そして、かなり物議をかもすような内容を含みます。
最初の印象は、面白そうな方だな、だったと思います。
………いえ、正直に答えると、同じ立場であった相良さんに比べると、あまり印象には残ってませんでした。
相良さんは服装も奇抜で、姫様への接し方も大胆で、下手すれば無礼打ちも已む無しの振る舞いでしたけど、不思議と不快感は無く、姫様が気に入るのも無理はないと思います。
対して木下さんは、良くも悪くも普通でした。格好は何処にでも居る雑兵。姫様との遣り取りも常識的。
それにその…言い方は悪いですが、相良さんに比べると木下さんの容姿はあまり優れているとは言い難く、完全に相良さんのオマケ程度にしか思えませんでした。
ただ、私達が名前を明かした時、不意に木下さんが無表情になったんです。私はその顔を見て、言葉に出来ぬ寒気を感じました。でもそれも一瞬で、次の瞬間には木下さんは穏やかな笑みを浮かべていて、私もそれ以降寒気を感じる事は有りませんでした。だからその時は、何かの勘違いだと思ったんです。勘違いじゃないと気付いたのは、木下さんが今川と通じた裏切者たちを粛正した時です。
それは兎も角として、木下さんは優秀な方でした。
彼が最初に姫様から命じられたのは、城の石垣の修繕。相良さんが斎藤道三との会談への同行を命じられたのと比べると、やはりどうしても地味に見えてしまいます。勘の良い者ならば、既に姫様が相良さんと木下さんで扱いに差を作っていると思うかもしれません。事実、私自身がそうでした。
私は姫様が不在の間、それとなく木下さんの働きぶりに注意していました。木下さんは不貞腐れた様子もなく、時には石大工たちに交じって精力的に働いており、自分が相良様より重用されていないことを気にした素振りは全くありませんでした。もしかしたら、本当に気づいていないのでは、と思ったくらいです。
木下さんは姫様から定められた工期より早く、石垣の修繕を終えられました。こういった工事は、職人たちの士気を維持できないと予定通りに進める事は中々難しいものです。職人というのは気難しい人も多く、武家の威光で上から接すると機嫌を損ねる事も多く、刀を抜いて脅そうものならノミや金槌を振り上げ反発してくるというのも珍しい話ではありません。
しかし、木下さんはそんな気難しい石大工たちの心情を見事に掌握し、その能力を十全に発揮させて見せました。修繕作業に競争の要素を取り入れやる気を起こさせ、自ら作業場に飛び込み、時には滑稽な言動で職人たちを笑わせ作業場の士気を上げ、仕事終わりには頻繁に酒を奢って職人たちの心を鷲掴みにしました。
後になって聞いた話ですが、木下さんは朝誰よりも早く作業場に来て掃除や道具出しを済ませ、最後の職人が帰るまで作業場に残り、一人一人にその日一日の労をねぎらう言葉をかけていたそうです。これで木下さんを好きにならない職人はいませんでした。若い職人の中には、このまま木下さんの家来にさせて貰おうかと、本気で考えていた人もいたそうです。
こうして木下さんは、織田家中で徐々に頭角を現していきました。
稲生の戦いを終える頃になると、木下さんを織田家の戦力として欠かせぬ方として認めるように成る人も多くなっていたと思います。もちろん私もです。
ですが同時に、この頃から木下さんに対して、言いえぬ恐ろしさを感じるようになったんです。切っ掛けは先ほども言った裏切り者の粛清でしたけど、それ以外にも時折『木下秀吉』という武将の底知れなさを感じるようになったんです。
あれはそう、今川との戦いを終えた後、織田家と松平家との同盟が結ばれ、その祝宴が行われている時です。お酒を飲んでいた六さんが、南近江の六角家では捕虜になった姫武将を慰み者として家臣への褒美としているという話を聞いて激怒しました。
「何と恥ずべきことだっ!!戦中の流れで姫武将を死なせるならいざ知らず、捕虜とした女を性欲の捌け口にするとはっ!姫武将は必要以上に傷物にしてはならんとする武家の習いを知らないのかっ!」
