太閤転生伝   作:ミッツ

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今回より新章です。
ただ、前章のあとがきでは上洛編と書いていましたが、その前に短めの章を一つ挟むことにしました。
というわけで、伊勢志摩攻略編開幕です。


新たなる使命と新たなる出会い

 春の息吹が山野を駆ける。日差しは暖かく、野原には色とりどりの花々が咲き誇り、雪解け水の清流を小魚が昇っていき、気の早い蛙の鳴き声が田畑の隅から聞こえていた。

 春の陽気がそうさせるのか、道行く人々の表情も心なしか穏やかである。川沿いの農耕地からは、畑の土を興す農夫たちの掛け声に交じった子供達の明るい歓声が、街の人達の顔に自然と笑みを浮かべさせていた。

 

 そんな、生命が春の到来を喜ぶ様子を全身に感じながら、相良良晴は感慨に深げに岐阜城下の道を歩く。

 

「そうか、もうすぐこの時代に来て一年が経つんだな。」

 

 良晴はちょうど一年前の事を思い起こしながら、そう呟く。

 

 現代社会で歴史好きの高校生として生活していた良晴は、ある日突然戦国時代へとタイムスリップしてしまった。そこで様々な苦難に会いながらも、持ち前の器用さと愛嬌、そして人との縁に恵まれた事で何とか乱世の武士社会で居場所を手に入れる事が出来た。望郷の念が無いわけではないが、今はこの戦国の世で名を高める事に喜びすら感じ始めている。

 

 いずれ元の世界より、今いる世界こそ自分がいるべき世界と思う日が来るかもしれない。

 

 そんな考えが脳裏をよぎるも、だからと言って歩みを止めるつもりは毛頭なかった。

 いま自分はこの国の歴史にいる。そう思うと、心の底からワクワクとした感情が沸き上がるのを抑えきれず、もっとより高みを目指していきたいという、そんな若人特有の万能感と無遠慮さが鎌首を擡げていた。

 

「おはよう御座います、相良様。今日も何かお仕事が?」

 

「おう、おはよう。ちょっと信奈に呼ばれてな。」

 

 気づけば目的地である岐阜城の門前へと辿り着き、門番兵と気軽に挨拶を交わしていた。織田家が美濃を攻略するにおいて美濃国人達の調略という役割を果たした良晴は、桶狭間の頃からの手柄も相まって織田家中でも秀吉に次ぐ出世頭として家中では看做されていた。

 そのため、足軽や若い美濃兵からは「様」付けと敬称で呼ばれるようになっている。最初はそれにむず痒さを感じた良晴も、一月もすると開き直って自然と返事を返せるようになった。

 すると門番の若い兵は、何が可笑しいのやら口元に苦笑を浮かべた。

 

「ん、なんで笑ってんだ?」

 

「いや、申し訳ありません。噂は本当だったのだなと思ってしまって。」

 

「噂?」

 

「はい。織田家中にあって、相良様のみ姫様を呼び捨てにすることを許してあると。」

 

 門番の答えに良晴は「ああ、なるほど。」と納得した。

 良晴の主人である織田信奈は、いまや尾張と美濃を治めし総領百二十万石以上の大大名である。それを気やすく呼び捨てにする者など良晴以外にいない。

 最近配下に加わった美濃の国人達は勿論の事、織田家当主となる以前からの旧い付き合いのある者達さえ「様」付けをする中、良晴だけが出会った当初から呼び方も態度も一貫している。

 それを問題視する者も少なくは無いが、当の信奈自身が良晴を咎めないため織田家中にあっては良晴の振舞は許されたものだと見られていた。

 

「別にそこまで気にする事でもないと思うけどな。あいつもそこまで気にしてみないだし、お前らだって普通に呼び捨てにしたって良いと思うぜ。」

 

「そんな畏れ多い!足軽風情が御当主様を呼び捨てなど、とてもとても…」

 

 呼び捨てにした後の事を想像したのか、門番は身震いをして首を横に振る。

 今度は逆に良晴が苦笑をすると、なるほどこれが秀吉さんが言ってたことか、と以前同僚と交わした言葉を思い出した。

 

