太閤転生伝   作:ミッツ

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先日、北野武監督最新作『首』を鑑賞してきました。大変面白かったです。
善人が一人もいないという殺伐とした設定でありながら、人が死ぬ場面ですら何処か滑稽に思えてくる演出が物語全体に絶妙な緩急を生んでいて見事でした。
特に終始尾張弁で捲し立てる信長と、乙女チックな荒木村重は印象深く、本作にも影響を受けてしまいそうです。


真の合理主義者

 秀吉が家名を『羽柴』と改めた丁度その頃、相良良晴は本隊を離れ、近江と伊賀の国境にある近江南部蒲生郡日野城にいた。

 ここは観音寺城の防衛網を形成する支城の一つであり、本城陥落後も武装を解いていない数少ない城の一つである。

 良晴は信奈に命じられ、日野城の降伏勧告の使者としてこの地を訪れていた。

 

「分かりました。ではすぐにでも兵達の武装を解かせ、今後は織田家の家臣として信奈様に仕えまする。」

 

 日野城主、蒲生賢秀は良晴の降伏勧告にあっさりと従った。これには良晴も目を丸くする。

 

「如何なさいましたか?何か不足でも。」

 

「ああ、いや。思ってたより素直に応じてくれるんだなって思って。」

 

 良晴は降伏勧告をするに当たって、ある程度日野城主である賢秀について調べてきた。

 それにより判明したのは、蒲生家が六角家に古くから仕える名家である事。

 そして、六角義治等が伊賀に撤退する際には、近くを立ち寄った六角家の一同を歓待し、伊賀との国境付近まで護衛したという事だった。

 以上の事から、蒲生家は六角家への忠義が深く、降らせるのは難しいだろうと考えていた良晴にとって、賢秀の対応は拍子抜けする物だった。

 

「…織田家の方が我らを信用できぬは当然の事。我らは長い事、六角家と縁深くありました。」

 

 良晴の戸惑いを察し、賢秀は落ち着いた口調で語る。

 

「我が蒲生家は六角家の隆盛を支え、その庇護下で安寧を保ってまいりました。たとえ主家が没落しようと、それに追従するが武家として誇りある形と言えましょう。しかしながら、今の織田様を相手にするのは分が悪すぎます。多くの家臣を持つ身としては、配下とその家族を路頭に迷わせるのは偲びなく、織田様の慈悲に縋る決断を致しました。この事は旧主にも伝えた次第に御座います。」

 

「えっ!?降伏するって正直に六角家に話したって事か!!」

 

 驚き叫ぶ良晴に、賢秀は恭しく頷く。

 

「離反するならば最低限のケジメと思慮する故に。もしそれで斬られるならば、それもまた宿命で御座いましょう。幸い我が旧主は蒲生家積年の功労を認め、織田様に膝を屈する事を了承して頂きました。おいっ、鶴千代!」

 

「はいっ!」

 

 賢秀の呼びかけに対し、部屋の外から威勢の良い女児の声が聞こえる。

 襖が開けられ現れたのは、利発そうな顔立ちに才気の輝きを宿した瞳の十歳前後の少女であった。

 

「鶴千代、挨拶を。」

 

「お初に御目にかかりますっ!蒲生賢秀が息、鶴千代に御座いますっ!どうぞよしなに。」

 

「お、おう。初めまして。」

 

 元気よく礼を取る鶴千代に、良晴はやや困惑気味に返答する。

 すると、賢秀の瞳が僅かに細くなった。

 

「相良様、この愚息を人質として織田様にお預けしたいとお願い申し上げます。どうか。」

 

「ひ、人質っ!?いやいや、急に言われても困るって!んな事しなくても信用するから!」

 

 慌てて良晴が断ろうとするが、賢秀は静かに首を振る。

 

「そうはいきませぬ。我らは元は敵同士。我が蒲生家に至っては堕ち行く六角を見限った薄情者。そう思われても仕方のない立場にあります。然らば少しでも織田家の信用を得られるよう立ち振る舞うは当然の礼儀。旧主家に最低限のケジメを示したならば、新たなる主家に同等以上のケジメを示すが必定と存じ上げまする。」

 

 そう一気に語ると、賢秀は手を床に付いて頭を下げた。

 その姿に良晴は息を呑んだ。

 戦国の世に来てから、良晴はこれまでに様々な人物と接する機会に恵まれた。

 されどこれほどまでに義理堅く、誠意ある振る舞いを出来た人間は初めてである。

 良晴は自身の心が大きく高鳴るのを感じていた。

 

