太閤転生伝   作:ミッツ

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天下の寝とり師

 秀吉から南蛮の驚異を知らされてから暫く経った頃。表向き織田家は変わり無く京での日々を過ごしていた。

 義元と信広の婚儀を南蛮式で行うことも正式に決定し、万千代と村井貞勝は再建中の二条城にフロイスとオルガンティノ、そしてキリシタンに改宗し『ガラシャ』の洗礼名を授かった光秀を招き打ち合わせを行った。

 その際、貞勝達は京に新たな南蛮寺の建設を約束し、代わりに南蛮貿易の仲介をフロイスに依頼し合意に至った。

 

「織田家の方々が主の教えに寛容な方ばかりで本当に良かったデス。これでより教えを広める事が出来マス。主もお喜びになられるデショウ!」

 

「…それは僥倖。此方はまだまだ南蛮について知らぬ事も多いので、この機会に互いを良く知れればと思います。」

 

 邪気の無く笑うフロイスへ貞勝は笑顔を返す。

 

「ただ、工事の着工には今しばらく御待ちしていただけると幸いです。なにぶん京の復興に人手を取られてまして。」

 

「もちろん構いません。まずは人々の生活が安定するのが大切デス。信仰はその後からでも遅くはありません。」

 

「ありがとう御座います。人手不足は我々も何とかせねばと思っているのですが中々。いっそ奴隷でも買った方が良いかもしれぬという意見も…」

 

 困った様子で頭を掻きつつ、貞勝はフロイス達を伺う。

 すると貞勝の言葉にフロイスの顔に影が射した。

 

「奴隷…ですか…織田サマにも奴隷が居るのデスか?」

 

「いや、普段は居りませぬ。急場で人手が必要な時に買い集め、働き次第ではそのまま雇い入れる事はありますが。何か気掛かりでも?」

 

「…その、我々ドミヌス会は奴隷の存在を否定していまセン。しかし、その扱いについて寛容さを求めてマス。出来れば織田サマには奴隷だからといって粗雑な扱いをせず、一人の人間として彼らを扱って欲しいのデス。」

 

「…分かりました。姫様にもお伝えしておきましょう。」

 

「ありがとう御座いマスッ!あっ、それと一つ信奈サマにお願いしたい事があるのデスが…」

 

「…なんでしょうか?」

 

「実は…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「姫巫女に会いたいですって?」

 

「はい。そのように申しております。」

 

 フロイス達と別れ、すぐさま信奈と面会した貞勝はフロイスが御所にいる『姫巫女』に会いたがっている事を伝えた。

 これには信奈も驚きと呆れを含んだ表情になる。

 

「どう攻めて来るかと思ったらいきなり本丸狙いだなんて。随分と思い切ったことするわね。」

 

「フロイス曰く、この国の象徴たる姫巫女様にこそデウスの教えの真意を知って頂きたいとの事。その上で京での正式な布教許可を得たいとの事です。」  

 

「要するに、姫巫女をキリシタンにしたいという訳ね。確かに姫巫女が改宗したら、日ノ本中にとんでもない影響が出るわ。」

 

 実態としての権力は無くとも、歴史の積み重なった御所の権威は決して無視出来ない。

 もし姫巫女がキリシタンに改宗するような事があれば、それこそ日ノ本がひっくり返るような大騒ぎになるだろう。

 

「だけどそれは無いわね。たとえ姫巫女の気持ちが伴天連に傾こうとも、周りの公家がそれを許さないわ。というより伴天連と会うことさえ嫌がるでしょうね。」

 

「姫巫女様の周囲は保守的な方々が多いですからなぁ。まず認めないでしょう。」

 

「まぁ、それは今はいいわ。それよりも地蔵。あんたの目から見てフロイス達はどういう人間だったの?」

 

「端的に申し上げて、敬虔な伝道師でしたな。少なくともあの信仰心は本物です。奴隷を気遣う様子にも嘘偽りは見えませんでした。」

 

