今回は2話連続投稿です。
2話目は本日の20時に投稿します。
堺
そこは現在の大阪市南部に位置し、大阪湾に面した環濠都市である。
摂津、河内、和泉の三国の「境」にあった事が名前の由来とされるこの街は、会合衆と呼ばれる有力商人達によって自治運営されている。
内海に面し、尚且つ都とも近いという立地に恵まれた事もあり、この頃の堺は文字通り日ノ本の経済の中心であった。
その繁栄ぶりは南蛮の商人をして「ヨーロッパ有数の貿易都市、ベニスに比類する。」と称され、欧州でも「東洋のベニス」として知られる程である。
そんな国際貿易都市である堺の大通りに四人の男女がいた。
「さすがの盛況ぶりですね!これだけ人も物も多ければ目的の物もすぐに見つかりますよ、信奈様っ!」
「……そうね。」
「………」
「いや、どうしてこうなっちまったんだ。」
何とも言えぬ複雑な面相で生返事をする信奈。
そんな信奈に空気も読まずににこやかに話しかける光秀。
ニコニコと張り付いた笑みを浮かべながらも目だけは笑わず光秀に視線を向ける秀吉。
そして、そんな状況に頭を抱える良晴の四人である。
なぜこんな状況になってしまったのか?
それを解き明かすには前日に遡らなければならない。
「良しサル。明日あんた暇よね?」
その日、戦乱により焼け落ちた公家屋敷の復興工事の差配を任されていた良晴は信奈に呼び出され唐突にそう告げられた。
これには良晴も目を白黒させる。
「いきなりなんだよ。確かに予定通りに担当場所の修繕が終わったけど、明日はその近くを出歩くつもりだぜ。」
「ん?修繕は終わったんでしょ。だから明日一日は部下や職人達も休みにしたと聞いたけど。」
「ああ。でも一応俺は現場監督だし、最後にもう一度現場を確認してやり残したところが無いか見ておこうと思ったんだ。あと協力してくれた職人のおっちゃん達に礼を言いたいし、工事を始める時に挨拶した家主の公家にも報告がてら顔を見せとこうと思って。」
そう話す良晴に、信奈は驚いた表情を見せる。
「あんた、そんな事までやってんの?」
「うん。まあ俺も最近になって秀吉さんを真似て始めたんだけどな。」
先日、秀吉から家来を持つ身での心構えを説かれた良晴は、いま一度身の振り方を改めようと思い立った。
そうして良晴が参考にしたのは、他ならぬ秀吉である。
良晴は秀吉の言動ををつぶさに観察した。
その結果わかったのは、秀吉という人物が大変な気配り上手であるという事である。
秀吉は必ず差し入れを持って現場に赴く。
現場で働く作業員にはその差し入れを自ら歩き配り、その都度作業員と言葉を交わす。
そうして現場の雰囲気を確かめつつ、作業員たち個人についても良く知ろうとしていた。
予定より早く作業が進んでいればそこを担当している者を大きな声で褒め称える。
雨で作業が中止になった時は自分の宿舎に作業員たちを集めて酒宴を開く。
家族がいる者には何かと付けて土産だと称し菓子や反物を持たせる。
こうした気配りの御蔭により、現場での秀吉の人気は凄まじいものであり、隊としての士気も非常に高く、他の隊と比べても作業速度は段違いであり手抜き工事もほとんどないのだ。
「俺は秀吉さんみたいに何でも出来るわけじゃないけど、真似できない所が無いわけじゃない。それこそ、気配りや人との接し方は意識すれば誰にだって出来る事さ。先ずはそういった所から真似ようって思ったんだ。」
相良良晴は武人として決して優れてはいない。
武才は素人に毛が生えた程度。
基礎学力はあるが、軍略家や官吏としては発展途上。
人柄は良いが腹芸は苦手で感情が表情に出やすい。
武器になるのは未来知識とここ一番での胆力くらいである。
そんな良晴にとって、農民から天下人へと成りあがった過去を持つ秀吉は最高の手本と成り得た。
後に良晴は秀吉の姿から多くを学び、飛躍的に戦国武将として成長する事になるのだが、それは決して遠くない未来である。
「…デ、アルカ。良いんじゃない、よく励んでるようで。だけど、明日は私に付き合って。必要ならそっちの仕事の日程調整は此方でやるから。」
「お、おう、そういう事なら構わねえけど。でもいったい何に付き合えばいいんだ?」
良晴がそう尋ねると、信奈は少し視線を迷わせて答える。
「広兄、信広の兄上の婚儀に付いて少し相談に乗って欲しいの。」
