太閤転生伝   作:ミッツ

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汚れなき手

 織田信奈の祐筆として側に仕えた太田牛一が記した書物に、『信奈公記』という物がある。

 その名の通り、織田信奈の幼少期からその死までを記した一代記であり、当時の織田家中の様子を知る上で貴重な資料とされている。

 その中には当然、稲生の戦いについても記されており、戦序盤の様子について以下のような記述がある。

 

『柴田勢甚だ猛勢にして佐久間勢にあい掛からん。されど佐久間勢よく能わず、相良良晴これを迎えんと立ち塞がりけり。』

 

 これが後に『織田の二猿』と呼ばれる事になる片割れが、歴史上初めてその名を現した場面である。

 

 

 

 

 

 

 本陣を出立した勝家は配下の騎馬兵を従えながら、悠々と信奈の陣へ進軍する。後続からは林通具が率いる本隊が追従していた。

 

「六様、余計な忠言と心得ますが、敵方守勢なれど努々油断召されぬよう。」

 

 先頭を行く勝家に、年若い侍が側に馬を寄せ話しかける。

 彼の名は毛受勝照。若くして勝家も認める勇猛さと忠義心の高さから側近に抜擢され、猪突猛進が過ぎる勝家の参謀という名のブレーキ役を担っていた。

 

「わかっているさ勝照。あの姫様が考え無しに守勢に転じる筈がない。必ず何か仕掛けてくる。」

 

「でありましょう。しかし、先程本隊を様子見しましたが酷い有り様でした。一様に士気が低く、此度の戦の意義を見出だせていない様子。」

 

「仕方無いだろう。本来なら味方同士による内輪揉めだ。血気盛んなのは林達くらいだろう。」

 

「それを知っていながら先陣を切らねばならぬのだから、なんとも歯痒い物ですな。」

 

「…それが武門の習いならば、我らは自分達が最善と信じたやり方を全力でやりきるしか無い。さあ、話はこれまでだ。」

 

 柴田勢の目の前に構えるは織田家筆頭家老、佐久間信盛の軍勢である。

 

「見たところ鉄砲は無さそうだ。だが、相手にとって不足は無し。皆の者、いざかかれぇっ!」

 

 勝家の号令に柴田勢約三百が一気に攻め掛かった。

 

 

 

 

「信盛様、柴田勢が来ます!」

 

「うむ、姫様の予想通りであるな。弓兵、構え!」

 

 信盛の号令に弓兵達が一斉に己の武器を引き絞った。

 

「さあ、よく狙うのじゃぞ……今じゃっ、放てっ!」

 

 信盛が采配を振るうと同時に、数多の矢が放物線を画き柴田勢に降り注ぐ。それによって軍勢の足並みが僅かに鈍るが、先頭を行く勝家の騎馬兵の猛勢を止めるには至らない。

 

「柴田勢ぶつかりますっ!」

 

「慌てるで無いっ!十分に引き付けよ。」

 

 浮き足立ちかける兵を諌め、信盛はじっと攻め寄せる柴田勢を凝視する。

 

「まだぞ……まだ…まだ…。」

 

 ジリジリと米神から汗を滴らせながら、信盛はその時を待ち続けた。そして、時は至った。

 

「今じゃっ!避けよっ!」

 

 その言葉と共に佐久間勢の兵達が重厚な構えを解き、勝家の目の前で海を割るかの如く両脇に掃けた。

 

「なにっ!?」

 

 咄嗟に勝家は手綱を引くが、馬の勢いそのままに陣中へと吸い込まれてしまう。

 後ろを向けば、勝家達と後続との間にできた間隙に避けた守兵が殺到し、再び堅守の構えを作っていた。

 

「しまった!?分断の策かっ!」

 

 勝家は信奈の狙いを理解し歯噛みする。

 らしく無い守勢の構えも、全てはこれの為。頑強な陣構えを前にすれば、徒に戦を長引かせたくは無い勝家は自ら先陣を率い、前掛かりになって突撃を仕掛けてくると読んでいたのだろう。

