太閤転生伝   作:ミッツ

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調略せし者

「信勝様方が我らとの戦を望む理由は、戦に勝利する事で多大な益が得られる故。そして、戦力差により戦を有利に進め易いが為にございます。然らば、先ずは相手方の有利を潰し、容易に攻めかかれ無い状況を作り出すが良策でありましょう。即ち、我らが成すべきは『敵を減らし、味方を増やす』策にございます。」

 

「敵を減らし、味方を増やす。なるほど、調略を用いるという訳ね。」

 

「如何にもっ!その通りにございます。」

 

 いち早く秀吉がやろうとする事を察した信奈に秀吉が首肯すると、周囲の者達も強く興味を示した。

 

「確かに調略というのはこの場合間違っていません。八十点をあげられます。ですが重要なのは誰を調略するかです。信勝様陣営から寝返ってくれるような人に心当たりがあるのですか?」

 

「いえ、生憎。そもそも敵方の多くは信奈様に反発してか、信勝様方有利と見てその馬尻に乗った者達ばかり。わざわざ劣勢の我々に鞍替えする者は望み薄でありましょう。」

 

 実のところ、利を示さずとも相手方から寝返させる方法は幾つかある。それこそ、弱味を握って言いなりにさせたり、流言を用いて敵陣営を内部崩壊させる等である。

 しかしながら、それらの方法は時間と労力が掛かるため今回は除外している。

 

「ではいったい誰を?」

 

「我らが引き込むは、この状況において未だ静観し、どちらに付くか明らかにしていない中立派、その中にあって織田家へ多大な影響力を持つお方です。」

 

「それは…」

 

 信奈の問い掛けに、秀吉はスッと背筋を伸ばし答える。

 

「…村井貞勝様にございます。」

 

「村井様を…」

 

「確かに村井様ならば。しかし…」

 

「あの『地蔵』を味方にねぇ…」

 

 万千代、久太郎、信奈の三者がそれぞれ反応を示すが、どうにも微妙な反応である。

 それを不思議に思った良晴が口を開く。

 

「なぁ、その村井って人はどんな奴なんだ。」

 

「…村井様は先代信秀様の頃より織田家に仕えている宿老です。主に内政や外交を担っていて、その分野では間違いなく最も織田家に貢献されてます。」

 

「父上の信任も厚く、津島の港の開発を一手に任されていたわ。人当たりも良く商人や農民達からも信頼され、おまけに父上の使いで御所にも出向いていたから京の公家とも繋がりがある。いつも穏やかな笑みを絶やさず物静かで、それでいて任された仕事はいつの間にか不足無く終わらせているから、付いた渾名が『地蔵の貞勝』。あいつを味方に引き込めれば、日和見をしている者達も一気に引き込む事が可能ね。」

 

「おおっ!すげぇ人じゃねぇか。すぐにでも味方になってくれるよう説得に…」

 

「したわよ、とっくの昔に。けれど断られたの。」

 

「はぁっ!?どうしてだよっ!」

 

「地蔵は父上に対し今でも忠義を尽くしてるのよ。父上の子である私か信勝のどちらかに加担し、もう一方に敵対するのは父上から受けた恩に反する行いだと言ってるの。だから信勝からも誘いはあったみたいだけど、そっちも断ったそうよ。」

 

 良晴に貞勝との関係を説明をする信奈であったが、その表情は複雑そのものである。

 父の葬儀の場において、位牌に抹香を投げつけるという暴挙を為した信奈であったが、その信念にあるのは父に対する深い敬愛であった。

 それ故に貞勝を味方にする事の有効性を認めながらも、いまだに信秀へ忠義を尽くしている貞勝の心を無下にするのは偲び無いとする心境にあった。

 そんな信奈の心の内を知ってか、秀吉は優しく語りかける。

 

「ご安心下さいませ。この秀サル、決して無理矢理村井様を従わせようとは考えておりません。心に語りかけ、そのお心を信奈様へ向けて頂くよう、言葉を尽くす所存にございます。」

 

「…わかったわ秀サル。あんたの思う通りにやってみなさい。」

 

「ははっ!有り難き幸せに御座いまする。然らば、村井様の説得にあたり、信奈様にお願いしたき事が御座います。」

 

「ん、なに?言ってみなさい。」

 

「はっ、お願いというのは…」

 

 そうして秀吉が申し出た願いは、信奈の目を丸くさせたが最終的には認められる事となった。

 

 

 

 

 