 この頃のドミヌス会は、新大陸における『奴隷保護活動』の中心的存在であった。

 彼らは奴隷として捕らえられた原住民の悪辣な境遇に抗議し、彼らの生存権を主張し奴隷商人から原住民を守る活動を行っていた。

 こうした活動は奴隷貿易で財を成した商人や、それらから利潤を得ていた政府高官にとって非常に目障りなものであり、後年ドミヌス会は西欧列強内で弾圧され、一時期活動を停止せざるを得なくなる。

 

 閑話休題

 

「では、秀サルが言ってた事は見当違いだと思うかしら?」

 

「然に非ず。彼の者達に日ノ本侵略の意志が無くとも、その背後にいる者も同じとは思いませぬ。ある意味ではフロイス達も利用されているのではと愚慮致します。」

 

「デ、アルカ。まあ確かに私も一度しか会ってないけど、あいつらに日本侵略なんて大事を侵そうという気質は感じられなかったわ。でも警戒は必要ね。地蔵、フロイス達が神の教えを学ぶ神学校ていうのを建てたがってるのは知ってる?」

 

「はっ、先ほどの会談でも話に出てきました。」

 

「観音寺城を廃城にして南近江に新たな城を建てる計画を考えてるのだけど、そこに件の神学校を建設しようと思うわ。」

 

「…なるほど、厄介な存在は野放しにせず内で管理すると。学ばせる人員は此方で選抜しても?」

 

「ええ、お願い。上手くやれば奴らの本性を明らかに出来るわ。」

 

 信奈は貞勝の問いに満足そうに答える。

 するとそこに堀秀政が現れて信奈に向かって跪いた。

 

「失礼します。三好左京大夫、並びに松永弾正忠御着陣。姫様とのお目通りを願っています。」

 

「…やっと来たわね。分かったわ。すぐに行くから待つように伝えなさい。」

 

「はっ!」

 

 秀政が部屋を出ると信奈は小さく息を漏らす。

 

「伴天連達も気になるけれど、まだまだ日ノ本の統一には問題が山積みね。」

 

「過去に例も無き事であらば致し方無しかと。然れどそれは我等も承知の上。この命尽きるまで、精々お付きあい致します。」

 

「デアルカ。精々励みなさい。」

 

 貞勝の言葉に笑みを浮かべ、信奈は腰を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、お初に御目にかかります。某は三好家当主、三好左京大夫義継に御座います。」

 

「三好左京大夫様が家臣、松永弾正忠に御座います。此度は御目通りして頂き、心より感謝申し上げますわ。」

 

「…うん。私もあんた達に会いたいと思っていたわ。」

 

 妙覚寺の本堂にて信奈は三好義継と、その陪臣である松永久秀と対面した。

 義継は信奈よりも年若い線の細い少年であり、久秀は銀髪に褐色の肌の妙齢の女性である。

 

 緊張気味に声を上擦らせる義継と、その横で悠然と構える主従と挨拶を交わし、信奈はその人成りを見極めようと遠慮の無い視線を向ける。

 

「書面で確認はしてたけど、あんた達は三好三人衆と袂を分かち、私達に協力するって事で相違無いわね?」

 

「は、はい。我等は織田殿と協力し、今川義元様を将軍に奉じる所存です。どうか、義元様へのお取り次ぎを御願い申し上げます。」

 

「ふーん。二条御所を襲い、前の将軍を追放した割りには殊勲な物言いね。」

 

「あれは叔父上達に無理矢理やらされたのですっ!私は二条御所を襲撃するなど、やりたくなかった!!」

 

「殿、今は会談の場。落ち着かれませ。」

 

 顔を真っ赤にして激昂する義継を久秀が宥める様子を、信奈は興味なさげに見やる。

 暫くして呼吸が落ち着いた義継は信奈に向かって小さく頭を下げた。

 

「お見苦しいところを。大変、失礼致しました。」

 

