太閤転生伝   作:ミッツ

8 / 51
蝮の国

 時は信奈と道三が聖徳寺会談を終えて暫くした頃に巻き戻る。

 斎藤道三の次男、孫四郎は稲葉山城外にある自身の別宅に客人を招き、歓待の酒盛りを行っていた。

 

「いやはや使者殿、此度も素晴らしき土産、まことに忝ない。信奈殿には宜しく伝えてくれ。」

 

「お喜び頂き恐悦至極に御座います。我が主もその御言葉耳にすれば、御機嫌麗しくに相違無いかと。」

 

「良い良い。信奈殿は我が父道三の義理の娘。即ち、儂にとっては可愛い義妹よ。その妹がこうも甲斐甲斐しく進物奉つるのだ。礼の一つも言わせて貰えねば、兄の立つ瀬が無いと言うものよ。」

 

「ああ、有り難き御言葉に御座ります。ささっ、もう一杯。」

 

 孫四郎は喜色満面に使者の男から酌を受ける。

 彼の元にこの織田からの使者を名乗る男が現れたのは、聖徳寺の会談から暫くした頃である。

 道三が信奈に美濃の譲り状を与えたという噂に国人衆が大いに動じる中、生駒某と名乗った男は信奈の名代を謳い多分な贈り物を孫四郎に進呈した。

 

「これなるは我が主よりの心付けになります。孫四郎様には是非とも心穏やかならざる国衆の皆様への御取り次ぎを御願いしたく御座います。」

 

 孫四郎自身、父道三がうつけと名高い隣国の小娘に国を譲ろうとするのには思うところがあった。普段仲の悪い兄義龍が激怒する様は小気味いいが、それでも自分以外の者が美濃の国主となるのは面白くない。

 生駒はそんな孫四郎を慰め、大量の贈り物でその気を紛らわさせた。

 

「聞けば孫四郎様は元服して間も無く、残念ながら武人としての功績に乏しく存じ上げます。なれど、此度の美濃尾張の同盟を国衆たちに認めさせ、より強固なものとさせられば御父上の覚えも大変目出度いものと相成られましょう。」

 

 そう言う生駒の言葉に背を押され、斎藤家の有力家臣である稲葉一徹のもとに説得に向かえば、稲葉は孫四郎の話に聞き入りその言に同意した。

 稲葉は他にも孫四郎に説得して欲しい者たちの名を上げれば、孫四郎はその者たちのもとへ行き説得し、彼らに承服させていった。孫四郎は自分が手柄を上げていくのを実感し、その切っ掛けとなった生駒に信頼を寄せるようになる。

 

「いやはや、あの時生駒殿の言葉に従っておってよかったわ。改めて儂からも礼を言う。」

 

「いえいえ、過分な言葉に御座います。されど、少し気がかりなことが御座います。」

 

「ん?なんだ?」

 

「義龍様の事に御座います。」

 

 生駒が挙げた名に、孫四郎の顔が憎々し気に歪む。

 孫四郎の兄である斎藤義龍は数年前に父道三より家督を受け継ぎ、斎藤家の当主となっている。

 しかし、国の重大事である尾張との同盟には一切関与出来ずにいた。おまけに信奈に美濃を譲る旨の書状を渡したというのだから、当主としての面子を潰された義龍と道三の関係は過去に無い程悪化している。

 

「兄上には本当に困ったものだ。自分の面子ばかりを気にして、此度の同盟の利から目を逸らしておられる。」

 

「まことに御座います。もし仮に、義龍様が短慮を犯され同盟が反故となれば、道三様も御嘆きになるでしょうなぁ。」

 

 そう言って生駒は大きくため息をついた。

 

「…いっそのこと、孫四郎様が御当主に成られればよいものを。」

 

「っ!?使者殿っ、いったい何をっ!?」

 

「いえ、案外悪くない話だと思いまする。義龍様を廃し、孫四郎様が御当主に成られる。道三様も反対されますまい。」

 

「………。」

 

「その折には、我が織田家も全力で孫四郎様を擁立させていただきます。」

 