 

 その翌日、秀吉は早速村井貞勝の屋敷を訪問していた。

 前日に信奈の元を辞した後、秀吉はすぐに貞勝宛に翌日訪問したい旨を記した手紙をしたため、五右衛門を使いに貞勝邸に届けさせていた。

 五右衛門には返事を受け取るように申し付けていた為、その日の夕刻には訪問を是とする返事を受け取ることが出来た。

 

 秀吉が護衛として忍装束の者を連れて家人に名を告げると、すぐに屋敷に入れられ奥座敷へと通される。そこには既に屋敷の主人が茶の準備をしつつ待ち構えていた。

 まず目に着くのは噂通りの穏やかな表情。所々に白髪が見えるが背筋はピンと伸び、実年齢よりも若く見える。

 秀吉と供の者が部屋に入ると席へ案内し、秀吉が貞勝の対面に、供の忍が秀吉の後ろに座ると、貞勝は深々と頭を下げた。

 

「お初にお目にかかります。織田家宿老、村井吉兵衛貞勝に御座います。」

 

「木下藤吉郎秀吉に御座ります。此方は道中の護衛として供をさせました忍びの者です。」

 

「遠路はるばるご足労頂き、誠に有り難き事にて。まずは茶でも。」

 

 そう言うと、貞勝は慣れた手つきで茶を仕立てていく。

 目の前に出された茶碗を、秀吉は静かに両手で持った。

 

「お手前、頂戴致します。」

 

 茶碗を左手に載せ右手を添えるように持つと、左手に二度少しずらし口を着ける。

 先ずは一口飲み、続けて最後まで飲んで行き、飲み終わりに「ずずっ」と音を鳴らすと親指と人差し指で軽く飲み口をなぞり、予め用意しておいた懐紙で指を拭く。

 そうして茶碗の正面を貞勝に向けると、畳に手を着き深々と頭を下げた。

 

「結構なお手前に御座います。大変美味しゅう御座いました。」

 

「…いやいや、私こそ、見事な作法を拝見させて頂きました。木下殿、以前どなたかに師事されていた経験でも?」

 

「…ほんの手習い程度ですが、堺の商人より少々。」

 

 この当時、茶の湯の道は最先端の流行であり、流行の中心は公家や京を活動の拠点とする武家、あるいは豪商達であった。そのため、茶の湯の作法を修めているという事は文化人としての証であり、一種のステータスとなり得る。

 

 御所に対する織田家の窓口を勤めてきた貞勝は、目の前に座る秀吉が少なくとも茶の湯において京の文化人に劣らぬ教養を身に付けていることを察し、同時に秀吉が単なる信奈の使いっ走りでは無いことを見抜いた。

 

「なるほど、そういう事でしたか。よほど良い師に恵まれたそうで。ところで、本日はどのような用向きでしょう?まさか、お茶を飲みに来ただけでは有りますまい。」

 

「お察しの通り。某は信奈様の名代として参りました。昨今の尾張を取り巻く情勢不穏を慮り、信奈様は貞勝様の御力添えを所望しております。本日はその御心を御伝えすると共に、我が主君への御助力を御願いしとう御座いまする。」

 

「…やはり、そういう次第でしたか。」

 

 用件を聞いた貞勝は口元の笑みは湛えつつも、少し困ったように目を伏せた。

 

「せっかくのお誘いですが、辞退させて頂きとう御座います。」

 

「…それは先代への義理立て故にでしょうか?」

 

「はい。元は在野にあったこの身が、こうしてこの場にあるは他ならぬ信秀様のお引き立て有ってこそに御座います。例え如何なる理由が有ろうと、恩ある人の血を引きし方に刃を向けるは不忠の極み。この貞勝、日和見者の謗りは受けようとも、不忠者の謗りを受けるは耐え難き事にて、どうか御容赦頂ければ幸いです。」

 

「…なるほど、聞きしに勝る忠節ぶりに御座います。」

 

 きっぱりと申し出を断った貞勝に対し、秀吉の口から感嘆の声が漏れる。

 

「御理解頂けたでしょうか?」

 

「無論!己の損得よりも、亡き主君への忠義を大事にし、その恩を報いようとする村井様の有り様は、正しく忠臣の鑑に御座います。きっと信奈様も、村井様の御心を尊重して頂く事でしょう。」

 

 笑顔でそう語る秀吉に、貞勝の表情にも柔さが戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とでも言うと思いましたか?」

 

