太閤転生伝   作:ミッツ

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今回の話には、一部グロテスクな表現が含まれます。
苦手な方はご注意下さい。


愚か者の末路

 末森城の評定の間には、重苦しい空気が流れていた。

 上座に座るのは城主である織田信勝、その横には信勝と信奈の生母である土田御前。

 その二人の対面には勝家が神妙な面持ちで座していた。

 他には誰も居らず、普段は信勝の周りを固める御付きの侍女達も、三人を慮り席を辞している。

 

「…先程、清洲より使者が参りました。明朝、清洲城へ参上せよとの事。その際、供の者は一人のみ認めるとも。」

 

 一言一言噛み締めるように勝家が言葉を紡ぐと、土田御前はギュッと口を一文字に引き絞り、信勝は黙したまま静かに目を瞑った。

 

「…勘十郎、母に木曽への伝手があります。今日中に尾張を逃れ、事が収まるまで身を潜めよ。」

 

「大奥方様、しかしそれでは…」

 

「一度ならまだしも、勘十郎が謀反を起こすは二度目。助命を嘆願したところで、信奈が簡単に慈悲を与えるとは思えぬ。口惜しくはあるが、今は雌伏の時。ほとぼりが冷めるまで、大人しくするのがよかろう。」

 

 織田家の前当主、信秀が娘の信奈を寵愛したのに対し、二人の母である土田御前は昔から信勝のほうを可愛がっていた。

 幼い頃から突飛な行動で周りを振り回し、当主に指名されてからも行動を改めるどころか、父の葬儀の場で暴挙に至った信奈の事を土田御前は許しておらず、冷淡な対応に終始していた。

 一方で、聞き分けの良く礼儀作法に通じた信勝には殊更寵愛を向けており、この度の謀反にも口添えをしていたほどである。

 

 そんな母の愛情を一身に受けきた信勝は、この時初めて母の意思に反する行いをとった。

 

「勝家、明日の供をお願いしても良いかな?」

 

「…勘十郎っ!何を言っているのです。信奈はお前を殺すつもりかもしれぬのですよ。そのような場に行くなど、母は許しませぬ!」

 

 姉の命に従おうとする勝信を叱責する土田御前であるが、勝信は黙って首を振った。

 

「母上の御忠言、誠有難き事にござります。されど勘十郎は、敗軍の将の務めを果たしとうござります。」

 

「勘十郎…」

 

「僕はこれまで、武家に生まれながら戦が何たるかを何一つ理解していませんでした。戦に携わる者たちの気持ちも、将が負うべき責任も、何一つ、何一つ分かっておりませんでした。今はそれが、恥ずかしくて恥ずかしくてたまりませぬ。」

 

 そう語る信勝は瞳にうっすらと涙が浮かべながらも、己に向けての怒りで眉間には深々と皴が刻まれていた。

 信勝が見せる初めての表情に、土田御前のみならず勝家も言葉を失ってしまう。

 

「その恥を知りながら、尚も自らの責に背を見せては、もはや僕は武士の子を名乗る資格を失いましょう。それほどまでの恥の上塗りを、僕はしたくは有りません!例え白扇を与えられることになろうとも、姉上のもとに参り、此度の所業の申し開きをしとう御座います。」

 

 白扇とは辞世の句を記すための扇の事である。即ち、白扇を与えられる事は切腹を申し付けれるのと同義である。

 信勝の覚悟を知り、勝家は居ずまいを改めた。

 

「…信勝様、私の如き愚将でよろしければ、明日の道中の御供をさせて頂けますでしょうか?」

 

「ああ、もちろんだ。勝家のような勇将が側にいてくれるなら、これ以上に心強い事は無い。」

 

「…勿体無きお言葉にございます。」

 

 頭を下げながら、勝家は己の思い違いを後悔した。

 勝家にとって信勝は、前任の守役が急死したことで代わりに守役を務める事になった仮の主である。

 表向きは従順に其の命に従い、此度の戦でも信勝側の将として参戦しながらも、心の奥底では常に本来の主である信奈と比べ、嘆息していた。

 はた目から見ても、大名としての信勝の気構えは信奈より遥かに劣っており、態度にこそ出していなかったが信勝に仕えることになった自分は不幸だと嘆いていた。

 それがどれ程の見当違いであったかを勝家は痛感する。

 信勝は己の失態を認め、その責を果たさんとする気概を眠らせていた。それは紛れもなく、人々の上に立つものとしての将器である。

 まだ未熟で、生まれたてのそれであるが、武将として大成するために最も必要とされる上に立つ者として才を、織田信勝という若武者は確かに持っていたのだ。

 

 それに気づくどころか、勝手に見定め、諦めてしまっていた自分は何たる不忠者であろうか!

