太閤転生伝   作:ミッツ

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天下布武

 一色義龍が息を引き取ったその日の晩、信奈が拠点とする砦の一室で信奈と道三は対面していた。

 信奈はそこで、道三から稲葉山城での顛末を聞いている。その周囲には、他に誰もいない。

 

「…尾張の民を愛すように、美濃の民を愛して欲しい、デアルカ…」

 

 信奈は静かに言葉を紡いだ。

 それは眼前で伏する道三から聞いたばかりの義龍の遺言であり、道三が二人っきりでという条件のもと伝えた内容だった。

 

「…マムシ、なぜ義龍は私にこの言葉を伝えたのかしら?」

 

「…思い当たるに二つ。一つは、真に美濃の民を想ってのこと。もう一つは、信奈ちゃんに儂の二の舞をさせぬ為じゃろう。」

 

「マムシの二の舞?」

 

「…儂はのう信奈ちゃん、若き頃は本気で天下を獲ろうとしておった。その為に他人を陥れ、足蹴にし、美濃一国を手にした。だが、そうやって手にした美濃でさえ、儂にとっては天下を目指す為の踏み台だった。きっとそれが、義龍や家臣には透けておったのだろう。ふっ、追放されて当然の振る舞いじゃ。」

 

 自虐的に笑う道三の雰囲気は、いつになく覇気に乏しかった。

 よわい六十を越え堂々としていた佇まいも、今は小さく縮こまって見える。

 まるで、一日にして急激に歳を取ったようであった。

 

「他人の心は解らぬもの。されど、振る舞いから想像は出来る。信奈ちゃんが美濃の民の心を掴めねば、再び美濃は戦乱に巻き込まれるじゃろう。それで傷つくのは民じゃ。それを義龍は危惧していたのであろう。」

 

「………デ、アルカ。よくわかったわ。義龍の言葉、重々肝に銘じるわ。」

 

「ありがとう、信奈ちゃん。それと、儂からもお願いじゃ。」

 

 そう言うと道三は、信奈に向かって深々と頭を下げた。

 

「本日を以て、暇乞いを致しとう御座る。」

 

 道三の願いに、信奈は一瞬目を見開き動きを止める。

 だが暫しの間、無言のまま頭を下げ続ける道三を見つめると、小さく溜め息を吐いて背中を向けた。

 

「一応、理由を聞いてもいいかしら?」

 

「………此度の一件で今一度思い知った。儂に天下の器量など、最初から無かったのだと。信奈ちゃんに夢を託したつもりでおったが、とんだ勘違いじゃった。儂はただ、己の人生を正当化したかっただけじゃ。」

 

 絞り出されるのは後悔の念。悪逆な人生を歩んできた己に対する羞恥が込められていた。

 

「儂は上ばかり目指し、足元の者を見ようともしなかった。愚劣を嫌い、怠惰を切り捨て、旧きを軽んじ、才無きを無価値と断じた。己が何よりも正しいと盲信し、天下を射止めて才を示さん等と驕り昂った。まこと救い難き愚か者じゃ。」

 

 道三は己の人生を思い起こす。

 

 京で北面武士を勤める武家に産まれるも、様々な事情により父の代で役目を解かれ、一家の生活の為に寺に入るしかなかった。

 そこで早くから頭角を現したが、仏に祈るばかりでは救世は成らぬ、と若くして悟り寺を飛び出した。

 還俗し油問屋の奈良屋に奉公すると、そこの主人に働きぶりを評価され、娘を娶り婿となった。

 その後、各地を行商として行脚していくうちに、現世は力が物を言う世なのだと理解する。力さえあれば世を動かし、歴史に名を刻むことも可能であると。

 ならば自分はどうなのかと。自らの力を試し、天下に名を轟かせる資格が有るのではないかと。

 故に道三は武士になった。己の才を示さんが為に。

 

「儂は自分の夢が、いや、己の過去の所業が間違いであると、認めたくなかったのだ。今までの非道は全て、天下に繋げるに必要な悪だとしたかった。信奈ちゃんに国を譲ろうとしたのもそうじゃ。儂の為した悪行は、間違いなく天下に繋がっていた。そう思いたかったんじゃ。我が子や民がどのような思いを抱くかを考えもせず…」

 

「…ここを離れ、どこか行く当ては有るの?」

 

「…今はまだ。だが何処かの寺に入り、義龍の弔いを出来ればと思うておる。」

 