 上に昇っていくと、友と呼べる者が少なくなっていく。

 

 嘗て日本の頂点へと上り詰めた天下人は、昔のように自分の名が呼ばれなくなった事を、寂し気に良晴に話して聞かせてくれた。それを思うと、なんとなく信奈の事を敬って呼ぼうとするのを躊躇する己が良晴の心の中にいた。

 

「まっ、俺も無理に信奈の事を呼び捨てにしろなんて言わないさ。そんじゃ、またな。」

 

「はいっ、お気をつけてっ!」

 

 威勢よく見送る門番に手を上げ、良晴は門を潜って城の中へと入る。

 既に何度も登城しているので、道に迷うことなく謁見の間までたどり着く。部屋の前では堀秀政が頭を下げて良晴を出迎えた。

 

「ようこそお出で下さいました、相良様。姫様は中でお待ちです。姫様っ、相良様がお着きに成られました。」

 

『デアルカ。通してちょうだい。』

 

 襖越しに返事が届くと、秀政は襖を横に滑らせる。

 部屋の中では軽装の信奈が、膝を立てて何やら報告書に目を通している。

 

「よっ、来たぜ。信奈。って、あれ?」

 

 軽い調子で挨拶をし部屋に入った良晴は、そこで先客がいる事に気が付いた。

 それは小柄で愛らしい少女だった。年の頃は犬千代と同じくらいか。パッチリとした大きな瞳が興味深げに良晴を見ていた。

 

「ああ、その娘は左近。滝川一益といって、あんた達が仕官する少し前に登用したんだけど、ずっと伊勢の方に行ってたから会うのは初めてよね?左近、こいつは良しサル。噂には聞いてるかしら?」

 

「うん、聞いておるのじゃ!一色義龍を口説き落とした『織田の二猿』の片割れじゃろ。よろしく頼むぞ、よっしー!」

 

「よ、よっしー?」

 

 突然某人気ゲームの主人公が乗る恐竜のような呼び方をされ、良晴は目を白黒させる。その様子に一益は悪戯っぽい笑みを浮かべ、信奈も困ったかのよう苦笑いをする。信奈には珍しい表情だ。

 

「さて、良しサルをからかうのは楽しけれど、顔合わせも終わった事だし本題に入るわね。良しサル、左近に協力して伊勢攻略の総仕上げをしなさい!」

 

「なっ!?」

 

「伊勢の攻略?」

 

 信奈から言い渡された命令は完全に良晴の予想から外れたものだった。一益にとっても意中の外にあったのか、笑顔が一転して表情を無くしている。

 

「伊勢を攻略するなんて随分急な話だな。美濃の検地は終わったのか?」

 

「心配ないわ。それなら数日前に終わってる。伊勢については美濃を攻める前から秘密裏に左近が国人衆の調略をやってくれてたから、既に仕上げの段階なの。詳しい事は左近から聞いてちょうだい。左近、良しサルと協力して、伊勢の北畠家を屈服させなさい。」

 

「しょ、承知つかまつりましたなのじゃ。」

 

 動揺が収まらない様子であるが、それでも何とか一益は頭を下げる。

 

 

 

 そうして信奈から命を下され、良晴と一益は一旦部屋を退出する。

 そして二人並んで岐阜城の中を歩きながら、良晴はどうしたものかと顎を撫でた。

 

「まったく信奈の奴は、いつも思い付きみたいな命令をしやがって。で、一益ちゃん、実際伊勢の方はどんな感じなんだ?」

 

「………」

 

「…一益ちゃん?」

 

 呼びかけに反応が無い事を不審に思い、良晴が一益の方へ顔を向けると一益は立ち止まって俯いていた。

 だがそれも一瞬の事であり、心配した良晴が再度声を掛けるより早く一益は天真爛漫の笑みを浮かべて顔を上げた。

 

「うん、心配は無いぞよっしー!伊勢の国人衆の調略はほぼ済んでおり、もうその殆どが織田方に付くように根回しは終わっておる。国司の伊勢北畠に付き従うのは親族くらいしか残ってないのじゃ。」

