太閤転生伝   作:ミッツ

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上洛前夜

 和田山城を制圧した織田軍は、城内に陣を引くとその日の侵攻を停止した。

 各将は其々が割り当てられた区画で兵を休ませ、翌日からの進軍に備えていた。

 秀吉が率いる木下軍もそうした中に混じっている。

 他と違うのは兵達が皆疲れ果て、ぐったりと横になる者達ばかりという事だ。

 昨日の朝からほぼ丸一日徹夜で戦い続けたのだから無理もない。

 戦中は戦意と興奮で張り詰めていた緊張の糸は、和田山城の陥落を以て出された戦闘停止の号令でプツリと切れてしまっていた。

 普段はやたら喧しい仙石久秀でさえ、木の切り株に背中を預け、うつらうつらと船を漕いでいる。

 

 そんな中にあって、木下小一郎秀長は評定に参加している兄の帰還を眠気眼を擦りながら待っていた。

 既に秀吉が「信奈様の元へ行く。」と言って一刻(二時間)が経っている。

 欠伸を噛みしめながらもソワソワと辺りを見渡していた秀長だったが、遠くに少女を引き連れた小柄な人影を見つけると顔を綻ばせ大きく手を振った。

 

「兄者っ、お帰りなさいませ!半兵衛殿もお疲れ様です。」

 

「おうっ!小一郎、出迎えご苦労。みな大事ないか?」

 

「はい。御覧の通りすっかり疲れ果てていますが、負傷した者も大していません。」

 

「それは重畳。そんじゃまぁ、今後どのような動きになるかも踏まえて少し話すかのう。疲れておると思うがもう少し辛抱してくれ。」

 

 秀吉達は場所を移すと腰を据えて話し合いを始めた。

 

「まず織田家としての方針じゃが、明日より六角家の本城である観音寺城へ侵攻する。ただし、我ら木下隊及び丹羽隊は和田山城で待機とのお達しじゃ。」

 

「それは我らの疲労を考慮しての命ですか?」

 

「うむ。信奈様は疲れ果てた兵など戦場では足手まといにしかならぬとの御考えであろう。まあ、これに関しては想定通りではあるがのう。」

 

「はあ。しかし大丈夫なので御座いますか?兄者は先の軍議にて、観音寺城を三日以内に落とす、と仰られていますが。昨日と今日で既に二日。この間に二つの城を落とすは破格の手柄と言えますが、このままでは姫様との約束が守れませぬぞ。」

 

 流石にこれだけの手柄を挙げた将を約束を守れなかっただけで処罰するとは思えないが、少しでも心象を良くするために動ける者だけでも観音寺城攻めに参加するべきではないか、と秀長は進言する。

 

 すると、秀吉の隣で静かに座っていた半兵衛が遠慮がちに手を挙げた。

 

「あ、あの、恐らくその心配はしなくても良いかと。本格的な戦は今日を以て終わっても同然かと。」

 

「なに!?どういう事ですか半兵衛殿?」

 

「ひゃっ、ひゃっい!?え、ええとですね、その…」

 

 元より人見知りな所がある半兵衛は、秀長から問い掛けられると肩を跳ね上げて顔を赤面させる。

 そのまま顔を俯けるとゴニョゴニョと聞き取れない小声で何かを言っている。

 これには秀長も困り果てた様子で兄の顔を窺い、秀吉は苦笑まじりに半兵衛の肩を叩く。

 

「そうビクつく事など無いぞ半兵衛。小一郎は何も御主に文句を言いたい訳では無い。自分が思うがままに、己の考えを述べてみると良い。」

 

「す、すみません。ええと、つまり何が言いたいかというと、和田山城と箕作城が落ちた時点で、六角の防衛網には大きな穴が出来てしまってるんです。この状況で観音寺城への攻撃を止める術は、今の六角家にはないと思われます。」

 

「しかし肝心の観音寺城は未だ無傷で健在ではないか?六角の者達がこれに籠り、三好の援軍を待つというのも…」

 

「いえ、それはありません。」

 

 秀長の懸念を半兵衛はキッパリと否定する。

 そこには先程前オドオドとしていた少女の姿はない。

 そこにいるのは、己の策に絶対の自信と根拠を持った軍師である。

 

