、四郎様?」

 

 佐々の呼び掛けに口を開いて何かを伝えようとするが、言葉が紡げぬまま四郎は落馬し動かなくなった。

 

「て、敵襲じゃっ!」

 

 地に臥せる四郎に駆け寄りたい衝動に駈られながらも、瞬時に周囲へ警戒の声を響かせた隼人も一介の武人であった。

 しかし、部隊は既に混乱の渦中にあり、そこに容赦なく四方から矢がいかけられた。

 

「ど、どういう事だ!?いつの間に我らは包囲されておる!?」

 

 不意討ちを仕掛けたはずの自分達が、不意討ちをされている。

 考えが追い付かぬ内に次々と矢を放たれた奇襲部隊は恐慌状態に陥り、組織的な行動は不可能になっていた。

 更にそこに、先程撤退したはずの先遣隊が引き返し、猛然と奇襲部隊に殺到する。

 

「やんぬるかなっ!全て奴等の手の上であったか!」

 

 自分達が計られていたことに気付き、憤怒の表情で隼人は刀を抜く。

 せめて奮戦し時間を稼ぎ、一人でも味方を逃がす所存であった。

 だが、その願いも虚しく、織田の奇襲部隊三百は今川軍先遣隊の勢いに呑まれ、壊滅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

「元康殿、よくやってくれた。見事な戦働きである。」

 

「いいえ~。泰朝さんが予め敵の奇襲を予期していたからこそです~。それに私がやった事なんて殆どありません。実質的に指揮をしてくれた忠次さん。木の上に潜んで矢を射って敵軍を混乱させた伊賀衆の皆さん。そして何より、命を張って戦ってくれた兵達の皆さんの手柄です~。」

 

 朝比奈泰朝から労いの言葉を受けながらも、謙遜し部下達の称賛するのは、先遣隊を率いていた今川の姫武将、松平元康である。

 彼女は織田の奇襲を見破った泰朝の指示を受け、わざと奇襲された上で一旦撤退し、反撃に転ずる策を用いていた。

 その結果、奇襲が成功したと思って一息入れた敵軍は、前もって元康が木の上に控えさせた忍達に矢を射かけられ混乱し、逆襲してきた先遣隊により撃滅された。

 

「けれど泰朝さん、どうして織田が奇襲してくると分かったんですか?」

 

「簡単な事だ。我らは此度の遠征に際し、織田家を調べあげた。元康殿、御主は織田信奈という武人が、大人しく降伏したり、援軍の無い籠城をしたりする人物と思うか?」

 

「…いえ。私の知る吉姉様は、たとえ如何に相手が強敵であろうとも、自分の手で現状を打開しようとする筈です。」

 

 元康は信奈の性格を思い出しながら、苦笑いを浮かべそう述べる。

 松平元康は幼少期の数年を尾張で過ごしたのだが、その経緯は実に戦国らしい策謀にまみれていた。

 西の織田、東の今川という二国に挟まれた三河の松平家は、長年両国の圧力に晒され続けていた。

 そうした中で、今川の支援を受けて松平家当主に納まった元康の父、広忠は、今川との関係を重視した政策を行っていた。

 それを良しとしない織田信秀は、軍を率いて三河に侵攻し、広忠の居城を脅かした。

 そこで広忠は旧知の今川に援軍を要請すると、当主についたばかりの今川義元と軍師の雪斎は、援軍の質として広忠の子、当時竹千代と名乗っていた元康の身柄を求め、広忠は苦渋の末にこれを了承する。

 こうして竹千代は一旦母方の祖父に預けられ、船で今川に連れていかれる筈であった。

 ところが、なんと織田信秀は竹千代の祖父、広忠にとっては義理の父親を調略し、竹千代の身柄を尾張に送らせ、三河に対する人質にする鬼手を繰り出し、広忠と今川を見事に出し抜いたのであった。

 因みにこの謀略戦、義元と雪斎が揃いながらも完敗した数少ない戦いでもある。

 その後、小豆坂の戦いで織田が今川に敗北するまでの数年間を元康は織田家で過ごし、今川に引き渡されてから今日までに至る。

 

 閑話休題

 

 元康が信奈の人なりを語ると、泰朝は黙って頷く。

 