 

「おっ、そうなのか!ならあとやる事は本当に仕上げくらいなんだな。」

 

「その通り。北畠の味方はいないから、脅しちゃえば簡単に従属してくれるのじゃ。だからよっしーは余計なこと…じゃなかった、何もしなくて大丈夫なのじゃ!」

 

「おお!なんだ急に手伝いをしろなんて言われたから身構えたけど、心配いらなかったな!全部一益ちゃんがやってくれてたじゃんか! 」

 

「そうそう。何も心配要らないのじゃ!おっと、すまんよっしー。姫にはこのあと予定があるのじゃ…」

 

「へぇ、そうなのか。じゃ、また今度。何か進展があったら教えてくれ。」

 

「あい分かった!ではさらばじゃ、よっしー!」

 

 こうして賑やかに別れを告げると、一益は良晴の元から去っていった。

 

 その後、良晴は岐阜城下をプラプラと歩き、途中で適当なおかずを買って家に帰り、夕飯を食べ、風呂代わりに濡れた布巾で軽く体を拭いた。そして布団を敷いて寝る準備を済ませ、いつもと同じ時間に布団に入る。そうして微睡みに身を任せていると、良晴はハッと気が付いた。

 

「あれっ、もしかして一益ちゃん、俺の事厄介払いしてないか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、結局ここに来たわけだけど。」

 

 翌日、良晴は自宅からほど近い屋敷の前にいた。この屋敷の主は秀吉。信奈が岐阜城を新たな拠点と定め家臣たちを移住させたのに合わせて家族共々転居してきた秀吉は、これまでの功績や家来持ちである事を加味され良晴よりも広い屋敷を宛がわれていた。

 

 今日ここに良晴が来た理由は、昨日の一益の態度と信奈からの主命について、秀吉に相談するためである。

 

「うーん、事前に連絡せずに来ちゃったけど秀吉さんいるかな?まあ、いなけりゃまた来ればいいだけだけど。そんじゃ、おじゃましま…」

 

 そう言って門を潜ろうとした、その時であった。

 

「曲者おおおおおおおおおおおおっ!」

 

「へ?って、うわああああああああっ!」

 

 何やら大声が聞こえてきたのでそちらに顔を向けると、良晴の頭を目掛けて槍が振り下ろされていた。間一髪、横っ飛びして必殺の一撃を避けた良晴が見上げれば、丸い鼻が特徴的な大柄な少年が、目を吊り上げて良晴を見下ろしていた。

 

「な、なにすんだよ!殺す気かっ!?」

 

「殺す気じゃっ!」

 

「はあああああああっ!?」

 

 まさかの殺人未遂、そして殺害予告に良晴は仰天する。

 

「ここを誰の御屋敷と心得る?織田家の誇る『二猿』が一人、木下藤吉郎秀吉様の御屋形ぞ!そこに忍び込もうとするとは、貴様他国の間者じゃな!藤吉郎様を害そうとも、そうはいかん。この儂が成敗してくれる!」

 

「いや待てっ!俺は間者じゃねぇ!俺は…」

 

「問答無用っ!」

 

「聞けよっ!?」

 

「何をしておるか、権兵衛っ!」

 

 有無を言わせず槍を振り上げる男を、制止する声が掛かる。見れば、秀吉の弟の秀長が慌てた様子で駆け寄って来ていた。

 

「あっ、小一郎様。見てください、間者です。屋敷に忍び込もうとしていたので成敗致します!」

 

「バカモンっ!このお方は相良良晴様、兄者の御友人じゃっ!」

 

「へっ?相良様と言うと、義龍様を口説き落としたと言うあのっ!どひゃああああっ、失礼いたしましたっ!!」

 

 一転して顔を蒼くすると、男は槍を放り投げて弾かれたように地にひれ伏した。その体勢は、思わず惚れ惚れとしてしまうような見事な土下座である。

 そんな男に溜め息を吐きつつも、小一郎は申し訳無さそうに良晴の方を向く。

 

