太閤転生伝   作:ミッツ

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「その男、猿では無い。俺の家来。人じゃ。」

そう言われたのは、織田家に仕官して暫くした頃。

馬の世話をしておると、何処かの家老の悪ガキ達から「猿退治じゃ!」と囃したてられ石を投げつけられた。
その頃の儂は、何処に行っても野猿だナンだと馬鹿にされ蔑まれながらも、媚びを売るように笑いながら、猿真似でもしておどけてみせる事しか出来んじゃった。そうしなければ、生きれんじゃった…

そんな儂の目の前で、あの方は悪ガキ達を殴り付け、先の言葉を仰った。

嬉しくて嬉しくて、仕方なかった。


尾張のうつけ姫

 今川との戦を終え、陣を引き払った織田軍は本城である清洲城に帰還した。その評定の間において、秀吉と良晴は城の主、織田信奈に対面していた。

 城に戻った信奈はコートを脱ぎ、湯帷子を片袖脱ぎにし、腰には虎の毛皮を袴の上から巻いており、髪はでたらめな茶筅に結っている。

 

(懐かしいのぉ、信長様も若い頃はよくこのような格好をしておった。しかし、あの胸当てはなんじゃ?)

 

 信奈の胸には黒い布製の乳袋ー現代人の言うところのブラジャーが着けられているのだが、戦国の世においてそのような物は本来存在せず、秀吉にとっては完全に未知の着物であった。

 おそらく胸の先端を衆目に晒さぬようにするものであると秀吉は推察するが、それならば着物をちゃんと着れば良いものを、と思わずにはいられなかった。

 

「つまり、あんた達は未来から来たと言うわけね。ホラだとしてもそこそこ面白いじゃない。」

 

 秀吉が乳袋に対し思いを馳せていると、信奈がニンマリと笑いながらそう言った。その口調はどこか楽しそうでもある。

 自分たちの身の上について、秀吉は自分と良晴が別の時代から来たことを包み隠さず打ち明けていた。

 己の知る信長と、この信奈という女大名が同じ気質を持つのであれば嘘や取り繕いを嫌い、寧ろ未来から来たという話に興味を示すと考えたからである。どうやらその目論見は上手くいったようだ。

 

「お待ち下さい姫様!そのような妄言を信じてはなりません!この者達は適当な事を言って姫様をたぶらかそうとしているに違いありません!」

 

「妄言も何も、こっち本当の事しか言って無いんだから仕方ないじゃんか。」

 

「なんだその無礼な口のきき方は!」

 

「無礼なのはそっちも同じだろ!」

 

 売り言葉に買い言葉。

 信奈に六と呼ばれた美女、本名 柴田勝家と良晴は周りが見ている前で口論を始める。

 その様子を眺めつつ、秀吉は心の中で溜め息をつく。

 

(まさか、あの鬼柴田が女になっておるとは…)

 

 秀吉の知る柴田勝家と言えば、織田家における武闘派の筆頭であり、秀吉にとっては越えるべき大きな壁の一つであった。

 それがまさかの巨乳美少女化である。ある意味信長が信奈になっていた事より衝撃的であった。

 

「二人ともそれまでです。主君の面前で言い争いをするなど家臣としてあるまじき行い。一点です。」

 

「うっ!だ、だけど万千代っ!」

 

「それに確かに信じ難い話ですが、その二人の話を真実だと証明する証拠がないのだとすれば、虚偽と証明する証拠もありません。現状では五十点といったところでしょうか。」

 

 そう言って勝家を諌めたのは、優しげな雰囲気を持つ落ち着いた女性である。

 通称万千代、またの名を丹羽長秀と言う。

 彼女もまた秀吉の知る世では、織田家の宿老の一人として内外に活躍し、豊臣政権下でも重鎮としてその辣腕を振るった大大名のはずである。

 信長のみならず、自身が羽柴と名乗る切っ掛けになるはずの二人までもが女になってしまっている現実に、流石の秀吉も疲弊していた。

 

「ちょっと、さっきから黙っているけどちゃんと話聞いてるの?」

 

 知らず知らずのうちに床を見詰めていた秀吉を、信奈が苛ついた様子で注意する。

 

「ややっ、これは失礼致しました。少々疲れが出てしまったようです。」

 

「ふんっ、まぁ戦の直後だし今回は見逃すわ。それよりも、あんた達が未来から来たという証拠はあるのかしら?」

 

「証拠でありますか?」

 

「ええ、そうよ。此方のあんたが持ってた『すまほ』とか言うカラクリは確かに目新しいものではあるけれど、これだけであんた達の話を信用するには足りないわ。もっと直接的に、私があんた達を未来の人間であると認めれる物があれば出しなさい。」

 

 信奈の命令に、秀吉と良晴は思わず見合わせる。

 その様子を信奈はニヤニヤと楽しげに眺めていた。

 

(ああ、こりゃ完全に遊んでおられる。)

 

 秀吉は信奈の表情から信長の悪癖を思い出していた。

 時に信長は、人を困惑させ慌てさせるような難題を命じ、それに右往左往する人の顔を見て楽しむという悪趣味があった。

 

(そういえば、バテレンの宣教師とどこぞの坊主を戯れで論争させた時も今のような顔をしておられたか。最終的に答えに窮した坊主が激怒し相手に掴みかかろうとしたのを、横から飛び蹴りを喰らわせたんじゃったか。おっと、今はそんな事思い出しとる場合じゃなかったわ。はてさて何と答えたものか…)

 

