太閤転生伝   作:ミッツ

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連続投稿の2話目です。
前話を読んで無い方は先に其方をどうぞ。


最悪の再会 そして二分された世界

 

 南蛮寺を出た信奈の機嫌は大変良く、軽い足取りで鼻歌まで奏でていた。

 その様子を見る光秀も、自身の仲介が会心の結果を生んだことを確信しニコニコと笑顔を見せ小さくガッツポーズをしている。

 

 その一方で、良晴はフロイスとオルガンティノとの出会いを嬉しく思いながらも気掛かりな事があった。

 その原因は、複雑な表情で隣を歩く秀吉である。

 南蛮寺に行くと決まってから、秀吉の口数は極端に少なくなっていた。

 普段なら良晴共々鼻の下を伸ばしそうなフロイスの巨乳に対しても何の反応も示さず、二人の宣教師を品定めするようにジッと見つめるばかりだった。

 

「なぁ、秀吉さん。南蛮寺の事について、なんか気になる事でもあるのか?」

 

 思いきって良晴が聞いてみると、秀吉は暫し間を空けた後に首を振る。

 

「まぁ、思うところが有るのは事実じゃが、そう気にする事では無い。少なくとも今はな。」

 

「そうなのか?それにしては結構深刻そうだけど。」

 

「…気になるのなら御主には後で話してやるぞ。御主が知る歴史ではどうなったかも知りたいしのぅ。」

 

 秀吉にしてはハッキリとしない物言いに良晴の中で疑問が大きくなる。

 果たして秀吉は何を思っているのか?

 それを知りたくて口を開こうとしたタイミングで、信奈が良晴達の方を振り返った。

 

「今日は中々有意義な一日だったわ。褒美と言ってはナンだけど、あんた達を良い所に連れてってあげる。」

 

「なんだ?飯でも奢ってくれるのか。」

 

「もっと良い所よ。本当は良しサルだけを連れてくつもりだったけど、光秀が良い仕事してくれたし二人もついでに来なさい。」

 

「ありゃ、儂も宜しいのですかっ!?儂は特に何をしたわけでは御座いませぬが。」

 

 おどけた調子で秀吉が尋ねると、信奈は機嫌良さげに鼻を鳴らした。

 

「今日だけ特別よ。この前公家の茶会に呼ばれた時に面白い商人を見つけたの。普段は納屋衆(倉庫業者)をしているけれど茶人として有名で、最近は公家から態々屋敷に呼ばれるほどよ。」

 

「ひ、姫様!もしやその茶人とは!?」

 

 信奈の語る茶人の人成りに思い当たるフシがあった秀吉が思わず声をあげると、その反応を珍しく思いながらも信奈は茶人の名を告げた。

 

「千利休っていうの。秀サル、もしかして知ってた?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 千利休という人物は、秀吉にとって竹中半兵衛と並ぶくらい特別で、後悔しても仕切れない人物である。

 

 秀吉は自他共に認める下賎な出である。

 故に多少字が読めて計算が出来る以外に教養というモノに疎かった。

 信長に拾われ武士の身分に成ってからも、武人と文化素養が結び付かず関心を向ける機会も中々無かった。

 後に信長は上洛を機に家臣たちに都で流行する茶の湯や歌会といった文化を学ぶ事を推奨したが、秀吉も当初は「これも出世の為」と一通り作法を習う以上に熱心ではなかった。

 

 それが変わったのは利休と出会ってからであった。

 

 利休の茶席に招かれた際、秀吉は生まれて初めて心からの持て成しを受ける心地好さと、熟練の所作が生み出す文化的感動を味わった。

 たった数畳の狭い空間で作り出された『詫び錆び』の世界は、秀吉のそれまでの価値観を一変させるに十分だった。

 以後、秀吉は利休に師事するようになり、戦国武将として当代随一の教養人としての素養を花開かせる事になる。

 

 残念ながら秀吉と利休の関係は豊臣政権の内部事情、そして双方の文化に対する価値観の相違を以て破綻してしまうが、豊臣秀吉という天下人を形作る上で千利休は無くては成らぬ存在であったし、秀吉個人としても利休は死なせるにはあまりに惜しい人物であった。

 

 そんな千利休が、秀吉達の目の前にいた。

 