「別に構わないわ。あんたの意志がどうあっても、三好が将軍を追放した過去は変わらないもの。」

 

 信奈の言葉に義継の顔が再び朱に染まる。

 すると、義継の横から笑い声が起こり其方に注目が集まる。

 

「フフフ、耳の痛い御言葉ですわ。仰る通り三好が先の将軍である義輝公を襲撃したのは紛れもない事実。然れど、それが全三好の総意という点は事実に御座いませんわ。少なくとも義継様、並びに私に義輝公への逆心は一切御座いません。そして今は、混迷する都に一時の平安をもたらした義元様に心よりの感謝の念を抱いています。然らば、義元様の御威光を賜る末席へ我等も加えて頂きたい所存に御座います。何卒。」

 

 久秀はそう言って床に額が着くほど深く頭を下げた。

 これを見て義継も慌てて後に続く。

 その様子をじっと眺めていた信奈であったが、不意に立ち上がると小姓を呼び寄せ小袋を受け取った。

 

「…先日、淡路に潜ませた忍より足利義栄が病で死んだと報せがあったわ。これから義元の足利への改姓、並びに将軍宣下が本格的に動いていくわよ。」

 

 そう言いながら信奈は袋の口を開け逆さまに振る。

 すると中に入っていた黄金の砂粒が義継の目の前に降り積もった。

 

「これは手付金よ。あんた達と縁がある畿内の豪族に金を配って味方を作ってちょうだい。そうすれば所領は安堵するし、働き次第で加増も考えてあげるわ。」

 

 傲慢にそう宣う信奈に対し、義継は顔を下げたまま震え、久秀は感情の読めぬ顔で見下ろす信奈の視線を見つめ返していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 信奈との会談を終えた義継一行は、義継の居城である若江城に帰還した。

 城内の屋敷に戻るや否や、義継は上着を脱ぐと畳に叩き付けた。

 

「なんだあの田舎娘はっ!守護代の分家筋の成り上がり者の癖をして人を嘗め腐りおって!何様のつもりだっ!!」

 

「心中御察ししますわ。しかし今は我慢の時。一時の苦辛を耐えられぬ者に、大事は成せませぬわ。」

 

「分かってる!それよりも弾正、例の策は本当に上手くいくのか?御主の策に掛けたからこそ、私はあの無礼者に頭を下げたのだぞっ!」

 

「ご心配なく。万事抜かりなく事は進んでいます。この松永弾正、亡き長慶様の御恩に報いるため、義継様に誠心誠意お仕えする覚悟です。」

 

「…チッ!結局御主は今も、私ではなく叔母上に仕えているのだな。」

 

 忌々しげに舌打ちをする義継に久秀は何も言わない。

 

 後世において『乱世の梟雄』の名で知られる松永久秀だが、三好長慶に仕えている間に裏切りに当たる行為を行った事は一度として無い。

 長慶に近しい親族や寵臣を陥れ排除したという話もあるが、そのほとんどは後世に作られた創作物が初出である。

 

「兎に角だっ!御主の策に三好の未来が掛かっているのだ!必ず成功させるのだぞ!」

 

「はっ。必ずや、義継様の御期待に沿う結果に至らせましょう。」

 

「ふんっ!話は以上だ。夕飯の用意をせよ!」

 

 そう言うと義継は着替える為に奥座敷へと下がって行く。

 足音を踏み鳴らす義継へ久秀が生暖かな視線を向けていると、その横からヌッと長身の人影が現れた。

 

「あれが今の三好家の当主か。俺が言うのもナンだが、中々気難しいお人柄だな。」

 

「あら、戻ってましたの。龍興さん。」

 

 現れたのは久秀の元に身を寄せている一色龍興である。

 信奈の上洛に会わせて出払っていた龍興は、以前より日に焼け精悍さの増した顔付きで「よう!」と軽く手を上げる。

 

「ついさっき帰ってきた所だ。美濃での仕込みは済ませてきたぞ。」

 