「その通り。では劣勢の織田が現状を打開するために出来る事は何かと考えれば、奇襲しかあるまい。あとは予め奇襲に適した場所を調べ、そこに罠を仕掛ければ良い。」

 

「敵にとっての狩り場を、逆に利用したわけですね。実に見事です~。」

 

「これも全て、元康殿を初めとした三河衆の働きがあってこそだ。時に元康殿、その者達は捕虜か?」

 

 泰朝は松平の兵に連れられた、傷ついた体に縄を打たれた者達を見る。

 その中には女兵の姿も見受けられた。

 

「はい~。降伏を勧告し、それに従った織田軍の皆様です~。つきましては戦が終わるまでの間、後方で預かって頂けないかと思いまして。」

 

「…そうであったか。だが、無用である。即刻その者達の首を跳ねよ。」

 

「………へ?」

 

「聞こえなかったか?その捕虜達は殺せ。」

 

「…っ!?お、お待ちくださいっ!戦において捕らえた敵の将兵、特に女の兵は戦が終わるまで後方で囲うのが戦の作法。何故、その様な無体な事をっ!?」

 

 一抹の慈悲さえ無き命令に、焦った様子で元康がその真意を問えば、泰朝は冷たい視線を捕虜達に向け告げる。

 

「この者達の首を織田に送れば、良い見せしめとなろう。下手な抵抗は無意味と分からせ、その代償が死しか有り得ぬと知らしめれば、士気を挫きて降伏させるも容易となる。」

 

「た、確かにその言は一理あります。然れど、義に背きし行いは、巡りめぐって己に反って参ります。無力な捕虜を無慈悲に殺したと広まれば、今川の悪評となるは必定ですっ!」

 

「悪評を被ったとて得る利があるというもの。京へいたる道を作るうえで、尾張攻略は早急に済まさねばならぬ。」

 

「朝比奈殿っ!それはあまりに惨う御座いますっ!」

 

 泰朝の言い草に我慢ならぬ様子で酒井忠次が物申せば、泰朝はギロリと厳しい視線を忠次に向ける。

 その視線から側近を守るように元康は前へ出ると、深く頭を下げた。

 

「部下が出すぎた真似をして申し訳ありません。けれど、どうか我らの意を汲んでいただけないでしょうか?義を尊び、情を厚く遇すれば、義元様の慈悲深さの噂は京にも届き、必ずや今川の天下取りの後押しとなります。」

 

「…過ぎたる情は味方を殺すと心得よ。お主への言葉は変わらぬ。」

 

「ですがっ!」

 

「元康。お主、偉くなったな。」

 

 泰朝の一言に、元康はそれ以上言葉を紡げなくなった。

 もとより、元康の立場は今川に恭順する領主の一人。義元の側近である泰朝とは立ち位置に差があった。

 捕虜に向けていたのと同じ視線を元康に向け、泰朝はジワリと近づき静かに命ずる。

 

「もう一度言う。この者たちの首を跳ね、織田に届けよ。」

 

「……はっ、承知いたしました。だけどどうか、私たちの陣内に場を整える事だけでもお許しできないでしょうか?このような道端で最期を迎えさせるのは、如何に敵兵とはいえ心苦しいですぅ。」

 

「………好きにせよ。」

 

 目の端に涙を浮かべながら懇願する元康に、短く答えると泰朝は背を向け本陣へと帰っていった。

 その後姿に深々と頭を下げ続けた元康だったが、泰朝が見えなくなると、絶望にうなだれる捕虜たちを横目に忠次を近くに呼んだ。

 

「では忠次さん、この人たちを私たちの陣内まで連れて行ってください。それからのことは任せます。」

 

「……御意。」

 

 主君の命を受け、それを了承すると、忠次は部下たちに命じ捕虜たちを陣へと連れていく。

 それを見送りながら、元康は泰朝が去っていった方向に目を向けた。

 

「…泰朝さん、吉姉さまはこのようなことで闘志を萎ませる方ではありません。むしろこれは…」

 

 それ以上は言葉に出さず、元康は不安げな表情で水掛城の方を見ていたが、配下から名を呼ばれると、兜を目深にかぶり直し、黙ってその場を後にした。

 後に残ったのは、物言わぬ織田兵の躯と、その死肉を狙うカラスの群れのみであった。

 

 

 今宵はこれまでに致しとう御座ります。

 

 

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