「分かった、賢秀さん。あんたの娘、俺が責任もって信奈の元に連れていく。蒲生家の事は決して悪いようにしない。そう信奈に言ってやるさ。」

 

「恐悦至極に御座います。我ら蒲生家、誠心誠意織田家に使えます事を誓いまする。」

 

 頭を下げたまま感謝の言葉を述べる賢秀。

 その横では、鶴千代がジッと良晴の表情を伺っていた。

 

 その後、良晴の手引きも有り賢秀は信奈に拝謁した。

 信奈は良晴から意見を聞き、蒲生家の所領安堵を約束すると共に、鶴千代を人質として預かる事を了承する。

 斯くして、蒲生家は織田家傘下に納まり、織田信奈による近江制圧は完遂したのであった。

 

 

 

 その日の晩、良晴は秀吉の陣を訪れ、小さな祝宴を行っていた。

 

「どうなる事かと思ったけど、賢秀さんが織田に付いてくれて本当に良かった。あんな義理堅い戦国武将、俺初めて見たぜ!」

 

「ほう。良晴には蒲生殿が義理堅い武将に見えたか。まあ、そう見えるのも無理はないかのぅ。」

 

 賢秀の人柄を褒める良晴に対し、秀吉は苦笑いを浮かべつつ酒を煽る。

 その様子に良晴は引っかかる物を覚え眉を顰める。

 

「何だよ秀吉さん。何か気になる事でもあるのか?」

 

「…良晴よ。これはあくまでも儂の印象ではあるが、蒲生賢秀殿は相当計算高い御仁であるぞ。」

 

「えっ!?ど、どうして?」

 

 思わぬ物言いに良晴が驚き秀吉に顔を近づけると、秀吉は周囲を見渡し人がいない事を確認すると、良晴の耳元に口を寄せた。

 

「お主は今日、日野城まで行ってきたそうだな。どのような城であった?」

 

「えーとそうだな。俺から見ても相当険しい場所にある城だなと思ったな。攻め落とそうとするとかなり難しそうだったぜ。」

 

「そうじゃな。儂であってもあの城を落とすのは容易ではない。しかも守るのは数多くの戦を経験しておる蒲生家の精鋭共じゃ。六角の小僧共とは訳が違う。仮に奴らが本気で守りを固めたら数か月の長期戦を覚悟せねばならぬじゃろう。」

 

「マジかよ…ん?なぁ、秀吉さん。何か月も足止めされていたとするなら、その間に六角の奴らが伊賀で態勢を立て直す事も…」

 

「十分可能じゃ。それに気付いたなら、何を以て儂が賢秀を計算高い御仁と言うか解るじゃろ。」

 

「………。」

 

 もし本当に蒲生賢秀に六角家への忠義があれば、死力を尽くして織田に徹底抗戦し、六角が再起する時間を稼ぐ事も出来た筈。

 それをせずに織田に降った理由は…

 

「自分達を高く売るため…」

 

「そういう事じゃろ。まあ勿論、領地や領民にいらぬ被害を与えぬ為というのも有ろうが、六角に対する忠義というのは微妙じゃのう。」

 

「で、でも!!賢秀さんは六角家にケジメを着けてから降ってくれたんだぜ!下手すりゃ殺されてもおかしくない状況だったのに!」

 

「そんなもん、最初から殺される心配が無かったからに決まってるじゃろ。」

 

「なっ!?」

 

「考えてもみよ。六角家は織田家に敗れ、伊賀の地で再起を掛けねばならぬ。そうなると当然、現地の者達の協力は不可欠じゃ。だがもしそこで、長年の功労者である蒲生家を直前に処断したと知られればどうなる?」

 

 そんなことに成れば現地民が六角家を警戒するのは目に見えている。

 さらに言えば、賢秀は六角義治を城に招き入れ歓待した。

 

「国を失った領主に対してこれほどまでに誠意を示したのじゃ。これを斬れば間違いなく悪評となる。そしてその悪評は、再起を願う六角家にとっては致命的じゃ。」

 

 だからこそ六角家は蒲生家の離反をみすみす見逃さねばならない、と秀吉は言う。

 

「…どうしてそんな回りくどい事を?」

 