 

 勝家は奥歯を噛みしめ、己を諫める。せめて明日の供だけは務めを果たさねばならぬ、と心に誓うことしか今の勝家には出来ない。

 

「…勘十郎、もう心に決めているのですね?」

 

「はい、母上。こればかりは誰であろうと心変わりさせられる者は御座いませぬ。」

 

「そうですか。私も武家の女房。我が子が決死を心した以上、異論を述べる所存は有りません。」

 

「…ありがとう御座います。」

 

「されど、もし信奈がそなたの命を奪おうならば、母は一生、あの子を呪いますっ!」

 

 そう言い切ると、土田御前は目元を抑え早足で部屋を出ていく。

 苦し気にその後姿を見送った信勝と勝家は、暫しその場を動くことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 翌日の朝、信勝は城に残った者たちを広場に集めると、次のように語った。

 

「この後、何があろうと姉上の命に従ってほしい。如何なる沙汰があろうと可能な限り皆に責が及ばぬように取り計らうから、決して自棄を起こさず、冷静に判断するように。そして、これからは姉上のもとで誠心誠意仕えてくれると嬉しく思う。」

 

 既に主だった者たちは城を去り、残されたのは侍女たちばかりであったが、信勝の言葉を聞くと彼女らはハラハラと涙を流し、主との別れを惜しんだ。

 それに一抹の後ろめたさを感じながらも、信勝は勝家と共に門前へ向かう。

 門の外に出て少し歩くと、ふと後ろを振り返る。振り返った先では、信勝を見送りに来た者たちが集まっており、その奥に信勝は母を見つけた。

 

「すまない勝家、少し待っていてくれ。」

 

 勝家をその場に残し、信勝は来た道を駆け戻る。そのまま真っすぐに母のもとへ向かうと、少し言葉に迷いながらも口を開いた。

 

「母上、一つだけお願いしたき事があります。」

 

「…なんぞ?申してみよ。」

 

「……来世でも、勘十郎の母になってください。」

 

 その言葉に土田御前の目がハッと見開かれる。やがてワナワナと全身が震えだすと、崩れ落ちるように信勝に縋り付いた。 

 

「……行ってまいります、母上。」

 

 その肩を抱き、耳元で別れの言葉を呟くと、声無き啜り泣きをあげながら尚も縋ろうとする母の手を振り切り、勝家の元へ戻る。

 

「待たせたな勝家。さあ、行こう。」

 

「…はっ!」

 

 母子の別れの場面に胸を打たれていた勝家は鼻を啜り上げ返事をする。

 前を向いた二人は後ろを振り返ることなく、ただ真っすぐに清州へ続く道を行く。

 後ろから自分の名を呼ぶ声が聞こえぬようにただひたすら前のみを見つめ、唇を噛み締めながら信勝は歩を進め続けた。

 

 大きな障害にぶつかることも無く、一刻の歩みにより二人は清州城に到着した。

 城の門番に参上した旨を伝えると、門番も承知していたようですぐに門が開かれた。その際、腰に帯びた刀は預けられ信勝と勝家は丸腰のまま城に案内された。

 

 先導役の導きにより、かつて慣れ親しんだ城内を進んでいけば、評定の間の扉の前に堀秀政が座していた。

 

「良くぞお出で下さいました。中で姫様がお待ちです。」

 

 信勝たちに頭を下げると、秀政は扉の向こうへ声をかける。

 

「姫様、信勝様並びに柴田勝家様がお出でに成られました。」

 

『…通しなさい。』

 

「はっ。」

 

 扉が開かれると、その向こうには湯帷子を片袖脱ぎにした信奈が、片膝を立てた胡坐姿で上座に待ち構えていた。手には指揮棒を持ち、その背後には太刀が置かれている。その表情は普段より一層厳しい物であった。

 その様子に信勝は息を飲むが、大きく深呼吸を行い心を落ち着かせ部屋に入る。

 続いて勝家が部屋に入ると、揃ってその場に跪き頭を垂れた。

 