「ご苦労様ですわ。首尾の方は?」

 

「上々だな。暫くしたら美濃で動きがあるから、織田は美濃に引き返さなければならなくなるだろうよ。そっちの方は大変だったみたいだな。」

 

「そうでもありませんわ。信奈様からは随分挑発されましたけど、義継様はお耐えになられてましたし。流石は長慶様が見込んだ方ですわ。」

 

「ああ、それを詳しく聞きたかったんだ。あの御当主様はどうして三好長慶の後継に成れたんだ?本来はそんな立場には無かった、って噂に聞いたんだが。」

 

 三好義継は三好長慶の末弟であった十河一存の息子である。

 長慶には他に高弟やその子供達がおり、義継はそれらを押し退けて三好家の家長に成っていた。

 

「一言で言うのであれば、血筋ですわね。義継様の母君は九条家の姫ですの。」

 

「九条家って言うと藤原北家嫡流か。確かにこの国有数の良血だが、本当にそれだけで当主に選ばれたのか?三好長慶にしては安直に思えるんだが。」

 

 三好長慶は阿波国の一国人という立場から頭角を現し、主君である細川晴元を追い落として畿内全域にその名を轟かせた下剋上の体現者と言うべき姫武将である。

 そのような人物が血筋だけで後継を決めた事に龍興が疑問を呈すと、久秀は面白そうに喉を鳴らした。

 

「その通りですわ。長慶様の本当の狙い。それは足利将軍家と三好家の婚姻でしたの。」

 

「将軍家と三好家の婚姻だと?」

 

「ええ。長慶様は父君を細川晴元に謀殺され、その復讐のために姫武将として辣腕を振るいましたが、本来は穏やかで争いを好まぬ御方。細川と争う過程で義輝公とも敵対しましたが、それも本心からではありませんでしたわ。長慶様は将軍家と敵対した事に心を痛められ、嫡子である義興様に将軍家との和睦を託されましたわ。しかし…」

 

「長慶の子、義興は若年にして早逝した。」

 

 龍興が言葉を継ぐと、久秀はもの悲しげに頷いた。

 普段は感情が読めない事が多い久秀だが、この時ばかりは痛烈な悲哀を思わせる表情をしている。

 

「義興様が亡くなって長慶様は焦られてましたわ。自分の生きている内に将軍家の和睦を進められようと、家中の反対を押し切って義継様を後継者に指名したんです。」

 

「その目的は将軍家との婚姻。相手は覚慶か。」

 

 覚慶とは足利義輝の同腹の妹。後の足利義秋の事である。

 

「ええ。義輝公の母君は近衛家の出自。これに釣り合うのは九条家の血筋を引く義継様しかいませんでしたわ。しかし朝廷や将軍家への工作の道半ば、長慶様が身罷られてしまうと義継様の立場は微妙なものに成ってしまいましたわ。」

 

「もとより無理筋で後継に指名された上に、後ろ楯だった先代が死んで婚姻工作も中途半端。家臣に見下されるのが目に見えてるな。」

 

「御察しの通り。特に当時の家中では、三好家の権勢は既に将軍家を越えたという声が大きかったですわ。にも拘らず義輝公は三好家の排斥を促す書状を各地にばら蒔いていたので、義輝公を疎ましく思う者も少なくありませんでしたの。」

 

 長慶の想いと裏腹に、三好家中は将軍義輝との対立を深めて行く。

 そして遂に、決定的な事件が起きてしまう。

 

「あの時私は、所領で起きた問題の解決の為に大和国にいましたわ。その隙に三人衆は義継様を強引に唆し、二条御所を襲撃したんです。」

 

 俗に言う『永禄の変』において松永久秀を首謀者とする俗説も多いが、久秀を黒幕と決定づける証拠は残されていない。

 むしろ事件時久秀は京を離れており、事件そのものが久秀の意図しない処で起きたとする説もある。

 