「どうしたの、自分達が未来人と証明出来る方法がないの?だとしたらあんた達の話は全くの出鱈目だと…」

 

「いや、あるぞ!俺達が未来から来たって証拠は!」

 

 答えを返さない秀吉達に信奈が挑発的な物言いをすると、良晴が勢いよく立ち上がって啖呵を切った。

 

「織田信長、いや、織田信奈!俺はお前が描く今後の展望を知っている!お前は尾張を掌握した後、美濃を攻略するつもりだ!」

 

「美濃を?」

 

「美濃は豊かな土地なだけでなく、京の都と関東を結ぶ交通の要所だ。尾張と美濃、この二つを取る事で京へ上洛する道筋が出来る。」

 

「…ふーん、続けて。」

 

「上洛し、京での実権を握り、その威光を利用し近畿での影響力を強める。そうして力を付け、天下に号令をかけ、各地の大名を従わせ、天下を統一する。そして…」

 

 良晴はゴクリと唾を飲み込む。

 

「世界へ、討って出る。」

 

 その瞬間、余裕の笑みを浮かべていた信奈の表情が変わった。

 口元からは笑みが消え、目は獲物を狙う鷹の如く鋭く光る。

 どこか緩んだ空気の流れていた評定の間に、それだけで緊張が走った。

 

「…あんた、いったいどこでそれを。」

 

「歴史マンガと歴史ゲームさ。その中じゃ、織田信長は若い頃から世界に目を向け、いずれ天下を統一したあかつきには海に出て世界に進出するのを夢見ているのが定番だからな。なぁ信奈、お前はこの国じゃ誰よりも先の未来を見据えてるかもしれない。だけど俺は、お前が見据えるさらに先の未来から来たんだ。」

 

 それでも良晴は信奈の威圧に屈せず、真っ直ぐに相手の目を見て話す。その態度はどこか不遜でもあった。

 

「おい貴様、さっきから聞いてれば姫様に対してなんという口のきき方を!」

 

「控えなさい、六。」

 

「しかし姫様!」

 

「私は控えろと言っているわ!」

 

 叩きつけるかのような叱責に、勝家は顔を青くし下がる。

 そちらには目もくれず、信奈は良晴の目を見据えたままゆっくりと近付いていく。

 その目は一切の誤魔化しや虚偽を許さぬ、強くも冷たい輝きを放っていた。

 秀吉も今は二人の邪魔をしてはならぬと瞬時に察し、口をつぐみ存在感を消した。

 

「…奇妙な感覚ね。いまだ誰にも話してはいない私の大望を、未来から来たという男が知っているなんて。未来人は過去の人間の心さえ読めるのかしら。」

 

「いや、多分これからお前が起こす行動だったり、発言だったりで想像した部分もあると思うけど…」

 

「…デアルカ。」

 

 そう言ったきり、信奈は黙りこくって良晴の顔を見詰める。じっと見られる良晴は、どぎまぎしつつも視線を逸らさない。誰も言葉を発せぬまま、ただ時が過ぎる。

 

 息詰まる空間を裂いたのは、やはり信奈であった。

 脈絡もなく良晴に背中を向けると、ずかずかと上座に戻り胡座を掻いた。

 

「いいわ。あんた達の身、うちで預かってあげる。」

 

「本当か!」

 

「ただし!今後未来について話すことは一切許さないわ。」

 

「えっ、どうしてだよ?俺達の知識があれば天下を取るのも楽になると思うけど。」

 

 信長の性格を知る秀吉は、信長様と同じ考えならそう言うだろう、とある程度予想していたが、そうではない良晴が疑問を口にする。

 

「この世は先が見えないからこそ楽しいのよ。人から聞いた己の人生を歩んだところで、それはもはや自分の人生では無いの。だから私の前で未来の知識を語ることを禁じるわ。あんたもよ、秀サル。」

 

「ひ、秀サル?それはもしや、儂の事でしょうか?」

 

「そうよ。だってあんた、どこからどうみても猿顔なんだもん。ついでにあんたは良サルね。」

 

「はあっ!?俺まで猿扱いかよっ!」

 

「別にいいでしょ、あんたも猿顔なんだし。それに語感もなんかちょうどいいし、秀でたサルと良いサル、ちゃんと誉めてるじゃない。」

 

「結局サルじゃねぇか!俺達は人間だ!」

 

「ああ、もう煩いわね。犬千代、さっさとこの二人を長屋に連れてって。」

 

「…はい、姫様。」

 

 信奈はうんざりした様子で自分の隣に控える女の小姓に命じる。

 信奈から命を受けた小柄な小姓は、いまだぎゃいぎゃいと信奈に食って掛かろうとする良晴の襟首を掴むと、引きずるようにして評定の間を出ていく。見た目に反した剛腕である。

 秀吉も上座に頭を下げ、二人を追って出て行く。

 

「あがっ!ちょっ、待って苦しいっ!くびっ!首が絞まってるからっ!」

 

「…姫様の決定に逆らってはダメ。長屋まで一緒に行く。」

 

「わかった、わかったから!ちゃんと着いていくから手を放し、あだっ!」

 

 女が良晴の懇願通りに手を放すと、良晴の頭部は重力に従い廊下の板に激突し、良晴は苦悶の表情を浮かべる。

 

「痛てて、あークソ、酷い目にあった。」

 

「大丈夫か、相良殿?」

 

「うん、まぁなんとか。それにしてもなんだあの女!人を雑に扱いやがって!」

 

「…お主の気持ちも判らぬでは無いが、相良殿もこれから主君となられるお方に対する言葉遣いと言うのを気を付けられよ。正直見ていて胆が冷えたぞ。ところで…」

 