「え?信広の婚儀って言うと、義元の将軍就任と併せてやる方向で万千代と貞勝のおっちゃんが進めてるって聞いたけど。」
「そう。基本的な部分は万千代と地蔵が滞りなくやってくれてるわ。だから良しサルにはまた別な部分を手伝って欲しいの。」
そう言うと信奈は少し前のめりになって良晴に顔を近づけた。
「ねえ、あんた南蛮式の婚姻の儀について知ってる?」
「南蛮式?つまり、洋式の結婚式って事か?」
「そう。なんてたって織田家が将軍家の縁戚になる大行事よ。どうせならド派手にやって世に広く知らしめたいの。それなら、日ノ本でまだ誰もやって無い南蛮式の婚姻の儀をするのが良いじゃない!」
「お、おう。」
興奮気味に目を輝かせながら語る信奈に良晴は少し引いてしまう。
元より派手好きで催し事好き、特に婚姻関係の行事には金の糸目は付けぬ尾張人の血が騒ぐのか、今回の義元と信広の婚姻に関して信奈は並々ならぬ気合いが入っていた。
「そういう事だから、南蛮文化に詳しい人間に話を聞かなきゃならないの。それなら、南蛮人が多くいる堺に行くのが一番手っ取り早いでしょ。ついでに南蛮文化に詳しいあんたの意見も聞いときたいの。」
「俺はついでかよ。まあでもいいぜ。洋式の結婚式なら親戚の兄ちゃんが結婚した時に出てるから多少は知ってるぞ。それに堺の町にも興味があるしな。」
歴史の教科書に載るほどの隆盛を極め、織田信長や豊臣秀吉も殊更重要視したとされる堺の町。歴史好きとして良晴も少なからず興味を抱いていた。
「デアルカ!それじゃあ明日の朝、早速行くわよ!」
こうして、良晴と信奈は堺の町を散策する約束を取り付けたのであった。
なお、良晴が「二人っきりで出掛けるなんて、もしかしてこれってデートなんじゃ!?」と思い至り悶々と身もだえるのは、その日の晩の事であった。
そして明朝、良晴と信奈は京の街角で落ち合うと、馬を並べて堺へと出発した。
ただその服装は普段とは少し趣が違っていた。
「ほんとに大丈夫なのか、そんな恰好で?」
「いいのよ。せっかくの御忍びなんだから今日くらい堅苦しい格好はしたくないの。今日の私は町人の娘よ。」
そう言う信奈の服装は、普段の武家風の装いではなく色彩豊かな羽衣をあしらい、頭には笠を被った雅な着物姿である。
それに並ぶ良晴も普段は腰に差している刀を外し、商人の丁稚を思わせる身軽な装いであった。
二人が並ぶと豪商のお嬢様と、その御付きの使用人にしか見えない。
「いつも通りの格好で行くと、どうせみんな畏まるでしょ。そういうのって煩わしいのよね。」
「まあ、それは分からなくもねえな。最近は俺も頭を下げられることが増えたんだけど、どうにもまだ慣れないんだよなぁ。」
「それに一度、町人の立場で市中を見回りたいと思ってたの。街の治安がどれくらい立ち直ったのかを見るためにもね。」
信奈が京に滞在している間、朝廷との将軍宣下の調整や義元たちの婚姻の準備と並行して熱心に行っている事の一つに、京の治安回復があった。
長きに渡る戦乱の結果、京は洛外のみならず洛内まで荒れ果て、街中には住む場所を失った浮浪者や寄るべき家が没落した落ち武者、そして肉親を亡くした孤児達であふれかえっていた。
そうなると治安が悪化するのは自明の理。
京では毎日のように押し入り強盗や火付けが起こり、それによって更に治安が悪化するという悪循環に陥っていた。
女は昼間でも出歩くなら護衛を付けなければならず、夜に外に出るなどもっての外である。
こうした京の治安の悪化を信奈は早々に取り組まねばならぬ問題と定め、見回り隊を組織して取り締まりを強化する一方で、焼け落ちた邸宅の復旧に浮浪者たちを雇い入れるなどの対策を導入した。
その効果もあり、一時期は大通りを堂々と跋扈していた夜盗や盗賊達は一掃され、裏通りから溢れていた浮浪者も少なからず減らす事に成功した。
それにより街には徐々に人通りが増え、かつての都の活気を取り戻しつつあった。
奇しくも、当初は源平合戦の頃に木曾から襲来し都で数々の狼藉を働いた『木曽義仲』の軍勢と織田連合軍を重ね合わせ警戒していた京の人々も、この取り組みにより徐々に織田軍への態度を軟化させていったのだった。
閑話休題
以前に比べると見違えるように改善した京の街中を出た良晴と信奈は、道中大きな障害も無く昼前には堺の町に到着する。
堺の町は周囲をぐるりと堀で囲まれ、その内側には柵が巡らされている。
