ほのかさんに希の家から出て行くように話した次の日の朝、希から借りたカギを使って希の家にもう一度立寄ると、ほのかさんはもうすでに出て行った後だった。正直、素直に言うことを聞いてくれるとは思っていなかったら、拍子抜けしたような、でも安心した気持ちになる。結局、真相はわからないままだけど、このまま穏便に済めばいいと思っていた。
絵里「おはよう、にこ。」
にこ「ん。」
登校してから朝学活の前に廊下でにことすれ違って、ほのかさんのことを話した。
にこ「そう。」
絵里「これで、よかったかしら?」
にこ「……。」
にこは何かを考えたこんだ後に「今のところは、そうね。」とだけ言って教室に入ってしまった。ここ数日のにこは何を考えているのか読めない時がある。今の沈黙と返答からも、彼女の意図は掴めなかった。
その日の部活の前、真姫が学校には来たけど部活は休むと言っていたとの連絡を受けた。その話を花陽から聞いたにこは、花陽の前では淡々と返答していたけど、会話が終わると明らかに不機嫌な様子を見せた。
凛「ねえ、絵里ちゃん。」
絵里「どうしたの?」
凛が私を廊下に呼び出したので二人きりになる。
凛「真姫ちゃん、多分何かを隠してるにゃ。」
絵里「ほのかさんのこと?」
凛「それはそうだけど、もっと先の話。」
絵里「先の話?」
凛の声のトーンが一段と低くなる。
凛「きっと、ほのかちゃんのことを匿ってる。」
想像の斜め上の話に思わず眉が動く。
絵里「かくまってるって、じゃあ、ほのかさんは真姫のところにいるの?」
凛「多分。」
絵里「どうして思ったの?」
凛「かよちんと真姫ちゃんの話を盗み聞きしちゃって、そうしたら……。」
絵里「ほのかさんの話が出てきたのね。」
凛が首を縦にふる。困った話だ。希の家から出ても、真姫の家に居たんじゃ何も状況が変わらない。実際、真姫は今日も部活に来なかった。このままではラブライブ本戦に向けての練習がままならなくなる。
絵里「ありがとう、凛。にこと二人でなんとかするわ。」
凛「待って!」
凛に腕を掴まれて驚く。
凛「練習が終わったら、かよちんが真姫ちゃんの家に行くみたい。」
絵里「花陽が?」
凛「きっと、ほのかちゃんに会うんだと思うにゃ。」
その話を聞いて嫌な予感がした。希の二の舞になるんじゃないか、と。
凛「だから凛も連れて行って。かよちんを助けたい!」
凛からの必死のお願いを無下にはできなかった。そもそもこの情報を知っていたのは凛なのだから。
絵里「わかったわ。そうしたら、にこも合わせて三人で行きましょうか。」
凛「ありがとう。」
練習が終わった後、にこにも事情を話すとすぐに真姫の家に向かうことになった。ほのかさんに対する敵意がむき出しな様子に危険を感じたけど、希がいない以上は何かあったときに頼りになりそうなのは意外とにこだと思っている。だから、今回も信用して任せる。手早く着替えを済まして部室から出て行った花陽に先を越され、何十分か遅れて真姫の家に到着した。呼び鈴で真姫のお母さんと挨拶をして、玄関に上がらせてもらい、私たち三人はそのまま真姫の部屋まで進んでいった。
真姫『花陽!?』
真姫の部屋の前に来た途端、真姫の大きな声が聞こえて三人の中に緊張が走る。そのまま私たちが部屋に入ると、恐れていたことが起きてしまった後の状態だった。花陽がグッタリとしていて、そこに真姫と、ほのかさんがいた。
凛「かよちん!しっかりしてかよちん!!」
真姫「な、なんで!?」
にこ「やってくれたわね!!」
私の後ろにいた二人が思い思いの行動に出る。凛は気を失っている花陽の肩をゆすり、にこはほのかさんの胸ぐらを掴んでいた。
ほのか「んぐっ!?」
真姫「にこちゃん、やめて!」
にこ「離しなさいよっ!!」
花陽の介抱が先だと思った私は、凛を落ち着かせてから花陽を横にさせた。その間ににこと真姫とで言い合いが起きている。
にこ「あんた、自分がしたことがどんなことかわかってんの!?」
真姫「こうなるなんて、思ってなかったわよ。」
にこ「その頭はなんのためにあるのよ。よく考えなさいよ!!」
真姫「な、なによっ!?」
