太閤転生伝   作:ミッツ

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心配御無用

 秀吉達が織田家に仕官して一月が経とうとしていたある日、清洲城の石垣を信奈が視察していた。

 その側には秀吉と小姓の利家が控えている。

 信奈は石垣の隅々まで自身の目であらため、時折手で触りながら丹念に点検していき、やがて満足気に頷いた。

 

「うん、確かに期日内に石垣の修繕、不足無く行えたようね。秀サル、よくやったわ。誉めてあげる。」

 

「ははっ!有り難き幸せに御座りまする!」

 

「それにしても、職人達を其々の持ち場に組分けし、早く修繕を終わらせた処から追加で報酬を上乗せすると言って競わせるとは考えたわね。しかも、城下の酒屋や飯屋に作業場の近くで出張販売するのを許可し、その場所代から追加分の報酬を出してるから予算の負担もそれほど増えて無いのね。」

 

「ははっ!職人達は一生懸命働き報酬が増え、商人達は懐が温かくなった職人相手の商いが捗り、信奈様におかれましては城の防備を万全に出来ると共に、気前の良い領主と評判になりましょう。」

 

 人はただ命じられただけでは中々動かない。利を示し、欲を掻き立てる事で動かし易くなる。秀吉が前世で何度となく使った手法である。

 ついでに言うと、うこぎ長屋では何処の組が一番に修繕を終えるかの賭けが行われていた。胴元は当然秀吉であり、そこでの収益も追加分の報酬の補填に充てられているため実質的な損益はプラスになっている。

 景気の良い秀吉の言葉に信奈の機嫌も悪くない。

 

「此れで取敢えずは城を攻められてもすぐに落城という事は無くなったわ。マムシとも同盟が組めたし、あとは信勝達が変な真似をしないように手を打たないと。」

 

 先日、尾張と美濃の国境にある聖徳寺にて織田信奈と『美濃の蝮』こと斎藤道三の会見が行われ、そこで道三の娘『帰蝶』を信奈の妹に迎え同盟関係が結ばれる運びとなった。

 女が大名家の跡を継ぐ姫大名なるものが罷り通る今世において、婚姻関係では無いものの己が知る歴史を辿っていることに一先ずは安心するも、この同盟関係の行く末を知るだけに秀吉の心中は複雑である。

 ちなみに会見の場において良晴が重大な役割を果たしたそうだが、普請を指揮していた秀吉の知るところでは無い。

 

「そういえば、良サルの方も今日が兵糧の買い出しの期日なのだけど、ちゃんとやってるのかしら?」

 

 何気無い口調で信奈がそう呟く。

 聖徳寺での会見が終わった後、良晴は信奈より兵糧の買い出しを命じられていた。

 しかし、支給された予算では清洲の相場で目標とする量の半分ほどしか賄えず、そこを如何にして遣り繰りするかで良晴の力量を見極めんとする信奈の思惑が見てとれた。

 

「…良晴には何やら考えがある様子で御座いました。然らばこの藤吉郎、進捗具合を確かめに参りとう御座いますが如何でしょうか?」

 

「…別にあたしはあんな奴の事はどうでもいいけど。出来なかったら切り捨てるだけだし。でも、秀サルが気にしてるようなら許可するわ。良サルがちゃんと仕事をしているか確かめて来なさい。」

 

 素直では無い言い方に微笑ましくも思うが、それを顔に出さず神妙な面持ちで御意を示す。

 

 

 

 

 信奈のもとを辞し、秀吉は良晴の様子を確かめるべく長屋に向かった。

 その横には先程まで信奈の側にいた利家がいる。信奈がお目付け役として一緒に行くように命じたのだ。

 

「…けど本当に良晴は大丈夫?主命を遂げれなければ打ち首もあり得る。」

 

「ん?ああ、まぁ大丈夫ではなかろうか。何せあやつは儂から五右衛門を借り受けとるのだからの。」

 

「五右衛門を?」

 

「うむ。おそらく、清洲近隣の相場を調べさせておるのじゃろう。」

 

 その様に言ってみたがイマイチ反応が良くない利家の様子に、秀吉は詳しく説明してみせる事にした。

 

「つまりじゃ、始めに津島で塩を仕入れる。それを美濃の井ノ口で売ればどうなる?」

 

「……美濃は海に面していないから塩は貴重。清洲で売るより高く売れる。」

 

