次話は本日18時に投稿予定です。
良晴と一益が会談をして早数週間、良晴は志摩南部、英慮湾を望みし横山の地へと来ていた。
周囲は草木の少ない開けた地となっており、作業員たちが汗を流して働いている。
そんな中にあって、良晴は九鬼嘉隆と並んで高台から海を見下ろしていた。
「すっげぇ景色だな。こんな風景見たこと無いぜ。」
「だろ?こんなに入り組んだ湾は早々無い。あたしらにとっての最高の隠れ家さ。」
感嘆の言葉を漏らす良晴に、嘉隆が自慢げに笑みを浮かべた。
大小様々な島々と、複雑に海岸線が入り組んだリアス式海岸が織りなす英慮湾の情景は、古くから多くの人々を引き付けてきた。
特に横山から見下ろす景色は現代でも絶景観光地として有名であり、宮城の松島以上と讃えられることもある。
「うん、海風に湿り気が無いし波が穏やかだ。明日は晴れるだろうよ。」
「おおっ!そりゃよかった。ここまで準備をして雨でおじゃんなんて勘弁だからな。嘉隆もありがとな。ここまで手伝ってくれて。」
「いいって事よ。あたしは姫様の為に遣っただけだしな。正直言うと北畠の奴らをもてなすってのには、複雑な気持ちだがな。」
嘉隆の父は嘉隆が元服する前に北畠家と戦い討死している。即ち、嘉隆にとって北畠具教は肉親の仇に当たるのだ。
「…やっぱり恨みは捨てきれないか?」
「…そうだな。わざわざ捨てに行くものでもないと思うしな。あたしらだって北畠の一族や家臣を何人も殺してきた。お互い恨み恨まれの関係だ。それを腹に収めて手を結ぶことにも意味はあると思ってる。織田と松平も同じだろ?」
今でこそ同盟を結んだ関係であるが、尾張の織田家と三河の松平家は長年に渡る宿敵同士であった。
だが現松平家当主の元康は、父祖の仇の娘である信奈に恨みを持ちながらもその手を握った。全ては三河に生きる民の為であり、戦国武将として松平家を生き残らせるためであった。
「だったらあたしらだって同じ事が出来るさ。北畠家の人間は殺してやりたいほど憎いが、奴らを生かす事が姫や志摩の為になるなら喜んで抱擁を交わしてやるさ。それが、上に立つ者の役目ってやつだろ?」
「…そうだな。この土地の人達の為にも、絶対に明日は成功させてやろうぜ!」
「くすくす。何を二人で盛り上がっておるのやら。明日の主催はこの姫ぞ。」
良晴たちの前に現れたのは一益である。
今回一益は、この横山にて大規模な茶会を行うと伊勢中に布告し各豪族たちに対しても参加を促している。そしてその主賓となるのが、他ならぬ北畠具教だ。
敵方からの茶会の誘いに具教が乗ってこないのではという一抹の不安はあったが、具教は一益の申し出を快く了承した。
「まあ、開催地は名目上はいまだ北畠家の領地となっている志摩じゃ。無視すれば北畠家の影響力が最早志摩には届かぬと看做されるじゃろうし、兵を率いて茶会を台無しにするというのは風流人の武人である具教には取りがたい。故に具教は姫らの誘いに乗り、それでもって自分の存在を誇示して豪族たちに釘を刺さんとするであろう。後の反逆への布石としてな。」
「ああ。だけどそんなことはさせねぇ。信奈だって会談を通じてマムシのおっさんに認められたんだ。明日必ず、具教をアッと言わせて見せようぜ。」
今回の茶会、『伊勢志摩大文化祭』の目的は具教を文化的要素で圧倒して織田への臣従を誓わせる事。その為に、ここ数週間良晴たちは寝る間も惜しんで準備に取り組んだ。
その成果が試される場を前に、良晴たちは文化祭の成功を強く心に誓ったのであった。
そして文化祭当日。会場となった横山は大変な人出となった。