「織田勘十郎信勝並びに柴田勝家、ただいま参上仕りました。」

 

「……面をあげなさい。」

 

「はっ。」

 

 信奈の指示に従い信勝が姉を見る。

 その相貌をじっと見つめた信奈は、無言のまま自分の前方の床を指揮棒で叩いた。

 それを受け信勝は半立ちになると素早く信奈の前へ進み出る。

 

「勝家、あんたはそこにいなさい。」

 

 信勝に続いて前に出ようとした勝家を信奈は言い留める。

 結果として信勝が一人、信奈に相対する形となった。

 久方ぶりに面を合わせた姉弟の間に、暫し沈黙が流れた。

 

「………取り敢えずは参上ご苦労と言っとくわ。色々言いたいことは有るけど、先ずは此度の件について、あんたの思うところを言いなさい。」

 

「はっ。此度の一件、全ては僕の不徳の致すところです。姉上に置かれましては、多大なご苦労をお掛けしてしまった事、伏してお詫び申し上げます。」

 

「……随分と殊勲な態度ね。何か心変わりすることでもあったのかしら?」

 

「…自分自身の浅ましさに、ほとほと嫌気が差した次第です。思えば僕はずっと姉上に嫉妬していました。父上から寵愛を受ける姉上を、その才を、心の内で敵わぬと思いながらも常にいずれ勝りたいと思っていました。

 此度の一件もそれが高じたものに御座います。そんな浅ましき虚栄心と自尊心に突き動かされ謀反に至った次第に御座いますが、肝心の武人としての心構えは何一つ出来ておりませんでした。

 そのせいで御家の要たる多くの忠臣を死なせたるは痛恨の極み!これに報い、敗軍の将の務めを果たすべく、姉上の面前に参りました。」

 

「……デアルカ。如何なる沙汰も受け入れるという訳ね。」

 

「はい。去れど、どうか此度の戦で僕に付いた者たちには寛大な処置をお願い申し上げます。この信勝、一生の願いに御座りますれば、何卒。」

 

「…良い心掛けね。いいわ。そこに直りなさいっ!」

 

 鋭い声で信勝を指さすと、後ろに置かれた太刀を手に取り信勝の後ろに回る。

 勝家は思わず立ち上がりそうになるのをグッと堪えた。信勝もいよいよその時が来たのだと悟り、腹の胆に力を入れた。

 

「勘十郎、私たちはもっと早くにこうして話し合わなければならなかったわね。」

 

 そう言って信奈は太刀を抜き、その切っ先を信勝の首筋に当てる。信勝の呼吸が一気に乱れるが、それでもその場から動こうとはしなかった。

 背後で信奈が刀を振り上げ、刃を返すのを感じ取ると信勝は強く瞼を閉じた。

 

「…南無三っ!」

 

 生涯最後の言葉を口にし、震える体を押し止めるがため強く拳を握り、信勝はその時を待った。

 

 

 

 

 

 しかし、信勝が覚悟したような斬撃は訪れず、代わりに軽い打撃が首筋を叩いた。

 

「今をもって、これまでの織田信勝は死んだわ。これからは心を入れ替え、私に仕えなさい。」

 

「…………は?」

 

 太刀を鞘に仕舞い、言いたい事だけ言って上座に戻っていく信奈。

 その後姿を呆けた様子で見ていた信勝は、自分が刀の峰で首を叩かれたのだと理解した。

 

「…姉上、これはどういう事ですか?」

 

「言ったでしょう。これからは心を入れ替え私に仕えるようにと。何度も同じ事を言わせるんじゃ無いわよ。」

 

「…僕を赦すと言うのですか?」

 

「赦すとは言って無いわ。それは今後のあんたの働き次第よ。もしまた今回の様に謀反を起こす兆候が少しでもあったり、織田家の武将として満足な働きが出来なければ、その時は容赦しないわ。」

 

「しかし、それではっ!」

 

「なに?私の沙汰に不満があるの?」

 

 信勝の言葉に機嫌を悪くした様子の信奈はギロリと信勝を睨む。それに一瞬威圧されそうになるが、信勝は姉から視線を逸らさず口を開く。

 

「御言葉ですが、此度の一戦で命を落とした者達が御座います。いずれもが織田家の未来を支え得る若武者達です。その命を徒に奪ったのは、他でも無い僕の愚かな考えに依るものです。」