良晴にはそれが、外敵を拒む城に似た造りのように思えた。
「堺の町を支配するのは大店、つまり有力な商人達で構成された会合衆よ。やつらは自分たちの利権を守るためなら結託し、下手な大名では手出し出来ない戦力を持つわ。」
良晴の表情から何を思ったか感じ取った信奈がそう解説する。
町に入るための門へと目を向ければ、浪人風の男が門を潜ろうとする者達を睨みつけていた。
「あれも会合衆に銭で雇われた浪人ね。会合衆は家が潰れた武士を集め、独自の私兵団を組織してるわ。米と領地で家臣団を組織する大名とは違ってね。」
そのように語る信奈の目は、獲物を見定めた戦国大名の目になっていた。
「いずれ銭で世を支配する時代が来るわ。謂わば奴らは最先端の軍隊を組織してるの。私だっていつか…」
この時代に織田信奈ほど国力としての経済を重視していた大名はいなかったであろう。
戦国の世において国力は領土。領民を食わせるだけの収穫が得られるかどうかが重要視されていた時代にあって、信奈は土地に縛られぬ資本として金銭の力を殊更重要視していた。
こうした信奈の経済感覚は、守護代の分家として小さな領土しか持たないながらも、津島と熱田の湊から得られる莫大な利益により今川や斎藤などの大国と渡り合った父親の織田信秀の影響があったのは言うまでもない。
そんな信奈から見ても堺の繁栄は刮目するものが有った。
門を潜った先に広がる堺の町は、これまで見たあらゆる街並みとは懸け離れたものであった。
人通りの多さは清州とは比べるまでもなく、その人種も多種多様であった。
大陸風の装いをした明の商人、マントを羽織った背の高い南蛮人、そしてそれに従う褐色肌の従者。
いずれもこの時代の日ノ本では滅多に見られぬ外国人である。
人だけではない。遠くに見える人だかりの先には、現代では動物園くらいでしか見れぬ大きな動物の陰があった。
「な、何なのあれ?顔から伸びてるあれは鼻?しかも顔の横に付いてる大きいのは耳?」
「あれは象か。この時代にも日本に来ていたんだな。」
「ぞう?あの動物の事?」
「ああ。大きさからしてアジアゾウだろうな。日本から海を渡って南にある国にいる動物さ。たぶんそこから連れて来たんだと思うぞ。」
「そういえば、昔読んだ書物で南方では牛よりも大きく猪よりも長い牙を持つ動物を戦に使うと書いてあったわ。なるほどあれがそうなのね。うちでも使えないかしら。」
驚きから一転、戦国武将の性からついつい軍事の方へと意識を持っていかれる信奈に良晴は苦笑いを浮かべる。
「おいおい、今日のお前は町娘じゃなかったのかよ?商人のお嬢様は象が戦に使えるか?なんて考えないぜ。」
「わかってるわよ!さっさと婚儀に役立ちそうなものを探しに行くわよ!」
良晴の軽口に付き合いつつ、信奈達は店子が集まる区画へと進んでいった。
日ノ本一の商業地区と言って過言では無い堺の店の品揃えは、それはもう他に類を見ない豊富さである。
日ノ本各地から集められた物品は当然、この時代では日ノ本にほとんど出回っていない南蛮渡来の貴重品が数多く並んでいた。
「さすが堺ね。大陸由来の上質な生糸ばかりだわ。あっ、あれってもしかして更紗?天竺で織られていると聞いたことがあるけど、こんなに沢山あるのは初めて見たわ…」
「おっ!これってカカオ豆だよな!この時代にも日本に伝わってたんだ。これがあるならチョコレートも、いや流石に難しいか?でもココアくらいなら具房に頼めば…」
「ねえ良しサル!あれ見てよ!顔が皺くちゃな犬がいるわよ!すごい不細工ね!」
「ん?ああ、あれは多分パグって犬種だぜ。あれは生まれつきそういう顔なんだ。」
「へえぇ。でも一見不細工に見えるけど、見ようによっては結構愛嬌があるわね。って、あそこにいる南蛮人、やたら肌が黒いわ。南蛮人はちゃんと体を洗わないのかしら?」
「おい、それ俺がいた時代なら間違いなく大炎上する言葉だからな。」
店の品々だけでなく、行きかう人々や道端で欠伸をする犬まで、どれも日ノ本の他の地では滅多にお目に掛かれない代物ばかり。
信奈と良晴は彼方此方に目移りしながら、和気藹々と賑やかな街並みを歩いて行く。
そんな最中であった。
「堪忍してくだせぇ!どうか娘だけは!娘だけはっ!!」
「うっせぇなボケがっ!!汚い手で触るんじゃねぇ!」
「ぎぇっ!!」
往来の場で破落戸の風体の集団にみすぼらしい老父がすがり付き、それを先頭の男が蹴り飛ばしていた。