招待された豪族だけではない。出店を出す商人や近隣の住民は勿論の事、都から戦火を逃れて避難してきた公家、伊勢神宮の神官たちや寺の坊主とその関係者、中には南蛮人の姿も見える。
これらは全て、一益が伊勢を調略する際に築いた交友関係を通して招いた者たちであった。
彼らは思い思いに出店を立ち寄り、時に設置された野点の茶席に座ってお茶を楽しんでいる。
そんな中、とある一団が会場に現れた事で周囲の注目が集まる。
護衛に誘導され先頭に立つのは、すらりと背の高い優男である。ゆったりとした公家風の礼服に身を包み、薄く顔に白粉を塗り、唇には鮮やかな朱を差している。
年齢はわからない。少年のあどけなさを残した容貌は二十代にも見えるし、武人らしく油断の無い冷徹な視線で周囲を見渡す様は歴戦の老武将にも見える。
その立ち振る舞いを優雅そのもの。まさしく京の貴公子とはかく有らんと示すようであり、会場にいる者の視線を独り占めした。
「国司殿。」
官職を呼ぶ声に男は振り向く。振り向いた先には一益と良晴、そして護衛の嘉隆がいた。
「…本日は御越しいただき誠に有り難う御座いますなのじゃ。祭りの主宰を務める、滝川一益じゃ。」
「…此方こそ、お招き頂き感謝申し上げます。伊勢国司の北畠具教です。」
穏やかだが張りのある声だった。
「…文化祭、でしたか?このような催しは歴史ある伊勢でも例が無く、滝川殿の発想には驚かされるばかりです。今日はじっくりと楽しませて頂きましょう。」
「…くすくす、それは僥倖。姫達も国司殿に楽しんで頂けるよう心を尽くしたのじゃ。きっと、国司殿も気に入ってくれる筈じゃ。」
一見すれば一益と具教の対面は友好的に見える。しかし、僅かな会話の中にも互いを値踏みするような牽制が込められ、改めて二人が伊勢を巡って覇を競う者同士である事を周囲は理解した。
形は違えど、今日の文化祭は紛れもなくある種の戦であった。
「父上!何やら良い匂いがしますっ!見てきても良いですか?」
すると突然、張り詰めた空気を弛緩させる気の抜けた声が聞こえてきた。
一瞬にして苦虫を噛み潰したような表情に変わった具教の後ろから現れたのは、丸々と太った色白な少年である。
「具房よ、我らはこれより滝川殿の歓待を受けるのだぞ。まずは其方を優先せよ。」
「でも父上、具房はお腹が空きました!匂いの元はあの浜焼屋みたいです。早く行かないと売り切れてしまうかもしれません!」
「具房よ…」
何とか穏やかな表情を維持しながらも、こめかみに青筋を立てながら具教は息子の方を向く。しかし悲しいかな、具房は口元から涎を垂らし出店を眺めるばかりで、父親の様子に気付く素振りは無い。
「くすくす。安心して良いぞ具房殿よ。店主に言って後から具房殿の分を持って来させよう。それに食べ物なら此方でも用意しておるのじゃ。浜焼より美味しいものもあるぞ。」
「本当ですか!?父上、早く行きましょう!!」
言うが早いか、具房は自分の従者を連れてズンズンと前を進んでいく。
口元を引き吊らせながらそれを見送った具教は、ぎこちない動きで一益の方に向き直り頭を下げた。
「…愚息が失礼致しました。後で私から強く言い含めておきます。」
「くすくす。気にせんでも良いぞ。愉快な倅殿じゃ。あれくらい良い反応をしてくれた方が、もてなし甲斐があると言うものじゃ。」
「…ご配慮、感謝いたします。」
僅かに表情を歪ませながらと、具教はもう一度頭を下げた。
一益が具教達を案内したのは、昨日良晴と嘉隆が話していた場所である。
英慮湾の絶景が一望出来る高台の上に、大きな赤い日傘が広げられ、その下には唐風の円卓と椅子が並べられていた。