 いずれにせよ、家中に味方の少なかった義継は叔父達に要求を跳ね返す事が出来なかった。

 もし強硬に反対し続ければ家長の適性無しとして追い落とされるか、最悪暗殺される危険もあった。

 故に義継は己の意思に反し、将軍を襲撃せねばならなかったのだ。

 

「それを思うと義継も苦労してるんだな。その立場に無かったにも拘わらず当主に担ぎ出され、家臣から侮られ求められた役割を果たせず、本来なら嫁と義兄になる筈だった人を国外に追放する事になるなんてよ。」

 

「フフ、だけど全く気骨が無い訳ではありませんわよ。襲撃に際し義輝公が殺され無かったのは、義継様が九条家を通して事前に襲撃の情報を御所に報せていたからですし、三人衆の傀儡に成るのを良しとせず城から抜け出して来るんですから。」

 

 永禄の変後、三好三人衆は義継を河内高屋城に連れていき擁立すると久秀と対立する。

 しかし、義継は程無くして出陣すると見せかけ城を抜け出し堺に逃げ込むと久秀と合流。

 それまで三人衆の勢力に圧され孤立していた久秀に義継は味方し、一勢力として戦力を拮抗させるまでに立て直したのだった。

 

 現状三好家は河内を本拠とし当主の義継とそれを補佐する久秀の三好本家と、三人衆の合議により運営される三好分家に分かれ対立している。

 そう言う風に世間からは見られていた。

 

「ところで龍興さん、遊女達からは有益な情報は得られてますか?」

 

「ああ。どんなに口の固い男でも、気を許した女には口許が緩むもんだな。寝屋となれば尚更。弾正が京の遊女と仲良くなれって言った理由が分かったぜ。あそこは畿内の重鎮達も通う場所だ。あらゆる機密情報が集まりやがる。」

 

 龍興は京の高級籠屋に通い、そこの遊女と縁を結んで彼女達が持つ情報を得るに至った。

 その中身は家人の気性や性癖、家中の人間関係や家同士の外交情報も含まれる。

 

「この情報を元に畿内の豪族を迎合し、連合軍を立てる。あとは事が起きるのを待つだけだ。」

 

 そしてその火種の仕込みも終わった、と龍興が伝えると、久秀の顔に妖艶な笑みが浮かぶ。

 

「フフフ。準備は万端ですね。それでは始めましょうか。天下を揺るがす大戦を。」

 

 舌舐りをする久秀の脳裏に信奈の顔が浮かぶ。

 

 戦乱の風雲児よ。新たなる天下人を目指す者よ。貴方に守り切れるか?

 此れより貴方に挑むは先の天下人、三好長慶を支えた我が知謀。

 天下布武の理想を求めるならば、この困難を乗り越えてみせよ。

 

「さもなくば、死を。」

 

 乱世の闇を背負いし毒婦が、その牙を突き立てんとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日、普段通り二条城の普請を監督していた良晴だったが、日がちょうど真上に差し掛かる頃に緊急の呼び出しを受け妙覚寺に赴いていた。

 

 岐阜を出立し上洛を果たし既に半年弱。この頃になると京に滞在する織田軍の陣容は大きく変わっていた。

 まず、徳川、浅井、北畠といった上洛に協力した諸勢力は軍を引き上げ領国に帰還。

 織田本隊も上洛以来、反抗勢力の目立った活動が無かった事もあり、丹羽長秀や柴田勝家といった主力、そして良晴や村井貞勝をはじめとした義元の婚儀と将軍宣下に関わる者を残して他は岐阜に戻っていた。

 秀吉もこの時は京にはおらず、岐阜城にて年賀行事の準備に携わっていたとされている。

 

 良晴が妙覚寺の本堂に着くと他の主だった将は既に着席していた。

 良晴は軽く息を整えつつ頭を下げ末席に座る。

 それを見計らったように信奈が部屋に入り、家臣達は一斉に頭を垂れた。

 

「面を上げよ。」

 

