太閤転生伝   作:ミッツ

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蛇を越えし龍

 墨俣城で補給を済ませた織田軍は、翌日には敵本拠地である稲葉山城へ向けて出立した。

 その途上には前回のような新設された砦は無く、戦闘行為も一切行われていない。

 にも拘らず、進軍速度は前回に比べると格段に遅く、非常にゆったりとしたものだった。

 これは前回の戦で望外の連勝から無闇矢鱈に進軍した結果兵を疲弊させ、警戒を怠った末に敵の奇襲を許した失態を二度とせんとする意気込みの現れであった。

 

「とは言え、一度くらいは仕掛けてくるかと思っていたけど。義龍はかなり慎重な性格のようね。」

 

 その日の行軍を終えた信奈は、陣中で溜め息混じりにそう語る。

 その様子には少なからず疲労の色が見える。

 如何に残存する体力を考慮し進軍速度を緩めたとしても、常に警戒をしながら敵地を進軍するのは体力的には兎も角、精神的な疲労は妨げ辛い。

 

「姫様、その言い方だとまるで奇襲をして来て欲しかった様に聞こえますけど。」

 

「まあ、そうね。同じやり口仕掛けてくるなら返り討ちにしてやろうと思っていたわ。」

 

 万千代の言葉に、信奈は獰猛な笑みを溢しながら答える。

 ただし、目だけは笑っていない。

 

「人というのは一度上手く行ったやり方が、次も必ず上手く行くと無意識に思ってしまうものだわ。相手が対策をしてくるとは夢にも思わずにね。だけど義龍はそうはしなかった。それだけで義龍が一廉の武将であることが窺えるわ。流石マムシの子と言ったところかしらね。」

 

 信奈は自分のすぐ横へと目を走らせる。そこに坐すのは信奈の義父であり、美濃国の先代領主の斎藤道三である。

 

「マムシ、この後義龍はどの様にして私たちを迎え撃つと思う?」

 

「……正直に申すとよく分からん。儂の知る義龍と今の義龍は、似て非なるものじゃ。」

 

「…具体的には?」

 

「昔の義龍は激しやすく視野狭窄な部分があった。一つの事を目に捕らえてしまうと他の事には向かず、それ故に搦め手に容易く掛かってしまう甘さじゃ。しかし、先の戦においては柔軟に策を巡らし敵を陥れ、此度に関して我らの対策を見越して前回の策に固執しない思慮深さがある。明らかに、以前の義龍とは別人じゃ。」

 

「…なるほどね。大名として今までの自分を改めたか。いや、むしろ大名としての立場が義龍を一つ上へと昇らせたのかもしれないわね。利治、あんたはどう思う?」

 

 今度は傍らの小姓へと話を振る。

 振られたのは久太郎と同じ年頃の可愛い顔をした少年である。

 少年の名は斎藤利治。

 帰蝶と共に尾張へ逃れてきた道三の末っ子であり、現在は信奈の小姓として側仕えしている。

 義龍とは二十以上年の離れた腹違いの兄弟だ。

 

「はっ!義龍の兄上は自分にも他人にも厳しく、時には癇癪を起こすことありました。ですが、冷静であれば相手がたとえ下々の者の言葉だろうと耳を貸し、的を射ている思えば己の考えに組み込むお方です。」

 

「ふうん。元より他者の意見を聞き自分の物とする度量は有ったわけか。マムシ、どうやら義龍はあんたの後継者として不足は無かったようね。」

 

「だがそれは、あくまでも一大名としての器じゃ。義龍には天下を統べるだけの器も野心も無い。つまり、人に夢を見させるような人物では無いのじゃ。」

 

「故に天下を狙ったマムシの後継者として相応しくないと。ふふ、随分と厳しい親ね。」

 

 何かが独特の感性に引っ掛かったのか、信奈は道三の話に声を上げて嗤う。

 しかし直ぐに顔を引き締めると、スクッと立ち上がって陣内の家臣達を見渡す。

 

「物見の報告によれば、明日にはこの先に陣を構えた敵と当たるわ。今宵は準備を怠らず、気を引き締めて明日に備えよ。いいわねっ!」

 

「「「「「はっ!!」」」」」

 

 家臣達が一斉に頭を下げると、信奈は満足した様子で奥に下がろうとする。

 その帰り際、勝家を呼ぶと耳を寄せさせる。

 