「…本当に、儂を推してくれるのか?」

 

 孫四郎の問いかけに、生駒は深い笑みを浮かべる。

 

「はい。それに、我が主は姫大名。いずれどなたかを婿にしてお世継ぎを生まねばなりません。」

 

 生駒は孫四郎にすり寄り、耳元に口を近づけた。

 

「ここだけの話、我が主は孫四郎様を憎からず思っておいでです。正式に両国の同盟が相成りますれば、ご婚姻の話も出てきましょう。主は尾張一の美女と名高いお方。きっと、孫四郎様もご満足いただけるかと。」

 

 

 

 

 

 

 

 別宅を出た生駒はしばらく道なりに歩き、不意に道を外れ木々の生い茂った脇道に入る。

 人気もなく、明かりのない暗闇の中で生駒は頭巾を被り、三河松平家御庭番衆、服部半蔵へと姿を変えた。するといつの間にか、すぐ側に配下の忍びが現れた。

 

「お頭、道三の三男、斎藤喜平次、こちらの話に乗ってきました。」

 

「よくやった。こちらも同様。自分の都合の良い事ばかりを信じる哀れなお方だ。斎藤道三は一流の謀略家だが、我が子の教育には失敗したらしい。」

 

 半蔵は懐から孫四郎に書かせた書状を部下に渡し、手筈通りに目的の場所に届けるよう指示した。

 闇に消えた部下を見送ると、半蔵は小さくため息をつく。

 

「はてさて、これでいよいよ織田は厳しくなろう。まぁ、他家を心配する余裕など我らにはないのだが。全く、何時になれば我が御当主は今川の使いぱっしりを抜け出せるのやら。」

 

 疲れ気味の半蔵の愚痴は、月なき闇夜に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 その翌日、斎藤家当主、斎藤義龍のもとに配下の稲葉一鉄より二枚の書状が届けられる。それは、昨夜半蔵が部下に預けたものであった。

 二枚の書状を丹念に改めた義龍は、その強面を顰めながら書状を投げ捨てた。

 

「孫四郎と喜平次は儂を追い落とし、織田の助けを借りて当主に納まるつもりらしい。まったくもって気に食わん。」

 

「…心中お察しします。まさかあの二人が殿に謀反をしようとしていたとは。」

 

「…一鉄、儂が気に食わぬのは、我らを利用し利を得ようとする者たちだ。あの二人の事などどうでもよい。それが分かっていながら、その策に乗ってやらんといかんこの状況も気に食わん。そうは思わぬか、一鉄?」

 

 弟二人がほぼ同時に謀反を企て、その証拠が同日のうちに自分の手元に送られる。どう考えても誰かの意思があっての事である。

 疑わしい目で一徹を見るが、当の本人は気にした素振りを見せない。

 

「…成れど、遣るべき事は遣らねば成りますまい。」

 

「…ふんっ、分かっておるわ。一鉄、孫四郎と喜平次を呼べ。始末は弘就につけさせる。」

 

「はっ!」

 

 主命に応えるべく一鉄は短く返答し部屋を出ようとする。

 

「まてっ、一鉄。」

 

 その間際、義龍は一鉄を呼び止めた。

 

「これだけは言っておくぞ。儂を裏切るなよ、一鉄。」

 

「…ははっ。」

 

 再び短く返答すると、一鉄は今度こそ部屋を後にした。

 

 

 その後、義龍が急病により床に臥せたという知らせを受けた孫四郎と喜平次の二人は稲葉山城に登城し、稲葉一徹より歓待を受けた。そして酒も入り、二人に酔いが回った頃を見計らい、義龍の寵臣である日根野弘就が強襲し二人を斬殺した。

 道三がそれを知ったのは二人の遺体が城より運び出されたときである。

 遺体を目の当たりにした道三は大いに取り乱し、二人の遺体に縋り付くとその血を自身の顔に塗り稲葉山城の天主に向け吠えた。 

 