「その通りじゃ。逆に美濃で売るより清洲で売った方が高くなる物も有ろう。土地によって必要とされる物の価値は変わる。それを知るために忍びである五右衛門を使って相場を調べさせておるのよ。あとはその情報を基に商いを行い元手を増やしていけば、十分な兵糧を買えるだけ銭が集まるという訳じゃ。」

 

「…なるほど。秀吉達は頭が良い。」

 

 利家は感心した様子ではあるが、秀吉は「この程度、大した事では無い。」と言う。

 

「相場というのをもっと大きく動かせるようになれば、それこそ戦になる前に戦に勝てよう。」

 

「戦になる前に戦に勝つ?いったいどうやって?」

 

「それを知るには、銭という物をもっと知る必要がある。まあ今後織田家が大きくなるに連れ、嫌でも知らければならぬ事じゃ。」

 

 二人がその様な話をしながら歩いていると、程なく長屋に到着した。

 秀吉は良晴の部屋の前に立つと戸を叩く。

 

「良晴、おるか?入るぞ。」

 

 そう声を掛け、戸を開くと予想外の光景が秀吉の目に写った。

 

「おおっ!?良晴、これはまたどうした!」

 

「あっ、秀吉さん!へへん、どうだい。俺、結構商才があるみたいだぜ。」

 

 部屋の中はゼニ銭で敷き詰められており、床を見ることすら叶わなかった。

 その中心で良晴は自慢気に胡座を掻いている。

 

 秀吉が利家に説明した通り、良晴は五右衛門の情報網を使い各地の物価を調べ、川並衆を通じて特産品の交易を行う事で元手を大幅に増やすことに成功していた。

 それでも、ここまでの大成功は秀吉をしても予想外であった。

 

「いやはや、これは恐れ入った。まさかこの短期間でこれ程の稼ぎを出すとは。」

 

「…うん、素直にすごい。良晴には商人の才がある。」

 

「やっぱり!いや~、マジでこれモテモテになるんじゃね?こんだけ金がありゃ、贅沢し放題だぜ!」

 

「うむうむ、良き事かな。ところで良晴よ、米はどうした?」

 

「へ、米?」

 

「何を呆けておる。お主は信奈様から兵糧を買い出して来るよう命ぜられ銭を稼いでおったのじゃろ。その米は何処に…」

 

 すっとぼけた良晴の表情に、途中まで話しておいて秀吉の脳裏に嫌な予感がよぎる。

 

「良晴、お主まさか…」

 

 良晴の顔を見れば、みるみるうちに血の気が引き細かく震え始めた。

 予感が確信に変わる。

 

「やべぇ、稼ぐのに夢中で米買うの忘れてた…」

 

「お主は馬鹿か!?それとも阿呆か!?」

 

「…多分両方。」

 

「うぐっ、返す言葉も無ぇ。」

 

 あまりにも初歩的な失態に秀吉と利家の両名から叱責され、先程までの威勢は何処へやら、ガックリと肩を落としてしまう。

 期限は今日の夕刻まで。既に日は中天を過ぎており、一刻の猶予もない。

 

「とにかく今ここにある銭で米を買えるだけ買うしかあるまい。儂も手伝う故、気を保て。」

 

「…犬千代も手伝う。」

 

「うう、二人とも有り難う。恩に着る。」

 

 三人は床に散らばった銭を手早く分けると、長屋を飛び出し其々別の米問屋へと向かった。この際値切り交渉などは一切せず、全て商人の言い値で仕入れ米に換える。

 仕入れた米は五右衛門が急遽召集した川並衆に長屋の前に集積させ、夕刻前には何とか指定された分の兵糧を揃えることが出来た。

 

「ふぅ、何とかなったのう。良晴、お主は先に城へ行け。信奈様に此度の失態を詫び、間も無く兵糧が届くと申し開きをするのじゃ。さすれば流石に命までは勘弁して下さるじゃろう。」

 

「最後まですまない秀吉さん。先に城で待ってる。」

 

「おう、またすぐ会おう。」

 

 城に向かって走り去った良晴の背を見送ると、秀吉は集められた米俵を見やる。

 

「よしっ、では数を確認次第、我らも出るとしよう。」

 

「…うん。これで数が足りなかったら何のために清洲中を走り回ったかわからない。」

 

「かっかっかっ、良晴のやつには何か旨いもんでも食わせて貰わねばのぉ!」

 

 秀吉と犬千代は手早く米俵の数を確かめると、台車を引いて清洲城へ向かう。

 その最中、秀吉は良晴について思いを巡らせていた。

 