「折角伊勢国司をもてなすのじゃから、普通の茶席を用意するのは詰まらんじゃろ。それに我が主は国際派じゃ。今日は織田流のもてなしを楽しんでたもれ。」
そう言って一益が椅子に座るように促すと、具教は大人しくそれに従う。
すると、具教の視界に英慮湾を背景とする木製の舞台が映った。
「滝川殿、あれはいったい?」
「ああ、あれは後で催し事に使うのじゃ。何をするかは、その時までのお楽しみじゃ。」
ニヤリと含みのある笑みを浮かべる一益。その横から、皿を持った良晴が進み出ると、卓の上に大皿を置いた。
「茶席の前に懐石料理を用意したのじゃ。まずは此方を食べてくだされ。」
現代において懐石料理と言うと、料亭などで食べる高級和食というイメージがあるが、元を正せば茶席の前に腹に入れる料理という意味がある。
日本の食文化には大陸から輸入された『医食同源』という考え方があるが、同じく薬として大陸から伝わったお茶には正にそれを体現する考え方があった。
具体的には、腹を空かせた状態でお茶を飲むのは体に悪いので、茶席の前には軽い食事を取るのが良いとするものである。
なので、この当時の茶席の前には小腹を満たす食事が振る舞われるのが常であり、それを坊主が腹を温める懐炉石になぞらえ『懐石料理』と呼ぶようになったと言われている。
「それじゃあ先ずは此方から。『かまぼこの刺身』だ。召し上がれ!」
そう良晴が料理の説明をすると、具教は「ほぅ」と息を漏らす。
白い練り物には切れ目が入れられ、その間には緑色のペーストが挟まっていた。
「おおっ!蒲鉾ですよ父上っ!私の大好物ですっ!」
「ふむ、蒲鉾と言えば串に刺して焼いた輪っか状の物が一般的ですが、これは細長く整形したのを蒸したのですかな?そして、この間に挟まった緑の物は山葵ですか。刺身の薬味としては一般的ですが、蒲鉾を刺身にするとは。」
蒲鉾は平安時代の文献に既に存在しているが、この時代では大変な高級品であり、主に贈答品として製造されていた。
そしてこの時代の蒲鉾は、具教の言うような現代で云うところの竹輪に近い形をしており、現代に近い形の蒲鉾は一部の地域でのみ作られていた。
「しかも白身魚だけしか使って無い物は特上品。わざわざ調味料を付ける必要は無い気もしますが。」
「まあまあ、試しにコイツを着けて食べてみてくれよ。」
「これは…酢では無いようですが、いったい…」
良晴が黒っぽい液体が入った小皿を具教に差し出すと、具教は訝しげに小皿を取る。
「そいつは醤油モドキ。味噌を作る時に出来る上澄みの液体に、酒や味醂を入れて煮立て塩と砂糖で味を整えたんだ。」
史実において、醤油が作られるようになったのは1580年頃と言われ、それが庶民にまで広く使われるようになったのは江戸時代からとされている。
良晴は『現代の料理人が戦国時代にタイムスリップして信長の元で料理を作る』というドラマの中で、味噌から醤油を造る場面があったのを思い出し、試行錯誤の末に醤油モドキを完成させた。
味は現代の醤油には遠く及ばないが、風味や口当たりは良晴の知る物に近く、戦国の世では未知の味であると良晴は考えていた。
そんな良晴の期待とは裏腹に、具教は醤油モドキに蒲鉾を着け口に入れると、少し落胆したかのように小さく息を漏らす。
「なるほど、『たまり』ですか。」
「た、たまり?」
「味噌の上澄みを酒で割って造る調味料、味噌の代用品ですが知らないのですか?まぁ、以前味わったたまりに比べると手間はかかっているようですが、味は大して変わりませんね。」
醤油の原型の一つたされる『たまり』は、鎌倉時代には既に関東の庶民の間では広まっていたとされる。