「……デアルカ。好きにすれば。」

 

「…忝い。」

 

 最後にもう一度深々と頭を下げると、道三は信奈に背を向ける。

 だが、部屋を出る直前に足を止めると、もう一度信奈の方を向いた。

 

「信奈ちゃん、相良の小僧には、これからも役目を与え続けるが良いじゃろう。」

 

「良しサルに?」

 

「うむ。あの小僧は使えば使うほど伸びる奴じゃ。そして必ず、信奈ちゃんが時代を進める手助けをしてくれる筈じゃ。」

 

 そう言い残すと、道三は今度こそ部屋を出ていった。

 去り際の横顔は、僅かばかり晴れやかに成っているようにも見える。

 

 一人きりになった部屋の中で、信奈はじっと想いに更ける。近くに人のいる気配は無い。

 

「……時代を進めるなんて、軽々しく言ってくれるわね。本当に、男って自分勝手…」

 

 自分は一抜けしといて、と信奈は苦々しく呟く。ただ、その表情は明らかに寂しげであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やってくれたな。」

 

 稲葉一鉄の開口一番の一言に、半兵衛は腹の奥がキュウと絞れる感覚を覚えた。それでも何とか顔色が崩れぬように、表情筋に全力を込める。

 場所はいつかと同じ半兵衛の庵。あの時と同じく、部屋にいるのは半兵衛と一鉄のみである。

 

「まさか御主が直接城に乗り込むとは思わなかったぞ。城攻めのどさくさに紛れて逃がすくらいはする、と思っておったがのう。」

 

「…稲葉様は、私が龍興様を生かそうとするのを分かっていながら、私に寝返りの話を聞かせたのですか?」

 

「ああ。御主が人目を忍んで龍興と親しくしておるのは知っておったからのう。必ず龍興を生かそうとすると思っておったわ。」

 

 当たり前の様に語る一鉄に、半兵衛は背中に寒気を感じる。

 きっと一鉄は、密かに半兵衛を配下に見張らせていたに違いない。

 もし仮に一鉄の言うように、城攻めのどさくさ紛れに龍興を逃がそうとしていれば、事は露見し半兵衛も龍興と引っ捕らえられて織田方の前に付き出されていてもおかしく無い。

 

「まあ、今となってはどうでも良い。結果としては城攻めの必要も無くなり、損失も抑えられた。西美濃衆の総意として織田の傘下に入れたのだから、これ以上は望むべきでは無い。」

 

「…あくまでも、西美濃の為ですか?」

 

「…ああ、俺はこの地に産まれ、この地に育てられた。美濃に仇成す者がいればそれを誅し、美濃に恵みを与える者がいれば受け入れよう。それが俺の士道だ。」

 

 稲葉一鉄という武将はその後、織田に降ってからもその才を発揮し、各地を転戦し多くの手柄を上げる。

 しかし、一鉄は一度として加増や転封を望むことは無く、生涯を通して美濃の領主として在り続け、彼の地の発展に貢献した。

 まさしく、美濃の為に生き、美濃に尽くした人生と言えよう。

 

 半兵衛は一鉄の言葉に納得した。

 この男は骨の髄まで美濃の国人なのだ。全ての理念が、美濃の安寧に繋がっている。

 その点で言えば、一鉄は最も信頼できる武将の一人であった。

 

「ときに重治、御主に一つ聞いておきたい事がある。」

 

「…なんですか?」

 

「御主は龍興に惚れておったのか?」

 

「なっ!?」

 

 意外過ぎた質問に半兵衛の顔は一瞬にして真っ赤になる。一方で一鉄の真剣な面持ちは変わらず、冗談やからかい類いでは無いと見えた。

 半兵衛は一旦お茶を飲み呼吸を整えた。

 

「どうして今そんな質問を?」

 

「いや何、実は以前から御主を龍興の妻にという話はあってだな。今更ながら御主が阿奴をどの様な感情を持っていたか、気になったのだ。」

 

「…あの、私と龍興様は仲が悪いと噂になっていたのでは…」

 

「ああ、御主が龍興から小便を引っ掛けられたというあの話か。あれは御主が漏らしたのを龍興が咄嗟に誤魔化したのだろう?新参は兎も角、当時仕えていた者たちは皆察しておる。」

 

 所詮子供の浅知恵だな、と一鉄は小さく笑う。

 