 加えて先程の散発的な弓矢も、思い返せば勝家の周りだけ矢の雨が薄かった。恐らく、それも勝家の騎馬隊を先行させ周囲との足並みを乱す目的があったのだろう。

 その結果、勝家と周りの二十騎ばかりが突出する形となり、誘い込まれるかのように分断されてしまっていた。

 

 敵中孤立の危機に、毛受勝照も血相を変える。

 

「六様っ!このままでは危おう御座います!すぐに反転し後続と合流を!」

 

「…致し方ない。一旦退却し、態勢を立て直すぞ!」

 

 部下に指示を出し、馬の頭を変えようと手綱を引こうとする勝家。しかし、それを阻まんとする者が現れた。

 

「待ちやがれっ、柴田勝家っ!」

 

 突如として自分の名を呼ばれ、勝家は声のした方を振り向く。

 そこには、黒い南蛮風の衣服を上下に着こなし、槍を地面に突き立て勝家を睨む若い男がいた。いつか見た、未来人を名乗る男である。

 

「俺の名は織田信奈の家臣、相良良晴!同じ信奈の家臣でありながら、信奈を裏切って信勝とか言う馬鹿野郎に付きやがったてめぇの事が許せねぇっ!一対一で俺と勝負しやがれっ!」

 

「な、なんだとっ!?」

 

 まさかの一騎討ちの誘いである。

 これには勇猛で知られる勝家配下達でさえ唖然としてしまう。織田家随一の武辺者にこの場で挑むとは、あやつもしや実はかなりの実力者なのかと、良晴の事を見てしまっていた。

 そんな勝家達を尻目に、今度は良晴の影から痩せた小男が現れた。秀吉である。

 

「やややっ!あの猛将柴田様に挑むとは、大した心意気を持つ若武者がいた者じゃ!さあ柴田様、如何なさりますか!?まさかこれ程まで熱烈に誘われて、逃げるというのは為さりますまい。」

 

「………六様、これは。」

 

「ああ、間違い無く罠だな。」

 

 ここまでの信奈方の戦法を見る限り、信奈は勝家達を孤立させる事に拘っている。

 となれば、ここで一騎討ちを挑むのも勝家達をここに釘付けにし続ける為に他ならない。

 であれば、誘いを無視するのが得策である。

 

「どうした勝家!返事が無いぞビビってんのか?」

 

「はははっ、まさかそんな事は無かろうて。あの織田家随一の武勇の持ち主が一騎討ちを恐れて名乗りを返さぬなど、有り得ぬ話じゃっ!」

 

「…六様。」

 

「わかっている。露骨な挑発だ。あいつらに付き合ってやる理由等無い。」

 

「ヘイヘイへ〰イ、マジでビビってんのかよ!?うっわぁ〰こんな奴が織田家一番の武将を名乗るとか有り得ねぇだろっ!」

 

「なんとっ!本当に臆されてしまいましたのかっ!?あの柴田勝家がっ!あのかかれ柴田と勇名馳せられる柴田勝家がっ!」

 

「……六様?」

 

「案ずるな勝照。あの程度の罵声、大したものでは無い。この私があやつらの挑発で釣られる訳が…」

 

「つうかさっきから馬を走らせる度に巨乳がバインバイン揺れてんだよ!なんだ誘ってんのか?誘ってんだろ!誘ってんだな!?じゃあ一回揉ませて下さいお願いします!」

 

「何っ!?ずるいぞ良晴!儂だってあの宝玉を揉みたいし、吸いたいし、挟みたいのじゃぞ!柴田様っ、どうか儂も一戦御願い致します!」

 

「よし、あの二人殺そう。」

 

「六様っ!?」

 

 勝照が止めようとするも、時既に遅し。勝家の目は殺る気マンマンになってしまっていた。

 勝家は馬を降り、肩を怒らせ良晴の前に進み出る。

 

「貴様、私に一騎討ちを挑む気概だけは認めてやる。だが、その口から垂れた謗りは後悔させてやる故に覚悟せよ。」

 