「決まっとるじゃろ。落ち目の主君を見限って新進気鋭の主君に鞍替えした不忠儀者という誹りを受けぬ為じゃ。そうしたほうが織田に移ってからも風当たりが良いからのう。我が子を進んで人質に出したのもその一環じゃな。全ては信奈様に気に入られ、蒲生家の立ち位置を良くするための事よ。」

 

 秀吉が語る事は決して予測不能なことでは無い。

 蒲生家が取り巻く環境や、彼らの行動を俯瞰的に見れば容易に思い至る事が出来る。

 実際に信奈も蒲生家の思惑には勘付きつつも、織田家にとってデメリットが無かったので彼らを身内に引き込んだのだ。

 しかしながら、秀吉から説明を受けた良晴は思いつめた表情で俯いている。

 それを気付いた秀吉は、不意に表情を消すと真剣な面持ちで良晴を見据えた。

 

「…良晴よ。御主いま、『信じたのに裏切られた』気になっておるな?」

 

「えっ!?そ、そりゃあまぁ…少し…」

 

「…別に蒲生殿は御主を騙そうとしていた訳では無いと思うが、その上で一つ御主に教えておこう。『信じる』という行為は『未確定な事を決めつける行い』じゃ。嫌な言い方をすれば『良く分からない事を自分にとって都合の良い方に解釈する事』とも言える。」

 

「自分にとって都合の良い方…」

 

『勝てるか分からないけど、仲間たちを信じる』

『どういう意図があるか分からないが、主君が命じた事だから信じて行うのみ』

『長年の付き合いがあるから、信じてお金を貸す』

『実際に見た事は無いけど、神の存在を信じている』

 

 一概にすべて同様とは言えないが、『信じる』という行為は自分にとって都合の良い方向、そうであった方が自分にとって『気持ちの良い結果』になって欲しいという個人の願望や感情があるのだと、秀吉は良晴に説いた。

 

「無論人の本音など他人には分らぬ物。それを全て疑っておったら人間関係は勿論、組織にも支障が出る。故に人々は『信用』と『信頼』を積み重ね、その上に相手を『信じる』事で営みを構築しておる。つまり人の営みから『信じる』事は切り離せぬ。じゃがのぅ…」

 

 秀吉は声を低くし、剣呑な視線を良晴に送った。

 

「世の中には『信じていたのに裏切られた』では済まされぬ話が往々に有るぞ。自分が信じたい事ばかりを信じ、信じたくない現実から目を逸らした挙句、家どころか国すら亡ぼした愚か者の話は山ほど有る。だからこそ相応の立場にある人間は、現状を把握し、物事の正誤を見極め、正しく『判断』するよう努めねばならぬ。でなければ、死ななくて良い者を殺すことになる。」

 

 そう言うと秀吉は良晴に近づき、その肩に手を置いた。

 良晴は動くことが出来ない。

 

「良晴、御主はもう家来を持つ身だ。『信じる』だけでは足らぬぞ。」

 

 肩にかかる手がやたら重く感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 伊賀方面の安全を確保した織田軍は、いよいよ上洛の最終段階へと到達した。

 途中、大和国にて三好軍の強襲を受けるも、事前に得た情報から襲撃を予測していた織田軍はこれを迎撃。三好軍に大きな被害を与える事に成功した。

 これ以降、三好軍は組織的な反抗行う事が叶わず、散発的な抵抗は行うもその度に織田軍に蹴散らされ、最終的に都からも撤退した。

 

 そして遂に、織田軍は敵影無き京の都へと進軍。

 京に住む者達に今川義元の上洛を高らかに示したのであった。

 

 そうして京の街中を行く軍列の中に良晴の姿もあった。

 一応は配下を引き連れた将という立場もあり馬に乗って参列しているが、背中を丸め妙に縮こまっている。

 その顔は気落ちした様子を隠すことが出来ず、時折思い出したかのように口からは溜め息が漏れていた。

 

「主殿、もう少し顔を上げて下さいませ。京の民に見られておりまするぞ。」

 

「ん?ああ、すまねぇ重然。ちょっと考え事しててな。」

 

 しょぼくれた様子の主君を見かねた古田重然が注言すると、良晴は言われるがままに顔を上げる。

 その様子に重然は小さく嘆息する。

 

「主殿、羽柴様の小言を気にするのは解りますが、いい加減切り替えなさいませ。そんないつまでも引きずるものではありませぬぞ。」

 

「そうは言うけどさ、なんか自分ってまだまだ甘かったんだなぁ、って思うとさ。家来を持つ身になって浮かれてたんだろな。」

 