「観音寺城には、防衛上に致命的な弱点があります。その弱点がある限り、観音寺城を防衛するのは不可能です。恐らく、六角の人達も気付いています。」

 

 だから攻城戦は今日で終わりだと、半兵衛は断言した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 観音寺城に激震走る。

 織田の侵攻に対する防衛の要となる筈だった支城による防衛線は、和田山城と箕作城の陥落により破綻した。

 しかもたった一昼夜の間にである。

 織田軍は現在、和田山城で軍団を再編し、明日にでも観音寺城に向けて進軍する構えだという。

 

 その報告を聞いた六角家当主、六角義治は顔色を失くし喉を引き吊らせた。

 

「嘘じゃ…敵の虚報であろうっ!!まだ戦が始まって一日しか経っておらぬのだぞ!!なのに城が落とされるなど…」

 

「心中お察しします。然れど紛れもない事実に御座います!和田山城から逃げて来た味方の兵達によれば、箕作城も和田山城も、既に敵の手に落ちたとの事。」

 

「っ!?おのれええぇっ!!出雲守も修里も、いったい何をしているのだっ!!」

 

 義治は激情のままに持っていた軍配を床に叩き付ける。

 そして荒い息のまま周囲の家臣達に目を配るが、主君の怒りを受けたく無いのか誰も目線を上げようとはしない。

 それが益々、義治を苛立たせる。

 

「おい、誰か策は無いか?織田を止める策はっ!?」

 

 プライドも何も投げ捨てて問い掛けるが、それに答える声は無し。

 ここに至って遂に義治の堪忍袋の尾が切れた。

 

「よう解った。もはや織田信奈を止める術は無いと言うのだな。ならば仕方なし。この六角右衛門督自ら決死隊を率い、尾張のうつけ姫に六角の矜持を見せつけん!」

 

「お、お待ち下さい若様!早まっては成りませぬ!三好は援軍を送るとの事。然らば、このまま籠城を…!?」

 

 家臣はそれ以上言葉を続けられなかった。

 その首元には刃が当てられ、刀を握った義治が据わった目で家臣を睨み付けていた。

 

「お前はそれでも六角の重臣なのか?本気でこの観音寺城で籠城が出来ると思っているのか?」

 

 義治の刀を持つ手に力が籠る。

 

「どうやってこの城を守ると言うのだ。無駄に大きいばかりに兵が足らず、防備も不十分なこの城をどうやって守りきるというのだっ!?」

 

 観音寺城には明確な弱点があった。

 それは、城の規模が大き過ぎる事だ。

 

 自然の山をそのまま要塞化したような形の観音寺城は、その規模で言えば当代随一の巨城である。

 しかし、規模が大きいというのは即ち、守るべき範囲が広くなるという事であり、守備に必要な人員も大量になる。

 六角家が全盛の頃であればまだ何とか成ったであろう。

 しかし、権勢が落ちた今の六角家では観音寺城の守りを万全に出来るだけの守兵を用意する事が出来ないのだ。

 更に言えば、広大であるが故に城壁など補修が必要な箇所も自然と多くなる。

 それらの費用は莫大な物となり、近年の苦境から満足な修繕が出来ず防備上の大きな穴と成っていた。

 

 六角家が支城を防衛戦の要とした理由がここにある。

 観音寺城自体の守りを強化するよりも、費用対効果が遥かに優れていたからだ。

 

 しかし、隣り合う二つの支城が落とされた以上、織田軍に対してその効果を期待する事は出来ない。

 かといって、防衛能力に大きな問題を抱える観音寺城で籠城戦を行うのも現実的ではない。

 

 もはや和田山城を落とされた時点で、六角家は詰んでいた言っても過言では無いのだ。

 

「そうだ。織田信奈も今川の大軍を寡兵で打ち倒したのだ。ならば我らに同じことが出来ぬ道理は無い!敵が城を落として勝った気でいる今こそ、その油断を突いて奇襲を仕掛ける好機ではないか!」

 

 どこか熱に浮かされたように顔を上気させ、義治は口許に笑みを作る。

 家臣達はタガが外れてしまったかのような主君の様子に、掛ける言葉を見つけられずにいた。

 そんな中、義治に向かって進み出る人影があった。

 