 良晴を諌めた秀吉は、自分達を連れ出した小姓の方を向く。

 年の方は十を幾つか越えた頃。

 無表情で愛想は無いが目麗しい、されど何処かで会った事のあるような、というか信奈が呼んだ犬千代という名にはおもいっきり心当たりがあった。

 

「先程信奈様より犬千代と呼ばれておったが、もしやそなたは前田又左衛門殿ではありませぬか?」

 

「…うん。犬千代は前田又左衛門利家。犬千代は幼名。よく知って…どうしたの?」

 

 なぜか質問に答えた瞬間にガックリと肩を落とす秀吉に、犬千代が訝しげに尋ねる。

 

「いえ、少しばかり世の無情というのを感じ入ってしまっただけです。お構い無く。」

 

 勝家や長秀といった家臣までもが女であった時点で覚悟はしていた。

 それでも足軽の頃より苦楽を共にした親友の女性化は、信奈や勝家達とは別の意味で心に来るものがある。

 というか犬千代まで女になってしまったら、まつ殿はどうなるのだろう?

 

「それじゃあ早く、日が暮れる前に長屋町に行く。」

 

 友人の今世のあり方に思い悩む秀吉を気にする様子も無く、犬千代は二人を急かし城の外へと出る。

 

 犬千代の案内で城下へ出た秀吉一行は、程なくして下級武士の居住区、通称うこぎ長屋に到着した。

 

「こ、ここが武家の住む場所なのか。もっと豪華な武家屋敷を想像してたぜ。」

 

「足軽に住居を与えるだけ慈悲深いというものよ。戦がなければ大部分の足軽はタダ飯喰らいだからの。」

 

「そ、そうなのか。くぅ~、戦国時代は厳しいぜ。」

 

 そんな事を言いつつ三人は空部屋に入っていく。

 因みに秀吉の部屋は犬千代の右隣にあり、良晴の部屋はさらにその右側、要するに犬千代と良晴に挟まれた形となっている。

 

「ボロっちぃ上にすきま風が余裕で入ってくる。でも、秀吉さんが言う通り雨風が凌げるだけマシか。て言うか腹が減ったな。なあ犬千代、食料はあるのか?」

 

「ある。でもその前に浅野様のところに行く。」

 

「浅野様?」

 

「うこぎ長屋の主みたいな爺様。長屋の侍では一番偉い。」

 

 再び犬千代に連れられ外に出た秀吉達は、すぐ向かいの部屋に案内される。

 長屋で一番偉いと言っても内装は秀吉達の部屋とは大して変わらず、非常に質素なものであった。そして、その部屋の主である浅野翁たる人物は朗らかな笑みの似合う好々翁である。

 

「これはこれは信奈様、ずいぶんと大きくなられた。」

 

「ちがう、犬千代。」

 

「おうおう犬千代じゃったか。この前は柴犬じゃったが、ずいぶんと立派人間に化けたものじゃ。」

 

「…元から人間。」

 

「なあ秀吉さん、このじいさん完全にボケて…」

 

「いや、あれは犬千代をからかっておるだけじゃ。」

 

 言葉が支離滅裂な上に目の焦点が定まっていない。にも関わらず、瞳の輝きは失っておらず時折楽しげに細くなるのを見て、秀吉はこの老人がボケた振りをして面白がっていると判断する。

 いい加減話が進まないので指摘してやろうかと秀吉が思っていると、玄関の戸が開かれる音がした。

 

「ただいま!あれ?お客さんが来てるの?って、犬千代ちゃんじゃない!」

 

「おおう、帰ったか。」

 

 秀吉達が振り返ると、そこには勝ち気でありながら目に理知的な光を宿した少女がいた。

 年は犬千代と同じくらいか、来客に気付くと人懐っこい笑みで秀吉達に会釈する。

 

「紹介いたそう。これは儂の孫娘の「ねね…」寧々と、おや?」

 

 浅野が紹介するより早く、秀吉は思わず少女の名を呼んでしまう。

 それどころか先程とは打って変わって呆けた様子で寧々の事を見詰めている。目の前に現れた少女。彼女は紛れもなく秀吉にとっての生涯の女房の若い頃そのものであった。

 

「…あの、私の顔に何かついてますか?」

 

「えっ!ああ、これは失礼!お美しい御顔でしたので、ついつい見とれておりました。」

 

「まあ、お上手。ところで、私の名前をご存知のようでしたけど、何処かでお会いしたことが御座いましたか?」

 

「いえいえ。ただ拙者は美女と名高い浅野の寧々殿の噂を風の便りで聞いてました。この通り、耳は大きいので斯様な噂はよく入ってきます。」

 

 自分の両耳を摘まみ戯けた仕草で変顔を作ると、耐えきれぬ様子で寧々が吹き出す。

 

「ふふっ、面白いお方。そう言えば、姫様が戦場で猿を二匹拾ってきたと風の噂を聞いたのですが、そのお噂はご存知で?」

 

「はて?どうだったですかの?斉天大聖もかくやとされる者を得たと言う話はお聞きしましたが。」

 

 秀吉の返答に寧々はけらけらと笑い出す。

 その様子を浅野翁は興味深げに見ていた。

 

「ほうほう、初対面にも関わらず二人とも随分と仲が良さげだのう。」

 

「…うん、まるで長年連れ添った夫婦みたいに相性が良い。」

 

「というか秀吉さんのあの変わり様。あの子、寧々って言ってたけどもしかして…」

 