 信奈の固い声に応えて顔を上げれば、そこにはどこか余裕の無く、落ち着かない様子で貧乏揺すりをする主君がいた。

 

「万千代、皆に件の事を。」

 

「はっ。昨日、岐阜より急報がありました。約十日ほど前、信濃との国境にて軍勢を発見。規模は約五千。旗印から武田の軍勢と見られるとの事。」

 

「武田だと?なぜ武田の軍勢がそのような。」

 

 勝家の疑問に万千代は首を横に振る。

 

「わかりません。武田は庵原での敗戦以来、当主信玄の隠居も相まって諸侯の統制を失っているとの情報もあります。問題は、その軍勢が岩村城を目指している事です。」

 

「岩村城だと!?おつや様の城ではないかっ!」

 

 万千代の言葉に勝家が驚愕の声を発する。

 他の諸将も一様に表情を固くする中、良晴のみがあまりピンと来ていない様子で首を傾げる。

 すると、近くにいた貞勝がそっと耳打ちをした。

 

「艶様とは姫様の叔母君じゃ。叔母といっても姫様とは歳が近く、幼い頃は姫様とよく遊ばれていた。」

 

「つまり信奈の幼なじみって事か。その人がいま岩村城に?」

 

「うむ。先代様の頃、美濃攻略の足掛かりに東美濃の遠山氏に後妻として嫁がれたのだ。しかし程なく、殿方を戦で亡くされてしまってのう。前妻の子の後見として残られておるのだ。」

 

 『信奈公記』によると、艶の方は信奈の祖父、織田信定の末娘であり、信奈よりも二つ年上だったとされる。

 幼少期は突飛な行動ばかりし周囲から『うつけ』呼ばわりされたという信奈とも仲が良く、一部の資料には二人が義姉妹の契りを結んだと思わしき記述も残されていた。

 その為信奈からの信頼も篤く、美濃、尾張、信濃の三国の国境に近い要所である岩村城の実質的な城主として家政を取り仕切っていたともされる。

 

「今のところ軍勢の目的ははっきりとしてません。ですが仮にその目的が岩村城の攻略だった場合、岩村城の現有戦力で城を守りきるのは非常に難しいと言わざるを得ません。」

 

「ならば近くの城から後詰を送るというのは?」

 

「現実的な策でいうならそれが一番ですが、上洛の遠征から漸く国許に戻った者達でもう一度軍団を集めるとなると、どうしても集まりが悪くなるでしょう。領民の不満も無視できなくなるかと。四十点です。」

 

 この時代、不測に対応出来る常備軍は非常に少ない。

 先進的とされる織田軍であっても、基本的には軍事行動を起こす時に限り領地から兵を集め軍団を形成する。

 

 今回の上洛に際して集められた足軽にしても、平時は農作業に勤しむ兼業軍人が主である。

 その為、京での滞在が長期間に及び秋口が差し掛かった段階で、主力以外の兵は国に戻され秋の収穫に備えさせたのだ。

 そして現在は秋真っ只中。米をはじめとした農作物の収穫の最盛期である。

 今から兵の召集を掛けたとしても民から不満の声が上がるのは目に見えている。

 

「…万千代、今から岐阜で兵を集め始めて、岩村城に向かわせるだけの軍団を作るにはどれくらいかかるの?」

 

「…相手方に後詰がいないと想定したとしても最低でも同数は欲しいところ。そうなると今から兵を集めるよう言ったとしても、二十日、いや、一月は必要かと。」

 

「それまでに、岩村城は保つかしら?」

 

「………なんとも言えません。」

 

「…デ、アルカ。」

 

 万千代の返答に悩ましげな様子を見せる信奈だったが、大きく息を吐くと覚悟を決めた顔で家臣たちを見渡した。

 

「岩村城は東美濃の要所。此れを失う訳にはいかないわ。よって此れより我らは美濃に引き返し、岩村城の救援に向かう。」

 

 信奈の宣言に家臣達からは驚きの声が漏れた。

 