「じゃ、じゃあまさか、龍興様が此処に来ていたことも…」

 

「家老職の者なら皆知っておったぞ。龍興は女好きだが、一人の女にこれほど執着するのは珍しかったからな。御主の父が道三に付かなければ、具体的な嫁入りの話もあったであろう。で、御主自身はどう思っていたのだ?」

 

 再び尋ねられ、半兵衛は今一度自分と龍興の関係に思いを巡らせる。

 そうしてしばらく思案していたが、ほどなくスッキリとした表情で顔を上げた。

 

「私も武家の娘です。もし親や主君から嫁入りの話があれば、どのような相手であろうと喜んで相手の家に入るのが私の務めです。ですが稲葉様、貴方様が聞きたいのはこういう答えでは無いのでしょう?」

 

 その問い掛けに一鉄は黙ったまま言葉を返さない。故に半兵衛は言葉を続ける。

 

「私は喜太郎様を、お慕いしておりました。」

 

 目線を逸らさず、ハッキリとした口調で半兵衛は告げる。未練など何一つ無いという、晴れやかささえあった。

 

「お慕いしていたか…」

 

「ええ。」

 

 迷い無く答え、半兵衛は想う。

 あれはきっと、初恋の成り損ないだったのだろう。

 お互いにどこか遠慮していた。

 大切な存在だったのは間違いない。

 だけどあと一歩、互いに踏み出せなかった。気を遣い過ぎていたのかもしれない。

 だけど、その距離感が心地好く、気が楽だった。或いはどちらかの立場が少しでも違っていれば、進展していたかもしれない。

 だがそうは成らなかった。だから初恋の成り損ない。

 愛情でも無く、友情とも少し違った微妙な距離感にある男女の絆。それが半兵衛と喜太郎の間にあったものだ。

 

「…つまらない質問をしたな。そろそろ失礼しよう。」

 

「もうよろしいのですか?」

 

「ああ。もともと御主に恨み言を言いに来ただけだ。用件は済んだ。」

 

 そう言って立ち上がると、一鉄は半兵衛に背を向け入り口の戸を開けた。

 

「おっと!?」

 

「っ!?これは失礼。」

 

 戸の向こうかでは誰かが居たらしく、ちょうど一鉄と鉢合わせする形となっていた。

 半兵衛が首を伸ばし確認すると、そこに居たのは…

 

「藤吉郎様っ!?」

 

「お久しゅう御座います、竹中殿。御来客中のようで、出直して来ます。」

 

「いや、もう帰るところだ。ではな、半兵衛。」

 

 秀吉を一瞥すると、一鉄は今度こそ庵をあとにする。

 残された秀吉は一鉄に向かって軽く一礼すると、半兵衛に向き直って戸を閉める。

 

「改めまして竹中殿、突然の訪問で申し訳ありませぬ。いま、よろしいですかな。」

 

「はい。どうぞ御上がり下さい。」

 

「忝ない。では、失礼いたします。」

 

 半兵衛に促され、秀吉は庵に上がる。

 お茶を出そうとする半兵衛だが、秀吉はそれを手で制した。

 

「此方から押し掛けておいて茶まで頂く訳にはまいりません。竹中殿、実は今日、姫様に御願いをして参りました。」

 

「信奈様にですか?」

 

「はっ。そのぅ、竹中殿の処遇について少し。」

 

 そう話す秀吉の口調は普段に比べて妙に歯切れが悪い。

 目線も世話しなく左右に揺れ、姿勢も少し前傾である。

 短い付き合いの半兵衛でさえ、いつもと違う秀吉の態度に怪訝な表情を作る。

 そうしていると、意を決したように秀吉は切り出す。

 

「竹中殿、ここから逃げ出す気はありましょうや?」

 

「えっ?」

 

 突然の申し出に半兵衛の口から呆けたような声が出る。だが、秀吉の表情はいつになく真剣だった。

 

「思うに、竹中殿は戦国の世に向いておりませぬ。勿論、その知謀に疑う余地は無く、此度の争乱でも存分に発揮されたのは周知の事実。されど、竹中殿の御気性は優しすぎます。」

 

 僅かな兵で稲葉山城を占拠してみせた半兵衛の名は、既に織田家中にも響いている。多くの武将が興味を持ち、自軍に取り込めないかと機会を伺っていた。

 