 こんなん調子では平和な国を作るなどと、ただの夢想に終わってしまう。

 そのような思いが良晴の心に圧し掛かり、なかなか背筋を伸ばせずにいた。

 そんな主君に、重然は呆れたような表情を向ける。

 

「主殿がどれだけの高みを目指されているかは分かりかねますが、普通の人間は出世すれば浮かれるものでございましょう。それに木下様…ではなかった。羽柴様も蒲生家を味方に付けた事は間違いとは言っておらぬのです。要は物事の裏にまで気を回せと言っておられるのでございましょう。」

 

「ん?まあ、確かにそういう事なんだろうけど。」

 

「はいぃ。主殿は少々お人が良ろし過ぎる所がありまする。羽柴様はそれを心配しているのではないでしょうか?取り敢えずは、物事の状況というのを見極める事に尽力されては如何でしょう。一つ意識を変えるだけでも、物事の見え方は大きく変わるというものです。」

 

「…そうだな。よっし!いつまでも落ち込んでても仕方がないし、切り替えていくか!って、思うは良いけど…」

 

 スッキリとした表情で顔を上げた良晴だったが、周囲を見渡すと再び表情を曇らせた。

 

「京の都が荒れてるとは聞いてたけど、まさかここまでとはな。」

 

「…ええ。これならば美濃の裏路地の方が幾分かマシですなぁ。」

 

 応仁の乱から始まった戦乱の日々は、日ノ本の政の中心であるはずの京の都に深い爪痕を残している。

 直近でも三好家と将軍家の戦で多くの家屋が焼け落ち、道端には浮浪者が溢れかえっていた。

 更にその奥の裏路地の方へと目を向ければ、野良犬が人間の腕のような物を咥えている。

 

 その光景に良晴は顔を顰める。

 戦国の世に来てから、良晴も少なからず人の死というものに触れ、ある程度耐性というものも出来てきた。

 比較的豊かな清州の町でさえ少し裏路地に入れば打ち捨てられた浮浪者など多少はあるし、城の前に打ち首にされた重罪人の首が並べられているのも珍しくない。

 戦に出ればそこかしこから断末魔の悲鳴は聞こえるし、死んだ方がマシというような状況になっても息のある重傷者を目にした事も一度や二度では無い。

 

 そうした経験を経て、良くも悪くも人の死に慣れた良晴であったが、京の街に蔓延する死の雰囲気は此れまでに経験した物とは少し違っていた。

 

「生きた目をしている奴がいねぇ。どいつもこいつも俯いていやがる。」

 

「そうですなぁ。応仁の乱から始まりし争乱。その全てはこの京の都から起こり、そして常に中心であり続けた。百年あまりその状況が続けば、あのような顔になるのも仕方ありませぬなぁ。」

 

「…先ずは手の届く範囲から、少しずつ変えていくのが肝心か。」

 

 荒廃した都の姿を目に焼き付けた良晴は、己の野望を胸にしつつ改めて日ノ本を変える決意を固めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 都に到着した信奈達は、洛中上京にある妙覚寺という寺に宿泊した。

 

 妙覚寺はかつて僧籍であった斎藤道三が修行した寺であり、住職の十九世日蝕は道三の息子であり信奈にとっては義兄にあたる人物であった。

 後に信奈は生涯二十回以上に渡って京に滞在するが、その殆どで妙覚寺に宿泊しており大変この寺を気に入っていた事が窺える。

 無論、最終的には七万にまで膨れ上がった大軍を一ヶ所に集めるのは不可能なため、部隊ごとに別の滞在先に分かれている。

 そうして滞在先にて荷解きをした翌日、早速信奈達の元を訪ねて来る人物がいた。

 

「おこしやす。この度はよう来なはったなぁ。公家を代表して義元はん、ほいで信奈はんを歓迎いたしますわぁ。」

 

 どこか気安さを感じる京言葉で話すのは、御所における財政の長である内蔵頭を務める山科言継である。

 公卿でありながら各地の大名と交友を結び、遍迫した御所財政の建て直しを計った過程で織田家とも関わりのある言継は、このたび姫巫女直々に御所と織田家との接具役を任されていた。

 

「おほほほ!お久しぶりですわね言継さん。叔父上様と叔母上様はお元気で?」

 

「ええ、おかげさまで。二人とも楽隠居を楽しんでますわ。」

 