「…よろしいのですか、姫様?主力を動かすとなると、京の防備が薄くなりますが。」

 

「致し方無いわ。現状すぐに動かす事が出来るのは京に滞在している私の軍しかいないのだから。ここから全力で岩村城に向かえば、二十日は掛からず到着出来る筈よ。」

 

「確かにそれは可能かもしれませんが、三好三人衆も完全に息の根を止めたとは言い難く、今すぐ京を離れるのは危険です。もう少し情報を集めてからでも遅くは無いかと。」

 

「承知の上よ。だけど岩村城を治める遠山氏は東美濃の有力国人。それが攻められているのを見逃したとなれば、他の国人達の信頼を失う恐れがあるわ。最低でも救援を出したという形を取らなきゃ。」

 

 織田家が美濃を勢力下に治めて未だ一年も経っていない。

 ここまで大きな問題は起きていないが、だからと言って足元が磐石とは限らない。

 美濃平定以前から織田の味方だったとはいえ、美濃国内の領地に進攻を受けたにも関わらず領主が滞在先から戻らないのは、旧一色家臣衆の反感を買う恐れがあるのを信奈は憂慮していた。

 

 そしてもう一つ、信奈には帰還せねばならぬ理由があった。

 

「それに、つやの事を見殺しには出来ないわ…」

 

 世間一般には冷酷無比な合理主義者というイメージが根強い織田信奈であるが、実際には現代人にも通じる人間性の持ち主であったと言われている。

 

 下戸で酒が苦手だが甘味が大好物であり、鷹狩りや水練など体を動かす事を好み、特に女の身でありながら相撲に熱心で自ら大会を開いては時に競技者として飛び入りで乱入し、呪術や迷信といった非科学的なモノを信じず唾棄しつつも寺社仏閣に対しては度々寄進をし、既存の権威を軽んじる振る舞いをする一方で大和御所には敬意を示していた。

 

 そして何より、織田信奈は身内に対して甚だ甘かった。

 

 信奈にとって艶の方は歳の近い親族であると同時に、幼少期から自分を受け入れてくれた数少ない理解者の一人である。

 そんな親友の危機に、信奈は居ても立っても居られず直ぐに駆け付けたい心境にあった。

 

「今すぐ動ける軍は我らのみ。それを考えるなら我らが救援に行くのは妥当でありますけど…」

 

 万千代は主君の焦りを理解しつつも、なんとも言えぬ違和感に苛まれていた。

 言うなれば、まるで誰かが描いた絵図の上を動かされている感覚とでも言おうか。何処と無く謀の気配を感じたのである。

 しかし、信奈を説得し思い止まらせるにはあまりにも根拠が薄く、口を噤んでしまう。

 それを了承と見なしたのか、信奈は立ち上がると声を張った。

 

「それじゃあ、将軍宣下の諸事に係る者を除き早急に行軍の準備をしなさい!出発は明日早朝。遅れた者は厳罰に処すと覚悟なさい。分かったわね!」

 

「「「「はっ!」」」」

 

 信奈の号令に勇ましく応えた各将は、出立の準備の為に慌ただしく動き出す。

 

「万千代、良しサル。ちょっと来て。」

 

 そんな中、信奈は万千代と良晴を手招きして呼び寄せると別室へと移動した。

 

「良しサル。あんた、居残り組よね?」

 

「ああ。二条城の造営がまだ終わってないからな。」

 

「そう。だったら三好の動向には気を付けてなさい。私が京から兵を払ったと知れば、間違いなく動きがある筈よ。」

 

「姫様、やはり岩村の件、何か裏があると…」

 

「それが分からないのよねぇ。淡路を本拠とする三好に東美濃への伝手が有るとは思えないけど、私達が京から兵を動かさなくちゃいけない状況に追い込まれたのは三好にとって都合が良すぎる展開よ。どうしても勘繰っちゃうわ。」

 