見れば破落戸達はボロボロの着物を纏った少女を引き摺るように連れている。
女は倒れ伏した老父に向かって手を伸ばす。
「ああっ、お父っちゃん!お父っちゃん!!」
「頼んます!今年の不作を乗り越えれば、金は必ず返せます!だからどうか娘だけは、堪忍してくだせぇ!!」
「はん!期限内に返済出来なければ代わりの物を頂く。その約束で金を借りたのはてめぇだろうが!今さら約束違えなんて認めねぇぜ。」
「だ、だからって!他の物なら何だって!」
「あん?てめぇの家には録な物が無ぇじゃねぇか!安心しろ。こんな不細工な娘だって、女郎小屋に連れて行けば其なりの値段が付くだろうよ。それで借金をチャラにしてやろうって言ってんだ。むしろ慈悲深いってもんだぜ。」
「そ、そんな。」
破落戸の物言いに老父は声を震わせながらも俯いてしまう。
その様子を眺めていた良晴は、眉間に皺を寄せ信奈の方へと顔を向ける。
「…ごめん、ちょっと行ってきて良いか?」
「…どうせ止めたって行くんでしょ。あまり大事にならないようにしなさい。」
そう言うと、信奈は良晴の肩を押して送り出した。
良晴はその勢いのままに、老父と破落戸の間に割って入る。
「「おい、そのくらいにしな(するです)。えっ!?」」
ちょうど同じタイミング、良晴の反対側から割って入った人間が良晴と同じ言葉を口にした。
驚いた良晴が相手を確かめると、なんとそこには目を丸くした光秀がいた。
「さ、相良さん!?どうしてここに?」
「そりゃあこっちの台詞だぜ光秀ちゃん!?」
思わぬ場所での遭遇に互いに顔を見合せ呆気に取られる良晴と光秀。
するとその間に、破落戸達は横に広がると剣呑な目付きで二人を見据える。
「なんだてめぇら?俺達に何か文句であるのか?」
「え?あ、ああ!借金取りか何か知らねぇけど、流石にやり過ぎなんじゃねぇか?このオッサンはちゃんと金は返すって言ってんだろ?じゃあもう少し待ってやっても良いんじゃないか。」
「そうです!しかも往来の道中で質として引き摺るなど、人の道を外れる無情な行い!恥を知るです!」
「ほう、俺達の遣り方が人の道を外れるってか?」
「だからそう言ってるです!」
破落戸共の問いに光秀は眉を怒らせて答えた。
すると破落戸はニヤニヤとした嫌らしい笑みを浮かべ、後ろを振り向く。
「こいつら俺達が人の道から外れてるって言ってますぜ!そうなんですか?和尚様!」
「和尚様?」
良晴が疑問符を浮かべていると、破落戸達の影から一人の僧侶が現れた。
それを見た瞬間、良晴の背筋に得も知れぬ悪寒が走った。
決して僧侶の姿形がおかしかった訳では無い。
むしろ身成は良く、袈裟から草履まで一介の僧侶では身に付けられ無いような上等な代物で固められ、穏和な笑みを湛えた姿は高僧と呼んで差し支えないものである。
だがその笑顔の奥に、言葉では表しきれぬおぞましさを良晴は感じていた。
まるで黒い欲望が人の皮を被っているようである。
「ほほほ、これはけったいな事を言わはる御侍はんもおったもんやなぁ。ワテらは借金のカタを貰っていくだけやで。金の貸し借りは日ノ本中で行われる人の営み一端。其れのどこが外道な行いなんでっか?」
「っ!!やり方ってもんがあるだろっ!というかまさか、坊さんが金貸しの親玉なのか?」
「ええ。うちでは日々の生活に困窮してはる人々の為に金貸しをしております。せやかて、うちだってそこまで余裕があるわけではありまへん。」
「だから強引な取り立てをしてるっていうのか?その割には随分と羽振りの良い格好をしているみたいだが。」
「ほほほ。救世の道というんは厳しいんでっせ。一人でも例外を作れば皆それに縋り付こうとしはる。それに…」
坊主は寒気を覚える瞳で良晴を射抜くと、醜く口元を歪め言った。
「仏さんから借りたもの返さんと、罰が当たりまっせ。」
この時代、寺社は経済力と軍事力を背景として『土倉』と呼ばれる金融業行っていた。
その行為は非常に悪徳で、利息率は五割を超え、武装して暴力的な取り立てをすることも多々あったという。
坊主の物言いに良晴は顔を紅潮させ、思わず坊主に掴みかかろうとする。
しかし、寸での所で良晴の手を掴む者がいた。
「そこまでじゃ。これ以上目立つのは不味い。」
「っ!?ひ、秀吉さん!!」
驚いて秀吉の顔を見る良晴に、秀吉は顎を癪って道端の方を示す。