「……は?」

 

 朗らかな空気から一変。秀吉から出た唐突な一言に、貞勝は呆けた反応を示してしまう。

 秀吉の顔を窺えば、先程までとは一転し不遜な態度が表情から滲み出ており、目には蔑みの色さえ見てとれた。

 あまりの変貌に貞勝は己の心にさざ波が立つのを感じていた。

 

「どうにも得心成らぬ事が有りましてのぅ。先程から村井様は先代への忠義を口にされてますが、織田家への忠義には一言も申されてませぬなぁ。」

 

「…何を言うかと思えば。主家あればこその我が身にて、御家への忠節も先代様への物と変わり無く。」

 

「ならば何故火急に座しておられる。いま織田家は東の今川の脅威に晒されながら、二つに別れ内紛の危機にありまする。村井様ほど家中に影響力を持たれる御方なら、両者の仲を取り持ち、対今川へ一致団結させることも可能な筈。御家の大事を思うのなら、何故それを為さりませぬ!?」

 

「それは…」

 

「考えられる理由は二つ。一つは先代への忠節ばかりに目が向き、御家の危機への意識が疎かになったが為。もう一つは…」

 

 秀吉の目がスッと細くなる。

 

「織田家など滅びてしまえと、思っている為。」

 

 貞勝の顔から笑顔が消えた。

 

 

 

「…木下殿、無礼が過ぎまするぞ。」

 

「無礼は百も承知。然れど、何の根拠も無しに申しているわけでは御座いません。此方を拝見させて頂きました。」

 

 そう言って秀吉は懐から書類の束を取り出す。それが何なのか直ぐに察し、貞勝の眉がピクリと動く。

 

「これは貞勝様が先代が亡くなって以降に上奏された策案に御座います。田畑の開墾、港の拡大、国人との会合、御所への寄進。いずれも織田家の行く末を案じ、発展を願いし施策でありましょう。しかし、いずれの策も実行されておりませぬ。理由は信奈様と信勝様の後継争いで、施策に掛かる余裕が無い為に。」

 

 ちらりと秀吉が貞勝の顔を窺えば、先程に比べ眉間の皺が深くなっている以外大きな変化は無い。

 

「…御家を想い考えた策が、跡目争い等という理由で打ち捨てられるというのは無念極まり無い事でしょうなぁ。それに村井様には信奈様への怨みもありましょう。」

 

「…何の怨みがあると申されるか?」

 

「先代の葬儀にて。」

 

 ギリッという音が貞勝の口元から漏れるが、秀吉は何も聞こえぬかの如く涼しい表情で膝を撫でる。

 

「件の葬儀で本来喪主を務めるは後継者である信奈様だったところを、信奈様がその任を放棄したが為に弟君の信勝が喪主代理を務めたとか。その上で実質的に葬儀の手配を任されたのが村井様だったそうで。」

 

「………。」

 

「村井様は急に喪主を務める事になった信勝様に代わり、祭場の準備から弔問客の相手まで随所に気配りを成されたそうですな。大恩ある人との、大切な別れの席。きちんと滞り無く葬儀を行い、先代に安心して旅立って頂きたかったでしょう。それを信奈様が台無しにしてしまわれた。」

 

 葬儀の場に遅れて現れた信奈は、狼狽える家臣達を尻目に父の位牌へ抹香を投げつけた。信奈がうつけの異名を確固たるものとし、多くの家臣の信を失った事件である。

 信奈を擁護するならば、自身の才を誰よりも理解し愛してくれた父の急死、そして祭場で目の当たりした、葬儀に託つけ弟にすり寄ろうとする家臣の姿に激しく心を乱した末の突発的な振る舞いと言う他無いだろう。

 それでも、信奈はもう少し周囲を見渡すべきであった。祭場には織田信秀の死を心より悲しみ、悼んでいた者がいた。信奈の振る舞いは、その者の心を踏みにじる行いであった。

 

「私ならとても耐えられぬでしょう。己の生涯の主君と定めた御方の後継者が、一人は父の籍離の場を荒らし、もう一人は己の力量も弁えず家臣の言われるがままに謀叛を起こそうとする。まさしく先代の築いてきた功績を崩さんとする行いなれば、いっそ潔く滅んでくれた方が先代の名に要らぬ傷が付かなくて良いと。」

 

 ふと、秀吉の目が遠く見るように視線が上を向く。まるで、過去を思い返すが如く。

 だがそれも一瞬の事であり、直ぐに貞勝を見据える。

 