「六、明日の先鋒をあんたに任せるわ。掛かれ柴田の力、存分に見せつけてやりなさい。」

 

「っ!?はっ、お任せ下さい!必ずや、姫様にご満足いただける働きを致しましょう!」

 

「ふふっ、励みなさい。」

 

 感激した様子の勝家を残し、信奈は今度こそ下がっていった。

 

 

 

 

 

 

 陣内での評定が終わって暫くした頃、各隊はそれぞれの持ち場にて明日の戦に備えていた。

 その中の一つ、陣の中心からやや外れた小規模な部隊が寄り集まっている所に相良隊はあった。

 隊員の数は二十四人。

 良晴や秀吉を抜くと大部分は五右衛門が率いる川並衆、それ以外は中村から呼び寄せた若い衆である。

 

「はあ、いよいよ明日かぁ。」

 

 その中心たる部隊長の良晴は、憂鬱な心境を隠せず何度も息を吐く。

 既に初陣は済ませてるとはいえ、良晴にとっては初めて人を率いる戦。

 一兵卒の時とはまた違った緊張感に苛まれていた。

 

「そう気負うで無い、と言っても流石に難しいかのぅ。じゃがこれも経験じゃ。この乱世で出世したいと願うならば、必ず向き合わねばならぬぞ。」

 

 そう言って良晴の横に座った秀吉は、肩を叩いて良晴を励ます。

 それを受け、少しだけ良晴は顔を上げた。

 

「まぁ、そうだよな。信奈だって俺達の命と夢を背負ってるんだ。俺も頼りにしてくれてる人達くらいは背負ってやらねぇとな!」

 

「その意気じゃ!さっきよりマシな顔になったぞ。」

 

「ありがとうな、秀吉さん。ところで一つ確認したいんだけど、俺達は稲葉山城に向かって行ってるよな。順調に行けばこのまま城攻めになるのかな?」

 

「いや、そうはならんじゃろ。最終目標こそ敵本城を落とすことじゃが、その前に美濃の中央部の城を落とすのに尽力するであろうな。」

 

「えーと、長期戦を見据えてか?」

 

「否じゃ。むしろ稲葉山城の南を押さえる事が、最も効率的に美濃を手に入れる事に繋がるんじゃよ。」

 

 いまいち要領を得ない様子の良晴に対し、秀吉は良晴にも解りやすいように地面に簡単な絵を描いた。

 

「よいか?美濃国は東西南北に繋がる交通の要所。じゃが、稲葉山城より北に行くと険しい山々が連なっておって少数なら兎も角纏まった数の軍を通すの難しい。即ち、東西に軍を行き来させるには南部の街道を通る必要がある。逆を言えば、ここを我らが押さえてしまえば一色家の軍事行動を著しく制限する事が可能なのじゃ。」

 

「ええと、ちょっと待てよ。一色が自由に軍を自由に動かせなくなると………あっ!」

 

 地面に描かれた略図と睨み合っていた良晴は唐突に閃いた様子を見せ、秀吉は笑みを濃くした。

 

「気付いたか、良晴?」

 

「中央を押さえて一色を動けなくしたら、浅井と協力して西美濃を囲める!」

 

「その通りじゃ!南部の街道を押さえ稲葉山城と西美濃の豪族達との連携を分断すれば、西美濃は四面楚歌になる。あとは攻め放題、調略し放題と言う訳じゃな。」

 

 織田が浅井と同盟した理由の一つがこれだ。

 西美濃を囲んでその地の豪族達を各個撃破するには、浅井との連携が大きな助けとなる。

 

 そもそも、美濃という地を大局的に見た場合、北部を飛騨山脈、東部を木曽山脈に囲まれ、耕作に適した土地は西部に集中している。

 その為、西美濃三人衆に代表されるように有力な家臣も西部に多く、ここを切り崩す事で一色家の力を大きく削ぎ落とす事が出来る。

 

「無論それは一色方も承知しておる。故に、我らが中央を押さえようとするのを全力で撃退しようとしてくる筈じゃ。」

 

「でも一旦中央部を取らせておいて東と西、それと稲葉山城からの三方向から一斉攻撃してくるって可能性は無いのか?」

 

 良晴は現代にいた頃に遊んでいた歴史戦略ゲームで、攻められた側が敵を撃退する時の代表的な攻略法を述べてみるが、秀吉は首を振って否定する。

 