 一同がわいわいと陽気に騒ぎ、そろそろ夕粥の時間なればせっかくなので皆で食事にしよう、という寧々の発案により秀吉達がその好意に甘えようとしていたところ、表から若者の乱暴な声が聴こえてくる。

 

「なんだ騒がしいな。ちょっと見てこよう。」

 

 そう言って立ち上がった良晴を先頭に、秀吉と犬千代がそれに続いて表へ出る。

 足の悪い浅野翁と寧々は部屋に残された。

 

 表へ出ると騎乗した若侍の集団が長屋を囲んでいた。

 

「我らは織田信勝様の家臣団よ!浅野寧々よ、表に出てくるがよい!」

 

「信勝?って、誰だ?」

 

「姫様の弟。末森城の城主をしている。」

 

「ああ、そう言えばその様なお方もおったのぉ。儂は会った事はなかったが。それで、信奈様の弟君が如何様な要件で寧々殿に?」

 

 秀吉が尋ねると若侍は尊大な態度を崩す事無く、嘲笑を浮かべ鼻を鳴らす。

 

「なんだお前らは?名を名乗れ!」

 

「俺は信奈の家来!相良良晴だ!」

 

「同じく、木下藤吉郎秀吉に御座います。」

 

「ふんっ!知らぬな。雑兵無勢に答える義理は無いわ!」

 

「…犬千代も雑兵?」

 

「なっ!?又左もおったのか…」

 

 秀吉と良晴には高圧的に接していたにも関わらず、信奈の側近である犬千代を見つけると萎縮し声が小さくなる。

 それだけでこの若侍の底が見えた。

 気を取り直すように咳払いをしているが、既に秀吉はこの男にまともな対応をする気を失っていた。

 

「我らが若君、信勝様がここにいる寧々をご所望だ。即刻差し出せ!」

 

「差し出せと申されましても、寧々殿は我らの所有物でありませぬ故、勝手な事は出来ませぬ。」

 

「ならばそこをどけっ!俺が直接話をつける。」

 

「衰えた老人と年若い孫娘、その二人が慎ましく暮らす家に道理を知らぬ男共が大挙して押し寄せる。その様な真似は無作法と心得まする。」

 

「なにっ!貴様、我らを愚弄するか!?」

 

「拙者は見たままの事を申したまでです。」

 

「小癪なっ!そこに直れっ!」

 

 秀吉との問答に逆上した若侍が刀に手を掛け、場に一触即発の空気が流れる。

 

「双方共、お止め下さい!」

 

 両者の間に割って入ったのは渦中の寧々であった。

 寧々は凛とした態度で信勝陣営の前に進み出ると、恭しく礼をとる。

 

「漸く参ったか。さあ行くぞ!信勝様がお待ちだ。」

 

「以前より何度も申しましたが、私は既に清洲城にて女中として御奉公している身。急に末森に参れと命じられましても、応じる事は出来ません。」

 

「知れたことよ!お主は黙って我らの言う事を聞けば良いのだ!」

 

「きゃっ!?」

 

 自分の求めに応じぬ寧々に痺れを切らし、無理矢理連れて行こうと寧々の手首を掴む若侍。

 これには流石の秀吉も我慢の限界だった。

 気付けば寧々の手首を握る、若侍の手を取っていた。

 

「なんだ貴様この手は?」

 

「寧々殿が嫌がっておろう。即刻この手を放せ!」

 

「なにをっ!雑兵無勢がこの俺を信勝様が臣、林通具と知っての狼藉か!」

 

「やめないか、君達っ!」

 

 再び緊迫した空気が流れんとしたとき、争いを止めたのは涼しげな青年の声であった。一同が動きを止める中、若侍衆の間を割って白馬に乗った色白の貴公子然とした青年が柴田勝家を伴って現れる。

 その顔には信奈に似た面影があった。

 

「林君、女性に乱暴な行いはいけないよ。手を離してあげて。そっちの君も林君の手を放すんだ。」

 

「しかし若様、この者は…」

 

「良いから、早く。」

 

「…ははっ。」

 

 青年の命に林と呼ばれた男は渋々といった様子で引き下がる。

 秀吉も相手を睨み付けつつもその手を放す。

 それに満足した様子の青年は、騎乗したまま寧々に近寄った。

 

「林君が失礼したね。彼は少し僕の為に役立とうと張り切り過ぎるところがあるんだ。許してあげてくれないか?」

 

「…わかりました。信勝様がそう仰るなら。」

 

「ありがとう。では改めて、寧々ちゃん、僕らと末森に来ないかい?」

 

「…先程も申しましたように、私は既に清洲で御奉公しております。そもそも、なぜ私を召し上げようとなさるのですか?」

 

「君のように器量が良く、しかも女中の間でも優秀と評判の子を欲しがらない人はいないよ。あんなうつけの姉上に仕えるよりも、僕の所に来た方が君のためにも良い。」

 

「うつけ?それって信奈の事かよ。」

 

 信勝の言い草にカチンときた様子の良晴が物申すと、信勝は良晴と秀吉を見て眉を潜める。

 

「えっと、君たちは…」

 

「信勝様、こやつらは今日から信奈様の元に仕える事になった者達です。」

 

「ああ、そう言えば姉上が戦場で二匹の猿を拾ったと聞いたが君たちの事か。まったく、相変わらず姉上のうつけぶりには困ったものだ。」

 

 良晴達を見る信勝の目に蔑みの色が入る。

 それによって良晴の視線の険しさが強くなった。

 