「また短慮をするつもりか、義治?」

 

「……父上。」

 

 戦意をメラメラと燃やしていた義治の瞳が、一瞬にして苦々しく歪む。

 その視線の先にいるのは、義治を父であり前六角家当主の六角義賢であった。

 

「父上、余計な口出しは無用です。六角家の当主はこの私。貴方はもう、当主ではない。」

 

「無論だ。儂も身の振り方というのは心得ておる。先代として家政にしゃしゃり出るようなことはせん。」

 

「ならばっ!」

 

「だが親としてっ!我が子が犬死に行こうとするのは止めねばならぬ!」

 

「…私が犬死すると?」

 

「確かに織田信奈は寡兵にて今川の大軍を打ち破った。だがあれは幾重もの幸運が重なった上での偶然の産物でしかない。お前はそんな望み薄な策に、配下の者達を付き合わせるのか?」

 

「っ!?」

 

 父から指摘され、義治は思わず集まった家臣達の方を見る。

 皆、義治が幼少期から知る顔である。そんな者たちが、義治に乞うような視線を向けていた。

 

「…ではどうしろというのですか?防衛網が崩されたうえで、どうやって織田と戦えばよいのですか?」

 

「……お前はもう、気づいている筈だ。」

 

 その言葉に義治の顔が苦渋に染まる。

 そんな我が子の事を、義賢は申し訳なさそうに見ていた。

 

 義賢は実の父から受け継いだ中央政界での地位を維持出来ず、更には対浅井の外交上の失敗と敗戦により当主の座から降りなければならなかった。

 結果として斜陽の家を義治に託さねばならず、それが後藤賢豊の専横を赦し『観音寺崩れ』を招いた原因は全て自分にあると義賢は考えていた。

 

 自分の不手際が我が子に苦労を与えている。

 それは親にとって、なによりも心苦しい事であった。

 

 それでも、義賢は信じていた。

 義治は短気故に浅慮を犯す事があるが、根は大変真面目で物事を深く考える事が出来、時間さえ与えれば大器を成せると。

 その為には、一時の泥を啜る覚悟を持てる事を。

 

「………父上、私は負けたのですね?」

 

「…お主一人が負けたのではない。」

 

「…いつか、信奈に勝てるようになれるでしょうか?」

 

「…分からん。だが、生きてさえいれば強くなれる。そう在らんとする意志さえあれば。」

 

 その言葉が最後の後押しとなった。

 義治は大きく息を吸い込み呼吸を整えると、覚悟を決めた様子で配下達の方を見た。

 

「我らはこれより伊賀に逃れる。彼の地にて態勢を整えた後、敵方の虚を突きこの地を再び取り戻す。その時が来るまで、臥薪嘗胆の覚悟を以て力を蓄えん!良いなっ!!」

 

「「「「っ!!はっ!!」」」」

 

「…待っておれよ、織田信奈!我らは必ずやこの地に舞い戻り、貴様の喉元に矢を穿ってやろうっ!」

 

 義治は素早く軍を纏めると城を出立し南下。伊賀の国に入って建て直しを図る事になる。

 これと同時に、観音寺城を囲っていた残りの支城もそのほとんどで城主が退去し無力化した。

 

 

 

 

 斯くして秀吉の宣言通り、観音寺城は三日の内に陥落した。

 織田軍は城主無き観音寺城に悠々と入城すると、安全確保の為に周辺の街道や集落に部隊を派遣し、六角軍が既に伊賀へ逃れている事を確認する。

 

 そして、観音寺城陥落から二日後、秀吉は信奈の呼び出しを受け観音寺城の評定の間へと来ていた。

 

「でかしたわ秀サルっ!約束通り三日でこの城を落とした事、誉めてあげるわ!見事な戦働きよっ!」

 

「ははあっ!有り難き御言葉に御座いまするっ!」

 

 他の諸将達が見守る中、信奈は眼前で頭を垂れる秀吉を大いに褒め称える。

 先の戦評定の時には秀吉に懐疑的な視線を向けていた者達も、今回の大手柄は認める他ない。

 だがそんな彼らからしても、次に信奈が口にした言葉には驚愕する事になる。

 