「この子が千宗易。本名は田中与四郎。最近だと千利休の方が通りが良いわね。」

 

 そう言って信奈は黒いフードで頭をすっぽり隠した少女を良晴達に紹介した。

 場所は利休の生家である納屋衆の『魚屋』が管理する屋敷の離れの茶室。

 事前に準備していたらしく茶室内には人数分の座布団が並べられ、それに対するように主人の少女がちょこんと座っている。

 

「茶室の中では身分は無いわ。さあ、座る位置なんか気にせずに好きなように座りなさい。」

 

 信奈に促され良晴達は茶室に入って各々座布団に座る。

 秀吉が座ったのは利休の真正面の席であった。

 

 腰を下ろした秀吉はまじまじと利休を見つめる。

 最早毎度お馴染みともなった女人化ではあるが、全身真っ黒な衣服で包んだ装いは秀吉が知る利休の意趣を感じる。

 

 いやがおうにも期待が高まる。

 ただその服に西洋趣味のあしらいがされている部分には、どうしてか少々引っ掛かるものを覚えた。

 良晴もまた、現代で言うところのゴスロリ系な利休のファッションにイメージとの解離を感じ戸惑った様子である。

 

「無口だけど茶の湯の腕は天才的なのよ。利休、三人に茶を点ててあげて。」

 

「………」

 

 信奈の言葉に利休は無言のままコクリと頷く。

 良晴達三人は希代の茶人の一挙手一投足の注目し息を呑んだ。

 彼らの視線を前に、利休は真っ黒く、しかもひび割れた茶碗に―

 

 

 

 ガラス瓶に入った南蛮の赤葡萄酒を注いだ。

 

「……………は?」

 

「おおっ!これが噂に聞く…」

 

「ちょっ!それ抹茶じゃねーぞ。」

 

「黙って見てなさい。これが利休流の茶よ。」

 

 呆けた声をあげる秀吉と感嘆し目を輝かせる光秀、そしてツッコミを入れる良晴とそれを諌める信奈を気にも止めず、利休は葡萄酒の入った茶器を面前に座る秀吉に手渡した。

 

「………」

 

 利休は無言のまま、それを飲めと促す。

 しかし秀吉の動揺は酷く、茶碗を手にしたまま固まるばかりであった。

 すると利休は、南蛮饅頭(パン)をちぎって秀吉に手渡した。

 食べろ、と言っているらしい。

 

「あれ?これってもしかしてキリスト教のミサを模してるのか?葡萄酒は主の聖なる血、パンは主の聖なる肉を象徴してて、ミサではそれを皆で分け合うって聞いたことがあるぜ。」

 

「よく知ってるじゃない良しサル。独自の茶の湯を探求していた利休は、茶の湯にキリシタンの儀式を取り入れる事を考案したの。これぞ和洋折衷!全く新しい今風の茶の湯よっ!」

 

「流石です信奈様っ!このような茶の湯、古今に類するもの無く、まさに新たなる数寄と言うに相応しい『パキッ』っ!!」

 

 自慢げに利休の茶を誉めていた信奈を称賛する光秀の声を、陶器の割れる音が遮る。

 

 音のした方に顔を向ければ、秀吉が手にした茶器が無惨にも砕けている。

 その破片の一部は秀吉の手に刺さり、赤々とした鮮血は葡萄酒と混ざり畳の上に滴り落ちていた。

 

「…あはははははははっ!!これは失敬っ!どうやら力を入れ過ぎて割ってしまったようで御座いますっ!」

 

 しかし秀吉は手の怪我を気にした素振りも見せず、口を開いて大笑いする。

 その声は腹の底から響かせたような笑い声に聞こえた。

 

 だがしかし良晴は、いや、その場にいた全員は瞬時に理解した。

 

 

 

 羽柴秀吉が激怒している。

 

 

 

 顔は笑い、声は歓喜を伴っているが、内から込み上げる怒気を抑えきれず、秀吉の小柄な身体から燃え盛るような怒りが烈火の如く溢れ出していた。

 その目は赤く血走り瞬きを忘れ、耳の先まで真っ赤に紅潮し、鼻息は煙が噴き出るかの様に荒く、額には青筋が蜘蛛の巣を張っていた。

 これ程までに怒った人間を見るのは良晴の人生で初めてだった。

 