(四百年先の世の者とは如何なものとは思ったが、中々やるではないか。多少抜けた所もあるが、同じ条件で佐吉に同じ事をやらせても同等の成果を出せるかどうか…。それが果たして本人の気質によるものか、はたまた四百年の積み重ねがもたらしたものか…。)

 

 此度の良晴の働きは、米の買い忘れという失態はあれど、十分にその役目を果たしたと言えるものである。

 更には、予定の兵糧を買い揃えてもなお銭は大量に残っており、これを武器や常備兵を揃える予算に回せると考えれば失態を挽回し余りある手柄だ。

 

「…前世であれば妬ましくも思ったであろうが、今世の我が夢を思えば、誠に喜ばしきことよ。」

 

「……なんの話?」

 

「ふふっ、いや、きっとこれだけの兵糧を見れば信奈様もお喜びになられるだろうと思ったのじゃ。」

 

 不意に笑みを浮かべた秀吉を訝しむ犬千代に応え、秀吉は力強く台車を引く。

 そうしている間に城の門が見えてきた。日はまだ沈んでおらず、夕日が城の屋根を赤く染めていた。

 

 なんとか間に合った。

 

 その思いから秀吉達の足取りも自然と軽くなる。

 だがそんな秀吉達の目の前に、突如として人影が立ち塞がった。

 

「これはこれは、猿が車を引いておると思って見てみれば、いつぞやの雑兵ではないか。」

 

 現れたのは先日長屋で騒ぎを起こした、林通具をはじめとした信勝の取り巻き達である。

 蔑んだ様相を隠すことなく、露骨なまでに絡んで来る様に秀吉は内心で強く舌打ちをした。

 

「これは林様、御久しゅう御座います。信勝様の臣たるあなた様が如何様にしてこの清洲まで?」

 

「ふんっ、なに、最近織田家中で猿が二匹調子に乗っておると聞いてのお。織田家の臣として、家中の風紀を保つため躾に参ったのよ。」

 

 その様に言いつつ通具と他の取り巻き達は台車を囲むように移動する。ようは以前恥を掻かされたお礼参りに来たのだ。

 

「…いま犬千代達は姫様の命を受けて城に向かっている。急いでいるから退いて。」

 

 このままでは不味いと思ってか、犬千代が通具達の前へ出る。実際には命を受けたのは良晴であり、秀吉達は手伝っているに過ぎないのだが、ここで余計な時間を食えば日の入りに間に合わなくなると考えた犬千代の咄嗟の判断であった。

 

 しかし、それに対し具通は侮蔑の表情と共に吐き捨てるように言った。

 

「何を言うかと思えば。父兄を蔑ろにし家督を簒奪した不孝者が、随分と偉そうな事を申す。」

 

 その一言に犬千代の顔が一瞬にして朱に染まる。

 口元は引き吊るあまりに痙攣し、右手は腰に差した刀の柄の付近で震えていた。

 普段無表情の事が多い犬千代からは信じれない様相である。

 

「…違う。犬千代は簒奪なんてしていない!」

 

「はんっ!どの口がほざくのか。兄が病弱な事に付け入り、主君に取り入って家督を己がものにした事など皆知っておるぞ。なんともおぞましき事よ。」

 

「あ、あれは、姫様が命じられた事で、決して簒奪なんかじゃ…」

 

「ほう、では御教授願えぬか?主の心さえを意のままにする夜の手慰みというのを。今宵、俺の屋敷でよいか?明日は予定がないから、朝まで相手出来るぞ。」

 

 見え透いた挑発に、他の取り巻き達から下衆な笑い声がおきる。

 秀吉が不味いと思った時には既に遅かった。

 犬千代の腰から抜かれた刃は具通の胸元を横一線に切りつけ、着物には血が滲み出していた。

 

「あがっ!?ま、又佐っ!貴様やりよったなっ!」

 

「去ね…今すぐここから居なくなれっ!!」

 

 幸い軽く皮膚を割いただけに止まったからか、通具は顔を青くしながらも悪態をつく。

 だが抜き身の刀を手に、鬼気迫る形相で迫る犬千代の様に完全に萎縮してしまう。

 取り巻き達に囲まれ後ろに下がりながらも、睨み付けるのが精一杯であった。

 

「又佐よ、覚えておれ。この始末は必ず着けさせる故な!」

 