「義龍っ!この血を見よっ!この血の匂いを嗅げっ!これが血を分けた弟になす仕打ちかっ!?儂は貴様を許さぬっ、許さぬぞっ!」

 

 その叫びに義龍が答えず、背後に並び立つ重臣たちにのみ聞こえる声で呟いた。

 

「我が殺したるは美濃に仇なす謀反人。害虫である。これを庇うは肉親に非ず。道三はわが父に非ず!」

 

 こうして親子の絆は別たれ、美濃の国は二つに別れた。

 道三は稲葉山城を去ると大桑城に逃れ、そこで挙兵。対する義龍も陣触れを出し、同調する家臣団を招集した。

 両軍は長良川を挟んで対陣し、ここに史実における長良川の合戦が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 一方で稲生の戦いが終わり、織田家中が信奈のもとで一つにまとまったことで尾張の混乱は急速に収まりつつあった。

 それでも戦死者たちの遺族への補償と並行し、敗者である信勝に付いた家臣たちへの安堵状を発行したりと、信奈は相変わらず忙しい様子である。

 

 そんな最中である。美濃より落ち延びてきた斎藤家の姫が清州城の門前に現れたのは。

 斎藤家の姫、帰蝶を織田家に送り届けた使者は信奈に対して道三より託された一枚の書状を渡した。その中身を改めた信奈は目を見開き震えると、眉間に深いしわを作り側衆の秀政に秀吉と良晴を呼んでくるよう命じたのであった。

 

 

 

 

「よう信奈、来たぜ。」

 

「これ良晴、毎度の事じゃが信奈様に対する言葉使いというものをなぁ…」

 

 いつも通りのやり取りをしながら秀吉と良晴は評定の間に入ってくる。しかし、予想していた信奈からの叱責は無く、代わりに重苦しい沈黙が二人を出迎えた。

 異常を察し素早く信奈の前に進み出ると、二人並んで床に坐した。

 

「…さっき、美濃からマムシの娘が来たわ。」

 

「マムシのおっさんの?」

 

「ええ、美濃の情勢が悪くなったから尾張に落ち延びてきたのよ。マムシの遺言を携えてね。」

 

「なっ!?遺言ってどういうことだよっ!」

 

 良晴の問いかけに信奈は使者が持ってきた書状を二人の前に差し出す。この時代の文書に不慣れな良晴に代わり、秀吉が中身を確かめる。

 

「…なるほど、美濃の国衆はほとんどが道三様では無く義龍に付いた様子。戦力差は五倍以上、万に一つも道三様が勝利する目は御座いませぬなぁ。しかも、援軍は無用と有りまする。」

 

「なんだって!すぐに援軍に行かねえと!」

 

「待て、良晴。信奈様、恐れながら申し上げます。此度の斎藤道三入道の危機、お救いに向かうは危険多くは利少なき事に御座ります。」

 

「ちょっと待ってくれよ。秀吉さん、何でそんな事を…」

 

「織田はいま、今川との一戦を目の前に控えておりまする。ここで美濃に兵を向けるは今川に付け入る隙を与えるに等しき事じゃ。」

 

「た、確かにそうかも知れないけど、でもマムシのおっさんが死んだら…。」

 

「むしろ義龍が道三様を討ち取られれば、信奈様は義父殿の仇討ちという大義名分を得られましょう。つまり、今後で美濃攻略を見据えるうえで、道三様には死んでもらった方が都合は…」

 

「秀吉さんっ!」

 

 秀吉の言葉を遮り、良晴は厳しい表情で秀吉の横顔を睨む。それを気にした様子を見せず、秀吉は真剣な面持ちで主君を伺っていた。

 秀吉の言を聞いても信奈は取り乱す事は無く、じっと目を瞑り己の思考に没頭していた。

 

「………私の事を最初に認めてくれたのは父上だったわ。そして世界について教えてくれて、私の夢を形作らせてくれたのは南蛮の宣教師よ。二人の事が私は大好きだった。けれど二人とも死んで、私の前から姿を消したわ。」

 