ただし、あくまでも味噌の代用品であり、味噌を買えない庶民が使う物とされてきた。
尾張では調味料と言えば味噌が基本だったので良晴は知らなかったが、具教からすれば会談の席で自信満々に庶民の味を出されたようなもの。
現代で例えるなら、カップ麺のスープを出され「これに此方の高級フランスパンを着けて食べてみて下さい。美味しいですよ。」と言われたようなものだ。ガッカリするのも当然である。
初めて食べる醤油の味に具教が感激する事を想定していた良晴は、「こんなものか」とでも言うような具教の態度に愕然とする。
すると横から一益がちょいちょいと横腹を小突き、具教に聞こえないように小声で囁く。
「(何をやっとるじゃ、よっしー!具教の奴、明らかに姫等を見下げとるぞ!)」
「(く、くそー、醤油を出せば気に入ってくれると思ったんだけどなぁ。考えが甘かった!あっ、でも具房の方はじっくりと味わってくれてるぞ。)」
「(そんな事はどうでも良い!次は必ず具教をアッと言わせる物を出すのじゃ!)」
「(お、おうっ!)」
尻を蹴飛ばされたように一旦その場から退散した良晴は、程なくして蓋が乗った茶碗を運んでくる。
面前に茶碗を置かれた具教が蓋を取ると、湯気と共に芳香が鼻を擽る。
「これは、味噌汁ですか。」
茶碗の中身は赤みの濃い茶色の汁物。日本食の定番たる味噌汁であった。
具教は先ずは一口汁を啜った。するとピクリと眉を跳ねさせ、箸で汁の中から白い団子状の物体を掴み上げると口に運んだ。
「…なるほど、伊勢海老の真薯ですか。察するに、出汁は海老の殻から取り、真薯には海老味噌を練り込んでいるのですね。まさに一杯の茶碗に伊勢の海の恵みを丸ごと閉じ込めたような味噌汁です。」
肯定的に聞こえる具教の言葉に良晴と一益の表情が明るくなる。
しかし、具教自身は澄ました表情の下でこう思っていた。
ありきたりである、と。
正直なところを言うと、具教は此度の文化祭というものを少なからず期待していた。
伊勢では過去に前例のない催し事というのもあるが、自家を追い詰めた織田家がどの程度に文化というものを解しているか、具教は気にしていた。
時に公家被れとも評されこともある具教であるが、その本質は根っからの武人である。
剣聖と称される塚原卜伝より免許皆伝を許され、戦場に立てば自ら刀を振る事も厭わない。並みの武士ではとても敵わない武威と気質を持ち、それでいて京の公家にも負けぬ文化的教養を持つ希代の才人、それが北畠具教という戦国武将である。
だからこそ、調略のみで北畠家を切り崩して見せた織田家の遣り方には憤怒する思いがあった。なぜ自分達と正面を切って戦える力を有しながら、搦め手に終始するのかと。
だがその一方で、戦国武将としての現実主義者の部分では、短期間で伊勢の国人達の人心を掌握し、殆ど損害無しに国取りをして見せた手腕を称賛する気持ちもあった。
或いは、天下に飛び立ち名を全国に轟かせようとする織田家を相手取り、名門の存滅を掛けた一戦を以て幕府の名門たる北畠家の矜持を示したいとする、そんな乱世の武人らしい想いを具教は抱えていた。
だからこそ、文化祭は織田家の本質を計るに良い機会だった。
織田信奈が天下を望むのであれば、京の伏魔殿に潜みし魑魅魍魎共を相手にするのは必定。
木曽義仲、判官九郎義経、楠木正成。いずれも歴史に残る優れた武人であったが、最後は宮中の闇に飲み込まれ悲劇的な最後を遂げた。近年で言えば三好家がそうだ。
京の都はまさしく魔境。そこでは力を持った者ほど闇に体を蝕まれる。
果たして織田家には、その闇に打ち勝てるだけの物があるのか?