「故に村井様は何もしない。このまま姉弟で争いどちらが勝とうと、大国今川の侵攻を前に内紛で疲弊した織田家に抗う術は無い。そして、そこからが村井様にとって本番でありましょう。」

 

 秀吉は身を乗り出し、挑発的な笑みを貞勝に向ける。

 貞勝は無表情のまま、膝の上で拳を固く握り締め秀吉を睨み返す。

 

「尾張が今川に飲み込まれた時、この地に明るい者を今川は欲しましょうなぁ。裏方に通じておれば尚良し。そこにおいて村井様はぴったりな御仁。戦場に出る事も少なく、怨みを抱く者も今川には居らぬでしょう。即ち、例え織田が今川に滅ぼされようと、村井様が今川で立身する芽は十分にあるという事。寧ろ下手な抗いこそ無用。村井様ほどの器量の持ち主なれば、今川にあっても尾張一国の采配を任せられる事も叶いましょう。しかし…」

 

 これまで以上の蔑みと卑しさを込め、嘲笑と共に秀吉は言う。

 

「なんとまぁ、小賢しい考えで御座いますなぁ。このような御方を重用するとは、信秀公も案外底が浅い。」

 

 次の瞬間、秀吉は咄嗟に腕を顔の前に翳す。

 右手に鈍い感覚が走り膝の上に何かが落ちた。それは秀吉が飲み干し、貞勝へ返した茶碗である。

 目の前には怒りのあまり顔を赤らめ、肩で大きく息をつく貞勝がいた。どうやら秀吉に茶碗を投げつけたようだ。

 

「ほざきよったなっ!貴様ごときに何が分かるっ!どのような気持ちでこれまで御仕えしてきたか。いったい何が「くくくっ」?」

 

 不意に圧し殺したような笑い声が聞こえる。

 声の出所を探れば、秀吉の護衛である忍が肩を細かく震わせていた。

 

「くふふふっ、あははははははははははっ!!」

 

 遂には耐えきれなくなり口を大きく開き大笑し始めた忍に、貞勝は虚をつかれ呆然とするが、直ぐに顔を引き吊らせた。

 

「あははっ、地蔵、あんたとは物心ついた頃からの付き合いだけど、そういう顔は初めて見たわ。普段の薄ら笑いよりずっと人間らしいじゃない!」

 

 その声を貞勝は知っている。何より自分の事を面と向かって地蔵と呼び捨てにするのは、先代亡きあと一人しかいない。

 秀吉が苦笑いを浮かべながら立ち上がると、代わって護衛が秀吉の座っていた場所にどかりと座った。そして、顔を隠していた布を取り払い素顔を露にする。

 

「考えてみれば、こうやって面を付き合わせて喋るのは初めてね、地蔵。」

 

 織田家現当主 織田信奈がそこにいた。

 

 

 

 

「ひ、姫様これはいったい…」

 

「秀サルがあんたの心を間近で確かめないと、信を得ることが出来ないって言うから、一芝居打ってみたのよ。予想以上に面白かったわ。それよりも、私はあんたに言わなきゃならない事があるわ。」

 

 いまだ動揺を静められぬ貞勝であったが、信奈の言葉に先程までの秀吉とのやり取りを思い出し身を固くする。

 そんな貞勝に信奈は真っ直ぐな視線を向け、口を開く。

 

 

「本当にごめんなさい。地蔵がそこまで父上の事を思っていた事を、私は考えてもいなかったわ。謝っても許してもらえないなら、気が済むまで罵ってくれても構わない。」

 

「…姫様。」

 

「それでも、もし心に父上では無く、私への忠心が一片でもあるのなら、どうか私に力を貸して欲しいの。都合が良い話とは自分でも思うけど、私の夢の為には地蔵の力がどうしても必要よ。」

 

「………その夢とは?」

 

「武を以て、天下を統一。そして海の外へと打って出て、この世の果てにまで私の名を響かせる。」

 

 堂々と胸を張り、まるでそれが天命であるかのように信奈は己の夢を宣言する。

 いまだ尾張一国さえ纏めきれて無い小娘の大言壮語にも関わらず、この娘ならやりかねないという覇気が信奈から放たれていた。

 

「…その夢において、私の役目は?」

 

「日ノ本の政の全て。」

 

「………はい?」

 

「私は日ノ本の外に行くのよ。その間の政は信頼できる人間に任せないと。その点、地蔵なら問題なく任せられるわ。」

 