 捨て台詞を残し、通具達は秀吉達のもとを離れていった。

 その姿が見えなくなるまで刀を手に睨み付けていた犬千代であったが、完全に姿が見えなくなると刀を落とし、崩れ落ちるように膝をついた。

 慌てて秀吉が近くに寄る。

 

「犬千代殿っ!大事ないかっ!?」

 

「…やっちゃった…折角姫様が信勝様と争わないように手を尽くしていたのに。」

 

 信奈の小性が信勝の家臣を切りつける。

 この一件広まれば、尾張を揺るがす大きな火種になることは必定だろう。

 無論、事の重大性は犬千代も理解しており、先程とは一転して真っ青となり体を震えさせた。

 

「…とにかく今は信奈様の元へ急ごう。申し開きはその時に。」

 

 憔悴した犬千代は秀吉に言葉を返す事すら出来ず、言われるがままに刀を拾って台車に着く。

 その様子を、秀吉は黙って見つめる他なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 前田犬千代を放逐とする。

 それが信奈より下された、犬千代に対する沙汰であった。

 当初事の次第を信奈に報告した犬千代は、己の首を刎ねるように進言した。

 それに異を唱えたのが良晴である。彼は犬千代に一時的に出奔し事が落ち着いた後に帰参すれば良いと信奈に提案した。

 信奈は良晴の案を取り上げ犬千代を放逐し、犬千代はその日の内に清洲から姿を消した。

 

「そうか、そんなことが。まぁ、犬千代は実家といろいろあったからなぁ。それに姫さんを絡めて侮辱されたのが我慢ならんかったのだろう。」

 

 騒動のあった翌日、秀吉の部屋には良晴、新介、小平太の四人が集まり食事を囲んでいた。

 その席で犬千代について話題となると、新介は眉間に皺を寄せながらため息を吐いた。

 

「実家といろいろあったって、それって犬千代が林の野郎を切りつけた事に関係あるのか?」

 

 良晴が気になった事を素直に口にする。

 

「ううむ、そうさな。犬千代には年の離れた兄がおってのう。名を利久殿と言うのだが、前田家の家督と荒子の城は元々利久殿が継いでおった。しかし利久殿は病弱で、今まで一度も戦に出た事が無い。一方犬千代はあの通り生まれつき精強で、戦働きも目覚ましい。それを鑑みた姫さんは、前田家の家督と城を犬千代に譲るよう利久殿に命じたのさ。」

  

「あれ?じゃあ何で犬千代はこんな長屋に住んでるんだ?城があるならそっちに住めばいいじゃんか。まさか、犬千代の兄貴が妹に家督を譲るのを拒否したのか?」

 

「いや、利久殿は素直に主命に従った。反発したのは家臣団と領民だ。利久殿は確かに病弱で戦働きは出来なかったが、穏やかな人柄と堅実な領地経営で多くの者達から慕われておる。姫さんの強引なやり方は、利久殿を慕っていた者達にとって受け入れ難い事だったのだ。」

 

「…ああ、そうか。犬千代の奴、家に居づらかったんだな。」

 

 短い付き合いながら、それなりに犬千代の性格を知る良晴は納得したように呟く。

 いくら信奈の命令とはいえ、兄から家督を奪ってしまった事に負い目があったのだろう。加えて周囲の人間の反発は、その負い目をより重いものにした。

 結果信奈の近くで仕えるためと言い訳に、城を出ざるを得なかった。

 その辺りの事情は犬千代にとって非常にデリケートなもの、所謂地雷であることは良晴でも容易に想像がつく。

 

「それよりも藤吉郎、お前さんさっきから黙りこくっておるが、何か考え事か?」

 

「ん?ああ、少々気になる事があってな。」

 

「気になる事?なんぞ、申してみよ。」

 

「昨日の林共の態度なんじゃが、どうにも不自然でのう。以前は犬千代を前にしただけで萎縮しておったのに、昨日は露骨なまでに挑発しておった。いったい奴等に何の心変わりがあったのか…」

 

 さらに言えば、今回の一件は秀吉にとって既知の出来事であったにも関わらず、防ぎ得なかったものであった。

 

 前世において、前田利家も刃傷沙汰を起こし織田家を出奔していた時期がある。

 ただその時の原因は、元より利家と折り合いの悪かった茶坊主が利家の妻を侮辱した事であり、その時利家は相手を切り殺している。

 今世において秀吉はそれとなく犬千代の周囲を探っていたが、件の茶坊主はおろか、そもそも利家の性別が女になっていたため、どこかで刃傷沙汰は起こらないと油断していた。

 