「家来が大変な失礼を致しました。相良様、お怪我は御座いませんか?」

 

「うん、大丈夫。ええと小一郎、こいつは?」

 

「仙石秀久と言います。岐阜を拠点にするに際し、大姫様より兄者に付けられた新参者です。ほれ権兵衛、相良様に謝罪せえ。」

 

「はっ!仙石権兵衛秀久と申します。相良様、先ほどは本当に申し訳ありませんでした!」

 

 そう言うと権兵衛は再び深々と頭を下げた。改めて見ても、土下座姿が妙に様になっている。

 

「ところで相良様、今日は兄者にご用でしょうか?」

 

「ああ、そうなんだ。ちょっと秀吉さんに相談したい事があってさ。」

 

「左様で御座いますか。しかし申し訳ありません。現在兄者は来客の対応中でして…」

 

「大丈夫ですよ小一郎様っ!相良様と言えば藤吉郎様の大友人として有名!そんな御方の相談事を藤吉郎様が断る筈がありませんっ!ささっ、こちらです!」

 

「い、いや待て権兵衛っ!」

 

 慌てて止めようとする小一郎を尻目に、権兵衛は良晴の手を引いて庭先を横切って行った。

 

「おい、本当に大丈夫なのか?先客がいるって小一郎が言ってたけど。」

 

「大丈夫ですって。門の所でチラリと見ましたけど、来てたのは商家の女中の身なりの女でした。多分どこぞ商人の使いでしょう。相良様に比べれば大した相手では御座いません。」

 

 自信満々に言いながら、権兵衛は秀吉が客の対応をしているという奥の座敷の前に辿り着いた。

 一旦息を整えるため、権兵衛は小さく咳払いをする。

 

「ゴホンッ。藤吉郎様、相良良晴様がいらっしゃいました。部屋に入っても良いでしょうか?」

 

 少々抑え気味ではあるが、障子越しにも十分聞こえる声量で権兵衛が尋ねる。しかし、秀吉の返事は返って来ない。

 

「あれ、おかしいな?藤吉郎様、いらっしゃいますかっ?」

 

 先ほどより声量を上げて再度問い掛けるが、返事は相変わらず返って来ない。

 

「おい、権兵衛。本当に秀吉さんはここに居んのか?」

 

「は、はい。間違いありません。確かにここに…」

 

 戸惑いながらも自信をもって権兵衛が答えると、部屋の中から『バシンッ』という叩き付けたかのような音、それに続いて『う~ん、う~ん』と言う秀吉の呻き声が聴こえてきた。

 

「な、なんだ!?中で何が起きてるんだっ!」

 

「はっ!もしや先ほどの女、刺客じゃったか!?いかんっ、藤吉郎様いまお助けにっ!」

 

 そう言って権兵衛は障子を勢いよく開いた。

 その先で良晴達が見たものは…

 

 

 

 全裸で仰向けになった秀吉と、同じく全裸となって秀吉の腰の上で膝立ちになり、豊満な尻を「パンッ、パンッ」と一心不乱に打ち付ける美女であった。

 

「「………は?」」

 

 その様子に呆然となる良晴と権兵衛。一方で秀吉は、前屈みになった女の巨乳に顔を埋め「う~ん」と声を漏らしていた。

 

「あ~気持ちええのぅ。もう我慢出来んわい!」

 

「藤吉郎様っ!私も、もうっ!」

 

「おうっ!では共に行くぞっ!うっ!!」

 

 ぶるりっ、と秀吉が腰を震わすと、女も体を弓なりにしならせ嬌声を上げる。

 女は糸が切れた人形のように秀吉にもたれ掛かると、秀吉は事後の余韻を楽しむように女の尻に手を這わせた。

 だが、程なく良晴達の視線に気付いたのか、開けっ放しになった障子の方に顔を向ける。

 

「ん?何見とるんじゃ御主ら?」

 

「「お、お邪魔しましたああああ!!!」」

 

 覗き魔二人は慌てて障子を閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当に申し訳ありませんでしたっ!!」

 