「へ、へへんだ!やれるもんならやってみな!」

 

 勝家から発せられる怒気に圧されながらも、良晴も何とか口上を返す。

 お互いに槍を構えれば、不思議な静けさが周囲に流れる。だが、それも一瞬の事であった。

 

「いくぞ相良良晴。我が槍の錆びとなれっ!」

 

「来やがれ!柴田勝家っ!」

 

 二人の槍が、いま交差した。

 

 

 

 

 勝家と良晴が一騎討ちを始めた頃、信奈は万千代と共に本陣にてその様子を眺めていた。

 

「サル達は上手いこと六を吊り上げたみたいね。最後はなんか本音が混じってそうだったけど。」

 

「まぁまぁ姫様、そのおかげで予定通りに事が進んでるのですから、六十点はあげても良いかと。」

 

「なんか釈然としないけど、まあいいわ。他はどんな感じかしら?」

 

「佐久間様の方は何の問題もありません。完全に相手の勢いを殺しています。」

 

 万千代の説明の通り、佐久間信盛は陣外に残された柴田勢、並びに林通具に率いられた信勝軍本隊の攻勢を見事に防いでいた。

 これを成せたのは柴田勢を率いる勝家が不在の上、信勝軍の士気が著しく低かったのもあるが、それを抜きにしても信盛の采配の妙が冴えたのがあった。

 

「信盛のやつ、あまりうだつの上がらない凡将かと思っていたけど、こういった戦だと中々見るべきところがあるわね。」

 

「我が軍は若い武将が多いだけに、攻勢に長けてても守勢になると脆い部分がありますから。佐久間様のような方は貴重です。」

 

 勢いがものをいう攻勢に対し、経験と冷静な判断力が肝となる守勢において、先代信秀の頃から従軍経験のある信盛は守りに関しては織田家全体で見ても最も適した武将と言えた。

 

「やっぱり、実際に戦場に出てみないと分からない事は多いわね。信勝はそれを理解していない。」

 

 信奈は複雑な表情をしながら弟のいない敵陣を見る。

 きっと信勝は知らないのだろう。大将の有無が部隊の士気にどれ程影響を与えるのかを…

 

「途にも角にも、この戦を終わらせる事が先決ね。」

 

「はい。ここまでは上手くいっています。あとは皆様の頑張り次第です。」

 

 万千代の言葉に頷き、信奈は祈るような気持ちで戦況を見守り続けた。

 

 

 

 

 良晴と秀吉の挑発に勝家が乗るよる形で始まった一騎討ちは、ある意味で膠着状態、別の言い方をすれば勝負になっていなかった。

 

「このっ、貴様いい加減に突かれろっ!」

 

「そんな事言われたって、誰がやられるかっての!」

 

 勝家は勝負が始まってから何度目かの必殺の突きを繰り出すが、良晴はそれをギリギリで避ける。

 このやり取りも既に十数回にも及んでいた。

 

「くそっ!貴様から挑んだ勝負だろうが!なぜ一向に攻めて来ない!?」

 

「攻める気はあるさ。ただ、勝家の攻めが激しすぎて攻めたくても攻めれないのさ。そんなに胸を揉まれるのが嫌か?」

 

「当たり前だあああああ!」

 

 良晴の言葉に激昂し勝家が攻めを激するが、それすらも良晴は避け続けた。

 事実、これまで良晴が勝家に対して攻めに転じた事は一度もない。というのも、良晴はそもそも勝家に一騎討ちで勝つつもりなど一切無い。

 あの日、良晴が信奈から命ぜられた役目は、勝家に一騎討ちを臨み出来る限り勝負を長引かせる事であつた。

 

(しかし、ただ相手の攻撃を避け続けるだけとはいえ、あれほどの刺突を何度も避けることなど並みの武将では不可能じゃ。その上で、良晴を当てるとは流石信奈様じゃの。)

 