「おい、うつけってどう言うことだよ!」

 

「言葉の通りさ。姉上は君たちみたいに禄に身分も分からぬような者達を集め近習にしたり、南蛮の宣教師と親しくなって影響を受けたり、うつけな格好で城下に出て鉄砲なんて物の演練をしたり、織田家の当主として目に余る事ばかりしてるんだ。」

 

 呆れ顔で信勝が話す内容に、勝家を除いた彼の取り巻きが下世話な笑い声をあげる。

 それに言い返そうとする良晴の袖を、犬千代がチョイチョイと引いていた。

 

(いま姫様と信勝様の関係はあまり良くない。ここで家来の犬千代達が問題を起こしたら戦になるかもしれない。)

 

(うぅ、でもよぉ…)

 

 犬千代から諌められ言葉を紡げなくなる良晴。

 秀吉もまた、黙って信勝の話を聞いている。

 その様子に気分を良くしたのか、信勝の舌の回りが増す。

 

「礼儀作法をまったく身に付けない。なのに父上は姉上を甘やかしてたから、ますます付け上がるようになった。その上、父上の葬儀の席に遅れて現れるばかりか、いつものうつけの格好で父上の位牌に抹香を投げつけたんだ!」

 

「そうじゃそうじゃ、姫様には呆れて物も言えん。あの一件で俺は姫様を見限ったんじゃ。」

 

「姫様のうつけっぷりには御母堂様も嘆いてらしたからのぉ。先代も何故あの姫に家督を譲ったのか。」

 

「あのうつけが続くようでは織田家の未来は暗いままじゃ。」

 

 信勝の言葉を切っ掛けに彼の家来が口々に信奈の悪し様を罵る。

 良晴は奥歯を噛みしめ、グッと我慢する。

 単純に犬千代から受けた忠告が効いていた事もある。

 だがそれ以上に、ここまで目立った反応を示さず、機を窺うように黙した秀吉が妙に気になったからでもあった。

 何か考えがあって好き勝手言わせてるのではないか?

 その様な予想が良晴の中にあった。

 

「まったく、信奈様ではなく、信勝様が御当主なれば良いものを!」

 

 斯くして良晴の予想は当たった。

 

「いま何と申された?」

 

「はぁ?」

 

「いま何と申したかと聞いておるのじゃっ!!!」

 

 突然雷鳴のごとき怒声が秀吉を中心に響き渡る。

 戦場でのものを超える大声は、近くにいた者達の脳をビリビリと揺らし、あまりの声量に馬が驚き暴れ、背の上から振り落とされる者もいた。

 その一人には先の発言をした林某がおり、秀吉は彼に憤怒の表情を向けている。

 

「な、なんじゃいきなり、無礼であろう!」

 

「無礼は承知!されど織田家を陥れんとするそなたの言葉は赦し難し!」

 

「お、俺が御家を陥れるだと!」

 

「然り!主の不明を嘆き、改められんと口にするは真に御家を想う忠臣なれば当然の事!寧ろ主人の顔色を窺い、その場凌ぎに耳障りの良いことばかり申す者こそ恥とすべし!しかしっ!」

 

 秀吉が大きく一歩進み出る。

 その動きに林の肩がビクリッと跳ねた。

 

「いま織田家は東の今川の脅威を受け、一致団結しこれに立ち向かわなければ為らぬ時期。にも拘らず、往来の場で現当主より相応しい者があると申すは家中に無用な混乱を招き、和を乱さん失言になりましょう。これ即ち織田家を害し、今川に利を与えんとするに等しき行いなれば、織田家の臣として今の御言葉、聞き捨てなりませぬ!!」

 

 秀吉の言葉に誰しもがすぐには反応出来ない。

 激昂しているようでいて理路整然と通具の失言を糾弾する様に、周囲の人間は完全に呑まれてしまっていた。

 特に信奈の家臣としてではなく、織田家の臣として意見を述べているため下手に反論することが出来ない。

 寧ろ、信奈の行いに不満を述べる事の意義を理を以て説いた上で、安易に当主の立場を説く事の危うさを示した秀吉の論説に感心する者もいた。

 しかしながら、主君の面前で己の失態を晒された通具は黙ってられない。顔を真っ赤に紅潮させ、今にも刀を抜かんとばかりに立ち上がった。

 

「雑兵が過ぎた事を!叩き切ってくれるっ!」

 

「止めろっ、林っ!」

 

「柴田殿っ!」

 

「こいつの言い草は言葉が過ぎるものかもしれんが、元はと言えばお前の失言。怒りを抑え、ここは収めよ。信勝様、それで宜しいですか。」

 

「えっ!?あ、ああ、うん。確かに林君も言い過ぎだったかな?姉上には直して貰わないといけない所もあるけど、いきなり当主を代わるってのもね…」

 

 急に勝家から話を振られ狼狽えるが、それでも一応は自身の考えを信勝が述べた事でもはや通具がこれ以上の事は出来ない。屈辱に耐えながら柄から手を放し、拳を握り締める他なかった。

 

「信勝様、間も無く夕飯の時間となります。御母堂様も待っておられましょうし、今日はこのくらいで。」

 

「うん?ああ、そうだね。母上を心配させてはならない。それじゃあ寧々ちゃん、僕はいつでも待ってるから好きな時に末森に来てね。じゃあね!」

 

 勝家に促されると、寧々にのみ挨拶をして信勝は馬の踵を返した。

 去り際に林通具が恨めしげに秀吉達を睨み付けるが、良晴が腕を組んで渾身のドヤ顔を見せ付けると射殺さんばかりの形相となって去っていった。

 