「無きにしも非ずじゃが、現実的には難しいじゃろな。さっきも言うたように、美濃の地は街道を外れると険しい山々が連なっておる。そこを通って伝令を送るのは一苦労じゃし、連携の遅延は不回避じゃろ。よほど綿密に作戦を詰めねば成らぬし、少しの狂いで作戦そのものが崩壊しかねん。」

 

「そ、そうなのか。因みになんだけど、わざと防備を無くした城に敵を誘い込んで、周囲を囲んで袋叩きにするって策は…」

 

「そんなものさっさと城を出てしまえば良い。そもそも城を囲むというのは、兵を分散させるということじゃ。よほどの戦力差が無ければ各個撃破が怖すぎて出来んわい。」

 

 戦略ゲームで言うところの『棺桶』という作戦を良晴は出してみるが、これも秀吉は即座に否定する。

 野戦でなら兎も角、城攻めは相手を包囲しても攻める側の攻撃地点は限定される。

 城壁や堀があれば、それは立派な防衛設備。

 完全に防衛力を無くした棺桶にするなら、堀を埋め、城壁を壊し、城門の扉を外しておく位しなければ意味が無い。

 当然そうなればそれはもう城では無く、入ろうとする者はまずいない。

 仮に何かの間違いで城に入ってしまっても、兵力が拮抗している状況で相手が城の周りを囲んだならば、自分達は兵力を集めて一点突破。

 その後は城を囲む為に分散した敵を各個撃破していけば良い。

 

 即ち、秀吉から見れば『棺桶』戦法は机上の空論。

 現実性は何一つ無い無意味な作戦であった。

 

「じゃが、発想自体は面白い。相手を戦略上は無価値の場所を取らせて無駄手を使わせる。上手く嵌まれば十分有効じゃ。」

 

「マジで!なんかちょっと自信が出て来たかも。でもこうして見ると戦って囲碁に似てるな。どこを占領すればより有効に陣地を広げられるか。まさしく陣取り合戦ってな感じで。」

 

「そうじゃのう。碁は戦略、将棋は戦術を競うものと半兵衛に教わった。彼奴はどちらも上手かった。」

 

 不意に秀吉の目が遠くを見る。

 前世において、半兵衛と碁を打ってる時はよく碁に絡めて戦の話をした。

 大抵は秀吉が思い付いた作戦を口にし、半兵衛がそれについて淡々と問題点を指摘するのが常だったが、それでも秀吉は半兵衛の話を聞くのが楽しかった。

 まるで、賢者の叡知を一人占めしている感覚を味わえた。

 

「…半べ、じゃなかった、月の奴、いまどこにいるんだろうな?」

 

「…わからぬ。願わくば、菩提寺山の庵にいて欲しいものじゃ。」

 

 夜空に浮かぶ半月を見上げ、秀吉は静かに呟いた。

 

 

 

 

 翌日の早朝、東西に伸びる街道の通る平野にて、織田と一色の軍が相対した。

 双方ともに陣を構え、如何なる号令にも応えんと、気力、体力を充実させている。

 

 織田軍本陣中央では、マントを羽織った信奈がじっと瞼を閉じ、その時を待っていた。

 そこに一人、甲冑を身に纏った万千代が近づく。

 

「姫様、先鋒の柴田勝家様、準備が整ったとの事。」

 

「デアルカ。」

 

 瞼を上げて短く応えると、信奈は眼前に広がる戦場を見据える。

 

「数の上では私達がやや有利といったところかしら?」

 

「ええ。我らが五千、相手が三千と八百といったところ。浅井が上手いこと西美濃に圧力を掛けているおかげで、東西に兵を分散させる事に成功しています。八十点です。」

 

「とはいえ、決定的な差とも言い難い。いずれにせよ、この決戦が全てを決めるわ。」

 

 力強くその場に立ち上がると、遠くに見える一色家の旗を睨み付け、信奈は叫んだ。

 

「柴田勢前へ!尾張最強の力を見せつけよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、一色家の本陣からは勝家の軍勢が前進してくるのが確認され、俄に諸将の動きが慌ただしくなっていた。

 義龍の元に稲葉一鉄が近づき、その旨を報告する。

 

「大殿、織田が動き出しました。」

 

「…先鋒は柴田か?」

 

「ええ。武勇においては織田随一という噂もありますれば妥当な人選ですな。」

 

 一鉄の報告を受け、義龍は後ろに控える龍興の方を向いた。

 