 傍らで二人の勝負を見守る秀吉は主の采配に感嘆する。

 信奈の家来となって以降、良晴は時折犬千代に教えを乞い槍の演練を行っていた。

 その際、犬千代は良晴に槍の才は無いとしていたが、攻撃を避ける事だけに関しては槍の名手である犬千代をしても捉えられぬ才を見出だしていた。

 その事を犬千代から聞いていた信奈は、勝家を釘付けにする大役を良晴に与えたのであった。

 

「はぁ、はぁ、いい加減、私に突かれろ。」

 

「はぁ、はぁ、さっきから、同じ事ばかり言ってんぞ。」

 

 攻め疲れ肩で息をする勝家であったが、避け続けた良晴も疲労の色が濃い。この勝負、どちらの体力が長く持つかの勝負となっていた。

 

「六様、相手は既に限界です。このまま休まず攻め続けて下さい。」

 

「ああ、分かっている。」

 

「良晴、あともう少しだけ無理をしてくれ。そうすれば奴ならきっとやってくれる筈じゃ。」

 

「はぁ、はぁ、了解!」

 

 何とか良晴を仕留めようとする勝家達に対し、良晴と秀吉はずっと待っていた。

 勝家達にとって早期に信奈に降伏を迫る事が勝利ならば、秀吉達にとっては事が済むまで耐え続ける事が勝利である。その知らせが届くまで、良晴は何度も耐え続けた。

 死を覚悟するほどの刺突を避け、頭部を掠める凪ぎ払いに肝を冷やしながらも、心を折らずにその時を待った。

 そして、蒼天に一筋の白煙が登った時、秀吉は自分達の勝利を悟り、良晴と勝家の間に割って入った。

 

「双方それまでじゃ!」

 

「何っ!?貴様、一騎討ちに割って入るとは何事だ!」

 

「最早この一騎討ちに意味は無し!あれを見よっ!」

 

 勝負を止められた勝家が秀吉に詰め寄るが、秀吉は勝家を押し退け天を指す。

 秀吉が指差す先には、信勝の居城である末森城から立ち上る白煙があった。

 

「なんだ、あの煙は…」

 

「あれは我らが別動隊がそなたらの城を落とした合図よ。城を落とされ、主君を押さえられた以上、貴様らの負けじゃ!」

 

「そんな馬鹿なっ!?姫様は全軍を以てこの決戦に臨んだのではなかったのか!?」

 

「ほぼ全軍ではある。お主らに悟られぬよう五十人ばかりで強襲隊を作り、戦が始まったと同時に攻めさせたのよ。」

 

「だ、だけど、城に兵が少ないとはいえ、そんな少数で城攻めを成功させる将がどこに…」

 

「いるのだそれが。いや、この場合は呼び戻したと言うべきか。」

 

「呼び戻した?」

 

「ああ、武勇凄まじき忠犬をのう。」

 

 

 

 

 

 少し時間を巻き戻すと、末森城は混乱の極致にあった。

 勇ましく戦場へ向かった主力を見送り、城に残ったのは城主信勝の取り巻きの女達が百名と、五十人ばかりの守備兵、そして信勝本人のみであった。

 彼らは此度の戦の当事者にありながら、どこか遠い世界の事のように捉え、ただただ勝利の吉報を待つばかりであった。

 故に、別動隊による強襲に完全に虚を突かれ、あっさりと門を抜かれてしまう。

 そのまま碌な反撃も出来ず、守備兵達は我先にへと城を逃げ出した。

 

「い、いったい何が起きているんだ!?どうして姉上の軍勢がここに!?」

 

 信勝は事態を把握仕切れず、自身の私室で右往左往するばかりである。

 それでも、なお城を抜け出さなかったのは、肩を寄せあい体を震えさせる自身の取り巻き達を見捨てられなかったからかもしれない。

 だが、終局の足音は容赦なく信勝の元へとたどり着く。

 

「…いた、信勝様。どうか御覚悟を。」

 

「そ、その声は!?」

 

 襖を開けられる音と共に信勝の耳に届いたのは、先日放逐された筈の犬千代の声である。

 なぜここに彼女が、と驚愕する信勝であるが、振り向いた先にいる犬千代を見て絶叫した。

 