「秀サル、あんたには褒美としてこの観音寺城をやるわ!これであんたも一国一城の主よ!」

 

 どよめきが広間に響く。

 ほんの一年前まで足軽だった男が歴史ある巨城を授かるなど、古今東西を探してみても見つからぬ偉業だ。

 この格別な褒美を前にして、秀吉は笑みを濃くすると頭をさらに深く下げた。

 

「謹んで、辞退致しまする。」

 

「なんですってっ!?」

 

 まさか褒美を断られるとは思っていなかった信奈は、配下の将達を前に驚きの声をあげる。

 しかしすぐに目を吊り上げると、眉間に皺を寄せ秀吉を睨み付けた。

 

「どういう事よ秀サル。私の褒美が気に食わないとでもいうの?」

 

「いやいや、左に非ず。むしろこれほどまでに我が働きを評価していただき身に余る光栄に御座います。されど、このような大きな城をいただいても、数少なき我が家臣団では到底管理できるものではありませぬ。」

 

「…あ。」

 

 秀吉の指摘に信奈は「しまった。」とでも言う様に顔を顰める。

 木下家は元々百姓の出身であり固有の家臣団というのを持っていない。現在秀吉の家臣と呼べるのは、弟の秀長、元川並衆の石川五右衛門と前野長康、新参の仙石権兵衛、それと与力の竹中半兵衛くらいである。とてもではないが、国内有数の巨城である観音寺城の管理など出来ない。

 

 そもそも今回の褒美自体、信奈の思い付きによるものなのだ。

 秀吉の挙げた見事な手柄に興奮し、太っ腹な主君の姿を見せようとして突発的に行ったものだった。

 普段はケチな癖に、その場のテンションで過分な褒美を与えようとするのは、信奈の悪い癖の一つである。

 広間に気まずい空気が流れる中、信奈は気を取り直すかのように咳払いをする。

 

「ゴホン。そ、そこまで言うなら仕方ないわね。分かったわ。城を与えるのは今度にするわ。あとでやっぱり下さいなんて言ってもダメだからね!」

 

「ですが、これだけの大手柄を挙げておいて何も無しというのは、主君としての器量が問われますよ。姫様。」

 

「うっ!万千代…」

 

 取り繕う信奈に対し、咎めるような視線と共に万千代が投げかけた言葉に信奈は言葉を詰まらせる。

 考えなしに過分な褒美を与えようとした主君の失態を、万千代は見逃すつもりは無かった。

 他家の人間もいる評定の場で、またあとでというのも体裁が悪い。

 果たしてどうしたものかと信奈が頭を悩ませていると、平伏している秀吉がズイと前ににじり寄る。

 

「恐れながら、此度の戦の手柄を頂けるというのなら、姫様に是非ともお願いしたき物が御座いまする。」

 

 秀吉の申し出に信奈の顔が明るくなる。

 

「主君に褒美を催促するなんて出過ぎよ、と言いたいとこだけど、良いわ。参考までにあんたが欲しい物を言ってみなさい。」

 

「ははあっ、有難き幸せ!然らば、この木下藤吉郎が欲するは…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「という訳で、姫様より新たに『羽柴』という家名を頂いた。今後儂は『羽柴秀吉』と名乗る。小一郎、お主も今後は『羽柴秀長』と名乗るのじゃ。」

 

「いや、兄者。どうしてまたそのような事に…」

 

 帰還した秀吉に評定での事を情報共有すると集められ、急に名字が変わったことを知らされた秀長は困惑する。

 

「だから言ったじゃろ。此度の戦で観音寺城を陥落した褒美じゃ。」

 

「いやそれは聞いたが、こういう戦の褒美は普通領地や銭、あるいは宝物とかじゃないか!?なんでわざわざ名字など…」

 

 普段あまり物欲を口にしない秀長であるが、敵本城を攻略する上での最大功績を挙げた兄の手柄に対する褒美には、少なからず期待するものが有った。

 それが蓋を開けてみれば聞きなれぬ『名字』だけというのは、流石に不満の一つも口に出るというものである。

 

「まあ待て。これには深いわけがあるのじゃ。今後我らが織田家で上手く立ち回るには、ここで過分な褒美を受けるわけにはいかん。」

 