 だが、半兵衛の性格は戦国武将の生き方と、致命的に相性が悪かった。おまけに半兵衛の身体はあまり丈夫では無い。

 このまま乱世に身を投じれば、遅かれ早かれ心身を疲弊することになるだろう。

 

「故に竹中殿が乱世から逃がれたいと思う事、拙者は当然と思っております。いざとなれば、竹中殿が御隠れになる手助けをする所存に御座います。」

 

「…藤吉郎様、どうして私にそこまで?」

 

「竹中殿が、私にとって大切な存在であるが故に。」

 

 秀吉は半兵衛の問いに迷いなくそう答えた。

 胸中にあるのは、生涯の友と成り得た男を心半ばで失った後悔。同じ思いは二度と御免だった。

 

 そんな秀吉の思いを完全には理解できなくとも、秀吉が心から半兵衛を気遣っていることを半兵衛は理解した。

 故に、口元に笑みを浮かべながらも、半兵衛は申し訳なさそうに目を伏せる。

 

「藤吉郎様の御提案、誠にに有難く。おっしゃる通り、私は外の世界が怖いです。だけどそれよりも恐ろしいのは、私自身の気質。私は知識を得る事に楽を感じ、それを活用することに喜びを感じます。たとえその結果、多くの命を奪うことになろうとも…」

 

 半兵衛は争い事が嫌いだ。自分が傷つくのも、他人を傷つけるのも厭う。

 だが一方で、古今の名将と呼ばれる者たちが駆使したという策を知る度に、胸の内に興奮を覚え、己ならどうするかを夢想する。そうして気づけば嬉々として敵を屠る策を練る己に、半兵衛は時折恐ろしさを感じ、自己嫌悪に陥るのだ。

 

「口では戦は嫌いだと言いながら、心の内では戦の勝ち筋を常に考え続けている。そのような人間は、世に出るべきではないとさえ考えていました。いえ、ただ単に自分の手を汚したくなかっただけです。ですが、そんな浅ましき心の内に変化がありました。」

 

「……それはもしや、良晴の夢によるものですか?」

 

「…はい。戦が無く、民の大部分が幸せに暮らせる国。もし、本当にそんな国があるならば、我が才により歴史を進める道を歩いてみたい。そんな風に思ってしまいました。」

 

 夢でさえ望むことさえ出来ぬ国に魅せられたのは義龍だけではない。むしろあの場にいたほとんどの者が良晴の話に魅力を感じていた。それは秀吉も同様であった。

 

「そうでございますか。然らば、しょうがありませぬなぁ。」

 

「申し訳ありません。お気遣いいただいたのに…」

 

「いやいや、お気になさいますな。お気持ちは良く分かります。竹中殿の御決意、この藤吉郎が応援いたしまする。その上で、竹中殿に一つお願いしたいことがありまする。」

 

「私にお願いですか?」

 

 改まった様子で真っすぐに見つめてくる秀吉に、半兵衛は顔を緊張させ背筋を伸ばす。

 そんな半兵衛に対し、秀吉は咳払いを一つしてから口を開いた。

 

「竹中殿。」

 

「はい。」

 

「ああ、いや……竹中重治殿。」

 

「はい?」

 

「………半兵衛殿。」

 

「っ!?…はい。」

 

「儂は産まれが卑しく、まだ此方では武士として駆け出しじゃ。それでも、此度の戦では少なからず手柄は立てたと思うし、信奈様は働きに対しては正当に評価して下さる御方じゃ。とはいえ、既に城持ちの半兵衛殿に比べれば身分違いも甚だしいのじゃが…」

 

 そこで言葉を切り、秀吉は伏し目がちに半兵衛の反応を伺った。

 半兵衛は何も言わず、静かに微笑んで続きを促す。

 それを見て、秀吉は覚悟を決めた。

 

「儂は半兵衛殿を側に置きたい。そう、姫様に御願いした。他に褒美は何も要らぬので、どうか半兵衛殿を儂の手許に置く許しを、と言ったところ、半兵衛殿が良しとすれば、という条件で御許し頂けた。なので、こうして貴方様の気持ちを伺ったのじゃが………如何に?」

 

 恐る恐るといった様子で弱気に尋ねてくる秀吉。それを見て、半兵衛は思わず吹き出してしまう。

 まるで下の者が上役に物をねだるが如くする様は、人によっては大変情けなく見えるだろう。

 しかし、半兵衛にはそんな秀吉の振る舞いが『愛おしく』見えてしまった。

 