 その言葉は織田家当主としてでは無く、織田信奈という一人の少女の偽り無き本心よりの言葉だった。

 信奈の語りを秀吉と良晴は黙って聞き入る。

 

「マムシは私の大望を認めてくれた。そしてその夢を応援してくれるとも。もしかしたら、美濃の動乱の原因も私の夢を後押ししようとしたからかもしれないわ。」

 

「……故にお助けしたいと?」

 

「もっと単純よ。私はマムシが好きなの。私は私が好きになった人にこれ以上死んで欲しくない。それだけよ。」

 

 秀吉の問いに答えると、信奈は上座を降り二人のもとへ近づき腰を折って視線を合わせた。

 黒耀の瞳に二人の姿が写し出される。

 

「織田家当主として正しく無いのは承知してるわ。それでもマムシを救う術があるなら、たとえそれが水に浮かぶ藁であっても、私は掴みたい。」

 

「………秀吉さん。」

 

 良晴が再び秀吉の横顔を見詰める。

 秀吉の顔からは表情が消え、思案の海に思考を漂わせていた。

 暫しの沈黙の後、秀吉の口がおもむろに動いた。

 

「兵を動かすのが無理として、他に出来ぬ事はありますでしょうか。」

 

「よほど常識外の事でなければ特には。マムシを救うためなら、私に出来る事なら何でも。」

 

「…そうで御座いますか。それならば何とかなりましょう。」

 

「それじゃあっ!」

 

 ここに来て信奈は初めて表情を緩ませ、それに応える様に秀吉も白い歯を見せる。

 

「信奈様、心配御無用に御座います。この秀サルに秘策が有りますれば、必ずや道三殿の御命をお救い致しまする。」

 

「デアルカ!よく言ってくれたわ。その言葉が嘘にならぬ様に励みなさい。」

 

「ははっ!然らば、時間もありませぬ故、すぐにでも準備を致しまする。」

 

「あっ、ちょっと待ちなさい。」

 

 部屋を飛び出そうとした秀吉を、信奈は呼び止めた。

 

「今回は美濃に行くことになるでしょうから、その地に明るい者をあんた達に付けるわ。入って来なさい。」

 

 信奈の呼び掛けにより戸が開かれ、評定の間に一人の少女が入ってくる。

 背中まで長く伸ばした髪に金柑の飾りを付け、広いでこが理知的な魅力を引き出している美少女である。

 しかし、その少女を目の当たりにした瞬間、秀吉の背に悪寒が走った。

 

「この子は帰蝶を連れてきてくれた斎藤の使者、明智十兵衛よ。マムシの救出にも賛同してくれてるから、存分に使ってあげて。」

 

「明智十兵衛光秀ですぅ。どうぞよろしくお願いします!」

 

 秀吉にとって、決して許すことの出来ぬ宿敵の名を少女は名乗った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その翌日、秀吉達は斎藤道三を救出すべく、川並衆の操る船で長良川を昇っていた。しかし、船内の雰囲気は最悪であった!

 

「あの、相良さん。冷たいお茶を用意しましたが、如何でしょうか?」

 

「おっ、ありがとう。ちょうど喉が乾いた所だったんだ。」

 

「木下様も…」

 

「いらぬ。」

 

「で、でも日が昇って暑くなってきましたし、日負けせぬよう少しでも水を…」

 

「お構い無く。後で勝手に飲みますので適当に置いといて下され。」

 

「ううぅ、承知しました。」

 

 にべもなく申し出を断る秀吉に取り付く島も無く、光秀はとぼとぼと元の場所に戻る。見事なまでの塩対応である。

 昨日から何度と無く似たやり取りを見てきた良晴が溜め息を吐くと、その袖を引く者がいた。

 

「…良晴、あの斎藤の使者と秀吉、何かあったの?秀吉があんな態度をとるなんて珍しい。」

 

 そう問いかけるのは、先日織田家への帰参が認められた犬千代であった。

 

 稲生の戦いが終わり、戦の後始末を行っていた本陣の武将達は、目の下に矢を生やしたまま帰ってきた犬千代を見て驚愕した。

 そんな中、信奈は傷を受けた犬千代の顔を見て大笑し、大いに喜んだ。

 