具教はそれが知りたかった。
それさえ知れれば、己の矮小の矜持など捨て去り、愛する故郷を任せる事も出来るかもしれない。そんな風に具教は考えていた。
だが残念ながら今のところ一益と良晴は、具教の関心を得れるだけの持て成しは出来ていなかった。
酢では無く、改良したたまりを刺身に着けるのは新鮮であった。
しかし、そこから先の工夫が無い。どうせだったら、あのたまりを味付けの主とした別の料理にした方が良かっただろう。わざわざ蒲鉾を刺身にする必要性も感じられない。
そして伊勢海老の味噌汁であるが、具教にとっては散々味わい尽くした物である。その土地の食材を使うのは持て成しの基本ではあるが、伊勢国司に対して伊勢の名産を出すのは些か安直過ぎるであろう。
所詮、成り上がり者の考える事であったか。
表情を取り繕いながらも内心では落胆していると、隣に座る具房が難しい顔で味噌汁を見詰めていた。
「…どうしたんだ、そんな味噌汁を睨んで?」
具房の様子を不審に思った良晴がそう尋ねると、具房はもう一度味噌汁に口を着けて良晴の方を向いた。
「この味噌汁、八丁味噌に米味噌を合わせているのではありませんか?」
「え?あ、ああそうだぜ。八丁味噌だけで作ると味が濃くなりすぎて海老の風味が消えちまうから美濃の米味噌と合わせてみたんだけど。」
「ああ、やっぱり美濃の味噌でしたか!美濃は米所ですからなぁ。以前美濃の商人が酒と一緒に持ってきたのは口にしたのですが、美味しかったので覚えてたんです。後で少し分けて下され。それにしても…」
具房は大皿に残った蒲鉾の刺身に目をやると、感心した様子で頷いた。
「織田様は随分と手広くされてますなぁ。各地の名産をこうも集めるとは。」
「……各地の名産だと?」
「はい、父上。さっき食べた蒸し蒲鉾は小田原の商店が作っている物。で、間に挟まった山葵は察するに駿河の物。あの鼻を突く爽やかな香りは駿河の山葵の特徴です。」
「すげぇ、よく分かったな。確かに今日用意した食材は東海通商海路を通じて集めたものだぜ。」
「東海通商海路?」
聞きなれない単語を具教が聞き返すと、待ってましたとばかりに一益が口角を上げる。
「信奈ちゃん発案の商業経済域の事じゃ。東海の海に面した国々で海運に関する税を一部免除し、船の往来を活発にし交易を促す。その旨を大名間で文書にしたためたのじゃ。」
「俺たちは北畠家にもこの経済域に加わって欲しいと思ってる。概算だけど、仮に伊勢国がこの経済域に加入した場合の土地への経済効果を計算してみたんだ。読んでくれ。」
良晴は書状を取り出すと具教の前に出す。
戸惑いがちに書状を受け取った具教だったが、熱心に見詰めてくる良晴と一益に負け、ゆっくりと書状の内容を確かめていく。
すると程なく、具教の目が信じられないとでも言うように見開かれた。書状には交易に得られる利益として、途轍もない額が記載されていた。
「…これは、適当な数字を並べているだけでは…」
「そんなわけ無いだろっ!何度も確認して計算したんだ。多少の誤差はあるだろうけど、余程の事が無い限り大きく外れ無い筈だぜ。」
荒子城の経済状態の試算や美濃での検地など、良晴はこの時代に来てから少なからず帳簿を付ける機会を経験しており、その時の経験を生かし今回の試算表を作成していた。
「国司殿よ、尾張の津島の港がどれ程栄えているか、聞いた事くらいあるであろう。信奈ちゃんはそれを全国に広げようとしておるのじゃ。戦乱を治め、長きに渡る乱世で傷付いたこの日ノ本を、銭と商いの力で回復させる。そして更なる一手で日ノ本自体を国としてより高みへと導くつもりなのじゃ。」
「更なる一手ですか?それはいったい?」
「くすくす。それに答える前に、先ずはお茶を飲んでたもれ。」
一益がそう言うと、給士が具教と具房の前に小さめの茶碗が置かれる。茶碗には蓋がしてあり、給士がそれを取ると具教の目が見開かれた。
「これはっ、澄茶ですかっ!?」
茶碗に注がれているのは一般的に茶席で飲まれるような味の濃い抹茶では無く、澄んだ緑色の澄茶、現代で云うところの煎茶であった。
「ほう、流石国司殿。澄茶の事をご存じでしたか。やはり明風の卓で茶席を用意するのですから、飲み物も明風のが良いからのぉ。」
この時代、まだ日本では煎茶は一般的では無い。
しかし明国では既に煎茶が流行しており、客人を持て成すなら煎茶というのが当たり前に成りつつあった。
史実で煎茶が日本人に一般的に成るのは江戸時代になってから。国産の急須が造られるようになってからである。
即ち、古来より大陸から最新の文化を学んできた日本人にとって、煎茶は戦国時代における世界的流行の最先端であった。
具教自身、話には聞いたことはあったが、本物の煎茶は見るのも初めてであった。