「ん?どういう事じゃ。」

 

「自分で言うのもなんじゃが、儂は良くも悪くも織田家中では目立つ存在じゃ。良晴や又坐のように好いてくれる者もおる一方で、逆に妬ましく思ったり疎ましく思う者も少なくない。時に謙虚な姿勢を見せる事も、武家の生まれでない我らが武家社会で生きていく上で必要な事じゃ。分かってくれ。」

 

「…なるほど故に『羽柴』という名なのですね。」

 

 黙って秀吉たちのやり取りを見守っていた半兵衛が不意にそう呟くと、秀吉は嬉しそうに手を叩いた。

 

「さすが半兵衛!羽柴という名字の意味に気付いたか!」

 

「はい。要するに織田家の重鎮である『丹羽』様から『羽』の字を、『柴田』様から『柴』の字を頂いて『羽柴』としたのですね。どちらも信奈様の側近にして姫武将、家中の女性の方からは強い支持を集めるお二人です。」

 

「その通り!どうにも儂は姫武将からの評判があまり良くないようでのう。その姫武将から篤い信頼を受ける御二人にあやかり、それぞれの家名から一字ずつ名を貰いより一層の忠孝に励みたいと諸将の前で言ってみたのじゃが、中々に良い反応だったわい。」

 

 秀吉が勝家や万千代より下であると自ら認めたように見えたからか、一部の姫武将の中には露骨に満足そうにする者も少なからずいた。

 一方で勝家と万千代は、なんとなく秀吉の意図を察し少々むず痒い感覚になりながらも、諸将の前で断る理由もなく、気はあまり進まなかったが認める他無かった。

 

「なんじゃ、要するに兄者お得意のおべっかか。」

 

「世渡り上手と言え小一郎。家中の人間関係を良く保つことは、下手な手柄を立てるよりも重要なのじゃぞ。」

 

「それは分かるんじゃが、儂らは此度の城攻めで結構骨を折ったぞ。なのに実質褒美なしというのは…」

 

「安心せい。そのあたり姫様も分かっておいでじゃ。後々に損失補填という名目で、金子を頂くことになっておる。」

 

 信奈も流石に実利無しというのは気が引けたのか、堀秀政を通じて後から褒美とは別に、秀吉の働きに対する対価を与えると約束している。

 それを聞いて秀長も納得した様子である。

 因みに前世において秀吉が『羽柴』と名を改めたのは、対浅井家の拠点として横山城主に任命され、小谷城の戦いに従軍した前後と言われている。

 それを前倒ししたのは、姫武将なるものがいる影響か前世以上に自分に反発心を持つ者がいるのを肌に感じていた事と、前世と違う行動を起こす事でどの程度未来が変わるのかを確かめる目的があった。

 

「さて、今日は早めに休むとするかのう。明日からはまた京に向けて出発じゃ。皆の衆、戦はまだ終わってはおらぬぞ。次の相手は三好家じゃ。油断せずに、気を引き締めて立ち向かおうぞ。」

 

「「「はっ!!」」」

 

 秀吉の号令に秀長や半兵衛たちが力強く従う。

 木下改め羽柴秀吉が、そして織田信奈が戦国時代の中心に躍り出るまであと僅かである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 華の京の都は上京と呼ばれる地区に、現在でも残る花街がある。俗に言う『上七軒』だ。

 戦乱により焼失した北野天満宮の再建の際、余った機材を使って建てられた七軒の茶屋を由来とするこの花街は、西陣との結びつきで大いに繁栄している。

 そんな上七軒の数ある宿の一室で、ちょうど一戦交えたばかりの遊女が客である男に枝垂れ、火照った体の熱を分け合っていた。

 

「あんさんええわぁ。こんなに気持ちよくしてもらったの、あんさんが初めてやわぁ。」

 

「ははっ、その言葉、俺以外の客にも言ってんだろ?」

 

「まあひどい。これでも、うちはおもんない噓はつかしまへん。ほらこの通り。確かめておくれやす。」

 

 遊女は男の手を取ると、自分の秘所へと導く。

 男の指が触れた瞬間、遊女の喉奥から湿感を伴った艶やかな声が漏れる。

 先程男の精を受けたばかりのそこからは、熱を宿した新たな蜜がトクリと溢れ出していた。

 