「ど、ど、ど、どうしたんだ犬千代っ!?その怪我わぁっ!?」

 

 犬千代の右目の下には矢が刺さっており、そこから涙の如く赤い血が滴り落ちていた。

 あまりの痛々しさに信勝は顔面蒼白となり、取り巻きの女は悲鳴を上げて気を失した。一方で犬千代本人はいたって平常通りであった。

 

「…門を攻めた時やられた。ただの怪我、大したこと無い。」

 

「大したこと無い訳無いだろっ!女の子が顔に傷を付けるなんて…」

 

「…信勝様、これは戦。命を落とす事もあり得る中で、怪我はマシ。」

 

 この言葉に信勝は絶句し、腰を抜かしてしまう。そんな信勝に犬千代は膝を折って視線を合わせると、両目で真っ直ぐに見つめる。

 

「…戦場はいつ誰が命を落としても不思議じゃ無い。そんな場所でも姫様は常に出向いて皆を率いている。だから姫様は戦が終わったあと、いつも血と泥に汚れている。そんな姫様だから犬千代達も力の限り戦う。ねぇ信勝様、」

 

 犬千代の目尻から落ちた血が、真新しい畳にシミを作る。

 

「信勝様の手は、どうしてそんなに白いのですか?」

 

 その問いに、信勝は答える言葉を持っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 その後、戦場にて末森城が落ちた事が伝わると、信勝軍の動揺は凄まじく、完全に統制を失ってしまう。

 そこに信奈が現れると、大声で次のように告げた。

 

「あんた達の主君、信勝は降伏したわ。これからあんた達が選べる道は二つ。一つは私に詫びを入れ、今後は私の下に付くこと。もう一つは、なおも私の首をねらうことよ。」

 

 二つ目に示された選択肢に、信勝軍のみならず自軍からもどよめきが起こる。

 

「一つ目の道を選ぶなら良し。今回の一件を忘れ、これまで通り家来として遇するわ。二つ目を選ぶなら、それもまた良し!刀、槍、弓、鉄砲、いかなる武器であろうと私自ら相手をするわ。存分に掛かって来なさいっ!」

 

 啖呵を切って獰猛な笑みを浮かべる信奈に対し、なおも戦いを挑もうとする者はおらず、ほとんどの兵が武器を捨て、膝を屈した。

 

 こうして稲生の戦いは信奈軍大勝利に終わり、名実共に織田信奈は尾張における支配権を確かなものとした。

 

 その一方で、敗者である信勝は決断の時を迎えていた。

 

 

 

 戦に負け、敗戦の帰路についた信勝軍の足取りは一様に重いものであった。武器を捨てる事を条件に城へ戻る事を許された勝家は、敗軍の将として信勝に目通りを願い出ていた。

 

「信勝様、此度の敗戦の咎は敵の術中に嵌まった私にあります。如何なる沙汰も受ける覚悟にあります故、どうか配下の者達には寛大な処置を…」

 

 だが主君に向かって土下座をし、切実な声色で願い出る勝家に返ってきたのは、まったく予想だにしない言葉であった。

 

「いや、勝家達はよくやってくれたよ。無事に帰って来てくれただけでも嬉しいよ。」

 

「は?」

 

 主の言葉に驚愕し、思わず頭を上げた勝家の目に写ったのは、思い詰めた様子の信勝であった。その様子に勝家は信勝の変化を感じ取った。

 

「ねえ勝家、この戦で死んだ者はいる?」

 

「え?それはまぁ、少なくはありますが…」

 

「その者達は今どこに?」

 

「ええと、身元を確かめる為、門の前に並べられて…」

 

 勝家が言葉を終えるよりも早く、信勝は立ち上がると門へ向かって歩を進めた。

 

「信勝様、どちらへ?」

 

「会いに行く。この戦で死んだ者達のもとへ。」

 

「しかし、それは…」

 

「頼む勝家!ここで僕は会わなきゃいけないんだ!」

 