周囲にいた他の姫武将も六さんに同調してました。男性の方々も六角家の話には眉を寄せ不快感を表しており、相良さんなど「捕まえた姫武将を性奴隷にするなんて!それなんてえろげ…じゃねえ、けしからん話許せねぇぜ!」と声高に仰ってました。
だけど一人だけ、木下さんだけは妙に難しい顔をして首を傾げていました。それがどうにも気になったので、私は木下さんの隣に座って話をすることにしました。
「どうかしましたか木下さん?何だか思い詰めていらっしゃるようですけど。」
「ん?ああ、丹羽殿。いえ、決して思い詰めてるわけでは御座らんのじゃが…」
「ではどうして、そんな難しい顔をしてるんです?何か六さんの話で気になる所があったんですか?」
そう尋ねると、木下さんは「ううむ」と唸り、周りを気にするかのように周囲を見渡しました。そして、声を抑えて私の問いに答えました。
「…丹羽殿、どうにも儂の感覚はここに居る者達と少し違うらしい。儂は姫武将が戦場で捕まり、勝者の慰み者になる事、当然とは思わずとも、仕方のない事だという風に思えてしまうのだ。」
その答えに、私は返事を返す事が出来ませんでした。
私の知る限り木下さんは、六さんの胸に視線を捕らえられるなど少々不純な部分は有れど、連れていかれそうになった寧々を身を挺して庇おうとする、女性には優しい方だと思っていました。
そんな方から、『捕まった女が男の慰み者にされるのは仕方がない』というような言葉が出た事に、私は少なからず衝撃を受けたんです。
「そもそもの話じゃが、戦場において捕虜を取ることは稀。名の通った武将ならまだしも、食い扶持や見張りの人手が必要になる捕虜など下手に取っても邪魔なだけじゃ。故に戦場においては捕虜など取らず、さっさと手柄首にしてしまうのが常道である。しかし、『姫武将は傷物にしない』という約定に則るならば、たとえ足軽であれど女であれば殺さずに捕虜にするのが正しい事でありましょう?」
「…はい、木下さんの認識で間違いありません。」
事実、松平元康様の軍勢は織田の奇襲部隊を撃破した時、可能な限り姫武将を生かして捕らえ、今川から処刑するように命ぜられながらもこれに反発しています。
女であれば可能な限り殺さないというのが、戦場の常識です。
「つまり、捕虜としている時点で姫武将は既に一命を助けられているわけで御座いましょう。ならば、その後慰み者にされようが子供を孕まされようが文句を言う資格は無いように思えましてのぅ。」
「そんなっ、いくら何でもあんまりですっ!女性の尊厳や誇りを何だと思っているんですかっ!?」
「………丹羽殿にとって、女性の尊厳や誇りとは、ご自身の命よりも大切なものなのですか?」
その言葉に、私は今度こそ言葉を失いました。
何とかして言い返したい。だけど、感情がぐちゃぐちゃになって、言葉が上手く纏まらない。
そんな私に対し、木下さんは無表情となり、決定的な一言を言いました。
「たとえ命を奪いに来られても、相手が姫武将ならば殺してはならぬし、捕虜にしたら姫の如く丁重に扱わねばならない。何とも、不条理ですなぁ………
人を殺しに行って生かされたのだ。死ぬより性奴隷がマシなら、伏して感謝を述べるべし。それが嫌なら自害するか、戦いの結果として静かに受け入れるべきであろう。」
サーと顔から血の気が引くのが分かりました。頭をぶん殴られたかのような衝撃に眩暈がし、手で支えねばそのまま倒れていたでしょう。
考えたことも無かった。想像すらしなかった。
戦で敗れても、よほど運が悪くなければ命は保証され、捕虜として丁重に扱われることを当然と思っていた。自分たちは人を殺しに戦場に出たのに。
「うっ!?」
「丹羽殿、御自愛なされよ。」
吐き気を覚えて口に手をやると、木下さんが近くにあった水の入った枡を渡してくれました。
私はそれを飲み干し、込み上げていた物を何とか腹の奥に押し込みました。だけど、臓腑には気持ちの悪さが残り、手足には力が入らず、指先は冷たく震えていました。