 言継の義母と義元の母は姉妹であり、言継と義元は血の繋がらない従兄弟同士てある。

 その縁もあってか、二人の関係性も非常に和やかなものであった。

 

「ところで義元はん、なんでも征夷大将軍の役職を継ぐおつもりと聞いとるんやけど、ほんまどすか?」

 

「その通りですわ!混迷する京の都をまとめ上げ、日ノ本の政を正道に戻す。その為に私達は上洛したのです!」

 

「…せやなぁ。義輝はんが三好はんに日ノ本を追い出されてから、都は荒廃する一方どす。なんや三好はんから推されて義栄はんに将軍になってもらったんやけど、病にかかったとかで淡路島を出られへんと。」

 

「あら、それは大変ですわね。日ノ本の武士をまとめ上げるべき将軍が、日ノ本の中心たる都にいないというのは。」

 

「ええ。おまけに三好はんは三好はんで身内同士で喧嘩しとるし、もうどうしようもあらしまへん。うちら公卿も懐が寂しうあまり塩すら切り詰めて、この薄味が都流のはんなりとした味付けどす、って見得を張るくらいしか出来やしまへん。」

 

 言継の軽口に義元も口元を扇子で隠し笑い声をあげる。

 すると、義元の横からゴホンと咳払いがする者がいた。信奈である。

 

「雑談も良いけど、そろそろ本題に入りましょう。言継、義元様が将軍に就任する障害は義栄の存在くらいなの?」

 

「…ええ。ただその義栄はんも、思いのほか病が重いらしゅうて。なんでも、既に今日明日の命やら。」

 

 相変わらずこの娘は堪え性があらへんなぁ。一応義元はんの事は立ててるけど、うちへの敬称は忘れてるし。

 

 内心そのような事を考えつつも、言継は信奈に返す。

 

「そう。だったら話が早いわ。義栄が死んだら速やかに義元へ将軍宣下が出来るように取り計らって。」

 

「…そらかまへんけど、義元はんは足利姓を継がれるおつもりどすか?」

 

「そうよ。駿河足利家は既に今川氏真が継いで以上、義元様には足利家に養子入りして足利義元と名乗ってもらうわ。細かい調整は私の家臣である村井貞勝を通じて行うけど。」

 

 そういうと、信奈の近に並んで座っていた貞勝が小さく頭を下げる。

 それを視界の端で捉えた言継は、口元に小さく笑みを浮かべた。

 

「なるほど。あんたらは現行の幕府を存続させる方向で考えてったら?」

 

「ええ。幕府を潰すなんて、日ノ本中の武家を敵に回す馬鹿はしないわ。」

 

 信奈と言継、二人の視線が強く交わる。

 時間にしてわずか数秒。しかし、見ている者達にとっては時間の流れを忘れさせる濃密で重い数秒であった。

 

「………」

 

「………」

 

「…まあ、ええやろう。都の安定、それが姫巫女様とうちらが第一に望む事どす。それが可能であるやったら、義元はんは勿論、信奈はんにも是非お力を貸して欲しおすさかい。」

 

「まかせなさい。すぐにでも兵を放ち、都に掬う不逞な輩を取り締まってやるわ。あんた達公家が安心して生活が出来るようにね。」

 

「そら頼もしい。よろしゅうおたのもうします。」

 

 どこか含みを持たせた会話であったが、こうして信奈達は都の有力公家の協力を取り付けるに至ったのであった。

 これにより、義元の将軍就任へ大きく前進する事になり、信奈自身も公家社会に対しての影響力を得るに至った。

 

「そうや。信奈はんに会いたい言う人がおったさかい連れて来たんや。会うてくれる?」

 

「私に?いったい誰よ?」

 

 信奈がそう問いかけると、言継は入口の障子に向かって目配せする。

 そうして障子が開き奥から現れたのは、黒く長い髪を後ろに流し、白く輝く額を顕にした聡明なる瞳を宿した少女だった。

 奇麗な姿勢で正座をするその少女が誰なのかを察した者達は、みな目を丸くした。

 

「…お久しぶりです。信奈様。」

 

「十兵衛っ!?あんた京に来てたの!!」

 

 その少女は、かつて斎藤道三の薫陶を受け美濃斎藤家に仕え、長良川の合戦で道三の救出に信奈達と協力した美濃国人、明智十兵衛光秀であった。

 