 仙石秀久、本日二度目の土下座である。その正面では秀吉が気だるげに煙管を吹かしていた。

 場所は奥座敷から移し、本来来客に対応する居間である。

 

「まったく御主は!そそっかしいたらありゃせんわ!」

 

 そう目を怒らせ叱責するのは秀長である。良晴はその横で気まずげに視線を迷わせていた。

 というのも良晴の目の前には、秀吉の隣に座り澄まし顔でお茶を啜る美女がいたからだ。先ほど秀吉の上で腰を振っていた女である。

 

「小竹、もうその辺でエエじゃろ。権兵衛、お前はもう少し考えてから行動せえ。」

 

「ははぁ!承知致しました!!」

 

「良晴、うちの家来が迷惑かけたな。反省しとるようじゃし許しちくれ。」

 

「別に構わねぇよ。て言うより、そっちの人は…」

 

「ん?ああ、雲雀といってのう、前に美濃に滞在してた時に御主や喜太郎と遊里に行ったじゃろ。雲雀はそこで儂が贔屓にしていた女じゃ。儂が引っ越してきたことをどこぞで聞いて、久しぶりに買ってはくれぬかと、わざわざ訪ねてきてくれたのでのう。早速、相手をして貰ったんじゃ。」

 

「初めまして相良様。雲雀です。お噂はかねがね。」

 

「あっ、俺の事知ってんだな。」

 

「はい、うちの店では有名ですよ。あれだけ鼻息を荒くしていたのに、本番前に萎びてしまって。気の毒なほど気落ちしていたので、次に来られた時には精一杯御奉仕して本懐を遂げさせて差し上げようと店の者達も張り切っています。またいつでも来てください。」

 

「なんつう覚え方されてんだっ!!恥ずかしくて二度と行けねぇよっ!」

 

 頭を抱えて絶叫する良晴に、秀吉は大口を開いてケラケラと笑い、雲雀も口元を隠して微笑を浮かべる。小一郎や権兵衛でさえ、客人に失礼が無いように堪えているのか、俯きながらも肩を震わせていた。

 

「ていうか秀吉さん、寧々はどうしたんだよ?あんなとこ見られたらヤバいだろ。」

 

「大丈夫じゃ大丈夫!寧々は半兵衛と連れ立って外に出ておる。夕方までは帰ってこん。」

 

「にしたって…はぁ、なんつうかここまで女好きだと逆に尊敬しちまうぜ。」

 

「ケケケッ。まあ、その話はエエとして、今日はいったい何用があって来たんじゃ、良晴?」

 

「ああ、実はちょっと仕事の事で相談があるんだけど…」

 

 そう言いつつも雲雀の方に視線を向ければ、事情を察したのかそそくさと帰り支度を始める。

 

「それでは木下様、私はこれで。また御贔屓に。」

 

「おうっ!権兵衛、裏口に案内しちやってくれ。」

 

「かしこまりました。」

 

 そう言うと権兵衛は雲雀を連れ立って裏口に向かい、部屋には良晴、秀吉、小一郎の三人が残された。

 秀吉は煙管を大きく吸うと、口から白煙を出し良晴を見据えた。そして、その表情を一瞬にして戦国武将のものに変える。

 

「仕事っちゅうと、なんぞ信奈様から厄介な御役目でも仰せつかったか?」

 

「っ!?ああ。ただ、厄介というよりは、いまいち腑に落ちない所があるんだ。」

 

 良晴はこれまでの経緯について二人に話した。信奈から滝川一益と共に伊勢攻略の総仕上げをせよと命じられたこと。一益からは、何もしなくて良い、と言われたこと。

 良晴が話し終えると、秀吉は煙管から灰を落とし、その手を顎に当てた。

 

「なるほどのう。大体の事情は分かった。小竹、御主はどう思う?」

 

「はっ、姫様が何を思って相良様に滝川様への助力を命じたかは分かりかねます。しかし、滝川様が『何もしなくて良い』といった理由はおおよそ…」

 

「えっ、まじで!?小一郎は分かるのか?」

 