「…………くくくっ、くははははははははははっ!!」

 

 今度は貞勝が大笑する番であった。

 よもや一国のみならず、日ノ本の全てを任されるとは。このような口説き文句を言われた者は、日本広しと言えど他に無いだろう。

 

「くくくっ、なるほど。先代が何故あなたを後継に定めたか、いま漸く分かりました。」

 

 涙さえ浮かべながらも、貞勝は目の前の主従を見る。

 いったい今日一日でどれ程この二人に心を揺さぶられた事か。

 心の内を見透かされ肝を冷やし、浅ましさを罵られ怒りを燃やし、虚を突かれたあまり狼狽えおののき、今は涙が出るほど笑っている。

 こんなもの、あの人が後継に示さぬ筈が無い。これ程のうつけを知って、誰が背中を押さずにいられようか。

 信奈にとって日ノ本全てを手にすることさえ、更なる夢の手段でしか無いのだ。

 なんという強欲。なんという馬鹿馬鹿しさ。然れど、なんと面白き夢だろうか。その夢物語を共に語れるのなら、今までの全てを捨ててでも良いとさえ貞勝は思ってしまった。

 

「くくくっ、尾張一国でさえ多分と思っていたのが、よもやこの年にして日ノ本の全てを望む事になるとは。」

 

「何言ってんのよ。私の力になるのだから、それくらい望んで当然でしょう。」

 

「くははっ、然りにて。」

 

 存分に笑ったお陰か、最初の頃よりスッキリとした表情になった貞勝は、一旦笑みを消し畳に拳を着けた。

 

「この村井貞勝、織田信奈様にお力添えしとう御座います。これよりこの身全てを信奈様の夢に捧げ、命尽きるまでお仕え致します。」

 

「ふふっ、存分に励みなさい。」

 

 貞勝の言葉に、信奈は満足気に微笑む。

 ここに、後に『京の総督』と宣教師から称される天下の行政官が信奈の元に馳せ参じた。

 貞勝の働きは、信奈の夢の実現に大きく寄与することとなる。

 

 

 

 

「じゃあ早速だけど、地蔵にやって欲しい事があるわ。」

 

「はっ!何なりと。」

 

 勇ましく返事をする貞勝に、信奈は畳の上に転がった茶碗を拾い差し出す。

 

「茶席を一つ、手配しなさい。」

 

 

 

 それから数日後、清洲の城下にある御触れが出された。

 内容は信奈主宰の茶会を清洲城の庭園で開催するというものであったが、当初は冷ややかな反応しか得られなかった。

 国内で勢力を二分にする争いが起こらんとしている時期に何を呑気に、と多くの者達は思ったのだ。しかし、その茶会の手配を貞勝が行うという噂が拡がると状況は一変する。

 尾張の商人達にとって、村井貞勝の名は単なる織田家の一家老に止まらない。先代の頃より世話になった商家は多く、その手腕と人脈の広さは織田家の者以上に知っていた。

 無論、織田家においても貞勝が信奈に付く意味は大きく、日和見に徹していた者達の殆どが茶会への参加を打診し、信勝派とされていた者からも様子見なのか参加しようとする者が現れた。

 

 こうした中で茶会当日、晴天にも恵まれ信奈主宰の茶会は盛大に幕を開けた。

 この茶会に参加した者達の目的は、本当に貞勝が信奈派に付いたのかを確かめるのが殆どであった。つまり彼らの本命は貞勝であり、主催者である信奈の方はオマケである。

 しかし、貞勝に伴われ姿を現した信奈を見て、彼らは目を剥く事となる。

 信奈が着こなすは普段のうつけの装いではなく、越後上衣の艶やかなる着物姿である。髪を解かし、薄く白粉をして唇に紅を差した相貌は、紛れもなく織田家の姫であった。

 

「待たせたわね。それじゃあ始めましょう。」

 

 小さく笑みを浮かべ客人に語りかける信奈の姿に、見惚れるなという方が無理であった。

 

 それから信奈は客人達の間を行き来し歓待の言葉を交わし、自らもお茶を立て客人達に振る舞った。その所作も実に見事なものであり、伝え聞きでしか茶の湯を知らない者には新鮮な驚きと感動を与えた。

 また、常に側に控えた貞勝は良く信奈を補佐し、客人に主従の親密さを印象づけた。

 こうして盛況の内に茶会が終わると、最後に謝辞を述べ遠く無いうちにまた茶会を開く事を約束し、信奈と貞勝は奥に下がった。

 そうして二人の姿が見えなくなると、客人の一人がふと漏らした。

 