 ああ、なるほど。これが…

 

 笑いを抑えながら半兵衛は会得した。

 目の前では秀吉が不安そうな面持ちで半兵衛を見ている。

 半兵衛は目を細めると居ずまいを正した。

 

「…私には弟がいますし、それを支えてくれる家臣もいます。私がここを離れても、上手くやってくれる筈です。」

 

「っ!?では!」

 

「だけど一つ、御願いが御座います。」

 

「おおっ、何だ?何でも申せっ!」

 

 前のめりになる秀吉の姿に、思わず笑みが溢れる。

 秀吉が喜ぶ様子を見ると、自然と己の心も高鳴ってくる。

 ほんのちょっとした動作にさえ感情が揺さぶられる程、半兵衛は秀吉に完全に参ってしまっていた。

 だから、絶対に譲れぬ願いを半兵衛は口にする。

 

「殿は要りません。私の事は半兵衛とお呼び下さい、藤吉郎様。」

 

「っ!?ああ、ああっ!!勿論じゃ半兵衛!半兵衛っ!!ああっ半兵衛!!!」

 

「そ、そんな何度も呼ばなくとも。」

 

 興奮した様子で何度も自分の名を呼ぶ秀吉に、流石に半兵衛も顔を紅くする。

 だがそれでも、顔がにやけるのを抑える事が出来ない。

 

「忝い半兵衛っ!!本当に忝いっ!!これからは儂の側で、友として儂を支えてくれ!」

 

「えっ、と、友としてですか?」

 

「ああ勿論じゃ!儂にとって半兵衛は唯一無二の友。たとえ周りがなんと言おうと、それ以外にあり得ん!よろしく頼むぞ、半兵衛っ!」

 

 屈託のない、日輪が差すかのような笑顔と共に秀吉は手を差し伸べる。

 半兵衛は一瞬手を伸ばすのを躊躇しそうになったが、何とか笑顔を作ると秀吉の手を握る。

 

「はい、こちらこそよろしくお願いします。藤吉郎さま。」

 

 これはこれで良いのだろう、と半兵衛は己を納得させる。

 それに、友達から始まる関係も世間には数多くあるのだと聞いている。

 稀代の軍師は秀吉の手の感触を確かめながら、胸中で小さな決意を固めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やけに空気が澄んでやがる。

 馬上の龍興は半分の月を見上げながら、そう思った。

 思えば既に秋の終わり。冬の足音はすぐ其処にまで近付いていた。

 例年ならそろそろ年越しの準備を始める頃であるが、城主を失った城は喪に服し、闇夜を背負ってシンと静まり返っている。

 

「…なぁ、本当に行くのか?」

 

 下から龍興に問い掛ける声があった。龍興が目線を下げると、心配そうな視線を送る良晴がいる。

 

「もう一度、考えてみないか?信奈から家来に成るように言われたんだろ。そりゃ彼奴はムカつく事もあるけど、仕えてみたら案外話の分かる奴だしさ、喜太郎にだって悪いようにはしない筈だぜ。なんだったら、俺からも話をするからさ、もう一度…」

 

「ありがとな、良晴。だけどな、俺の失態のせいで親族を失い、俺を恨んでる国人衆が沢山いる。これから新たな一歩を踏み出そうとしている時に、家中の不和の芽を残すのは不味いだろ。それによ、もう決めたんだ。」

 

 話を遮り断りを入れると、良晴は悲しそうな顔をする。

 それに申し訳なさを感じながらも、龍興は己の決意を語る。

 

「良晴、お前の夢を親父は良い夢だって言ってたけど、俺も同じさ。想像も出来ないくらいの幸せに満ちた未来を作る。きっと日ノ本じゃ、お前以外に思い付いた奴はいないだろうよ。ほんと、すげぇ奴だよ、良晴は。」

 

「そんな、俺は別に…」

 

「謙遜するな。俺は悔しいんだ。このままじゃ戦にも負けて、夢でも圧倒されて、負けっぱなしだぜ、俺。まだまだ、終われねぇよ。」

 

「………なんだよそれ。武士の意地かよ。」

 

「ちげぇよ。男の意地さ。」

 

 我ながら何とも自分勝手だと龍興は思う。だが、心の内で荒ぶる衝動は抑えきれなかった。

 あの日、龍興は産まれて初めて憧れを持った。しかも相手は同年代の友人である。

 だがそれは同時に、言葉に出来ない敗北感と共にあった。

 