「犬千代っ、随分と良い顔になったじゃないっ!見事な向かい傷よっ!」

 

 そう叫んで立ち上がると、犬千代を皆の前に立たせ肩を叩いた。

 

「皆のもの、犬千代の顔を見なさい!この傷は死を恐れず敵に立ち向かった証拠、武門にとってこれ以上無き誉れよっ!この傷と此度の手柄を以て犬千代の帰参を認めるわ。武人たらんとする者は犬千代を手本とし精進なさい!」

 

 信奈の言葉に歓声と犬千代を称える声があがり、犬千代は少し照れたような表情をしながらも堂々と称賛を受けたのであった。

 

閑話休題

 

 あれから暫くたち、幸いにして犬千代の右目に後遺症は見られず、傷も大分癒えてきたということで今回の美濃行きに護衛として参加している。

 

「いや、なんというか、別に喧嘩したとかそういうわけじゃ、いやでもある意味喧嘩以上の事はしてるわけだし…」

 

「………結局何があったの?」

 

「まあ、一言で言うなら、昔色々あったって言うしか無いなぁ。」

 

 流石に本当の事を言う訳にもいかず、適当に誤魔化すしか無かった。犬千代も何か深い事情があることを察してか、それ以上深く追及してこない。

 

「おーい、見えてきたぞ。」

 

 船頭の声に意識を向ければ、どうやら目的地に到着したようである。

 川岸に船を付け荷物を下ろすと、ここからは徒歩での旅路となる。

 

「それでは良晴、マムシ殿の事はよろしく頼むぞ。」

 

「ああ、わかった。そっちも気を付けて。」

 

 互いに準備を整え終えると、道三の陣には良晴、光秀、犬千代の三人。そして義龍方の陣には秀吉で向かう。

 良晴達は光秀の案内のもと、道三が陣を構える鶴山に到着すると早速道三との面会を求めた。

 光秀の取り成しもあり面会はあっさりと認められ、良晴達は道三のいる本陣中央に招かれる。

 

「十兵衛っ!何故御主は戻って参った!?」

 

 陣内に入った良晴達を最初に出迎えたのは、でこの広い口髭を蓄えた中年の鎧武者である。彼の名は明智光安、光秀の叔父にあたる斎藤家家老である。

 光秀は叔父の前に進み出ると頭を垂れた。

 

「叔父上、こちらに戻ってきたるは信奈様の願いを聞き届けたる為。信奈様は道三様が生き永らえるをご所望ならば、不肖光秀その片棒を担ぎに参りました。」

 

「な、なんじゃと!?」

 

 光秀の言葉に光安は狼狽える。すると後ろに控えていた道三が、光安の前に進み出る。

 

「そこにおるのは、以前聖徳寺で儂に物申した小僧であるな?」

 

「ああ、久しぶりだなマムシのおっさん。あんたの命、助けに来たぜ。」

 

「それは信奈ちゃんの命じゃな。ならば帰って信奈ちゃんに伝えよ。義龍の暴挙を許したるは我が不徳の成すところ。梟者と呼ばれようと儂も武士の端くれ。己の責は自ら精算するゆえ、余計な気遣いは無用であると。」

 

「いいや、おっさんを助けるまで俺は帰らねぇ。そんな自己満足でおっさんを死なせた日には、俺は信奈に顔向け出来ねぇ。」

 

「黙れ小童っ!!大殿の覚悟を愚弄するかっ!?」

 

「ああ、馬鹿馬鹿しいね!死んだところで失敗したことは取り返せない。信奈もそう言ってた。あんたらは自分達の失態から目を反らし、形ばかりを取り繕うとしてるだけだっ!たとえ生き汚いと罵られようと、生きてもらわなきゃ俺が困るんだっ!」

 

「何故貴様が困るっ!?」

 

「信奈が泣くからだよっ!」

 

 声を大にして良晴が叫べば、道三達は言葉を詰まらせる。その合間に良晴は言葉を畳み掛けた。

 