「ど、どうしたのよ秀サル…」

 

 流石の信奈も秀吉の異様さに恐れをなしたのか、震える声で尋ねる他無い。

 光秀も落ち着きを亡くして汗を垂らし、利休に至っては気を失わんばかりに顔を青ざめさせていた。

 そんな一同に秀吉はギラギラとした視線を向けると、これでもかと口角を吊り上げた。

 

「いやはや、利休殿のお噂は私も良く知っておりました!しかしまさかこのような歓待を受けるとは思わず仰天した次第っ!しかしながら、折角の茶席を不浄で穢してしまってはなりませぬ。今日のところは儂は失礼させていただきます。」

 

 秀吉はそう言って手拭いを怪我した手に巻き止血すると、信奈達が止める間も無く出口へと向かって行った。

 

「り、りきゅ……」

 

 そんな秀吉に対し、茶席の主催である利休は顔面蒼白になりながらも声を掛けようとする。

 しかし秀吉は、絶対零度の眼差しで利休を見据えるとその言葉を止めた。

 

「それでは、さらばです。"田中与四郎殿"。」

 

 それだけ言うと秀吉は茶室から出ていった。

 完全に空気が凍った茶室の中で誰もがどうしたら良いのか分からずしばらく沈黙していた。

 だが良晴は意を決して立ち上がると信奈の方を向いた。

 

「俺、秀吉さんを追いかけてくる!信奈、此処は頼んだ!。」

 

「え、ええ…」

 

 いまだショックから立ち直れない信奈に早口で伝えると、良晴は大急ぎで茶室を後にする。

 そのまま屋敷の出入口に繋がる石畳の道を進んで行くと、ちょうど出入り門の所で秀吉に追い付いた。

 

「ひ、秀吉さん!」

 

 良晴の呼び掛けに秀吉はゆっくりと振り向く。

 その顔は先程とは一変して何も映さぬ『無』と成っていた。

 

「…良晴か。姫様を放ったらかしにしては後で御叱りを受けるぞ。」

 

「そ、そんな事は今はどうだって良いだろ!それよりも、えーと、そのぅ…」

 

 勢いで追い掛けて来てしまったが、良晴は言うべき言葉を用意しておらず視線を迷わせる。

 茶室での利休の振る舞いが秀吉の怒らせたのは明白。

 だが何を以て秀吉はあれ程までに激怒したのか、それを理解するだけの判断材料を良晴は持っていない。

 

 すると、困り果てた良晴を見て秀吉は苦笑を浮かべた。

 

「いやはや、御叱りを受けるのは儂の方か。さて、どう弁明したものか。」

 

「…まぁ、その時は俺も土下座してやるよ!美濃に潜入した時は秀吉さんに助けて貰ったし、今度は俺が助けてやるさ!」

 

「はははっ!良晴にしては言うでにゃーか!」

 

 目を細めて笑い声をあげると秀吉は歩き始める。

 良晴は黙って横に並んだ。

 

「………」

 

「………」

 

「…期待、しちょったんじゃ。」

 

「…利休にか?」

 

「ああ。半兵衛とはまた友に成れた。ならば利休とも、そう思ったんじゃがのぅ。」

 

「…そのぅ、あの茶は」

 

「何も言うな。言わんでくれ。まだ気持ちの整理が出来ておらん。いま"アレ"について考えたくも無い。」

 

「…ごめん。」

 

「…いや、儂の方こそすまぬ。儂は今日痛感した。この世界、異質なのは儂らの方じゃ。一見別物のようで通じるモノもあれば、似ているようで本質が異なるモノもある。この世界に儂が知る利休はおらぬ。利休の茶は、何処にも無い。」

 

「………」

 

 一般的に利休が茶の湯の世界に持ち込んだ『詫び錆び』を、派手好きの秀吉は好まなかったとする話もあるが実際には違う。

 秀吉は茶の湯の学ぶ過程で、敢えて空間の中に物足りなさを演出し、道具や作法を極限までを削って緊張感を生み、その緊張と空虚の中に余韻を生み出し客人の心に残る持て成しを旨とする『詫び錆び』と、それを茶の湯の世界で完成させた利休を高く評価し側近としていた。