そこには刀を携えた警邏らしき地侍が、割って入るべきかと良晴たちを見ていた。
「あそこに居るのは姫様じゃろ?見たところ御忍びのようじゃが、此処で騒ぎになって正体がばれるのはいかん。此処は引け。」
「うっ、ううぅ…」
有無を言わせぬ秀吉の剣幕に、良晴は呻くと視線を下に這わせた。
それを見て引き下がったと察したのか、坊主たちは馬鹿にしたような視線で良晴たちの方を見ると、良晴を押しのけて去ろうとする。
そして破落戸共と良晴たちがすれ違うその一瞬、光秀の視線が全てに絶望し光を無くした少女の瞳と交差した。
「…いずれ御前たちは地獄に落ちるです。」
「…はんっ!人を殺めた数を手柄にしはる御侍はんが坊主に地獄を説くて。あ・ほ・ら・し。」
そう言って今度こそ去っていく坊主を見る光秀の視線には、良晴が寒気を覚えるほどの激しい憎悪の炎が宿っていた。
良晴がその憎しみの本当の理由を知るのは、これより少し後の事である。
破落戸共との一悶着を終えた後、四人はその場を離れて適当な茶屋に入っていた。
注文を済ませて一息つくと、まず最初に口を開いたのは秀吉だった。
「しかし、良晴が非番であるのは知っておったが、まさかこんな場所で会う事になるとはのぉ。しかも、姫様の御供をしておるとは。」
「俺だってびっくりさ。秀吉さんが光秀ちゃんと堺に来ているなんて。いったいどういう風の吹き回しだよ?」
「ああ、実はせっかく上方に来たのだから寧々への土産を奮発しようとおもってのぉ。しかし女子の好みにゃてんで疎いもんじゃから、明智様に声を掛けさせてもらったんじゃ。」
「私も丁度手が空いていましたし、堺には何度か足を運んでいたので。それに、羽柴殿には美濃で色々と助言を頂いた身です。ほんの少しでも恩返しが出来て幸いでした。」
「なんのなんの。むしろ明智様の様な御美しい方と供をする事こそ役得。寧々に知られてたら大層嫉妬されるでしょうなぁ。ヒヒヒッ。」
光秀を煽て揚げながら品の無い笑い声を上げる秀吉だったが、光秀は悪い気はしないようで僅かに頬を染めている。
ただ良晴は、秀吉が何か腹に一物を抱えているような気がしてならなかった。
秀吉が明智光秀に抱く感情は非常に複雑である。それは本人も認めるところだ。
美濃から斎藤道三を救出した際、良晴の説得によって一度は自らの気持ちに折り合いをつけ、良晴と共に光秀が信奈を裏切らない未来を目指す事に尽力する事を約束したが、再会後の光秀は以前に比べて少し影があるように見えた。
具体的に何処かどう変わったかを言葉にすることは出来ないが、ふと視界の端に姿を捕らえた際に瞳に光が宿っていない気がする。
その程度の変化であるが、自分でも感じる違和感なら秀吉ならより具体的に何処がどう変わったのか気が付いているのではないかと思わずにはいられなかった。
もしかすると、秀吉さんは光秀ちゃんにナニかあったのか知っているのかもしれない。
そう考えると、以前より更に信奈に気に入られ側で使われるようになった光秀を気に掛けるのも納得である。
もし自分達が知るような歴史を辿るのであれば、光秀は信奈に対して謀反を起こす。
その未来を避けるために、秀吉はこの世界の光秀を理解し些細な変化も見逃さないようにしているのだと良晴は判断した。
「それにしてもっ!さっきの坊主は何だったの!?僧侶っていけ好かない奴が多いけど、あんな不愉快な僧侶は尾張にだっていないわ!」
「あれは恐らく叡山の僧です!堺は石山に近いんで本猫寺の影響が強いんですけど、ここらであんな悪質な金貸しをしてるのは比叡山延暦寺の坊主共です!」
先ほど出会った僧侶の悪態を口にする信奈に、光秀は憤った様子で説明する。
その口調には僧侶達への嫌悪感がこれでもかと込められていた。
「金貸しだけならまだしも、噂では女人禁制の叡山に女を入れるわ、肉食と酒飲に耽るわ、真面目に修行をするのは極一部とか。まったく、伝教大師(天台宗開祖 最澄の事)があの世で泣いてるですぅ。」
「へぇ、この時代の宗教勢力には腐敗したのも多かったって聞いた事があったけど、延暦寺の僧がその一つだったんだな。」
「ですです!それはそうと姫様に相良様、どうして御二人は供も着けずに堺まで?」
「えぇっ!そ、それは…」
「…まさか逢い引きではありませんよね?」
「なっ!?そんな訳無いでしょ!誰がこんなスケベ猿なんかとっ!」