「んっ。ほら、分かるやろ。あんさんのが良すぎて、うちのここ、こないなってもうとるんどす。ねぇ、もういっぺん…」

 

「…しょうがねぇなぁ。女にここまでされて袖にしちゃあ、男が廃れるってもんだ。」

 

 男は遊女に覆い被さり己の愚息を女の秘所にあてがう。

 若き猛りを宿したそれは、既に一度出したとは思えぬ程の熱と硬さを保っていた。

 遊女はうっとりとした表情で、己を貫かんとする槍を優しく撫でた。

 

「あかん。うちほんまにあんさんに嵌まってしまいそうやわぁ。」

 

「ほう、ならいっその事、俺専用の女にならねぇか?」

 

「身請けしてくれるって事ぉ?そやけどうち、そないに安うあらへんよ。」

 

「構うもんか。いざとなったら拐っちまうさ。」

 

「まあ、悪い人。せやったら今だけは、あんさんだけの…」

 

 もはや我慢出来ないとばかりに、遊女は腰をくねらせ入り口の部分で男の愚息を刺激する。

 男は遊女の腰を捕まえると、己の槍の先をゆっくりと沈めて…

 

「失礼しますわ。」

 

 勢いよく襖を開く音と共に、色気を纏った女の声が響く。

 褐色の肌に銀の輝きを持った白髪の女が、交わろうとする男女を見下ろしていた。

 

「きゃっ!?なんなんあんた!?」

 

「お仕事中すみません。少しそこの殿方に要件があるので、今日は店仕舞いして貰えなくて?」

 

「なんだ、弾正か。折角良いところだったのに。もう少し風情に気を遣ってくれよ。」

 

「弾正?まさか、松永弾正っ!?」

 

 京に住む人間が弾正と聞いて思い浮かべる当代の人物と言えば一人しかいない。

 その名も松永弾正こと、松永久秀。

 畿内を席巻した三好家にあって当主である三好長慶を補佐し、長慶を天下人にした立役者。

 その一方で、長慶亡き後三好家を牛耳ると共に、当時三好家に反発していた東大寺を焼き討ちし、更には将軍である足利義輝を襲撃し国外に追放した戦国随一の大悪人である。

 そんな人物が突然現れた事に、遊女は自分の熱が急速に失われていくのを実感する。

 すると男が、遊女と久秀の間に入って久秀の視線に女が映らないようにした。

 

「たくっ、怯えちまったじゃないか。安心しろ。この熟女、敵にも味方にもしなければ多少はマシだから。」

 

「あら、ひどい言い様ですわね。それよりも龍興さん、せめて腰にぶら下げた物くらい隠したらいかがですか?」

 

「おっと此れは失敬。」

 

 久秀から指摘され男、一色龍興は近くにあった布を腰に巻く。

 そして遊女を促し服を着させると、部屋に出るように言う。

 その際、遊女の手に少なからず銭を握らせた。遊女は久秀の方を気にしつつ、そそくさと部屋を後にした。

 

「…短い時間で随分と手懐けましたわね。あれ、下手に振ったら刺されますよ。」

 

「この街の遊女達と懇ろになれ。そうすりゃ京の有力者や国人達の情報を集め易くなる、って教えたのは弾正だろ。俺はあんたの教えを忠実に守っただけなんだがな。」

 

「限度というものがあります。まったく、そんな処まであの人に似なくてもよいのに…」

 

 久秀にしては珍しく、頭の痛みに耐えるように手を額にやる。

 久秀が龍興の面倒を見るようになったのは半年程前。

 ある日突然、斎藤道三の孫を名乗る龍興が、従者たちを連れて祖父から聞いた話を頼りにして久秀の前に現れた。

 久秀はそんな彼らを自分の屋敷に住まわせ、世話をしつつ時折戦国武将としての手解きを施していた。

 大悪人としての久秀の評判を知る人が聞けば耳を疑う事であろう。

 或いは、何か恐ろしい企みがあるのではと疑うかもしれない。

 しかし、久秀が龍興の面倒を見るのには、それらとはまた違った理由があった。

 

(本当に、無駄に良く似ている…)

 