 

 その一方で、一定の教養と感性を持つ一部の者にしか『詫び錆び』は理解しきれず、大衆に茶の湯を広く浸透させるには直情的な分かりやすさと華やかさが必要だととも秀吉は考えていた。

 そこで秀吉は平安時代以来の華やかな公家文化を利休から学んだ『詫び錆び』に取り入れ、細かな心遣いの中に『雅』を内包する新たな茶の湯を完成させた。

 これはある種で利休から学んだ茶の湯を真っ向から否定するモノだったが、利休は表だって批判するような真似はしなかった。

 

 しかし、利休の高弟である山上宗二が師の教えに反する秀吉の茶の湯を公然と批判した。

 それだけならまだしも、批判は建築中だった聚楽第の様式にまで及び、事態を重く見た石田三成により宗二は追放された。

 ここで終わればまだ良かったのだが、宗二は追放後北条家に拾われ茶匠になり、そこでも秀吉の美的センスを扱き下ろす書物を執筆し、小田原征伐後に捕えられ秀吉の面前に引き摺り出された。

 秀吉の元には利休から宗二の助命を願い出る嘆願が届いており、秀吉は先の批判を撤回し謝罪するならば命は助けると温情を与えたが、宗二は己の数寄を曲げられぬと拒否して斬首された。

 

 この出来事は蜜月であった秀吉と利休の関係にヒビを生じさせ、最終的には豊臣政権内の派閥抗争も絡んで破局するに至った。

 

 それでも、秀吉の心から利休への敬意が消える事は無い。

 

「そうじゃ良晴、御主に頼みたい事がある。今日の晩、丹羽様と柴田様、それと佐久間様と村井様を集めるよう姫様に頼んでくれぬか?」

 

「…それって、利休の事について関係があるのか?」

 

「…有ると言えば有るが、直接的な事では無い。本当はもっと後になってから伝えるつもりじゃったが、どうにも早めに動いた方が良さそうじゃしのぅ。」

 

 秀吉の顔が再び『無』に変わった。

 

「この日ノ本には儂が知るよりも早く、そして深く伴天連共が食い込んでおる。こちらも早めに動かねば、手遅れに成るやもしれぬ。」

 

 

 

 

 

 

 

 その日の晩、信奈の滞在先である妙覚寺には秀吉の要望通り主だった面々に加え、末席には良晴と光秀が並んで座っていた。

 その中心で秀吉は、信奈の不機嫌な眼差しを受け平伏する。

 

「…まさか昼間にあんな真似をしといて目通りを求められるとは思わなかったわ。しかも重臣達を呼びつけるなんてね。」

 

「はっ!この度は皆々様にお集まり頂き、この羽柴秀吉、恐悦至極に御座いますっ!」

 

「………秀サル、利休の茶の何処が気に入らなかったの?」

 

 剣呑な声色で信奈が尋ねると、秀吉は澄んだ目で信奈を見つめ返した。

 

「恐れながら申し上げます。茶の湯の心とは、身分の違う者達が一つの空間を共有し、和の心を以て主人の歓待を楽しみ、主人もまた茶と菓子を以て客人を持て成す真心こそ本質にあると存じ上げます。しかしながら、此度の田中与四郎の振る舞いはそうした茶の湯の精神を履き違えた愚行であり、ただ南蛮風という流行りに流されただけにしか思えませぬ。仮に酒精を以て客人の心を開かせる狙いがあるにしても、場所と時間を弁えるのが必定。しかも、鮮やかな彩色と芳醇な香りが魅力の赤葡萄酒をガラス瓶から茶碗に移し変えるは物の本質を全く理解せぬ白痴も同然。そもそも宗易の名は禅宗に帰依して名乗り、利休の名に至っては神国たる日ノ本の大神官たる尊き御方より賜りし名。それを名乗りながら異国の教えをなぞる様な振る舞いをするは無礼千万の恥知らずの謗りは当然!その振る舞いにしても伴天連が口にした説話を真似ただけに過ぎず、教えの本質を理解していない上部だけの猿真似であれば、仏とデウス、そして御上を馬鹿にする行いと言われても仕方無き事と存じ上げまする。」

 

「……………」

 

「……………」

 

「……………」

 

「……………」

 