 驚いた様子で良晴が尋ねれば、小一郎は細目を僅かに見開いた。

 

「恐らく滝川様は、相良様を警戒しているのです。」

 

「一益ちゃんが俺を警戒?なんでだよ!?」

 

「滝川様は織田家では比較的新参の方です。そして、伊勢攻略は滝川様にとって織田家の一員になって初めての大仕事。ここでの成果が今後の滝川様の織田家での立場を左右すると言っても過言ではなく、まさに人生を掛けた一大事なんです。」

 

「じゃあつまり、一益ちゃんは自分の仕事が俺のせいで台無しにされたくなかったから、俺に何もするなって言ったて事か?」

 

「いや、むしろ相良様のお陰で上手くいく事を嫌ったのでしょう。」

 

「はあ?どう言う事だよ!?」

 

「考えてもみて下さい。相良様も滝川様と同じ新参。しかも直近で大きな手柄を上げ、家中でも特に注目を浴びるお方。滝川様から見れば、出世を争う競争相手なんです。そんな御方が、完遂間近の仕事に出張ってくる。手柄を取られるのでは、と警戒するのも無理ないかと。」

 

 小一郎の説明を受け、良晴の脳裏に謁見の間での一益の様子が思い起こされた。

 主命を告げられた時、一益は明らかに動揺していた。

 

「そうか。俺が伊勢攻略に貢献したら、これまで一益ちゃんが苦労してやってきた事も俺の手柄にされてしまう。一益ちゃんはそう考えたんだな。」

 

「そんな所じゃろ。なんせ御主は、主君を呼び捨てにしても許される、信奈様の覚え目出度き男じゃ。無理が道理となる理由は、傍から見ても大いに有る。」

 

 秀吉の言葉に、良晴は複雑な表情を浮かべる。

 意中の異性から特別扱いされるのは決して気分の悪いことでは無い。しかしながら、それによって周囲にやっかむ者が増える事は、あまり望ましくは無い。

 良晴とて、人を妬み僻む感情は大いに理解できる。しかし、自分がその対象になる事には慣れておらず、何とも言い難い心苦しさを覚えていた。

 

「なんつうか、めんどくさい事に成っちまったなぁ。ていうか、こんな事になるなら信奈も最初から最後まで一益ちゃんに任せとけば良かったじゃねえか!」

 

「まさにそこよ!滝川殿一人に任せていても、伊勢攻略は不足なく行えた筈。にも拘らず、信奈様は最終段階になって御主に滝川殿の手伝いを命じた。その意は何と考える?」

 

「…俺に手柄を上げさせたかったから?」

 

「果たして本当にそうか?信奈様はそれほどまでに御主に優しいか?」

 

 それは絶対に違う、と良晴は即答した。信奈は割と身内には甘く、寵愛する部下を贔屓する傾向にはあれど、だからと言って楽に手柄を与えようとするようなことは絶対にしない。むしろ気に入っている者ほど厄介な仕事を割り振るのが、武将としての信奈の質であった。

 

「気まぐれに俺に仕事を与えようとしている感じでもなかった。つまり、あいつには何か考えがあって俺に一益ちゃんの手伝いをさせようとしてるって事か。」

 

「間違いない。信奈様は無意味な差配は行わぬ。恐らく信奈様は、御主に…」

 

「し、失礼しますっ!」

 

 秀吉が何か言いかけた時、権兵衛が部屋に飛び込んできた。

 

「なんじゃ権兵衛、騒々しいぞ。」

 

「も、申し訳ありません!しかし、火急の要件が…」

 

「火急の要件じゃと?」

 

「寧々さまが、帰ってこられました。」

 

 その瞬間、秀吉の顔が凍り付いた。一気に部屋の緊張感が高まり、さながら戦前の陣中の空気感が周囲を包み込んだ。

 

「権兵衛、雲雀が家から出ていくところは見られておらぬよな?」

 

「は、はい!そこは大丈夫かと。」

 

「よし!小竹、布団の片づけは?」

 

「抜かり無くっ。人目に付かぬところに押し込み、部屋の掃除も済ませています。」

 