「今の俺には何も無い。武士としての実力も、誇れる夢も。だけどいつか、美濃兵にも負けない精強な一軍を率い、もう一度織田に挑む。そうして漸く、俺はお前と向き合えるんだ。だから今は、お前の誘いには応じられねぇ。」

 

「……そうか。なら、仕方ねぇな。」

 

 龍興の答えを聞いて、良晴は残念そうにしながらも納得した様子を見せる。

 夢を追いかける誰かに憧れ、自らもそこに至りたいと望む気持ちは誰よりも理解できた。

 

「でも、行く宛はあるのか?」

 

「いやそれは何とも。そもそも俺は美濃の外に行ったことが無いしな。まぁ、何とかなるだろ。」

 

「へぇ、国を追われるってのに随分と呑気なのね。」

 

 不意に良晴と龍興の会話に女の声が割って入る。

 声の出所に顔を向けると、腕を組んで口をへの字に曲げた美女がいた。

 

「って、信奈じゃねぇか!どうしてここに!?」

 

「決まってんでしょ。あんな無様な負け戦をやらかした奴がどんな顔をしてるのか見に来たのよ。」

 

 そう言って龍興の前に立つと、信奈は不機嫌な様を隠すこと無く龍興を睨み付ける。

 

「こうして顔を合わせるのは初めてね。織田三郎信奈よ。」

 

「おぉっ、御初にお目にかかる。噂では美人と聞いていたが、実物は予想より遥かに別嬪だな。」

 

「どうも。あんたも思ってた以上にマムシに似てるわね。私を袖にしたところなんか特に。」

 

 不機嫌な様子で皮肉を言えば、龍興は愉快そうに笑った。

 良晴はハラハラと信奈の顔を伺うが、相変わらず口をへの字にしているが、その瞳から冷たい色は見受けられない。

 

「いやはや、敵大将自ら見送りに来ていただけるとは、感謝のしようも無い。時に信奈殿、一つ聞きたい事がある。」

 

「……何よ?」

 

「信奈殿は自らの夢が未来の平和に繋がると信じられておられるのか?」

 

「はぁ?もしかしてそれ、良しサルの夢の話を言ってるの?だったら私に言わせれば『知ったことか!』よ。」

 

 腕を組み、馬上の龍興を見上げながら、信奈は傲慢不遜に言い放つ。

 

「四百年も先の話でしょ。そんな私が死んだずっと後の事なんて、気にしたってしょうがないでしょ。面白い夢だとは思うから勝手にやってれば良いんじゃない。」

 

 己の夢は己の物。他人の夢は他人の物。

 信奈は明確にそこを別けて考えていた。或いは、信奈は今という時だけを見つめて行動していたとも言える。

 ただ己の夢の為に驀進し、それに続く者やその先を見据える者がいれば、自分の責任で自分の力で行え(ただし、問題が発生したら確実に報告しろ。)、というのが織田信奈のスタンスであった。

 

「…なんというか、思ってた以上に厳しいんだな織田家って。だけどよ、どうして信奈殿はそこまで自分の夢に真っ直ぐに突き進めるんだ?何か原動力に成るもんでもあるのか?」

 

「…私が子供の頃、南蛮の伴天連から昔話を聞いたわ。かつて南蛮には天より高い塔を建てようとして、神の怒りを買って塔を崩された王が居たそうよ。私はその話を聞いて、神に挑まんとする王の心意気に感動したわ。いつか私もこの世の誰も挑戦した事の無い覇業に挑んでみたいと。」

 

 いや、その話は神に至ろうとした人間の愚かさを説く話であって、神に挑もうとした王の武勇伝では無いんじゃないの?という疑問を良晴は抱いたが、空気を読んで黙っておいた。

 

「私は今その挑戦途上にいる。そしていまだ、神罰を受けてないわ!ならば進み続けるのに躊躇する理由などない!」

 

「…ではもう一つ問おう。天下統一には、時に非情な決断も必要と思うか?」

 

「当然ね。武を以てして世を治めんとするならば。」

 

「日ノ本を治め次にするべきは?」

 

「決まってるわ。疲弊した国を立て直し近代化。海外にも進出できる富国強兵に繋げる。」

 

「ならば、その道中に背負いし業はどうする?生きる者すべての想い受け入れ、その責務に胸が潰されそうな時、どうやって顔を上げるんだっ!?」

 