「おいっ!人をスケベ猿呼ばわりすんじゃねぇ!俺は人間だ!」
光秀の一言に顔を赤くして信奈が否定するが、その物言いに良晴が噛みつく。
その様子に光秀は勘違いだったかとホッとした表情をし、秀吉はいつもの事かとばかりに苦笑いする。
「いえ、私もヘンな事を聞いて申し訳ないですぅ。でもそれなら、どうして御二人は堺まで?」
「ええと、それはあれよ!広兄の婚儀の参考にする為よ!」
信奈は光秀と秀吉に堺を訪れた目的を話した。
織田家と今川家の婚儀を前例の無いものにしたい事。
その為に南蛮の婚儀を参考にしようと堺を訪れたのだと。
信奈の話を聞くと、それはちょうど良いとばかりに光秀は手を打った。
「それならば私に良い考えがあるですぅ!きっとあそこなら、姫様の御希望に沿うものが得られる筈ですぅ。」
「え?光秀、あんた堺に何か伝手でもあるの?」
「はい!この光秀にお任せくださいませ!」
光秀は力強く答えるが、信奈は内心で脂汗を流す。
せっかく無理やり時間と理由を作って良晴と二人っきりで繁華街を散策する機会を得たというのに、話の流れからしてこのままでは光秀と秀吉が合流するのは必定。
かといって逢い引きを否定した手前、光秀の申し出を否定するのは不自然極まりない。
暫しの熟慮の後、信奈は苦渋の決断をするかの如く重い口を開いた。
「………分かったわ。光秀、あんたが思う婚儀の参考にするのに最適な場所に私達を連れていきなさい。」
「はい!姫様の御期待に応えられるように頑張ります!」
信奈は残念無念と溜め息混じりに光秀の提案を認めるが、光秀はそれに気付いた素振りも見せず明るく答える。
良晴はその様子を何とも言えぬ感情で眺め、秀吉は我存ぜぬとでも言うように御茶を啜っていた。
「光秀、あんた本当に役に立ちそうな伝手があるのよね?」
「勿論です!南蛮の文化は南蛮人に聞け。この堺にある『南蛮寺』に行けば、姫様が求める物はきっと得られる筈です!」
その瞬間良晴は、ここまで素知らぬ顔をしていた秀吉の瞳が僅かに見開かれたに気が付いた。
後々考えれば、この日が日ノ本の歴史で大きな意味を持つ日になる事に良晴が思い至ったのは、大分後になってからである。
日ノ本における最初の『南蛮寺』は現在の山口県山口市にあった大道寺であるとされる。
その地を支配していた大内氏の庇護を受け、宣教師『フランシスコ・ザビエル』が布教の拠点とした大道寺は、大内氏が家臣の陶晴隆に謀殺された際の混乱で消失してしまうが、同様の南蛮寺は長崎、豊後、平戸等、九州地方を中心に各地へ広がっていった。
畿内の海の玄関口である堺にも伝来から早い段階で南蛮寺が建立され、日ノ本伝統の瓦屋根の上に十字架が掲げられた独特の佇まいをしている。
そんな堺の南蛮寺の前に信奈、良晴、光秀、そして秀吉の四人はいた。
「へえぇ、これが噂に聞く南蛮寺ね。思ってたより立派だわ。」
「はい!ここの司祭はルイズ・フロイスという方なんですけど、穏やかで優しい性格で地域の人達からも慕われてますぅ。この寺も懇意する宮大工の好意で建てられた物だそうですぅ。」
「ふーん。それにしても光秀、あんたどうやって南蛮の宣教師と知己を得たの?まさか入信した?」
「いえ、私は一時期摂津の豪族である荒木村重様の所に御厄介になっていたのですが、そこで知り合った高山飛騨守という方に誘われて来たことがあるんですぅ。」
光秀の説明に信奈が成る程と頷く一方で、良晴は横に並んだ秀吉の方を気にしていた。
光秀が南蛮寺に行くことを提案してから、秀吉の口数が妙に減っていたからである。
それに加え時折神妙な顔で考え込む様子があり、その事が良晴にはどうにも気掛かりであった。
そんな男二人を気にも止めず、信奈は扉を開いてズカズカと寺の中に入っていく。
中に入って最初に目に着くのは正面の祭壇とその上に掲げられた十字架、その両脇にあるキリスト像とマリア像である。
外観こそ神社仏閣に近い物であったが、中は正面に向かって西洋椅子が陳列された現代人が想像する教会内と同じである。
そして良晴達から見て真正面にある祭壇の前に二人の人物が向かい合っていた。
「うおっ!本物のシスターだ!」
二人の内の一人は僧衣を纏った小柄な少年。もう一人は良晴が現代で嗜んでいたマンガやゲームで描かれる修道女の格好をしていた。
頭巾の隙間から垣間見れる金色の髪。陶磁器のように白い肌。日本人には見られない碧い瞳。