「いったい何処の誰だ?あれをうつけと申した馬鹿者は。」

 

 その言葉を否定する者は一人もいなかった。

 

 

 

 

 茶会の反響は直ぐに現れた。

 翌日にはこれまで態度を保留していた中立派がこぞって清洲城に参内し、信奈の支持を約束した。

 これに合わせ多くの商人が信奈とのお目通りを願い、武器の手配や軍資金の援助を申し出る。

 こうして、一時は信勝派が多勢を占めていた尾張の勢力図は、両者が拮抗するまでに押し返し、両者の戦を声高に叫んでいた者達も消沈せざるを得なくなった。

 

「漸くここまで持ってこれたわ。けど大切なのはここからよ。今の勢いがある内に信勝派を切り崩して尾張をまとめ、今川への備えを万全にしないと。」

 

 最悪の状況を脱したとはいえ、いまだ織田家は内患を孕み、外敵に対処せねばならぬ。

 それを心に刻み、信奈は前を見据え己の夢に向け歩まんとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、それを阻まんとする者達もまた既に動き出していた。

 

 

 

 駿河の国は今川館で一人の青年が縁側で書状を眺めている。中には尾張に潜ませた草が集めた、織田家周辺の動きが記されていた。

 中身を読み終えると丁寧に畳み、青年は小さく息を吐いた。

 

「村井貞勝は信奈に付いたか。あの男は日和見に終始すると思っていたが。」

 

 まぁ良い、と呟き青年は近くにいた小姓を呼び寄せ、口許に耳を寄らせる。

 

「例の件、予定通り進めるよう服部に伝えよ。あれにはそれで伝わる。」

 

 小姓は頷き、素早くその場を後にする。その姿を見送り、青年は瞼を閉じ今後の展望を黙想しようとする。

 しかし、ほど無くしてパタパタという足音によって中断する事となった。

 

「あら、泰朝さんこんなところにいましたの。探してましたのよ。」

 

「これは姫様、如何なる用向きで?」

 

「蹴鞠の相手をして下さらない?元康さんに相手をしてもらったのですが、へばってしまいましたの。」

 

 そう言ってホホホと笑う主君に苦笑いを浮かべるも、泰朝と呼ばれた青年は腰を上げ、尻に付いた埃を払う。

 

「そうですね。丁度仕事も一区切り付いた所ですし、私で良ければ御相手いたしましょう。」

 

「そうですわよ泰朝さん。あなたは普段から働き過ぎなのですから、偶には息抜きも必要でしてよ。」

 

「はははっ、そう言う姫様は普段から息抜きをし過ぎに思いますが?」

 

「うっ!?わ、私だってやる時にはやりますわ。それに、お仕事は一区切り付いたのでしょう?」

 

「ええ。万事抜かり無く、問題なく事は進んでおります。」

 

 青年、朝比奈泰朝の目が怪しく光った。

 

「尾張を攻め、織田を潰す策は既に完了いたしてます。」

 

 

 今宵はこれまでに致しとう御座りまする。




・村井貞勝
 織田家宿老。目立ったエピソードが少なく、他のキャラの濃い織田家臣団に埋没しがちだが、織田家への貢献度では秀吉や勝家以上とも言われる織田家が誇るスーパー行政官。現代で例えると、全盛期には首都知事と外務大臣と官房長官と宮内庁長官を兼任していた。パネェ…
 世間での認知度は低いが、ノブヤボでこの人の事を知った人も多いのでは?

・茶の湯
 安土桃山時代に花開いた代表的な文化の一つ。
 実際には当時の作法は現代のものとは違っているようだが、本作では現代の作法で書いている。でも作者は茶道の経験が無いので、間違っていたら教えてください。

・信奈と茶の湯
 原作では信奈は茶の湯の作法に無頓着で、美味しく飲めればそれで良いというスタンスだが、本作では史実に合わせある程度作法にも理解があるとしている。そもそも史実で信長が部下に茶道を広めようとしたのも、礼儀の所作を身に付けさせようとしたからだと言われている。
 因みに、今話で茶会開く際、当初信奈はそれなりに格好が出来ていれば良いと思っていたが、秀吉の利休仕込みの所作を見て負けず嫌いを発揮し、特訓の末に完璧な所作をマスターしたという裏設定がある。
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