姫武将とは、乱世において男性顔負けに戦場を駆け、その秀麗な容姿で民草の希望を齎し、新たなる時代の到来を告げる象徴たる者。そういうものだと私は信じていました。
だけど私が思い描いていた姫武将像は、木下さんによって粉々に砕かれてしまったんです。
『姫武将を必要以上に傷付けない』とする約定とは即ち、
『私たち姫武将は戦場で男を殺す。だけど男が姫武将を殺すのはダメで、捕虜にしたなら丁重に扱いなさい。』
と、強要しているのだ。
仮に私が男だったなら「舐めてるんですか?」と文句も言いたくなるでしょう。
だけど現実として、そんな戦場を舐め腐った約定が罷り通り、男女ともにそれに疑問を持っていない。
それが途轍もなく気持ち悪く、どうしようもなく歯痒く感じられてしまいました。
「どうしたら、良いんでしょうか…」
私はそんなことを呟いていました。なんてことに気付かせてくれたんだ、という八つ当たりもあったかもしれません。
木下さんは無表情のままじっとわたしを見つめ、暫くして手元にあった盃をグッと飲み干しました。
「まぁ、なんだかんだ好き勝手言わせていただきましたが、そう難しく考える必要は御座いません。そもそもとして儂の知る世と、今生の世は似て非なるもの。この世界では、儂の方が異端で御座います。あんまり真に受けぬ方が良いかと。」
そう言う木下さんの顔からは無表情は消え去り、いつも通りのにこやかな笑みが浮かんでいました。
それが木下さんの本心なのか、それとも私を気遣ってなのか、私には判断できません。だけど、一つハッキリした事があります。
木下さんと私達では、育ってきた環境が、考えの前提となる常識が、明らかに異なっていたんです。
むしろ相良さんの方が、私達とは近しい感性を持っていると言って良いでしょう。
そう言わざるを得ないくらい、木下さんは異質な存在なのです。
「…因みにですが、捕虜にされ、慰み者とされた姫武将は、その運命を受け入れる他に生きる術は無いのでしょうか?」
「いやいや、そんなことは御座いませぬ。一旦傅いた風に見せ相手が心を許した隙を見計らい、寝首を掻いて逃げ出すのも手段の一つ。しかし、これを遣り過ぎると『あの家の姫武将は油断ならん』と言われるようになり、いずれ捕虜にされる前に殺されるようになるでしょう。なので儂としては、徹底的に下手に出て敵に気に入られるようにするのが、慰み者にされた者が主君を助ける役目になると思いまする。」
「敵に気に入られることが、主君の役に立つ?」
「はい。男というのは単純なもので、自分を慕ってくれる女には殊更弱いのでございます。自分の子を産んだ女となれば尚更です。なので、仮に丹羽様が敵に捕まり、不幸にも慰み者にされたならば、一度現状を受け入れ芯から媚びて御覧になると良いでしょう。そうすれば自然と待遇も良くなりましょう。そうして敵方の心が傾いたと思うたなら、目に涙でも浮かべて信奈様への慈悲を願ってみて下され。さすればきっと、敵方は心情的に攻め難くなり、我らが盛り返す隙も生まれましょう。」
「………」
果たしてそういう未来が訪れた時、私は木下さんが言ったように、姫様の為に敵に媚びる事が出来るだろうか?その答えはまだ出ない。
木下秀吉という武将は優れた人物です。
そして同時に、深淵の如き底知れなさを持つ人です。
私は木下秀吉という人物が恐ろしい。
だけどこの人とは、この人とだけは争てはいけない。
織田家に牙を剥く、そんな未来が来ない限りは…
本作の秀吉は、史実の戦国時代を生き抜いた戦国武将。
なので『織田信奈の野望』の登場人物と比べると、同じ戦国時代を舞台にしながら、思考の基盤を成す根柢の世界観が大きく異なっています。万千代姐さんは、ちょっとその深淵に触れすぎてしまったんです。
因みに敗者側が勝者に徹底的に媚びた例として、小田原攻めで改易された忍城主 成田氏長の娘の甲斐姫が、秀吉の側室となって精力的にご奉仕しておねだりした結果、成田氏は大名として復帰できた件があります。
つまり作中で秀吉が万千代姐さんにしたのは、自身の実体験を基にした例え話だったわけです。