「あいつはよぉ、これまで自分が好きになった人はみんな死んでいったって、すげぇ悲しそうな顔で言うんだ。いつもはすぐに癇癪を起こす気性の激しい奴だけど、心は年相応の女の子なんだ。そんな奴がマムシのおっさんの事を好きだって言ってんだ。」

 

「なんと、信奈ちゃんが…」

 

「ああ、おっさんが死んだら信奈は泣く。そして凄く傷付く。だから俺は何が何でも生きておっさんをあいつのところに連れていく。あいつが傷付くところなんて見たく無いから。」

 

 良晴の言葉に道三は心を掻き乱された様子であった。ふらふらと足元がおぼつかず、やがてその場に腰を落とした。

 

「…儂はのう、この国を手にするに当たって随分と悪どい真似をしてきたものじゃ。全ては美濃を起点に、日ノ本の全てを、天下を手に入れるためじゃった。だが、人生の大半を費やし手に入れたるは美濃一国のみ。所詮天下など夢のまた夢であった。」

 

「大殿…」

 

「だが儂と夢を同じにし、更にその先を目指さんとする娘と出会えた。儂はその娘に己の夢を託す事が天命に思えた!じゃが、その末路がこのざまよ。息子達を殺し合わせ、大半の臣の忠節を失い、もはや死を飾るしかなくなった哀れな老人。それが儂じゃ。」

 

「おっさん…」

 

「そんな儂でも死んだら悲しんでくれる女子がいるというのなら…」

 

 道三がゆっくりと立ち上がる。その目にはそれまで見られなかった光があった。

 

「儂は悪い大名、悪い父親であった。されど、女を泣かす悪い男にはなりとう無い。」

 

「大殿、ではっ!」

 

「小僧、儂を信奈ちゃんのもとへ連れて行ってはくれぬか?」

 

「ああ、御安い御用さ!」

 

 道三から差し出された手を握り、良晴は力強く頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、良晴達と別れた秀吉は単身義龍の陣中を訪れていた。

 突然訪問してきた織田の使者を名乗る秀吉に陣中の者達は色めき立ち、濃厚な殺気を秀吉に向けるが、当の秀吉はまるでそよ風を受けるかの如く方々から向けられる敵意を受け流していた。その脇にはなぜか木製の盆を抱えている。

 そんな秀吉を正面から忌々しく見詰めるのは、他ならぬ斎藤義龍本人であった。

 

「それで、織田の使者が今さら何の用だ?」

 

「何と申されますれば、それは勿論義龍殿に良い話を持ってきた次第に御座います。」

 

「良い話じゃと?」

 

「左様。昨今美濃を巡る一連の凶事。その落とし所を一つ持って参りました。」

 

 含みのある秀吉の物言いに義龍は不審げに眉を潜ませる。

 

「此度の凶事の元凶たる斎藤道三の御身、我ら織田家で預かりとう御座います。」

 

 その言葉に同席した義龍の家臣達は騒然となり、義龍も秀吉に向ける視線を強くした。

 

「…主君がうつけなら、配下の者もうつけよな。」

 

「おや、お気に召されませぬか?」

 

「笑止、我らは既に一戦交える覚悟にある。その様な話は無用じゃ。わかったならさっさと帰れ!」

 

「お待ちを。仮に一戦交えるとなれば義龍様の勝利は間違い無いでしょう。然れど戦の最中、道三様の御命が失われる恐れがありましょう。親殺しの悪名は少々高くつくのでは?」

 

 秀吉の指摘に義龍の顔が歪む。

 あらゆる悪逆非道が罷り通る戦乱の世に置いても、越えてはならぬ一線というものがある。その一つにして代表的なのが親殺しである。

 これまでに奥羽の最上義光や、甲斐の武田晴信など親から家督を奪い国から追放した者は少なからずいる。

 そんな彼らでも命まで奪おうとは考えもしなかった。それだけこの時代において親を殺す事は禁忌であり、犯そうものなら多大なる悪名を背負う事となった。

 