 どこか必死めいた信勝の有り様に勝家は言葉を失ってしまう。それでも、ここが主の分水嶺であることを感じ取り、真剣な面持ちとなり視線を合わせた。

 

「…分かりました。では私が案内しますので、着いてきてください。」

 

「ああ。」

 

 信勝は勝家に導かれ、城の外へと出る。

 そして普段は演練に使われている広場へと連れて行かれると、そこには筵に寝かされた物言わぬ骸が二十体ばかり並べられていた。

 

「こんなに、死んだのか?」

 

「ここにあるのは末森近辺の兵で編成された軍より出た死者のみですので、全体ではもっと多いです。」

 

 それでも通常の戦よりかは大分少ないですが、と続ける勝家の声は聞こえていないのか、信勝は呆然としたまま並べられた死体を眺めるばかりであった。

 

「もし、あなた様は末森の城主様では御座いませぬか?」

 

 呆然とし続ける信勝に声をかけたのは、顔の皺の深い老父であった。

 突然声を掛けられ信勝は我に返ると同時に困惑する。

 

「あ、うん。僕が末森の城主だけど。」

 

「ああ、なんと有難い事か!城主様自ら弔いに来て頂けるとは。これで娘も浮かばれます。」

 

「えっ?娘?」

 

「はい。これに御座います。」

 

 老父が示す所には、筵によって姿を隠された骸がある。その形から、骸が女であることが窺えた。

 

「…見ても、よいか?」

 

「は、はあ、城主様が望まれるのであれば。」

 

 老父の許可を得て信勝は筵を捲った。

 そこには真っ白な顔をした若い女武士が眠っていた。蝋のように肌が白い事と、首もとに刺さった矢さえ無ければ、本当にただ眠っているだけに見えただろう。

 

「娘にとってこれが初陣でした。必ずや手柄を立て、城主様に喜んで頂くのだと意気込んでおりましたが、天運悪くこのような事に…」

 

「…天運だって?」

 

「はい。ですがこうして城主様から弔いを受け、娘も喜んでおるでしょう。ああ、有難や有難や。」

 

 手のひらを合わせ感涙する老父の声を背に、信勝はもう一度女の骸を見る。

 よく見れば手は泥に汚れ、武具を強く握り締めたせいか爪の先は割れている。足元も同様だ。本来なら清く美しくあるべき女の体は、戦によって傷と汚れにまみれていた。

 

 信勝は己の体を見返す。何処にも傷は無く、清潔に卸された綺麗な衣服に纏われた体。

 眼前に手をやれば、日に焼けて無い、白く汚れなき手がそこにあった。

 

「何が…何が天運が悪かっただっ!」

 

 突如として絶叫し、信勝は拳を地面に叩き付けた。

 

「じょ、城主様!?」

 

「何をやっておられるのですか信勝様っ!」

 

 老父と勝家が慌て止めるが、信勝は何度も拳を振り上げ地面を殴る。

 皮膚が裂け、血が地面を濡らそうと、信勝は拳を振るうのを止めなかった。

 

「何が、何が天運が悪いだ!悪いのは…僕じゃないか…」

 

 血で濡れた大地に涙が零れ落ちた時、信勝の手は漸く止まった。白かった手は血と泥に汚れている。

 

 

 今宵はこれまでに致しとう御座います。




・毛受勝照
 柴田勝家の小姓から側近にまでなった武将。
 その武勇は勝家から高く評価され、自軍の旗印が敵に奪われた時はたった一人で敵中に飛び込み、旗を奪い返して来ると再び敵陣へ飛び込んで行き勝家を喜ばせた。
 最後まで勝家に付き従い、25歳にして主と運命を共にした忠義の士である。

・稲生の戦いにおける犬千代の活躍
 原作において犬千代は稲生の戦いに不参加だが、史実では前田利家はこの戦いに従軍し、大きな手柄をあげている。そもそも利家が出奔したのは稲生の戦いを後の事である。
 ちなみに右目の下に矢を受けたのは史実通りである。
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