 

「戯け。戦に参陣した以上、誰しもが死ぬ可能性が有り、それを覚悟しなきゃならないわ。戦場での死者の責を一人で背負い込もうとする事こそ、傲慢よ。」

 

「それでも、僕は自分が赦せません!多くの者を死に向かわせる失態を犯しながら、おめおめと一人生き続けたところで、どうやって死んだ者達に報いれば良いのですか!」

 

「ならばこそ生きなさいっ!」

 

 信勝の悲痛な叫びに、信奈は毅然として言葉を叩きつける。その瞳には激情にも似た強い意志が宿っていた。

 

「失態をしたから責任をとって死ぬ?甘ったれた事言ってんじゃ無いわよっ!腹を切ったところで死んだ者は甦らないし、失態も取り返せない。ただの自己満足でしか無いわ!

 死んだ者達の分まで生きてっ、生きてっ、生き抜いてっ、犯した失態以上の手柄をあげる。それで初めて、死んだ者達に報いる事が出来るのよっ!」

 

「あ、姉上…」

 

「私だってそうよ。戦場での決断を後悔したことは一度や二度じゃないわ。父上の葬儀に限らず、どうしようも無い失態をしてしまった事もある。

 それでも私の夢を信じ、共に戦ってくれる者達の為に、失敗を乗り越え、私は必ず夢を実現させてみせると誓っているの。」

 

 そう言って信奈は、信勝に向かって優しげな笑みを浮かべる。

 

「此度の私の失態は、あんたとキチンと話し合って来なかった事。だからこの戦の責は、私達姉弟二人で背負わねばならないの。そして二度とこのような戦を起こさない為に、これまで以上に言葉を交わしましょう、勘十郎。」

 

「………は、はいっ!姉上っ、勘十郎の心は漸く晴れましたっ!これより天に日輪が有る限り、命を懸けて姉上にお仕え致します!」

 

「ふふっ、そう、せいぜい励みなさい。って、どうしたのよ六っ!?」

 

 信奈が目を見開き見つめる先では、勝家が涙と鼻水で顔をグシャグシャにしながら肩を震わせていた。

 

「ぐふっ、よがっだ、本当によがっだ!わだじがぢゃんどじでれば、ごんなごどにはならながっだのにっでおぼっでだがら!」

 

「だからってそんなに泣くこと無いでしょう。」

 

 呆れたように信奈が笑えば、それに釣られて信勝と勝家にも笑みが生まれる。

 なんとも締まらぬ様相を呈してしまうが、それこそが織田家の新たな船出を予感させた。

 

 そんな三人の様子を、良晴と貞勝の二人が襖の影から覗いていた。

 

「本当によかったな、信奈。弟と仲直り出来て。」

 

「うむ。あの様子では信勝様が再び謀反を起こす事はなかろう。これで漸く織田家が纏まると言うものよ。」

 

 そう言って満足気に頷く貞勝であったが、不意に真面目な表情を作る。

 

「しかしながら、もし仮に信勝様が少しでも言い逃れや誤魔化しをするようであれば、姫様は自ら弟君を討ち取られる所存にあったのであろう。」

 

「…ああ、昨日秀吉さんと話しに行った時、そう言ってた。信勝が以前と変わり無いようであれば、自分がその首を取るって。それが織田家当主としての務めだって。」

 

 前日の晩、信長が弟を切る運命にある事を知る良晴と秀吉は、信奈の真意を知るべく彼女のもとを訪れていた。

 その時点では、信奈は信勝の処遇を決め予ており、当主としての務めと肉親としての情に揺れ動いていた。

 そこで秀吉の提案により、当日の信勝の立ち振舞いにより処遇を決定する運びとなったのであった。

 

「でもまぁ、それで信奈が信勝を殺そうとした時は、力ずくでも止めるつもりでいたけどな。」

 

「………相良殿、お主は命が惜しくは無いのか?」

 

「そりゃあ死ぬのは嫌だよ。でも弟を殺したりしたら、絶対にあいつは心に大きな傷を作る。それを止める為なら、いくらでも命を張れるさ。」

 

「…お主、姫様に惚れておるのか?」

 

「なっ!?そんなわけねぇえよっ!誰があんな奴の事なんか!?っていうか、秀吉さんはどこ行ったのかなぁー?今朝から姿を見ないけど。」

 