「へへん、ざまぁねえぜ!見たかよ林って奴のあの顔。滅茶苦茶悔しそうだったな。流石太閤秀吉だぜ。」

 

「ふんっ!口の巧さと勢いで乗り切る事に関しては儂の右に出るものはおらんわ。」

 

 良晴の言葉を受け得意気に秀吉が鼻を鳴らしていると、その袖を引くものがいた。

 目を向けると、寧々が顔を赤らめ秀吉を見ていた。

 

「あの、木下様、先程は助けていただき本当にありがとうございました。」

 

「いやいや、お構い無く。大した助けにはなりませんでした。それよりも寧々殿、お怪我は御座いませぬか?」

 

「はい!私は大丈夫です。これも木下様が間に入ってくれたお陰で…」

 

「おい、兄ちゃん達、ちょいといいか?」

 

 寧々の言葉を野太い男性の声が欠き消す。

 周囲を見渡せば、至る所で長屋の扉が開かれ、中からぞろぞろと人相の悪い男達が出てきていた。

 次から次へと今度はなんだ、と秀吉が思っていると男達の頭目とおぼしき額に刀傷を付けた大男が秀吉の前に仁王立ちした。

 

「…おい、貴様。」

 

「…なんじゃ。」

 

「…………よくぞ言ってくれた!」

 

 そう叫ぶと大男は秀吉の肩を強く叩き、周りの男達は一斉に歓声を上げた。

 これには秀吉や良晴も困惑する他ない。

 

「な、なんだなんだ。あんたら急に何を…」

 

「いやぁ、俺達も前からあいつらにはムカついてたのよ。これ見よがしに俺達の前で姫さんの悪し様を口にしておってのぉ。良いきみじゃ!」

 

「ほんに!特に林の糞垂れは弟君の側近であるのをいい事に好き勝手やっておったからのぉ。」

 

 秀吉達を囲み大声で笑う男達に、取り敢えずは自分達へ害意が無いことが分かり一息つく。

 すると犬千代が顔に傷のある男の側に寄る。

 

「…新介、二人が驚いてる。ちゃんと自己紹介する。」

 

「ん?おおっと、これは失敬。俺は姫さんの馬廻衆を務めとる毛利新介じゃ。いちおう馬廻衆のまとめ役をしちょる。」

 

「儂は服部小平太じゃ!お主ら今日の合戦で姫さんをお助けした二人じゃろ。奇特な者がおるとは思うたがこれほど弁が立つとはのぉ。」

 

 感心した様子で秀吉を見る小平太に、秀吉は顔の前で手を振り頭を下げる。

 

「いやいや、弁が立つなどと。結局、姫様の悪し様の謗りに何一つ言い返せませんでしたので。」

 

「謙遜するな!姫様の振る舞いを良く思わん者が多いことは俺達も知っとるし、そう思う理由も理解しとる。勿論、姫さんなりに考えがあっての振る舞いなんだが、あの方は肝心な所を言葉にするのに不器用だからのぉ。中々相手に伝わらんし、姫さんも姫さんで理解出来る奴だけ理解すれば良い、と突き放しておるから難儀するんじゃ。」

 

「そんなことは今はええ!折角この長屋に新しい仲間が来たんじゃ!歓迎の酒盛りをするぞ!」

 

 小平太の号令に再び男衆の歓声があがる。

 そのままあれよあれよという間に近くの空き地に酒席が用意され、秀吉と良晴を中心とした酒盛りが始まった。

 飲食類は各々が部屋から持ち込んだものであり、秀吉達を囲んで次々と酒を振る舞おうとする。

 当初良晴は未成年が故に酒の薦めに戸惑っていたが、ここが戦国の世であり未成年飲酒など関係ないと開き直るとあとは酒精に委ねるがまま、もとより人懐っこく陽気な性格もあって早々に長屋の住人達に溶け込んだ。

 秀吉も同様である。

 天性の人たらしの才を遺憾なく発揮し、瞬く間に数多の心を掴んでいった。

 そうして好きなように飲み、笑い、唄い、踊り、騒がしさが更なる人を呼び、結局長屋の住人全てが参加した歓迎の酒盛りは夜が耽るまで続けられた。

 

 

 

 

 

 

 

 良晴が目を覚ますと、そこは見知った自宅の自室ではなく、粗末な板張りの殺風景なあばら屋であった。

 少しずつ覚醒していく意識の中で、良晴はここが夢の中ではないことを自覚する。

 

「そうか、俺本当に戦国時代に来ちゃったんだな…」

 

 弱々しい声色で呟き再び寝ようと体を横たえるが、どうしようもない現実を目の前にし、今更ながら不安と寂漠が胸中を駆ける。

 結局寝るのを諦め、体を起こし部屋の外へと出た。

 戸を開くとヒヤリとする風が頬を撫でる。

 つい数時間前まで長屋の住人達が賑やかに騒いでいた場所も今は人の気配さえなく、灯り一つ無い路地を今まで見たことの無いほど大きく明るい月が照らしていた。

 

「どうした、眠れぬのか?」

 

 不意に頭上から問いが降ってきた。

 見上げれば長屋の屋根に秀吉が腰掛け酒を嗜んでいる。

 

「どうじゃ、眠れぬのならここに来て少し相手をせぬか?」

 

「…別にいいけど、どうやって登れば?」

 

「そこに木があるではないか。それとも、四百年先の世には木に上れる者はおらぬのか?」

 