あどけない少女の面影を残した西洋人のシスターは、良晴の声に驚いた様子で玄関口を向く。
その時、天よりシスターに与えられた唯一無二の"シロモノ"が『タユンッ』と揺れた。
「なっ!?なんて巨乳だ!」
良晴は横に信奈達が居るのも忘れ驚嘆の声をあげていた。
これまで、良晴が実際に見てきた中での最大は勝家である。
しかし、日本人の体型ではあり得ない抜群のプロポーションと、それにそぐわぬ愛くるしい童顔のコンビネーションはこれまでに無い衝撃を良晴にもたらした。
良晴は花に誘われた虫のように、フラフラとシスターに向かって歩き出そうとしていた。
「なに助平面さらしてんのよっ!!」
「痛ってえええっ!!」
だが信奈の怒声と耳朶の痛みに正気に戻される。
見れば信奈が眉間に皺を寄せ良晴の耳を引っ張っていた。
「本っ当にもう馬鹿なんだから!いっそのこと去勢した方が世の為人の為になるんじゃないかしら。」
「痛てててててっ!!悪かった悪かった~!耳離してくれぇ!!ついでに去勢も勘弁してくれぇっ!!」
「ふんっ!」
最後に思いっきり耳を引っ張ると信奈は手を離し、良晴は痛みから涙目で踞る。
折檻の理由が理由なだけに、光秀も良晴を介抱しようとせず冷めた視線を向ける。
秀吉も「今のは御主が悪い。」と肩に手を置くのみである。
「あ、あのぅ、何か御用でしょうか?あら、そちらにいるのは明智サマですか?」
「お久しぶりです。フロイス様。今日は御紹介したい方がいて参りました!」
織田家一行の奇行に戸惑いつつも優しい声色で話し掛けたシスターに光秀が挨拶する。
その際、シスターの手が前に組まれ、それによって強調された胸に再び良晴の目が釘付けになる。
「ナイスおっぱい!良いもん持ってん…じゃ無かった!ええと、この人が光秀ちゃんが言ってた南蛮寺の司祭さんなのか?」
信奈の手が再び耳に伸びて来てるのを察知した良晴が慌てて言い繕うと、シスターはニコリと微笑みを浮かべた。
「はい、私はドミヌス会堺南蛮寺の司祭を勤めています、ルイズ・フロイスです。先年ポルトガルから来ました。」
淀みの無い流暢な日本語でフロイスは自己紹介をする。
するとフロイスと話をしていた僧衣の少年が「あっ!」と声をあげた。
「ヨシハルサマ!お久しぶりです!貴方も堺に来ていたんですね!」
「ん?って、お前オルガンティノか!?どうしたんだよその格好。」
僧衣を纏った少年。それは以前、良晴が伊勢で出会ったイタリア人宣教師、ソルディ・オルガンティノであった。
彼は東アジアでの布教を志しスペインから日ノ本を目指し出港したものの、台風により船が難破し当初目標としていた堺ではなく伊勢に漂着。
現地の住民に保護を求めるも接触に失敗し窮地に陥った所を、伊勢攻略の為に滞在していた良晴と滝川一益に助けられていた。
良晴とは修理した船で堺に向けて出港するのを見送って以来となる。
その時とは違い、オルガンティノは仏教の僧衣を着ていた。
「日ノ本の方々に主の教えを説くならば、馴染みのある格好が耳を傾けてくれると思ったんです。変でしたか?」
「そんな事無いぜ!似合ってるぞ。」
「へへ、ありがとう御座います。あっ、フロイスさん、此方の方は以前私が伊勢で御世話になった織田家臣のサガラ・ヨシハルサマです。」
「まぁっ!話には聞いています。困難に陥った同朋の皆様をお救い頂いたと。教えを同じとする者として、お礼を申し上げます。」
「良いって事よ。あの時は文化祭を成功させる為にイスパニア村の奴等にも手助けしてもらったからな。」
「ちょっと良しサル!人を蚊帳の外にして盛り上がって無いで私達にも紹介しなさい!」
「ああ、ワリィ。こいつはオルガンティノ。伊勢で知り合ったドミヌス会の宣教師だ。」
良晴の説明に信奈は納得した様子で頷く。
「ああ、一益の報告で聞いてるわ。私は尾張織田家当主、織田信奈よ。」
「織田信奈サマ…って言うと、将軍に伴って上洛したという噂のっ!?」
信奈の名乗りを受けたフロイスとオルガンティノは姿勢を正そうとするが、信奈は手を前に出し制する。
「堅苦しい事はしなくて良いわ。どうせ今日は御忍びだし。」
「そ、そうですか。しかし、どうして織田家の御当主サマともあろう御方がこのような所まで?」
「うん、実は今度ウチで行う婚姻の儀について頼みたい事があるの。」