 貞勝の指摘に狼狽し、露骨に話題を変えようとする良晴であったが、秀吉を気にする素振りに貞勝の顔が僅かに陰る。

 

「木下殿か…あの方なら別の仕事に行っておる。」

 

「別の仕事?それっていったい…」

 

 含みを持たせた言い方に良晴が疑問を覚えるが、結局貞勝はそれ以上の事を言わず、良晴が秀吉が何をしていたかを知るのはかなり先の事となった。

 

 

 

 

 

 

 同じ頃、清洲城外の演練場に信勝に与した武将達が集められていた。

 彼らは末森城落城後、信奈の言葉により降伏を選択し、信勝と同様に謝罪へと参上していた。

 ところが案内されたのは城の外であり、周囲には武装をした兵達が物々しい様子で取り囲んでいた。

 集められた者達は不安を隠す事も出来ず、落ち着き無く周りを見渡していた。

 すると、兵達の体で隠された先から怒鳴り声が響いてくる。

 

「離せっ!離さぬかっ!いったい如何なる所存があってこのような真似をする!?降伏したものは無下に扱わぬのでは無かったのか!」

 

 現れたのは林通具をはじめとした五名の家臣である。全員が今回の一件で挙兵を声高に叫んだ者達であり、その両手と腰には縄が打たれていた。

 そのまま五人は演練場の中心に連れて行かれると、地面の上に膝を着かされる。

 通具は自分達とは別に集められた者達を目にすると、より一層顔を歪めた。

 

「これはどういう事じゃっ!謀反を働いたのはこやつ等も同じ。なぜ我らばかりがこのような仕打ちを受けるのじゃっ!?」

 

「それは貴様らにそうされる理由があるからじゃ。」

 

 その言葉が聞こえた瞬間、通具は体の奥に氷を差し込まれるような錯覚に襲われた。

 振り向けばそこには、見知った猿顔の小男が腰に刀を差し立っていた。

 

「き、貴様は…」

 

「お久しゅう御座います。木下藤吉郎秀吉にございます。」

 

 恭しく礼を取る秀吉であったが、通具は彼に視線を合わせる事が出来ず、自分の足下に目を落としていた。

 秀吉はただただ無表情である。そこには、怒りのような激情は一切感じられ無い。

 だが、その何も無い表情がとてつもなく恐ろしかった。

 何か、自分ではとても考え付かない企みをしているようであり、自分の心の奥底を全て見透かされているような気分になる。

 通具には自分の知る秀吉が、いま目の前に立つ男と同一人物とは思えなかった。

 

「林殿、本日はあなた様に申し開きして頂く事が御座います。」

 

「も、申し開きだと?そんなものする覚えが…」

 

 動揺しながらも、しらを切ろうとした通具であったが、秀吉はその面前に一枚の書状を突き付けた。

 それがいったい何なのかを察し、通具の顔から血の気が引く。

 

「この書状、覚えがあろう。お主の館から見つかったものぞ。内容は本領安堵並びに加増の約束である。そして記されておる花押は、今川のものじゃ。」

 

 それは紛れもなく、裏切りの証拠であった。

 

「ど、どういう事に御座いますか林殿っ!?」

 

「お主ら、今川と通じておったのかっ!?」

 

 集められた者達から怒声が飛ぶ。彼らもまた、林達の裏切りを初めて知ったのであった。

 

「こ、これはその、何かの」

 

「間違いであるとは申されますまいな?これはお主の私室で見つかったものである。それと、お主らの館に尾張の者では無い商人が出入りしていた事も調べがついておる。」

 

「っ!?」

 

 秀吉の指摘に通具は二の句を続けられ無くなる。

 沈黙する他なくなった通具に、秀吉は書状を下げると顔を近づけた。 

 

「さて、もう一度聞こう。なんぞ、申し開きはあるか?」

 

「………こ、これはその、考えがあっての事じゃ。」

 

「…ほう?」

 

「今川は大国。如何に姫様が才気溢れる方であっても、これに敵う筈がない。」

 

「ふむ。」

 

「い、今の俺には今川との渡しがつく!上手く言い含めて、御家の存続を願い出る事も可能なはずじゃ!」

 