「……阿呆が、そんなもん些細よ。」

 

 信奈は髪を掻き上げると、凄惨にして冷たく、されどその奥に見る者を引き付ける圧倒的な生命力に滾った光を宿す瞳で龍興を射抜いた。

 

「是非に及ばず。」

 

 其れこそ、織田信奈の生き方。そう言い切るが如く、短く言い切った。

 

「………なるほどなぁ。これが織田信奈か。」

 

 龍興は小さく呟くと視線を良晴へと向ける。

 良晴もまた、龍興を見ていた。

 二人は無言だが、不思議と互いに思う事は伝わった。

 

 

『恐ろしい。だけど間違いなく良い女だな。こりゃお前が惚れるのも無理ないぜ。』

 

『だろ。喜太郎も今からでも仕えないか?』

 

『いんや。良い女だからこそ、ますます挑みたくなっちまったよ。』

 

 お互いに相手へ笑みを送り、ほぼ同時に視線を外した。それが、別れの合図だった。

 

「いい話を聞かせてもらった。ならば俺もいずれ信奈殿に負けぬ大望を抱き、信奈殿に挑戦しよう!」

 

「ふふ、どっからでも掛かってきなさい。ギッタンギッタンにしてやるわ。」

 

 最後に信奈と言葉を交わすと、龍興は手綱を操り背を見せる。

 その背中に名残惜しさを感じながらも、良晴は黙って見送る。

 友の門出を心の内で祝しながら。

 

「おいっ!良晴っ!」

 

 背を向けたまま龍興が友の名を呼ぶ。

 一瞬虚をつかれるも、良晴もその声に答えた。

 

「なんだ、喜太郎っ!」

 

「機会があれば、また一緒に女郎小屋に行こうなっ!」

 

「なっ!?おまっ!!」

 

「さらばだっ!」

 

 そう言い残すと、龍興は馬を駆けさせあっという間に良晴の視界から消えた。

 思わず追いかけようとした良晴だったが、その気概は瞬く間に失した。なぜなら…

 

「女~郎~小~屋~?何かしらそれは~?」

 

 先程とはまた違った意味を持つ凄惨な笑みを浮かべた信奈が、良晴の肩にがっしりと爪を立てていた。

 

「え、ええとな、信奈さん。これは何というか…」

 

「ゆっくりで良いわよ~。その代わり何から何まで全部話なさい~。私達が必死に戦の準備をしている時に、美濃で何をしてたのか。」

 

 あ、終わった。

 肩に掛かる圧力からそう察した良晴は、闇中に消えた親友に向かって恨みの籠った決別の言葉を発した。

 

「てめえ喜太郎っ!!覚えてろよおおおお!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 良晴が信奈に城へと引き摺られている頃、龍興は二人の連れ合いと共に旅の道中にあった。

 

「さてと、ほんじゃま行くとするか。」

 

「良かったんですか、龍興様?あの人、龍興様のご友人だったのでは。」

 

 そう訪ねるのは斎藤飛騨。龍興の側近の一人である。

 

「ハハハ、どうにも最後に一杯食らわしたくなってな。まあ、負け惜しみってやつだ。」

 

「負け惜しみならもう少し遣り様があるでしょうに。本当に若様は…」

 

 そう言って溜息を吐くのは龍興の女中であるお猪。彼女もまた、龍興のすぐ近くで歩みを供にしていた。

 

「それよりも、お前ら本当に良かったのか?こんな行く当てのない流浪人に付いて来るなんざ。」

 

「…私は龍興様の近衆です。加えて、側で龍興様をお支えせよとは亡き父の遺言でも御座います。流浪の身になったくらいで、やめることなど出来ませぬ。」

 

「それに若様みたいな甘ちゃんが、一人で無難に旅路など出来るわけがありませぬ。どこぞで野垂れ死にされて寝覚めが悪くなったら適いませぬ故、せめて独り立ちできるようになるまでは付き纏わせていただきます。」

 

 双方口ぶりは違っているが、結局のところ龍興が心配で付いてきたのに変わりはない。

 そんな二人の従者の心遣いに、龍興の顔にも笑みが浮かぶ。

 

 肉親を失い、家を失い、国さえも失った身ではあるが、人心だけは最後の最後に僅かに残っていたようだ。

 その幸福を噛み締めると、龍興は心の内に誓う。必ずや、この忠臣たちが誇れるような戦国武将になると。

 