信奈はフロイス達に将軍宣下と供に行われる今川義元と織田信広の婚儀を南蛮風で行いたい事、その為に南蛮人であるフロイス達宣教師の協力を得たい旨を話した。
話を聞くに連れフロイス達の顔は喜色満面と成っていった。
「新たなる日ノ本の将軍の結婚式を主の元で行う。なんて素敵な事なんでしょう!信奈サマ、織田家と今川家の婚儀、是非とも私達に手伝わせて下さい!南蛮では結婚は神の御前で行うもの。つまり私達の専門分野です!必ずや御役にたってみせマス!」
「デアルカ。詳しい話はまた後日使いの者を送るからそれと詰めてちょうだい。」
「はい!御婚儀の日、心より楽しみにしています!」
こうして信奈とフロイス達の初邂逅は短いながらも非常に濃密で、互いに好意好感を得る形で終了した。
その後、使者を送る日取り等を軽く調整し、信奈達は南蛮寺をあとにした。
信奈達が建物を出て行った後も、フロイスとオルガンティノは玄関口で見送り、四人の姿が小さくなるまで手を振った。
信奈達が見えなくなると、フロイスはロザリオを取り出し主へ祈りを捧げる。
「ああ主よ。今日という日に素晴らしい出会い。そして"素晴らしい報せ"を受ける事の出来た幸運を感謝します!」
「はい!僕も日ノ本の人々が真の信仰に目覚めた事をフロイス様に御伝え出来て本当に良かったです!」
「ええ。ところで平戸からの手紙では神社や寺の建物が打壊されたとありますが、怪我人は出ていませんか?住民の方が傷付いていないか、それが心配で…」
「ご安心下さい。僧侶や神官は事前に有馬様の兵により建物から連れ出されています。打壊しを行った信徒にも怪我人はいなかったそうです。」
「それを聞いてホッとしました。例え異なる神を信じる者であっても、人が人を傷付けるのは悲しい事です。」
「ですね。彼らはこれまで真に祈りを捧げるべき主に出会えなかっただけです。その様な人々を本物の信仰に目覚めさせる事こそ僕達の使命ですね。」
オルガンティノは首から掛けた十字架を握り祈りの言葉を呟く。
後年、ルイズ・フロイスは日本での日々を報告書として纏めるが、その中で九州のキリスト教徒達が地元の神社仏閣を破壊した事に対し「日ノ本人が真の信仰を知り、間違った教えを伝える寺や神社を破壊する事は大変素晴らしい」とオルガンティノと語り合った事が記されている。
「聞いたところによると、信奈サマは日ノ本で今一番勢いのある姫武将だとか。彼女の庇護を受けれれば、より大々的に布教活動を行えるように成りますね。」
「ハイ!そうすればきっと、この国の人々を全員神の信徒にするという我らの目的の達成に近づくでショウ!」
敬虔なる宣教師の二人は来るべき未来と崇高なる使命に想いを巡らせ胸を震わせる。
そこには一点の邪心や驕りも無く、ただひたすら悩める人々を救いたいとする善意と信仰心のみであった。
今宵はこれまでに致しとう御座りまする。
・比叡山延暦寺
最澄を開祖とする天台宗の総本山。信長に燃やされる事に定評がある。
原作では炎上は免れたが本作では…
・ルイズ・フロイス
ポルトガルから日本に布教しに来た金髪巨乳シスター。
モデルとなった史実の人物は、日本について非常に細かく記録に残し、『日本史』として編纂されるがマカオの総督からは「冗長過ぎる」と評価されなかった。
しかし細かすぎる記録は、当時の戦国武将や世情を知る歴史資料として重宝され、現代の創作物にも大きな影響を与えている。
ただし、「キリスト教の庇護者やキリシタン大名を持ち上げる」「仏教勢力やキリシタン弾圧に関わった人間をボロクソに貶める」等、一部偏見や個人の主観はそれなりに含まれているので注意が必要である。
・グネッキ・ソルディ・オルガンティノ
本人はイタリア人で、帰依する宗派はポルトガル国王の庇護を受けてる筈なのに、伊勢に漂着した時にイスパニア村を開いたショタ宣教師。
モデルに成った人物は戦国時代に日本を訪れた宣教師の中でも特に親日派であり、米を主食にし、着物を常用した。
性格も明るく魅力的な人柄であり、多くの日本人から受け入れられ、彼が赴任時1500人程だった畿内のキリシタンは3年後には15000人までに増えたという。
訪日後、約30年に渡って活動し、禁教令布告後も日本に留まり信徒を慰撫し続け、長崎にて76年の生涯を終えた。
なお、キリシタンによる寺社破壊については「善き事業」と称賛し、「悪魔の寺院は藁の一本に至るまで燃やし尽くすべき」と書簡に残している。