「でかしたっ!というわけで、今日は良晴以外に誰も来ておらぬ。そういう事でよろしく頼むぞ、良晴!」

 

「お、おう。」

 

 その場の空気に流され、良晴も思わず頷いてしまう。

 

 それから程なくして、居間の襖が開かれ、顔を赤くしてご機嫌な様子の寧々が入ってきた。

 

「ただいま帰ったわよお前様~。ちょっとお酒飲んできちゃった~。」

 

「おおう、よう帰って来た寧々!しかし、今日はもう少し遅く帰る予定ではなかったか?」

 

「す、すみません。寧々さまが私の体調を気遣って下さってこんなに早く…」

 

「気にしなくて良いわよ半兵衛ちゃん。あらっ、相良様来てたのっ!?」

 

「あ、ああ。お邪魔してます。」

 

「もう、そんな畏まらなくても良いですよ!あっ、そうだ、権兵衛。これ、お土産の御饅頭。余分に買ってきたから相良様にも出して差し上げて。」

 

「は、ははぁ!承知致しました!」

 

「それじゃあ、私と半兵衛ちゃんは着替えて来ますので、ちょっと失礼します。」

 

 上機嫌にそう言うと、寧々は半兵衛を伴って奥へと下がった。

 それを見送ると、秀吉達はホッと胸を撫で下ろす。

 

「ふぅ、何とかなったのぅ。で、なんじゃったか?ああ、何故信奈様は良晴に滝川殿の手伝いを命じたかじゃが、儂が思うに信奈様は御主だからこそ、滝川殿の手伝いを命じたのじゃろう。」

 

「俺だからこそ一益ちゃんの手伝いを命じた?つまり、俺にしか出来ない役割があるから、仕事を振ったって訳か?」

 

「まさにそれよ。信奈様は単なる手伝い以上の事を御主に期待しておる。これ以上の事を信奈様が口にしていないのなら、儂からは言わん方がエエじゃろ。何をすべきかは己で考えてみるんじゃな。」

 

 秀吉は全てを答えはしない。それでも良晴には、目の前に一筋の光明が見えたように感じられた。

 

「ありがとよ、秀吉さん。なんとなく、何をするべきか分かった気がする。」

 

「カカカッ、それは僥倖!まあ、あまり焦らず、己の思うままに遣ってみるとエエ。」

 

 そうしていると、権兵衛が良晴の前に饅頭が置いた。

 良晴がそれに手に取り、軽く頭を下げて口に運ぼうとした時、襖が開かれ軽装に着替えた寧々が現れた。

 

「すいませんね、相良様。ロクなもてなしも出来ませんで。」

 

「いやいや十分だって。あっ、饅頭頂くぜ。」

 

「はい、どうぞ召し上がれ。ところで相良様、今日は御一人で?」

 

「え?まぁ、そうだけど。」

 

「…うちに来られた時、女の人など来ていませんでしたか?」

 

「「「「っ!?」」」」

 

 空気が凍った。身を凍えさせる冷気が寧々を中心に広がり、なのにダラダラと汗が流れる感覚に男衆は襲われる。

 

「ど、ど、どうだったかなぁっ!?俺は何も見てなかったけど。」

 

「そ、そ、そうじゃとも!何を可笑しな事を言っとるんじゃ寧々っ!!」

 

「………裏口に続く廊下に、見慣れぬ髪の毛が落ちていましたよ。ほれ、こんなに長い。間違い無く女の髪ですけど、私や半兵衛の物とは違いますねぇ。」

 

 寧々が摘まんで見せたのは、やや赤みがかった長い髪の毛。雲雀の頭髪と同じ色をしていた。

 

「お、おう。実はさっき庭先から赤毛の猫が入って来てのう。多分そいつの毛ではないか?」

 

 秀吉は何とか誤魔化そうと適当な嘘を吐く。

 しかし、寧々の追及の手は緩まない。

 

「あとそれと奥座敷に行ったんですけど、妙に甘ったるい匂いがするんです。多分白粉の匂いだと思うんですけど、私は最近使ってませんよ。」

 