「龍興、今の報告を聞いたな。何故、信奈は柴田を先鋒にしたのだと思う?」

 

「えっ!?いや、そりゃ一鉄が言ったように柴田勝家が織田で一番の武勇があるから…」

 

「本当にそれだけか?」

 

 義龍は改めて息子に問い掛ける。

 それに龍興が考え込むと、僅かに頷き答えを口にする。

 

「柴田勝家は織田家で内紛が起きた時に信奈とは敵対した。許されはしたが、それ以降に目立った戦功はない。となれば家中での立場が怪しくなってくるから、信奈はそれを気に掛けて何とか手柄を立てさせようとしてるんじゃねえかな?」

 

「うむ、よい着眼だ。儂もそう思う。あれは合理主義者などと口では言うているが、本質的に身内に甘い人情家だ。目に掛けた部下が肩身の狭い思いをしておるのを、何とかしたいと思っておるのだろう。」

 

 義龍たちの予想通りである。

 内紛を経て信奈の下に帰参した勝家の立場は、必ずしも良いとは言えない。

 尾張兵の中にあって武勇随一と言われる一方で、帰参後に目立った手柄を上げていないにも拘らず、筆頭家老の佐久間信盛や側近の万千代、政務筆頭の貞勝に続く地位にいる事に、家中では不満の声が上がり始めている。

 それに気付いた信奈は、今回の戦を勝家の名誉挽回の機会としたい思いがあった。

 

「時に龍興よ、兵法の基本は相手の嫌がる事をする事だ。予測の外から殴り付け、目論見を潰し、後手に回らせる。それ即ち必勝への道筋なり。」

 

 我が子へ戦の作法を説き、義龍は狙いを定めた。

 その視線の先には、騎馬隊を率いて前進する勇壮な姫武者の姿がある。

 

「まずは一つ、先手を取らせて貰うとしよう。」

 

 

 

 

 

 

 

 戦場から少し離れた小山の山道を、二人の若者が登っていく。

 先導するのは西美濃竹中家に仕える喜多村直吉。

 それに続くのは彼の主君である竹中半兵衛重治であった。

 

「重治様、あと少しで頂上。もう一頑張りです。」

 

「はぁはぁ、はい。ありがとう御座いますぅ。」

 

 息も絶え絶えになりながらも必死に足を動かし半兵衛は直吉に着いて行く。

 程なくして、山道の奥に青空が見えた。あの先が山の頂上である。

 歯を喰い縛って気力を振り絞ると、半兵衛は落ち葉を踏み締める足に力を込めた。

 

「ああっ、見えましたよ重治様!ちょうど始まるところだったみたいです。」

 

 先に到着した直吉の言葉に引っ張られ、半兵衛は横に並ぶ。

 額の汗を拭いながら麓を見下ろせば、桔梗紋の旗を掲げた騎馬武者の集団が先陣を切って一色軍へ突撃している。

 

「迎え撃つのは、氏家様の軍ですか?」

 

「どうやらそのようです。騎馬隊が前に出ています。」

 

「騎馬隊が?」

 

 直吉の言葉に半兵衛は眉間へ皴を寄せる。

 だがすぐに、納得した様子で大きく頷いた。

 

「なるほど、義龍様は後の先を取るおつもりのようですね。」

 

「後の先?氏家様の騎馬隊に何か仕掛けがあるのですか?」

 

「はい、恐らくは。事前に聞いていた話から考えると、新兵科を試すおつもりなんでしょう。」

 

 眼前の戦場では、今まさに柴田の騎馬隊が氏家へ襲い掛からんとしている。

 だが、氏家の兵達は目の前に敵が迫ってきても慌てる様子は無く、どこか余裕をもって柴田勢を迎え撃たんとしている。

 その姿に、半兵衛は義龍が氏家に策を授けたことを確信する。

 

「不遜ながら私が思うに、謀に関しては義龍様は道三様に遠く及ばず。されど戦において、義龍様は既に道三様を超えるものをお持ちです。」

 

 半兵衛は思う。

 

 もし、織田信奈の胸中に義龍を甘く見る心が一分でもあるようならば、絶対に義龍に勝つことは無いだろうと。

 

 それを証明するが如く、戦場を揺るがす轟音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 本陣を立った柴田勢は、問題なく一色勢へと迫っていた。