「如何に命を奪わずその身を捕らえようと努めても、抵抗激しければ絶対は有りませぬ。その事を考えるなら戦をせずに追い出してしまうのも良案かと。」

 

「……そうして御主らは、この地に精通した知恵者を家中に迎えるのか?」

 

「無論、タダとは申しませぬ。」

 

 そう言って秀吉は自身の前に盆を置き、懐から小袋を取り出すと口紐を解く。そして袋を逆さにすれば、中から黄金の粒が盆に溢れた。

 

「なっ!?」

 

 義龍達が驚愕するなか、秀吉は二つ目三つ目と袋を取りだし、中身を盆に落としていく。そうして積み上がった砂金の小山を、快活な笑みと共に義龍に差し出す。

 

「どうぞ、お納めくだされ。」

 

「…貴様、この金で道三を売れと申すか?」

 

「いいえ、我らが差し出したるは義龍様が最も欲される物。この金はそれを得るための手付け金に御座います。」

 

 そう言って今度は懐から書状を取り出すと義龍に差し出す。

 乱暴にそれを受け取った義龍は中身を確認し、悔しげな様子で秀吉を睨む。

 

「如何でしょうか?お気に召して頂けるかと存じ上げますが?」

 

 

 

 

 

 

 長良川を臨む小高い丘、そこから義龍は遠く川を下っていく一隻の船を眺めていた。あの船の上に道三がいる。

 

「まんまとやられましたな。このような物を提示されれば我らは飛び付く他有りませぬ。」

 

 そう言って背後から現れたのは稲葉一鉄である。その手には秀吉から渡された書状が握られていた。

 

「…気に食わぬ。このような形で大義を手にする事になろうとは。これでは我らは道化ではないか!」

 

「まぁまぁ、落ち着かれなさいませ。あの者が言う通り、これは我らが今最も欲するもの。それが道三一人の身で手に入るのですから、乗らぬ手は無いかと。」

 

 一鉄の言葉に義龍は拗ねた様子で鼻を鳴らす。

 秀吉が提示した書状、その中身は村井貞勝に用意してもらった京の公卿への紹介状である。

 

 現状、義龍が美濃を治めるにあたり、その名声が圧倒的に不足していた。

 そもそも親殺しに至らずとも、親を国から追放すること事態十分な悪徳であり、それを成した義龍が周囲から向けられる視線は非常に厳しい。

 更に言うなら、親である道三からして主君を廃し国を乗っ取る下克上の体現者。既存の権力者からすれば息子である義龍もまた、自分達の立場を脅かしかねない非常に信用ならぬ存在だ。

 

「故にこの紹介状、そして金に御座いますなぁ。これを使って公卿達の歓心を得て、官位を頂き美濃を治める正統性を得る。国を治める上で最も手っ取り早い方法でありましょう。」

 

「ああ、おまけにこちらは厄介者を追い出せる上に懐が痛まずに済む。何から何まで我らに有利だ。だからこそ気に食わぬ。」

 

「はて、それはまた何故?」

 

「…織田は美濃を諦めておらぬ。今川を打ち倒し、次は必ずその矛先を我らに向ける。」

 

 義龍の言葉に一鉄は目を見開いた。

 

「まさかそんな、織田は今川に勝つつもりでおるのですか?」

 

「そのまさかじゃ。あの使者、然り気無く我らが陣容や周囲の地形を確認しておったわ。何か秘策があるのかは知らぬが、少なくともあの男は今川との戦の先を睨んでおる。そんな男を従える者が、簡単に敗けを認めるものである筈がない。」

 

 義龍は豆粒のように小さくなった船の行き先、尾張を睨む。

 

「我らに利を与えようとも美濃を落とす自信があるのか?そう思うなら勝手に思っておるが良い。慢心した貴様達がこの地に足を踏み入れるとき、そこが貴様達の死に場所じゃ!」

 

 その日、蛇の血を継ぎし一匹の龍が、明確に己の敵を見定めた。

 

 

 今宵はこれまでに致しとう御座ります。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。