まさかそれが織田との茶席で出されるとは夢にも思わなかった。
「それと茶菓子はこちらを用意したのじゃ。」
一益の言葉と共に茶碗の横に置かれたのは、細長い茶色の菓子である。
「これは…」
「『ちょろす』と言う、南蛮の菓子じゃ。遭難して志摩の無人島に流れ着いた南蛮船があってのう。色々と難儀していたので助けたのじゃが、礼として此度の祭りに協力してくれたのじゃ。これは彼奴等の故郷でよく食べられる物らしい。澄茶に良く合う。」
イスパニアから日本に渡って来たというその難破船は、最初は堺を目指したが嵐に巻き込まれ志摩の無人島に漂着。近くの村に救助を求めようとしたが、見慣れぬ南蛮人の姿を村人は鬼と誤認し騒動となった。
村人と友好的な交流を得られなかったイスパニア人達はやむを得ず力ずくで食料を確保するしかなかったが、丁度その時良晴と一益が来訪し、事態を収拾させ彼らを保護したのであった。
閑話休題
一益は自分の前に置かれた茶を啜ると、ちょろすを手に持ち美味しそうに齧った。
「父上っ!この菓子すごく美味しいですっ!!お茶とも良く合いますっ!今までのお茶は私には苦すぎてあまり好きではないのですが、この茶ならいくらでも飲めます!」
いつの間にか具教に先んじて茶と菓子を口にした具房も、煎茶とちょろすの味に感動し絶賛する。
それを見て、具教もゆっくりとちょろすを口に運ぶ。
じっくりと味わうように咀嚼し、お茶を飲んで小さく息を漏らした。
「……大変、美味しゅう御座います。」
「くすくす。国司殿が気に入ってくれて嬉しいのじゃ。」
「…滝川殿、先ほどの御話とこの茶菓子から察するに、織田は明国や南蛮との交易を進めるのが、更なる一手ですか?」
「…確かにそれも一つの手じゃ。じゃが、恐らく信奈ちゃんはこれまで通りの南蛮交易をするつもりは無いのじゃ。」
一益は僅かに顔を陰らせながら静かに答える。
その予想が立てられたのは、良晴から信奈の野望について教えられたから。
良晴がいなければ気づけなかった、信奈が考える天下の行く末を自分の言葉として具教に伝える事に、一益は心苦しさを感じながらも、決して表には出さぬように努めていた。
「今の南蛮との貿易は、南蛮の商品を日本の金や銀で買うばかりなのじゃ。このまま一方的に日ノ本が買手な状況が続けば国内の金銀が海外に流出し、日ノ本は貧しくなってしまうのじゃ。」
「ちょ、ちょっと待って下され。日ノ本の金銀が南蛮に流れ、日ノ本が貧しくなるなど、そんな話……」
そのような話聞いた事も無いと言おうとするが、具教は言葉を止める。
南蛮の技術が日ノ本を席巻している事は、具教も良く知っている。その優れた技術を求め、各地の大名が大金を叩いている事も。
だがそれにより日ノ本の金銀が少なくなってしまうなど、想像したことも無かった。
しかし、可能性としては有り得なくも無い。むしろ理論としては当然の成り行きであると思い至ってしまった。
「皆が気付いてからは遅いのじゃ。誰かが気付いた時、すぐに行動を起こさねば手遅れになる。」
「…それを起こすのが信奈殿だと?」
「他に誰がおるのじゃ?」
毅然と、さも当然の如く一益は断言する。
そこには、主君に対する確固たる信頼が存在した。
「……南蛮への売り物は茶ですか?」
「察しが良いのぅ。そのつもりじゃ。先ほど話したイスパニア人にもこの澄茶を飲んでもらったが、評判は良かったのじゃ。きっと本国でも売れるであろうと。」
「茶だけじゃないぜ。焼物や漆塗りみたいな工芸品も、海外では珍しいから珍重されるぜ。日本にだって海外に負けない製品が造れるんだ!」
一益の横から良晴が身を乗り出して熱弁する。
未来知識として、日本の伝統工芸品や食品が海外で人気であることを知っているもあり、良晴は日本製品の輸出に関して成功の自信があった。それでも、この時代の日本人からすれば自分たちの国の物が、地球の反対側で人気になるなど、とても想像できることでは無い。
だが、力強い眼差しと共に力説する良晴に、具教は心惹かれるものが有った。
「今の日ノ本には大海を渡って南蛮に行くだけの船は無いかもしれない。だけど南蛮の造船技術と曳航技術を学べば、日本から海外に向けて輸出を出来るようになる。そうすりゃ、日本は豊かになって平和で幸せな国にする事も出来るんだ!」
「無論その為には今の乱世を治めなければならんのじゃ。国司殿にはそれに協力して欲しい。国家繁栄と民の安寧を願う為政者として。」
二人から真剣な表情で見つめられ、具教は静かに瞳を閉じる。
少なくとも、良晴が本心からこの国を良くしようとしているのは、言葉に籠った熱から感じられた。
平和と幸福をもたらしたい。言葉にするのは簡単だが、それを本気で行おうとする人間がこの世に何人いるだろうか?