 

「ですが、いったいどこに向かわれてるのですか?」

 

「ん?そうだな。やっぱり最初に行くなら都だ。京の都で新たな一歩を踏み出そうじゃねぇか!」

 

「なるほど、京であれば人や情報も多く集まり、御家再興の手掛かりも掴めそうですな!」

 

「とかいって、ほんとは京女が目当てではないでしょうね、若様?」

 

 国を追われた行く当ての無き旅路。されど、彼らの歩みに悲壮な色は無し。

 どこか呑気に、だが胸中には天下の野望にも負けぬ希望の種を忍ばせ、三人の若者は行く。

 彼らが再び夢でさえ見ることの出来ない国へと繋がる歴史の舞台に上がるのは、そう遠くない未来の事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 年が明け、稲葉山城の大広間では年始の行事が行われようとしていた。

 集まったのは織田家の主たる将達。そして、新たに傘下に加わった美濃の有力国人たちである。

 彼らの視線の先には、新たなる美濃の支配者となった姫武将、織田信奈の姿があった。

 

 信奈は一様に自分を見上げる家臣たちの顔を見渡すと、暫し瞼を閉じ呼吸を整える。

 時が止まったかのような静寂に包まれた大広間に、信奈の呼吸音だけが響き、やがて止まる。

 静かに開かれた瞳が、全ての臣下を視界に捉えた。

 

「…昨年は皆の衆の奮闘により、我が織田家は大きく飛躍する事が出来た。今年は新たに我が傘下に加わった者達とも、手を取り合って更なる発展を築けるように願ってるわ。」

 

 信奈は一旦言葉を止める。目の前では、家臣たちが次の言葉を今か今かと待ちわびていた。

 それを確認すると、信奈は懐から二枚の用紙を取り出した。」

 

「…私はここに、織田家の新たな門出を宣言する。その一環として、この稲葉山城の名を『岐阜城』と改めるわ。」

 

 そう言うと、信奈は用紙の内の一味を広げ『岐阜』の字を家臣たちに知らしめた。そして、家臣らの騒めきが収まらぬ内に、もう一枚の用紙に手を掛けた。

 

「そして、この地より我らが始めるは武による天下の掌握。それにより日ノ本の政を変え、新たなる法を全国に布告する。そう…我らが成すは時代の変革。即ち!」

 

 信奈はその手で用紙を広げ、己の決心を高々と掲げた。

 

「『天下布武』。これ以外に私の、この織田信奈の野望は無いわっ!」

 

 誰もが息を呑んだ。

 だが、誰一人としてその大言を疑う者はいなかった。

 今まさに、自分たちは歴史の動く瞬間にいる。そう直感するほどの覇気が信奈からは感じられた。

 

「さあ、私の野望への道を共に来るか、否か。返答は如何に?」

 

 答えなど決まっている。

 そう言わんばかりに皆立ち上がり、思い思いに主君の名を叫んだ。

 

 その日、一人の風雲児が明らかにした野望が、数多の運命を巻き込み動き始めた。

 その行く先は夢でさえ見れぬ国か?或いはまた別の未来か?

 四百年先の世を知る物でさえ、いまだ知る所ではない。

 

 今宵はこれまでに致しとう御座ります。

 

 美濃攻略編 完




次章予告

美濃を手に入れた信奈達織田家の面々。
彼らが次に向かう先は

「さあ行くわよ!京の都へ!」

日ノ本の中心、京。
そこで待ち受けるのは、伏魔殿の怪物たち。

「あの田舎娘、案外使えそうでおじゃるなぁ。」

「万事、この松永久秀にお任せくださいませ。」

「あなたはこの場所で、何をなされるおつもりなんです?」

さらに、新たなる戦いの火ぶたの先には、予想外の出会いが。

「意外と早い再会になったな。良晴。」

「この光秀が、貴方に天下への道を教えて差し上げます。」

そして、戦いは関東でも。

「皆の為にも、なんとしてでも駿河を落とします。」

「一人たりとも、生きて駿河から返すなっ!」

「こういう時には、意外と氏政はやってくれますから。」

様々な思惑が交差する中、秀吉と良晴は如何なる決断を下すのか?

「さて此処は一つ、信奈様のお役に立つかのう。」

「こうなりゃ自棄だ!だけど絶対生き残ってやるからな!」

太閤転生伝 上洛編 近日開幕
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