にこ「すぐ頭にきちゃうあたりがお子さまじゃない。」
真姫「どっちがよ!!」
正直この言い争いは見るに耐えなかったけど、錯乱しかけてる凛をなだめながら花陽を看るので手一杯だった。花陽の寝息が聞こえて、見たところただ気を失っているだけだとわかり、一息ついたところで凛に話しかける。
絵里「花陽は大丈夫そうね。凛、おぶって家まで送れそう?」
凛「……セナイ。」
絵里「え?」
凛「ユルセナイ。ユルセナイ!!」
凛のフラストレーションが急上昇して爆発する。花陽の無事が確認できた時点で、不安な気持ちから怒りの気持ちへと急旋回したのだろう。
凛「信じてた!ほのかちゃんは本当は悪い子じゃないって信じてた!でも、もう信じられない。かよちんをこんな目に合わせた以上、凛はほのかちゃんを許せない!!」
凛の叫び声に圧倒されて部屋が静まり返る。さっきまで罵り合っていた二人は口を閉ざし、私も静止することができなかった。ほのかさんはというと、俯いたまま微動だにしないで黙っている。
にこ「絵里、コイツを真姫の家からつまみ出して。」
真姫「え?」
そこで真姫のお母さんが部屋に入ってきて、ただでさえ惨状とも呼べるような空間だったにもかかわらず、さらに悪化して地獄へと変わった。
真姫母「凛ちゃん、泣いているじゃない、大丈夫?それにあなたは……。」
真姫のお母さんの視線がほのかさんに移った瞬間だった。
ほのか「っ。」
にこ「ちょっ!」
目の前にいたにこを押しのけるように部屋の外へと飛び出していった。
真姫「ほのか!!」
にこ「凛、すぐ追いかけるわよ!!」
にこと凛はほのかさんの後を追うようにすぐに部屋を飛び出し、真姫もそれに続こうとしたけど、お母さんに止められてしまっていた。
真姫母「真姫ちゃん、少し話を聞いてもいいかしら?」
真姫「っ。」
「お騒がせしてすみませんでした。」と真姫のお母さんに一礼してから、花陽をおぶって凛とにこの後を追うために外に出た。すると、歩いて数秒の場所で凛に羽交い締めされてるほのかさんと腕を組んで睨んでいるにこの姿が見えた。ほのかさんが靴すらも履いていないところを見る限り、本当に呆気ない逃走劇だったのだろう。
にこ「何か言いたいことはある?」
ほのか「……。」
凛「黙って済むつもり!?」
にこ「凛、落ち着きなさい。別に何もないならいいわ。」
凛の怒りが爆発したことで逆に冷静さを取り戻したのか、にこの口調は淡々としていた。
にこ「凛に任せるとやばそうだし、絵里、私と一緒に学校へ連れて行くわよ。」
絵里「学校?」
にこ「街を徘徊されてもメンバーの誰かと遭遇するし、学校に閉じ込めて管理してる方がまだ安全よ。」
冷酷。その一言に尽きる。ただ、それでこの一件が収まるのなら致し方ない。それに、グズグズしてると凛がほのかさんに手を出しかねないような勢いだった。
絵里「わかったわ。凛、花陽をお願い。」
凛「……もう一言だけ。」
少し間を空けた後に凛はそう呟いた。花陽をおぶりながら、凛はほのかさんに向かって刺すように「これ以上、誰も傷つけないで。」とハッキリとそう伝えて、その場から去っていった。誰もほのかさんを押さえつけていなかったけど、足が石になったかのように動かない様子だった。
にこ「絵里。」
絵里「ええ。」
にこの合図でほのかさんを学校に連れて行く。ほのかさんは、にこに手を引かれるようにしてようやく動くことができるといった状況。私はその後ろを歩く。フラフラと歩く背中を見ていると魂のないマリオネットを見ているようで、彼女が一人の人間だとはとても見えなかった。
思わず、同情してしまう。実際の現場を見たわけではないから、彼女が希や花陽に何をしたのかわからない。もしかしたら何もしていないのに責められているのかもしれない。そんな可能性すら考えてしまうほどに気の毒だった。
にこ「とりあえず、生徒会室でいいわよね。」
絵里「そうね。忘れ物を取りに来た口実にもなるわね。」
にこ「じゃあ、校舎の中には絵里が連れて行ってくれる?」
絵里「わかったわ。」