 近くの柿の木を示しながらからかい笑う秀吉にムッとしつつも、良晴は木の幹に手をかける。

 慣れぬ動作の為か多少手間取りはしたものの、元来の身軽さもあって程なく秀吉の元へと辿り着く。

 

「へ、へへん、どんなもんだい!」

 

「ほう、これは見事な身のこなし。ささっ、まずは一杯。」

 

「あっ、いや、酒はちょっと…」

 

 この時代の酒は現代人たる良晴にとって飲み慣れぬ事を差し引いても喜んで飲める物ではなく、思わず固辞してしまう。

 秀吉も気を悪くした様子はなく、「そうか。」と一言呟いた後に自分で杯に酒を満たし口に運んだ。

 

「…時を遡り、人さえ変わってしまった世に来てしまったと思うたが、懐かしき地酒の味と月の姿だけは相変わらずであったのう。」

 

「…俺が知ってる月はもう少し暗くて、多分秀吉さんが飲んでる酒もきっと飲めなくなってると思う。」

 

「…そうか、四百年の時の流れは月の輝きさえくすませるか。」

 

 また一杯、秀吉は杯を満たす。

 その姿に良晴は自身の胸中にある疑問をぶつけたくなった。

 

「なぁ、秀吉さん。俺達は何のためにこの時代に来たんだろう?」

 

「うん?どうしたのだ急に?」

 

「いや、なんか色々考えちまってさ。俺がこの時代に来た意味とか…」

 

 ポツリと漏らされた良晴の胸中に、秀吉は四百年先の未来人の孤独を感じた。

 思えば元服をしている年齢とはいえ、突然見知らぬ場所に一人飛ばされたのだ。おまけに既知の人間は一人もいない。その心細さはとてつも無いものだろう。

 

「…相良殿、天が如何なる差配を以て儂らをこの地に呼んだかまでは、流石に儂にもわからん。」

 

「…そう、だよな。」

 

「…じゃがのう、この地にて何をするか決めるのは儂ら以外におらんと思うとる。」

 

 杯を満たす酒に映し出された月を眺めながら、秀吉は語る。

 所詮自分もこの若者から見ればこの時代の者達とそう変わらない。四十年と四百年。同じ時代を遡った者同士とはいえ、その隔たりはあまりにも大きい。

 ならば下手な慰めよりも、己が決めた今世の在り方を示し、この若者の一つの指針とならん。

 

「儂はのう、この地に来て悟った。」

 

「…何を?」

 

「儂には天下人の器はなかった。」

 

 秀吉の答えに良晴は言葉を窮する。

 まさか戦国三英傑に名を連ね、天下一の出世男として現代でなお讃えられる本人が、自身が天下人の器に無いと語るのはあまりにも予想外過ぎた。

 

「そんな事無いと思うけど。だって秀吉さんは天下を統一して、関白にもなったって…」

 

「なら聞くがのう相良殿、儂が死んだあと豊臣はどのくらいもった?」

 

 その問いに今度こそ良晴は言葉を無くしてしまう。

 『どうなった?』かではなく『どのくらいもった?』と尋ねる。

 その意味を良晴は正しく察していた。

 そして秀吉もまた、良晴の反応から自分が予想した通りの運命を豊臣家が歩んだ事を察した。

 

「…答えずとも良い。全て己が撒いた種じゃ。」

 

「秀吉さん…」

 

「体が若返ったお陰か、頭まで妙に冴えてのぉ。今更ながら過去の所業というのを落ち着いて振り返る事が出来ておる。なんと愚かな事をしたものか。要らぬ戦を起こし、奪わなくてよい命を奪い、買わなくてもよい怨みを買ったものよ。その因果をそのまま次代に引き継がせてしまった。」

 

「………」

 

「おそらく天下を狙うは内府殿、あるいは官兵衛。大穴で伊達の小僧あたりか。佐吉、虎、市松が合力すれば何とかなったかも知れぬが、おそらくそれも…」

 

 そこにあったのは歴史に名を刻んだ英傑ではなく、過去の行いを悔やむ小さな男の背であった。

 歴史知識として豊臣の運命を知る良晴であっても、胸を痛めずにはいられない男の哀愁が其処にあった。

 

「…それに儂は初めから天下など望んでおらんじゃった。儂にあったのは、信長様に喜んで欲しい、そればかりかじゃった。」

 

 信長と初めて会った時の光景が、いまだ秀吉には昨日の事のように思いだせる。

 どこに行っても容姿と出自で馬鹿にされ、一生懸命に働いても小賢しいと無下にされ続けた秀吉にとって、信長は初めて己の働きを正当に認め、評価してくれた主人であった。

 

『でかしたっ、猿っ!』

 

 初めてその言葉をかけて貰った時の喜びを思い出せば、今でも涙が出そうになる。

 信長との出会いを境に秀吉の天運は開けた。

 

「信長様には返しても返しきれん御恩がある。あの方は儂を人にしてくれた。あの方が喜んでくれるなら、儂は信長様の猿でええ、と思えた。あの方が夢を叶える事が儂の夢じゃった。」

 

 だがその夢は唐突に終わった。

 目標を失い、空っぽになった心を埋めるが如く、信長の描いた夢を追おうとしたが、それも上手くいかなかった。

 夢は終わったはずだった。

 

「相良殿よ、儂がこの地に呼ばれたのは、天があの時叶わなかった夢の続きを描いてみよ、と言っているのだと思うことにした。」

 

 夢を見た、夢を追いかけた、夢破れた、夢を追い越した、夢から覚めた。

 