 僅かに残った生存の可能性を模索し、かつて蔑んでいた秀吉に対し媚びるかの如く言い寄る通具。

 そんな裏切り者に対し、秀吉は深々と溜め息を吐くと腰に差した刀を抜いた。

 

「の、のう、待ってくれ!決して無理な話では無い!俺には今川家中に繋がりが!」

 

 秀吉は通具に向かって一歩近づいた。

 

「誠心誠意織田家に仕えるっ!心を入れ替え、御家を第一にっ!」

 

 秀吉は刀の切っ先を通具の首筋に当てた。

 

「て、寺に入りまするっ!俗世を棄て、仏門に入りますから、何卒命ばかりはっ、命ばかりはっ!」

 

 そのまま押し込む様に刃を首に差し込んだ。

 血吹雪が飛び、秀吉の手元を赤く染める。

 通具は白目を剥き、口から血泡を吐くと、秀吉が刀を抜くのに合わせて後ろに倒れた。そのままビクン、ビクンと全身を痙攣させたが間もなく動かなくなった。

 

「……死に時を誤った愚か者の末路とは、何時の世も憐れなものよ。」

 

 そう呟くと、秀吉は他の四人に対しても同様の処置を行う。

 悲鳴と命乞いが辺りに木霊するが、それもすぐに収まった。

 血の海の中心に暫しの間佇んだ秀吉は、その視線を別に集められた者達へ向ける。

 そして抜き身の刀を手に近づいて行けば、信勝に付いた者達の顔が恐怖に染まる。

 だが秀吉は、何でも無い様に彼らの面前で刀に付いた血を拭うと、満面の笑みを彼らに向けた。

 

「これより間も無く、今川との間で戦が起きよう。そうなった時、皆々様方の御力が必ず必要となって来まする。その時はどうぞ、信奈様に御力添えを。よろしいですな?」

 

 一同は秀吉の問い掛けに、コクコクと頷く他なかった。

 それに満足気な様子を見せると、秀吉は彼らに背を向けその場を後にする。

 

「……あれは鬼じゃ。」

 

 誰かがそう口にした。

 

 

 

 

 

 

「ご苦労様でした、秀吉さん。」

 

 秀吉が演練場から程近い井戸端で血を洗い流していると、万千代が声を掛けてきた。

 その顔はどこか青ざめて見える。

 

「これは丹羽様、不快なところを御見せしました。」

 

「いえ、その様な事は。誰かがやらねばならぬ仕事でしたし、そもそも本来なら姫様の側近である私が…」

 

「はははっ!御夫人にあの様な真似はさせられませぬよ。」

 

「…木下さん、一つお聞きしても?」

 

「何で御座いましょう?」

 

「以前、いえ、これより先の世で、木下さんは似たような事を?」

 

 その問いに、秀吉の動きが止まる。だがそれも一瞬の事であり、すぐに困ったような笑みを浮かべる。

 

「申し訳ありませぬ。信奈様より、未来について語るのは禁じられています故。では、某はこれで。」

 

 粗方の汚れを落とすと、秀吉は城に向かって歩いて行く。

 その後ろ姿を見送る万千代の胸中には、秀吉に対する怖れが芽生えていた。

 

 

 今宵はこれまでに致しとう御座りまする。




・織田信勝
 通称 勘十郎。かつては信行と言われていた時期もある。
 史実においては信長にとって最初の壁となり、最後は信長の手によって討たれた。だが、彼の子供と妻は信長に保護され、息子は家臣として重用されている辺り、決して憎しみ抜いた相手ではなかったのかもしれない。

・土田御前
 信長と信勝の生母。信長とは折り合いが悪く、信勝を寵愛したと言われているが、信勝が討たれた後は信長と共に暮らし、孫達の世話をしていたらしい。
 本能寺の変の後は孫の庇護に入り、当時としてはかなりの長命だったと言われている。

・林通具
 史実において、兄と共に信勝は立て信長に反抗し、特に強く信長排斥を主張したとされる。
 稲生の戦いで信長本人に討たれたとも言われ、兄もその時は許されたが、20数年後に突然この時の謀反を蒸し返され追放された。

・処刑シーンについて
 この場面は、大河ドラマ『毛利元就』の尼子経久による裏切り者の処刑シーンを参考にしました。
 因みに、尼子経久を演じた緒方拳さんは、自身の主演大河『太閤記』で秀吉を演じているため、そこの繋がりもある。
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