(その結果がこの様じゃ。事の経緯は違えど、犬千代が織田家を逐われる羽目になってしもうた。この世界、元の世界と似ているようで所々異なる部分があるだけに、知識だけで判断しようとすると足元を掬われかねんぞ。)

 

 秀吉が腕を組唸っていると、戸が叩かれる音がして思考を中断させる。

 入るよう許可を出すと、戸が開かれ色白の少年が現れた。

 

「御免、こちらに木下藤吉郎殿と相良良晴殿はおられますか?」

 

「いかにも。儂が藤吉郎じゃが、お主は?」

 

「信奈様の使いとして参りました、堀秀政と申します。信奈様が至急登城せよと御命令です。」

 

「…あい分かった。急ぎ準備する故、暫しお待ち頂くようお伝え願う。」

 

「承知致しました。では、某はこれにて。」

 

 そう言い残し、秀政は戸を閉める。外からは走り去る足音が聞こえた。

 

「そういう訳じゃ。良晴、急ぎ支度をするぞ。」

 

「ああ。でもいったい何の用件だろう?」

 

「おそらく、昨日の事の次第を詳しく知りたいのではなかろうか。いずれにせよ、急いで向かう他あるまい。」

 

 手早く食膳を片付け、新介達が辞するのを見送ると、秀吉と良晴は軽く身なりを整え城に向かった。

 

 既に門番には事情が伝わっていたのか、大した取り次ぎもなく信奈の執務室まで通された。

 部屋には信奈の他に、長秀と秀政が控えていた。

 

「来たわね。昨日何があったのか話しなさい。」

 

 秀吉達が部屋に入って早々、有無を言わせぬ口調で信奈が命じれば、当時その場にいた秀吉が昨日の出来事について事細かに説明する。

 その間、信奈は口を挟むことなく黙って秀吉の話に耳を傾け、他の者達もそれに倣って終始無言であった。

 秀吉が喉の渇きを覚える頃に話を終えると、信奈は膝の上で頬杖を着く。その表情はどこか物憂げであった。

 

「…平和な世であれば利久が当主でも問題なかったわ。でも戦乱の世において、必要とされるのは犬千代のような武人よ。だからこそ、私は合理的に判断してあの子に家督を継がせたのに…」

 

「…如何に理に叶い、道理として正しいと分かっていても、時に人は理に合わぬ事で思い悩むものでありましょう。それが情であり、人の心というものです。」

 

「私は人の心を蔑ろにしていたのかしら?」

 

「どちらかといえば、急ぎ過ぎていたのではと察しまする。」

 

「…デアルカ。」

 

 秀吉の答えに一言呟き、暫しの間目を瞑って思案すると、信奈は皆の面前に一枚の書状を投げ捨てた。

 

「信勝から詰問状が届いたわ。内容は昨日の犬千代の所業に対して、厳罰を以て処するよう求めてる。」

 

「厳罰って…」

 

「要するに犬千代の首を刎ねろって言ってんのよ。」

 

 信奈の言葉に良晴が絶句する。

 

「なっ!?そんな事出来るわけ無いだろっ!」

 

「当然よ。これは単に私の心情に由るものだけではないわ。ここで信勝の言われるままにすれば、いま私に付いている国人達は私を頼り無い主君と見放すでしょうね。」

 

「かといって、このまま相手の主張を無視していれば、今回の一件を大義名分に蜂起しかねません。現在の姫様派と信勝様派の支持は信勝様に大きく傾いている上に、信勝様には六さんが守役として付いています。今のままでは分が悪すぎます。十点です。」

 

「…ああ、なるほど。そういう次第じゃったか。」

 

 信長と長秀の会話を聞き、秀吉が納得したように呟く。その様子を良晴は不思議に思う。

 

「秀吉さん、そういう次第って、どういう事なんだ?」

 

「全て向こうの筋書き通りという事じゃ。昨日のあやつ等の態度がどうにも腑に落ちんかったが、最初から犬千代に刀を抜かせるつもりじゃったのだろう。それを理由に信奈様を詰問し、要求を受け入れなければ蜂起する大義名分とし、要求を飲めば信奈様の評判を大きく落とす事ができる。自分がケガをする事に目を瞑れば、損は少なく利の大きい策じゃ。」

 