そんなやり取りを聞いていたのか、私たちの会話が終わるとほのかは自分で歩くようになった。逃げる様子もないし、潔く生徒会室に来てくれるらしい。そのまま歩いて学校に辿り着き、職員室で先生に断ってから校舎内に入り、生徒会室の前までほのかさんと二人で歩いて来た。本来なら誰かを閉じ込めておくなんてできるような場所ではないけど、一日くらいなら大丈夫なはず。
絵里「私たちの話、聞いていたんでしょう?」
ほのか「はい。」
ほのかさんはボソッとした声で答えた。
絵里「逃げないの?」
ほのか「どうして、ですか。」
絵里「これから、この部屋に監禁されるようなものなのよ。逃げたくならないの?」
すると、ほのかさんは声を震わせながら「いいんです。」とだけ言って、ドアを開けて生徒会室の中に自分から入っていった。
絵里「電気をつけると目立つから、このまま暗くしたままで我慢してね。」
ドアを閉める前にほのかさんと目が逢う。
ほのか「えり……さん。」
苦しい気持ちに潰されて居た堪れなくなった私は生徒会室のドアをすぐに閉めた。これは悪魔の囁きだ。蜘蛛の糸を待つ人と同じような命乞いの行為なんだ。だから私は悪くない。そうよ、しょうがないじゃない。私はみんなを守るために……。
絵里「こうしてまた私は自分を正当化するのね。」
こんな風に考えてしまう自分がキライで、みんなと過ごしてからは少し変わったと思ってたのに、土壇場になるとやっぱりこうなるのは滑稽だわ。
にこ「アイツ、言うことは聞いた?」
にこは校門の外で待っていた。にこの存在は、今の苦しい気持ちと心細さを埋めてくれているような気がした。
絵里「ええ、奇妙なほどね。」
にこ「そう。じゃあ、帰りましょう。」
絵里「そうね。」
にこはクルッと振り向いて先に歩き出した。学校から見ると私たちの家は同じ方向だから一緒に歩いて帰れる。
にこ「……なんか、悪かったわね。」
こちらに振り向かないままそう言われた。
絵里「何かされたかしら?」
にこ「損な役回りばかり押し付けてると思ったのよ。」
絵里「気にしてないわ。」
にこ「嘘ね。絵里はこういうこと、傷つきやすいじゃない。」
図星だったのと、にこに諭されたのが少し癪で無言になってしまった。
にこ「実際、アイツのことはどう思ってるの?」
今度は振り向いて訊かれる。咄嗟のことでドキッとした。
絵里「危険な存在には違いないわ。」
にこの気持ちも汲んで、気の毒という気持ちよりも彼女のことを敵視している意図を伝えようとした。すると、私の答えを受けたにこの顔が一瞬だけ、ほんの一瞬だけ沈痛な表情を浮かべた。
にこ「そう。」
それだけ返事してまた歩き出してしまった。どういう意図か聞き出したいところだったけど、すぐにこの家の前についてしまった。
にこ「仮によ。」
絵里「ええ。」
にこ「仮に、アイツのことを思い出す時が来たら、絵里はどっちを味方するかだけ教えて。」
にこの赤い瞳が炎のように揺らめく。それに吸い込まれる感覚がした。
絵里「心配しないで。私はにこの味方よ。」
にこ「……堅物すぎなのよ。」
絵里「ちょっと、そんな言い方はひどいじゃない。」
にこ「わ、悪かったわよ。」
そうして小さく「ありがとう」と言って、にこはアパートの中に消えた。私が堅物なら、にこはツンデレさんね。
にこはみんなの不安を一身に背負ってる。自分の正義を貫こうと必死になってもがいているのが今の言葉からも伝わった。きっと一年生のときの苦い記憶も相まってのことだろう。なら、私は彼女の小さな背中を押してあげよう。小さな、でも私よりも芯の通っている強い背中を。挫けそうなときに支えてあげられるように助けてあげよう。
ふと、目の前にあるいつもの通学路に人影が映った気がして顔を上げる。そこには、懐かしくて温かさを感じる背中があった。
ほのか『また明日ね。』
振り向いて笑顔で話しかけてきた彼女は、私が学校に置いてきたはずの少女だった。手を振った彼女は、分かれ道で神田駅の方へと走り抜けていってしまった。その後ろ姿は、いつもの日常だったはずなのにどこか切なくて、どこか遠い過去に置いてきてしまったモノのように感じた。
絵里「穂乃果……。」
この気持ちは忘れよう。にこのためにも、希のためにも、ミューズのためにも。