「………デ、アルカ。」

 

 信奈は仏頂面をさらに渋くしつつも、秀吉の主張を認めるように相槌をうつ。

 秀吉の言葉の節々には感情的な怒りが見え隠れしているが、その内容はかなりまともであった。

 周囲の人間もみな神妙な面持ちで聞き入っていた。

 

「そこまで言われたら反論のしようがないじゃない。要するに、利休の茶があまりにも先鋭的過ぎてアンタの趣向に合わなかった。そんな理由で私の厚意を無碍にしたのね?」

 

「……はっ。伏して謝辞奉りまする。如何様の御沙汰でも。」

 

「…それについてはこの後次第ね。重臣をこれだけ集めたのだから、それなりに重要な話なのよね?」

 

 もし下らない話ならどうなるか分かってるな?

 そう問い掛けるような厳しい視線を受け、秀吉は平伏した顔を上げる。

 

「…はっ。此度お集まり頂いたのは、南蛮の国々の現状について申し上げるべき事が有る故。南蛮人共が何を以て、この日ノ本に至るかについてに共有すべきと考えた所存に御座います。」

 

「…本題に入りなさい。」

 

「然らば、『でまるかしおん』について申し上げます。」

 

「でまるかしおん?」

 

 聞き慣れない言葉に信奈をはじめとした家臣団は首を捻る。

 信奈は良晴に視線を向けるが、良晴は困惑した様子で首を横に振った。

 

「およそ約百年前、イスパニアの船乗りが西の果てに新たな大地を発見しました。それを切欠に南蛮の国々は世界中に船を出し未開の地へと人を送り、時に武を以て己が領地にしていきました。その先鞭となったのがイスパニア、そしてポルトガルの二国に御座います。」

 

「ポルトガル。たしかフロイスの母国だったわね?」

 

「如何にも。イスパニアとポルトガルは隣国同士でもあり、共に競い合うように外海に領地を増やしていきました。しかし領地が増えるに従い、占領地の帰属を巡って現地での争いが頻発。穏便な解決を求めた二国は、デウスの教えの総主たるローマ教皇の採決により、西の海をイスパニア、東の海をポルトガルが侵略する約定をしたのです。それこそが世界を二分する体制『でまるかしおん』に御座います。」

 

「ちょっと待ちなさい!もしその約定が今も生きているなら…」

 

「…そう、南蛮にとって日ノ本とは『侵略しても良い土地』に御座います。」

 

 なお、史実において当時日ノ本にいたキリスト教の宣教師が次のような書簡を残している。

 

『我々には、この国を征服する権利がある。』

 

「世界を二分する、ね。私もそれなりに自分勝手であると自認してるけど、南蛮人というのはそれ以上ね。」

 

「それなりに?」

 

「なんか文句有るの良しサル?」

 

 信奈が良晴を睨み付けると、脇にいた万千代がコホンと咳払いする。

 

「南蛮人が自分勝手かどうかは置いといて、羽柴さん、南蛮人はどの辺りまで侵攻を進めてるか分かりますか?」

 

「インド、俗に言う天竺にある港町『ゴア』を占領下に治め、要塞化していると聞きます。また南洋のマカオを占領し、日ノ本への前線基地にしているとも。」

 

「デ、アルカ。なるほど。南蛮人には日ノ本を侵略する大義があり、実際に占領された地域も無数にある、か。」

 

「お、お待ち下さいっ!」

 

 秀吉が淡々と語る南蛮の侵略政策に信奈が熟慮していると、血相を変えた光秀が制止をかけた。

 光秀は額に浮かんだ汗を拭うと小さく息を吐く。

 

「羽柴殿の懸念は尤もです。南蛮人は日ノ本の侵略を計画しているのではないかというのは、これまでにも噂されてきました。ですがそれは不可能です。日ノ本と南蛮ではあまりにも距離が離れています。いくら前線基地を整えようと、兵どころか兵糧を持ち込むだけでも一苦労です!」

 

「私も同感だ。そもそも日ノ本は四方を海に囲まれている。謂わば巨大な堀に囲まれた堅城に籠城しているようなもの。これを制圧出来るような大軍を外海から連れて来れるとは思えん。」

 