「はい。織田家の方々のご配慮により一族一同越前へと逃れる事が出来ましたが、諸事情により役目を辞し、都へと流れ着いた次第です。信奈様に置かれましては、折角の御厚意を無碍にした事を伏してお詫び申し上げます。」

 

「それくらいいいわよ。それよりも十兵衛、あんた今どこかに仕えてるの?」

 

「はい。現在は食客の立場で長岡藤孝様の元にいます。藤孝様は管領細川京兆家に連なる御方。都の現状を憂い、政を正道に戻す事を願う義元様に同調しています。然らば、織田家と縁のあるこの明智十兵衛を使いとし、義元様並びに信奈様に助力したいと願う次第に御座います。」

 

「デ、アルカ。」

 

 光秀の話を聞いた信奈は、暫し思案するように瞼を閉じる。

 そして静かに目を開くと、広間の外に座る光秀の元まで歩いて行き視線を交わした。

 

「…少し、窶れたかしら。」

 

「…僅かばかり、難儀を致しました。」

 

「そう。苦労したようね。十兵衛、あんたに聞きたい事があるわ。此れより天下を一つにまとめ上げる上で、私に足りないものがあれば言ってみなさい。」

 

「信奈様に、足りないものですか?」

 

「そうよ。遠慮は必要ないわ。あんたの思うがままを、私の欠点を言いなさい。」

 

 十兵衛を試す物言いにより、場に緊張感が流れる。

 その中心にある光秀は、信奈から目を離さずに唾を飲み込むと、息を一つ吐き口を開いた。

 

「僭越ながら、信奈様は常日頃『自分は合理主義者である』と称されるとお聞きします。」

 

「ん?そうね。私は普段から合理的に物事を行うのが大事だと思ってるし、そのように振る舞っているわよ。」

 

「…真の合理主義者は、合理主義者じみた振る舞いはいたしません。」

 

 その瞬間、周囲の人間は部屋の温度が一気に下がったように感じた。

 

「合理的とは、情に流されず、理に基づいて物事を行い、時として人を物として扱う事も厭わぬ冷徹さを必要とします。されどそれは、行った者の人間味を失わせ、周囲の人間に警戒心と猜疑心を芽生えさせます。その行きつく先は、高転びです。」

 

「………」

 

「…真に合理的である者は、完璧で冷徹でありながらも人の前では豪快かつ気前よく振舞い、笑って済まされる欠点を敢えて曝け出し、いざと成れば頼りがいのある人物であると周囲に思わせ、多少の失敗をしても許される雰囲気を作り出せる人物。即ち、合理的に配下を統制しやすい人物像を計算して演じることの出来る者です。」

 

 光秀は瞳がギラリと光り、その視線が信奈を射抜く。

 

「合理主義者を名乗る者は合理主義者に非ず。ただの合理主義者気取りです。」

 

 明らかに侮蔑を含んだ光秀の物言いにざわめきが生まれる。

 しかし、

 

「…くくく、あはははははっ!言うじゃにゃーか十兵衛っ!!やっぱおみゃー面白いわっ!!」

 

 信奈は屈みこむと光秀の額に己の額を付けるようにして視線を合わせると、獲物を前にした時の様な凄惨な笑みを浮かべた。

 

「長岡藤孝に言っときゃあ。助力の件、あい仕った。なお取次には必ず十兵衛を使わせるように、と。」

 

「わ、私をですか?」

 

「そうだぎゃあ!!おみゃーは私が存分に使ってあげるでよ。」

 

 上機嫌な様子で光秀にそう告げると、信奈は軽い足取りで自分の席に戻って行った。

 

 そんな主君の様子に呆気にとられる家臣団の中で、秀吉は苦々しい表情を浮かべていた。

 

 その横にいる良晴は、秀吉と光秀の交互に目を向けながら思っていた。

 光秀の語る真の合理主義者。

 それはまるで、現代に伝わる秀吉の人物像のようであったと。

 

 今宵はこれまでに致しとう御座ります。

 




・蒲生賢秀
 日野城主。蒲生氏郷の父。
 息子の方が有名で「あの氏郷の父」という以外に目立った個性が無いため一般知名度は低め。
 しかしながら、安土城時代に信長が不在時は必ずと言っていい程安土城の留守役を任じられるほど信長から信頼されており、本能寺の変の際も日野城にいた氏郷を速やかに招集し安土城にいた信長の女房衆や子供達を日野城に避難させるなど、肝心な時に良い仕事ができる武将である。
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