そのような大望、現実の見えていない絵空事と切り捨てるのが普通である。
だがどうしてであろうか、具教は己の心の内が高鳴ってしまうのを抑えきれなかった。
伊勢を統一するために戦いに明け暮れ、宮中の暗闘を潜り抜け官位を得て、この戦国の世の醜愚をいくつも目の当たりにしてきたにも拘らず、具教は良晴の希望に満ちた未来に夢を抱きつつあった。
そんな具教の変化に気が付いた一益は、肩の力を抜き表用を柔らかくすると、口元に小さく笑みを浮かべた。
「ふむ。せっかくの茶会なのに少し小難しい話をしすぎてしまったのぉ。よっしー、そろそろ例の出し物を始めてはどうかの?」
「ん?ああ、そうだな。じゃあちょっと準備してくる。」
そう言って良晴は軽やかな足取りでその場を後にする。
その後姿を具房は興味深げに見送った。
「滝川殿、相良殿は準備をしに行くとおっしゃりましたが、何をされるおつもりなのです?」
「くすくす。それは観てからのお楽しみというものじゃ。まあ、なかなか愉快な試みなので、退屈はせぬと思うぞ。」
含みが籠った笑みを一益がすると、海を背景にした舞台の壇上に幕が広げられる。
そして部隊の端には良晴が立ち、数度咳払いをすると声を張り上げた。
「それではただいまよりっ、伊勢志摩演劇団による舞台劇を開演しますっ!この演目は、南蛮で作られた物語を独自に演劇化したもので、日ノ本では今回が初公演に成りますっ!演目名は『獅子の王』。どうぞみんなっ、存分に楽しんでくれっ!!」
今宵はこれまでに致しとう御座いまする。
・北畠具教
伊勢北畠家当主にして伊勢国司。親子二代に渡って伊勢統一を目指し、父の遺志に引き継ぎ当代で統一を成し遂げた勇将。
しかし、第六天魔王に目を付けられたのが運の尽き。圧倒的な戦力と家中分断の計により追い詰められ、信長の息子を養子に取り、家督を譲位。最後は暗殺されるが、その際自ら刀を振るって百人もの刺客を相手に大立ち回りを演じたと言われている。
なお、信長の野望シリーズでは毎回悪人面のグラフィックが定番だったが、「信長の野望 大志」でなぜか貴公子風の美青年にグラフィックが変更され、一部のファンをざわつかせた。
本作の具教は、イケメンの方をイメージしています。
・北畠具房
具教の息子。特徴はデブであること。馬に乗れないくらいデブであった伝わっており、織田との戦の際には織田軍からデブ弄りをされている。
具教からも太った容姿に苦言を呈され、割とぞんざいに扱われていたそうである。武将としてはあまり優秀でなかったとも。
だがそのお陰か、父親をはじめ親族が悉く粛清される中、命は見逃され、三年の幽閉の後に解放されるが、程なくして病死したと伝えられる。
・醬油
作中で解説した通り、醤油が一般に広まったのは1580年代以降と言われているが、それ以前も関東を中心に民間では長年「たまり」という形で作られていたようである。
良晴が参考にしたのは『信長のシェフ』であるが、そちらの方では西洋料理の技法を交えて「たまり」で作った「照り焼きソース」を料理に使っており、それに比べると良晴の使った「醤油モドキ」は大きく劣っていた。