 万千代の問い掛けに悩ましげにガシガシと頭を掻く信奈だったが、直ぐにその視線を良晴に向ける。

 

「ただ、京に来てから色々調べたけど三好も決して一枚岩では無いわ。当主である左京大夫と三好三人衆は事実上の敵対関係だし、三人衆も利害関係の繋がりだから水面下では牽制し合ってる。そのお陰で上洛の時の戦でも楽に勝てたわ。」

 

「時期的に考えると、あの敗戦から回復しきれるとも考え難いですね。姫様、兵を残すとすれば千人程でしょうか?」

 

「そうね。幸い若狭武田家や長岡兵部大輔といった将軍家直臣は味方になってくれてるから合計で二千人は警護に割けるわ。それだけいれば、何かあっても本軍が美濃から駆け付けるまで耐えられる筈よ。」

 

 そう言うと信奈は強い力で良晴の肩を持った。

 

「もし何か少しでも異変があればすぐに伝令を送りなさい。それと光秀や広兄達とも連絡を取って、義元の滞在先に集結して防備を固めるのよ。」

 

「わ、分かった。ええと、義元の滞在先は…」

 

「六条御所本圀寺よ。頼むわよ良しサル。何かあっても義元と信広の命、絶対に守り抜いて。これは命令よっ!」

 

「お、おうっ!」

 

「万千代は経路の確保をお願い。街道の側の豪族へ早馬を送って補給地点を用意させて。急いで!」

 

「御意!」

 

 この後、織田軍総勢一万は二千を残し美濃へ出発した。

 大急ぎで京の人々は「何か変事があったのでは?」と噂したが、まさか織田の本国の端で騒動が起きているとは思わず、憶測の域を越える事は無かった。

 

 一部の者を除いては………

 

 

 

 

 

 

 

「申し上げます。織田本軍、既に近江を抜け美濃との国境に達したとの事。このまま行けば二、三日後には本城に辿り着くと思われます。」

 

「流石に早えなぁ。報せが届いたのは七日前だろ?まぁ、予想の範疇ではあるけどよ。」

 

 一色龍興は側近である斎藤飛騨からの報告に余裕を持った笑みで応える。

 その体には鎧が纏われ、眼光には毒蛇を思わせる怪しい光が宿っていた。

 

「飛騨、友軍の様子は?」

 

「三人衆の方々は摂津を出立し、間も無く敵方の城に張り付くとの事。予定通り、左京大夫と弾正忠は城を抜け出したそうです。」

 

「そうか。そんじゃ俺達もそろそろ動くかねぇ。」

 

 龍興は立ち上がると、大きく息を吸い込み後ろを振り返る。

 そこには、今こそ戦場に出らんと戦意を爛々と燃やす鎧武者達が、指揮官の号令を今か今かと待ち構えていた。

 そんな配下に向かって獰猛な笑みを浮かべると、龍興は鬨の声を上げた。

 

「さぁ、天下を寝取りに行くぞ。」

 

 今ここに、後世に言う『本圀寺の変』が始まった。

 

 今宵はこれまでに致しとう御座ります。




・三好義継
 史実における三好本家最後の当主。
 本来の後継者である義興が早逝した為、将軍家との和解を急ぐ三好長慶により血筋のみを見込まれて後継者に指名された。
 しかし、これまで何度も三好を排除しようとしてきた将軍との和解を大半の家臣は望んでおらず、本当なら当主になれる立ち位置では無かったので多くの家臣から侮られている。
 そうした状況のためか、元来は長慶に似た穏やかな性格だったが心が荒み、常に余裕無く周りに当たるように成ってしまっている。

・艶の方
 信奈の同年代の叔母。史実でも信長と歳の近い叔母であったという人物。
 東美濃の遠山氏に後妻として嫁ぐが、程無くして夫を亡くしたため、残された前妻の子を当主とし実質的に家政を取り仕切る女城主を務めている。
 史実では城を武田軍に包囲され数奇な運命を辿る事になる彼女だが…
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