「…羽柴さんが南蛮を警戒する気持ちは理解出来ます。しかし南蛮が日ノ本を侵略出来るかと言うと、十二点です。理由は光秀さんや六さんが仰られたのと同じ。仮に南蛮が明と手を組んだとなれば話は別ですが、明が鎖国政策で他国との接触を避けている現状ではあり得ないかと。」

 

 光秀に続き、勝家と万千代が南蛮の侵略政策に否定的な意見を述べる。

 彼女等の考えは戦国時代の武将としては常識的なもの。

 決して楽観視している訳ではない。

 

 故に秀吉は、そんな常識を根底から覆す一言を口にした。

 

「兵を連れて来る必要など御座いませぬ。キリシタン大名の兵を使えば良いのですから。」

 

「…何ですって?」

 

 信奈の目の色が変わった。

 

「先に申した『でまるかしおん』。これはローマ教皇の名において承認され、キリシタンの国々で拘束力を持つ約定。彼の教えが届かぬ地域を"布教地"とし、ポルトガルとイスパニアが布教地保護権に基づき、征服・領有・貿易の独占、そして異教徒の奴隷化が正当な権利として認められております。」

 

「ど、奴隷化だって!?キリスト教徒じゃないって理由で奴隷にされるのかよ!」

 

「そうじゃ。事実九州では、キリシタン大名が支配した地域でキリシタンでは無い者が奴隷として南蛮に売られておる。」

 

 秀吉の言葉に良晴のみならず、その場にいた織田家臣団全員が愕然とする。

 

 キリスト教の教えが届かない地域、所謂非キリスト教世界には日本も含まれる。

 そのため時のローマ教皇であるグレゴリウス13世は大勅書内に『日本はマカオ司教区に含まれる』と明記していた。

 

 つまり、日本のキリスト教にはポルトガル国王布教保護権が及ぶ事、その保護者がポルトガル国王である事が確定していたのだ。

 キリスト教において、洗礼子は洗礼親に『絶対服従』を誓って洗礼を行う。

 即ち、ポルトガル国王の支援を受けるドミヌス会から洗礼を受けキリシタンに成った者は、ポルトガル国王、さらにその上位にあるローマ教皇の意向を汲まねばならぬのだ。

 

「南蛮が日ノ本を支配するのに自国から兵を連れて来る必要は御座いませぬ。教化した大名の兵を使い、その者に天下を取らせてしまえば、それ即ち日ノ本を属国化したに同義に御座います。」

 

 日本人同士を殺し合わせて国を奪う。

 これまでに無い侵略方法に一同は驚愕し、そして不快感に顔を歪めた。

 

 良晴はここに至って漸く思い出した。

 豊臣秀吉は日本で初めて全国的なキリスト教の禁教令を出した、キリスト教の弾圧者である。

 そしてその理由が、教化の名の元において行われた南蛮の侵略政策による物だと理解した。

 

「姫様っ、伴天連共を引っ捕らえましょう!日ノ本を侵略しようとは不届千万!捕まえて斬首にしてくれる!」

 

「六さん、いきなり斬首というのは考えものですよ。六十五点です。しかしながら、事情を聞くくらいはしておかねばなりませんね。」

 

 いきり立つ勝家を宥めつつも、万千代の眼光はいつになく険しいものであった。

 他の家臣も一様に戦前を彷彿させる真剣な眼差しに変わっている。

 信奈は彼らの顔を見渡すと、暫し目を閉じた後に口を開いた。

 

「伴天連共は泳がせるわ。少なくとも今はね。」

 

「なっ!?何を悠長な事をっ!」

 

「拙者もそれが良きかと存じ上げまする。」

 

「秀サルまでっ!?」

 

 信奈とそれに同調する秀吉に勝家は狼狽えるが、二人は真剣な面持ちで視線を交わす。

 

「秀サル、アンタも伴天連と縁を切るのは早すぎると思うのね?」

 

「如何にも。外海を帆船で渡る技術を含め、南蛮には日ノ本にはない技術が幾つも有ります。それを得るには南蛮と貿易する他ありませぬが、南蛮人は貿易をする条件に『相手がキリシタンである』事を望みます。即ち伴天連を追放し布教を禁じれば、南蛮の技術を得る機会を失う事に繋がりましょう。」

 