「ならば此度は夢を叶えよう。たとえ性別が違おうとも、あの方の魂をどこかに宿しているのなら、儂は信奈様の野望を支える礎とならん!それが儂のこの地に来た理由じゃ。」

 

 そう言って満面の笑みを浮かべ月に杯を差し出す秀吉に、良晴は視線を外せずにいた。

 

「…秀吉さん、俺も秀吉の夢を手伝わせて貰ってもいいかな?」

 

「相良殿…」

 

「俺はまだ、自分が何のためにこの時代に来たのかが分からねえ。何をしたらいいのかも。でも今日信奈と会って、秀吉さんの話を聞いて、やっぱ歴史に名を刻む人ってすげえなって思った。そんな人達と一緒に俺も肩を並べて何かをやってみたいと思ったんだ!なあ秀吉さん、俺の事は良晴って呼んでくれ。そんで俺を秀吉さん達が描く夢に混ぜてくれ!」

 

 己に向かって正対し、拳をついて頭を下げる良晴を秀吉はまじまじと見つめる。

 そして杯を一気に煽ると、空いた杯に酒を満たしおもむろに口を開いた。

 

「…儂の夢はあくまでも儂の夢。人の夢を追いかけたところで所詮は仮初めよ。」

 

「………」

 

「だがもし、仮初めの夢の先に己の夢を見定めん覚悟があるのなら…」

 

 良晴の鼻先に月の映る杯が差し出される。

 

「共に励もうではないか!良晴っ!」

 

「…おうっ!」

 

 杯を受け取って一気に煽り、笑顔で力強く応える良晴。

 

 平和な世から四百年の時を遡り戦国の世へと降り立った少年と、一度は見失った夢をもう一度追う機会を得た嘗ての天下人。

 この二人の出会いが彼らの知る史実とは異なる歴史を辿る世界に大きなうねりを生むことになるとは、今はまだ誰も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「時に良晴よ、酒盛りの途中で犬千代がいなくなったのには気づいておったか?」 

 

「ん?ああ、そう言えば信奈に用事があるとか…」

 

「儂が一介の足軽であった時にも似たような事があってのう、その時も大殿に呼ばれて酒席を外すと申しておった。後に大殿が家臣を集め酒席を設けた際に、大殿が犬千代を側に呼んで髭を撫でながらこう言ったんじゃ。」

 

『寝所で可愛かった犬千代が、立派な武士になったものよ。』

 

「………えーと、それってつまり。」

 

「まあ、要するに犬千代は大殿のお気に入りの御相手だったという話じゃ。儂には衆道の何が良いのか分からぬが、他の者達は羨ましがってたのう。」

 

 どうせ入れるなら女の方が良い、と言う秀吉に良晴は何と返していいのか分からない。

 そもそも現代人としてノーマルな感性を持つ良晴に、戦国時代の衆道事情は少しハードルが高く、興味を持つに至らなかった。

 だが、どうして秀吉が唐突にこんな話を始めたのかと考えた時、この話の切っ掛けを思い出した。

 

「…夜遅くに犬千代が信奈に呼ばれた。」

 

「うむ。」

 

「秀吉の知る犬千代と信長は、そういう関係だった。」

 

「うむ。」

 

「………深夜に寝床に年頃の女の子が二人きり。何も起こらない筈がなく。」

 

「………衆道には興味は無かったが、この地の事情には興味が沸いてきたわ。」

 

 その後、月夜に夢を語りあった二人は、暫し夜の神秘について語りあった。

 

 いつの世も、男同士で盛り上がれる話題というのは決まっていることが分かったところで、今宵はここまでにしとう御座りまする。

 

 




・柴田勝家
 織田家筆頭家老。通称 権六。原作内では可愛くないからという理由で六と呼ばれている。
 原作では典型的な猪武者として描かれる事も多いが、史実においては領地経営でも優れた功績を上げており、特に北陸方面司令官として加賀を平定した手腕は評価すべき。
 また、非常に部下想いの人物だったようで、自身の最期まで付き従った部下たちには生きるように諭したとも言われている。

・丹羽長秀
 通称五郎佐。万千代は幼名。行政と軍務の両面で織田家を支えた人物であり、各地を転戦し戦功をあげる一方、安土城を普請も担当した。
 絶対に欠かせない存在として「米五郎佐」と称えられ、信長から「長秀は友であり、兄弟である。」と言われたとか。実際長秀の妻は信長の養女であり、息子の妻は信長の五女のためあながち間違いでは無い。

・前田犬千代
 史実における前田利家。信長の母衣衆から加賀百万石の大名となった人物であり、秀吉に負けず劣らずの出世街道を歩んでいる。
 若い頃は槍で武功をあげたりヤンチャして出奔したりもしたが、城持ちになってからは当時最新の計算器具であるそろばんを使いこなしていた。
 
・毛利新介
 服部小平太
 後にこの二人が、歴史に名を残す大手柄を上げることをまだ誰も知らない。

・寧々
 史実における秀吉の正妻。後の高台院。別名、北政所。
 妻として秀吉を支える一方で、家中の統制や緒大名との手紙のやり取りを秀吉に代わり行い、その手腕は信長にも認められていたとされ、ルイス・フロイスは『日本史』の中で寧々を『女王』と記している。
 本作の寧々は史実に合わせて秀吉と結婚した14歳前後の年齢としており、本作最大の原作改変点である。露漓魂の皆さんごめんなさい!

・信長と利家のエピソード
 詳しくは加賀潘公式資料『亜相公御夜話』の『鶴の汁』について調べて下さい。鶴の汁…
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