「恐らく秀サルの言う通りでしょうね。信勝は兎も角、周りの奴等は私よりも従順な信勝が当主になって欲しいと思ってるわ。だからって、いつ今川が攻めて来てもおかしくないこの時期に行動に移すことはないじゃない!」

 

「姫様の心中はお察しします。けれど、今はとにかく対策を練ることが急務です。相手方は戦になる事を見据え、既に準備を始めているかもしれません。私達も早急に戦仕度をする必要があります。」

 

「…わかってるわ。私だって分かってるのよ!」

 

 信奈の表情からは怒りや焦燥、そして苦悩と悲しみの感情が読み取れた。

 信奈にとって、信勝は決して憎い存在ではない。寧ろ、子供の頃は姉弟仲良く遊び、おやつのういろうを分けあった仲である。

 それが何時からか、立場や環境の変化から隔たりが生まれ、今ではお互いに刃を向け合わんとする所まで行き着いてしまった。

 このような状況、信奈は望んではいない。

 それでも織田家当主として、そして己の野望と同じ夢を見る者達のため、望まぬ戦をせねばならぬ事は理解していた。

 それが余計に信奈の顔を歪ませた。

 

 そんな思い悩み信奈を前に、秀吉は思案する。

 

(信奈様が苦しんでおられる。ならば儂はどうするか?決まっておるではないか。)

 

 忠誠を誓った主君が思い悩み、笑顔を失っている。

 だったら、主人を笑わせる猿である事を望む男がやるべき事は一つである。

 

「信奈様、僭越ながら、この秀サルに策がございます。上手くいけば信勝様との争いを避け、少なくとも衝突を遅らせる事が出来まする。」

 

 正座で信奈の前に進み出て、頭を深々と下げたまま秀吉は信奈に申し出る。

 周囲の視線が秀吉に集まる中、信奈は僅かに目を見開き秀吉の頭を見下ろす。

 

「策ってあんた、本当にそんな物があるの?」

 

 疑心と期待が混ぜ合わせた言葉を聞きながら、秀吉はゆっくりと面を上げる。

 そして、あらゆる不安を吹き飛ばすような大輪の笑顔で、堂々と言い放った。

 

「心・配・御・無・用!!!この秀サルめにお任せ下さいませっ!!」

 

 今宵はここまでに致しとう御座りまする。

 

 




・聖徳寺の会見
 原作において、信奈と斎藤道三が言葉を交わし、なんやかんやあって美濃の譲り状を受ける話。特に秀吉が関わる事も無く、原作と全く同じ流れで進んでいる。
 なお、この会見で道三の従者として付いて来たデコ娘と秀吉が出会うのは、もう少しあとである。

・良晴のお使い
 原作でもあったエピソードだが、原作と違い具体的な数字については曖昧にしている。
 というのも、原作を読み返して確認したところ、信奈が良晴に集めて来るように言われた兵糧の量や、実際に良晴が集めて来た量なんかが、流石にファンタジー戦国物とはいえちょっと無理がありすぎるのでは?と思ったからである。
 かといって、じゃあどのくらいなら丁度良いの?と聞かれても、にわか歴史ファンの作者には答える事が出来ないため、曖昧にするしかありませんでした。
 あんまりツッコミを入れて原作の揚げ足とりなるのも嫌なのですが、今後も原作の表記と描写が違っていたり、濁していたりする部分も出てくると思います。ですが作者も納得のいく作品を書いていきたいと思っていますので、何卒ご理解頂けると幸いです。
 また、先に申した通り作者の歴史知識はにわかの域を出ていませんので、作中内で間違った知識を晒してしまった際は、遠慮無く感想欄やメールで指摘して頂けるとこれまた幸いです。

・犬千代の出奔
 史実でも、様々な説がある前田利家の出奔の理由。本作の秀吉がいた時空では妻を侮辱されたからとしているが、現実で一番信憑性のある説が信長の寵愛を巡っての痴話喧嘩とか…

・前田家のゴタゴタ
 これについては、閑話なんかでやるつもりでいる。犬千代の家督相続について描くに辺り、例の傾奇者も登場予定。

・堀秀政
 通称 久太郎。何事もそつなくこなす事が出来る武将だったため、名人久太郎の異名で知られた。
 美形であるため信長から寵愛は受けたと言われているが、16才にして普請奉行を勤め、山崎の合戦でも戦功を挙げるなど、文字通り文武両道の名人であった。

・心配御無用
 大河ドラマ『秀吉』において、秀吉を象徴する台詞。
 非常にインパクトがあり、これもまた流行語となった。
 
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