「最悪なのは伴天連が庇護を求めて私達と敵対する勢力と手を組む事ね。天下統一の道半ばで、それだけは絶対に避けたいわ。」

 

 背後にある武田を衰退させ、東海にまたがる巨大連合を結んで上洛しても、未だ織田家の敵対者は多い。

 そうした中で南蛮の技術が敵国に渡るのは、天下統一に向けて大きな障害になるだろう。

 

「天下を統一するには南蛮と手を組む必要がある。だけど南蛮の手を借り天下を統一すれば、それは日ノ本の南蛮勢力を強める事になる。現状では警戒する以外に打つ手は無し。零点です。」

 

 無念を滲ませながら万千代が唇を噛む。

 他の家臣達も有効な対策を思い付けず苦々しさを顔に出していた。

 

 そんな中、信奈は不意に光秀へ鋭い視線を飛ばした。

 

「光秀、確か高山某とかいうキリシタン武将と縁が有るって言ってたわね?」

 

「は、はいぃっ!ですが私自身はキリシタンというわけでは…」

 

「ならば良い機会よ。キリシタンに成りなさい!」

 

「ええっ!?それはどういう…はっ!」

 

 一瞬信奈の命令に当惑した光秀であったが、すぐにその真意を理解し表情を変えると、信奈はニンマリと口元を上げた。

 

「そう。縁を切れないなら、いっそ懐に潜り込むのが得策よ。キリシタンの振りをして内部から監視すれば、より正確な情報が得られるわ。今の話を聞いて、光秀も伴天連に取り込まれる事も無いでしょ?」

 

「当たり前です!日ノ本を支配し、日ノ本人を奴隷にしようとする国の手先になんて死んでも御免ですっ!」

 

 光秀は力強く言い切ると、信奈に向かって三つ指を着いた。

 

「この明智十兵衛、信奈様の命によりキリシタンに潜り込み、その動向を監視します!姫様の御約にたつため。そして日ノ本を異国から護るためっ!誠心誠意、力を尽くします。」

 

「デアルカ。他の者たちも同様よ!事が事だけに慎重に動かなきゃいけないけど、常に耳を立てて南蛮の動きを警戒するのよ!」

 

「「「「御意っ!」」」」」

 

 織田家臣団が一斉に平伏する。

 それを満足げな表情をした信奈だったが、すぐに神妙な面持ちになると小さく呟いた。

 

「…神の教えというのは、大海を隔てても厄介極まり無いわね。」

 

 神は人が人を支配するための道具に過ぎない。

 それを心中で口ずさみながら、信奈は国内の宗教勢力に思いを巡らせる。

 本来であれば高圧的に服従を強いるべきと思っていたが、秀吉の話を聞いた後では計画変更の余地があると考えざるを得ない。

 

「本気で南蛮と事を構えるとなれば、本猫寺への対応も変える必要があるかもしれないわ。」

 

 今宵はこれまでに致しとう御座りまする。




・千利休
 説明不要の日本における茶人の代名詞。
 本名は田中与四郎。法名は千宗易。一般的に知られる『利休』の名は、禁中茶会に参加できる身分に無かった宗易へ天皇が直々に与えられた居士号である。
 本作において、現状では秀吉をマジギレさせた唯一のキャラ。もし良晴と信奈がその場に居なければ確実に殺されていた。
 ギャグエピソードのせいとはいえ、本人も悪気どころか楽しんで欲しいと思ってした事なので不憫ではある。
 今回織田家臣団内でキリシタンに対する警戒心が跳ね上がったせいで、信奈の茶匠になる可能性は大きく遠退いた。
 今後秀吉側に余程の理由が無い限り、和解する事は絶対に有り得ない。

・デマルカシオン
 トルデシリャス条約とサラゴサ条約から成るポルトガル-スペイン間で交わされた領土条約。別名「世界領土分割体制」。
 簡単な内容については作中の通り。実質ポルトガルとスペイン以外を新世界から閉め出す事を教皇が認めた内容だったため、他の西洋諸国からは不満の声が多く上がった。
 この条約との名の元に二国は世界中に新領土を獲得。
 後にポルトガルはスペインに併合された事でその領土を丸ごと引き継ぎ、スペインは名実共に『太陽の沈まぬ国』となった。
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