「ハ、ハハハ、にゃんかの勘違いじゃにゃーか?」

 

 寧々の追及に動揺を隠せず、にゃんこ言葉を口にする秀吉。それでもまだ、決定的な証拠が無いのでシラを切ろうとしている。

 

 良晴達は居心地の悪さから体を小さくし、目線を下に向けていた。

 

「あら?お前様、煙管を吸われたのですか?」

 

「お、おう。ちぃと吸いたくなってな。」

 

 寧々が秀吉の膝元に置かれた煙管と吸殻に気付いて問い掛ければ、秀吉も戸惑いながらも答える。

 すると、寧々は目元の笑みを濃くする。

 

「へぇ~、そうですか。そう言えば、お前様はある事をすると決まって煙管を吹かしますねぇ。まさか、私がいない間にしちゃったんですか?」

 

「わ、儂が何をしたって言うんじゃ?」

 

「ホホホ。おなごの口から言わせますか?」

 

 途端に笑みを消し、寧々の顔は能面のような無表情になった。心なしか、その背後には煉獄を思わせる真っ赤な炎が見えるようであった。

 

「あっ、なんかちょっと腹痛くなってきたからもう帰るわ。うん、秀吉さん、今日はありがとな!それじゃ、またっ!」

 

「あっ、良晴待てっ!!」

 

 秀吉が引き留めようと声を上げるが、良晴は聞こえなかった振りをして饅頭を皿に戻すと、そそくさと玄関に向かう。

 

「兄者、私は倉庫の整理が終わっておりませぬのでこれで。」

 

「あっ、儂もそろそろ槍の鍛練をしなければ!」

 

 小一郎と権兵衛も、最早これまでとばかりに逃げの一手を打つ。残されたのは秀吉ただ一人、絶望的な状況に顔を青くするが、視界の端に救いの光明を見つけた。

 

「は、半兵衛っ!何とかしちゃくれんか?」

 

「え、ええと…」

 

 全く予想外の形で主君から助けを求められた半兵衛は、チラリと寧々に視線を向ける。それに対して寧々がニコリと笑みを作ると、半兵衛は意を決したように口を開いた。

 

「や、やっぱり、悪い事をしたと思ったのなら、素直に謝った方が良いと思いますぅ。」

 

「……じゃよなぁ。」

 

 希代の軍師の提案に、秀吉の頭は力無く垂れ落ちた。

 

 今宵はこれまでに致しとう御座ります。




・滝川一益
 原作では織田四天王の一人に数えられる小悪魔系姫武将。
 やまと御所との関係とかは、史実に則して書くと中々難しいところが多いので、近作品内ではあまり触れません。
 史実でも、織田軍の遊撃部隊長として各地を転戦し、伊勢方面や関東での活躍が有名ではあるが、後年は時世の波に乗り切れず、活躍の場に恵まれず不遇だったとされる。ただ、何かと茶の湯の話題が多く、晩年は滝川入道入庵として頻繁に茶会を催しており、なんだかんだ戦いの舞台から離れて悠々自適な日々を送っていたのではと考えられる。

・仙石秀久
 通称「権兵衛」。
 元は一色家に仕える地元豪族の生まれであるが、主家滅亡後に秀吉の家臣となる。
 秀吉の躍進と共に順調に出世し、33歳にして讃岐10万石を有する大名になるが、九州攻めで戦国史に残る大失態を犯し、改易の上高野山に追放処分を受ける。しかし、地元に戻って浪人たちを集めると小田原攻めに参陣し手柄を上げ、徳川家康の執り成しもあって大名に復帰した。まさに「戦国史上最も失敗し、挽回した男」である。
 関が原では東軍に属し徳川秀忠の軍勢に加わるも、秀忠は戦に遅参し家康の怒りを買う。その際、秀忠に並んで土下座して謝りまくった結果、秀忠に大変気に入られる。その後、領内で改易待ったなしレベルの一揆が起こるが、秀忠からは笑って許された。
 山内一豊に並んで長曾我部ファンから熱烈なヘイトを買う武将でもある。


 
 
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