 久秀は龍興の顔をまじまじと見つめ、内心で呟く。

 龍興の容姿は若き頃に久秀が想いを寄せ、情を交わし、そして去って行った若かりし頃の道三と非常に良く似ていた。

 愛憎入り混じる感情を抱く男と同じ顔をした若武者を前に、久秀は心を乱してしまったのだ。

 気付けば同じ屋根の下で暮らし、乱世を生きる術を教え、師弟のような関係を結んでいた。

 そしてこの状況を少なからず愉快に思っている自分自身に、久秀は戸惑いながらも受け入れていた。

 

「それよりも、弾正がわざわざこんな所まで来たって事は、織田が六角を倒したか?」

 

「…ええ。織田軍はたった三日で観音寺城を占領しましたわ。六角は伊賀に逃れ態勢を立て直そうとしているようです。」

 

「ほう、三日か。六角じゃ相手にならねえとは思っていたが、予想よりも大分早いな。三人衆の奴らは今頃大慌てなんじゃねえか?」

 

「お察しの通り。過去の遺恨を流し速やかに六角を救援するべきでしたね。今更になって軍を起こしましたようですが、あの調子じゃ早々に負けますわね。」

 

「かつての副将軍家がざまぁねえなぁ。で、弾正殿はこの後どうするおつもりで?」

 

 龍興の尋ねられ、久秀は笑みを浮かべると胸の間から一枚の書状を取り出した。

 

「既に手を打ってありますわ。三人衆は大和を通って織田軍の横腹を狙うつもり。その情報を織田に伝えます。」

 

「お?三人衆を織田に売るのか?」

 

「ええ。その手柄を以て、織田信奈に取り入るつもりですわ。」

 

「なるほどな。けど、それで終わりじゃないんだろ?」

 

 松永弾正の策がこれで終わりの筈が無い。

 そう確信めいた龍興の問いかけに、久秀は笑みを浮かべたまま答えない。それから先はお楽しみという訳である。

 

「まっ、弾正は弾正で好きにすればいいさ。俺は俺で、そろそろ動き出さなくっちゃな。」

 

「あら、あなたも出かけるんですか?」

 

「まぁな。弾正には世話になったし、此処は一つ俺なりに恩返しをさせて貰うぜ。とりあえずは、久々の里帰りだな。」

 

 龍興は立ち上がると、久秀の横を通って廊下に出て小窓から空を仰ぎ見た。

 闇夜には、昨年美濃を旅立った時と同じように半分の月が昇っていた。

 

「待ってろよ良晴、そして信奈。ちいっとばかし、驚かしてもらうぜ。」

 

 半月を映し龍興の眼が、毒蛇の如く妖しく光った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしてもう一人、織田軍の上洛を待ちわびる者がいた。

 彼女はとある古びた公家の館で、一枚の書状に目を通している。

 

「漸く、また会えますね。」

 

 世話になっている公家から齎された織田軍上洛の報せは、彼女の心に小さくない高揚感を与えていた。

 そしてその脳裏には、これから巻き起こるであろう動乱と、それに対処し織田信奈を天下に導くための策謀が止めどなくあふれ出ようとしていた。

 

「お待ちしていますよ、信奈様。この明智十兵衛が、貴方を天下人にして差し上げます。」

 

 今宵はこれまでに致しとう御座りまする。




・松永久秀
 松永弾正の異名で有名な三好家重鎮。またの名を「ギリワン」。
 設定や容姿は原作とほぼ同じ。
 ただし、原作内で斎藤道三と男女の関係にあったとされているため、本作においては龍興に向ける感情が色々と複雑になっている。
 具体的に言えば、「我が子のように可愛がっていた三好長慶が死に、その後継争いで三好三人衆と敵対し、その余波で寺を焼いたり将軍を追放したりして悪人の汚名を被る事になり、なんかもう全部嫌になってぶっ壊してをしてやろうかなと思っていたら、かつて夢と情を交わした男の孫が訪ねてきて、いきおいで内弟子にしてしまった。」といった状況にある。
 初恋の相手と同じ顔をした若い男が自分を頼ってきてくれたことに対する劣情とか、長慶を失って行き場の亡くなった母性とかが入り混じって、久秀の内心はもうグチャグチャ。
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