 皆一様に闘志を滾らせ、今にも飛び出しかねん気勢をもって勝家の合図を今や遅しと待ちわびている。

 そんな彼女等の前に展開するのは、氏家直元率いる騎馬隊。横陣を敷き、勝家達を迎え撃たんとする構えである。

 

 不足無し。

 勝家は槍を振り上げると、その切っ先で天を指した。

 

「皆の者、尾張兵の力を見せつけよ!一斉に…」

 

 攻め掛かれ、そう続けようとした勝家の背筋に言い様の無い寒気が走る。

 戦人の勘とも言えるだろうか。

 いずれにせよ、このまま進んだ先にある濃密な死の匂いを勝家は感じ取っていた。

 

「止まれっ!!」

 

 そう叫んだ勝家に驚きながらも、配下の兵達は馬の手綱を引く。

 それとほぼ同時に、氏家勢の騎馬武者が一斉に頭を垂れた。

 その後ろから現れたのは、火縄銃を構えた鉄砲隊である。

 

「騎馬鉄砲だっ!?」

 

 悲鳴じみた叫びが柴田勢から上がるのに続き、無数の発砲音が鳴り響く。

 僅かに制止が間に合わずに飛び出していた柴田勢が、バタバタと落馬する。

 予期せぬ先制攻撃を受けた柴田勢は攻勢から一転、敵前にして混乱状態に陥ってしまった。

 

「いまだっ!かかれぇっ!!」

 

 これを見逃す馬鹿はいないとばかりに、鉄砲隊を下ろした氏家勢は猛然と勝家達に襲い掛かる。

 足が止まった騎馬隊ほど狙いやすい的は無い。混乱して統制を失ったなら尚更である。

 万事休す。

 氏家勢の尖兵が、立ち往生する柴田勢の兵へと槍先を突き立てんとする。そして

 

「うおおおおおっっぅ!!!」

 

 凄まじい怒声を上げる勝家に横合いから槍で殴られ、馬ごと吹き飛ばされた。

 敵味方問わず、思わずその光景に呆気に取られる中、勝家は鬼の形相で味方を見る。銃弾が掠めたのか、頬に出来た切り傷から鮮血が流れ落ちている。

 

「尾張の兵が鉄砲ごときにビビるなぁっ!!ブッ殺すぞ!!」

 

 もはや泣く子を黙らすどころでは無い。鬼すらも黙らせる閻魔の一喝が戦場に響く。

 だがそれが、配下の兵達の闘志を甦らせた。

 勝家は閻魔の様相のまま敵軍を向くと、雄叫びを上げてその中心に飛び込んだ。

 それに続かぬ者など、柴田勢にいる筈も無い。

 

 

 

 

 勝家達が奮闘する様子は、織田本陣からも確認できた。

 それを見ながら万千代は、隣の信奈へと声をかける。

 

「六さん、よくやってくれてますね。一時はどうなる事かと思いましたけど、見事に立て直しました。八十点ですっ!」

 

「六ならこのくらい当然よ!それとも、万千代は六がやらかすとでも思ってたの?」

 

「…正直に言うと少し心配してました。ここ最近、六さんの周りが少し騒がしかったので。本人も気にしていましたし。」

 

「…まぁ、そうね。それに関しては私も考えたのよ。今回あの娘を先鋒に抜擢した理由の一つであることは間違いないわ。でもね…」

 

 前線では柴田勢が猛烈な勢いのままに氏家勢を押し上げていた。

 それを見た信奈は笑みを濃くする。

 

「柴田勢こそ尾張で最強。これに勝る抜擢の理由は他に無いわ!」

 

 勝家達の奮闘に織田軍全体が大いに士気を上げた。

 然れど戦は、まだまだ始まったばかりである。

 

 今宵はこれまでに致しとう御座りまする。

 




・斎藤利治
 道三の末っ子で、義龍とは腹違いの弟。
 史実では『美濃譲り状』を道三から預かり、信長へ渡したとされる。
 信長からは大変可愛がられ、一族同然の扱いを受けていたとされる。
 武将としても有能で、美濃に城を貰い各地を転戦。
 信忠の側近にも抜擢され、最後まで主君に殉じた。

・稲生の戦い以降の柴田勝家
 史実では稲生の戦いで信勝から信長へと下った勝家だが、この後暫くは目立った活躍が無く、桶狭間でも留守役に甘んじていた。美濃攻めでも当初は活躍する機会に恵まれず、歴史学者によれば鞍替えしてきた立場上の配慮が成されていたとされる。

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